2024/04/27 - 2024/05/04
76位(同エリア158件中)
ミズ旅撮る人さん
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2024年GWの旅の最後は、佐賀県に入り、伊万里市の大川内山という山間部に窯元が立ち並ぶ風光明媚な町で陶器市を楽しみます。更にGWに日本最大の陶器市を開催する有田にも行きました。有田駅から上有田駅の間の約3㎞が歩行者天国の会場になっていて、両側にずらっと並んだ露店を見て歩きます。
最終日は唐津城と旧伊藤伝右衛門邸に行きました。伊藤邸は、NHKの朝ドラ「花子とアン」を見てから行ってみたかった場所です。炭鉱王伊藤伝右衛門と華族の令嬢白蓮が住んだ屋敷です。朝ドラは「赤毛のアン」の翻訳をした村岡花子の物語ですが、そこに二人の話が織り込まれていて、仲間由紀恵と吉田鋼太郎がとても素敵だったので、強く印象に残りました。伊藤邸は増築を重ねて複雑な形になっていましたが、建築物としての魅力と、展示品の豪快な魅力、そして「白蓮館」の展示など、見る所がいっぱいでした。九州北部を巡る最後を飾るのに最適な場所でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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佐賀県伊万里市の大川内山(おおかわちやま)という場所に来ました。GWには「伊万里窯元市」が開催されます。
陶器で作られた地図です。現在地から少し上に行って、右の一本道をずっと上って行くようになっています。 -
陶器の窯元を見て歩く機会など殆ど無いので、片端から見て歩く覚悟で行きます。
太一郎窯 専門店
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駐車場に近いせいか、土産物店に近い店構えで、入りやすそうです。
太一郎窯 専門店
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鍋島御庭焼の角を曲がると一本道の始まりです。
ここは鍋島藩御用窯の直系の窯元だそうで、あまり広くはない店内に格式の高い作品が展示されていました。1593年に初代藩主が高麗より焼物師を連れて来て始めたのが鍋島焼です。2代目藩主の時期にはオランダ商館から輸出を始めています。1675年に大川内山に藩窯が移されて現在に至っています。 -
とても鍋島焼には手が出ないけれど、こちらはもっと庶民的な器が並んでいます。普段は定価販売しかしないのですが、GWの「伊万里焼窯元市」の時だけは値引きが行われます。
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とても素敵なお皿を発見。値札の0が一つ少なかったら買うのですが・・・これでアウトレット。なかなかすごい所に来てしまったかな?
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湯飲茶碗1客で12,000円。土瓶が30,000円。5客セットで90,000円。世界が違う・・・これ、店の裏の露店で売っていました。とても店の中には入って行かれません。新作で同じ柄の「梅詰木瓜珈琲椀皿」が38,500円で現在販売されています。やはりかなり安く売られているようです。畑萬陶苑です。
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見て回るうちに、この青磁はかなり好きなことに気が付きました。
窯元が30も集まる場所です。取り敢えず見て歩いてみましょう。 -
ここは伊万里の町中とは隔絶した世界です。とっても特別な物を買えそうです。
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「鍋島青磁虎仙窯」
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ポスターになる特徴的な場所です。岩山がいいところにありますね。
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古いレンガを貼り付けた塀。焼き物の町の雰囲気そのものです。
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塀の中には「権現谷窯」
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「鍋島翠山窯」。鍋島藩の藩窯が始祖なので、鍋島なのはわかりますが、伊万里焼とは違うのかな?
