2018/08/01 - 2018/08/03
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kasekunさん
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写真見つけたので思い出し投稿です。
この旅行の1番の目的はチェルノブイリ原発。ネット見てたらチェルノブイリ原発ツアーが開始されたようで、日本人としては絶対見ておきたいと思いまして。広島、長崎、そして福島原発事故、、、放射能に悩まされてきた日本、事故から30年程たったチェルノブイリがどうなったのかこの目で見ておきたいと思いまして、、、。
今はロシアのウクライナ侵攻で大変なことになり、チェルノブイリなんて行けません。当時の様子、思い出します、、、。
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たしか7月31日、ミンスクからウクライナキエフへ出発!
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2等寝台。
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8月1日、キエフに到着
※この画像に写っている建物は、ウクライナの首都キーウにある主要な鉄道駅、**キーウ・パサジルシキー駅(Kyiv-Pasazhyrskyi)**です。
キーウ・パサジルシキー駅は、キーウの中央駅として機能しており、国内および国際路線の主要な交通拠点です。
この駅は複数の駅舎からなる複合施設で、長距離列車用の線路を挟んで中央駅舎と南部駅舎(Pivdennyi)があり、これらは跨線橋で結ばれています。
歴史的な部分と現代的な部分が融合した建築が特徴です。
地下鉄のヴォクザルナ駅(Vokzalna station)に接続しており、市内の公共交通機関へのアクセスも容易です。 -
※この画像は、ウクライナの首都**キーウにある主要な鉄道駅、キーウ旅客駅(Kyiv-Pasazhyrskyi Railway Station)**の正面玄関付近を捉えたものです。
この駅は、都市間および国際列車の主要なハブとして機能しています。
「キエフ」はロシア語に基づく呼称で、ウクライナ語では「キーウ」と呼ばれます。
ロシアのモスクワにも「キエフ駅」(キエフスキー駅)という名前の駅がありますが、そちらはウクライナ方面への列車が発着するため名付けられたもので、混同されがちです。
画像に見られる新古典主義建築様式の建物は、1920年代に完成した駅舎の一部です。 -
平和な時のキエフ、、、。
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お天気もバッチシ!
ここから歩いて今夜の安宿へ、、、。ウクライナの物価はかなり安い。1泊400円程で泊まれた。(もちろんドミ!)
てくてくてくてく、途中、マック見つけ朝食!安い!安すぎる!予想以上の安さだった。 -
ホステルチェックイン後、キエフ散策!
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たしかここが、明日のツアー出発場所。たしかめておく。 -
日本語チェルノブイリ観光をネットで調べたら3万円以上、、でも英語ツアーなら1人80ユーロ程。即ネット予約した、、、。
※画像に写っているのは、ウクライナのキーウにあるコザック・ホテルです。
このホテルは、ウクライナの首都の中心部に位置しています。
画像の下部には「AROMA KAVA」という看板も見えます。
キーウは歴史と文化が豊かな都市ですが、現在の情勢により治安上の懸念があります。 -
平和です!
※画像は、ウクライナの首都キーウにある独立広場(マイダン・ネザレージノスティ)の噴水です。
この広場は、ウクライナの主要な広場であり、歴史的な出来事の中心地となってきました。
噴水は、広場の象徴的な特徴の1つです。
広場の背景には、金色の像が乗った記念碑が見えます。これは「独立記念碑」であり、ウクライナの独立を象徴しています。
キーウは、かつてはロシア語由来の「キエフ」という名称で呼ばれていましたが、現在はウクライナ語由来の「キーウ」という呼称が公式に使用されています。
ウクライナ全土は現在、外務省により危険情報レベル4「退避勧告」が発出されており、観光目的の渡航は強く控えるべき状況です。 -
そしてここへ。チェルノブイリ原発事故のミュージアム。予習しておきます!
※画像は、ウクライナのキーウにあるウクライナ国立チェルノブイリ博物館の建物です。
この博物館は、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故に関する深い証言としての役割を果たしています。
事故から6年後の1992年4月26日に開設されました。
1996年に国立博物館として登録されています。
約7000点の収蔵作品があり、年間7万人以上が訪れます。 -
※この画像は、ウクライナのキーウにあるウクライナ国立チェルノブイリ博物館です。
1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故から6年後の1992年4月26日に開設されました。
歴史上最も壊滅的な原子力災害の一つに対する証言としての役割を担っています。
入場料は50フリヴニャで、日本語対応のオーディオガイド(20フリヴニャ、デポジットが必要)も利用可能です(2018年時点の情報)。
キーウの中心街、Provulok Khoryva 1 に位置しています。 -
キリル文字、、チェルノブイリ、、、。
※画像はウクライナ国立チェルノブイリ博物館の看板です。この博物館は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故に関する展示を行っています。
場所: ウクライナの首都キーウ(キエフ)
アクセス: 地下鉄「Kontraktova Plosha」駅から徒歩圏内
開館時間: 10:00~18:00(入場は17時まで)、土曜日は10:00~17:00
休館日: 日曜日と月の最終月曜日
オーディオガイド: 日本語のオーディオガイドが利用可能 -
日本語発見!
