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徳島の奥祖谷を訪れた後、壇ノ浦合戦後の<br />平家一族の逃亡ルートを調べることにした。<br /><br />1185年の壇ノ浦の合戦において、安徳天<br />皇をはじめとした一族郎党が入水し、滅亡<br />したことになってはいるが、どうも実際に<br />は安徳天皇を奉じる主力は生き残り、四国<br />に上陸し、潜伏した節がある。<br /><br />安徳天皇生存説は西日本の数か所で伝えら<br />れており、陵墓も存在し、それぞれ宮内庁<br />が参考陵として認めている。<br /><br />陵墓がある地域の古文書には安徳天皇を奉<br />じてそこに居ついた平家一行の記録が残っ<br />ており、あながち荒唐無稽な伝説と否定で<br />きないところがある。<br /><br />墓が数か所あるなど、不自然な部分も多い<br />が、まずは安徳天皇を奉じた平家一行が潜<br />行した場所として最も有力と思われる愛媛<br />の内子町と高知の越知町を訪ねた。

続・安徳天皇は生きていた!?―平家落人潜行の跡を探る(愛媛県喜多郡内子町、高知県高岡郡越知町)

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2024/11/05 - 2024/11/08

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ハイペリオン

ハイペリオンさん

徳島の奥祖谷を訪れた後、壇ノ浦合戦後の
平家一族の逃亡ルートを調べることにした。

1185年の壇ノ浦の合戦において、安徳天
皇をはじめとした一族郎党が入水し、滅亡
したことになってはいるが、どうも実際に
は安徳天皇を奉じる主力は生き残り、四国
に上陸し、潜伏した節がある。

安徳天皇生存説は西日本の数か所で伝えら
れており、陵墓も存在し、それぞれ宮内庁
が参考陵として認めている。

陵墓がある地域の古文書には安徳天皇を奉
じてそこに居ついた平家一行の記録が残っ
ており、あながち荒唐無稽な伝説と否定で
きないところがある。

墓が数か所あるなど、不自然な部分も多い
が、まずは安徳天皇を奉じた平家一行が潜
行した場所として最も有力と思われる愛媛
の内子町と高知の越知町を訪ねた。

旅行の満足度
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
楽天トラベル
  • 今回の旅では、この本を参考にした。<br /><br />『平家秘史』伊藤加津子(1994 関西書院)<br /><br />在野の研究者のようだが、平家落人<br />伝説の残る地を丹念に歩き、地元の<br />寺社に所蔵されている古文書を読み<br />解き、安徳天皇が壇ノ浦合戦後も平<br />家首脳の人物たちと生存していたと<br />結論付けた労作である。

    今回の旅では、この本を参考にした。

    『平家秘史』伊藤加津子(1994 関西書院)

    在野の研究者のようだが、平家落人
    伝説の残る地を丹念に歩き、地元の
    寺社に所蔵されている古文書を読み
    解き、安徳天皇が壇ノ浦合戦後も平
    家首脳の人物たちと生存していたと
    結論付けた労作である。

  • 今回は夜行バスで松山市から先の<br />八幡浜まで行くことにした。<br /><br />そこからJR内子線に乗って内子<br />まで行くことにしていた。<br /><br />しかしバスに乗ってから、案内で<br />内子で停まることを知り、そこで<br />降ろしてもらうことにした。

    今回は夜行バスで松山市から先の
    八幡浜まで行くことにした。

    そこからJR内子線に乗って内子
    まで行くことにしていた。

    しかしバスに乗ってから、案内で
    内子で停まることを知り、そこで
    降ろしてもらうことにした。

  • 7時30分前に内子に着いたものの、<br />ここが内子町のどのへんなのかさっ<br />ぱりわからず、googleマップで内子<br />駅を探し、駅まで歩くことにした。<br /><br />するとすぐ近くにめざす小田まで行<br />くバス停があり、バスがすぐ来るこ<br />とが分かった。<br /><br />渡りに船である。<br /><br />町営のバスに乗って379号線を約30<br />分走って、内子町役場小田支所に着<br />いた。

    7時30分前に内子に着いたものの、
    ここが内子町のどのへんなのかさっ
    ぱりわからず、googleマップで内子
    駅を探し、駅まで歩くことにした。

    するとすぐ近くにめざす小田まで行
    くバス停があり、バスがすぐ来るこ
    とが分かった。

    渡りに船である。

    町営のバスに乗って379号線を約30
    分走って、内子町役場小田支所に着
    いた。

  • 終点から内子に戻る形で国道を20分ほ<br />ほ歩いた。<br /><br />山間部できれいな川が流れている。<br /><br />橋の上からも底が見えるくらい水が澄ん<br />でいた。

