2022/07/23 - 2022/07/26
766位(同エリア1038件中)
TATAさん
少し前の話ですが英国駐在時代の旅行記を思い出せる範囲で作成してみました。今の話ではないのでご覧いただく方には最新のネタではないかもしれないので申し訳ないですが。
私、数年前まで英国に単身赴任していました。コロナに翻弄された時期もありましたがその時の旅の記録です。
欧州は出張も含めてあちこちに行きましたがその中でも最も強く印象に残っている2022年夏に行ったボスニア・ヘルツェゴビナからです。
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ロンドンのルートン空港を早朝出発。コロナ後の旅行熱沸騰中の欧州。出国カウンターはどこも長蛇の列と聞いていたのですが中東欧行きが多いWizzには無縁。EasyJetやRyanはすごいことになってたのを尻目にあっという間に出国手続も完了し、空路2時間半でサラエボ空港に。
タクシーでサラエボ市内まで。
最初の写真は第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の舞台となった場所からです。 -
まさにこの場所ですね。100年以上前の出来事です。オーストリア・ハンガリーの皇太子であるフランツ・フェルディナンドが襲撃された場所です。
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その向かい。ミリャツカ川です。
ちなみにこの日の最高気温は35度。あっつー。 -
ラテン橋を渡った先にあるスーパーとパン屋さんで少し食料を調達。
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最初の食事は典型的なボスニアキュイジーヌです。
ホテルの前のレストランでチェバピを食す。ドリンクと合わせて11マルク、約800円。
ハンバーグのようなお肉をパンで挟んであるもの。玉ねぎがいいアクセントです。お味はうーん、肉々しいというのか、重たい、もたれる。若い人向けの肉料理ですね。
バルカン半島の国はアルバニア、ブルガリアに続いて3カ国目ですが、やっぱりトルコ料理の影響か、焼いたお肉をどうこうしてというのが多い印象ですね。
その時読んでた小説も一緒に。 -
サラエボのランドマークであるバシュチャルシャへ。トルコ、中東風の街並み。まあ欧州っぽくないですよね。この文化の混在こそまさにバルカン的だなあと
バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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鳥が舞うー。
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こっちも。迫力十分。
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この独特の風情を楽しみながら、すりが多いとの話でもあったので背中のリュックを気にしつつ商店街を抜けていく。
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商店街の景色
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モスク風の建物にぶつかる。これがガジ・フスレブベグという中世文化の博物館。3マルクを払って入場。小さい博物館ですが、サラエボに教育や文化をもたらしたトルコの偉人としての紹介。
ガジフースレフベイモスク 寺院・教会
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こう見ると、この国はキリスト教の国ではなく、イスラム文化を第一にした国ということがよく分かる。その点では明らかにアルバニアとはイスラム教浸透のレベル感が違う。
逆によく周辺と異質なこの国がユーゴ構成国として成り立っていたもんだと驚く。 -
てくてく歩くとキリスト教の教会。イスラム教のモスクからほんの少しの距離。
この向かいのATMでお金を下ろそうとしたところ数分カードが出てこなくて一人パニックになりました。こんなプチトラブルも旅の思い出ですね笑 -
サラエボ紛争を取り扱った博物館であるギャラリアへ。なんと日本語のオーディオガイドもあるのです。
不思議とこの国では日本の存在感を感じることがこの後もあるのですが、それはまた後程。
この博物館では写真は残してません。サラエボ紛争はイスラム教徒であるボスニア人とキリスト教徒であるセルビア人とクロアチア人の紛争。それがユーゴ崩壊による国家間の独立紛争と絡んで相当複雑な構図。これってほんの20数年前の出来事なのです。
ここの展示のハイライトは、セルビア人部隊に囲まれたスレブニツァの悲劇。本当に衝撃的な展示の数々でした。
