2022/09/14 - 2022/09/18
1108位(同エリア1302件中)
三峯霧美さん
旅の二日目はメインの西国札所32番の観音正寺、31寺廻って、このお寺が一番アプローチに苦労しました。
そのあとはお気楽に、鈴鹿山系のすそ野に点在するお寺を廻っていきます。
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8:00 旅の最初の宿 グリーンホテルYes近江八幡をチェックアウト。
予定より30分遅れの出発です。
予約時の確認ミスで喫煙室に泊まるという大失態。着ていたものや持ち物がすべてヤニ臭にまみれてる。
大浴場は気持ちよく、旅の疲れが癒されたけどね・・・。グリーンホテルYES近江八幡 宿・ホテル
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ホテルの駐車場はすぐ近くの平置きなので、使い勝手が良いです。
途中のファミマでコーヒーとおむすびを買って、駐車場で空腹を満たします。
旅に出る前にランチの店を調べましたが、さて、寄ることができるでしょうか。 -
8:43 観音正寺の表参道側の駐車場に到着です。ここは西国の札所の中で、最も車のアクセスに気を使った場所でした。
お寺のアプローチは二つの林道で、HPでは裏参道側の道を案内しています。
駐車場から寺までは、ほぼ水平移動ですが、問題は林道の道幅が狭く離合不可能な部分が大半で、こちとら乗ってる車は3ナンバー、対向車が来たらすれ違い場所まで狭くてウネウネの道をバックする必要があるのです。うげげ~、考えただけで吐きそう。
表参道側は同様に狭い道ですが、離合不可能な場所が少ないので、表参道側をチョイスしました。あっちは絶対無理!! -
駐車場は10台分、麓の料金所で先行車は1台だけと聞いて、安心して走行。駐車場がいっぱいだと料金所のゲート前で戻ってくる車を待つみたいです。
終点の駐車場は狭く、車を転回するのが厳しい広さなのです。
林道の道幅がちょっと広いけど、お寺までは石段が440段あります。
地獄の狭路通過より、石段のほうが、全然マシです。
さあ!行こうか! -
5分登って後ろを振り返ると、すごい高低差。
先客のおじさまが首タオルして「は!ほ!は!」と言いながら降りていらした。
挨拶を交わしてすれ違います。
山の近くに新幹線の線路があって、ひっきりなしに通過音が響いてきます。 -
見上げると、まだまだ石段は続く、前日の長命寺の石段が楽に感じます。
途中、石垣があるのは、観音寺城の曲輪の跡でしょうか。
手すりに格言めいた文章が書いてある札がぶら下がってます。よく見ると番号が降られてて、登っていくと若くなるようで、うげげ、まだ26番!
よいお言葉も、息が上がって理解できず、脳内を通過するだけ。 -
9:03 20分かけて登り切りました。山麓からだと1200段あるそうです。
800段すっ飛ばしても、大変だった。。。息を整えなくちゃ。 -
登りきったところは、眺望が良く、新幹線が独特の音を立てて走っていきます。
この旅の後、新幹線でこの辺りに差し掛かると、この山を探すのが習慣になってしまいました。 -
鐘楼は修造中。
お寺は聖徳太子が琵琶湖の湖水から出てきた人魚と出会い、人魚が自分の前世は漁師で殺生を生業としていたので、こんな姿になってしまった。
繖山に寺を建てて、成仏させてほしいと懇願したので、太子は千手観音を刻み、堂塔を建立したのが由緒です。 -
門はなく、仁王像が立っています。
人魚は成仏して太子の夢枕にたち、自分の死骸が琵琶湖の浜辺に浮いてると伝え、死骸は回収されてこの寺に納められました。 -
石臼を再利用した手水がありました。水は池に流れ込んでいます。
寺には人魚のミイラが存在していましたが、1993年に本堂の火災で焼失してしまいました。
昭和はこんな話が結構あって、のっけから怪しい話だってのは、みんな分かっていても追及せずに放置してたわけで、おおらかな時代でした。DNA鑑定などがない時代の話です。 -
いや~、探し出しちゃいましたよ、Webから、画像。(笑)
1987年に撮影されたものです。
もう実物はないので、人魚のミイラなのか、偽物(何が本物だって話ですが)か、分かりません。 -
池には弁財天。
実際の寺の創建は年代も含めて不明、平安時代には存在していたようです。
鎌倉時代から戦国時代まで、佐々木六角氏の観音寺城がお隣にあり、寺は庇護を受けて、かなり栄えたようです。 -
大きな樽をお堂に仕立てた、北向地蔵尊(一願地蔵)一つ願いをかなえてくれるそうですよ。