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「青山窯」と書かれた煙突が有名ですが、他にも何本か煙突が建っています。ただ、今では炭で焼くのではなく、ガスを使っているのだそうです。
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大川内山は三方を山に囲まれ、出入り口には関所を設けて、技術の流出を防ぐのに適した土地でした。
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「伊万里富永窯」ここは伊万里。私の中では「鍋島」は超高級品で「伊万里」は高級品というイメージが出来て来ました。
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メインロードの脇道の先にも窯元があります。
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「文三(ぶんぞう)窯 三宅製陶所」蔵ざらえという文字がなんだか庶民を嬉しい気分にさせてくれます。
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反対側の路地を降りて行くと、天神橋があります。
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昭和59年に陶板が貼り付けられました。
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壁面には「伊万里小唄」の歌詞と祭りの様子が描かれています。
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大川内山(おおかわちやま)小唄
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欄干の陶板は、伊万里・鍋島焼の心意気です。
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見上げると、屏風岩・とんご岩を背景に鯉のぼりが泳いでいました。
九州は鯉のぼり遭遇率がまだ高いです。さすがに高速道路の鯉のぼりは無くなりましたが。 -
古い石垣には、様々な植物が彩りを添えています。
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もう少しで終点ですが、坂が急になってなかなか厳しいです。
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まだこういう風景が見られるなんて、来て良かったです。
久しぶりに心がしっとりしました。 -
終点には「藩窯公園入口」があり、そこから坂を下って行くと「トンバイ橋」があります。
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トンバイとは、登り窯で使われていた耐火レンガのことで、橋はこのレンガ造りです。
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なんだか古い鉄橋を思い出しました。
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涼し気な川べりには、たくさんの陶板が嵌め込まれています。
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紅葉の時期は素晴らしいでしょうね。
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新緑の紅葉もいいです。見ているだけで涼しそう。
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今回、私は青磁ばかりを買って来ましたが、こういう場所には色物が引き立ちますね。
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紫陽花・柘榴・椿。この公園を彩る植物が描かれています。
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公園の壁には、トンバイだけでなく、瓦も使われています。
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では、坂を下って帰ります。上って来ながら各窯元を見学して、欲しい物に目星をつけておいて、帰りに買って行きました。なんだかとっても気持ちの良い贅沢をさせてもらいました。普段買っている陶器とはかなり値段が違いますが、ここの青磁の肌にぞっこん惚れました。買って来た品々のどれを見ても悔いはありません。こういう本当にいい物をどっさり買えて、心から満足しました。またいつか資金を貯めて、(9万円のセットは無理でも)買いに行きたいです。
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大川内山の入り口に豪華な橋があります。「鍋島藩窯橋」です。
橋の外側には、龍と鳳凰が描かれているそうです。 -
内側は、花の陶板が嵌め込まれています。
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花だけではなく、中央左側は蝶、右側は小さな勾玉がいっぱいです。
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お壺様。あ、さっきの陶板と柄が一緒だ。手摺には、陶器の欠片が敷き詰められています。
「古伊万里」の名は知っていても、現在の伊万里がこんなにいいなんて全然知りませんでした。雰囲気も素敵だし、来て良かったです。 -
伊万里と有田は同じ佐賀藩鍋島家の領地内なので、とても近くにあります。有田陶器市も見てみたくなりました。何しろ、JR有田駅から上有田駅までの約3㎞が歩行者天国になって、道の両側にずっと陶器を売る露店が並ぶなんて想像が付きません。会場周辺には小規模な駐車場が点在し、一日1,000円となっています。代わりに、近在の大規模な商業施設の駐車場を無料開放して、そこからシャトルバスを運行しています。今回はアリタセラの駐車場に停めました。2万坪の敷地に22軒の店舗が店を構えています。
