2023/08/20 - 2023/08/23
8064位(同エリア22980件中)
ピンクのスマフォさん
- ピンクのスマフォさんTOP
- 旅行記132冊
- クチコミ33件
- Q&A回答3件
- 200,727アクセス
- フォロワー44人
今回も阪急交通社の団体ツアーでの旅行です。
<1日目>
自宅===静岡駅 8:21####こだま703####9:53 岐阜羽島駅====花伊吹にて近江牛ステーキの昼食====伊吹山ドライブウェイ====神戸市内====18:00ホテル着(シーサイドホテル舞子ビラ神戸 泊 )
<2日目>
ホテル 9:00==== 菊正宗酒造記念館====出石そばの昼食====出石城下町散策====17:00湯村温泉着(浅野家 泊)
<3日目>
ホテル9:00====餘部鉄橋・空の駅====天橋立ビューランド(各自昼食)====大覚寺====嵐山の竹林小径====ブランド豚の夕食====19:30ホテル着(ザ・プリンス京都宝ヶ池 泊)
<4日目>
ホテル10:00====京都府立陶板名画の庭====「川床料理」の昼食====近江八幡の城下町を散策====中山道・醒ヶ井宿====名古屋駅19:08####こだま748####20:25静岡駅===自宅
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
8月20日(日)<1日目>
静岡駅から8:21発の新幹線に乗り、岐阜羽島駅に向かいます。 -
岐阜羽島駅に9:53到着し、観光バスで昼食場所に向かいます。
-
「鉃板ダイニング天満」という関ケ原グルメガーデンにある店で昼食です。
-
目の前で鉄板焼きのパフォーマンスが見られます。
-
メインの近江牛のステーキ。
-
最後にデザート。
-
昼食場所の近くに関ケ原の戦いの戦没者慰霊碑がある「宝蔵寺」がありました。
-
「関ケ原ウォーランド」という等身大の武将像で関ヶ原の戦いを再現するテーマパークもありました。
約1万坪の敷地内に関ケ原合戦の陣形図を凝縮し、200体以上のコンクリートの武将像で再現されているそうです。 -
伊吹山ドライブウェイを走って山頂へ向かいます。
-
30分位走って、9合目の駐車場に。
全長17㎞のドライブで、あっという間に標高1260mの山頂駐車場に到着しました。 -
駐車場からの眺め。
遠くに琵琶湖が見えています。 -
山頂に向かって少し歩きました。
-
時間もないので頂上まで登らず、途中で引き返しました。
-
伊吹山ドライブウェイ山頂駐車場に戻ると「古戦場おもてなし武将隊 関ケ原組」による演武が行われていました。
-
再びバスに乗り、山を下ってホテルに向かいました。
-
シーサイドホテル舞子ビラ神戸に到着。
部屋からは瀬戸内海とパールブリッジ(明石海峡大橋)が見えます。 -
落ち着いた感じの本館ツインの部屋です。
-
部屋からはライトアップされた明石海峡大橋が眺められました。
-
8月21日(月)<2日目>
手前に見える舞子公園は1900年、初の兵庫県立都市公園として開園されたました。
孫文記念館(移情閣)、旧武藤山治邸が見えています。 -
朝食。
-
2日目の観光は、菊正宗酒造記念館の見学からです。
-
館内には「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類を展示していて、ほぼ全てが「国指定重要有形民俗文化財」です。
入り口に一枚板の「菊正宗」大看板がありました。 -
昭和天皇が座った椅子が展示されていました。
-
様々な酒造用具を見ることによって、蔵人たちの仕事や生活、伝承の生酛造りが体感できます。
-
大きな酒樽が置かれていました。
-
作業の様子の写真が掲示されていました。
-
山間部を通って日本海側に向かいます。
-
おりゅう灯籠がバスから見えました。
これは、正式には船着場灯籠と言い、江戸時代の船着場の灯籠です。
灯籠は、夜間に舟の道しるべとなり、幕末までその役割を担いました。
現在は常夜灯として使用され、旧出石川の橋のたもとで江戸の船着場の風情を伝えています。 -
出石城山ガーデンで出石そばの昼食です。
-
昼食後は出石城下町自由散策の時間がとられました。
最初に出石城に上がってみました。
明治の廃城令によって建物は全て取り壊されましたが、野面積みの見事な石垣がそのまま残るほか、隅櫓や登城門、登城橋などが復元されており、往時の面影を偲ぶことができます。 -