    終点から内子に戻る形で国道を20分ほ
    ほ歩いた。

    山間部できれいな川が流れている。

    橋の上からも底が見えるくらい水が澄ん
    でいた。

  • 寺前という集落の中に寺の入り口らし<br />きものがあったが、googleで確認した<br />らこれは違うようだ。

    寺前という集落の中に寺の入り口らし
    きものがあったが、googleで確認した
    らこれは違うようだ。

  • 集落の狭い路地をもう少し行くと小さな<br />寺があった。

    集落の狭い路地をもう少し行くと小さな
    寺があった。

  • これが清盛寺。文字通り平清盛を祀った<br />寺である。<br /><br />清盛寺と書いてせいじょうじと読む。

    これが清盛寺。文字通り平清盛を祀った
    寺である。

    清盛寺と書いてせいじょうじと読む。

  • お寺なのになぜか鳥居がある。<br /><br />まれにこういうところがある。<br /><br />明治時代に神仏分離令がでて神社と寺<br />は分けられたが、それを免れた寺院の<br />ようだ。<br /><br />明治以前はこういうのが普通だったら<br />しい。

    お寺なのになぜか鳥居がある。

    まれにこういうところがある。

    明治時代に神仏分離令がでて神社と寺
    は分けられたが、それを免れた寺院の
    ようだ。

    明治以前はこういうのが普通だったら
    しい。

  • 相当樹齢を重ねたと思われる大木の向<br />こうに本堂がある。

    相当樹齢を重ねたと思われる大木の向
    こうに本堂がある。

  • 右側には釣鐘堂。

    右側には釣鐘堂。

  • 相当古そうな祠だが、何が祀られてい<br />るのか。

    相当古そうな祠だが、何が祀られてい
    るのか。

  • 本堂の手前の一角にかなり古いことが<br />わかる五輪の塔、つまりお墓がある。<br /><br />周囲とは明らかに古さが違うことが分<br />かるくらいだ。<br /><br />

    本堂の手前の一角にかなり古いことが
    わかる五輪の塔、つまりお墓がある。

    周囲とは明らかに古さが違うことが分
    かるくらいだ。

  • 墓の前には登貴姫の墓とある。<br /><br />登貴姫は平清盛の五女とされる女性で<br />ある。<br /><br />かなりきれいな女性だったようで、清<br />盛のお気に入りだった。<br /><br />この方は摂政藤原基通に嫁いでいて、<br />平家の都落ちの際、夫婦で同行したが、<br />夫は後白河法皇がいないので不安にな<br />り、途中で離脱した。<br /><br />平家の都落ちは、まずは大宰府まで行<br />き、そこを追われると香川県の屋嶋に<br />落ち着き、そこを義経に急襲されると<br />関門海峡方面へ落ち、最終的には壇ノ<br />浦の合戦で滅亡した。<br /><br />このすべての過程で彼女も同行してい<br />たのか、壇ノ浦の合戦の混乱の中で抜<br />け出して、伊方あたりに上陸してここ<br />まで逃げ延びて来たのか。

    墓の前には登貴姫の墓とある。

    登貴姫は平清盛の五女とされる女性で
    ある。

    かなりきれいな女性だったようで、清
    盛のお気に入りだった。

    この方は摂政藤原基通に嫁いでいて、
    平家の都落ちの際、夫婦で同行したが、
    夫は後白河法皇がいないので不安にな
    り、途中で離脱した。

    平家の都落ちは、まずは大宰府まで行
    き、そこを追われると香川県の屋嶋に
    落ち着き、そこを義経に急襲されると
    関門海峡方面へ落ち、最終的には壇ノ
    浦の合戦で滅亡した。

    このすべての過程で彼女も同行してい
    たのか、壇ノ浦の合戦の混乱の中で抜
    け出して、伊方あたりに上陸してここ
    まで逃げ延びて来たのか。

  • 墓の後ろには梅の木がある。<br /><br />亡くなった登貴姫の懐にあった種だっ<br />たそうで、墓のそばに植えることにし<br />たという。<br /><br />大宰府を追われ、牛車も輿もなく、雨<br />の中を泥だらけになりながら福岡の筥<br />崎に着いた描写が『平家物語』にある。<br /><br />京を追われ、西日本に居場所がなくな<br />ったかつて栄華を誇った一族の姿は、<br />何とも哀れを誘うものがある。<br /><br />あのころYahooニュースがあれば、コ<br />メント欄には「当然の報い」などと心<br />無いコメントがあふれかえっていただ<br />ろうか。