※この画像は「桜の枝の美女」というタイトルの詩が書かれた展示物です。この詩は、ウクライナのキエフにいる「栗の木」からのメッセージとして、チェルノブイリを経て日本の「桜」に宛てたもので、困難な状況下での希望と連帯を表現しています。
発信元: キエフの栗の木
宛先: 日本の桜
メッセージのテーマ: 悲しみの中での連帯、希望、そして回復への祈り
結びの言葉: 「諦めないで!」 -
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※画像は「ふくしま宣言」と題された文書です。
この宣言文は、東日本大震災からの復興と未来への希望を込めたメッセージです。
文書には、人々が安心して暮らせる社会を築き、子どもの未来を守るという強い決意が表明されています。
「私たちの願い、信じる心はふるさとしきを越えています」という言葉が印象的です。
2012年3月11日付で、福島県知事である佐藤雄平氏の署名が含まれています。 -
※この画像は、ウクライナの首都キーウ(キエフ)にあるウクライナ国立チェルノブイリ博物館の内部の様子です。
この博物館は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故に関する資料を展示しています。
事故当時の状況や被害の規模、避難を余儀なくされた人々の生活などを伝える写真や資料が多く展示されています。
館内は、事故の悲劇と影響を伝えるための独特の展示空間が広がっています。
日本語のオーディオガイドも利用可能で、詳細な説明を聞くことができます。 -
広島の写真、、、
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1945年8月6日、、
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予習し終わって、引き続き町ブラ、、、
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※この画像は、ウクライナの首都キーウにあるアンドレイ坂の様子です。
アンドレイ坂は、キエフ中心部から少し北東に位置する坂道です。
通り沿いには、カフェ、レストラン、お土産物屋が立ち並んでいます。
ハンドメイドの民族衣装や布小物、骨董品などを売る露店も多く見られます。
石畳の道が特徴的で、多くの観光客が訪れる人気のスポットです。 -
※画像は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所周辺へのチェルノブイリツアーの看板です。1986年の壊滅的な原子力事故現場は、現在では観光地となっています。
ツアーでは、1986年4月26日の事故現場であるチェルノブイリ原子力発電所や、隣接するプリピャチ市など、立ち入り禁止区域内を訪れます。
この事故は、原子力発電開発史上最悪の事故であり、大量の放射性物質が大気中に放出されました。
チェルノブイリはウクライナ北部に位置し、首都キエフの北約130キロメートルにあります。
立ち入り禁止区域は現在も存在しますが、ツアーは管理区域内で実施されています。
この地域は、HBOのミニシリーズドラマ「チェルノブイリ」でも描かれ、世界的に知られています。 -
※画像は、ウクライナの首都キーウにある聖アンドリーイ教会です。
この教会は、キーウの中心部を見下ろす丘の上に建っており、青緑色のタマネギ型の屋根が特徴的なウクライナ・バロック様式の建築物です。
18世紀半ばにロシアの女帝エリザヴェータの訪問を記念して建立されました。
教会の高さは46メートル(土台を含めて60メートル)あり、外観はバロック様式、内部はロココ様式となっています。
アンドリーイ坂の頂点に位置しており、夜にはライトアップされ美しい姿を見せます。 -
※この画像に写っている建物は、ウクライナの首都キーウにある聖アンドリーイ教会(St Andrew's Church)です。
ウクライナ独立正教会に属する教会です。
18世紀に建造され、設計者はエルミタージュ美術館と同じ人物(バルトロメオ・ラストレッリ)です。
アンドレイ坂の頂上に位置し、水色の外壁が特徴的な美しい外観をしています。
伝説によると、使徒アンドリーイがこの地に十字架を立てたことが教会の名称の由来となっています。 -
※この画像は、ウクライナのキーウにある聖アンドリーイ教会からの眺めを捉えています。
この教会は、アンドレイ坂(アンドリーイフスキー・ウーズヴィーズ)の頂上に位置し、街とドニエプル川の美しいパノラマビューを提供しています。
バロック様式の傑作として知られ、著名な建築家バルトロメオ・ラストレッリによって設計されました。
キーウの象徴的なランドマークの一つであり、多くの観光客が訪れる歴史的な場所です。
画像には、教会のドームの一部と、遠くに見えるキーウの街並みや橋が写っています。 -
※画像はウクライナの首都**キーウ(キエフ)**の街並みです。
ドニプロ川沿いに広がる都市の全景が捉えられています。
「キエフ」はロシア語の発音に基づく表記でしたが、現在はウクライナ語の発音に近い「キーウ」が日本政府の公式な呼称となっています。
キーウは同国中北部、ドニプロ川中流に位置する工業都市です。
9世紀から13世紀にかけてはキーウ公国の首都として栄えました。 -
※この画像は、ウクライナのキーウにあるアンドレイ坂(アンドリフスキー・ウズヴィーズ)の景色です。
アンドレイ坂は、ドニプロ川西岸の丘の上にあるアンドレイ教会に続く通りです。
キーウ出身の作家ブルガーコフの博物館があります。
観光客向けの土産物屋が多く集まる観光地です。 -
※この画像は、ウクライナの首都キーウにあるウクライナ国立歴史博物館です。
1899年に設立された歴史ある博物館です。
古代から現代に至るまでのウクライナの歴史を記録した膨大なコレクションを所蔵しています。
この博物館は、国の豊かな文化遺産を伝える記念碑的な存在です。
英語ではNational Museum of the History of Ukraine、ウクライナ語ではНаціональний музей історії Україниと呼ばれます。 -
※画像に写っているのは、ウクライナの首都キーウ中心部にある聖ソフィア大聖堂の鐘楼です。
この大聖堂はキーウ最古の教会であり、11世紀初頭にビザンチン様式で建設されました。
