2024/05/02 - 2024/05/02
436位(同エリア4685件中)
白熊爺さん
このところ立て続けに訪問してとても良かった三の丸尚蔵館に再再訪です。
今回は第3期の展示になります。
今回も皇室の身の回りのものを拝見できるようです。
他の美術展とは一味違う雰囲気で毎回異世界に行った気持ちになるので来るたびに新鮮です。
そのような独特な雰囲気に没入できるありがたい機会はなかなかありません。
今回もウキウキしながら出かけてまいりました。
今回は時間があれば皇居東御苑もお散歩しようと思います。
またまた来ちゃったやんごとなきお宝鑑賞の旅のはじまりはじまり~
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年5月2日(木) 晴
【5月2日の歩行数 未測定】
本日もやって来ました地下鉄大手町駅のC13b出口。
ここに来たということは、、、
三の丸尚蔵館にまたまたやって来たというわけです。
私、三の丸尚蔵館がどんだけ好きなんでしょう~w -
内堀通りを渡るとお堀の向こうに大手門が見えます
-
今日は時間があれば後で皇居東御苑に行こうと思っています。
-
今日は前回よりは空いてるのかな?
-
大手門の枡形虎口の中も割合空いていました
-
大手門を過ぎました。
思ったほど混んでいません。
よかったです。
明日からゴールデンウィークなので今日来てよかったです。 -
新館は建設中。
早く出来るといいなぁ。 -
と、喜んでいたら、、、
あ~、、
ここに来ると混んでいました、、
海外からの人が多いですねー。
声がでかいのですぐわかります。 -
三の丸尚蔵館の前でも中に入るんだか入らないんだか、、、
私の理解できない言語でワーワー喋っていてなかなか中に入りません、、、
ちょっとジリジリしてしまいました、、、 -
やっと入ってくれました、、、
では、私も後につづきます。 -
中は意外に人が入っていました
-
カウンター前で今日のチケットを購入している人がいました。
時間指定だけしてここに来たのかな? -
本日も
皇居三の丸尚蔵で開館記念展
皇室のみやび―受け継ぐ美―
を鑑賞させていただきます。 -
コインロッカーもあるのでお手荷物はここへどうぞ。
お金は戻って来ますので安心してください。 -
私はネット事前に時間指定予約と決済をしてあったので奥のカウンターでORコードを読み取ってもらって入場です。
今回も1000円です。
激安! -
今回は
皇居三の丸尚蔵で開館記念展
皇室のみやび―受け継ぐ美―
の第3期です。
今回のこの一連の美術展は私にとってはなんだか一種独特な雰囲気です。
私の感じ方は、、、
他の美術館のように美術品を鑑賞するという感じではないんですね。
どちらかというと美術品の発する空気感に浸るという要素が濃厚な感じで来ています。
しかも統一感のある空気感でなかなか無い雰囲気です。
今まで他の美術展では感じたことのない特異な雰囲気が漂っていて、
ある種異世界への没入型展示のような雰囲気がしています。
それがちょっと私のツボにはまった感じになっています。 -
ご挨拶
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ご注意
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英語は全然読めないです~w
でも生きていく上では全然困らないです~w -
ここで写真を撮っていた3人連れの中南米から来た感じのおじさん、おばさんがいました。
せっかくなので写真を撮ってあげると申し出ました。
3人は大喜びでラテンのノリノリでサンバ風なポーズw
ラテンのりおじさんが「私の写真も撮るよ!」って言われたので、、、
恥ずかしながら私も1枚撮ってもらいました。
ラテンおじさん、ラテンのりで「グーーッド!!」とニヤリ
& そして親指立ててグーッドのサイン~w
さすがラテンのノリは良いですねw
ラテンのおっさんはとても可愛いです~w
でも私、写真を見るとちょっと老人猫背になっていますね~w
この写真を見て相応の歳を感じちゃいました~w -
ではでは展示室に入りましょう。
今回は
第3期:近世の御所を飾った品々
という企画で展示されているようです。 -
時間指定なので混雑していませんが多くの人が来ていました
-
この美術展の客層は今回も他の美術展よりも大変良いです。
静かに堪能される方が今回も大半ですね。
声高に謎な解説するおばさん連中、
ヒソヒソおしゃべりしに来てるカップル、
固まってザワザワしているグループ客、
なども少なくてマナーがとても良いです。 -
初公開
琉球塗板屏風
旧桂宮家に伝わるものだったようです。
江戸時代後期には桂離宮に飾られていたそうです。 -
正面側
エキゾチックな感じです -
裏側
あの桂離宮にこれがあったのかー。
薄暗い日本家屋の屋内にこの丹色の屏風があったらパッと華やかに目だっただろうね。 -
蔦細道蒔絵文台・硯台(旧桂宮伝来)
桃山時代(16世紀) -
豪華な蒔絵です
-
裏の蒔絵もゴージャス!
