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MOMATサポーターズ(友の会)に入会したので、東京国立近代美術館、国立西洋美術館などの常設展は1年間無料で観覧できる。そこで今日はその2館と日本で唯一ボッティチェリが観られる丸紅ギャラリーをはしごしよう。

東京国立近代美術館(MOMAT)、丸紅ギャラリー、国立西洋美術館

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2025/03/19 - 2025/03/19

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SamShinobu

SamShinobuさん

MOMATサポーターズ(友の会)に入会したので、東京国立近代美術館、国立西洋美術館などの常設展は1年間無料で観覧できる。そこで今日はその2館と日本で唯一ボッティチェリが観られる丸紅ギャラリーをはしごしよう。

  • 竹橋駅から地上に出ると、まさかの雪が降っていた。今日は3月19日。明日は春分の日だというのに。<br />振り返れば、すこぶるあがるパレスサイドビルが雪に霞んで見える。

    竹橋駅から地上に出ると、まさかの雪が降っていた。今日は3月19日。明日は春分の日だというのに。
    振り返れば、すこぶるあがるパレスサイドビルが雪に霞んで見える。

  • カンヒザクラに雪が舞う。

    カンヒザクラに雪が舞う。

  • 東京国立近代美術館

    東京国立近代美術館

  • 「美術館の春まつり」と題して、花の名作を一室に集め春を楽しんでもらおうというイベントが行われている。気温は真冬なんですけど。<br />

    「美術館の春まつり」と題して、花の名作を一室に集め春を楽しんでもらおうというイベントが行われている。気温は真冬なんですけど。

  • 「騎龍観音」<br />原田直次郎(1863年~1899年) 重要文化財<br />1890年<br />常設展で毎回お出迎えしてくれる騎龍観音。なんか奇妙な絵だなと思うのは、仏画なのに油絵で描いているからだろうか。<br />18歳で結婚して子供も授かった原田は、20歳で高橋由一に弟子入りして本格的に絵に取り組んだ。21歳の時にドイツに単身留学し、そこで同じく留学していた森鴎外と出会い友人になる。ミュンヘンで3年間絵の勉強をしつつ、ちゃっかりカフェで働くマリイという彼女を作って同棲。他にも美術学校の同級生とも付き合い、日本で奥さんと子供が待っているというのにとんだ女たらしだ。1887年に原田は帰国するが、その時マリイはなんと原田の子を身ごもっていたそうだ。<br />ちなみに森鴎外の「うたかたの記」は、その頃の原田がモデルになっている。貧しい花売りの少女マリイが、犬に売り物の花をめちゃくちゃにされて泣いていた。それを不憫に思った主人公がお金を渡す。画家を目指していた主人公はその少女が忘れられずにいたが、6年後にカフェで偶然再会し、うたかたの恋が始まるという内容だ。フィクションとはいえ原田の恋愛事情から着想を得ているのは間違いないだろう。鷗外がドイツから帰国した際には、ドイツ人女性が鴎外を追いかけて来日し一悶着あったそうだが、「お前ら、ドイツに何しに行ってるんだ」と説教したくなるゾ。<br /><br />さて、「騎龍観音」だが、原田が帰国した頃ちょうどフェノロサや岡倉天心による西洋画排斥運動がピークで、みっちり西洋画を勉強してきた原田にとっては居場所がない状況だった。それならばと狩野芳崖の日本画「悲母観音」に対抗し、同じ画題であえて油絵で日本画を描くという大胆な挑戦を試みたようだ。しかし絵は売れず、仕方なく自ら護国寺に奉納し、ずっと護国寺に掛けられていた。<br />そうこうしているうちに、印象派をかじった黒田清輝がパリから帰国し、原田さんちょっと古いんじゃないのとなって、まもなく原田は36歳の若さで病死した。<br />

    「騎龍観音」
    原田直次郎(1863年~1899年) 重要文化財
    1890年
    常設展で毎回お出迎えしてくれる騎龍観音。なんか奇妙な絵だなと思うのは、仏画なのに油絵で描いているからだろうか。
    18歳で結婚して子供も授かった原田は、20歳で高橋由一に弟子入りして本格的に絵に取り組んだ。21歳の時にドイツに単身留学し、そこで同じく留学していた森鴎外と出会い友人になる。ミュンヘンで3年間絵の勉強をしつつ、ちゃっかりカフェで働くマリイという彼女を作って同棲。他にも美術学校の同級生とも付き合い、日本で奥さんと子供が待っているというのにとんだ女たらしだ。1887年に原田は帰国するが、その時マリイはなんと原田の子を身ごもっていたそうだ。
    ちなみに森鴎外の「うたかたの記」は、その頃の原田がモデルになっている。貧しい花売りの少女マリイが、犬に売り物の花をめちゃくちゃにされて泣いていた。それを不憫に思った主人公がお金を渡す。画家を目指していた主人公はその少女が忘れられずにいたが、6年後にカフェで偶然再会し、うたかたの恋が始まるという内容だ。フィクションとはいえ原田の恋愛事情から着想を得ているのは間違いないだろう。鷗外がドイツから帰国した際には、ドイツ人女性が鴎外を追いかけて来日し一悶着あったそうだが、「お前ら、ドイツに何しに行ってるんだ」と説教したくなるゾ。

