
2023/07/23 - 2023/07/23
234位(同エリア912件中)
やまたまさん
この旅行記スケジュールを元に
氷川神社は埼玉県や東京都を中心に約280社ある神社ですが、武蔵一宮 氷川神社はその総本社で、初詣には毎年200万人以上が訪れる関東屈指の参拝者数を誇ります。
そんな氷川神社を、初詣の季節ではない時期にのんびりと参拝。
日本一長いとされる参道を抜けつつ、大宮の街の歴史や氷川神社の成り立ちなどを紐解きながら歩いてみました。
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イチオシ
こちらが武蔵一宮 氷川神社の「一の鳥居」で、氷川参道の入口にあたる場所です。
氷川神社の最寄り駅はJR大宮駅か東武鉄道の大宮公園駅。なのですが、一の鳥居の最寄りはというと大宮駅隣のJRさいたま新都心駅となる。
つまり、一の鳥居から境内までは約一駅分歩くことになるんですね。
そんな約2㎞にわたり真っ直ぐと伸びる参道は、日本一の長さだと言われています。 -
この氷川参道は、江戸時代初期は一部が中山道と供用されていた。
これを「参道を街道とするのは恐れ多い!」とされ、関東代官の伊奈忠治が西側に新たに道を開削し、中山道を付替えた。
宿や家屋も新中山道沿いに移転され、そこに宿場町・大宮宿が誕生。
これが現在の大宮の町割りにも繋がっており、伊奈忠治は大宮の街の祖とも言われます。 -
明治時代までは参道は杉並木だったそうですが、現在はケヤキを中心とした並木道に様変わり。
全部で約30種・680本の樹木があり、そのうちの23本が市の天然記念物に指定されている。 -
歩みを進めて、二の鳥居手前の氷川神社の石標。
地元の地名から大宮氷川神社とも呼ばれますが、その”大宮”の地名自体も「大いなる信仰を集める宮のある地」の意に由来するそうですよ。
大宮は門前町だったんだな、と改めて思いつつ参道を進みます。 -
イチオシ
そして、両脇を狛犬が固める大きな朱色の「二の鳥居」が現れると、参道も半分を過ぎた辺り。
大宮駅から氷川神社に向かうとここが参道入口になるので、「これが一の鳥居でしょ」って思う方も多いのでは?これは氷川神社あるあるだと思います(苦笑)。
木造で存在感のある二の鳥居は、元々は明治神宮の大鳥居だったもの。
樹齢1200年以上の檜で造られたもので、昭和51年にこちらに移設されました。 -
参道沿いにある「氷川だんご」では、名物の氷川だんごをはじめ、軽食も頂けます。
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「氷川の杜文化館」なる施設があり、門の先に涼し気な竹林が続いていた。初詣の際には、この様な施設があるのには気づかなかったなあ。
茶道や華道などの芸術・文化活動のための施設らしいですね。氷川の杜文化館 名所・史跡
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そして、三の鳥居を抜けると境内に入ります。
氷川神社の参拝は、初詣や隣接する大宮公園での花見などの時がやはり多かった。
シーズンオフの参拝は初めての気がしますが、参拝者も少なく、落ち着いた雰囲気なのもまた良しですね。武蔵一宮氷川神社 寺・神社・教会
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境内入ってすぐ左手には「戦艦武蔵の碑」。
戦艦武蔵は、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦ですが、艦名は武蔵国からとられ、艦内には氷川神社を分祀した武蔵神社が祀られました。
昭和17年に広島県呉で竣工式がおこなわれた際には、氷川神社より神職が出向したとのこと。 -
進んで行くと朱色の太鼓橋が現れ、その先にはチラリと楼門も見えてきます。
ところで、埼玉や東京に多くある氷川神社ですが、荒川流域を中心に分布しているという特徴があります。
”氷川”は出雲の国の斐伊川(ひいかわ)に由来すると伝わり、出雲の斐伊川に見立てた荒川を畏敬の念で信仰したのが氷川信仰の始まりだったようです。
自然との関わりが深い神社なのですね。 -
太鼓橋から見た神池を望む。
さいたま市南部の一帯には、江戸時代初期まで巨大な沼「見沼」がありました。見沼は古代の海の名残りでした。
江戸時代中期より干拓されて田んぼに変ってゆきますが、この神池はその見沼の名残だと伝わる。
ここはもしかしたら古代の海の一部だった場所かも??そう考えると歴史ロマンを感じますねぇ。
ちなみに現在の神池はお世辞にも水質が良さそうに見えませんが、なんと戦前はホタルの名所だったんですって。現在からはちょっと想像できませんが。。。 -
イチオシ
太鼓橋を渡った先には朱色が鮮やかな、氷川神社のシンボル「楼門」が立っています。
こちらの門前は、氷川神社における記念写真の人気No.1スポットですよ。七五三の季節には、カメラを前に千歳飴を持ってポーズを決める子供の姿に良く出会う(笑)。