出石城は慶長9年(1604年)、小出吉英(こいでよしふさ)によって有子山の麓に築かれたお城です。
1968年、本丸跡に隅櫓(すみやぐら)が復元されました。 -
城は有子山を背後に、上から稲荷郭、本丸、二の丸、三の丸とハシゴを立てかけたような「梯郭式(ていかくしき)」といわれる配置が取られています。
稲荷神社は築城時から現在の場所にあったと考えられていますが、城郭内のさらに本丸より上にあるのはとても珍しい構造です。 -
稲荷神社のある高台から望む出石のパノラマ。
かつて本丸のあった広場の向こうに、低い町家が軒を連ねる、出石ならではの町並みが広がります。
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、城下町の風情が守られています。 -
辰鼓楼は、出石城旧三の丸大手門脇の櫓台にある、日本最古と伝わる時計台です。
中心街には辰鼓楼を越える高さの建物がありません。
本体は1871年、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣として建てられました。
現在の時計台の姿となったのは、蘭方医の池口忠恕が大病した際、人々が病気快癒の願掛けをしてくれたお礼として、1881年に私費で機械式大時計を寄贈してからです。 -
但馬の小京都と呼ばれる出石は、この城の築城とともに整備され、五万八千石の中心として発展してきました。
-
日本屈指の高熱温泉で知られる「湯村温泉」。
「朝野家」は4つの源泉と豊富な湯量を誇り、美肌の湯として知られる430リットル/1分間、98.4度が自然湧出しています。
その温泉の恩恵を得るように、源泉から水を混ぜないように、4つのタンクで徐々に温度を下げているそうです。 -
老舗旅館らしく、到着すると抹茶と和菓子のおもてなしがありました。
-
部屋は落ち着いた感じの和室でした。
-
ホテルでの夕食。
-
8月22日(火)<3日目>
朝食。 -
1912年の完成から約100年間、JR山陰本線を見守り続けてきた余部(あまるべ)鉄橋。
2010年には新しくコンクリート橋に架け替えられましたが、JR餘部駅側の3本の橋脚は現地保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わりました。 -
<余部クリスタルタワー>は地上から余部鉄橋「空の駅」を繋ぐタワーで、約45秒で展望施設に到着します。
-
全面ガラス張りのクリスタルタワーは、鉄橋下が見られるのぞき窓で地上41mのスリルと日本海のパノラマが楽しめます。
-
軌道部が残されています。
列車走行時そのままのレール、枕木が見られます。 -
余部鉄橋「空の駅」。
-
余部鉄橋跡を歩くことができます。
-
余部鉄橋「空の駅」からの眺望です。
-
鉄橋の下に慰霊碑が建立されていました。
1986年12月28日余部鉄橋を、福知山発浜坂行下り回送列車が走行中、最大風速33m/sの突風で客車7両が約41m下に転落し、水産加工工場と民家を直撃しました。
車掌1名と水産加工工場女性従業員5名が死亡し、6名のけが人が出たそうです。 -
空の駅 駅長 リクガメのそらちゃんです。
神戸から余部鉄橋「空の駅」駅長にスカウトされ、駅長として頑張っています。 -
天橋立ビューランドにリフトに乗って向かいます。
文珠山山上にあり、天橋立を南側から一望できる展望所です。 -
天橋立の南側に位置し、最高のビュースポットの『天橋立ビューランド』。
天橋立の景観を正面から眺めることができ、砂州や宮津湾・阿蘇海の様子を楽しむことができるスポットです。
京都府北部、日本海の宮津湾にある『天橋立』は、宮城県の『松島』・広島県の『宮島』とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつです。 -
100分の自由時間となり、さて、どこに行こうかな。
とりあえず、山を降りることにします。 -
帰りもリフトに乗りましたが、モノレールも走っていました。
-
茶屋通りを歩いて行くと、天橋山智恩寺の大きな山門『黄金閣』が姿を表します。
建立されるにあたって後桜町天皇より頂いた黄金が名前の由来となってます。
智恩寺三門に掲げられた『海上禅叢』の扁額は海上に聳える禅の道場を意味しており、古来より俗界と隔絶された幽玄の地であったことがわかります。 -
山門をくぐり境内に入ると、まず左手に見えるのが「多宝塔」。