キーウ・ルーシ全盛期にヤロスラフ賢公によって建設され、「ロシア聖堂の母」とも呼ばれています。
高さ76メートルの鐘楼からは、街を一望できます。
1990年に「キーウの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキーウ・ペチェールシク大修道院」としてユネスコの世界遺産に登録されています。 -
※内部には「不滅の壁のマリア」と呼ばれる聖母マリアのモザイク画などが残されています。
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※東ヨーロッパにおけるキリスト教の普及に大きく貢献した歴史的な聖地です。
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※この画像は、ウクライナの首都キーウにあるソフィア広場の眺めです。
広場の中央には、コサックのヘトマンであるボフダン・フメリニツキーの銅像が立っています。
広場の向こう側に見える金色のドームは、世界遺産である聖ソフィア大聖堂の一部です。
この広場は、キーウ市内の主要な歴史的観光地の一つです。 -
※この画像は、ウクライナの首都キーウ中心部にある聖ソフィア大聖堂の鐘楼です。
この大聖堂は、11世紀初頭にキエフ・ルーシ最大の聖堂として建立されました。
17世紀末から18世紀初頭にかけて改修が行われ、現在のウクライナ・バロック様式の鐘楼が建てられました。
内部には11世紀当時のモザイクやフレスコ画が残されており、特に「祈る聖母」のモザイク画が有名です。
1990年に「キーウの聖ソフィア大聖堂と関連修道院群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 -
※この大聖堂は、ウクライナ最初の中央政権国家キエフ・ルーシ最大の聖堂として1037年に建立されました。
10世紀から18世紀の間、キーウ府主教の主教座大聖堂でした。
バロック様式の鐘楼は、白と水色の装飾が特徴的です。 -
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※この像は、ウクライナ・コサックの指導者であり、ウクライナの歴史における傑出した軍事指導者・政治家であるボフダン・フメリニツキーに捧げられたものです。
1888年に建立され、キーウで最も古い彫刻記念碑の一つであり、街の象徴の一つとなっています。
ソフィア広場のほぼ中央に位置し、聖ソフィア大聖堂と聖ミハイル黄金ドーム修道院の両鐘楼を結ぶ軸線上にあります。
この場所は地元の人々や観光客が集まる人気の場所となっており、ウクライナの豊かな歴史に触れることができます。 -
※画像に写っている建物は、ウクライナの首都キーウにある聖ムィハイール黄金ドーム修道院です。
この修道院は「黄金ドームの都」と呼ばれるキーウのシンボルの一つです。
11世紀に創設され、12世紀初頭に黄金のドームを持つ大聖堂が建造されました。
ソ連時代の1930年代に共産党政府により取り壊されましたが、ウクライナ独立後に現在の姿に再建されました。
道を挟んだ対面には世界遺産にも登録されている「聖ソフィア大聖堂」があります。 -
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※この画像は、ウクライナの首都キーウにある聖ムィハイール黄金ドーム修道院です。
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※この修道院は、鮮やかな水色の壁と黄金のドームが特徴で、「黄金ドームの都」と呼ばれるキーウのシンボルの一つです。
元々は1108年にビザンツ様式の大聖堂として建立されました。
現在はウクライナ正教会 (2018年設立) の修道院であり、同教会の首座主教座大聖堂となっています。 -
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今夜の夕食、、、
※画像に写っているのはボルシチです。ボルシチは、ウクライナ発祥の伝統的な煮込みスープで、世界三大スープの一つに数えられています。
鮮やかな深紅色が特徴で、これはテーブルビート(ビーツ)という根菜の色素によるものです。
肉や様々な野菜(キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、タマネギなど)を煮込んで作られ、具だくさんで栄養価が高い料理です。
酸味のある味わいが特徴で、提供時には写真のようにスメタナ(発酵乳、日本ではサワークリームで代用されることが多い)を添えて、混ぜながら食べるのが一般的です。
地域や家庭によって様々なバリエーションがあり、その多様な料理文化はユネスコの無形文化遺産にも登録されています。 -
ビーフストロガノフ、、、
※画像はビーフストロガノフと呼ばれるロシア料理であると考えられます。
牛肉、玉ねぎ、マッシュルームをサワークリームを加えたソースで煮込んだ料理です。
ロシアの伝統的な見た目は白っぽいのが特徴です。
一般的に米やパスタと一緒に提供されます。
この画像では、白いご飯と付け合わせのパセリが添えられています。 -
ホントに平和だった!
※この画像はウクライナの独立広場(マイダン・ネザレジノスチ)で撮影された夜景です。この広場はウクライナの首都キーウの中心的な観光名所であり、歴史的に重要な場所です。 -
ウクライナ2日目、、、集合場所に行ってみたら、ちゃんとツアーバスがやってきた。
※画像は、チェルノブイリツアーを専門とする「Solo East」という会社のバンです。
このバンは、チェルノブイリ立入禁止区域へのガイド付きツアーに使用されます。
ロゴには、放射能標識を模した熱気球のデザインと、会社のウェブサイトアドレス「www.tourkiev.com」が記載されています。
Solo East社は、キエフ発着のチェルノブイリ日帰りツアーや複数日ツアーを提供しています。
ツアーでは、放棄されたプリピャチの街やチェルノブイリ原子力発電所などを訪れます。 -
ここでガスを入れ、、、
このツアー、日本人もきっといるにちがいないと、バスに乗り込むとやっぱり!若者2人発見!計3名が日本人。思ったより少ない。 -
いざチェルノブイリへ!
