2025/02/28 - 2025/02/28
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SamShinobuさん
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目黒区美術館では「中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写 チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅」が開催中だったので、テンペラについて学ぼうと訪れた。
そこから徒歩で荏原畠山美術館まで行き、「琳派から近代洋画へ―数寄者と芸術パトロン 即翁、酒井億尋」を観賞。
夕方からは、横浜で映画「アンダーニンジャ」を観て、夜は野毛でJAZZライブを聴きながら酔った、充実した1日だった。
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目黒川
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シーズンになると大賑わいになる桜並木。
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平和祈念「花の影」朝倉文夫
目黒区美術館の手前にあった朝倉文夫の彫像。朝倉氏の野外彫像は数多くあるが、その中でもしなやかに伸びやかに両手を空に広げるこの像は、ダイナミックな美しさに見応えを感じる。しかし、このモデルを務めた女性はさぞかし腕が疲れただろうなあ。
1922年の第4回帝展に出展。ここには1990年に建立された。 -
目黒区美術館
目黒駅から徒歩10分。 -
「中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写 チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅」
観覧料900円
一部を除き撮影禁止。 -
石原靖夫
シモーネ・マルティーニの「受胎告知」(1333年、ウフィツィ美術館蔵)の復元模写(1972~1978年) 。
これは撮影可。 -
マルティーニが行った手順で、材料・素材もできるだけ当時のものを使い、6年の歳月をかけて制作した。
テンペラ画は油彩画よりも明るくて鮮やかな色を発している。 -
大天使ガブリエルの部分拡大。
大天使ガブリエルがいきなりマリア様のところにやって来て、「おめでとう。あなたは神の子を身籠りました」と告げる受胎告知の場面。
ユリの花は純潔の象徴なので、処女懐妊を表している。 -
妊娠したと告げられて、まだ男を知らないのに「んなバカな!」と驚くマリア様。どことなく浮かない顔をしているのは、婚約者のヨセフになんて説明しようかしらと悩んでいるのかな?
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西洋画の技法について
絵画は、支持体(壁、板、紙、キャンバス等)に顔料を定着させる芸術だが、顔料を定着させるには溶剤や固着剤が必要になる。溶剤・固着剤には、水、漆喰、卵、油、ニカワ等が用いられ、それらと支持体との組み合わせで、様々な技法が生まれた。
①フレスコ画
壁画に多い。まず壁に漆喰を塗り、そこに水で溶いた顔料を使って絵を描く。問題は漆喰が乾く前に素早く絵を描かなければならない。筆の遅いダ・ヴィンチはフレスコが嫌いだった。「最後の晩餐」は乾いた漆喰にテンペラで描かれたため、すぐにボロボロになってしまった。
②テンペラ画
油彩画が発明されるまで西洋画の主流を占めていた技法。
壁画ではなく板絵などに使われた技法で、木の板に顔料を定着させるために主に卵、ニカワ等を使った。
③油彩画
15世紀になると、卵の代わりに油を使う方法が発明された。ヤン・ファン・エイクが完成させた油彩画の誕生だ。そして油絵は木枠に厚手の布を張ったキャンバスに描くのが一般的になる。
④水彩画
水を溶剤として使う絵具で描かれた絵。紙に描かれることが多い水彩画は物理的に弱いので、耐久性に問題あり。
このように西洋画の技法としては、フレスコ画、テンペラ画、油彩画、水彩画等があるが、今回の展示はテンペラ画についてスポットを当てている。
ちなみに日本画は、鉱石などの岩絵具を顔料として、ニカワなどの固着剤と混ぜて和紙に描いたもの。水墨画も、墨の原料は煤とニカワを混ぜたものだ。 -
テンペラ画
テンペラ画は、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」など数多くの名作がこの技法で描かれていたが、15世紀になると油彩画の出現によって絵画技術の表舞台から退いてしまう。
20世紀に入ると、アンドリュー・ワイエス(1917~2009年)らがテンペラで多くの名作を制作し、再びこの技法が注目を浴びるようになる。 -
石原靖夫(1943年生れ)は、1970年からイタリアで黄金テンペラの技法を学び、6年かけてシモーネ・マルティーニの「受胎告知」の復元模写を完成させた。前掲のマリア様が懐妊を告げられる絵だ。それから石原は長年にわたりテンペラ画という古典技法の普及に努めている。
