2018/01/13 - 2018/01/17
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藤川文化堂さん
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かつてメナドと呼ばれていたマナドはインドネシア滞在中に行きたいと思っていた場所の一つだ。インドネシア派遣が決まる前に偶然手にした一冊の本『わが青春のメナド』、この本がわたしをマナドに向かわせた。
この本には大戦後のオランダ裁判により死刑判決を受け死刑になった人たちも出てくる。彼らは著者と関わりがあり、のちにBC級戦犯とされた人たちだ。戦犯とされた人は軍人だけではない。当時のメナド市長や通訳をしていた人などごく普通の人が戦犯とされ、死刑になった人もいた。無念だったことだろう。忘れてはならない歴史の真実である。
2018年1月13日(土) スラバヤ空港 08:10発
↓Lion Air
マナド空港 11:45着
1月17日(水) マナド空港 12:25発
↓Lion Air
スラバヤ空港 13:55着
(時間は現地時間、マナドとスラバヤは1時間の時差があります)
利用ホテル Sahid Kawanua Hotel 、 Hotel Maleosan Inn
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- ライオン・エア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
マナド旅行にはメナドと呼ばれていた時代の地図を持って行った。マナド到着2日目は、早朝からその地図を片手に、マナド市内を曲がり角や交差点を確認するように歩き回った。メナドと呼ばれた時代をマナドで感じる。これもわたしがマナドに来てしたかったことの一つだ。
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今歩いているこの道、昔は多くの日本人も歩いていただろう。当時の人はどんな服装で歩いていたのか。わたしはマナドの街を甚平を着て歩いた。
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地図を見ながら、探しものをするような歩き方は現地の人に道に迷っているように見えたのだろう。時々声をかけられた。商業施設が広がる海沿いは戦後次々と埋め立てられたので、当時の地図とは違っていたが、旧市街と思われる街の道路は大体地図と合っていた。
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街中や周囲の建物からは当時を想像することは難しい。道がまっすぐな場所や山が見える場所に来ると、立ち止まって目を閉じた。そして再び目を開け視線を上に移動しながらメナドといわれた時代を思い浮かべていた。
地形はほとんど変わることない。当時もきっとこのような景色だったのだろう。 -
処刑場になった場所がある地域も何度も歩いてみた。この辺りも当時多くの日本人が住んでいた場所だ。処刑された元市長が住んでいた家はまだ残っていて、現在も人が住んでいる。元市長の家から処刑場まではなんと歩いて行ける距離だった。
この辺りの道は当時の地図と全く同じといってもいいほど変わっていなかった。家は手が加えられたかもしれないが、同じ場所に建っていた。
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