2022/09/14 - 2022/09/18
1182位(同エリア1302件中)
三峯霧美さん
何年もかかっている西国三十三所も大詰め、残すは滋賀と岐阜の四寺を残すのみとなりました。
これを一度に廻ると、公共交通機関では機動力に欠けるし、途中でツレが合流することになり、愛車を出動させることにしました。
久しぶりの長距離ドライブ。
初日は昼過ぎに近江八幡の長命寺に着き、琵琶湖にお坊さんがダイブするお寺の伊崎寺に行きました。
予定が押して、一か所寄れなかったのが、ちょっと心残りでもあります。
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5:30 自宅を出発し、圏央道ー東名と順調に走って
7:03 足柄SA 朝食にファミマでおむすびとコーヒーとおやつのチョコを買って
軽くお腹を満たします。
富士山見えてる!エクスパーサ足柄 (下り線) 道の駅
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新東名も順調に走り
8:35 浜松SAで余裕を見て給油・・・SAのスタンドってガソリン高いなぁ。
航路の上みたいで、空は飛行機雲が何本も。
新東名ー第二東海ー伊勢湾岸ー新名神 伊勢湾岸から先は走ったことない道です。ネオパーサ浜松 (下り) 道の駅
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10:30 土山SAに到着 レーダー探知機は2時間運転してると、休憩しませんか?って優しく声掛けしてくれるんですが、その前に着きました、ギリだけど。
早朝出発なので、ここで早めのランチに軽くサンドイッチ。リセットできました。土山サービスエリア 道の駅
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新名神ー名神と走り、竜王インターで高速を降り、のんびりと田園地帯を走り
12:10 長命寺の駐車場に到着しました。
山の中腹にある駐車場に至る道は幅が狭く入口にポールが設置されて大型車は通れません。
道の終点ににある駐車場は10台ほどのスペース、空いていたので助かりました。長命寺 寺・神社・教会
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麓からの本当の参道は808段の石段です。車で楽しちゃいました。
しかし・・・西国三十三所の札所は山の上が多いです。真面目に山麓から歩いていくには健脚が必要です。 -
健康長寿の観音さん・・・808段の石段、ここまで自力で登ってきた人は絶対健康です。私は不健康。
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駐車場からも100段ほどの石段を登ります。
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石段の途中に 「聖徳太子礼拝石」という石柱があります。
これが礼拝した石なのか、境内に礼拝した石があるって告知なのか、わからない。 -
12:26 門が見えてきました。
西国三十三所 第31番札所
姨綺耶山 長命寺 いきやさん ちょうめいじ
息が上がる・・・。長命寺 寺・神社・教会
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門をくぐると手水舎。
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石段は折り返しながら、さらに上につづいています。
伝わるところによれば、12代景行天皇の時代に武内宿儺がこの地で柳の木に長寿を祈願したので300歳まで寿命が延びたそうです。 -
あと、もう一息だ!
聖徳太子がこの地を訪れ宿儺が祈願した際に木に彫った文字を発見すると、白髪の老人が現れて、その木で仏像を彫ってこの地に安置するように告げました。 -
聖徳太子は十一面観音を彫り、お寺を創建して長命寺と名付けたそうです。
これが縁起。
実際のお寺の創建については資料がないらしく、不詳です。
見えている大きな建物が本堂です。 -
石段を登りきると右手に三重塔。1597年再建、内部は胎蔵界大日如来と四天王が安置されています。
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滋賀県内で二番目の高さ、こけら葺きで全面丹塗なので真っ赤です。
初重の入口の両脇に窓がないのが特徴なんだそうです。ああ、なるほど、板張りです。 -
本堂のわきに閼伽井堂があります。仏様にお供えする水をくむ井戸。
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護摩堂 本尊不動明王 1606年に、三重塔の再建後にこっちも再建。
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本堂は室町時代(1524年)に再建されました。
本尊は千手観音、十一面観音、聖観音 厨子の中に安置されて秘仏です。
2009年に花山法皇の一千年忌で開帳されました、1948年以来の御開帳だったそうです。この先はいつになるのでしょうか・・・。 -
納経所は本堂の一角にあって、自分の後ろに人が並んだので、4種類もらうと時間がかかってしまい、参拝者も少ないことだし、西国の御朱印だけ先にもらって、他を後回しにしたんですが、これが、この日の敗因。