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で、ここがチェックポイント。
2022年、ニュースでここがロシアにより破壊されたことを知った。 -
ここで放射線量を計る、、、
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原発近くの村、、、事故から30年、廃墟となっていた。
※この荒廃した建物は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により放棄されたウクライナの都市、プリピャチにあると考えられます。
プリピャチは、原発労働者の居住地として建設された都市で、事故後すぐに住民が避難し、完全に無人となりました。
事故以来、メンテナンスが行われず、厳しい冬の気候の影響もあり、建物は荒廃が進んでいます。
現在、この地域はチェルノブイリ立ち入り禁止区域の一部となっており、有刺鉄線で囲まれた閉鎖区域となっています。
放棄された建物や都市の様子は、放射能災害の脅威を今に伝えるものとなっています。 -
※画像に写っている荒廃した建物は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により放棄されたプリピャチ市の建物である可能性があります。
プリピャチ市は、チェルノブイリ原発の職員とその家族のために建設された計画都市でした。
事故後、住民約5万人は避難を余儀なくされ、街はゴーストタウンとなりました。
現在、この地域は立ち入り禁止区域となっており、自然に還りつつある廃墟が広がっています。
画像のような倒木や荒廃した様子は、長年にわたって手付かずの状態が続いていることを示しています。 -
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※この画像は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後に放棄された、ウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域内の荒廃した建物の様子を捉えています。
この区域は、原発から半径約30km圏内に設定され、住民は強制避難させられました。
事故以来、この地域はほぼ無人の状態が続いており、自然が入り込み、建物は荒廃しています。
現在、この区域内への立ち入りは厳しく制限されていますが、許可を得たツアーや、無許可で侵入する「ストーカー」と呼ばれる人々が訪れることがあります。
放棄された都市や建物は、ソ連時代の失敗や、人間の活動停止後の自然の回復力を示す象徴的な光景となっています。 -
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※この画像は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、廃墟となったウクライナの都市プリピャチの内部の様子を捉えたものです。
プリピャチは、かつて約5万人が暮らす活気ある都市でした。
事故後、住民は避難を余儀なくされ、街はゴーストタウンとなりました。
現在、この立ち入り禁止区域は観光客に公開されており、ツアーで見学することが可能です。
画像には、崩壊した建物の中を探索する人々が映っています。 -
たしかここは村の学校?
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※この画像は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後に放棄されたウクライナのゴーストタウン、プリピャチにある廃墟となった建物の内部を捉えたものです。
プリピャチは、チェルノブイリ原発の従業員とその家族のために建設された計画都市で、事故発生時には約5万人が居住していました。
事故翌日の1986年4月27日に住民は避難し、それ以来、街は時間に取り残された廃墟となっています。
現在、プリピャチはチェルノブイリ立入禁止区域内にあり、ガイド付きのツアーで見学することが可能です。
画像に見られるように、建物は荒廃が進み、床板が剥がされている様子などが確認できます。 -
※この画像は、チェルノブイリ立入禁止区域内の放棄された建物内部、おそらくプリピャチの文化宮殿のホールを示しています。
この区域は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、30キロメートル圏内が避難区域として設定され、ほぼ無人となりました。
画像に見えるステージ上の赤い横断幕には、当時ウクライナ語で書かれたソビエト連邦時代のスローガンが確認できます。
現在、この区域は厳格な規制の下、公式ガイド付きでのみ訪問が可能です。 -
毒キノコ発見!
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オイヌさんも一緒に同行!
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飼い主さんはもういないのか。
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※画像は、ウクライナの都市チェルノブイリへの入り口にある記念碑的な看板を写しています。
看板の文字はキリル文字で「ЧЕРНОБЫЛЬ」と書かれており、これはロシア語とウクライナ語で「黒い雑草」、またはニガヨモギ科の植物を意味します。
この都市は1986年の壊滅的な原子力事故で最もよく知られており、現在も立ち入り禁止区域となっています。
看板には、原子力発電所と思われる建物の模式図や、放射能警告マーク(黄色の背景にマゼンタの三つ葉)が描かれています。
看板の上の彫刻は、「世界を救った人々」を記念するモニュメントであり、事故後の消火活動にあたった消防士たちを称えています。 -
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※この画像は、ウクライナのチェルノブイリにあるウラジーミル・レーニン像を示しています。
この像は、ウクライナ国内に残る数少ないレーニン像の一つとして歴史的な関心を集めています。
チェルノブイリは現在、歴史的な記念碑が多く存在する追悼の場となっています。
像は緑豊かな屋外の公園のような場所に立っており、数人の訪問者がいることが確認できます。 -
レーニン?
