2024/05/26 - 2024/05/28
836位(同エリア2316件中)
芦花さん
姫路城含む、播磨国の風土を紹介。
赤穂のホテルと姫路のゲストハウスに宿泊して、自転車を活用して「姫路」「龍野」「赤穂」を周遊してきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車
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久しぶりの姫路城。姫路城は数々の困難を乗り越え、今に至っています。
江戸時代、幕府の中央集権化の一環としての一国一城令に基づき、多くの城が廃城になりましたが、西国を統治する重要な拠点だった播磨の姫路城は廃城を逃れ、江戸時代以降もその威容を誇りました。 -
江戸時代より幕府にとって、姫路城は重要だったが故に姫路藩主は、実力のある大人であることが条件だったことから藩主の交代が頻繁に。
子供の藩主では幕府は許さなかったのです。 -
(大手門の石垣には、のみで石を割った後が残存)
明治時代に入ると、無用の長物と化したお城は廃城令でほとんどがなくなったものの、47城だけが学校や官公庁、工場の跡地として再利用され、姫路城の場合は工場用敷地として、城全体が残されました。 -
(私の地元民の親戚によれば、この位置が一番大天守が綺麗に見える、というアングル。場所的には入城口の手前あたり)
明治時代、姫路城の天守は競売にかけられ、地元民の神戸清一郎氏が瓦などの建築部材用として落札(現在貨幣価値で47万円!)したものの、全ての部材が大きすぎて商売にならず、返還。 -
(そのまま大天守の方には向かわず、西の丸に向かう)
その後陸軍の中村重遠大佐が山縣有朋などに姫路城(と名古屋城)の文化財的価値を進言して保存が決定。以降昭和4年には国宝に認定され、戦前から戦後にかけて昭和の大修理が行われました。 -
(季節のつつじと姫路城。個人的にはこの位置が一番美しく見えるように感じます)
姫路市は、昭和20年7月3日米軍からの空襲に遭う。 -
(西の丸の櫓も見学できるようになっていて、姫路城に関する博物館的な感じになっていて、姫路城を勉強するにはちょうど良い)
戦後、空襲した米軍のB29機長(A・トームズ)に「なぜ姫路城には爆弾を落とさなかったのか」聞いたところ、姫路城はレーダーでは「水面」と表示されたため焼夷弾投下対象外にしたという。 -
(西の丸から男山を望む)
当時のレーダー精度では水か陸地か、しか判別できず、お城の周りにあったお堀のおかげで姫路城は「池や湖」と判別され、焼夷弾が投下されなかったのです。 -
(そして大天守に向かう。ここは将軍坂)
いくじゅうもの条件がすべて合わさった結果、この素晴らしく美しいお城が残ったというわけです。 -
大天守にここから入る
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これだけ大規模な天守が、当時の構造のまま残っているのは本当に奇跡的。
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そして大天守の最上階に登る。
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姫路駅方面
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遠くに小豆島を望む。
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二の丸方面を望む
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築城した池田輝政の家紋「揚羽蝶」が瓦に残る。
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平日でも観光客多し。
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備前丸跡からの大天守。
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備前門からのアングル。
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怪談もので有名なお菊の墓。
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姫路城内で最も高い石垣「帯の櫓下」の石垣
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美しい。
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姫路城の内堀に戻り、
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好古園に向かう。
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この庭園、期待を上回る美しい庭園で、時間が許せば来訪必須。
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春の青々とした緑の紅葉が楽しめます。
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滝のような水の流れも
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見事な池泉庭園。
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錦鯉もゆったり泳ぐ
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好古園は、HPによると「姫路市の市制百周年を記念して建造された約1万坪の日本庭園で文化財の保全と活用を兼ねた新しい文化の場として平成4年4月29日に開園」したとのこと。
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そして日本一の皮革の産地、姫路の皮革工場が集積する高木地区へ。