徒歩が長時間なのと、陶器市なのでカメラは持って行きませんでした。後でせめてスマホで1枚くらいは撮っておけば良かったと気が付いても後の祭り。
有田焼は、スーパーでも見掛けるくらい庶民的です。中には「香蘭社」のような高級品を扱う店もあります(セールやってました)が、露店では伊万里焼を見て来た目には、買いやすい価格帯が大半でした。アリタセラ ショッピングモール
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有田陶器市の郊外駐車場の一つに「有田ポーセリンパーク」があります。ここを象徴するのが「ツヴィンガー宮殿」です。ドイツ・ドレスデンに実際にある宮殿で、1723年にザクセン選帝侯アウグスト王によって建てられました。当時東洋の白磁はヨーロッパでたいへん珍重され、宮殿内には大量の有田・古伊万里・柿右衛門の陶器が保管・展示されています。この建物を模して建てられた宮殿が有田に建っています。
有田ポーセリンパーク ツヴィンガー宮殿アートギャラリー 美術館・博物館
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ドレスデンのツヴィンガー宮殿は四方をぐるっと宮殿が囲んでいますが、有田のツヴィンガー宮殿は手前の一辺だけで、その向こうにはバロック庭園が設けられています。
1993年にオープンした有田のポーセリンパークは香蘭社をはじめとする有田の企業が出資して作られました。ドレスデンと有田市は1979年に姉妹都市提携を結んでいます。有田ポーセリンパーク ツヴィンガー宮殿アートギャラリー 美術館・博物館
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2023年12月のドレスデンのツヴィンガー宮殿は、中庭で大規模修復工事が行われ、庭園は無くなっていました。修復後には新しい庭園が出来る筈です。
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唐津のホテルからの眺めです。手前を右から流れて来た松浦川が唐津城の真下で唐津湾に注いでいます。松浦橋を渡った先には日本三大松原の一つ「虹の松原」があります。
ロケーションが素晴らしい by ミズ旅撮る人さん唐津第一ホテルリベール 宿・ホテル
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ホテルの窓越しなので見づらいですが、唐津城が気持ち良く見えています。
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天守閣への階段です。実は唐津城には、北門に繋がるエレベーターがあります。城の裾野をぐるっと半周回って海側に出ると現れます。垂直ではなく、斜面を上がって行くエレベーターなので、ちょっと感じが違います。
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戦国武将流行だからでしょうか。漫画のマンホール蓋にはがっくり。
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エレベーターを出ると北門で、城の北の突端に入ります。唐津湾を見渡す展望所に行くと、伏鉢のような形の高島、その左手前に鳥島が見えます。高島へは、舞鶴橋の袂から水上タクシーが、東城内駐車場から城内橋を渡った先から定期船が出ています。あの小さな島にわざわざ島民以外が渡る理由は、「宝当神社」があるからです。宝くじなどが当たるとして人気なのだそうです。
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唐津城は右の松浦川が左の唐津湾に注ぐ河口に突き出した半島に建っています。
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虹の松原がずっと海岸線を形作っています。
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現在の天守は昭和41年に復元されました。
唐津城 名所・史跡
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天守閣から見ると、北門の周辺や唐津湾の高島がより一層、よく見えます。
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さて、福岡県に入り、念願の「旧伊藤伝右衛門邸」に来ました。
駐車場は、西に少し離れた九電工飯塚営業所の隣に広いのがあります。伊藤邸の正面にも民間駐車場があって、無料の駐車場の存在を知らないか、距離を歩くのが嫌な人がどんどん吸い込まれて行きました。旧伊藤伝右衛門邸 名所・史跡
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伊藤邸の見取り図です。長屋門から入って、南棟の正面玄関から中に上がります。繋棟を通って、北棟、西棟、そして2つの展示室(道具蔵・骨董蔵)を見学します。北棟の東側が一部二階建てになっていて、白蓮の居室でした。屋敷から出て東の外れには白蓮館もあります。
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表玄関から上がるとすぐ左手に洋風の応接室があります。
「腰壁を高く張った本格的な洋間です。マントルピースにはアール・ヌーボー風ビクトリアン・タイルを配し、格調高い英国風の演出がなされています。床は精緻な寄木張り。 -
南側に設けた出窓の欄間に嵌め込まれているのは英国製でダイヤ模様のステンドグラスです。」
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書斎。
「西側に書棚を設け、床は寄木張り。壁は帯を解いた絹の繊維を塗りこめた珍しい布壁です。板戸には背景に金粉を散りばめて四季の草花が描かれています。制作者は鞍手郡植木町(現直方市)出身で帝展審査員の阿部春峰。出窓の欄間には英国製のステンドグラスが輝きます。」 -
布壁と、草花が描かれた板戸。