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書院 1796年再建 中にはいろいろ展示物がありました。時間がなく、ゆっくり見れなかったのが残念です。
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手水舎 水観音という銘がかかげてあります。
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観音寺城に向かう道。
観音寺城は山の麓から山頂まで曲輪で埋め尽くされて、山が巨大な城に見えたそうです。
1560年頃には城が拡張されて、寺は敷地を譲り山麓に移ります。 -
う~ん眺めがすごい!新幹線が走っていきます。
1568年に足利義昭を奉じて上洛する織田信長と近江守護の六角義賢との間で戦いがあり、六角氏の居城だった観音寺城は無血開城し、六角氏は甲賀郡に逃走しました。その戦乱で麓に移っていた寺は焼失してしまいます。 -
1606年、寺は山の上の現在庫裏のある場所に、本堂を再建しました。
そんな経緯もあり、お寺はお城の一部に再建されたということで、お城印を頂きました。 -
濡仏 釈迦如来坐像
江戸時代に安置されたものは、第二次世界大戦で金属供出に出し、1983年に再び安置されました。 -
礼堂(ふだどう) 観音堂です。
元は三十三観音を祀っていたものです、他の札所でも見かけた、西国の三十三札所のご本尊を祀るお堂でした。 -
護摩堂 お堂の右側に繖山修験根本道場の看板がかかっています。
安永年間(1780年頃)に建立された元三大師堂の部材を再利用して建立しました。 -
聖徳太子像
さて、ここで疑問なのは、聖徳太子はホントに滋賀に来たのかってことです。
滋賀県は聖徳太子の伝説が日本一多い場所で、太子が開基とする寺が27もあるのですが、聖徳太子が滋賀に来たという記録はありません。 -
太子堂 (地蔵堂) 聖徳太子を祀ります。
研究者によると、天台宗が信者を増やすため、寺の格上げを狙って、聖徳太子を持ち出したのではないかというのです。 -
聖徳太子の御朱印を頂きました。
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聖徳太子の 法王印
小さいころは、一万円札に聖徳太子が描かれていて、「この人は誰?」って親に聞いた覚えがあります。親や祖父母はいろいろな逸話を教えてくれました。
そんな経緯もあり、聖徳太子はわりと身近でした。 -
9:25 本堂 繖山 観音正寺 西国札所 第32番札所
2021年は聖徳太子1400年御遠忌の記念行事が、ゆかりのあるお寺で行われていて、観音正寺では旧前立本尊と聖徳太子像の御開帳が行われていました。 -
お寺の本尊は千手観音座像。
三十三年ごとに御開帳されてきた1497年の銘がある千手観音立像は1993年に本堂の火災に巻き込まれて焼失しました。 -
ご詠歌
新しい本尊は2004年に造られました。光背の高さが6.3メートルの巨大な坐像で、インドから輸入した白檀で作られています。
白檀は輸出禁制品でしたが、当寺の住職がインドを20回以上訪れ交渉の末に特例措置として日本への輸出が認められたものなのです。 -
本堂も本尊と同時期に再建されました。
2012年に土蔵から旧本尊の前立本尊が発見されました。
傷みが激しくバラバラになった像を箱に入れて、前住職(故人)が京都の仏具店に預けていたのですが、その仏具店が廃業したので、箱が寺に戻されたのです。
それを土蔵に入れて忘れ去られていたようで、箱を開けたら前立本尊が入ってたと、びっくり。2022年に修復が完了し、お寺に戻ってきたのです。 -
修復された旧前立本尊は、初の御開帳で、今後は以前の伝統にのっとり三十三年ごとに公開される予定です。
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秘仏、千手観音秘宝印
御開帳の期間だけ頂ける印です。
御朱印と印について、もう少し詳しく伺えばよかったと、悔やまれます。 -
特別拝観は内陣に入り、ご本尊の膝を散華で御身拭いし、修復された旧前立本尊をお参りします。
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尊星三尊印
この日は参拝者が少なく、御朱印のお世話をしてくださった方と、しばしおしゃべり。
とてもじゃないけど、裏参道の道は通れないと弱音を吐くと、その方も出勤で裏参道を通るけど、毎日ひやひやしてるとおっしゃる。