平安時代末期から播磨は皮革の生産地として栄えていたといいますから、相当に古い歴史を持ちます。中国山地は但馬牛に代表されるごとく牛の生産も盛ん。その中国産地を源流とする市川や揖保川、林田川沿い播磨平野で皮革生産が盛んになります。 -
やはり皮革生産においては、そうめんや塩と同様に瀬戸内式気候は「雨が少ない」という点が重要で、皮の天日干がしやすい気候。川沿いでの皮なめしもしやすく、皮革の保存や処理に必要な塩の調達もしやすかったのです。
さらに消費地の大坂・京都などが水運を通じて大量に運べる環境があったからでしょう。昔ながらのなめし手法は、川とそこに棲むバクテリア、塩、菜種油だけで完結させる、重労働の仕事。 -
(帰宅後、姫路の「白なめし」の皮革製ITTIブランドの財布購入)
化学薬品が発明されてからは、ほとんどが薬品による「なめし」に切り替わり、従来からのなめしの手法で作られた「白なめし」は、貴重な皮革で白なめしの皮革を造っている職人は現在一人しかいないといいます。
ちなみに、薬品を使ったなめしがおよそ1カ月で全工程を終えるのに対し、従来の薬品を使用しないなめし「白なめし」では2~4カ月かかるなど、大変な手間がかかるらしい。 -
さて、今日の宿はシロノシタゲストハウス。
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個室を選択しましたが、清潔で気持ち良いゲストハウス。
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外国人多く、別世界。
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それでも宿の情報によれば、日本人が一番多いみたいです。2番目がフランス人、というのが興味深い。
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宿に紹介してもらって伺ったのが播但線京口駅前の韓国ホルモン屋「鍋竜」さん。
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浅漬けのキムチが絶品。税込330円
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こちらがハラミのタタキ1,320円。こちらも絶品の旨さ。
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レバーのコロキモ660円。久しぶりにレバサシ的料理を味わう。
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翌日は県立博物館へ。
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県立博物館の割には、展示はそれほど多くない。
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同じ兵庫県立でも、三田市の「県立人と自然の博物館」や神戸市の「人と防災未来センター」の展示の充実度と比較するとは随分と少ない。
でも建物自体はセンスは良い。 -
日本全国の天守閣の比較展示。
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石垣の構造なんかも面白い。
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北側からの姫路城も美しい。
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さてここからは赤穂市。
赤穂は、赤穂義士(地元では赤穂浪士ではなく赤穂義士だそう)と塩が有名ですが、今でも塩の生産は行っているものの、赤穂ならではの塩は、江戸時代に開発された「入浜式塩田」が塩生産が盛んになって以来。 -
赤穂市にも赤穂城があり、
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天守のあった石垣の上に登り、赤穂城の全体像。
赤穂市で、復元に向けて相当に時間と費用をかけて整備中のようです。 -
千種川の河口から小豆島を望む。赤穂にあった塩田はかつては千種川の河口にあり、東岸の塩田は東日本や北国向けに大粒の塩を生産し、西岸の塩田は小粒の塩を生産するなど、全国屈指の塩の生産地。
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塩田跡地には「塩の国」という観光施設があって、実際に塩作りの体験ができます。
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ここでは明治時代に発明された近代的製塩方式=流下式塩田で採取したかん水を使用して塩作りが体験できます。
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海水の塩分濃度は3%ですがかん水は15~20%なので、これを煮詰めることで塩ををつくることができるのです。
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塩の国に残された「入浜式塩田」。
赤穂市沿岸は遠浅のため、千種川が運ぶ細かな土砂が河口部に堆積し、広大な平地を形成する一方、瀬戸内式気候という降雨の少ない気候のため、海水を乾燥させるのにちょうど良い地。 -
しかも瀬戸内海は干満差が大きいために、満潮時だけ塩田に海水を取り込むことで他の地域のように海水を撒く手間がなく、生産コストも生産性も日本随一。
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塩田では、そのまま塩を取り出すのではなく、表面の塩を含んだ土を海水に取り込ませ、漉して「かん水」を作り、これを煮詰めて塩を作っていたとのこと。
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赤穂の宿は、赤穂パークホテル。
共同浴場が温泉付のホテル。 -
スタンダードで快適な室内。
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周りには高い建物がないので、眺望も良い。
