2025/07/17 - 2025/07/17
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ペコちゃんさん
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7月の〇〇会は、横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山の總持寺を訪れました。
増上寺(浄土宗)池上本門寺(日蓮宗)川崎大師(真言宗)と並んで「京浜四大本山」と称される總持寺ですが、もともとは能登国(石川県輪島市)にあったお寺で、1898年の火災で焼失した後、明治44年(1911)に現在地に移転しました。
能登の總持寺は、奈良時代に行基が開創したと言われる真言律宗の諸嶽観音堂が前身で、1321年に寺号が諸嶽山・總持寺と改名され、1322年に後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて曹洞宗大本山となり、徳川幕府の法度で1615年に福井県の永平寺と並んで曹洞宗の大本山となりました。
境内を歩くと、大本山に相応しい堂々たる寺院ですが、広大な墓地には有名人の墓もあり、一度は訪れてみたかったお寺です。
午後からは森永製菓の鶴見工場見学・・・予約がすぐに埋まってしまう人気の工場見学ですが、童心に帰って楽しいひと時を過ごしました。
写真は、總持寺に眠る昭和の大スター・石原裕次郎の墓所。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
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品川から乗り継いで京浜東北線の鶴見駅へ・・・初めて降りる駅です。
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總持寺は、JR鶴見駅・西口から徒歩5分ほどの所にあります。
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坂道を上って總持寺へ。
總持寺の寺紋は五七桐紋で、後醍醐天皇から桐紋を下賜されたそうです。 -
境内図を見ると、広大な境内にビックリ!・・・敷地面積は約50万平方mで、鶴見大学など学校施設や大きな墓地もあります。
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坂道を上がった所にある「慈峰閣(じほうかく)」・・・本山移転百周年記念事業の一つとして、2006年に竣工した総合寺務室の建物です。
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その隣にあるのは、昭和12年建立の「天真閣」・・・三階建て桧造で、三階は260畳敷きの大広間があり、諸行事や研修等に利用されます。
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総受付の「香積台(こうしゃくだい)」・・・拝観・墓地・法要・参拝等の受付で、売店・休憩所もあります。
「香積」とは、「香気が充満している世界」のことで、食事を調理する庫院(くいん)、庫裡(くり)を意味します。 -
「金鶏門」を通り、外苑から内苑へ。
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外苑と内苑を分ける、長さ152mの「百間廊下」・・・毎日、修行僧の皆さんがピッカピカになるほど磨いているそうです。
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内苑に入ると、右側にあるのは總持寺の迎賓館「待鳳館(たいほうかん)」。
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1915年に竣工した最初の建物は関東大震災で玄関を除いて倒壊しましたが、1957年に東京・千駄ヶ谷の尾張徳川家・旧書院を移築して、旧待鳳館の玄関を接合しました。
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徳川家の書院だったためか、どことなく武家の雰囲気。
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内苑の東にある「紫雲臺(しうんたい)」・・・宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院で、500坪の広さの池泉回遊式庭園の紫雲庭があります。
正面玄関の扁額は「紫雲臺」・・・独住第3世西有穆山禅師の書です。 -
左に進むと、大祖堂が見えてきました。
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大祖堂の右側を進むと、鶴見の街が一望できます。
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そして右側には、禅師の住居「侍局」。
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大祖堂の前にある手水舎。
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1965年に竣工した「大祖堂(だいそどう)」・・・最も大きな法要・修行の建物で、歴代の諸禅師の頂相が安置されています。
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左右に置かれた鋼製の大灯籠。
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大祖堂では朝夕のお勤めの読経など、様々な儀式を執り行っており、法堂地下には大法要などを行う客殿「瑞応殿」があります。
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向拝の上には、こんな鬼瓦が・・・
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大香炉。
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内部は千畳敷きの大建築。
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天井の照明も趣があります。
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大祖堂の左には、大正4年に竣工した「仏殿」。
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扁額には「大雄宝殿」。
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仏殿の内陣。
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左右に安置された唐獅子。
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中央壇上には、禅宗の本尊である釈迦牟尼如来の坐像、右に迦葉尊者、左には阿難尊者が脇侍として祀られています。
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仏殿の左側にある北部玉兎門から墓地へ・・・
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仏殿の北(裏)側にある「御霊殿(ごれいでん)」の周りは、広大な墓地になっており、有名人の墓もあります。
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そうです! ここは石原裕次郎のお墓があることで有名ですよね。
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ひときわ目を引くこの墓は、神刀流居合の創始者である日比野雷風(1864~1926)の墓・・・墓石が刀剣のようになっています。
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道案内を頼りに奥まで歩いていくと、人だかりが・・・ここが昭和の大スター・石原裕次郎の墓地です。
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1934年に神戸で生まれ、小樽・逗子で育った裕次郎は1987年に52歳で亡くなりましたが、何と、今日(7月17日)が命日!