    墓の後ろには梅の木がある。

    亡くなった登貴姫の懐にあった種だっ
    たそうで、墓のそばに植えることにし
    たという。

    大宰府を追われ、牛車も輿もなく、雨
    の中を泥だらけになりながら福岡の筥
    崎に着いた描写が『平家物語』にある。

    京を追われ、西日本に居場所がなくな
    ったかつて栄華を誇った一族の姿は、
    何とも哀れを誘うものがある。

    あのころYahooニュースがあれば、コ
    メント欄には「当然の報い」などと心
    無いコメントがあふれかえっていただ
    ろうか。

  • 壇ノ浦から四国まではかなり距離があ<br />り、源氏の残党狩りを避けて船で来る<br />のはかなり困難ではないかと思う。<br /><br />なんせ登貴姫は人妻とはいえ10代の少<br />女、安徳天皇は10歳に満たない子ども<br />である。ほかにも戦争に参加できない<br />女官や文官もいたと思うが、足手まと<br />いになる彼らを戦争に随行させたかど<br />うか。<br /><br />伊藤加津子が書いているように、屋島<br />に平家がいったん落ち着いた際に安徳<br />帝ら戦に参加できない者たちはあらか<br />じめ四国山中に潜伏させておいたと考<br />えるのが自然ではないかと言う気がする。<br />

    壇ノ浦から四国まではかなり距離があ
    り、源氏の残党狩りを避けて船で来る
    のはかなり困難ではないかと思う。

    なんせ登貴姫は人妻とはいえ10代の少
    女、安徳天皇は10歳に満たない子ども
    である。ほかにも戦争に参加できない
    女官や文官もいたと思うが、足手まと
    いになる彼らを戦争に随行させたかど
    うか。

    伊藤加津子が書いているように、屋島
    に平家がいったん落ち着いた際に安徳
    帝ら戦に参加できない者たちはあらか
    じめ四国山中に潜伏させておいたと考
    えるのが自然ではないかと言う気がする。

  • 『平家秘史』には壇ノ浦の合戦後、平家<br />の主だった者たちは愛媛県の伊方越に上<br />陸し、枇杷谷(平家谷)→八幡浜→内子<br />→別子→徳島県三好郡城谷→高知県香美<br />市韮生→高知県高岡郡越知町と潜行して<br />行ったのではないかと書かれている。<br /><br />三好郡山城谷は市町村合併で現在は三好<br />市となっている。<br /><br />城谷から韮生に行く過程で6月に訪れた<br />奥祖谷にもいたのだろう。<br /><br />奥祖谷はさすがに山奥すぎたのか、おそ<br />らく一部を残してそのまま南下し、高知<br />県の越知町周辺が平家落人主力の最終の<br />安住地だったようだ。<br />

    『平家秘史』には壇ノ浦の合戦後、平家
    の主だった者たちは愛媛県の伊方越に上
    陸し、枇杷谷(平家谷)→八幡浜→内子
    →別子→徳島県三好郡城谷→高知県香美
    市韮生→高知県高岡郡越知町と潜行して
    行ったのではないかと書かれている。

    三好郡山城谷は市町村合併で現在は三好
    市となっている。

    城谷から韮生に行く過程で6月に訪れた
    奥祖谷にもいたのだろう。

    奥祖谷はさすがに山奥すぎたのか、おそ
    らく一部を残してそのまま南下し、高知
    県の越知町周辺が平家落人主力の最終の
    安住地だったようだ。

  • 別子山には仮の宮が建てられ、安徳天皇<br />はここに留め置かれた。おそらく、安住<br />の地を見つけて、宮を建て、安徳帝を迎<br />える準備が整うまでは安全な別子山にい<br />させたのではないか。<br /><br />平家落人の主力一行は東へ向かい、そし<br />て南下して越知町の山中に落ち着いた。

    別子山には仮の宮が建てられ、安徳天皇
    はここに留め置かれた。おそらく、安住
    の地を見つけて、宮を建て、安徳帝を迎
    える準備が整うまでは安全な別子山にい
    させたのではないか。

    平家落人の主力一行は東へ向かい、そし
    て南下して越知町の山中に落ち着いた。

  • 清盛寺を後に内子へ戻ることにする。<br /><br />朝から感じていたが、山の中だからか<br />ちょっと寒い。<br /><br />ぺらぺらのシャツ一枚で来たことを後<br />悔した。

    清盛寺を後に内子へ戻ることにする。

    朝から感じていたが、山の中だからか
    ちょっと寒い。

    ぺらぺらのシャツ一枚で来たことを後
    悔した。

  • 小田から町営のマイクロバスでJR内子<br />線の内子駅まで戻って来た。

    小田から町営のマイクロバスでJR内子
    線の内子駅まで戻って来た。

  • 2両編成の特急で宇和島まで向かう。

    2両編成の特急で宇和島まで向かう。

  • 宇和島駅構内のコンビニでおにぎり<br />を買い、昼食にした。

    宇和島駅構内のコンビニでおにぎり
    を買い、昼食にした。

  • 今度は予土線で終点の窪川まで向かう。<br /><br />2時間ちょっとの電車旅である。<br /><br />計画では宇和島から窪川行の電車に乗<br />れるのは18時ごろと予想していたが、<br />かなり早く乗れることになった。<br /><br />明るいうちに窪川に着きそうだ。

