2024/05/15 - 2024/05/15
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chiaki-kさん
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スズキ(株)はホンダ、ヤマハと並んで浜松で創業した世界的な2輪車・4輪車及び船外機などのメーカーである。創業者は鈴木道雄。1909年に織機メーカー「鈴木式織機製作所」として創業された。戦後、機械技術を活かした多角化策として、早くから自動車産業への進出検討を始めていたが、本格的な参入は自転車補助エンジンブームを機にオートバイ開発に乗り出した1952年からである。更に1955年には四輪軽自動車分野にも進出し、以後、小型オートバイと軽自動車分野をメインに、日本の小型自動車業界での地位を築いた。
表紙のクルマは1965年に市販されたフロンテ800。最初はトヨタ パブリカ、ダイハツ コンパーノ、マツダ ファミリアなどの800cc車と競合するが、やがて鳴り物入りで市販されたニッサン・サニーやトヨタ・カローラの牙城を崩せず、1969年で生産終了する。生産台数はわずか2717台という今では貴重なクルマだが、2st、3気筒、FFという優れた思想を持ったクルマだった。なお、スズキはこれに懲りて1983年に初代カルタスを発表するまで軽自動車に専念することとなった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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05/15 AM4:45
ホテルのバルコニーから眺めた夜明け前の浜名湖。 -
東名高速は朝から長距離トラックで大賑わい、まさに日本の動脈。
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間もなく日が昇りそう。(瞬間は撮り逃がす)
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漁船の波紋が綺麗、今日も良い天気だね。
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7:30から朝食バイキング。夕べは食べ過ぎたので控えめにおかゆメインとする。
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食後にホテル周辺を散歩。こんな石碑が見つかる。「聖上陛下御上陸之地」昭和天皇が昭和5年に静岡を巡幸した際この海岸に船で上陸されたそうだ。
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浜松市中心部に向かうR301沿いにあった特別史跡・新居関所。
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予約した施設の時間がせまっていたのでトイレだけ借用して、また次回とした。
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10:00に予約した「スズキ歴史館」に到着、ただし写真は向かいの本社建物の一部。ちなみにホンダは東京都青山、ヤマハは磐田市に本社を構えている。
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玄関を入るとスズキの最新鋭車がお出迎えなのだが、1Fの半分が駐車場なので意外とコンパクト。まるで全国何処にもあるスズキディーラーみたい。
なお、スズキ歴史館は無料で見学できますが、駐車場が狭いこともありNETで予約が必要となっています。 -
1Fには見るべきものは無かったので2Fへ。スズキ(株)は1909年(明治42年)10月 - 創業者鈴木道雄氏により、鈴木式織機製作所として浜名郡天神町(現・浜松市中央区中島一丁目)で創業。
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そう言えばトヨタも始まりは自動織機だったね。
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織機だけではジリ貧になることを見越した道夫氏は、当時はやりのエンジン付き自転車の製造を始める。
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日本で最初の軽4輪乗用車「スズライト」も、道夫氏の強い後押しで1955年に発表された。ドイツのロイトLP400を手本として造られた360cc、2st、2気筒のFF車だが、試運転で越えた箱根の山でエンジンが焼き付くトラブルに見舞われた。
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「スズライト フロンテTLA」は初めてフロンテという名を付けたFF乗用車。
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「スズライト キャリイFB」はセミキャブタイプの軽4輪トラック。現在まで続く「キャリイ」のご先祖様。
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「スズライト キャリイL20」展示車両は「アサヒビール仕様車」ですが、日本の高度経済成長をこういったミニトラック達も支えていたのね。
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ご町内の皆様へ・・・
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やっと見たことのあるクルマが登場。フロンテ360(LC10)はエンジンをリアに変更、リアエンジン、リアドライブで登場しました。
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空前のマイカーブームによって、スバル360、ダイハツフェロー、マツダキャロル、少し遅れてホンダN360などが次々と登場した時代です。
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こんなスポーツモデル(フロンテSS)もあったんですね。