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我々が行く前に関係者の方たちが墓参したようで、沢山の献花で飾られています。
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裕次郎の映画やテレビもよく見ましたが、『銀座の恋の物語』『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』『ブランデーグラス』『わが人生に悔いなし』『北の旅人』など、カラオケで何回も歌った好きな曲です・・・ご冥福をお祈りします。
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墓地の左側には、まき子夫人(北原三枝)が裕次郎を偲んで贈った詩が刻まれています。
『美しきものにほほえみを 淋しきものに優しさを たくましきものにさらに力を すべての友に思い出を 愛するものに永遠を 心の夢醒めることなく 石原まき子』 -
もう1カ所、忘れてならないのが、アントニオ猪木の墓・・・大祖堂の北(裏)側にあります。
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墓のそばには、燃える闘魂・アントニオ猪木(1943~2022)のブロンズ像・・・筋骨隆々で闘魂タオルをまとい、今にも動き出しそう!
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台座の左側に刻まれた賛助者の名前・・・藤波辰爾・長州力・佐山サトル・高田延彦など、新日本プロレス全盛時の熱気が蘇ります。
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『燃える闘魂』の石碑には、プロレスラー引退の時のスピーチの最後を飾った詩『道』が彫られてます・・・『この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ』
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墓地から内苑に戻り、境内の西側を進みます。
これは、1970年に焼失した「常照殿」の被災者を慰霊する宝篋印塔。 -
1911年に総持寺が能登から移転して最初に移築・建立された「放光堂(ほうこうどう)」・・・安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として1861年に建立された堂宇ですが、總持寺移転に際して特別に献納され、1965年まで大祖堂として中心的な役割を果たしました。
現在は檀信徒の位牌を安置した供養の道場で、その奥に納骨堂の常照殿があります。 -
堂内の阿弥陀如来像。
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「衆寮(しゅりょう)」・・・当初は僧堂でしたが、現在は坐禅堂として一般参禅者に開放されています。
扁額の『古教照心』とは、祖録等の看読所(学問所)を指しており、「祖師達の教えの光によって心を照らせ、心を磨け」という意味です。 -
内苑から外苑へ。
これは、1937年竣工の「大僧堂(だいそうどう)」・・・設計は築地本願寺などを手掛けた伊東忠太(1867~1954)。
大僧堂は「雲堂」(雲水僧が集まり来るという意味)「選佛場」(仏祖を選出する道場)などと呼ばれ、堂の中央に僧形文殊菩薩像を安置して、衆僧がこれを囲んで行住坐臥・日夜弁道をする道場です。 -
1974年に總持寺開山瑩山禅師650回大遠忌の記念事業として建立された「嫡々庵(てきてきあん)」・・・總持寺所蔵の文化財を一般公開する宝蔵館ですが、今日は休館。
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1974年に建立された「雲水群像」・・・彫刻家・矢崎虎夫(1904~1988)の作品。
雲水とは、雲の行くまま、水の流れるままの拓鉢遍路をして精進する僧のことで、禅の精神を表現した作品です。 -
三門横の大駐車場では、明日から開催される「み霊祭り」の準備中。
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今年の「み霊まつり」は7月18~20日の3日間で、納涼盆踊りや花火大会などが開催され、多くの人で賑わいます。
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向唐門と「相承」の像。
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曹洞宗瑩山派の始祖・瑩山禅師(1268~1325)と二人の弟子の像・・・「相承」とは「法の相続」(師匠から弟子へ正しい仏の教えを伝え、途絶えることなく次の弟子達へ伝えていくこと)で、中央に瑩山禅師、右に峨山禅師、左に明峰禅師が配されています。
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像の南側には、1969年に落成した「三門」・・・鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさです。
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三門の左右には金剛力士像、楼上には観音・地藏の放光菩薩像と十六羅漢像および四天王像が祀られています。
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左右の金剛力士像は、元横綱・北の湖の15歳の姿をモデルにしたと伝えられます。
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總持寺の総門「三松関(さんしょうかん)」・・・ここから再び境内に戻ります。
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1990年竣工の「三松閣」・・・地上4階、地下2階の檀信徒研修道場で、喫茶・食事の茶房もあります。
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唐破風造り桧皮葺の「向唐門(むかいからもん)」・・・1925年年の瑩山禅師六百回大遠忌を記念して落慶しました。
通常は門は閉じていますが、禅師の入山式・正月・み霊まつり・11月の御移転記念日の時に開扉されます。
扉には「菊の御紋」・・・總持寺は後醍醐天皇から官寺として認められたので、皇室ゆかりの寺院として菊紋の使用が許されたのでしょう。 -
裏側から見た向唐門・・・両側に築地塀が延び、仏殿の前方の重厚な景観を作り出しています。
広い境内には緑も多く、清々しい気持ちになった總持寺でした。 -
鶴見駅西口のフーガビル地下にある食堂街で昼食。
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一番奥まった所にある蓬莱春飯店へ・・・昭和34年創業の老舗中華料理店です。
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黒酢すぶた定食・・・マーボ豆腐とスープがついて990円は、安い!美味い!