    今度は予土線で終点の窪川まで向かう。

    2時間ちょっとの電車旅である。

    計画では宇和島から窪川行の電車に乗
    れるのは18時ごろと予想していたが、
    かなり早く乗れることになった。

    明るいうちに窪川に着きそうだ。

  • 14時36分、窪川駅着。<br /><br />見事に何もない田舎の駅である。<br /><br />こんなとこでタクシーを営業していて<br />も生活できるのだろうか。

    14時36分、窪川駅着。

    見事に何もない田舎の駅である。

    こんなとこでタクシーを営業していて
    も生活できるのだろうか。

  • 駅のすぐ近くのまるか旅館が今夜の宿。

    駅のすぐ近くのまるか旅館が今夜の宿。

  • 三畳一間の小さな部屋。ほとんどちょ<br />んの間だ。<br /><br />客はたぶんぼく一人だろうと予想して<br />いたが、そんなことはなくて数人いた。<br /><br />同じ時にお遍路をしている女性もチェ<br />ックインしていた。お遍路さん向けの<br />宿のようだ。<br /><br />近くの食堂で酒を飲んでめしを食い、<br />宿に戻り風呂に入った。<br /><br />口コミでお風呂の評判が良かったの<br />でどんなんだろうと思っていたが、<br />きれいな木製の湯船で、評判通りの<br />いい風呂だった。<br /><br />夜行バスで3時間ほどしか寝ていな<br />かったので、すぐに眠った。

    三畳一間の小さな部屋。ほとんどちょ
    んの間だ。

    客はたぶんぼく一人だろうと予想して
    いたが、そんなことはなくて数人いた。

    同じ時にお遍路をしている女性もチェ
    ックインしていた。お遍路さん向けの
    宿のようだ。

    近くの食堂で酒を飲んでめしを食い、
    宿に戻り風呂に入った。

    口コミでお風呂の評判が良かったの
    でどんなんだろうと思っていたが、
    きれいな木製の湯船で、評判通りの
    いい風呂だった。

    夜行バスで3時間ほどしか寝ていな
    かったので、すぐに眠った。

  • 7時前に挨拶をして宿を出、7時過ぎ<br />の土讃線の高知行きに乗る。<br /><br /><br />

    7時前に挨拶をして宿を出、7時過ぎ
    の土讃線の高知行きに乗る。


  • 1時間30分ほどで佐川駅に着いた。<br /><br />佐川はNHKのドラマにもなった植物<br />学者、牧野富太郎が生まれたところ<br />である。<br /><br />バスの時間までかなりあるので、喫<br />茶店でモーニングを注文。<br /><br /><br /><br /><br />

    1時間30分ほどで佐川駅に着いた。

    佐川はNHKのドラマにもなった植物
    学者、牧野富太郎が生まれたところ
    である。

    バスの時間までかなりあるので、喫
    茶店でモーニングを注文。




  • 路線バスに20分ほど乗り、横倉口で<br />下車。<br />周囲は田園と山が広がる静かな場所。<br /><br />国道が走っているので車は通るが民<br />家はほとんどない。

    路線バスに20分ほど乗り、横倉口で
    下車。
    周囲は田園と山が広がる静かな場所。

    国道が走っているので車は通るが民
    家はほとんどない。

  • 国道を歩くとすぐにこんな看板が。<br /><br />ここを安徳帝がいた場所として売り<br />出して行くつもりのようだ。

    国道を歩くとすぐにこんな看板が。

    ここを安徳帝がいた場所として売り
    出して行くつもりのようだ。

  • 国道の脇に巨大な鳥居があった。<br /><br />真ん中には菊の紋章があしらわれている。<br /><br />右側には「横倉宮」と彫られた石の標識。

    国道の脇に巨大な鳥居があった。

    真ん中には菊の紋章があしらわれている。

    右側には「横倉宮」と彫られた石の標識。

  • そして左側には「安喰天皇越知町陵墓」<br />の文字があった。<br /><br />この山の頂上付近に安徳天皇を葬った<br />墓があるのだ。<br /><br />しかし、ここから何と往復で十数キロ<br />もある。さすがにこれはきつい。1日<br />かかってしまう。<br /><br />ここまで来て残念だが、陵墓訪問はあ<br />きらめざるを得なかった。<br /><br />ここには陵墓とあるが、安徳天皇は壇<br />ノ浦で入水したことになっているもの<br />の、遺体は確認されておらず、生死は<br />不明である。<br /><br />宮内庁はここをあくまで参考陵という<br />ことにしている。

