2024/11/15 - 2024/11/15
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chiaki-kさん
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別子銅山は、愛媛県新居浜市にあった銅山。総製産量は日本第2位の約65万トンで日本三大銅山の一つ。1691年から1973年の閉山まで283年間、一貫して住友家が経営し住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。
東平地区には、1916年から1930年まで別子銅山採鉱本部が置かれ、このような山中に、かつて5,000人の人々が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校や神社までそろった「町」があったとは信じられないように現在は静まり返っている。メイン遺跡となった貯鉱庫と索道基地の跡などが「東洋のマチュピチュ」と称され観光客に人気のある場所となっている。
表紙の写真は、広場にあった貯鉱庫と索道基地の案内板だが、晴れれば、このようにまるでマチュピチュ遺跡のような風景になる。ちょっと残念。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11/15
一晩お世話になった休暇村瀬戸内東予の部屋の窓からは燧灘が眺められるのだが、今日は雨、残念。海岸にある建物は休暇村キャンプ場管理棟。シーズン中はきっと賑わうんだろうね。なお、沖合に見える島は平市島と小平市島だが、その先には四坂島(しさかじま)がある。
四坂島には住友金属鉱山の子会社四阪製錬所があり、銅の精錬に加えて、1977年には製鉄の過程で排出される製鋼煙灰から亜鉛を回収するリサイクル事業を行っている。島には50人程度の従業員が従事しており、新居浜港から船で通勤している。住友金属は、当初新居浜で銅の精錬をやっていたが公害問題の解消のため、無人島だった四坂島に精錬所を建設したのだ。 -
休暇村を後に、今治湯ノ浦ICから今治小松自動車道→いよ小松JC→いよ西条IC→R11とクルマを進め、国道沿いのスタンドでガソリンを補給し、別子銅山東平地区を目指す。写真のループ橋は県道47号・新居浜別子線。前方に見えるのは鹿森ダム。
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この青看板を左折すると東平・銅山の里。
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左折すると、いきなり狭隘な山道となる。
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ガードレールがあり、離合できる箇所も所々にあるのだが、林道を舗装したような狭さと急勾配が続く。
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後述するが、この道はマイクロバスも通る。写真のようにバスとすれ違い出来る場所もあるのだが・・・
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こんな怖い場所もある。
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急勾配のうえ狭隘な山道を3kmほど走った先に東平はある。まるで城門跡のような場所を過ぎると東平だ。
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かつて保安本部が置かれていた場所は広い駐車場となっており、私が到着したときに一台が降りて行き、あとからバイクが一台登ってきただけだった。(帰路直前撮影)
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後方に写っていたマイクロバスがこれ。県道沿いにある「マイントピア別子」という別子銅山をテーマにした観光施設が何台か所有するバスで、1500円でマイントピア別子と東平を往復してくれる。山道の運転に自信の無い方は迷わずこちらをチョイス。
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「別子銅山東平案内図」があったが急斜面を平面図で描いてあるので、実際に行って見ないとその高低差は解らないだろう。
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霧が巻いており何も見えない。
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かつて資材を上げ下ろしするインクラインの跡が220段の階段となって残っている。では、頑張って降りてみよう。
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インクラインの写真があった。乗っているのは生活物資のようだね。
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一番下まで降りてきた。
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ここは索道基地跡。鉱山で採掘された鉱石を県道沿いにある端出(はしで)地区まで効率よく下ろすためケーブルが牽かれた。運んだものは鉱石だけでは無く物資、生活用品、木材などもあった。
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説明板があった。
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霧が次第に晴れてきた。
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選鉱場跡と索道基地跡が霧の中から現れた。表紙の写真のようには行かなかったが、これはこれで神秘的で良いかも。
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下の方には社宅跡があったが足の問題で行かなかった。
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選鉱場跡の上に保安本部跡(駐車場)が見える。ドウダンツツジの紅葉が綺麗だ。
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選鉱場跡、これは柱なのか?