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西国三十三所 第31番 大悲殿
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本堂の正面は奥行きがないので、撮影が難しい。
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本堂 毘沙門天の御朱印 近江七福神 これは後から貰った御朱印
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本堂から三仏堂、護法権現社拝殿を見る、陽ざしが暑いです。
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三つのお堂は渡り廊下でつながっています。
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三仏堂 当初の三仏堂は平安時代末期に佐々木定綱が建立しました。
佐々木定綱は近江の佐々木荘を地盤とする父が平家との戦いに敗れ、共に関東に落ち、源頼朝の側近として仕えました。 -
定綱は壇ノ浦の戦い以降も戦功をあげて近江の守護を任ぜられました。
三仏堂はそのころ、戦死した父を弔うために建立されたようです。
釈迦如来立像、阿弥陀如来立像、薬師如来立像の三仏を安置します。 -
三仏堂の御朱印 これも後から貰った御朱印
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護法権現社の拝殿も渡り廊下でつながっています。
平安時代末期に諸堂が建立されて伽藍が整い、鎌倉時代から室町時代は近江守護の佐々木六角氏の庇護を受けています。 -
護法権現社 本殿 お寺創建の武内宿祢を祀ります。
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1516年に兵火によって伽藍が全焼しますが、堂宇は再建され、信長や秀吉の庇護をうけています。
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鳥居をくぐって先に進んでみましょう。
この長命寺山は昔、琵琶湖にうかぶ島でした。昭和に入って島の東側にあった琵琶湖最大の内湖(諏訪湖より大きかった)が干拓されて地続きになりました。 -
太郎坊権現社 拝殿 長命寺の総鎮守です。
1540年頃、太郎坊は当初普門坊という名の僧で、12歳で延暦寺に入って修行を積み、天気を操り空を飛ぶという大天狗になりました。
愛宕山に移り住んで、長命寺を懐かしく思って、近くにあった大岩を投げ飛ばすと大岩は長命寺の境内に突き刺さりました。それが右手に見える岩です。 -
大岩は「飛来石」と名付けられ、信仰の対象となります。
石段の上が太郎坊権現社の本殿です。 -
拝殿からの景色がきれいです。ここがお寺で一番の眺望。
右手に八幡山、正面に近江富士と呼ばれる三上山が見えます。 -
太郎坊権現社から鐘楼方面に戻ると左手に天尊堂 稲荷大明神を祀ります。
金運アップです。 -
如法行堂 勝雲将軍地蔵尊、智恵文殊菩薩、福徳庚申尊を祀ります。
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鐘楼手前から見る三重塔。手前のお堂の屋根がいい感じです。
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鐘楼 1608年建立 お寺の諸堂より高い位置にあります。
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鐘は鎌倉時代のもの。撞くことが出来るんです。
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鐘楼から本堂方向を見るアングル これが有名な撮影スポット
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修多羅岩 武内宿祢のご神体なんだそうです。
修多羅とは仏教用語で天地開闢 天下太平 子孫繁栄を表すそうです。 -
13:00 残りの御朱印を頂きに納経所に行くと、先に来てたカップルが納経帳2冊と掛け軸3本を出しておりました。
え?掛け軸ですか?!えらく時間がかかりそう、書き手の方は年配の男性が一人だけです。 -
完全にミスった。先に全部もらっておけば、こんなに待たずに済んだのにと、後悔しきり。
待つこと35分(!)こうなったら、変な遠慮はせずに、欲しい御朱印を全部もらうことにしました。若干逆切れ気味(笑)
自分の後ろに一人並びましたが、まだ数分しか経ってないので待ってもらいました。 -
聖徳太子の御朱印 聖徳太子霊跡 第三十五番
13:40 大きなため息と共に石段を下りて、駐車場へ。
予定していた大嶋奥津嶋神社に寄るのをあきらめて、湖畔の道を走って、伊崎寺に向かいました。 -
14:12 伊崎寺の駐車場に到着しました。
湖畔の道は快適で、道の端々に現れる湖水を眺めながらの運転。
伊崎寺の駐車場は看板出てましたが、道の両側が草ボウボウで激狭!伊崎寺 寺・神社・教会
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薄暗い参道なので、虫よけをかけて突入です。