    そして左側には「安喰天皇越知町陵墓」
    の文字があった。

    この山の頂上付近に安徳天皇を葬った
    墓があるのだ。

    しかし、ここから何と往復で十数キロ
    もある。さすがにこれはきつい。1日
    かかってしまう。

    ここまで来て残念だが、陵墓訪問はあ
    きらめざるを得なかった。

    ここには陵墓とあるが、安徳天皇は壇
    ノ浦で入水したことになっているもの
    の、遺体は確認されておらず、生死は
    不明である。

    宮内庁はここをあくまで参考陵という
    ことにしている。

  • その先には横倉神社というのがあった。<br /><br />

    その先には横倉神社というのがあった。

  • ここのご祭神は安徳天皇である。

    ここのご祭神は安徳天皇である。

  • 横倉山の陵墓までは行けなくないので、<br />周辺の気になるところを見て回ることに<br />した。<br /><br />まずはこのすぐ近くにあるという耳なし<br />地蔵に行くことにする。書いて字の如く、<br />耳がないお地蔵様である。

    横倉山の陵墓までは行けなくないので、
    周辺の気になるところを見て回ることに
    した。

    まずはこのすぐ近くにあるという耳なし
    地蔵に行くことにする。書いて字の如く、
    耳がないお地蔵様である。

  • 国道からすこし外れたところに古い<br />お堂があった。これだろうか。

    国道からすこし外れたところに古い
    お堂があった。これだろうか。

  • 中を除いたが祠があるだけだ。これで<br />はなさそうだ。

    中を除いたが祠があるだけだ。これで
    はなさそうだ。

  • 少し行くと風雨に浸食されたお地蔵<br />さまがあった。

    少し行くと風雨に浸食されたお地蔵
    さまがあった。

  • しかしこれは耳がしっかり彫られている。<br />これでもないな。<br /><br />google mapでもよくわからないので、<br />農作業の手伝いを終えた女性に尋ねた。<br /><br />すると、竹藪の中の獣道のような山道<br />を下ったところにあるという。<br />

    しかしこれは耳がしっかり彫られている。
    これでもないな。

    google mapでもよくわからないので、
    農作業の手伝いを終えた女性に尋ねた。

    すると、竹藪の中の獣道のような山道
    を下ったところにあるという。

  • この先にあるのか。

    この先にあるのか。

  • 確かにお地蔵さまが2体鎮座していた。

    確かにお地蔵さまが2体鎮座していた。

  • 埃をかぶった前掛けはボロボロである。<br /><br />誰も手入れに来ていないようだ。<br /><br />地元の人からも忘れられた哀れなお地<br />蔵さまである。

    埃をかぶった前掛けはボロボロである。

    誰も手入れに来ていないようだ。

    地元の人からも忘れられた哀れなお地
    蔵さまである。

  • 頭のところを見ると、確かに耳がない。<br /><br />ここに伝わる民話はかの「耳なし芳一」<br />の物語とそのまんまである。<br /><br />違うところと言えば、琵琶法師の名が<br />芳一ではなく、城了で盲目ではないこ<br />と。そして、役僧が芳一の体中にお経<br />を書いたものが、ここでは城了の体に<br />香水を振りかけたことになっているこ<br />とである。<br /><br />城了という僧は松山の方から流れて来<br />てここに居つき、数年で亡くなったよ<br />うで、それを弔うためにこの小さな地<br />蔵を作ったという。<br /><br />

    頭のところを見ると、確かに耳がない。

    ここに伝わる民話はかの「耳なし芳一」
    の物語とそのまんまである。

    違うところと言えば、琵琶法師の名が
    芳一ではなく、城了で盲目ではないこ
    と。そして、役僧が芳一の体中にお経
    を書いたものが、ここでは城了の体に
    香水を振りかけたことになっているこ
    とである。

    城了という僧は松山の方から流れて来
    てここに居つき、数年で亡くなったよ
    うで、それを弔うためにこの小さな地
    蔵を作ったという。

  • 「耳なし芳一」の話では、芳一がいた<br />阿弥陀寺と安徳天皇陵までは100メー<br />トルもないくらい近いなど不自然な部<br />分があるため、原典はこの越知地方に<br />伝わる話ではないかと考えられる。

    「耳なし芳一」の話では、芳一がいた
    阿弥陀寺と安徳天皇陵までは100メー
    トルもないくらい近いなど不自然な部
    分があるため、原典はこの越知地方に
    伝わる話ではないかと考えられる。