府中城主が自分の病気全快を感謝して建立されたものと伝えられています。
明応9年に建立されたもので、室町時代のものとして丹後地方唯一の遺構で、重要文化財にも指定されています。 -
文殊堂は本尊の文殊菩薩がお祀りされる、智恩寺の中心的な建物です。
江戸時代に宮津城の城主・京極高国によって改築されましたが、中央の四本の柱はそれ以前の元の建物の柱をそのまま使用しており、鎌倉時代にここを訪れた人々が書いた文字が残されています。 -
文殊地区から天橋立で繋がる府中地区へ天橋立観光船で向かう事にしました。
船に寄ってくるカモメにエサをやる人もいました。 -
これから乗る予定の府中側にあるリフトやケーブルカーが見えます。
-
観光船一の宮駅に到着しました。
-
元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)にやってきました。
-
伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれるそうです。
-
本殿は伊勢神宮と同様の神明造りで、勝男木は十本、千木は内そぎになっています。
心御柱や棟持柱があり、特に高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は、伊勢神宮正殿と当社以外には見られないもので、神社建築上貴重なものとされています。 -
神明造りの社は他にもありますが、規模・様式とも伊勢神宮御正殿の様式に近似している社は当社以外にはなく、伊勢神宮と当社が古代から深い繋がりにあったことを物語っているそうです。
これより内部は写真撮影禁止でした。 -
海抜130mの高台にある傘松公園へは、ケーブルカーに乗って約4分です。
-
天橋立の北側、府中地区にある傘松公園からの眺望は、天橋立が天に昇りゆく龍のように見えることから「昇龍観(しょうりゅうかん)」と呼ばれ、縁起がいい景色とされています。
-
傘松公園でのんびりしていたら、添乗員から「集合時間過ぎてますよ」との電話があり、慌てて高台から降りて、モーターボートに乗り、集合場所に向かいます。
-
集合時間に20分ほど遅れて皆さんと合流しました。
ツアーの皆さんにご迷惑をおかけしました。 -
午後からは大覚寺の観光です。
式台玄関は寺伝では江戸時代に京都御所より移築したものとされ、現在は特別な賓客訪問時などに使われるそうです。 -
玄関内部の障壁画には、狩野永徳筆の重要文化財「松二山鳥図」が描かれています。障壁画手前には、第91代天皇の後宇多法皇が使用した御輿が置かれており、御輿には後宇多法皇の御紋である「九曜菊」が施されています。
-
宸殿は江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。
正面には御所の名残りとして右近の橘、左近の梅を配しています。 -
宸殿正面の部屋「牡丹図」の襖絵は狩野山楽による筆で、天井様式には最も格式の高い折上小組格天井が用いられています。
-
紅梅の間を飾る襖絵「紅梅図」。
-
柳松の間。
-
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光にたとえ「村雨の廊下」と呼ばれます。
高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られて、床は鴬(うぐいす)張りとなっています。 -
宸殿から見る心経前殿(御影堂)、安井堂(御霊殿)、五大堂(本堂)。
御影堂は1925年建造で、大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を式後移築したもので心経殿の前殿にあたるため「心経前殿」と呼ばれます。
御霊殿は京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、1871年に移築したもの。
五大堂は江戸時代(天明年間)創建で不動明王を中心とする五大明王を祀ります。
大沢池のほとりに位置し、池に張り出すように観月台(濡れ縁)があります。 -
大沢池は周囲約 1kmの日本最古の人工の庭池で、嵯峨天皇が唐の洞庭湖を模して造らせたといわれています。
-
五大堂の授与所では、特別御朱印やお守りを販売していました。
-
大覚寺の心経前殿(御影堂)の南側正面に、石舞台をはさんで嘉永年間(1848~54)再建の勅使門があります。