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繋棟の廊下です。右側に中之間・角之間があります。突き当りが北棟の次之間です。
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平成26年度の朝ドラ「花子とアン」の展示。
主人公の村岡花子は「赤毛のアン」の翻訳者として有名で、村岡女史の人生を描くドラマだったのですが、女学校で同級となったのが、後の白蓮でした。白蓮役は仲間由紀恵、伊藤伝右衛門役は吉田鋼太郎でした。この二人があまりにも素敵だったので、主人公そっちのけで没頭しました。いつか二人が住んだ福岡の屋敷を訪れてみたい。ようやく念願がかないました。 -
歌人、柳原白蓮。明治18(1885)年生~昭和42(1967)年没。
本名は宮崎燁子(あきこ)。柳原前光伯爵と士族出身の芸者の間に生まれ、次女として引き取られました。前光の妹は、大正天皇の生母という名門華族です。やがて、15歳で縁戚の北小路子爵の長男と結婚させられます。しかし、長男を置いて20歳で離婚します。明治44年、そして、25歳で九州の伊藤伝右衛門に嫁ぎました。
大正9年、白蓮の脚本の出版交渉で、東京帝国大学の7歳年下の学生・宮崎龍介が訪ねて来ました。龍介の子を身ごもった白蓮は出奔を決意。36歳で自らの意思で生きる道を選びました。
1921(大正10)年10月22日、『朝日新聞』が、「白蓮女史情人の許に走る」と大々的に報じました。姦通罪のあった時代に、新聞に三行半(みくだりはん)を掲載し、「白蓮事件」と呼ばれました。 -
出奔前の花子への書簡。大正10年9月2日。
ドラマの設定だけでなく、実際に二人は親交があったのですね。 -
写真までありました。
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「ノリタケの雛人形」「ヘレンドの雛人形」「ロイヤル・コペンハーゲンの雛人形」
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「ドレスデンの雛人形、干支(辰)」ドレスデンは地名です。マイセンと言うならわかるのですが。
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リアドロの雛人形。リヤドロ(LLADRO)はスペインの陶磁器ブランドです。1953年に作陶を始め、世界に認められて、1995年に銀座にブティックをオープンしました。ハイポーセリンの限定作品の中に、これとほぼ同型で、四角い台座に座り、もう少し色鮮やかな雛人形が現在でも売られています。各¥655,600です。
https://www.lladro.com/ja_jp/high-porcelain/high-porcelain-world-culture/asian-culture -
伊藤家は筑豊の炭鉱王であり、財力に物を言わせてコレクションをしたのでしょう。
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昭和天皇家からの御下賜品。菊の御紋が付いています。
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英国王室下賜「イギリスのチャールズ皇太子(当時)とダイアナ妃の結婚記念ボンボニエール(純銀製)」
蓋には金製のプリンスオブウェールズ紋章。底には「Charls-Diana」、「29th July 1981」の刻印 -
美智子様皇后喜寿記念「白樺鳳凰文ボンボニエール」
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「筑前茜染の日章旗 国旗のふるさと飯塚
江戸時代、日本の船を外国船と区別することが必要となり、薩摩藩の島津斉彬が幕府に許可をもらい、日の丸を作成する際、福岡藩11代藩主黒田長博に依頼し、穂波郡山口村茜屋(現飯塚市)で作成させ、1854年に筑前茜染の「日の丸」の旗が誕生した。」
「中之間。6畳半の畳敷きの間で、南側に木製の金庫があり、北側に神棚と床があります。地袋の襖に牡丹が描かれています。制作者は鞍手郡植木町(現直方市)出身で、帝展審査員の阿部春峰です。」ガラス戸の細工も凝っています。 -
襖の地模様が素晴らしい。
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角之間
5畳ほどの畳敷きの間で、この邸宅の中心に位置します。
中程に炉が造られた茶室です。天井は網代に組まれ、丸太の長押(なげし)、竹の落とし掛け、床壁は錆土壁、東に中庭を眺めることが出来ます。 -
渡り廊下の西側中央に横長の躙(にじ)り口を設け、その北側に水屋があります。
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北棟の庭に面した廊下。こんなにも大きくて、模様が全面に現れているガラス戸が贅沢に使われているなんて。
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「優美に光る平安物語」
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平安時代の中でも最も優雅で光輝いた時代。紫式部やそのライバルである清少納言の活躍した時代を描いています。
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大河ドラマや史実に基づき見立てた人形も多く隠れています。
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平安貴族の優雅で風流な暮らしと、その日常を垣間見るような世界をお楽しみください。」
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舞台は右が梅の咲く春で、左が紅葉の秋になっています。
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屋根の上の綿は雪を現わしているのですね。
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旧伊藤伝右衛門邸の庭は2,300坪という広大な敷地に造られた回遊式庭園です。