  • さて、あとは平知盛と平経盛の墓である。<br /><br />横倉の山頂へ行く山道の途中にあるようだ。

    さて、あとは平知盛と平経盛の墓である。

    横倉の山頂へ行く山道の途中にあるようだ。

  • その先には平資盛の石碑もあるが、ここ<br />までは行けないだろう。

    その先には平資盛の石碑もあるが、ここ
    までは行けないだろう。

  • 平知盛は清盛の四男で、壇ノ浦の合戦まで源氏<br />と戦い続け、最後は「見るべきものは見た。<br />今は自害するのみ」と言って、錨を体に巻き付<br />けて入水したとされる人物である。<br /><br />平経盛は清盛の異母弟で、彼も壇ノ浦まで戦い<br />続けたが、最後は入水した。経盛の子、敦盛は<br />一の谷の合戦で、海へ逃亡を図ったものの熊谷<br />直実に「逃げるは卑怯なり」と言われて、戻っ<br />て戦ったものの討ち取られた若き侍である。平<br />家物語もかなり有名な場面である。

    平知盛は清盛の四男で、壇ノ浦の合戦まで源氏
    と戦い続け、最後は「見るべきものは見た。
    今は自害するのみ」と言って、錨を体に巻き付
    けて入水したとされる人物である。

    平経盛は清盛の異母弟で、彼も壇ノ浦まで戦い
    続けたが、最後は入水した。経盛の子、敦盛は
    一の谷の合戦で、海へ逃亡を図ったものの熊谷
    直実に「逃げるは卑怯なり」と言われて、戻っ
    て戦ったものの討ち取られた若き侍である。平
    家物語もかなり有名な場面である。

  • 『平家秘史』では、各地の古文書を読み<br />解いているが、最もよく出て来るのが、<br />平知盛の名前である。<br /><br />どうやら彼は、壇ノ浦で入水したのでは<br />なく、戦線を離脱して逃げ延び、安徳天<br />皇と共にここまでやって来て、その後は<br />各地に潜行した平家落人を訪ね歩いてい<br />たのかもしれない。<br /><br />やはり『平家物語』は歴史書ではなく<br />『三国志演義』同様、あくまで物語と考<br />えておいた方がいいのかもしれない。<br /><br /><br />

    『平家秘史』では、各地の古文書を読み
    解いているが、最もよく出て来るのが、
    平知盛の名前である。

    どうやら彼は、壇ノ浦で入水したのでは
    なく、戦線を離脱して逃げ延び、安徳天
    皇と共にここまでやって来て、その後は
    各地に潜行した平家落人を訪ね歩いてい
    たのかもしれない。

    やはり『平家物語』は歴史書ではなく
    『三国志演義』同様、あくまで物語と考
    えておいた方がいいのかもしれない。


  • 戦況が思わしくなくなると逃亡を図る<br />など武士らしくないと現代の感覚では<br />思ってしまうが、追い詰められてにっ<br />ちもさっちも行かなくなればその場で<br />切腹ということもあったのだろうが、<br />関ケ原の合戦を見ともわかるようにや<br />ばいとなるとだいたい逃げている。<br /><br />源平合戦でもっともひどいのは平維盛<br />だろう。彼は富士川の合戦で、甲斐源<br />氏が富士川を渡河した際に一斉に水鳥<br />が飛び立った音を聞いて、大軍に後ろ<br />に回られたと勘違いをしてパニックに<br />なり、一目散に京まで逃げた。汚名返<br />上にと向かった倶利伽羅峠の戦いでは、<br />源義仲軍に完敗して京まで逃げ、平家<br />都落ちでは奥さんと子どもを置き去り<br />にして一門と共に逃げ、屋島にいた時<br />に逃亡し高野山へ逃げたような情けな<br />い人物である。<br /><br />結局、熊野沖で入水したということに<br />なっているが、それもどうだか。<br /><br />とにかく逃げ回り続けて人生を終えた<br />人物である。

    戦況が思わしくなくなると逃亡を図る
    など武士らしくないと現代の感覚では
    思ってしまうが、追い詰められてにっ
    ちもさっちも行かなくなればその場で
    切腹ということもあったのだろうが、
    関ケ原の合戦を見ともわかるようにや
    ばいとなるとだいたい逃げている。

    源平合戦でもっともひどいのは平維盛
    だろう。彼は富士川の合戦で、甲斐源
    氏が富士川を渡河した際に一斉に水鳥
    が飛び立った音を聞いて、大軍に後ろ
    に回られたと勘違いをしてパニックに
    なり、一目散に京まで逃げた。汚名返
    上にと向かった倶利伽羅峠の戦いでは、
    源義仲軍に完敗して京まで逃げ、平家
    都落ちでは奥さんと子どもを置き去り
    にして一門と共に逃げ、屋島にいた時
    に逃亡し高野山へ逃げたような情けな
    い人物である。