門は四脚門、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付けています。
全体は素木造りですが、唐破風の部分のみ漆を塗り、鍍金の飾りを施しています。
勅使のご来山や門跡猊下出仕の晴れの法会など特別な時のみ開かれるそうです。 -
寝殿 は12 の部屋をもつ書院造りの 建物で、重要文化財に指定されています。
-
心経殿は大正 14 年に法隆寺の夢殿を模して建てられました。
嵯峨天皇をはじめ、(後の時 代の)後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格の六柱の天皇陛下直筆の般若心経が勅封と して奉安されています。 -
集合場所へ戻ります。
途中で見かけた野宮大黒天という神社です。 -
大山弁財天など神社が集まる地域を抜けていきます。
-
嵐山の竹林小径を通って行きます。
-
桂川にかかる渡月橋の袂に出ました。
集合場所に急ぎます。 -
集合した後、渡月橋の袂にあるレストラン嵐山で地元野菜とブランド豚の夕食です。
-
本日の宿、ザ・プリンス京都宝ヶ池に到着しました。
-
8月23日(水)<4日目>
ホテルを10:00に出発しました。 -
最終日の観光は「京都府立陶板名画の庭」からです。
ここは、名画を再現した陶板画を屋外の施設に展示するもので、世界で初めての絵画庭園です。 -
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」。
432cm×886cm ほぼ原寸大の大きさです。
ダ・ヴィンチが、ミラノで描いたもので、イエスが捕まる前の晩、12人の弟子たちと食事をとった情景を描いています。 -
ミケランジェロ作「最後の審判」。
1430cm×1309cm ほぼ原寸大の大きさです。
天才・ミケランジェロが、たった1人で、6年かけて仕上げた大作です。
大きすぎて、全体を写真に収めることが出来ません。
陶板画は1990年当時の状態を再現したものです。 -
スーラ作「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」。
205cm×305cm ほぼ原寸大です。
フランス新印象派の画家スーラは、無数に打った原色の点が遠目には混ざって見えることに気付き、点描派を確立しました。
この作品は、数ある点描派の作品のなかでの代表作とされています。 -
張澤端作「清明上河図」 。
台北故宮博物院蔵 35cm×1200cmの原寸を縦横2倍に拡大したものです。
張澤端の原画は損失しましたが、明・清時代の写しがいくつか残されています。
中でも台北故宮博物院所蔵の本図は、原画のすばらしさをよく伝えています。 -
ルノアール作「テラスにて」。
432cm×886cm で、100cm×81cmの原寸を縦横約2倍に拡大しています。
豊かな色彩で知られるルノアールですが、この作品では伝統的な描き方と彼の個性とのバランスがうまくとられています。 -
ゴッホ作「糸杉と星の道」。
92cm×73cmの原寸を縦横約2倍に拡大しています。
彼は、生前全く評価されませんでしたが、死後、その独自性が高く評価されました。
この作品にも、彼の独創的なタッチがいきています。 -
隣は、京都府立植物園 ワイルドガーデンという噴水のある公園となっています。
-
宮瀬富之 作 「麦藁帽子と少女の像」がありました。
少女の自然な姿勢と屈託のない表情が爽やかな感じです。 -
京都の奥座敷「高雄」にある「もみぢ家」で昼食です。
高雄は四季折々の自然の美しさを堪能できる景勝の地で、夏は京都市内より気温が3℃~5℃低く、夏の別天地ともいうべきところです。 -
専用の吊り橋を渡ると、清滝川の清流に張り出して作られた川床があり、せせらぎの音につつまれて、川床料理をいただけます。
-
あまりボリュームのない料理です。
-
鮎の塩焼きが出されて、何とか腹が満たされました。
-
またバスに乗り、大津SAで休憩です。
-
SAから見る琵琶湖です。
-
近江八幡の城下町を自由散策です。
近江八幡市立資料館(郷土資料館)。
かつて海外で活躍した近江商人・西村太郎衛門邸跡に1974年3月1日に開設され、八幡商人の歴史を伝えています。
1886年に八幡警察署として建設、1953年に改築され、現在の形になりました。 -
旧伴家住宅は、江戸時代初期の豪商「伴庄右衛門(とものしょうえもん)」が本家として建てた商家です。
明治時代になって当時の八幡町に譲渡されてから小学校・女学校と変遷しました。
