2024/08/26 - 2024/08/26
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gianiさん
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平成の大合併で宇部市に編入された旧楠町。現在の宇部市域で最も栄えたのは、山陽道沿いの宿場町船木でした。
市制100年を超える宇部市は、公園も充実しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
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山陽本線の厚東駅で下車。
国道2号線沿いに1kmほど進むと、吉見勘場跡が。
勘場とは代官所のことで、長州藩は防長を18の宰判(代官区)に分けていました。厚東駅 駅
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国道2号線を進むと、UBE三菱セメントの宇部伊佐専用道路と交差します。伊佐セメント工場と宇部セメント工場を結ぶ全長32kmの私道で、殆どの区間が片側2車線です。写真では、日本の公道では走行禁止の総重量120tのダブルストレーラーが走行しています。
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一気に峠を下ると、船木宿です。
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2004年に宇部市に編入された旧楠町の中心部に、図書館と郷土資料館を兼ねたスポットがあります。ここで、宇部市史を学べます。展示室は、撮影禁止です。
学びの森くすのき 美術館・博物館
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ここは、西国街道船木宿として大いに栄えました。
1592年に秀吉が九州から戻る際に、船木で櫛を献上しました。以来、船木櫛として代々生産されます。 -
実際に船木の町を歩いてみます。
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京都から続く西国街道。
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一里塚跡
安芸国境小瀬まで27里、赤間関(下関)より9里と記されました。あくまで長州目線です。 -
京都方面から歩くと、高札場が船木宿の入口でした。高札には、幕府/藩/代官所のお触れが掲示されました。
明治に入ると、船木周辺6村の掲示板として活用されました。 -
高札場の向かいには、岡崎八幡宮が鎮座します。
八幡宮なので、応神天皇が主祭神です。 -
770年に和気清麻呂が宇佐八幡宮より勧請しました。
実は、船木は応神天皇の生母である神功皇后ゆかりの地です(後述)。 -
現在の社殿は、1576年に再建されたものです。
伊勢神宮/出雲大社と並び、(法律上)清酒の御神酒の醸造が許可されている4つの神社のうちの1つです。 -
境内の楠は樹齢700年以上で、シーボルト巻貝が寄生し、潮の干満に合わせて上下に移動します。海から遠いのに、不思議です。
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斜め向かいの願生寺には1848年に寺子屋が開設されました。1551年に大内義隆に殉死した家臣の息子が開基しました。陶晴賢の乱では、船木も戦火に見舞われました。
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旅人荷付場(問屋場)跡
現在は、旧西国街道と宇部へ通じる県道が交差するところに位置します。当時も宿場の中心地で、一般には問屋場と呼ばれる旅人荷付場は、西国街道の貨物輸送を担っていました。宿場は、旅人の休憩/宿泊と物流基地の役割を果たしました。船木宿では駅馬15頭と人足10数名が配備され、荷役に従事しました。貨物は、街道上の各宿場の荷付場で人馬を交換して運ばれました。 -
宿場の中心には、宇部市役所の支所が建ちます。1955年に発足した旧楠町役場庁舎です。1889年に誕生した船木村は1917年に船木町へ昇格し、1955年に2村と合併して楠町に、2004年に宇部市の一部になります。
敷地内には、様々な石碑がありました。 -
船木宰判勘場跡
町役場は、元を辿ると長州藩の勘場(役所)に遡ります。長門国を8つの宰判に分け、代官を配置しました。厚狭郡(現在の宇部/小野田市域)は吉見村の吉見勘場が管理していましたが、1689年に船木勘場へ移転し、船木宰判となります。 -
藩の役人は常駐せず、萩から適宜出張しました。日常業務は村三役(大庄屋//等)が従事しました。幕末には、追手を逃れる高杉晋作/伊藤博文に船木宰判の代官が資金援助した記録も残ります。
こちらの石碑では、長州藩のローカル用語(勘場)ではなく、代官所と表現しています。 -
船木御茶屋跡(1689-)
御茶屋とは藩主別邸で、参勤交代/領内視察等で藩主が外出時に宿泊する施設です。長州藩では、宰判の勘場に併設される傾向が見られます。 -
西国街道を挟んで御茶屋の向かいには、御茶屋建設のために移転した正円寺があります。境内は、藩主一行の藩士の宿舎になりました。
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石炭発祥の地
船木周辺は、古くから石炭採掘されました。1645年の『毛吹草』では、長門国「舟木石炭」が紹介され、住民が照明や調理の燃料として使用しているとの記述がみられます。
※筑後の三池や筑前では15世紀に発見されたとの記録があります(燃料使用ではグレーゾーン)。 -
船木炭鉱
船木周辺には10ほどの炭坑があり、実際は隣の有帆村(現小野田市)や沿岸部が主産地でしたが、船木が全国区の地名のため、舟木石炭と呼ばれます。18世紀に三田尻や赤穂の塩田では石炭を燃料として用いるようになり、開国後は蒸気船の燃料として重要度が増し、1868年に船木宰判に藩の石炭局が設置され専売化します。1964年に船木炭鉱は閉山します。 -
厚狭郡役所