※この画像は、ウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域内に設置されていたウラジーミル・レーニンの像です。この像は、かつてチェルノブイリ原子力発電所の正式名称が「レーニン記念チェルノブイリ原子力発電所」であったことを示すものでした。
所在地: ウクライナ、キーウ州、チェルノブイリ立入禁止区域。
歴史的背景:
ウクライナでは脱共産主義化(非共産化法)の一環として、ソ連時代の記念碑や像の撤去が進められてきました。
このチェルノブイリの像は、ウクライナに残る最後のレーニン像の一つとして知られていました。
しかし、報道によると、2022年11月頃までにこの像も撤去されたことが確認されています。
現状: 現在、像は現地には存在しない可能性が高いです。 -
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※この画像は、ウクライナのチェルノブイリにある「ワームウッド・スター」記念碑群の博物館を写したものです。
この建物は、チェルノブイリ原子力発電所事故によって避難を余儀なくされた村々を追悼するために建てられた記念碑群の一部です。
「ワームウッド・スター」という名前は、聖書の黙示録に登場する苦い星に由来しており、チェルノブイリのウクライナ語名と関連付けられています。
建物の上部と下部のパネルには、植物のモノクロ写真が展示されています。
この場所は、チェルノブイリ立ち入り禁止区域を訪れる観光客にとって重要な場所となっています。 -
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※画像は、チェルノブイリの「第三の天使の像」として知られるモニュメントです。
このモニュメントは、2011年4月26日のチェルノブイリ原発事故25周年に際して、記念公園の一部として設置されました。
モニュメントの名前は、聖書の黙示録の一節(「第三の天使がラッパを吹き鳴らすと、天から燃える大きな星が落ちてきて、川や泉の三分の一が苦よもぎのように苦くなった」)に由来しており、原発事故後の地元で広まった民間信仰に基づいています。
ウクライナとロシア両国の大統領(当時)が出席して盛大な除幕式が行われました。
像のすぐ先には、避難した村の名前が記された記念の道があり、犠牲となったすべての人々を追悼しています。 -
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※この画像は、チェルノブイリ立入禁止区域内にある、強制移住させられた村々を記憶するための追悼施設(通称「ニガヨモギの星」)の様子を捉えたものです。
この場所には、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により放棄されたり、住民が強制移住させられたりした村の名前が記された看板が並んでいます。
これらの看板は、かつてその地に存在したコミュニティの記憶を留めるための象徴的なモニュメントです。 -
ツアーでのお昼。
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※この画像は、ウクライナのチェルノブイリにある「世界を救った人々への記念碑」(Monument to Those Who Saved the World)です。
この記念碑は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故で消火活動にあたり、亡くなった消防士たちに捧げられたものです。
記念碑には、原子炉を象徴する構造物や、地球儀のようなデザインの球体が組み込まれています。
下部には、ウクライナ語で「世界を救った人々へ」という意味の言葉が刻まれています。
事故の「リクビダートル」(処理作業従事者)たちを追悼する象徴的な場所となっています。 -
※これは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故の清算人(リクビダートル、事故処理作業員)に捧げられた記念碑です。
記念碑の詳細
正式名称: 「世界を救った人々への記念碑 (Monument to Those Who Saved the World)」または「チェルノブイリの消防士記念碑 (Chernobyl Firemen Monument)」として知られています。
場所: ウクライナのチェルノブイリ市にあり、地元の消防署の前に設置されています。
描写: 2人の兵士(または消防士)が互いに寄り添う姿を描いており、事故処理にあたった人々の団結と犠牲を象徴しています。
意義: 消防士や兵士、その他の作業員など、高レベルの放射線にさらされながらも事故の壊滅的な影響を食い止めるために自らを犠牲にした70万人以上の清算人を追悼するものです。 -
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放射線量がまだ高い所。ガイガーカウンターで計測してます。
※ガイガーカウンターの有料貸し出しサービス有り。若者日本人が借りてたので、それを見せてもらいました。
※この画像は、放射能ハザードシンボル(三つ葉マーク)が設置されたウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域にある「赤い森」付近で撮影された可能性が高いです。
この地域は1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故によって深刻な放射能汚染に見舞われ、特に高い放射線量を浴びたマツの木が赤茶色に変色して枯れたことから「赤い森」と呼ばれています。 -
※この画像は、放射能ハザードシンボル(三つ葉マーク)が設置されたウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域にある「赤い森」付近で撮影された可能性が高いです。
この地域は1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故によって深刻な放射能汚染に見舞われ、特に高い放射線量を浴びたマツの木が赤茶色に変色して枯れたことから「赤い森」と呼ばれています。 -
アジア人は3人だけなので、一緒に行動してます。
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幼稚園?
※この画像は、ウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域にあるプリピャチ市の放棄された幼稚園または保育園の内部を捉えたものです。
棚には、子供たちが残した人形やブロック、その他の散乱したおもちゃが残されています。
この場所は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故の後、住民が避難した際に放棄されました。
壁の緑色のペンキは剥がれ、建物が長年にわたって放置され、自然に侵食されている様子を示しています。
この画像は、突然の避難と時間の経過を物語る、事故の象徴的な光景の一つです。 -
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※画像は、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故後、立ち入り禁止区域となったウクライナのプリピャチ市にある放棄された建物内の様子を捉えています。
プリピャチは、事故当時約11万6千人の住民が強制避難させられた計画都市です。
この区域は現在も立ち入りが制限されていますが、ガイド付きツアーが提供されることもあります。
画像に見られる荒廃は、避難後に残された家具や持ち物が時間の経過とともに劣化した結果です。
事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻な「レベル7」に分類されています。 -
※画像は、ウクライナのゴーストタウンであるプリピャチ市内の幼稚園の壁掛け看板です。
看板にはキリル文字で「УГОЛОК」と書かれており、これはロシア語で「コーナー」や「場所」を意味します。
この看板は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、住民が避難して以来、放棄された建物内に残されています。
看板の周りには、かつて展示されていたであろう紙の跡がいくつか確認できます。
プリピャチは、チェルノブイリ原発の従業員とその家族のために建設されたソビエト連邦の計画都市でした。 -
※この画像は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故の後に放棄された、ウクライナのゴーストタウン、プリピャチの荒廃したアパートの内部を写したものであると考えられます。
プリピャチは、チェルノブイリ原発の従業員とその家族のために建設された都市で、事故当時約5万人が居住していました。
1986年4月26日の事故後、住民は避難を余儀なくされ、街は時間が止まったかのようなゴーストタウンとなりました。
画像に写っているような荒廃した建物、散乱した家具や個人の所有物は、避難が急であったことと、その後長期間放置されたことによるものです。
この地域は現在、チェルノブイリ立ち入り禁止区域内にあり、ガイド付きツアーでのみ訪問が許可されています。 -
※この画像は、ウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故後に放棄された都市、プリピャチにある幼稚園の内部を捉えたものです。
プリピャチは、1986年4月26日の事故発生後、住民が避難したゴーストタウンです。
画像には、壁の塗装の剥がれ、散乱した紙類、窓辺の植物など、長年放置されたことによる荒廃した様子が写っています。
窓の下にあるラジエーターは、ソ連時代の集合住宅や公共施設で一般的に見られたタイプです。
この場所は、事故の歴史を物語る象徴的な場所の一つとして知られています。 -
※この画像は、ウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域にあるコパチ村の放棄された幼稚園内部の様子を捉えたものです。
この幼稚園は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により避難区域となり、以来放置されています。
内部は荒廃しており、壁の塗装は剥がれ落ち、床には瓦礫が散乱しています。
木製の棚が壁際に残されていますが、中身はほとんどなく、時間の経過と略奪の跡が見られます。 -
ガイガーカウンターで放射線量確認!