    結局、熊野沖で入水したということに
    なっているが、それもどうだか。

    とにかく逃げ回り続けて人生を終えた
    人物である。

  • 山道の脇の石垣のところが経盛の墓で<br />あるとgoogle mapは指示しているが、<br />それらしきものは見つからない。

    山道の脇の石垣のところが経盛の墓で
    あるとgoogle mapは指示しているが、
    それらしきものは見つからない。

  • ようやく「安徳天皇従臣 平維盛之墓」<br />という立て札だけが土に埋もれかけて<br />倒れているのを見つけた。<br /><br />近くには墓石らしき四角い石が転がっ<br />ていた。

    ようやく「安徳天皇従臣 平維盛之墓」
    という立て札だけが土に埋もれかけて
    倒れているのを見つけた。

    近くには墓石らしき四角い石が転がっ
    ていた。

  • あとは知盛の墓だが、これが分からない。<br /><br />どんなに細くても道であれば拡大すれば<br />表示されるgoogle mapにも知盛の墓へ<br />至る道は表示されないのだ。<br /><br />経盛の墓を見て、坂を下っていると、鉄<br />製の橋が見えた。あそこを渡ればいける<br />かもしれないと斜面を下りようと思った<br />が、崖のようになっていて行くことはで<br />きなかった。<br />

    あとは知盛の墓だが、これが分からない。

    どんなに細くても道であれば拡大すれば
    表示されるgoogle mapにも知盛の墓へ
    至る道は表示されないのだ。

    経盛の墓を見て、坂を下っていると、鉄
    製の橋が見えた。あそこを渡ればいける
    かもしれないと斜面を下りようと思った
    が、崖のようになっていて行くことはで
    きなかった。

  • 一旦国道に出て古い石垣がある山道を<br />上った。<br /><br />周囲には民家はないのになぜか石垣が<br />組まれている。この先に何かありそう<br />だと期待は膨らむが。

    一旦国道に出て古い石垣がある山道を
    上った。

    周囲には民家はないのになぜか石垣が
    組まれている。この先に何かありそう
    だと期待は膨らむが。

  • このすぐ先にあることになっているのだ<br />が、ここから沢になっていて行きつけな<br />かった。

    このすぐ先にあることになっているのだ
    が、ここから沢になっていて行きつけな
    かった。

  • イノシシを獲るための罠も仕掛けられて<br />いる。変な罠に引っかかったら大変だ。<br /><br />残念ながら知盛の墓を見るのはあきらめ<br />よう。

    イノシシを獲るための罠も仕掛けられて
    いる。変な罠に引っかかったら大変だ。

    残念ながら知盛の墓を見るのはあきらめ
    よう。

  • 結局、横倉宮には行けなかったし、知盛<br />の墓も見つけられなかった。<br /><br />時間不足がうらめしい。<br /><br />バスが来るまで時間があるので道の駅近<br />くの食堂で、汁でびちゃびちゃのかつ丼<br />を食べ、佐川駅まで戻った。<br /><br />

    結局、横倉宮には行けなかったし、知盛
    の墓も見つけられなかった。

    時間不足がうらめしい。

    バスが来るまで時間があるので道の駅近
    くの食堂で、汁でびちゃびちゃのかつ丼
    を食べ、佐川駅まで戻った。

  • 安徳天皇陵とされるものはここ横倉<br />山だけでなく、西日本に数か所ある。<br /><br />6月に行った奥祖谷には安徳天皇を<br />火葬に付したという場所もある。<br /><br />これはどういうことなのか。<br /><br />『平家秘史』によると二位の尼(平<br />時子)や平徳子らは「儲の君(もう<br />けのきみ)」と称して、安徳帝と同<br />年代の男児を育てていたらしい。<br /><br />おそらく落人たちはこの児たちを安<br />徳帝と称して奉じていたものと思わ<br />れる。<br /><br />もし壇ノ浦で入水したとしてもそれ<br />は身代わりだったかもしれないし、<br />そもそもそんな光景はあくまで物語<br />上の脚色だったのかもしれない。<br /><br />写真のない時代である。子どもにそ<br />れなりの装束を着せて安徳帝だと主<br />張すればそれで通ってしまうだろう。<br /><br />