表参道側が正解ですよって!少し安心しました。 -
本堂右手にある石組。本堂を守っているそうです。
人魚、観音様の像がありました。 -
石組の下は池になっていて、縁結地蔵尊がありました。
まあ、いまさら縁結びってのもって思いながら、お参りしました。 -
水かけ観音 魚籃観音です。
己の罪苦を取り除くことを念じながら、観音水を注いでお参りします。 -
お堂の反対側はお稲荷さんがあるようですが、あそこまで行く気力がなく、ここから遥拝。
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10:14 仁王像のところから裏参道側の駐車場方面に歩いていくと、祠があって「ねずみ岩」という立札があります。
由来はわかりませんが、ねずみに似ているのでしょうか? -
10:16 さらに駐車場方面に歩くと 奥之院
聖徳太子は大きな岩の上で舞う天人を見て、その岩を天楽石と名付けました。
奥の盤座には輝く星に導かれた太子が、自らの厄難を除くために刻んだ磨崖仏があるのですが、残念ながら、現在は危険なため立ち入り禁止です。 -
奥之院の御朱印
太子が導かれた輝く星って、妙見信仰も関係があるのでしょうか。 -
自販機でペットの水を買いました。ん?お釣りレバーに小石が乗っているのかと思ったら、カエルちゃん。
つぶさなくてよかった。君ね、ここにいるのは危ないよ。
水を一口飲んで、休憩。 -
10:21 あの440段の石段を下りて行きましょう。お天気に恵まれて良かったです。
この石段も雨降りだと、あぶないかも。 -
10:40 転ばないように慎重に石段を下りて、駐車場に戻りました。
予定の一時間遅れです、相変わらず予定通りに進まない。
10:50 ナビを次の目的地「永源寺」にセットして出発です。下りも対向車に合わずに走り抜けました。ラッキー♪ -
永源寺を拝観したら、近くのお店でランチの予定でしたが、あきらめて途中のセブンでサンドイッチと飲み物を買いました。
11:50 永源寺の駐車場に到着しました。 -
愛知川沿いの山すそにある長細い境内です。
お寺ができる前は景勝地で雷渓と呼ばれていたそうです。 -
和泥水 わでいすい 地蔵尊
「和泥水」って、臨済宗の開祖道元の言葉で、わが身を顧みずに全力で他人を救うという意味なんだそうです。 -
川辺に茶屋がありますが閉店してます。ここは紅葉の名所なので、その時は開店するんでしょうね。
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ここも石段でございます。う~、頑張る。
永源寺は臨済宗永源寺派の大本山、1361年に近江守護の六角氏頼が寂室元光に帰依し景勝地だったこの場所を寄進して開山されました。永源寺 寺・神社・教会
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左手の崖の岩、よく見ると仏様がポチポチ。
境内にあった石仏をここに集めて、釈迦三尊と十六羅漢としたそうです。
六角氏頼は高野山で僧の修行をしたことがあり、法名を「雪江宗永」といい、佐々木源氏の嫡流であったので、寺の名を「永源寺」としました。 -
参道にかかる木の緑がとても綺麗です。
寂室元光を慕い入寺したお坊さんは2千人もいたそうで、最盛期はとても大きなお寺でした。
室町時代は勅願所として、朝廷や足利将軍家の庇護を受けました。 -
総門が見えてきました。
応仁の乱では京都の学僧が疎開してきたそうですが、その後は戦乱に巻き込まれて二度焼失し、寺は衰退してしまいます。 -
手水は耳の形をしていて、「洗耳水」といって、仏道を求める者は、耳にこびりついた世俗の考え方を洗え(すてろ)という意味なんだそうです。
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門を入ると入山料の自販機。
江戸時代の1631年に、京都妙心寺の僧が永源寺の荒廃に心を痛め、嘆願書を出し、自らも、寺の復興をし、1643年後水尾天皇の勅命によって、東福門院と彦根藩の井伊氏が伽藍を再興しました。 -
山門 1802年再建、楼上に釈迦三尊と十六羅漢が安置されています。登れません。
ここも観音正寺同様、参拝者はとても少なく、数人です。
駐車場に車が数台しか停まっていなかったし。 -
進んでいくと、だんだん空が見えて明るくなってきました。
左側に鉄筋コンクリート造りの庫裏があります。 -
エイゲンジという桜の原木がありました。ここの桜を増殖して、全国に普及させたそうです。