    さて、「騎龍観音」だが、原田が帰国した頃ちょうどフェノロサや岡倉天心による西洋画排斥運動がピークで、みっちり西洋画を勉強してきた原田にとっては居場所がない状況だった。それならばと狩野芳崖の日本画「悲母観音」に対抗し、同じ画題であえて油絵で日本画を描くという大胆な挑戦を試みたようだ。しかし絵は売れず、仕方なく自ら護国寺に奉納し、ずっと護国寺に掛けられていた。
    そうこうしているうちに、印象派をかじった黒田清輝がパリから帰国し、原田さんちょっと古いんじゃないのとなって、まもなく原田は36歳の若さで病死した。

  • 龍の顔がなんかアニメっぽくていいなあ。

    龍の顔がなんかアニメっぽくていいなあ。

  • 調べていたら、岡山県立美術館に原田直次郎の奇天烈な絵がまだあった。<br />「素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿」1895年頃 <br />岡山県立美術館蔵<br />スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する神話を描いたものだが、キャンバスを破って犬の顔が飛び出している。なんでこんなふざけちゃったかな。「騎龍観音」から5年後、まさに破れかぶれで描いたのだろうか。

    調べていたら、岡山県立美術館に原田直次郎の奇天烈な絵がまだあった。
    「素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿」1895年頃
    岡山県立美術館蔵
    スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する神話を描いたものだが、キャンバスを破って犬の顔が飛び出している。なんでこんなふざけちゃったかな。「騎龍観音」から5年後、まさに破れかぶれで描いたのだろうか。

  • 「休む赤衣の女」<br />板倉鼎 (1901年~1929年)<br />1929年<br />モデルは鼎(かなえ)の妻だそうだが、いい絵だなあ。1926年からパリで暮らした鼎の傑作だと思うが、残念なことにこの絵を描いてから半年足らずで急逝した。<br />窓外の海の色、モデルの顔、モデルの手、金魚鉢、アネモネ等、惹き込まれるポイントが渋滞している。約100年前にこんな格好いい絵を描いていたなんてスゲー。

    「休む赤衣の女」
    板倉鼎 (1901年~1929年)
    1929年
    モデルは鼎(かなえ)の妻だそうだが、いい絵だなあ。1926年からパリで暮らした鼎の傑作だと思うが、残念なことにこの絵を描いてから半年足らずで急逝した。
    窓外の海の色、モデルの顔、モデルの手、金魚鉢、アネモネ等、惹き込まれるポイントが渋滞している。約100年前にこんな格好いい絵を描いていたなんてスゲー。

  • 「鬼百合に揚羽蝶」<br />熊谷守一  (1880年~1977年)<br />1959 年<br />モリの絵だ!先日、熊谷守一美術館に行ったばかりなので、親近感半端ない。

    「鬼百合に揚羽蝶」
    熊谷守一 (1880年~1977年)
    1959 年
    モリの絵だ!先日、熊谷守一美術館に行ったばかりなので、親近感半端ない。

  • 「Confusion and Order」<br />猪熊弦一郎 (1902年~1993年)<br />1964年<br />三越の包装紙(白地に鮮やかな朱色のやつ)や、JR上野駅の中央改札口の上にどーんと描かれた壁画で、猪熊さんの名前は知らなくても作品は見たことがあるだろう。

    「Confusion and Order」
    猪熊弦一郎 (1902年~1993年)
    1964年
    三越の包装紙(白地に鮮やかな朱色のやつ)や、JR上野駅の中央改札口の上にどーんと描かれた壁画で、猪熊さんの名前は知らなくても作品は見たことがあるだろう。

  • 「眺めのいい部屋」から外を見ると、雪まじりの雨に変わっていた。

    「眺めのいい部屋」から外を見ると、雪まじりの雨に変わっていた。

  • 美術館の春まつり

    美術館の春まつり

  • 「小雨ふる吉野」<br />菊池芳文 (1862年~1918年)<br />1914年<br />六曲一双<br />雨に濡れる吉野の桜を描いたのは京都四条派の画家、菊池芳文。

    「小雨ふる吉野」
    菊池芳文 (1862年~1918年)
    1914年
    六曲一双
    雨に濡れる吉野の桜を描いたのは京都四条派の画家、菊池芳文。

  • 花びらの下の方に白い絵具をのせて描いており、花びら一枚一枚に雨のしずくが溜まっているよう。

    花びらの下の方に白い絵具をのせて描いており、花びら一枚一枚に雨のしずくが溜まっているよう。

  • 「行く春」<br />川合玉堂 (1873年~1957年) 重要文化財  <br />1916年<br />六曲一双

    「行く春」
    川合玉堂 (1873年~1957年) 重要文化財
    1916年
    六曲一双

  • 水面に散る⻑瀞の桜が美しい。

    水面に散る⻑瀞の桜が美しい。

  • 長瀞はライン下りの舟に乗ったことがあるが、この水車の船は何だろう。調べてみると、昔は川船に水車小屋を乗せた船車で小麦粉を作っていたそうだ。それにしても、この色彩と構図の美しさはなるほど重文にふさわしい。

    長瀞はライン下りの舟に乗ったことがあるが、この水車の船は何だろう。調べてみると、昔は川船に水車小屋を乗せた船車で小麦粉を作っていたそうだ。それにしても、この色彩と構図の美しさはなるほど重文にふさわしい。