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選鉱場でズリと鉱石を別けるのは女性の仕事だったようだ。
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貯鉱庫跡。ズリ混じりの鉱石を一旦貯蔵する場所。
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霧が薄まり、廻りの山々が見えてきた。
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220段の階段を一歩一歩登るのだが、運動不足の足が悲鳴をあげる。
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到着時、何も見えなかった谷が姿を現してきた
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こちらも見えてきた。
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少し上の方から見た貯鉱庫・選鉱場跡と索道基地跡。
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新居浜方面もかすかに見えてきた。この街も別子銅山と共に大きくなったんだろうね。
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小マンブと呼ばれるトンネルには鉱石の採掘に使用した運送車などが展示されていた。
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「かご電車」と呼ばれる小さなトロッコ列車もあった。
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東平歴史資料館に入ってみる。入場無料、撮影OKは嬉しいね。
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まさに「東洋のマチュピチュ」。
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ここでは5,000人近くの人々が暮らしていた。赤胴鈴之助ごっこかな。背景の社員住宅が凄い!
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保育園や病院もあったのね。
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ここに住んだ人達は皆銅山の関係者、これは社宅の模型。
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娯楽場と呼ばれる劇場や、郵便局もあった。
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小学校も。
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東平は標高750mだが、最深部はー1,000m位あったそうだ。
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網の目のようなトンネルが出来る前には、こんな山岳鉄道もあった。
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そろそろ帰ろうとした時、バスが出発していった。バスの前に一台のライトバンも出発。対向車が来た場合、離合できる場所で待ってもらう、いわば露払いのような役目があるそうだ。(写真再掲)
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距離を取ってついて行くのだが、バスが結構早い。慣れとは凄いね。
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こんな場所で落ちる訳にはいかないね。ちなみに降りる途中で軽とプリウスにすれ違ったが無事、東平まで行けたかな?
*Googlemapストリートビューを見ていたら、この谷に銅山の社宅が立ち並んでいたらしいことが判明する。木を伐採したのは多分そのためだね。
2007年に石見銀山がユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録が決定されたこともあって、別子銅山も世界遺産登録を目指す動きがある。日本を代表する金銀銅の産地である、新潟県佐渡市(金山)、島根県大田市(銀山)、新居浜市(銅山)の3市長が集まって「金銀銅サミット」が2006年に開催されたそうだ。 -
新居浜ICから松山自動車道→高松自動車道と進み豊浜SAで休憩。そろそろ12時近くなってきたので昼食を取ることにした。ここは香川県なので当然、讃岐うどんだね。
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麺は讃岐うどんの特徴である太麺。コシがあるもちもち麺。出汁のダシはいりこダシ、麺の玉は大・中・小とあるが3玉・2玉・1玉のこと。で、注文したのはかけうどんの中。キザミ葱と天かすをタップリ入れたシンプルなうどんにしたが、これが旨い。
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2玉は多いかと思ったがペロリでございます。出汁まで全部いただきました。
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次の目標をスマホに入力するが、なんか怪しい。
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2021年11月に四国を半周したときも目標の一つとした観音寺にある「天空の鳥居」なのだが、なんと今回も通行止めで2連敗! どおりでGooglemapナビが悩んでいた訳だ。
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気を取り直して、さぬき豊中ICから高松道に戻り、坂出JCの先から瀬戸中央道へ入る。
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南備讃瀬戸大橋に突入。
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北備讃瀬戸大橋を渡り、与島PAに寄り道。
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ようこそ!!与島へ
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与島PA展望台から見たパーキング。
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そして備讃瀬戸大橋。
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光る瀬戸内海。
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そして又々讃岐うどん! 今度は釜玉の小サイズ。
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ペロリでございます。何回食べても美味しい!
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通常はフードコートのすみにあるうどんコーナーだが、ここでは独立ブースとなっている。さすがはうどん県!!!