※画像に写っているのは、ガイガーカウンター(またはガイガー=ミュラー計数管)と呼ばれる放射線測定器です。
これは、1928年にハンス・ガイガーとヴァルター・ミュラーによって開発された放射線測定器です。
アルゴンなどの不活性ガスを封入した金属円筒の内部に細い金属線を張った単純な構造をしています。
放射線が入射すると放電が起こり、そのパルスの回数を数えることで放射線の強さを測定します。
構造が簡単なため、現在でも広く使用されています。 -
※この画像は、チェルノブイリ原子力発電所事故によって放棄されたウクライナのコパチ村にある幼稚園の建物の正面玄関を捉えたものです。
コパチ村は、1986年のチェルノブイリ事故後、高度に汚染されたため住民が避難し、埋没処分された数少ない村の一つです。
この建物は、村の中で唯一埋没を免れた建物の一つです。
村は現在、チェルノブイリ立ち入り禁止区域内にあり、ゴーストタウンとなっています。
建物には、かつて幼稚園として使用されていたことを示す子供の絵や遊具などの痕跡が残されています。 -
※この画像は、ウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故で避難区域となったコパチ村にある記念碑を写したものです。
この記念碑は、事故の際の初期対応にあたった消防士を称えるものです。
コパチ村は、チョルノービリ原発からわずか約4kmの距離に位置していました。
村は深刻な放射能汚染に見舞われ、住民は避難し、その後解体され、埋め立てられました。
現在、この記念碑は、かつて村が存在したことを示す数少ない物理的な痕跡の一つとなっています。 -
危険な箇所はまだけっこうある。
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あれに見えるのがチェルノブイリ原発!
※この画像は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所近くにあるプリピャチという放棄された都市の景色を捉えたものです。
プリピャチは1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故の後、住民約5万人が避難し、ゴーストタウンとなりました。
画像に写っている金属製の大きな建物は、2016年に完成した、事故を起こした4号原子炉を覆う新安全閉じ込め構造物(石棺)と考えられます。
この都市は、原子力発電所の従業員とその家族のために1970年に建設され、当時はソビエト連邦の近代的な都市と見なされていました。
現在、プリピャチはチェルノブイリ立ち入り禁止区域内にあり、放棄された建物や自然に覆われた風景が残る、いわば「凍結された時間」のような場所となっています。 -
※この画像は、チェルノブイリ原子力発電所を示しています。
この画像に写っている大きな格納構造物は、2016年に完成した原子炉4号機を覆う「シェルター」(新安全格納施設)です。
1986年の事故後、同発電所は世界最悪の原子力災害の現場となりました。
現在、発電所は廃止措置の段階にあり、最後の原子炉は2000年12月15日に停止されました。
敷地および周辺地域には、依然としてストロンチウム90やセシウム137などの危険な放射性物質が存在しています。
チェルノブイリは、今後数千年間にわたって放射能が残留する可能性があります。 -
このぐらいの接近でツアーは終わるのかな?と思ってたら、、、
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※画像は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所にある「新安全閉じ込め構造物 (New Safe Confinement: NSC)」です。
この巨大なアーチ型の構造物は、1986年の原子力発電所事故で損傷した4号原子炉を封じ込めるために建設されました。
事故直後に建設されたコンクリート製の「石棺」が老朽化し崩壊の危険があったため、それを覆う形で設置されました。
高さ108m、スパン257m、長さ162m、総重量3万6000トンの規模で、30階建てのビルに匹敵します。
放射性物質の飛散を防ぎつつ、内部の石棺や残存物の解体作業を安全に進められるよう設計されています。 -
またまたオイヌさん見っけ!
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※画像に写っているのは、ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所(現在はチョルノービリ原子力発電所と呼ばれることが多い)の原子炉建屋です。
1986年4月26日に、この発電所の4号炉で史上最悪の原子力発電所事故が発生しました。
事故後、破壊された4号炉を覆うために「石棺」と呼ばれるコンクリートの建造物が建設され、現在も管理されています。
この発電所はソ連時代に建設され、日本の原子力発電所とは異なるRBMK型と呼ばれる構造の原子炉を使用していました。
事故後も電力不足のため他の号炉は運転を続けましたが、2000年12月に全炉が停止し、現在は廃炉作業が進行中です。 -
※この画像は、1986年に大規模な原子力発電所事故が発生したウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の原子炉建屋(4号炉)を示しています。
1986年4月26日未明、保守点検中の4号炉で急激な出力上昇を伴う暴走事故が発生し、爆発に至りました。
事故により大量の放射性物質が大気中に放出され、ウクライナだけでなくロシアやベラルーシ、ヨーロッパ広範囲が汚染されました。
崩壊した原子炉と建屋を丸ごとコンクリートで覆い込む「石棺」が建設され、現在は廃炉作業と管理が行われています。
発電所周辺の半径30km圏内は立ち入り禁止区域となり、多くの住民が避難を余儀なくされました。 -
※画像に写っているのはアカギツネ(英名: Red Fox、学名: Vulpes vulpes)です。
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※画像はチェルノブイリ原子力発電所の現在の様子を捉えています。
1986年4月26日に史上最悪の原子力発電所事故が発生した場所です。
崩壊した4号炉はコンクリート製の「石棺」で覆われ、現在はさらに「新安全閉じ込め構造物」と呼ばれる巨大なドーム状のシェルターで覆われています(画像左側)。
発電所はウクライナのキーウから北におよそ110km離れたプリピャチに立地しています。
事故から30年以上が経過した現在でも、半径30キロメートル圏内は立ち入り制限区域となっています。 -
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こんなに大接近!