1400年頃に書かれた画家チェンニーノ・チェンニーニの「絵画術の書」は、絵画の技法が記された歴史的文献で、テンペラ画についても当時の技法が記されている。日本では中村彝が最初に日本語訳を試みたようだ。1991年に石原も翻訳者として参加し、岩波書店より『チェンニーノ・チェンニーニ 絵画術の書』が出版された。 -
砦
石原靖夫 1988年
卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地) 個人蔵
石原靖夫はテンペラ技法によるイタリアの風景をテーマに、いくつもの作品を生み出している。 -
古都 フィレンツェ
石原靖夫 2024年
卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地) 個人蔵 -
輝く森
石原靖夫 2025年
卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地) 作家蔵 -
パッラーディオの町 ヴィチェンツァ
石原靖夫 2006年
卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地) 個人蔵 -
スパゲティダン
荏原畠山美術館に向かう途中、目黒駅の近くでランチ。
この店、アド街系の情報番組でよく見かけるので、一度行ってみたいと思っていた。初訪店だ。
1976年創業なので、50周年になる。
開店時間の11:30ちょうどに着くと、すでに7~8人待っている。狭い店内はあっという間に満席になり、さすが有名店だけある。 -
たらこウニイカスパゲッティ1,280円
レモンサワー500円
を注文。ちなみに家でもよく作るのが、たらこウニイカスパゲッティだ。大好物なので楽しみにしていたが、期待通り美味しかった。レモンサワーの清涼感にも合い、あっという間に完食。 -
味変が楽しい辛味調味料たち。
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荏原畠山美術館
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白金台の日本庭園に囲まれて建つ美術館。
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畠山記念館は荏原製作所を創立し、実業界で活躍した畠山一清が1964年に設立した。
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「琳派から近代洋画へ―数寄者と芸術パトロン 即翁、酒井億尋」
琳派の名品が勢揃いする展覧会。
当日券は1,500円だが、オンラインチケットを買っておいたので1,300円。 -
展示室の撮影は禁止。
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数寄者だった畠山一清(1881年~1971年)のコレクション。
数寄者(すきしゃ)とは、明治以後の財界、政界の著名人で、茶の湯を趣味とする名物道具の収集家を指す。
畠山一清は、即翁(そくおう)のお茶名を持っていた。 -
畠山一清(即翁)像は、平櫛田中(ひらくし でんちゅう)の作品。片膝立ててこちらを威圧するような風体は、さすが明治の実業家といった感じ。
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躑躅図(つつじず) 尾形光琳 重要文化財
尾形光琳は1704年~1708年の間、京都を離れ江戸で暮らしていた。京都で作った借金を返すため、江戸に出稼ぎに来ていたのだ。
光琳は30歳で父親から莫大な遺産を相続するが、この放蕩息子は10年で使い果たしてしまった。女遊びも激しく、弟の尾形乾山からも借金する始末。光琳が真剣に絵を描き始めるのは、お金に困ったからだ。「紅白梅図屏風」のような国宝も、光琳がお金と女にだらしなかったおかげで生まれたのかもしれない。
この「躑躅図」は、江戸でパトロンの酒井家のために描いた。光琳にしては装飾的なデザインではなく、水墨画のような抑えた色調と構図が秀逸。それによって赤白のつつじを強く印象づけている。
(画像はフライヤーより) -
立葵図 尾形乾山
紅白の立葵の鮮やかさと直線的に伸びた茎の構図が印象的だ。光琳兄と乾山弟は、ともに好んで立葵を題材にした絵を描いている。
(画像はフライヤーより) -
十二ヶ月花鳥図 一月「梅椿に鶯図」
酒井抱一(さかいほういつ)
酒井抱一は光琳に魅せられて、およそ100年後に江戸で琳派を再興した。
抱一が模写した光琳の「風神雷神図」が観たかったが、前期展示だったので残念ながら会えなかった。その代わりと言ってはなんだが、「十二ヶ月花鳥図」全12幅が展示されており、これがめちゃくちゃ素晴らしかった。1月から12月まで、それぞれの季節の花と鳥の組み合わせが分かりやすい「美」となっていて実に楽しい。 -
向日葵図 鈴木其一