伊崎寺は長命寺と同じ山号の「姨倚耶山(いきやさん)」で、立地的に長命寺と同じ島だったと思われます。
伝わるところによれば、役行者が猪に導かれてこの場所をみつけ行場とし、「猪先(いさき)」という名になったというのです。 -
貞観年間、860年前後に相応和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置しました。
寺の仏像などから平安時代後期には存在したと推定されています。
歩いていくと右手から人の話し声が聞こえてきます。湖面でSUP(ボードの上でパドルで進むやつ)に乗ってるグループがいました。 -
大きな岩は出迎不動といわれてます。岩の上に役行者を祀る祠があります。
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天台修験の拠点となったのは鎌倉時代からで、現在は比叡山延暦寺の支院です。
天台修験の三大聖地のひとつで、戦後は比叡山の千日回峰行を満行した阿闍梨が住職を務めていて、現在のご住職は上原行照さんです。 -
想像より参道が長いです。お寺によると、1キロあるそうです。
やっぱりな~、いくら歩いてもつかないって気分になってきた。 -
左手にお地蔵様が見えてくると、そろそろお寺。
お寺では御朱印の対応はされていません。
ここに来たのは、伊崎の棹飛びという琵琶湖に飛び込む行事に使われる「棹」を見てみたかったのです。 -
お寺に近づくと、湖水と眼下に寺の門らしきものが見えてきました。
大中湖の干拓前は船で参拝する方が多く、門は湖面に近い下の方にあるのです。
あとで行ってみよう。 -
庫裏 境内のお掃除をされている方が数名いらっしゃった。お坊さんじゃなく一般の方です。
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14:33 本堂 1813年に再建されました。何度も焼失・再建を繰り返してるそうです。
当初の本尊は、相応和尚が葛川明王院で修行中に不動明王を感得、歓喜して抱きついた葛(かつら)の木を三つに切って不動明王を造って、葛川明王院、比叡山無動寺、そして伊崎寺へ祀りました。 -
手前にお稲荷さん。
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少し石段を上ると、本堂と同じ高さに鐘楼があります。
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本堂、現在の本尊は不動明王坐像で、1732年、泉州堺住の仏師4名による作だそうです。平成に入って修復されたそうですが、お堂の扉は閉じています。
関東不動霊場巡りのおかげで、不動明王の真言を覚えておりまして、(門前の小僧なんとやら)繰り返し唱えてお参りしました。 -
本堂の裏手に回る道を進んで、棹飛び堂へ向かいます。
棹飛びは1100年前から続く行事(修行)で、毎年8月に長さ13 mの太い棹から7 m下の湖面にお坊さんが飛び込むのです。 -
道は少しだけ下り、石段を進みます。お堂は半島の北端です。
以前は一般の方も飛び込むことができたのですが、20年ほど前に行事とは別の日に、勝手に一般人が棹によじ登って飛び降りて溺死した事故がおこり、それ以来、百日回峰行を満了したお坊さんだけが行うようになりました。 -
14:35 棹飛堂は断崖絶壁にある巨岩に張り付くように建っています。
役行者がこの岩を不動明王と感得してお堂が建てられました。
今のお堂は鉄筋コンクリート造りようですね。
正式には護摩堂といいます。 -
お堂の湖側のテラスの幅は狭く、湖面を見ると真っ白な棹が突き出ていました。
戦後は義務教育に水泳が必須となって、泳げる人が多くなりました。
昔は入水自殺があるくらいで、泳げないことが普通でしたから、この高さから飛び降りるのは相当怖い事だったと思います。 -
素晴らしいお天気、湖面がとても綺麗です。
棹飛びは「捨身(しゃしん)の行」といい、行者は人々の願いを背負い、棹の先まで行き、自らを犠牲にして仏道を求めて湖面に飛び込み、陸に戻ることで生まれ変わり再生するという考え方なのです。 -
棹の根元には、棹の先に行けないように柵が設けてあります。
景色を見るだけで、まったりと癒されます。
さっき下に見えた山門まで行ってみよう。 -
14:47 庫裏のわきから石段を下りて行くと、途中に山門があります。
きちんと石段が整備されていて歴史ある正参道の雰囲気ですね。 -
湖のほとりは波音はほとんどなく、ここが湖だって実感します。
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8月の行事用なのでしょうか仮設の桟橋が湖面に突き出していました。
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琵琶湖って、大きいですね。対岸は私の視力では見えません。
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さて、駐車場に戻って近江八幡の日牟禮八幡宮へ移動しましょう。
15:10 駐車場を出発しました。
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2022年9月 滋賀と岐阜の旅、西国三十三所結願
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