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翌日、1000年以上の歴史を誇るという赤穂御崎の伊和都比売神社へ。漁師と思しき方がお参りに来ていたのが印象的でした。
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神社の境内から瀬戸内海の家島諸島を望む。
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こちらが赤穂御崎の展望台。
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瀬戸内海の美しい景色にうっとり
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御崎を過ぎると牡蠣の養殖場があります。この辺りは牡蠣が名産で牡蠣焼きのお店もありました。
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坂越から生島を望む。
生島は、日本の中でも珍しい照葉樹林の原生林が残った貴重な無人島。島には上陸できませんが、地元の方の話によると「坂越の船祭」の時だけ、島に立ち入るそうです。 -
坂越の通りでは
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奥藤の酒蔵にて赤穂の地酒を購入。
「神力」という珍しいお米を原料にした生酛造りの純米酒。720ml税込2,200円 -
こちらが奥藤商事の正面
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理容室をリノベーションしたおしゃれなカフェもあります。
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さらに海岸沿いを走ると、現代の製塩工場「赤穂化成」さんの工場があります。
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さらに走ると石川島播磨の工場。
1907年に当時の兵庫県相生村(現在の相生市)村長、唐端清太郎が播磨船渠(株)を設立し、のちの東京の石川島と合併したのが今の石川島播磨=IHI。 -
相生市を過ぎてさらに内陸を走り「たつの市」へ。
揖保川の向かって右手のレンガ色の建物がヒガシマル醤油の工場。 -
播磨平野の小麦畑。龍野以外でも播磨平野を自転車で走ると多くの小麦畑に出会います。
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龍野の特産品「揖保乃糸」ブランドのそうめん。実は「揖保乃糸」という会社があるわけではなく、龍野のそうめん生産者400名超の協同組合「兵庫県手延素麺協同組合」のブランドなのです。
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「そうめんの里」館内のレストラン「庵」で揖保乃糸の特級を使用した特級御膳、税込1800円。
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鯛だしのにゅう麺が美味い。
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龍野は、麺が白くなりやすい揖保川の軟水、播磨平野の小麦、赤穂の塩など、品質よく豊富な原材料があること。
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瀬戸内式気候で雨が少ないので、そうめんの天日干しに適していたこと、近隣農家の勤勉な労働力があったこと、揖保川から瀬戸内海への水運が発達していたこと、などの理由でそうめん作りが盛んになったとのこと。
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そして龍野旧市街の「うすくち龍野醤油記念館」。
瀬戸内海周辺は、約1億年前の火山活動の関係で「花崗岩」や「流紋岩」などの二酸化珪素成分の多い石が多く分布しているため、麹菌が嫌う鉄分がほとんど含まれていない一方、カリウムなど酵母の栄養となる成分が多い、という地質上の特徴あり。
特に播磨の龍野地域を流れる揖保川周辺は花崗岩が多く「醸造」に適した地域なので醤油生産が盛んに。
揖保川が中国山地を出た、流れが緩やかになるあたり、つまり龍野旧市街のあたりで、醤油生産が始まります。揖保川の軟水と播磨平野の小麦、中国産地の山間で生産された大豆、これに赤穂の塩を利用して醤油生産が盛んになります。 -
関西といえば「うすくち醤油(淡口醤油)」が有名で、私たち関東人からみるとうどんやそばのつゆの色が薄く、違和感あるのですが、薄い色になぜなったかというと、江戸時代初期に龍野でうすくち醤油が開発されたから。
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かつて龍野では酒造りが盛んだったのですが、水がミネラルをあまり含まない「軟水」だったため、発酵に時間がかかり非効率。
一方で酒造りのライバルだった摂津の灘五郷は「宮水」といって若干のミネラルを含むソフトな「硬水」系だったため、発酵がはやく生産効率面で龍野に比して優位。しかも発酵が速い、ということは辛口になるということで消費者にも人気が高い味。
このため龍野の蔵元たちは酒造りを諦め、醤油生産に業態転換したのです。 -
「赤とんぼ」の唱歌で有名な幸田露伴の旧宅
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中に入ると幸田露伴の資料
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そして旧龍野城内にあるたつの市立資料館
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地元出身の版画家「乾太」の展示会。
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たつの旧市街から揖保川沿いのサイクリングロードを下り、「たつの市」駅で輪行。
新快速で神戸三宮に向かいました。
続く。
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