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 マナドから南に20数Km、車で40~50分のところにあるトモホン市に以前日本人が作った日本語学校があった。「ミナハサ日本語研修センター」といい、2005年に開校したこの日本語研修センターは、学校として存在していた期間が約4年ととても短い。わたしがなぜこの学校を知っているのかというと、『マナド・ミナハサ奮戦記』という本に学校設立準備から開校そして運営の話が出ていたからだ。<br /> 著者は玉井三郎氏、本のサブタイトルは「インドネシアに魅せられた日本兵62年の記録」内容は実際にあった話を書いてある。前半70%が青木次郎氏の話で後半30%が著者の玉井三郎氏の話で、この二人の話を主人公の青井三次という人物で一つの物語として構成している。<br /> 本を読んだ後、この学校がその後どうなったのか気になっていた。運よくインドネシア人のツテを使って、学校設立に尽力されたマナド国立大学のヨス・ナランデ先生に連絡が取れた。先生曰くマナドにくれば案内してくれるというので、現地に行って見ることにした。<br /><br />2018年1月13日(土) スラバヤ空港 08:10発<br />            ↓Lion Air<br />            マナド空港   11:45着<br />   <br />     1月17日(水)  マナド空港   12:25発<br />            ↓Lion Air<br />                スラバヤ空港  13:55着<br />(時間は現地時間、マナドとスラバヤは1時間の時差があります)<br />利用ホテル  Sahid Kawanua Hotel 、 Hotel Maleosan Inn

ミナハサ日本語研修センターで見た夢の跡

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2018/01/13 - 2018/01/17

146位(同エリア226件中)

旅行記グループ マナドの旅

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藤川文化堂

藤川文化堂さん

 マナドから南に20数Km、車で40~50分のところにあるトモホン市に以前日本人が作った日本語学校があった。「ミナハサ日本語研修センター」といい、2005年に開校したこの日本語研修センターは、学校として存在していた期間が約4年ととても短い。わたしがなぜこの学校を知っているのかというと、『マナド・ミナハサ奮戦記』という本に学校設立準備から開校そして運営の話が出ていたからだ。
 著者は玉井三郎氏、本のサブタイトルは「インドネシアに魅せられた日本兵62年の記録」内容は実際にあった話を書いてある。前半70%が青木次郎氏の話で後半30%が著者の玉井三郎氏の話で、この二人の話を主人公の青井三次という人物で一つの物語として構成している。
 本を読んだ後、この学校がその後どうなったのか気になっていた。運よくインドネシア人のツテを使って、学校設立に尽力されたマナド国立大学のヨス・ナランデ先生に連絡が取れた。先生曰くマナドにくれば案内してくれるというので、現地に行って見ることにした。

2018年1月13日(土) スラバヤ空港 08:10発
            ↓Lion Air
            マナド空港  11:45着
   
    1月17日(水) マナド空港  12:25発
            ↓Lion Air
             スラバヤ空港 13:55着
(時間は現地時間、マナドとスラバヤは1時間の時差があります)
利用ホテル  Sahid Kawanua Hotel 、 Hotel Maleosan Inn

同行者
一人旅
航空会社
ライオン・エア
旅行の手配内容
個別手配
  •   青木氏と玉井氏の二人は東京にあるインドネシア語教室で出会った。お互いクリスチャンということも二人が親しくなるきっかけだったろう。二人の思いは現地に日本語学校を建てることで一つになった。<br /> まずミナハサ日本語学校基金を作り、インドネシアに思いがある日本人や日本にいるインドネシア人からも資金の協力を受けた。そして現地のキリスト教教団本部や牧師の協力も得て、2005年トモホンにミナハサ日本語研修センターを開校した。校長は玉井氏、青木氏は顧問となった。

    青木氏と玉井氏の二人は東京にあるインドネシア語教室で出会った。お互いクリスチャンということも二人が親しくなるきっかけだったろう。二人の思いは現地に日本語学校を建てることで一つになった。
     まずミナハサ日本語学校基金を作り、インドネシアに思いがある日本人や日本にいるインドネシア人からも資金の協力を受けた。そして現地のキリスト教教団本部や牧師の協力も得て、2005年トモホンにミナハサ日本語研修センターを開校した。校長は玉井氏、青木氏は顧問となった。

  •  ヨス先生といっしょに念願のミナハサ日本語研修センターがある場所に行った。ヨス先生は車の運転ができないそうで、息子さんが運転手をしてくれた。その息子さんの名はジロー、青木さんから名前をもらった。<br /> ジローくんが運転する車はいよいよトモホンに入り、幹線道路から山の方へ入る細い道に入っていった。本で読んで想像した周囲の状況と今進んでいる道はだいぶかけ離れていた。しばらくすると、ここですよとヨス先生が教えてくれた学校跡、校舎は当時のまま残っていた。<br /> 敷地入口にある小さい建物は警備員室、右の棟が先生たちの生活棟や事務室、左の棟が教室ですと教えてくれた。2006年当時は日本人の教頭の他、2人の日本人講師、生徒は50人を超えていた。