この後ホテルに戻り就寝。 -
さて、2日目です。今日はヘルツェゴビナ地方へのデイトリップ。世界遺産のモスタルにも行きます。宿泊のホテルにお願いして地元のツアー会社で申し込み。
参加者はブラジルの女性、カナダの女性、サウジアラビアの男性、トルコの女性、オランダの女性が2人に私の計7名にガイドさん。
最初に自己紹介したんだけどお互いに名前を全く覚えられないので皆国の名前で相手を呼ぶように(笑)。私はミスタージャパンって呼ばれてた。なんだそりゃだけど。 -
サラエボからバスで1時間弱。最初の停車地はKonjic(コニッチ)。川沿いの小さな集落です。
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穏やかな風景。橋も周りの景色に映えますね。この古い橋はトルコの援助で建築されたものだそうです。
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イチオシ
バスは徐々に山間に。景色がやたら美しいのだけど、植生が日本に似てませんか。
この辺りは山も険しく、その分、水も豊かなんですよね。まるで日本の山村のように感じるのは私だけ? -
水量の豊かな川も流れてます。
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次に向かったのはBlagaj(ブラガイ)のデルビッシュ寺院。イランの高僧デルビッシュがイスラム教を伝え、山の中でコミュニティを成立させたという場所。ここもやはり豊かな水の湧き出る場所。水が出るところに人が集まり、社会が作られるというガイドの話に頷く。
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解説書です。
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この険しい岩山の麓を皆で歩いていくのですが、一人、また一人とはぐれていく(笑)。
結局、カナダさんとブラジルさんが集合時間に20分ほど遅れる。それでも皆んなフツーに喋りながら待ってる。ガイドさんは探しにも行かない(笑)。 -
この辺りから気温がさらに上がって40度に!山間の盆地なんだよな。そりゃ気温上がるわ。
14時過ぎにKravice(クラビッツェ)の滝へ。多分、暑さはこの時点がピーク。車外の気温は42度に。
結構な長さの階段を下りて皆滝で泳いでいるのを横目にハイキング。ただ景色は本当に美しい。自然が作った景観ということもそうですがその豊かな湧き水が醸し出す風景に驚く。こんな景色がヘルツェゴビナの山奥にあると知ってる人など殆どいないはず。
楽園というのはここですか、とつい独りごちてしまう。ホントそのくらい素晴らしい景色。私これ以上に美しい景色をこの先見れないんじゃないかと思うほどでした。クラビカの滝 自然・景勝地
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みんな泳いでる。涼しそう、、。
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いつまでもここにいたいと思いながらもバスツアーは続く。暑さにぐったりしながらバスに戻る。
ここではオランダの二人が15分ほど遅れた。 -
16時過ぎにはPocitel(ポチテリ)に到着。
ここはバルカン半島南部に押し寄せたトルコの軍勢を押し返した砦跡の町。ただ砦は結構な丘の上で、40度超の環境下、そこまで登りたいという人はもはや皆無(笑)。中腹のモスクに行っただけで皆もうここはOKと次へ行こうと。体力不足の多国籍バスツアー参加者達。
私もここの写真は一枚だけ。体力の限界だったのでしょう。途中まで頑張ったけど断念して下の商店でアイスクリーム買ってブラジルさんと喋ってた。
その後、最も上まで行ったトルコさんが皆からの賞賛を得る。
ここではオランダさんの一人が集合時間に遅れる。 -
そのモスクですね。
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そして最後に行くのがおそらく皆が一番のお楽しみとしてたMostar(モスタル)。ここは景観の美しさと歴史的な発展の経緯で世界遺産にもなっている町です。
この橋の光景が特に知られてますよね。
橋の上から何人もが飛び込んでた。やたら暑いものね、、。スターリモスト橋 建造物
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石畳の商店街も風情があります。でも16時過ぎでも35度超。ちょっとなあ、、。
モスタル旧市街の古橋地区 旧市街・古い町並み
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橋の上からの一枚。
地球の歩き方に出てきそうな写真が撮れたぞ。 -
