2025/05/30 - 2025/05/30
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rupannさん
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大阪 堺市の浜寺公園のばら園を散策
てくてく歩いて、史跡 旧堺燈台周辺を歩きました。
堺のシンボル旧堺燈台。日本最古の木造洋式灯台
室町時代から安土桃山時代にかけて、天然の良港であった堺港は海外貿易港としても発展しました。後に大和川の付け替えにより衰退しましたが、江戸の商人と堺の人々により修築されたのが現在の堺旧港の原型です。
その大波止に、明治10年(1877年)堺の人々の寄付などにより高さ約12mの六角錘形の木造洋式灯台が築造されました。
灯台はおよそ1世紀にわたって堺港に出入りする船の航海の安全を守ってきましたが、周辺の埋め立てが進んだ昭和43年(1968年)にその役割を終えました。
今なお堺のシンボルのひとつとして保存され、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台の一つとして国の指定史跡になっています。
近年老朽化が著しかったのを平成13~18年度に保存修理工事が行われ往時の姿が甦りました。周辺は龍女神像とともに新たな親水ゾーンとして親しまれています。
中世に、天然の良港で海外貿易港として発展した堺港は、江戸時代の大和川の付け替えにより港の機能が衰退しました。その後、江戸の商人吉川俵右衛門などの働きで、築港・修理された港が現在の堺旧港の原型です。
近世は、大浜公園を中心に水族館・公会堂・潮湯・料亭・海水浴・大魚夜市などアーバンリゾート地として賑わいましたが、台風、戦災、昭和32年からの臨海工業地帯造成により、昔の面影は失われました。
しかし、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台である国指定史跡の旧堺燈台や、お台場など史跡の碑は数多く残っています。
近年、堺旧港周辺地区は平成12年に復元建設された龍女神像など、堺旧港親水プロムナードが整備され、ロマンが薫る堺の水辺として、憩いと交流の場となっています。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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浜寺公園へやってきました。
時折、噴水が上がります。 -
入園無料です。
ボランティアの方が大きな籠で雑草を取り除いてはりました。
ご苦労様です。 -
曇天が残念です。
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開きつつあるいい感じ
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花びらがあちこちに
桜なら、花ござやねぇ -
イチオシ
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イチオシ
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イチオシ
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イチオシ
水玉
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イチオシ
好きだなぁ この色味
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ばら園が入園無料だなんて、太っ腹だねぇ
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イチオシ
あら ハート型の花びら 初めて見たわ
オルレア ホワイト レース -
イチオシ
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ちょっと日が射した
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ばら園を出て
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BBQなど出来るようです。
こちらの屋根付きベンチで、相方の好きなカレーでお昼です。 -
ばら園を出て、てくてく堺港へ
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高さ約12mの六角錘形の木造洋式灯台
堺のシンボル旧堺燈台。
◆内部非公開◆
日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっています。旧堺燈台 名所・史跡
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おや ミャクミャクが
船で万博へ行く人もいるんだねぇ -
向こうに見える像は、龍女神像
明治36年(1903年)第5回内国勧業博覧会の際に、堺会場の東洋一を誇った大浜水族館前に設置されました。
博覧会終了後、水族館とともに堺市が譲り受け、像は平和と繁栄のシンボルとして、「乙姫さん」の愛称で親しまれましたが、臨海工業地帯の建設や第2室戸台風の影響などで、廃館となった水族館の解体とともに撤去されました。
平成12年(2000年)7月、堺旧港周辺が世界民族芸能祭「ワッショイ!2000年」の会場となった時に、市制110周年記念事業として、北波止突堤の付け根に復元建設されたものです。高さ16mの石張りの台座上に10mのブロンズ製の乙姫像が立ち上がっています。龍女神像 名所・史跡
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水路を利用して万博へ行く人もいるのねぇ
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記念撮影スポットあり
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誰?
江戸時代の作家・武内確斎の作といわれる『絵本太閤記』によると、戦国時代の終わりに東南アジアの島から「壺」を日本に持ち帰った人物がおり、彼こそが堺の商人・納屋助左衛門(通称呂宋助左衛門)であるとされている。
助左衛門は永禄8年(1565)に堺の納屋衆と呼ばれた商人・納屋才助の子として生まれた。
長じて彼は、堺を本拠地として東南アジアのルソン島すなわちフィリピンまで海を渡り貿易商を営んだ。
文禄3年(1594)には、同じ堺出身の茶人・千利休の橋渡しにより、時の天下人・豊臣秀吉にルソン島で仕入れた「壺」を献上したそうです。
茶人としての秀吉はこの壺を見て心を動かされ、並みいる武将達にもこの壺を強く推奨した。その結果、武将達はこぞって「壺」を注文したという。 -
「ルソンの壺」に目をつけた助左衛門、秀吉の庇護を受けて富と名誉を手にした彼は、華美な生活を好み、あまりに贅沢をしたため、慶長3年(1598)には、石田三成からありもしないことを悪しざまに告げ口され、秀吉の怒りを買って邸宅没収などの処分を受た。
一説には秀吉に献上した「ルソン壺」は、実は宝物などではなく、あろうことか便器だともいわれているとか。
であればこのことが秀吉の心底の怒りをかった本当の理由かもしれない。
助左衛門は事前に情報を察知し、直ちに行動し、壮麗な邸宅や財産の多くを菩提寺である堺の大安寺に寄進し、自分はルソン島へと脱出。
彼は慶長12年(1607)にルソン島からカンボジアに渡り、ここでもカンボジア国王の信任を得て、日本から訪れる商人の元締めとなり、助左衛門は、かの地で再び商人としての成功を得た。
彼は日本には戻ることなく同地で没したといわれるが、没年は不詳。
昭和53年(1978)のNHK大河ドラマ『黄金の日々』
城山三郎作による助左衛門の一代記、放送当時は絶大な人気を博したとか
相方は覚えていましたねぇ -
秀吉の時代に、外国で稼いだ商魂逞しい日本人がいた。
昭和53年(1978)のNHK大河ドラマ『黄金の日々』
主演・6代目・市川染五郎(9代目・松本幸四郎) -
休憩に立ち寄ったお店
青いナポリ ウミソバ -
お店のイベントもあるようです。
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私のオーダー 可愛いやん
相方は、珈琲 -
夜は、海を眺めつつの乾杯&食事で、賑わうのかも
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お店のお兄さんが、「イルカが見れますよ」ってお隣の建物へ案内してくれました。
ガラス窓から見えましたねぇ -
よく歩いたなぁ 帰途に。
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