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高度経済成長で所得が増えると、必然的に上級車への移行が起きてきます。最初はトヨタ パブリカ、ダイハツ コンパーノ、マツダ ファミリアなどの800cc車でしたが、スズキも負けじと1965年に「フロンテ800」を世に問いました。
まるでBMW2002を思わせる流麗なデザインは二輪車のコレダ・セルツインSB等を手がけたデザイン課係長佐々木享氏がY4計画として担当し、空力学的に優れた形状で前面投影面積を縮小し曲面ガラスが採用されるなど意欲的なクルマでした。 -
やがて鳴り物入りで市販されたニッサン・サニーやトヨタ・カローラなどのリッターカーの牙城を崩せず、1969年で生産終了する。生産台数はわずか2717台という今では貴重なクルマだが、2st、3気筒、FFという優れた思想を持ったクルマだった。なお、スズキはこれに懲りて1983年に初代カルタスを発表するまで軽自動車に専念することとなった。(再掲)
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1970年に大坂で開催された万国博覧会場で使用されたキャリーEV。EV車はバッテリーを除けば構造が簡単なので100年前から存在している。しかし社会の仕組みを根本的に変えなければならないなど、単純にクルマを置き換えればれば良いという問題では無いところが難しいのです。
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1967年にホンダから31馬力のN360が発売された事をきっかけに軽自動車のパワー競争が勃発。これに対抗すべく各メーカーからもスポーティーでハイパワーなモデルが次々と投入される中、スズキは1971年に3代目フロンテの派生モデルとして本モデルを発売した。
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この「フロンテクーペ」はジウジアーロのスケッチを元にスズキ社内の若手デザイナー、内藤安弘氏がデザインし直したものが採用された。
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エンジンは水冷2ストローク直列3気筒のLC10W型で、これに3連キャブが奢られ、僅か356ccの排気量から37馬力を発生した。これをリアに搭載して後輪で駆動するRR方式とする事で前後重量配分は39.5対60.5、ゼロヨン加速は19秒47という俊足ぶりを発揮し、別名を「軽のF1」と呼ばれた。
1978年に面白いスタイルに魅せられ、最初のセカンドカーとして市内の中古車店より購入する。GXCFというグレードには後に座席らしきものがあったが、とても大人が座れるようなしろものでは無かった。エンジンはピーキーで、元気に走るには常に最大トルク付近の回転を維持しなければならず、左手、左足を酷使する車であった。また、急ブレーキをかければ重いリアエンジンに押し出されて車が横向きになりたがる性質もあった。
確かにマニアにとっては面白い車と言えるかもしれないが、乗り降りにはアクロバチックな姿勢を強いられ、座席以外に物を置く場所は無く、レーシングカーに乗ったような路面を常に見せられ、上記のとおりシフト、クラッチを煩雑にこね回さないと満足に走ってくれない困った車でもあった。そんな訳で、実用性ゼロに近い車であったため、1年後、アルトに買い換えた。 -
「アルト」は1979年、全国一律47万円という驚きの価格で発売された軽ライトバン。スズキでは開発に先立つ市場リサーチで当時「軽自動車の基本乗車人数は1~2人というデータを得ていた。軽バンは法的には商用車であるから後部座席の居住性は良くないが、フロントシート2座席分は普通の軽乗用車並みの居住性が確保されるので、大方の軽乗用車ユーザーの使用環境なら問題は生じないと看破したのである。結果として正しい判断であった。
全長3195mm、全幅1395mm、全高1335mm、ホイールベース2150mm、車両重量540kg、水冷直3、660ccの2サイクルエンジンをフロントに搭載、前輪を駆動するFF車、最高出力は28ps/5500rpm、最大トルクは5.3km/3000rpmで、グレードはモノグレードで発売価格は470,000円。 -
当時、商用車には物品税が非課税であったことを逆手にとったスズキのスクイズ?の大成功で、軽ボンネットバンという新たなジャンルを開拓した軽自動車である。
1979年、アルトが発売になったその年の暮れに、フロンテクーペを購入した中古車屋から新車で購入。納車日の夕方、保育園に子供を迎えに行くので急いでおり、車の受け取り、代金の支払いは暗くなった職場の駐車場でやった記憶がある。 -
4段フロアシフトのMT車だったが、フロンテクーペと較べれば運転はらくちんで、ガソリンとオイルだけ入れておけば故障など考えられない単純な構造の車であった。ただ、問題は2サイクルエンジンで、急発進や登坂などエンジンに負荷がかかると、カチカチ山の狸よろしく、白煙もうもう状態となった。
なお、アルトの開発を指導したのがスズキ中興の祖、鈴木修氏。「安くする為ならエンジンも外せ」とも言ったそうだ。後述する「ワゴンR」も修氏が関係したヒット作だが、修氏最大の貢献はインド、インドネシア、パキスタンなどの発展途上国に進出する足がかりを築いたことだろう。インドのマルチ・スズキについては過去ブログにもUPしましたで参考にご覧ください。
2018年 インドくるま事情:インドに輝くスズキの星
https://4travel.jp/travelogue/11329471 -
ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車から、軽四輪駆動車「ホープスター」の製造権を、当時スズキ東京の社長であった鈴木修氏が、社内の反対を押し切り買い取ったことに端を発する。(これも先見の明があったと言えるだろう)発表されると、維持費の安い軽自動車でありながら、大型の四輪駆動車以上の機動力を発揮する実用性で、「それまでにない軽自動車」として市場に評価され、スズキの販売力もあって、大きな商業的成功を収めることとなった。
余談だが猛反対した社員からは「こんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」とまで言われたそうだが、ちょうちん行列が行われたかどうか定かでは無い。 -
軽自動車の排気量がUPするごとにジムニーもNEWモデルが出るが、これは550ccモデル。ジムニーを購入した職場の同僚をそそのかして悪路で有名な川上牧丘線を越えたりしたが余裕でクリアした実力に驚いた。