※この巨大なシェルターは、1986年の原子力発電所事故で損傷した4号炉とその上に建設された古い「石棺」構造物を覆い、放射性物質の環境への漏洩を防ぐために設計されました。
建設: 放射線被ばくを避けるため、原子炉から離れた場所で建設され、2016年11月に油圧ジャッキでレール上を移動して設置されました。陸上移動式構造物としては世界最大級です。
記念碑: 画像左側にある彫刻は、「石棺建設従事者への記念碑」で、事故対応にあたった作業員や緊急隊員の英雄的な行動を称えるために2006年に建立されました。 -
※この画像は、ウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故の現場にある**「人類への第三の手」と呼ばれるモニュメント**です。
このモニュメントは、1986年4月26日に発生した史上最悪の原子力発電所事故の犠牲者や、事故処理作業に従事した「リクビダートル」と呼ばれる人々を追悼するために建てられました。
デザインは、大きな手が小さな原子炉建屋を包み込み、その上に地球儀と「平和な原子力」を象徴する原子のマークが配置されています。
モニュメントは、事故現場となった4号炉の「石棺」(老朽化が進んだコンクリート製の覆い)の近くに位置しています。
事故により、大量の放射性物質が放出され、周辺住民の避難や、広範な地域の汚染といった甚大な被害をもたらしました。 -
※この画像は、ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所を示しています。この発電所は、1986年に世界最悪の原子力事故が発生した場所として知られています。
最後の稼働中の原子炉は2000年12月15日に停止され、現在は廃炉作業が進行中です。
現在も敷地内およびその周辺には、ストロンチウム90やセシウム137といった危険な放射性物質が存在しています。
2025年2月14日、ロシアのドローン攻撃により、原子炉4号機を覆う新安全格納施設が大きく損傷したと報じられましたが、国際原子力機関(IAEA)によると、敷地内の放射線レベルは正常に保たれていました。
チェルノブイリは、潜在的に数千年にわたって放射能が残るとされています。 -
放射能が漏れないように、厳重に覆っているようです。
※ここがロシア軍に、、、 -
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みなさん、興味津々です!
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福島の原発もいずれこんな形になるんでしょうか?
※NSCは高さ109メートル、長さ162メートル、幅257メートルの巨大なシェルターで、総工費は約15億ユーロ(当時のレートで約1,793億円)でした。
このシェルターは、事故現場から離れた場所で建設され、完成後にレールを使って4号炉の上に横滑りさせて設置されました。
NSCの設置作業は2017年に完了し、事故炉の安全な管理と将来的な解体作業を可能にすることを目的としています。 -
※この画像は、チェルノブイリ原子力発電所近くにあるプリピャチ市の有名な市境標識です。
標識にはロシア語で「ПРИПЯТЬ」(プリピャチ)と、その下に建設年「1970」が記されています。
この標識は、レッドフォレストや「死の橋」近くの人気観光名所となっています。
プリピャチは、1986年のチェルノブイリ原発事故により放棄されたゴーストタウンです。
現在、プリピャチは立ち入り禁止区域内にあり、公式ガイド付きでのみ訪問が可能です。
科学者たちは、この周辺地域が再び居住可能になるまでには最大2万年かかると推定しています。 -
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この時は5年後、大変なことになるなんて誰も思ってませんでした。
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※画像は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により放棄されたウクライナのプリピャチのゴーストタウンで撮影されたものです。
プリピャチは、かつてチェルノブイリ原発の従業員とその家族のために建設された都市でした。
事故後、半径30km圏内が立ち入り禁止区域(チェルノブイリ立入禁止区域)に指定され、住民は強制避難させられました。
現在、この区域は管理された観光ツアーで訪れることが可能になっており、画像に写っている人々もツアー参加者と考えられます。
画像内の女性が手に持っているのは、おそらく事故前のプリピャチの様子を写した写真で、現在の荒廃した風景と対比させていると思われます。 -
※プリピャチは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により住民が強制避難させられた街です。
原発から半径30km圏内の立ち入り禁止区域内に位置し、事故当時は約5万人が暮らしていました。
現在は、人間の活動が停止したことで野生動物の楽園となっており、自然が回復しつつある「生体実験場」とも呼ばれています。 -
※この画像は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所近くにある放棄された都市、プリピャチ(Prypiat)のレストランです。
プリピャチはゴーストタウンであり、1986年のチェルノブイリ原発事故後、住民が避難して以来、ほぼ完全に放棄されています。
この建物はプリピャチの中心広場にあるレストランで、看板にはキリル文字で「Рeсторан Припять」(レストラン・プリピャチ)と書かれています。 -
※この画像は、ウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所事故によって放棄された都市、プリピャチにある廃墟となったスーパーマーケットの内部です。
この建物は、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後、住民が避難した際に放棄されました。
内部は長年にわたり荒廃しており、崩れかけた天井や散乱した備品が見られます。
プリピャチは現在、観光地として知られていますが、放射線レベルが高い地域も残っています。
この事故は、原子力発電開発史上最悪の事故の一つとされています。 -
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※画像に写っている建物は、かつてこの街のランドマークであったポリーシャ・ホテルです。
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※この建物は、プリピャチのレーニン広場にある**「エネルゲティク」文化宮殿**(Palace of Culture "Energetik")であると考えられます。
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※この画像は、ウクライナのプリピャチにある放棄された建物内で見つかったソビエト連邦時代のプロパガンダポスターや看板を示しています。
ポスターは社会主義リアリズムのスタイルで描かれており、ソビエト連邦における理想化された生活を表現することを目的としていました。
これらは、愛国心、識字率向上、勤勉さ、資本主義への批判といったメッセージを伝えるために使用されました。
ソビエト連邦では、新しいユートピア社会の創造という共通のテーマがプロパガンダで描かれ、多くの人々に熱意を呼び起こしました。
これらのポスターは、チェルノブイリ原子力発電所事故後、プリピャチが放棄された結果、この場所に残されました。 -
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※画像に写っているのは、ウクライナのチェルノブイリ立入禁止区域にあるプリピャチ遊園地の観覧車です。
この遊園地は、チェルノブイリ原子力発電所事故の象徴的な場所となっています。