鈴木其一(すずき きいつ)は、江戸琳派の祖である酒井抱一の弟子かつ後継者。
琳派とは、俵屋宗達の作品を100年後に見た光琳が師と仰いで模写し、さらに100年後に酒井抱一が、光琳を模写して受け継がれた私淑の流派。 -
静物 中村彝 1924年
中村彝絶筆と言われている作品。
新館では畠山一清の甥の酒井億尋(おくひろ)の近代洋画コレクションが展示されていた。
(画像はフライヤーより) -
ショップ
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茶室
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ムービル
高輪台から横浜まで電車で30分。相鉄ムービルにある映画館で、「アンダーニンジャ」を観た。
2023年にオンエアされたテレビアニメ「アンダーニンジャ」(全12話)を観ていたので、実写版の監督が福田雄一と知った時は思わずほくそ笑んだ。
福田雄一監督は、2011年からテレ東の超低予算ドラマ「勇者ヨシヒコシリーズ」で、当時全く無名だったムロツヨシや佐藤二朗を起用し自由にアドリブをやらせた結果、2人をブレイクさせた張本人だ。そんな「ヨシヒコ」も面白かったが、福田雄一の最高傑作はムロツヨシと永野芽郁が共演したテレビドラマ「親バカ青春白書」だろう。娘(永野芽郁)が心配なあまり、同じ大学に入学して娘と同級生になる小説家(ムロツヨシ)の話で、全シーン大爆笑の連続だった。
「アンダーニンジャ」は、福田組常連のムロツヨシや佐藤二朗が例によってふざけ過ぎているが、ヒロインの浜辺美波のコメディエンヌぶりが楽しいおバカ映画だ。 -
すみれ 横浜店
2019年に野毛でオープン。今回、初訪店だ。
さすが有名店だけあって行列ができている。さあ、頑張って並ぼう。と気張ったが、回転が速くすぐに入店できた。 -
20代の頃、毎月仕事で北海道に出張していた。トータル50回以上行ったと思う。行くと必ずメーカーや代理店の方が、美味しい店に連れて行ってくれたが、純連(じゅんれん)もその一軒だった。
案内してくれた方曰く、「この店、客が増えて困ると言って、案内も出さずに、わざわざ分かりにくいとこに移転するんだよ」
それまでも美味しい味噌ラーメンの店は何軒も教えてもらったが、純連は味噌ラーメンの概念を覆す旨さがあった。口の中をやけどするほど熱かったが、フーフーする暇も惜しいくらい夢中で麺を啜った。それから何度か連れて行って貰ったが、北海道出張が終わってしまい、残念ながら食べるチャンスがなくなってしまった。
ところが1994年に新横浜にラーメン博物館が出来た時、なんとあの純連が出店したと知る。めちゃくちゃ嬉しくてすぐに食べに行ったが、店名の純連(じゅんれん)を「すみれ」と読ませていることが不思議だった。また、あれほど頑固だった店主が、ラー博に店を出したことにも違和感を覚えた。
今回、野毛の純連(すみれ)に行ったついでに調べてみたところ、30年以上前の謎が解明されてスッキリした。 -
純連(すみれ)は1964年に札幌で創業した。1982年に一度閉店するが、翌年再開する時に純連(じゅんれん)と読み方を変えたそうだ。1987年に店主の長男が純連(じゅんれん)を引き継ぐと、続いて三男も別のラーメン店をやることになった。三男のほうは、店名を純連(すみれ)にして開業。だから読み方の違うふたつの「純連」がある訳だ。僕が行っていたのはちょうどその頃で、長男のほうの純連(じゅんれん)に通っていたことになる。
ラーメン博物館へは、弟が兄を超えたいという思いで、純連(すみれ)を出したという。ふたつの純連の味は似ているが違いはあるとのこと。でも、何も知らずにラー博で純連(すみれ)の味噌ラーメンを食べた時は、相変わらず口の中をやけどしながら、「そうそう、この味!」と有難がっていたのだから、基本的には一緒だと思う。
ちなみに純連(じゅんれん)は、三代目が札幌で初代の味を守りながら営業しているそうだ。 -
味噌ラーメン1200円。
最初の一口はやっぱり熱いが、さすがに体が覚えていたのでフーフーしながら食べて、やけどはしなかった。
うん、この味。やっぱ独特だなあ。旨いラーメン屋がめちゃくちゃある今でも、この味噌ラーメンは唯一無二だ。ちょっと懐かしくて涙目。 -
大島コーヒー
野毛のジャズバー。
最近よく聴きに行く奥野裕太君(sax)のリーダーバンドのライブに来た。 -
清水方代さん(vo)は久しぶりだが、「確か、前回は息子さんと聴きに来てくれましたよね」と何年も前のことをよく覚えていてくれた。
太田希さんは、銀座の「月のはなれ」で何度か聴いたギタリストだ。他のメンバーは菊地雅之さん(p)、 日向克典さん(b)。 -
「'S Wonderful」
「Alice wonderland」
「Isn't she lonely」
「Over the Rainbow」
「コーヒールンバ」等、
ご機嫌なナンバーを乗りよく歌い上げてくれて、心地良いひと時を過ごせた。 -
こうして桜木町の夜は更けてゆきました。
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