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ワゴンRは1993年に発売された軽自動車だが、それ以前の軽自動車は高さが135cm~140cm程度のガマン系乗用型もしくは、軽トラックを改造したような乗り心地無視系商業型ワンボックスしかなかった。そこでワゴンRは床面を上げずに天井を15cmほど上げ、さらに座面を10cm程度上げたことで足下の窮屈感を無くし、視点を高くすることにより前後席とも視界が良くなり、開放感を得ることに成功する。
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このように軽乗用車と、軽商用車を足して2で割ったような革新的なワゴンRは大ヒットし、フォロワーとなったダイハツ・ムーブ、ホンダ・ライフ、三菱トッポBj、スバル・ステラなどと共に”軽トールワゴン”という新しいジャンルを開拓して、ダイハツ・タントなどのスーパートール1BOX車が登場するまで、軽自動車のトップセールスの座に長く君臨した。
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バブル景気により軽スポーツカーも各社から市販されていたが「カプチーノ」は唯一のFRレイアウトで、フロントアクスルより後部にエンジンを位置させる「フロントミッドシップ」を指向し、フロント51対リア49という重量配分を実現している。ボディやルーフの各所にはアルミニウムを使用し、日本最軽量となる14インチアルミホイールも用意されるなど、軽量化にも気を配っている。ブレーキは4輪ディスクで、フロントにはベンチレーテッドタイプを採用し、オプションでABSやトルセンAタイプLSDも用意されていた。バブルが終了し軽スポーツはコペン以外皆消えてしまったが最近カプチーノ復活の噂もチラホラ聞かれるようになってきた。
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スズキ歴史館もそろそろ最終の展示となり最後はEV車についての展示を期待したが、2003年に造られたFCV(燃料電池車)の試験車とか、Q-Conceptという遊園地にありそうな乗り物で終わっていた。
2019年8月にスズキはトヨタと資本提携を発表した。これでスズキは周回遅れとも言われるHV、EV、FCVの開発を自社だけでやる危機を解消でき、トヨタにとってはスズキが築いてきたインドやアセアン諸国との関係を利用出来ると考えたのだろう。 -
スズキ歴史館には4輪だけで無く2輪も数多く飾られれているが、私は2輪のことはほとんど解らないので、最後にGSX1300Rハヤブサという1999年当時、市販バイク世界最高速度(312km/h)を記録したモデルを見て終了とした。
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浜松市を離れ向かったのは牧之原市と島田市の境に造られた富士山静岡空港。
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合成写真と思われるが、残雪の富士山をバックに離陸する中国東方航空機。
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着陸のタイミングを撮り逃がしてしまったが、その中国東方航空機がゲートに向かっている。
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霞んではいたが、窓の外には富士山。
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3Fのレストラン街にあった「清水港・海山」で海鮮丼を食べるがネタが大きくて口に入れるのに難渋する。
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サービスのお茶はもちろん静岡・牧ノ原茶。
空港駐車場は1時間無料なので美味しいお茶を急いで飲んだ後、小走りで駐車場へ急行、見事1分前でセーフ! この後、牧ノ原市内へ移動し高柳製茶さんで牧ノ原新茶などを購入したのは言うまでも無い。 -
相良牧之原ICから東名高速に戻るが、妻がイチゴを食べたいと所望するので日本平久能山スマートICで高速を降り、石垣イチゴストリートへ。NETで探した早川農園さんにチェックイン。
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イチゴパフェを注文。左側が妻の注文だがサイズに注目!
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清水ICから東名高速→中部横断道→中央道を経由して自宅に18:00頃に到着。清水から3時間で着いてしまうとは近くなったものです。で、今回の中締め写真は戦利品をUPしてみました。
これで「2024年 南信州・浜松旅行記2:浜松の鈴木から世界のスズキに」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。
PS:我が家のスズキ車(ワゴンRスティングレー)の燃費ですが678.3kmを33.48Lで走破しましたので20.25km/Lとなりました。やはり高速道を走ると1~2km/L落ちますが、まあまあかと思います。 -
OMAKE1
メインは牧ノ原の新茶。静岡空港から10分ほど移動した高柳製茶さんで購入。まだ開封していないのでコメントは後日とします。 -
OMAKE2
清水の早川農園さん手作りのイチゴジャム。手作り感満載で美味しいです。なお、時間が無いのでやりませんでしたが、5月15日でもイチゴ狩りが出来たそうです。 -
OMAKE3
お馴染み浜松・春華堂のうなぎパイ -
OMAKE LAST
スズキ歴史館でタダでもらえた初代アルトのキーホルダー。ABS加工コーナーでガチャ風にもらえました。
軽自動車も安全デバイスの強制装備などにより殆どの車種が100万円を越えていますが、100万円を越えないような安いモデルを一台でも良いので残しておいてほしいものです。(中古を買えというのは無しで)
前回、軽自動車税が値上げになったとき鈴木修さんが言った「貧乏人をイジめるようなものだ」と言った言葉は未だに忘れません。
おしまい
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