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与島PAを後に岩黒島橋・櫃石島橋を渡る。綺麗な斜張橋の連続。
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最後は下津井瀬戸大橋。この橋を渡れば岡山県児島。この後はいつも混み混みの山陽道なので写真はありません。
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山陽道から新名神高速に入り休憩のため停まったのは宝塚北SA。
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高槻と神戸JCを結ぶ新名神高速の誕生に併せて設けられた上下集約型のSAで「宝塚歌劇」コーナーや「手塚治虫キャラクターグッズ」コーナー、そしてデラックストイレなどが売りの巨大SA。ちなみに手塚治虫さんは宝塚市の出身。
この後、大阪、京都を素通りし名神高速の彦根ICで高速道を降り、R8沿いにあったスシローで軽く夕飯を食べてから今宵の宿コンフォートホテル彦根へチェックイン。ロングドライブの疲れでグッスリと眠ることができた。
ホテルの口コミは↓をご覧ください。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/15210493
これで「2024年11月 東洋のマチュピチュを探検する:別子銅山東平地区・瀬戸大橋・山陽道」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。次回は最終回「2024年11月 再びの敦賀、そして中部縦貫道を東へ」です。
https://4travel.jp/travelogue/11945990
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この旅行記へのコメント (3)
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- 万歩計さん 2024/12/03 18:24:41
- 別子銅山
- chiaki-kさん、こんばんわ。
最近NHKの人気シリーズだった「新日本紀行」が半世紀ぶりに再放送されています。当時のフィルムを4Kで復刻し、最後に現在の様子を加えるという構成です。番組を見る度に半世紀前の日本はまだまだ貧しかったことが分かります。
その中で数週間前に閉山前後の別子銅山の様子が放送されました。鉱山住宅に暮らす人が閉山を機に新居浜の工場に移る人、この土地に残り農業を決意した人など、悲喜こもごもでした。鉱山住宅の中にある小学校で鉱山住宅総出の運動会の様子は胸に沁みました。この旅行記を見るとこんな鉱山住宅が、マチュピチュのように連なっていたのですね。
別子銅山に限らず、かっては日本のあちこちにこのような鉱山住宅の町があったのですね。私は岩手県の松尾鉱山の廃墟を訪れたことがあります。
ご興味があれば。
https://4travel.jp/travelogue/11788587
万歩計
- chiaki-kさん からの返信 2024/12/04 07:03:47
- RE: 別子銅山
- ・
万歩計さん、おはようございます。いつも私の旅行記に”いいね”
を頂き、ありがとうございます。
松尾鉱山の旅行記、拝見しました。私は廃墟好きというよりは
歴史好きなので廃墟の裏にある人々の営みや思いなどを想像して
います。
ご覧いただいたかと思いますが、2022年に群馬県と長野県の県境に
ある毛無峠の南東斜面にあった小串鉱山を訪れたことがあります。
1916年より硫黄採掘を開始し1971年に閉山するまで硫黄を採掘し
精錬した。最盛期には2,000人を超える人々が暮らしていた日本では
松尾鉱山に継ぐ2番目に大きな硫黄鉱山でした。
毛無峠から先は立ち入り禁止なので峠から眺めただけですが、こんな
山中に多くの人々が暮らす町があったとは信じられませんね。
https://4travel.jp/travelogue/11782763
別子銅山とならんで有名なのが公害騒動で有名な足尾銅山ですが、
機会があれば、いつか行って見たいと思っています。
では、また。
chiaki-k
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- 万歩計さん 2024/12/03 18:05:52
- 別子銅山
- chiaki-kさん 、こんばんわ。
かってのNHK人気番組「新日本紀行」が、半世紀ぶりにリメイクされて放送されています。当時の番組を4Kで復刻し、最後に現在の様子が加えられた構成になっています。
2週間ほど前に別子銅山が放送されました。閉山の前後で鉱山住宅を去っていく人達、そのまま土地に残る人達が一緒になって最後の運動会を楽しむ場面がありました。
この旅行記を拝見して改めて当時の人たちがすごい場所で働かれていたことが分かりました。
万歩計
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