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午後からは森永・鶴見工場見学。
昼食後、西口から東口に行くと、広いバスターミナル、その先に京急鶴見駅が見えます。 -
森永・鶴見工場は、横浜市営バスで5分ほど。
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「森永工場前」のバス停で降りると、まさに森永工場前。
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でも、工場見学の入り口は、150m先の「森永エンゼルミュージアム(MORIUM)」。
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ここが「MORIUM」・・・森永製菓創業120周年を記念して、当初2020年春をオープン予定としていましたが、新型コロナウイルスの影響で延期となり、2022年1月にオープンしました。
MORIUMとは、ラテン語の「ARIUM(場所)」と「MORINAGA」を組み合わせたもので、森永が生み(UM)出す価値を体感して頂きたい、という願いが込められています。 -
手指をアルコール消毒して入館・・・人気キャラクター「キョロちゃん」もお出迎え。
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佐賀県伊万里市に生まれた創業者・森永太一郎(1865~1937)の等身大パネル・・・1899年(明治32年)に赤坂に構えた2坪の工場から、いまの森永製菓が生まれました。
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1910年に(株)森永商店として会社組織に改め、1925年に塚口工場(兵庫県尼崎市)と鶴見工場を新設し、最新機械設備による大量生産体制がスタート。
2階にかつての写真が展示されています。 -
1927年の工場見学の様子・・・昭和の初めは、殆どの人が和装ですね。
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これは、1928年頃の鶴見工場。
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1935年のビスケット製造の様子。
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1957年頃のアイスクリーム製造の様子。
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今回の〇〇会参加者は4名。
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工場見学は14時~15時15分。
最初にMORIUM 1階の「シアタールーム」で、森永製菓の「はじまり」と「いま」を大きなパノラマ映像で学習。 -
この後、森永太一郎の銅像を見ながら敷地内を歩いて、鶴見工場の製造ラインを見学・・・当工場では「小枝」「ハイチュウプレミアム」などが製造されています。(工場内は撮影禁止)
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「MORIUM」に戻り、1階の「おいしさのひみつ」エリアを見学。
ここには森永製菓が手がけるハイチュウ・inゼリー・チョコレート・アイス・ビスケットの5つの大きな展示柱があり、お馴染みのブランド・商品のこだわりを学びます。 -
柱の扉を開けると、巨大な冷凍庫・・・中には「チョコモナカジャンボ」「板チョコアイス」「アイスボックス」など、森永製菓が手がけるアイスが下から上まで詰め込まれています。
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お菓子製造の技術を使ったという森永製菓のアイス。
特に「チョコモナカジャンボ」は、1972年に誕生して以来、森永製菓を代表する大人気商品で、チョコもモナカもパリパリ! -
なぜ、あんなにもパリッと美味しいのかの説明がありましたよ・・・現地でその秘密を確かめてみて下さい。
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チョコモナカジャンボの記念撮影コーナー。
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その後、2階に移動して試食タイム・・・チョコモナカジャンボのハーフサイズを頂きました。
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工場見学のお土産は、「inゼリー」と「ハイチュウプレミアム」。
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見学会の後は、1階にある「ミュージアムショップ」へ・・・さまざまなオリジナルグッズやお菓子が販売されており、見ているだけでも楽しいコーナーでした。
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