戦後は近江兄弟社図書館として使用され、後に近江八幡市立図書館となり、その後の整備事業を経て、現在は旧伴家住宅として公開されています。 -
近江八幡市には現在も「西川甚五郎本店」が残されており、450年以上続く西川の歴史を今に伝えています。
「西川甚五郎本店史料館」は「ふとんの西川」で知られる有名店の資料館です。 -
「西川甚五郎本店史料館」は「西川甚五郎本店」敷地内にあります。
西川文化財団が保存・管理してきた西川家の歴史を伝える古文書や古物などを展示し、450年以上に及ぶ歩みを紹介しています。 -
「白雲館」は1877年に八幡東学校として建設された建物です。
西洋建築の様式と日本の伝統技術が取り入れられて建築されたもので、国の有形文化財に登録されています。
子供の教育充実を図るため、設立費用のほとんどが近江商人の寄付で賄われました。 -
八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える基礎となった町の一大動脈です。
日本三大水郷にも選ばれている近江八幡の水郷を船に乗ってめぐることが出来ます。
織田信長や豊臣秀次が、日頃の疲れを癒すために宮中の遊びをまねたことが始まりとされています。 -
八幡山山頂へ向かいます。
ロープウェーで山麓から約4分です。 -
村雲御所 瑞龍寺は八幡山(271.9m)山頂にある八幡城本丸跡の寺院です。
安土・桃山時代に、豊臣秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提のために、京都の村雲に創建しました。
そのため俗に、村雲御所と呼ばれています。
1961年に現在地に移され、日蓮宗では唯一の門跡寺院として格式が高いそうです。 -
山頂からは琵琶湖・西の湖・旧城下町などが見渡せる大パノラマが広がります。
再び、ロープウェーで山を下ります。 -
八幡伝統的建造物群保存地区内にある日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、131年に創建された神社です。
八幡山のふもとに建ち、約4万4000平方メートルの神域を誇る古社です。 -
日牟禮八幡宮は滋賀を代表する火祭り「左義長まつり」と「八幡まつり」が斎行されることでも知られています。
-
江戸時時代の町並みの面影を残す新町通りに旧西川家住宅があります。
旧西川利右衛門宅は、町内屈指の八幡商人居宅で、新町通りの最も重要な一翼をになっています。
壁を黒く塗りトガ材を使った京風建築家屋は、江戸時代中頃の建築とされ、近江商家の面影を残しています。
近江商人の隆盛ぶりを偲ぶことができ、国の重要文化財に指定されています。 -
八幡保存地区は碁盤目状の美しい整然とした街路の中に立ち並ぶ瓦屋根の商家・町屋など、八幡山を中心に特色ある八幡の町並みを形成しています。
特に新町2丁目には、旧西川家住宅や森五郎兵衞宅等の八幡商人の住宅を配し、往時のたたずまいを残しています。 -
天気が冴えないですが、琵琶湖を見ながら最後の観光場所へバスは進んで行きます。
-
中山道醒井宿(さめがいしゅく)にやってきました。
醒井宿資料館問屋場(といやば)は江戸時代、街道の宿駅で、宿場を通行する大名や役人に人足や馬の提供、荷物の積替えの引継ぎ事務を行なっていた所です。
完全な形で残っているのは全国でも珍しく 大変貴重な建物とされています。 -
醒井宿資料館では「陶あかり展」が開かれていました。
館内を薄暗くし、陶から漏れる光が板の間に映り、幻想的でした。 -
地蔵川を渡った所に日本武尊の像がありました。
日本武尊が大蛇を退治した時の傷をこの清水で癒したことから「居醒の清水(いさめのしみず)」と呼ばれています。
「醒井」という地名はこの伝説が元になったと言われています。 -
居醒の清水が湧き出るそばに橋がかかっており、賀茂神社の鳥居があります。
鳥居をくぐると長いL字型の階段となっており、その先には第二の鳥居があります。
賀茂神社の御祭神は別雷神命(わけいかづちのみこと)です。
雨・治水の神、農業の神として信仰されています。
この後、名古屋駅から新幹線で静岡に帰りました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
兵庫 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
120