新政府では、厚狭郡を統括する郡役所が設置され、地方制度が変わる1926年まで存続します。当時の厚狭郡の中心は、農村部の宇部村ではなく、宿場町の船木でした。 -
簡裁と家裁の出張所があるのは、かつて郡の中心だったことの名残です。
国木田独歩は、船木裁判所主席書記として赴任した父に同行して、船木で暮らします。独歩は、本名の亀吉という名前を嫌い、ここで哲夫に改名しています。当時の書類が、船木村役場時代から保存されていました。 -
徳基学舎跡
郡役所に隣接して建てられた教育機関で、1873(M6)年に開設した船木女児小学がルーツです。船木女児小学は、学制で県下初/日本で3番目の女性教育機関です。
1879年に2階建て校舎へ改築する際に徳基学舎と改称、県立の高等女学校となり1909年には厚狭へ移転して、現在は県立厚狭高等学校(共学)となります。 -
毛利勅子(ときこ)
徳山藩主広鎮の七女で、萩藩の一門八家のナンバー3で永代家老を務める厚狭毛利家の毛利元美に嫁ぎます。ちなみに弟の元徳は毛利敬親の養子となり、宗家の当主となります。
夫を良く支え、1845年の郷校朝陽館再建を手伝います。夫の隠居に伴い船木区長の協力のもとに船木女児小学の教師兼校長として生徒と寝食を共にします。新校舎が建つ直前に亡くなっています。 -
再び問屋場跡へ戻ります。
この空き地は、明治になって郵便取扱所が建っていました。奥は、元ふじた食堂。
この通りには、歴史の表舞台から消された為政者の都合の悪い歴史の舞台となりました。
長州藩は奇兵隊を始めとする領民混成の諸隊を藩の正規軍に編入することで、幕長戦争/戊辰戦争を乗り切りました。騎兵とは非正規兵を意味し、藩士以外(浪人/農工商)の兵士を指します。彼らは明治維新の功労者でした。 -
元ふじや食堂(手前)と元ヒロタクリーニング
商家が立ち並ぶ面影が残ります。
藩士以外の給料は、幕長戦争で占領した石見/豊前領からの収入で賄われましたが、新政府は山口藩にそれらの土地を返還させます。彼ら(2500名)はリストラされると三田尻に集結して暴動を起こし、藩知事(毛利元徳)のいる山口藩庁を取り囲みます。急遽山口入りした木戸孝允によって、彼らは退治されます。 -
元クリーニング屋の向かいは、カフェ(手前)。その奥(矢印)は、岩本薬局。
諸隊の脱退兵は西国街道を敗走し、1870年1月に船木宿へなだれ込み、40日ほど立て籠もります。岩本薬種商には鋭武隊、斜め向かいの大主屋大場屋敷には振武隊、騎兵隊は三田尻屋安兵衛の旅籠に駐在しました。2月に彼らは捕縛され、山口市内で処刑されました。 -
振武隊が駐在した大主屋大場屋敷跡はJA船木支店となっていましたが、現在は移転して空き地になっています。向かいには、角窓の商家が残ります。
ちなみに奇兵隊の駐在した旅籠三田尻屋跡は、先述の正円寺の斜め向かい/御茶屋の並びで、現在は一面にソーラーパネルが設置されていました。参勤交代時は、上級家臣が宿泊しました。 -
西国街道に交差する道を挟んで、隣は元煙草屋と元片山商店(肉屋)。
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袖壁のある商家
虫籠窓ではなく角窓なのが、九州文化を匂わせます。 -
大木森住吉神社
航海の守り神である住吉三神を祀ります。境内の水準点が17.9mなので、以前は海岸線が近かった可能性は大です。敷地をはみ出す楠がシンボルです。 -
202年創建と圧倒的に古く、神功皇后が軍船を所望された際に境内の楠古木を伐採して献上したと伝えられます。船木という地名と旧楠町の町名はここに由来します。
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かなり立派なクスノキ。
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台の上には、かつて高灯篭が奉納されました。
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楠には1800年以上の歴史が詰まっているので、様々な方面で活躍します。ちなみに宇部市は合併以前から楠を市の木にしています。
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1728年製の、ごく普通の地蔵。
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後ろには、鉄砲傷をセメントで埋めた跡が。
実は、先ほどの脱退兵と政府軍の軍事衝突の痕跡です。弾痕は、諸隊員が撃ったものです。貴重な物証です。 -
旧西国街道は、この先の茶屋交差点で国道2号線に合流します。
住吉神社脇の水路を追いかけてみます。 -
水路は宿場の目抜き通りを通るのが通例ですが、船木は南北2本に分かれます。渇水対策と思われます。北水路は主に生活用水/馬の飲料水として用いられました。一方の南用水路は、防火用水が主でした。
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船木宿では、醤油や酒なども製造されました。不二醤油では、現在も醸造中です。
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宿場の南側には、船鉄バスの本社営業所があります。
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船木鉄道
1916年に宇部~舩木町4.9kmを開通させ、23年には万倉、26年には吉部まで全長17.7kmを開業。44年には万倉~吉部、61年には全区間が廃止。バス会社として現在に至ります。有帆川の石炭水運に取って代わる存在でした。 -
バス営業所は、船鉄舩木町駅舎を使用しています。
1900年の山陽鉄道厚狭伸張に伴い、船木村は鉄道乗入に反対し、衰退へ向かいます。1921年には、炭鉱で発展した宇部村が市制を施行、厚狭郡の中心は船木から宇部へ移り、現在へ至ります。 -
学びの森くすのきには、舩木町駅の改札が移設されています。
山陽本線の厚東駅は、開通時船木駅という名称でした。
後に開通した船木鉄道は、舩木町駅を船ではなく舩の字を当てて区別しました。 -