     ヨス先生といっしょに念願のミナハサ日本語研修センターがある場所に行った。ヨス先生は車の運転ができないそうで、息子さんが運転手をしてくれた。その息子さんの名はジロー、青木さんから名前をもらった。
     ジローくんが運転する車はいよいよトモホンに入り、幹線道路から山の方へ入る細い道に入っていった。本で読んで想像した周囲の状況と今進んでいる道はだいぶかけ離れていた。しばらくすると、ここですよとヨス先生が教えてくれた学校跡、校舎は当時のまま残っていた。
     敷地入口にある小さい建物は警備員室、右の棟が先生たちの生活棟や事務室、左の棟が教室ですと教えてくれた。2006年当時は日本人の教頭の他、2人の日本人講師、生徒は50人を超えていた。

  •  わたしがここに来る10年前までは、ここに未来を見ていた若者たちが集っていた。

     わたしがここに来る10年前までは、ここに未来を見ていた若者たちが集っていた。

  •  わたしが立っているのは卒業式が行われた場所だ。写真で見た卒業生の笑顔が目に浮かぶ。しかし、音は聴こえない。<br />

     わたしが立っているのは卒業式が行われた場所だ。写真で見た卒業生の笑顔が目に浮かぶ。しかし、音は聴こえない。

  •  目を閉じれば、何か聴こえるかもしれない。10秒ほど試してみたが、何も聴こえてこなかった。普段は騒々しいインドネシア、何か他の音でも聴こえてくるだろうと思ったが、何も聴こえてこなかった。辺りは静寂に支配されていた。<br /> 誰もいない教室を外から見つめた。学校全体が見える場所からもう一度学校を見た。そこは夢の跡だった。<br />

     目を閉じれば、何か聴こえるかもしれない。10秒ほど試してみたが、何も聴こえてこなかった。普段は騒々しいインドネシア、何か他の音でも聴こえてくるだろうと思ったが、何も聴こえてこなかった。辺りは静寂に支配されていた。
     誰もいない教室を外から見つめた。学校全体が見える場所からもう一度学校を見た。そこは夢の跡だった。

  •  ミナハサ日本語研修センターの話を知ったときには、2006年がそれほど昔ではないと感じていた。そしてマナドへ行き、当時そのままの校舎を目の当たりにしたときには、さらに2006年がつい最近のことだと感じることもあったが、校舎の静けさはそれを現実へと引き戻した。時代は変わっていた。<br /> 僅か4年で役割を終えることになったミナハサ日本語研修センター。短い期間しか存在しなかった理由は運営側が高齢だったことが大きい。この校舎は2018年現在、キリスト教教会の研修施設となっている。(校舎前でヨス先生と)<br /> 2006年6月20日サヒド・カワヌアホテルでスラウェシ島日本語弁論大会が行われた。出場者はマナドだけではなくスラウェシ島の各地から参加する。ほとんどは大学生だ。その大会で優勝したのはミナハサ日本語研修センターから出場した19歳の女生徒だった。ミナハサ日本語研修センターが輝いていた時代の話である。<br /> わたしがマナド旅行で最初に泊まったホテルはこの大会が行われたホテルだ。ヨス先生やマナドにいる日本人に聞いてみると、このホテル昔はよかったが、最近(2018年現在)は老朽化が進み、宿泊する人もほとんどいないという。わたしが2泊した間でも他の宿泊客を見ることはなかった。部屋の窓から見えるプールでは地元の人だろうか、何人かが泳いでいただけだった。

     ミナハサ日本語研修センターの話を知ったときには、2006年がそれほど昔ではないと感じていた。そしてマナドへ行き、当時そのままの校舎を目の当たりにしたときには、さらに2006年がつい最近のことだと感じることもあったが、校舎の静けさはそれを現実へと引き戻した。時代は変わっていた。
     僅か4年で役割を終えることになったミナハサ日本語研修センター。短い期間しか存在しなかった理由は運営側が高齢だったことが大きい。この校舎は2018年現在、キリスト教教会の研修施設となっている。(校舎前でヨス先生と)
     2006年6月20日サヒド・カワヌアホテルでスラウェシ島日本語弁論大会が行われた。出場者はマナドだけではなくスラウェシ島の各地から参加する。ほとんどは大学生だ。その大会で優勝したのはミナハサ日本語研修センターから出場した19歳の女生徒だった。ミナハサ日本語研修センターが輝いていた時代の話である。
     わたしがマナド旅行で最初に泊まったホテルはこの大会が行われたホテルだ。ヨス先生やマナドにいる日本人に聞いてみると、このホテル昔はよかったが、最近(2018年現在)は老朽化が進み、宿泊する人もほとんどいないという。わたしが2泊した間でも他の宿泊客を見ることはなかった。部屋の窓から見えるプールでは地元の人だろうか、何人かが泳いでいただけだった。

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