  • 「花の夕」船田玉樹(ぎょくじゅ)(1912年~1991年)<br />1938年

    「花の夕」船田玉樹(ぎょくじゅ)(1912年~1991年)
    1938年

  • マゼンダやピンクの花が強烈な印象だが、よく見ると月が木に刺さっている。念の為、係の方に訊いてみたが、やはり月だそうだ。

    マゼンダやピンクの花が強烈な印象だが、よく見ると月が木に刺さっている。念の為、係の方に訊いてみたが、やはり月だそうだ。

  • 「無題」<br />石田徹也 (1973年~2005年)<br />1997年<br />同じ顔の男たちの何とも言えない表情がいいなあ。石田徹也はイラストレーターとして有名だが、 1996年から絵画アーティストとしても注目を集めるようになる。<br />2005年に小田急線の踏切事故で亡くなった(享年31歳)。当時精神病を患っていたため自殺ではないかと憶測が飛び交ったが、実際のところは不明だ。<br />彼の作品にはこの顔の男が常連だが、石田徹也の写真を見るとそっくりだ。ただ本人はそれを否定している。

    「無題」
    石田徹也 (1973年~2005年)
    1997年
    同じ顔の男たちの何とも言えない表情がいいなあ。石田徹也はイラストレーターとして有名だが、 1996年から絵画アーティストとしても注目を集めるようになる。
    2005年に小田急線の踏切事故で亡くなった(享年31歳)。当時精神病を患っていたため自殺ではないかと憶測が飛び交ったが、実際のところは不明だ。
    彼の作品にはこの顔の男が常連だが、石田徹也の写真を見るとそっくりだ。ただ本人はそれを否定している。

  • 「無題」<br />石田徹也<br />1998年<br />こちらも例の顔の男がスキー板を履いて、会社の天井から吊り下げられた照明に乗っている。自作のような宇宙服を着て、手には宇宙人の人形を握りしめている。悲しみや苦しみに耐えているかのような表情。上司は慌てて降ろそうとするが、同僚と思われる社員たちは無関心だ。<br />この絵、どこかで見たことがあると思ったら、大槻ケンヂのエッセイ「のほほん人間革命」(2002年発売)の表紙だった。それにしても強烈にじわる絵だ。夢に出てきそう。

    「無題」
    石田徹也
    1998年
    こちらも例の顔の男がスキー板を履いて、会社の天井から吊り下げられた照明に乗っている。自作のような宇宙服を着て、手には宇宙人の人形を握りしめている。悲しみや苦しみに耐えているかのような表情。上司は慌てて降ろそうとするが、同僚と思われる社員たちは無関心だ。
    この絵、どこかで見たことがあると思ったら、大槻ケンヂのエッセイ「のほほん人間革命」(2002年発売)の表紙だった。それにしても強烈にじわる絵だ。夢に出てきそう。

  • ミュージアムショップの前に薄っすらと積もる雪。

    ミュージアムショップの前に薄っすらと積もる雪。

  • パレスサイドビル<br />1966年竣工の昭和の名建築。この円筒形の建物はエレベーターホールだ。

    パレスサイドビル
    1966年竣工の昭和の名建築。この円筒形の建物はエレベーターホールだ。

  • そのエレベーターホール。<br />1966年にこのデザイン!地球防衛軍の秘密基地ですか。

    そのエレベーターホール。
    1966年にこのデザイン!地球防衛軍の秘密基地ですか。

  • 地下でランチにしよう。

    地下でランチにしよう。

  • タカサゴ<br />パレスサイドビルB1。江戸時代から、375年続く奇跡の食堂だ。1650年に神田三河町にて一膳飯屋「高瀬屋七兵衛」として創業され、明治に入って屋号を「高砂屋」に変更した。現在12代目だそうだ!1966年竣工のパレスサイドビルに移転し、カレー屋として営業。カレー店と言っても、実際はメニュー豊富な洋食屋だ。

    タカサゴ
    パレスサイドビルB1。江戸時代から、375年続く奇跡の食堂だ。1650年に神田三河町にて一膳飯屋「高瀬屋七兵衛」として創業され、明治に入って屋号を「高砂屋」に変更した。現在12代目だそうだ!1966年竣工のパレスサイドビルに移転し、カレー屋として営業。カレー店と言っても、実際はメニュー豊富な洋食屋だ。

  • 食品サンプルを見ると、どれも美味しそう。

    食品サンプルを見ると、どれも美味しそう。

  • ポークソテージャポネーズ(1150円)とビール小(550円)を注文。<br />見ていると、カレーよりもポークソテージャポネーズを頼む客が多い。やはり人気メニューだ。

    ポークソテージャポネーズ(1150円)とビール小(550円)を注文。
    見ていると、カレーよりもポークソテージャポネーズを頼む客が多い。やはり人気メニューだ。

  • 通称ジャポネは豚ロースの生姜焼きに、ナポリタンとキャベツが付く。豚ロースも2枚分なので、かなりボリューミーだ。味濃いめの肉は柔らかく、ビールにも合う。

    通称ジャポネは豚ロースの生姜焼きに、ナポリタンとキャベツが付く。豚ロースも2枚分なので、かなりボリューミーだ。味濃いめの肉は柔らかく、ビールにも合う。

  • 2021年2月に竣工した「丸紅ビル」。ここの3階に「丸紅ギャラリー」はある。

    2021年2月に竣工した「丸紅ビル」。ここの3階に「丸紅ギャラリー」はある。

  • 丸紅と伊藤忠商事について<br />1858年に伊藤忠兵衛によって丸紅と伊藤忠商事が創業された。戦前までは一緒の会社だったが、第二次世界大戦後に財閥解体により2社に分割された。

    丸紅と伊藤忠商事について
    1858年に伊藤忠兵衛によって丸紅と伊藤忠商事が創業された。戦前までは一緒の会社だったが、第二次世界大戦後に財閥解体により2社に分割された。