改札は、新入社員の仕事です。当時は13歳で社会に出たので、改札内の石は身長を補う台の役割を果たします。女性職員も使用しました。
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ノンステップバスで、快適です。船木から厚狭/小野田/宇部新川へ路線網があり、大変便利です。
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宇部新川駅では、5番乗り場です。
宇部新川駅 駅
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宇部線に乗り換えます。
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常盤駅で下車
常盤駅 駅
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常盤湖
実は農業用の灌漑池として1698年に完成した人造湖。
溜池としては、県下ナンバーワンの水量です。ちなみに2位は、鋳銭司の長沢池です。常盤湖 自然・景勝地
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周辺は、公園として整備されています。
ときわ公園 テーマパーク
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世界を旅する植物園
温室エリアの比重が高いです。ときわミュージアム 公園・植物園
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パンの木
果実を調理すると、食感がパンに似ていることから名づけられました。味は、ジャガイモに近いそうです。太平洋の島嶼を中心に分布 -
ソーセージの木
果実がソーセージに似ている。ただそれだけの理由です。アフリカに生息し、アルコール飲料の原料になります。 -
スマトラオオコンニャク
コンニャクイモの世界を超えた大きさ。
根の蒟蒻になる部分も、38kgだったそうです。 -
この中に眠っています。
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マンゴーの実
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デンドロビウム・デンシフロラム
ラン科でほのかな香りがします。
着生ランといって、木にくっついて生息します。 -
ハイビスカス
花は一日しか咲きませんが、次々と別の花が続きます。
うんちく付き。 -
バニラビーンズ
着生ランの一種です。 -
花の成れの果てが、バニラビーンズになります。
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製品
お馴染みの芳香です。 -
ミルトニア モレリア
ブラジル等に生息するランで、良い香りがします。 -
コスツスバルバツス
名前の通り、コスタリカで生息、アヤメ科。コスタリカの林で、よく見かけました。赤い部分は苞(ほう)と呼ばれる葉が変形した部分で、花は黄色い部分です。現地では、ハチドリが蜜を吸いに来たのを思い出します。 -
大実蕃次郎(オオミバンジロウ)の実。グアバとして知られます。甘い香りがします。蕃は異国、次郎は石榴(ザクロ)が転訛したもので、ザクロの実に似ていることから名づけられました。
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アケボノキワタ
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9-12月に、こんな花が咲きます。
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金鯱
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杏花竜
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紅雀丸
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ニョッキッキ
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ふしぎな配置
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サボテン、奥が深いです。
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飽きが来ません
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綺麗に並びます。
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ファッションショー
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屋外に出ます。
アーモンド -
こんな感じでなっています。
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コルクガシ
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樹皮からコルクを採取します。
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オリーブ
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糸杉
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野外展示に戻ります。
こちらは、蜘蛛の糸。芥川の小説を連想します。 -
そういえば、今年はubeビエンナーレの開催年です。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11973127
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