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洒落た造りのシャンデリア。白蓮との結婚が決まり、伊藤伝右衛門は京都からわざわざ宮大工を呼んで技を尽くさせました。
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「関ヶ原の戦い」武者人形絵巻展
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平安の人形たちだけで充分驚いたのに、もう一つ人形絵巻がありました。
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戦記に詳しければ、武将の見分けがつくのでしょうが、難しいなあ。
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神功(じんぐう)皇后。
神功皇后は、夫である仲哀天皇が急死したため、妊娠中でありながら朝鮮半島に出陣して新羅を討ち、帰国後に応神天皇を産んだといいます。そのため、北部九州には神功皇后ゆかりの地が数多くあります。
神功皇后の人形を見たのは初めてです。 -
長押(なげし)には精巧な木彫が施されています。
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「伊藤家の家紋のある衣桁(いこう)」
修復工事の調査で南蔵の中から発見された衣桁(着物を掛ける道具)です。黒漆の上から伊藤家の家紋である「丸に三枡」(男性)と「五三の桐」(女性)が交互に金彩で描かれています。
後ろの襖ではなく、手前の着物掛けの説明でした。 -
明治44(1911)年3月、東京上野の精養軒で伝右衛門と伯爵柳原前光の次女燁子との結婚が成立。伝右衛門50歳、燁子25歳でした。
伊藤邸には大改装が施されます。本座敷の東側に伝右衛門の居間と新座敷、2階に燁子専用の座敷を設けます。新座敷への廊下も広げ畳敷きにしました。邸宅は高塀に囲まれ、トイレも九州初と言われる水洗式に改装され、朝食もパンに切り替えられました。 -
二階は白蓮の居室になっており、北側の窓からは庭園が見渡せます。
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一間幅の本床を置き、赤松の床柱、斜め切りの書院窓、落とし掛けには竹を使い、板床の天井は竹を伊藤家の家紋に似せて細かく桝形に組み、数寄屋風に見せています。
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銀箔を張った襖。引手がなんとなくチューリップ形。
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前室は東側に火灯口と躙口(にじりぐち)を設け、襖には銀箔を張り、丸太の長押、竹の落とし掛け等、こちらも数寄屋風に上品にまとめられています。
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北棟の見学を終え、西棟に向かいます。
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大正時代の九州とは思えないハイカラな洗面台。
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食堂
西側に食器棚を設けた洋間で、扉に蝶やタンポポが描かれ、華麗な雰囲気を醸し出しています。制作者は福岡市出身で帝展審査員の水上泰正です。寄木張りは応接室に比べ大らかで明治時代後半の特徴を示しています。 -
エルメスの雛人形。え?エルメス?確かに衣装がエルメス・・・
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伝右衛門が娘たちに贈った着物
この着物は120年以上前のもので、実際に伝右衛門の娘が着用していました。 -
西棟の外れにある道具蔵。
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中にはまたまた人形たち。
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三歌人(三賢人)
平安時代末期頃から和歌三神、三賢人などと言われて来た、菅原道真、小野小町、柿本人麻呂のような人物に、生まれた我が子があやかり「優しく、賢く、美しく、人に慕われるような人物に成長して・・・」と願いを込めて江戸時代の雛壇に飾られていました。 -
廊下の屋根まで、細工物です。昭和に入って急速に失われて行った技術が、ここには贅沢に集められています。伝右衛門が富豪だっただけでなく、伯爵令嬢を妻に迎えたために、これだけの屋敷を設えたのです。建築学的には素晴らしい組み合わせでした。
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建物の外から見た南棟の書斎のステンドグラス。
伝右衛門の死後、この屋敷は一度売却され、数年前には取り壊しなど検討されていました。しかし、飯塚市民の署名運動などによって飯塚市に譲渡が決まり、1年余りの補修を経て、現在一般公開されています。 -
伝右衛門が白蓮と結婚しなかったら、この屋敷はこのようには造られなかった事でしょう。
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南東の外れに「白蓮館」があります。歌人白蓮の資料を展示しています。
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ここは伊藤伝右衛門の屋敷の筈なのに、伝右衛門の写真は白蓮との結婚式の物くらい。蔵の中に伝右衛門の立身出世の様子がパネルで紹介されていましたが、ほとんど年表程度の内容で、中身が薄かったです。岩崎弥太郎のように、貧乏人から衆議院議員にまで昇りつめた凄い人なのに「白蓮の金持ちの旦那」程度の扱いだったのが、残念です。
これで九州北部の旅を終わります。ありがとうございました。
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