八重咲で白い大きな花の桜です。ソメイヨシノより遅咲きのようですね。
この時は奥にある白い萩が満開です。 -
本堂 1765年井伊家の援助によって建立されました。
屋根は琵琶湖の葦で葺かれていて、10年にごとに葺き替えされるそうです。
本尊は 世継観音
開山の寂室が東峰が夜ごと輝くのを不思議に思い訪ねると、大岩の上に小さな観音像がありました。
寂室は中国の仏師に中国の霊山の土で観音像を作らせて、その頭部にその観音像を納めて開眼し、本尊としたのです。 -
開基の佐々木(六角)氏頼の子、満高は世継に恵まれず、この観音に毎日祈願したところ妻の夢に麗しい女性が立ち、信心に感服したので一子を授けようと小さな刃を喉になげいれます。
その後男児を出産したので、観音像を「世継ぎ観音」と呼ぶようになったそうです。 -
御朱印を頂きました
大悲殿 -
滋賀県に在住のブライアン・ウイリアムズ氏の風景画がかかっていました。
ペルーの方で、学生時代に世界一周の旅に出て立ち寄った日本の風景に魅せらて、日本に住むことを決めたそうです。
2024年秋に、永源寺の法堂の龍の天井画を奉納されました。 -
ご詠歌は あいがたき のりに あふみ(遭う・近江)の えいげんじ ねがうは のちの よつぎかんのん
世継観音は25年に一度の開帳です。前回は2016年でした。 -
鐘楼 華鯨楼 かげいろう 1772年再建
寺の山号は「瑞石山」
最初は飯高山と称していましたが、伽藍の造営時に巨大な台石がわずかな人足の力で動いたり、本尊が大岩の上に出現したなど、石にまつわる話が多く、改号されたらしいのです。 -
中央にある石が縁起にまつわる「瑞石」です。
ど~んと建ってる芭蕉の句碑は最近寄贈されたもので、こんにゃくのさしみもすこし梅の花 と彫られています。
芭蕉と永源寺は直接の関係はないそうです。
永源寺はこんにゃく料理が有名で寂室が中国からこんにゃく芋を持ち帰ったのが起源なんだそうです。 -
法堂 大雄宝殿 法要を行う仏殿も兼ねています。
1728年の建築。 -
御水尾天皇の寄進による、釈迦如来三尊が祀られています。
釈迦如来・迦葉尊者・阿難尊者(かしょう・あなん)
現在はここにブライアン・ウイリアムズ氏の龍の天井画がかけられてます。 -
経蔵 転輪蔵式の経蔵で1676年の建立。
扉が閉まっていて、格子から覗き見しました。 -
開山堂 開山の寂室禅師の墓所の上に建っています。
井伊直惟から能舞台の寄進を受け、改築したものと伝わります。 -
開山堂の扁額 「大寂」は、日本黄檗宗の開祖 隠元禅師の筆で、隠元禅師が中峰明本(寂室禅師が中国で師事した高僧)の法孫にあたることによるご縁だそうです。
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塀に小さなお堂があって、観音像がありました。
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さかさまですが、池に映ると「永源寺」ってわけで。
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もみじの緑が気持ちいいです。目が癒される。
小さいころから近視で、母からよく「緑を見なさい」って言われました。
緑を見ると、目が良くなるなんて、何のエビデンスもありませんが、心配してのことだったのでしょう。
最近は、近視と老眼と、厄介な目になりました。 -
切り絵の御朱印を頂きました。
どちらか一方に決められず、「両方ください」って言ってしまう。 -
12:27 駐車場に戻ります。
この後のランチを端折って湖東三山を廻りますが、予定から大幅な遅れ。
まあ、そんなもんかって、かなり適当です。 -
車を止めたところに「うり坊」という売店があり、さんしょう味噌とふきのとう味噌を買いました。試食させてもらって、美味しかったんです。
何処から来たのか問われて、偶然通り過ぎた路線バスの正面に着いたマークがレオ!「あ、あそこから来ました」って! 「まあ!遠くから!」って驚かれました。
お味噌、美味しかった。近かったら買いに行きたいくらい。この味噌がある間、自宅のこんにゃくの消費量が増えました。
12:40 やっと湖東三山の百済寺に向かいます。
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旅行記グループ
2022年9月 滋賀と岐阜の旅、西国三十三所結願
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