楼門をはじめ社殿及び建築物の多くが、昭和15年に建て替えられたもの。 -
一の鳥居からは長い道のりでしたが、ようやく境内の社殿にたどり着きました。
鮮やかな楼門や太鼓橋とは対照的に、拝殿・本殿は落ち着いた雰囲気の建物だ。
氷川神社の創建は第五代孝昭天皇3年とされ、およそ二千年の長い歴史を持つ古社です。 -
御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の三神で、夫婦神とその御子神となる。
御神徳は、国家安泰・開運招福・厄除け・商売繁盛・交通安全・縁結び・安産など、幅広い。
古来より朝廷や武将からの崇敬を集めましたが、特に徳川将軍家からの保護は篤かったようです。 -
社殿脇にあったのは、江戸時代に力自慢の若者たちが担いだ「力石」。
石を担いで本殿の回りを一周できたら、名前を刻んで御神前に奉納できるという習慣だった。
一見、埼玉銘菓の十万石饅頭みたいな可愛らしい形ですが(県民ネタですまんっす、笑)、手前の六拾貫というのは約225kgだったりします、重っ! -
ごつい力石とは対照的な可愛らしいこちらは、「ふくろ絵馬」というもの。
願い事を書いた絵馬を、色とりどりの袋に入れて願掛けします。
大宮氷川神社オリジナルのもので、個人情報保護観点のニーズに応えるとともに、SNS映えしそうな見た目の可愛らしもあるという一挙両得のナイスアイディアです! -
社殿参拝の後は、社殿の裏手にひっそりとある「蛇の池」へ。
古来より地中深くから水が湧き続けているという神秘な池で、かつての見沼の源泉の一つとだと伝わります。こちらも歴史ロマンを感じるスポットですねえ。 -
神池周辺に集まっている境内社をめぐる。
神池の正面に鎮座するのは、京都の松尾大社を総本社とする「松尾神社」。
御祭神の大山咋命(おおやまくいのみこと)は、水の神ともお酒の神様ともいわれる。いつも大変お世話になっております。 -
池に向かって突き出た場所にある「宗像神社」。
御祭神の多起理比売命(たぎりひめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・田寸津比売命(たぎつひめのみこと)の三女神は、氷川神社の祭神である須佐之男命の御子神にあたる。
やはり水にまつわる場所を中心に祀られる神様とのこと。 -
朱色の小さな鳥居が続くのは「稲荷神社」。
須佐之男命の御子神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が、食物の神として祀られています。
以上で氷川神社の参拝は終了です。 -
神社を取り巻く北側から東側にかけては、大宮公園が広がっています。
元々は氷川神社の社地でしたが、明治時代に埼玉県で初めての県営公園として整備されました。
運動施設が多くある他、約千本の桜が植えられてる県内屈伸の桜の名所でもある。大宮公園 花見
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帰りにちょっとお目当ての立寄りスポットがあるので、参道を少し戻っています。
途中、二の鳥居近くにある「さいたま市立博物館」に立ち寄り。さいたま市立博物館 美術館・博物館
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こちらでは、さいたま市の歴史関係の資料が展示されてる。
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明治末から大正時代の氷川神社の境内図がありました。
この頃はまだ、周囲に畑が広がっていたんですねえ。 -
はい、立ち寄りたかった場所は二の鳥居からも近い、こちら。
さいたま市初となるクラフトビールの醸造所「氷川ブリュワリー」。「氷川の杜」というビアパブが併設されています。一度来てみたかったんだよね、ここ。
醸造所というと工場的なイメージを思い浮かべますが、こんなコンパクトな場所でもビールってつくれるんですね。氷川の杜 グルメ・レストラン
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入口付近にはタンクみたいな銀色の醸造器具がありました。
ビアパブはカウンターがメインのこじんまりとした感じだった。 -
カウンターには、ビールの原料である麦芽が置かれていた。
「晶(AKIRA)」というアメリカンペールエールを頂く。クセがなくフルーティーで飲みやすいですね。美味いわ。
氷川ブリュワリーのビール造りは、「地域の誇れる名産品づくり」の思いから始まったとのこと。名産品としての発展を応援しつつ、また立ち寄らせてもらいます!
以上、最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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