  • 丸紅ギャラリー<br />入館料500円<br />撮影不可。<br />日本でボッティチェリが観られるとは知らなかった。それもボッティチェリの代表作だ。ちょっとびっくり。<br />東京国立近代美術館で例年恒例の「美術館の春まつり」と連携し、日本で唯一のボッティチェリのテンペラ画「美しきシモネッタ」(丸紅所有)を特別公開している。

    丸紅ギャラリー
    入館料500円
    撮影不可。
    日本でボッティチェリが観られるとは知らなかった。それもボッティチェリの代表作だ。ちょっとびっくり。
    東京国立近代美術館で例年恒例の「美術館の春まつり」と連携し、日本で唯一のボッティチェリのテンペラ画「美しきシモネッタ」(丸紅所有)を特別公開している。

  • 「美しきシモネッタ」<br />ボッティチェリ(1444/1445~1510年)<br />モデルのシモネッタ・ヴェスプッチ(1453~1476年)は、「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」のモデルであったといわれている。<br />ということは、15世紀後半のイタリアでは、この顔が理想的な美人だったということだろう。<br />この頃の肖像画は真横が流行りだった。その後、より立体的な4分の3正面観の肖像画をダ・ヴィンチが描き始めた。<br />狭い1室に、ほぼ「美しきシモネッタ」だけ展示している。他にもルノワール等の収蔵品はあるが、今回はこれ1作で勝負している点は潔い。500円分じっくり観賞しよう。<br />(画像はフライヤーより)

    「美しきシモネッタ」
    ボッティチェリ(1444/1445~1510年)
    モデルのシモネッタ・ヴェスプッチ(1453~1476年)は、「プリマヴェーラ(春)」や「ヴィーナスの誕生」のモデルであったといわれている。
    ということは、15世紀後半のイタリアでは、この顔が理想的な美人だったということだろう。
    この頃の肖像画は真横が流行りだった。その後、より立体的な4分の3正面観の肖像画をダ・ヴィンチが描き始めた。
    狭い1室に、ほぼ「美しきシモネッタ」だけ展示している。他にもルノワール等の収蔵品はあるが、今回はこれ1作で勝負している点は潔い。500円分じっくり観賞しよう。
    (画像はフライヤーより)

  • うえの桜フェスタ2025<br />地下鉄で上野までやって来ると、上野公園で桜フェスタが開催されていた。

    うえの桜フェスタ2025
    地下鉄で上野までやって来ると、上野公園で桜フェスタが開催されていた。

  • 朝は雪が降っていたというのに、暖かくなってきたぞ。<br />

    朝は雪が降っていたというのに、暖かくなってきたぞ。

  • 大噴水がある竹の台広場に「日本全国美味しいものエリア」と称して、ご当地メニューの屋台がずらっと並んでいる。<br />

    大噴水がある竹の台広場に「日本全国美味しいものエリア」と称して、ご当地メニューの屋台がずらっと並んでいる。

  • 鮎の塩焼き美味そうだなぁ。

    鮎の塩焼き美味そうだなぁ。

  • いい天気だ。

    いい天気だ。

  • 青森県産ホタテ焼きがいい匂い。<br />

    青森県産ホタテ焼きがいい匂い。

  • これ絶対美味いやつじゃん。

    これ絶対美味いやつじゃん。

  • 田酒がある。

    田酒がある。

  • 誘惑に負けてホタテ焼きと田酒を買ってしまった。テント下のテーブルでひと息つく。

    誘惑に負けてホタテ焼きと田酒を買ってしまった。テント下のテーブルでひと息つく。

  • 帆立バター (1000円)<br />田酒 (900円)

    帆立バター (1000円)
    田酒 (900円)

  • 新鮮なホタテ焼き、日本酒に合い過ぎる!

    新鮮なホタテ焼き、日本酒に合い過ぎる!

  • ライブステージでは各アーティストが出演。<br />海老沢茜さんというシンガーが懐メロカバーを中心に歌っていた。昭和歌謡を聴きながら日本酒を飲んでいたら、実にいい気分になった。国立西洋美術館にも行きたいのだが、ここも離れがたい。もう一杯だけとレモンサワーを買ってきた。「卒業」(斉藤由貴)、「わたしの彼は左きき」等懐かしいナンバーに思わず拍手。

    ライブステージでは各アーティストが出演。
    海老沢茜さんというシンガーが懐メロカバーを中心に歌っていた。昭和歌謡を聴きながら日本酒を飲んでいたら、実にいい気分になった。国立西洋美術館にも行きたいのだが、ここも離れがたい。もう一杯だけとレモンサワーを買ってきた。「卒業」(斉藤由貴)、「わたしの彼は左きき」等懐かしいナンバーに思わず拍手。

  • レモンサワー (600円)<br />シャキシャキに凍っていて美味しい。

    レモンサワー (600円)
    シャキシャキに凍っていて美味しい。

  • 上野もカンヒザクラだけ咲いていた。

    上野もカンヒザクラだけ咲いていた。

  • ほろ酔いで国立西洋美術館に向かっていたら、知合いのミュージシャンにばったり会った。森永哲則さんはよく聴きに行くドラマーで、彼のリーダーアルバムも持っている。他のおふたりは森永さんと一緒にやっている「未来から来た侵略者」というユニットのメンバーだ。ちょうどこの4日後に彼らのライブに行く予定だったので、凄い偶然にお互い驚いた。てっきり上野で演奏かと思いきや、東京都美術館の「ミロ展」を観に来たとのこと。自分もミロ展は先週観たところなので、その偶然にも驚いた。