    安徳天皇陵とされるものはここ横倉
    山だけでなく、西日本に数か所ある。

    6月に行った奥祖谷には安徳天皇を
    火葬に付したという場所もある。

    これはどういうことなのか。

    『平家秘史』によると二位の尼(平
    時子)や平徳子らは「儲の君(もう
    けのきみ)」と称して、安徳帝と同
    年代の男児を育てていたらしい。

    おそらく落人たちはこの児たちを安
    徳帝と称して奉じていたものと思わ
    れる。

    もし壇ノ浦で入水したとしてもそれ
    は身代わりだったかもしれないし、
    そもそもそんな光景はあくまで物語
    上の脚色だったのかもしれない。

    写真のない時代である。子どもにそ
    れなりの装束を着せて安徳帝だと主
    張すればそれで通ってしまうだろう。

  • 別子山に留め置かれたままの「安徳帝」<br />は結局そこで亡くなったようだ。<br /><br />つまり、横倉山に来た「安徳帝」が本物<br />ということなのだろう。<br /><br />各地には安徳天皇参考御陵があり、その<br />地の「安徳帝」の死亡年が記録されている。<br /><br />いくつか挙げると、<br />大阪府能勢町 文治2(1187)年死亡<br />鳥取県中津 建久4(1193)年死亡<br /><br />そして横倉山のは正治2(1200)年で<br />ある。<br /><br />いずれも若い時に亡くなっている。<br /><br />

    別子山に留め置かれたままの「安徳帝」
    は結局そこで亡くなったようだ。

    つまり、横倉山に来た「安徳帝」が本物
    ということなのだろう。

    各地には安徳天皇参考御陵があり、その
    地の「安徳帝」の死亡年が記録されている。

    いくつか挙げると、
    大阪府能勢町 文治2(1187)年死亡
    鳥取県中津 建久4(1193)年死亡

    そして横倉山のは正治2(1200)年で
    ある。

    いずれも若い時に亡くなっている。

  • 佐川駅から高知まで行き、土讃線の特急<br />まで時間があるので駅周辺をぶらぶら。

    佐川駅から高知まで行き、土讃線の特急
    まで時間があるので駅周辺をぶらぶら。

  • 岡山行き特急はアンパンマン号だ。<br /><br />かんべんしちくりい~。

    岡山行き特急はアンパンマン号だ。

    かんべんしちくりい~。

  • 内部もこんな感じ。恥ずかしい。

    内部もこんな感じ。恥ずかしい。

  • 阿波池田で徳島線に乗り、日が暮れて<br />徳島に着いた。

    阿波池田で徳島線に乗り、日が暮れて
    徳島に着いた。

  • 駅から10分のところにある剣山ホテル<br />が今夜の宿。

    駅から10分のところにある剣山ホテル
    が今夜の宿。

  • 普通のビジネスホテルである。<br /><br />チェックイン時に居酒屋のビール券をも<br />らったので、その居酒屋まで行ったが満<br />席だと断られ、仕方なしに駅前の上座の<br />王将で晩飯。わびしいぜ。

    普通のビジネスホテルである。

    チェックイン時に居酒屋のビール券をも
    らったので、その居酒屋まで行ったが満
    席だと断られ、仕方なしに駅前の上座の
    王将で晩飯。わびしいぜ。

  • 朝7時前のバスで徳島港の南海フェリー<br />乗り場まで来た。<br /><br />ここから和歌山港行きのフェリーに乗る。<br /><br />フェリー代金と南海電車難波行きの切符<br />を通しで買って2500円。かなりお得で<br />ある。<br /><br />大阪から四国へ行くにはこれが最も安く<br />速く楽だと思う。

    朝7時前のバスで徳島港の南海フェリー
    乗り場まで来た。

    ここから和歌山港行きのフェリーに乗る。

    フェリー代金と南海電車難波行きの切符
    を通しで買って2500円。かなりお得で
    ある。

    大阪から四国へ行くにはこれが最も安く
    速く楽だと思う。

  • 時間が来たので乗船開始。

    時間が来たので乗船開始。

  • 船内には車で乗り込んだ人もいて、そこ<br />そこ人がいた。しかし、お座敷、テーブ<br />ル席、座席といろいろあって、どこでも<br />過ごせる。バスのようにじっとしていな<br />くていいし、外に出ることもできる。<br /><br />実に気楽な2時間だった。<br /><br />和歌山が見えてきた。

    船内には車で乗り込んだ人もいて、そこ
    そこ人がいた。しかし、お座敷、テーブ
    ル席、座席といろいろあって、どこでも
    過ごせる。バスのようにじっとしていな
    くていいし、外に出ることもできる。

    実に気楽な2時間だった。

    和歌山が見えてきた。

  • 日本史を詳しく調べていくと、規定事実<br />とされているものと違っているのではな<br />いかと思えるものが多い。<br /><br />特に敗者の歴史はかなり不当に貶められ<br />たり簡略化されたりしている。<br /><br />これら敗者の真実に少しでも近づけるよ<br />うな旅をこれからも続けていきたい。

    日本史を詳しく調べていくと、規定事実
    とされているものと違っているのではな
    いかと思えるものが多い。

    特に敗者の歴史はかなり不当に貶められ
    たり簡略化されたりしている。

    これら敗者の真実に少しでも近づけるよ
    うな旅をこれからも続けていきたい。

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