もともとはメーデーを祝して1986年5月1日に開業予定でしたが、事故によりその5日前に住民が避難したため、一度も使用されることはありませんでした。
観覧車などの遊具は、事故以来そのまま放置され、現在では錆びて自然に覆われています。
プリピャチは、チェルノブイリ原発からわずか3キロの場所に位置する計画都市でした。 -
現地のガイドさん。
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※この画像は、チェルノブイリ原子力発電所事故により放棄されたウクライナのゴーストタウン、プリピャチにある壁画です。
この壁画は、プリピャチ遊園地近くの建物の壁に描かれたアカシカの絵です。
プリピャチ遊園地は、1986年5月1日のメーデーの祝賀行事に合わせて開業予定でしたが、4月26日のチェルノブイリ事故により実現しませんでした。
この都市は現在、立ち入りが制限されているチェルノブイリ立入禁止区域内にあります。
遊園地やこの壁画は、プリピャチの放棄された風景を象徴する場所となっています。 -
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※画像は、ウクライナのプリピャチにあるプリピャチ遊園地の空中ブランコ(回転ブランコ)の廃墟です。
この遊園地は、1986年5月1日のメーデーの開業を予定していましたが、同年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故により放棄されました。
特に観覧車はチェルノブイリ原発事故の象徴的な存在となっていますが、この画像は隣接する空中ブランコを示しています。
現在、この場所はチェルノブイリ立入禁止区域内にあり、錆びついたアトラクションが事故当時の様子を伝えています。 -
観覧車
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※画像は、チェルノブイリ立入禁止区域にあるプリピャチ遊園地の象徴的な観覧車です。
この遊園地は、1986年5月1日のメーデーの開業を予定していましたが、同年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故により、一般公開されることはありませんでした。
観覧車はプリピャチの最も有名なランドマークの一つであり、現在では老朽化が進んでいます。
プリピャチは、ウクライナ北部にあるゴーストタウンです。 -
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ここは学校だったか?
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たしかプール!
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教科書?
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ガスマスク?
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以上、この工場跡を見てチェルノブイリ原発ツアーは終了。チェックポイントに戻り、再度放射線量を測定し、キエフに戻ってきました。
で、せっかくなのでツアーで一緒になった若者たちと夕食へ、、、。評判のラーメン屋があるとのことで3人で行ってみました。 -
これがウクライナで食べたラーメン!予想以上にうまかった!日本で出しても誰も文句は言わないでしょう。もちろん、お勘定は1番年上の自分。「若い頃、出会った日本人のおじさんによくおごってもらったから、、、歳いったら、若い奴に今度はおごってやってね!」と、ちょっとかっこつけちゃいました。2次会ももちろん、チーズの盛り合わせをつまみに3人でウクライナについて語りあった?と記憶してます。
※食にうるさいフランスで食べたラーメンと比べたら何十倍もおいしかった!フランスよりウクライナの方が美味しいってどういうこと? -
ウクライナ3日目。今夜のオデッサ行き夜行列車出発までキエフ観光。てくてくてくてく、、、
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たしかここは地下室に聖人のミイラが埋葬されてるという教会。
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お昼、、、この教会の地元の店で、、、スッゲー安かった、、、
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ウクライナの地下鉄、、、スッゲー深い!
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地上へ、、、
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?駅かな?
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この日の夕食!
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列車を待って、
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いざ、オデッサへ!
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ウクライナ4日目。朝のオデッサ!
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ここが有名な階段!
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しっかしでっかい階段だ!
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しつこいくらい、写真撮ったようです。
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黒海!港には遊覧船がズラリ!
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なんだか自分も行ってみたくなり、、、
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チケット購入して乗船!
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こちらの海岸線には日光浴を楽しむ多数のロシア人が、、、。
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ポチョムキンの階段が見えます!
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お昼はこれ食べたようです、、、
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足りなかったので2つ食べた?
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さて、この列車がモルドバ行きの国際列車。ホームの端っこにありました。
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で、この列車でモルドバへ!
※列車でウクライナからモルドバ、、、沿ドニエステル共和国ティラスポリを通過するため、列車で行くと入国スタンプが押されないとの情報あり。バスで沿ドニ通らずに行こうとの情報あり。
???でも列車好きなんで、なんとかなるんじゃないかと、、、
実際、行ってみたら、本当にモルドバ入国のスタンプ押されなかった。 -
密入国状態でキシナウ到着。
2018年はほんとに平和な国だったウクライナ。いつロシアとの戦いは終わるんだろう?
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