    ほろ酔いで国立西洋美術館に向かっていたら、知合いのミュージシャンにばったり会った。森永哲則さんはよく聴きに行くドラマーで、彼のリーダーアルバムも持っている。他のおふたりは森永さんと一緒にやっている「未来から来た侵略者」というユニットのメンバーだ。ちょうどこの4日後に彼らのライブに行く予定だったので、凄い偶然にお互い驚いた。てっきり上野で演奏かと思いきや、東京都美術館の「ミロ展」を観に来たとのこと。自分もミロ展は先週観たところなので、その偶然にも驚いた。

  • 国立西洋美術館<br />今日は常設展を観に来た。MOMATサポーターズの会員証で、国立西洋美術館も入れる。

    国立西洋美術館
    今日は常設展を観に来た。MOMATサポーターズの会員証で、国立西洋美術館も入れる。

  • 企画展は「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」だった。<br />この企画展のメインビジュアルが、マリー=ガブリエル・カペの「自画像」だ。いつもは常設展で会えるのに今回は出世して笑、企画展のそれも主役になっている。オキニがフィーチャーされて嬉しいが、22歳のカペちゃんは相変わらず、「可愛くてごめん」と上から目線なところがいい。あざと可愛いロココ時代の自画像だから、ちょっと盛って描いてると勝手に想像している。

    企画展は「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」だった。
    この企画展のメインビジュアルが、マリー=ガブリエル・カペの「自画像」だ。いつもは常設展で会えるのに今回は出世して笑、企画展のそれも主役になっている。オキニがフィーチャーされて嬉しいが、22歳のカペちゃんは相変わらず、「可愛くてごめん」と上から目線なところがいい。あざと可愛いロココ時代の自画像だから、ちょっと盛って描いてると勝手に想像している。

  • 「自画像」<br />マリー=ガブリエル・カペ<br />1783年頃<br />(ポストカードから)<br />東京都美術館館長の高橋明也氏が、「初老耽美派 よろめき美術鑑賞術」(著者  高橋 明也、冨田 章、山下 裕二)で、カペちゃん購入のいきさつを書いている。高橋氏が西美時代に、パリの老舗画廊の老オーナーの部屋で偶然見つけて、知らない画家だったが気に入ったそうだ。凄く安かったにもかかわらず、無名作家ということで同僚たちの評判は良くなかった。2000万円くらいだったそうだが、今では企画展のセンターを張れるのだから、めちゃくちゃいい買い物をしてくれた。<br />今日は常設展だけ観るのでカペちゃんには会えないが、思わずポストカードを買ってしまった。

    「自画像」
    マリー=ガブリエル・カペ
    1783年頃
    (ポストカードから)
    東京都美術館館長の高橋明也氏が、「初老耽美派 よろめき美術鑑賞術」(著者 高橋 明也、冨田 章、山下 裕二)で、カペちゃん購入のいきさつを書いている。高橋氏が西美時代に、パリの老舗画廊の老オーナーの部屋で偶然見つけて、知らない画家だったが気に入ったそうだ。凄く安かったにもかかわらず、無名作家ということで同僚たちの評判は良くなかった。2000万円くらいだったそうだが、今では企画展のセンターを張れるのだから、めちゃくちゃいい買い物をしてくれた。
    今日は常設展だけ観るのでカペちゃんには会えないが、思わずポストカードを買ってしまった。

  • 常設展<br />本館の中央にある吹き抜け空間「19世紀ホール」は、ル・コルビュジエ設計だけあって、これから始まる美術体験に十分期待を持たせる美しさがある。

    常設展
    本館の中央にある吹き抜け空間「19世紀ホール」は、ル・コルビュジエ設計だけあって、これから始まる美術体験に十分期待を持たせる美しさがある。

  • 「ホロフェルネスの首を持つユディト」<br />ルカス・クラーナハ(父) (1472年~1553年)<br />1530年頃<br />ドイツ・ルネサンスの代表選手は、クラーナハとデューラーだが、クラーナハは教科書で必ず見る宗教改革のマルティン・ルターの肖像画を描いた画家だ。ルターはバチカンが免罪符を売りまくるのを見て、金を出せば罪が許されるなんておかしいだろと、教会に反抗し宗教改革を起こす。そこでカトリックに対するプロテスタントが生まれるわけだが、クラーナハはルターの肖像画をたくさん描いてそれを応援した。<br />その後、プロテスタントは宗教画を偶像崇拝と言って禁止する。クラーナハにとって宗教画は大きな収入源だったので、結果的に自分で自分の首を絞めることになってしまった。そこで今度は、教会が宗教改革で弱っているどさくさに紛れて、エロい裸婦像を量産。ナイスバディじゃないつるぺた裸婦像が受けて描きまくった。<br />これはその頃の絵で、裸婦ではないがテーマはエロい。我が街が敵のホロフェルネスに陥落されると、美貌の未亡人ユディトは喪服を脱いでホロフェルネスに色仕掛けで迫る。酒をしこたま飲んでいい気分のホロフェルネスは、彼女の横で眠りこけてしまう。そしてユディトは隠し持った刀で彼の首を切り落として街を救ったのだ。旧約聖書外典に出てくる話だが、画題としての人気も高く数多く描かれている。この作品のユディトは、自分の体を武器にしてもなお凛としており、男の首を持つ顔がどこか儚げなのは、死んだ夫を思っているのだろうか。