商店街練り歩きその1。この辺りで皆はぐれる、もはやいつものこと。ガイドさんも何も言わない(笑)。
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その2
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暑くて喫茶店でアイスクリームを食べながら絵葉書を書くことにしたのだけど汗で腕がぺちゃぺちゃして字が書けない泣。
ここではトルコさんが遅れた。結局一度も遅れなかったのはサウジアラビアさんと私のみとして皆からお褒めの言葉をいただく。さすが日本の人ねと。しっかり日本人のブランドを微力ながら保持できたのだと胸を張ってみる(笑)。
この後、サウジアラビアさんがツアーの思い出として皆んなに中東の代表的なお菓子のバクラバを振る舞ってくれました。こういうのもいいですよね。
皆ヘトヘトになりながらそこから2時間半かけサラエボに戻る。夜9時解散、実に13時間のハードなバスツアー。これで65ユーロは安いと思うのです。 -
3日目、明日の早朝便で帰るので実質今日が最終日。今日もツアーです。その名もユーゴの落日(Fall of Yugoslavia)半日ツアー。トンネル博物館とか、ダークツーリズムですね。
参加者は15人。このくらいだと参加者同士で話さなくていいのである種気楽ではあります。 -
まずはガイドの方からこの国の歴史の説明をいただく。自身はムスリムのボスニア人との話。
向かったのはYellow Fortress。ここは中世に置かれた山の中腹の砲台跡。ここから見えるサラエボ市内を眺めて、三民族がどのように生活していたかの説明。ユーゴの時代は平和に暮らしていたと。 -
さらにオリンピック公園跡に向かう。ここにある建物を見れば当時何があったのか分かるはず。銃弾の痕も無数にあり、激しい戦闘があったことが一目でわかる。
ガイドの方が16歳の時にサラエボで紛争が始まり、毎日泣いてばかりの生活だったと。戦争を避け、クロアチアのザグレブへ。さらにその後パリへ移住し復興の仕事に携わることになった。筆舌に尽くしがたい体験。そして今はその時の出来事を伝えるためこのツアーガイドをしていると。 -
そしてバスはトンネル博物館へ。ここは紛争時、サラエボ空港横の民家に避難したボスニア人が水や食料を調達するために掘られたトンネル跡。
すでにトンネルそのものは一部を除いて残っていないのですが、やはりボスニア内戦の象徴的な建物ということで展示物は土曜に行ったギャラリアと同様に衝撃の大きなものが並ぶ。サラエボ トンネル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1984年に行われた冬季オリンピックのボブスレー会場跡地。ここも戦争の舞台になった場所。オリンピックが行われ、そこが戦場となったのはサラエボだけという言葉が響く。
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オリンピック会場からの帰り道。祈りのグラフィティです。
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オリンピック会場後から山の下へのロープウェイ。スキージャンプの会場だったのかな。
素敵な景色ですが、複雑な感情でないまぜになりました。 -
その後、15時過ぎにツアー終了。
遅い昼ご飯を食べる。ドルマというお肉を葉っぱで巻いたもの。おいしいのだけど、またもや肉々しくて食後もたれる。若くないのでもう少し考えてご飯食べないとなあ。
この日のガイドさんと少し喋った。
このツアーガイドをして数年になるが今日初めて日本人が参加してくれた(私のことですね)。パリで紛争後の復興の仕事をしていた時、日本は遠い国なのにお金だけじゃなくて生活支援や復興に向けて様々な取り組みを熱心にしてくれた、私はいつか日本人にその感謝を伝えたかったんだと。
勿論ガイドさんなので誇張してくれてる部分はあるのでしょう。でもこの欧州の小さな国で日本のことを思ってくれている人がいることは私自身に強い印象を残してくれました。旅行後、数年経ってもいまだに強いままです。
美しい豊かな自然と生々しい紛争の傷跡。色んな意味で今回のボスニア・ヘルツェゴビナ旅行は記憶に強く残る旅となりました。日本から簡単に行ける国じゃないし誰にもおすすめできる場所じゃないけど、行くと色んな思いが去来することになる、そんな場所じゃないでしょうか。
最後にガイドさんの言葉から。
私は今日ボスニアの歴史として戦争を伝えた。皆さんがセルビアに行けばまた違った歴史があるはず。ぜひそちらにも機会があれば足を運んでもらいたい。そして皆さんで何があったかを考えてもらいたい。
旅行を通じて得難い体験を得た、そんな貴重な今回のボスニア・ヘルツェゴビナ旅行でした。
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