    「ホロフェルネスの首を持つユディト」
    ルカス・クラーナハ(父) (1472年~1553年)
    1530年頃
    ドイツ・ルネサンスの代表選手は、クラーナハとデューラーだが、クラーナハは教科書で必ず見る宗教改革のマルティン・ルターの肖像画を描いた画家だ。ルターはバチカンが免罪符を売りまくるのを見て、金を出せば罪が許されるなんておかしいだろと、教会に反抗し宗教改革を起こす。そこでカトリックに対するプロテスタントが生まれるわけだが、クラーナハはルターの肖像画をたくさん描いてそれを応援した。
    その後、プロテスタントは宗教画を偶像崇拝と言って禁止する。クラーナハにとって宗教画は大きな収入源だったので、結果的に自分で自分の首を絞めることになってしまった。そこで今度は、教会が宗教改革で弱っているどさくさに紛れて、エロい裸婦像を量産。ナイスバディじゃないつるぺた裸婦像が受けて描きまくった。
    これはその頃の絵で、裸婦ではないがテーマはエロい。我が街が敵のホロフェルネスに陥落されると、美貌の未亡人ユディトは喪服を脱いでホロフェルネスに色仕掛けで迫る。酒をしこたま飲んでいい気分のホロフェルネスは、彼女の横で眠りこけてしまう。そしてユディトは隠し持った刀で彼の首を切り落として街を救ったのだ。旧約聖書外典に出てくる話だが、画題としての人気も高く数多く描かれている。この作品のユディトは、自分の体を武器にしてもなお凛としており、男の首を持つ顔がどこか儚げなのは、死んだ夫を思っているのだろうか。

  • 「ホロフェルネスの首を持つユディト」<br />フェーデ・ガリツィア (1574年頃-1630年頃)<br />1622年頃<br />こちらも同じ主題で描かれたイタリアの女性画家の作品。ユディトはおっぱいポロリで誘惑している。まさに首を切り落とした直後なのだろう。ポロリが艷めかしい。なんだかんだ言っても、こういうエロい絵が受けたんだろうな。もちろん当時はエロご法度だったが、「いえいえ、これは聖書に出てくる宗教画ですから~」と言えば許された。神話、宗教画だけはおっぱいポロリが認められたのだ。だから皆こぞって裸のビーナスを描きまくり、神話ですから~と言い訳して世の男性陣のスケベ心を満たしていたのだ。

    「ホロフェルネスの首を持つユディト」
    フェーデ・ガリツィア (1574年頃-1630年頃)
    1622年頃
    こちらも同じ主題で描かれたイタリアの女性画家の作品。ユディトはおっぱいポロリで誘惑している。まさに首を切り落とした直後なのだろう。ポロリが艷めかしい。なんだかんだ言っても、こういうエロい絵が受けたんだろうな。もちろん当時はエロご法度だったが、「いえいえ、これは聖書に出てくる宗教画ですから~」と言えば許された。神話、宗教画だけはおっぱいポロリが認められたのだ。だから皆こぞって裸のビーナスを描きまくり、神話ですから~と言い訳して世の男性陣のスケベ心を満たしていたのだ。

  • 「アントニエッタ・ゴンザレスの肖像」<br />ラヴィニア・フォンターナ (1552年~1614年)<br />1595年(?)<br />多毛症という特異体質に生まれたアントニエッタ。画家はラヴィニア・フォンターナという子供のいる女性で、数奇な運命に翻弄されるアントニエッタを見つめる目が、まるで娘を見るように優しく感じられる。

    「アントニエッタ・ゴンザレスの肖像」
    ラヴィニア・フォンターナ (1552年~1614年)
    1595年(?)
    多毛症という特異体質に生まれたアントニエッタ。画家はラヴィニア・フォンターナという子供のいる女性で、数奇な運命に翻弄されるアントニエッタを見つめる目が、まるで娘を見るように優しく感じられる。

  • 「聖プラクセディス」<br />*フェルメールに帰属<br />1655年<br />日本でヨハネス・フェルメール(1632年~1675年)を観ることができるのは西洋美術館だけだ。<br />ただし、この「*フェルメールに帰属」というのがクセモノで、実はフェルメール作ではないかもしれないというオチがある。<br />この絵は、2014年のクリスティーズのオークションに出品された 。そこで11億円で落札されて、落札者から国立西洋美術館に寄託された。<br />フェルメール作かどうか研究者の間で意見が一致しておらず、おおむねフェルメールだろうと思われている中、頑なに違うと言う学者もいる。<br />フェルメールの生涯作品数は37点と言われており、実に寡作な画家だ。本作は1655年に描かれており、もしも真作ならばフェルメールの中でも一番古いものとなる。風俗画家のフェルメールにしては、奥で首が転がっていたりして怖い絵だと思われるかもしれない。でもそれはこの絵がイタリアの画家の作品を模写したものだからだ。<br />せっかくだからフェルメール作であってほしいが、真偽のほどが定かではないのも面白い。

    「聖プラクセディス」
    *フェルメールに帰属
    1655年
    日本でヨハネス・フェルメール(1632年~1675年)を観ることができるのは西洋美術館だけだ。
    ただし、この「*フェルメールに帰属」というのがクセモノで、実はフェルメール作ではないかもしれないというオチがある。
    この絵は、2014年のクリスティーズのオークションに出品された 。そこで11億円で落札されて、落札者から国立西洋美術館に寄託された。
    フェルメール作かどうか研究者の間で意見が一致しておらず、おおむねフェルメールだろうと思われている中、頑なに違うと言う学者もいる。
    フェルメールの生涯作品数は37点と言われており、実に寡作な画家だ。本作は1655年に描かれており、もしも真作ならばフェルメールの中でも一番古いものとなる。風俗画家のフェルメールにしては、奥で首が転がっていたりして怖い絵だと思われるかもしれない。でもそれはこの絵がイタリアの画家の作品を模写したものだからだ。
    せっかくだからフェルメール作であってほしいが、真偽のほどが定かではないのも面白い。

  • 「聖トマス」<br />ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593年~1652年)<br />ラ・トゥールはロウソクの光を効果的に使った絵が多く、「夜の画家」と呼ばれている。<br />「聖トマス」の背景の黒とハゲ頭のテカリ具合のキアロスクーロ(明暗対比)は、まさにバロックだ。<br />ラ・トゥールの作品はルーブル美術館に多く、有名な「ダイヤのエースを持ついかさま師」「灯火の前のマグダラのマリア (悔悛するマグダラのマリア)」「大工の聖ヨセフ」「羊飼いの礼拝」など全てルーブルが持っている。

    「聖トマス」
    ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593年~1652年)
    ラ・トゥールはロウソクの光を効果的に使った絵が多く、「夜の画家」と呼ばれている。
    「聖トマス」の背景の黒とハゲ頭のテカリ具合のキアロスクーロ(明暗対比)は、まさにバロックだ。
    ラ・トゥールの作品はルーブル美術館に多く、有名な「ダイヤのエースを持ついかさま師」「灯火の前のマグダラのマリア (悔悛するマグダラのマリア)」「大工の聖ヨセフ」「羊飼いの礼拝」など全てルーブルが持っている。

  • 「丘を下る羊の群」<br />ジャン=オノレ・フラゴナール(1732年~1806年)<br />1763年~1765年<br />「かんぬき」「ぶらんこ」のフラゴナールだ!<br />フラゴナールというと、あざとエロいロココ絵画の中でも、特に際どいギリギリの線を狙った画家というイメージがあるが、こんな風景画もあるんだな。

    「丘を下る羊の群」
    ジャン=オノレ・フラゴナール(1732年~1806年)
    1763年~1765年
    「かんぬき」「ぶらんこ」のフラゴナールだ!
    フラゴナールというと、あざとエロいロココ絵画の中でも、特に際どいギリギリの線を狙った画家というイメージがあるが、こんな風景画もあるんだな。

  • 「眠れる裸婦」<br />ギュスターヴ・クールベ<br />1858年<br />公の場に展示される絵にヌードはNGという時代、神話や宗教画だけは裸婦像が許された。ただし個人が寝室に飾るいわゆる「閨房画(けいぼうが)」は例外で、スタイルのいい若い女性の裸体が描かれることが多かった。クールベは神話でも宗教画でもない裸婦像を、それも腹の出ただらしない女体を描いてサロン(フランス美術アカデミーの官展)に出展する。それはクールベのサロンに対する反抗に他ならなかった。その前にもクールベは「水浴の女」(1853年)で、ぶよぶよの脂肪がついた裸婦を描いて、ナポレオン3世に「醜い!」と酷評されていた。それでも一向に懲りることなく描いた「眠れる裸婦」は、当然物議を醸すことになる。しかし、中には「クールベ、クールだべ」となった画家もいて、例えばマネの「草上の昼食」(1863年)にもつながっていく。クールベがぶっ飛んでいるのは、その後「世界の起源」(1866年)で、裸の女性の性器をクローズアップで描いて大炎上。もちろん陰毛表現はタブーだったが、我関せずと大胆なヘア無修正版を発表したわけだ。ここまでいくともはや敵なし。

    「眠れる裸婦」
    ギュスターヴ・クールベ
    1858年
    公の場に展示される絵にヌードはNGという時代、神話や宗教画だけは裸婦像が許された。ただし個人が寝室に飾るいわゆる「閨房画(けいぼうが)」は例外で、スタイルのいい若い女性の裸体が描かれることが多かった。クールベは神話でも宗教画でもない裸婦像を、それも腹の出ただらしない女体を描いてサロン(フランス美術アカデミーの官展)に出展する。それはクールベのサロンに対する反抗に他ならなかった。その前にもクールベは「水浴の女」(1853年)で、ぶよぶよの脂肪がついた裸婦を描いて、ナポレオン3世に「醜い!」と酷評されていた。それでも一向に懲りることなく描いた「眠れる裸婦」は、当然物議を醸すことになる。しかし、中には「クールベ、クールだべ」となった画家もいて、例えばマネの「草上の昼食」(1863年)にもつながっていく。クールベがぶっ飛んでいるのは、その後「世界の起源」(1866年)で、裸の女性の性器をクローズアップで描いて大炎上。もちろん陰毛表現はタブーだったが、我関せずと大胆なヘア無修正版を発表したわけだ。ここまでいくともはや敵なし。

  • 「ピエタ」<br />ギュスターヴ・モロー (1826年~1898年)<br />1876年頃<br />こちらは同じギュスターヴでも、クールベではなくギュスターヴ・モローの作品。「オイディプスとスフィンクス」「出現」等で有名な象徴主義の画家だ。<br />ピエタとは、十字架から降ろされたイエスを聖母マリアが抱く姿を表した絵画を言う。中世末期以降常に高い人気の画題だ。

    「ピエタ」
    ギュスターヴ・モロー (1826年~1898年)
    1876年頃
    こちらは同じギュスターヴでも、クールベではなくギュスターヴ・モローの作品。「オイディプスとスフィンクス」「出現」等で有名な象徴主義の画家だ。
    ピエタとは、十字架から降ろされたイエスを聖母マリアが抱く姿を表した絵画を言う。中世末期以降常に高い人気の画題だ。

  • 「舟遊び」<br />クロード・モネ (1840年~1926年)<br />1887年<br />モネは晩年、人物像をほとんど描かなくなるので貴重だ。「睡蓮」の連作を描き始める前の作品。水面の表現がまさにモネ。

    「舟遊び」
    クロード・モネ (1840年~1926年)
    1887年
    モネは晩年、人物像をほとんど描かなくなるので貴重だ。「睡蓮」の連作を描き始める前の作品。水面の表現がまさにモネ。

  • 「ウォータールー橋、ロンドン」<br />クロード・モネ<br />1902年<br />モネから直接買っていた松方幸次郎のコレクションだけあって、西美にはモネの傑作が多い。ウォータールー橋の連作の中でも、特に印象派らしい作品だ。

    「ウォータールー橋、ロンドン」
    クロード・モネ
    1902年
    モネから直接買っていた松方幸次郎のコレクションだけあって、西美にはモネの傑作が多い。ウォータールー橋の連作の中でも、特に印象派らしい作品だ。

  • 「ブルターニュ風景」<br />ポール・ゴーガン (1848年~1903年)<br />1888年<br />ゴーガンが古い風習の残るフランスのブルターニュ地方に魅せられて、そのポン=タヴェン村で描いた作品。<br />ちょうどその頃、ポール・セリュジエが、ブルターニュのゴーガンを訪ねて絵の指導を受けた。<br />「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面には真赤な色を置きたまえ」<br />木が真っ赤って・・・<br />「それからその影は? どちらかと言えば青みがか<br />っているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ」<br />影を最も美しい青で描く?<br />この大胆な色の使い方に、セリュジエは衝撃を受けて、その日のうちにパリに戻り、ピエール・ボナールやモーリス・ドニにゴーガンの教えを伝えた。これがナビ派の誕生のきっかけだ。

    「ブルターニュ風景」
    ポール・ゴーガン (1848年~1903年)
    1888年
    ゴーガンが古い風習の残るフランスのブルターニュ地方に魅せられて、そのポン=タヴェン村で描いた作品。
    ちょうどその頃、ポール・セリュジエが、ブルターニュのゴーガンを訪ねて絵の指導を受けた。
    「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面には真赤な色を置きたまえ」
    木が真っ赤って・・・
    「それからその影は? どちらかと言えば青みがか
    っているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ」
    影を最も美しい青で描く?
    この大胆な色の使い方に、セリュジエは衝撃を受けて、その日のうちにパリに戻り、ピエール・ボナールやモーリス・ドニにゴーガンの教えを伝えた。これがナビ派の誕生のきっかけだ。

  • 「森の中の4人のブルターニュの少女」<br />ポール・セリュジエ (1864年-1927年)<br />1892年<br />そのセリュジエの作品。

    「森の中の4人のブルターニュの少女」
    ポール・セリュジエ (1864年-1927年)
    1892年
    そのセリュジエの作品。

  • 「雌鶏と少女」<br />モーリス・ドニ (1870年~1943年)<br />1890年<br />ナビ派はどことなく可愛い。ゴーガンを師と仰いだナビ派のモーリス・ド二。日本美術の影響と思われる縦長の絵。よく見ると、署名も縦書きだ。

    「雌鶏と少女」
    モーリス・ドニ (1870年~1943年)
    1890年
    ナビ派はどことなく可愛い。ゴーガンを師と仰いだナビ派のモーリス・ド二。日本美術の影響と思われる縦長の絵。よく見ると、署名も縦書きだ。

  • 「踊る女たち」<br />モーリス・ドニ (1870年~1943年)<br />1905年<br />可愛い。<br />モーリス・ドニと言えば、「セザンヌ礼賛」を描いた画家。「セザンヌ礼賛」はオルセー美術館所蔵だが、いつか日本に来ないかな。

    「踊る女たち」
    モーリス・ドニ (1870年~1943年)
    1905年
    可愛い。
    モーリス・ドニと言えば、「セザンヌ礼賛」を描いた画家。「セザンヌ礼賛」はオルセー美術館所蔵だが、いつか日本に来ないかな。

  • 「小道の聖母マリア」<br />ケル=グザヴィエ・ルーセル (1867年-1944年)<br />1890-92年頃<br />こちらもゴーガンを師と仰ぐナビ派のルーセル。<br />やっぱりなんか可愛い。

    「小道の聖母マリア」
    ケル=グザヴィエ・ルーセル (1867年-1944年)
    1890-92年頃
    こちらもゴーガンを師と仰ぐナビ派のルーセル。
    やっぱりなんか可愛い。

  • CAFÉ すいれん<br />美術館のカフェレストラン。中庭を眺めながら、コーヒーで一服しよ。ああ、疲れた~。

    CAFÉ すいれん
    美術館のカフェレストラン。中庭を眺めながら、コーヒーで一服しよ。ああ、疲れた~。

  • 夜はカブス対ドジャース(東京ドーム)の開幕戦があった。テレビで大谷翔平の活躍を見なきゃなので、お酒は飲まずに早く帰った。

    夜はカブス対ドジャース(東京ドーム)の開幕戦があった。テレビで大谷翔平の活躍を見なきゃなので、お酒は飲まずに早く帰った。

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