この豪華さは桃山時代っぽいといえばそういう風にも見えますね。 -
硯台も負けず劣らず豪華
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琉球塗料紙箱・硯箱
江戸時代(17世紀)
これも旧桂宮家に伝来したもののようです -
古地図風な雰囲気の風景画
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赤の色が結構モダンな感じがする
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筝銘佐々波
桃山時代(16世紀)
これも旧桂宮家に伝わったもののようです。 -
筝は雅楽に使われる13弦の楽器です。
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象嵌が見事ですね
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細やかな細工の象嵌です
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箏はこの柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節します。
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琵琶 銘旭
江戸時代 1854年(嘉永7年) -
御所が火事になって楽器が消失したので水戸藩第9代藩主 徳川斉昭から孝明天皇に献上したもののようです。
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裏面には徳川斉昭の詩が書かれています。
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松竹薔薇蒔絵十種香箱
江戸時代(18世紀)
京都御所に代々伝わったもののようです。 -
2段重ねの10種類の香箱のセットのようです。
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香の入れている小箱
四季の草花が蒔絵で描かれています -
奥行きと広がりを感じる構図が良いですね
-
2段の重箱の細工が見事
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泔坏・菊花散蒔絵台
江戸時代(18世紀)
有栖川宮家に伝わったもののようです。 -
ものすごく儀式的な造形です。
蓋のついた入れ物に調髪のための湯水を入れていたのだそうです。
人前に出ることが多かった皇族の方々はひっきりなしに身支度されていたのでしょうね。 -
使わないときはこのように台に乗せて棚などに飾っていたようです。
常日頃使う物なのでサッと出して使えるように見える所に置いていたのでしょうね。 -
梨子地菊花散蒔絵角盥・はぞう(←漢字が出ないw)
江戸時代(18世紀)
有栖川宮家に伝わったものらしいです。 -
うがいや手洗いに使われるものらしいです。
日常使いではなく儀式用らしいです。 -
初公開
東宮加冠用唐匣・台
江戸時代 (19世紀)
京都御所に伝わったものようです。 -
整髪の道具が入れられていたようです。
これは皇太子の成人式の時に使われたようで平安時代のものを再現したようです。 -
今でいうグルーミングセットが中にセットされて入っていました
-
全て見せます状態の写真です
-
重箱の蒔絵と螺鈿の細工も美しいです。
全体が上品ですねー。 -
印籠
江戸時代(19世紀)
京都御所に伝わったもののようです。 -
孝明天皇は印籠コレクターだったようです。
260点の印籠をコレクションして目録まで作っていたそうです。 -
左は野馬蒔絵印籠
右は胡蝶蒔絵印籠 -
左は蝉蒔絵印籠
中は松に虎蒔絵印籠
右は葵祭行列彫刻印籠
どれもとても凝っていて見入ってしまいます。
まるで小宇宙という感じです。 -
初公開
唐物茶壺 銘 玉簾
中国・元~明時代(14世紀~15世紀)
京都御所に伝わったもののようです。 -
釉薬が底に向かって簾のように垂れている様が名前の由来のようです。
焼き物にはあまり心が動かない私は、
この壺をいくらジックリ見てもやっぱり心は微動だにしませんw
まるで漬物とかドブロクの壺みたいだなーという平凡な感想しか湧かなかったですw -
修学院焼ふくべ形香炉
江戸時代(18世紀)
有栖川宮家に伝わった物のようです。 -
蓋がついた状態の写真
-
これはけっこう面白いと思いました。
現代の感性で見ても可愛いです。
修学院焼の現存する作品は少ないそうです。 -
最初の展示室を出ました。
-
次に第1展示室に行きます。
-
私、今ままでずーっと勘違いしていましたが、
最初に入った展示室は第2展示室でしたねー。
多分ですがこの並びでいくと、
今建設中の建物が第3展示室になるのかな? -
第1展示室に入りました。
こちらは最初に入った第2展示室よりも広いので大物の展示が多い印象でした。 -
百鳥図
中国・明時代(16世紀)
京都御所に伝わったものらしいです。 -
ん~~。
これはすごいですね~~。
中国の宮廷にあった物を基に描かれたようです。
このころの中国の物のクオリティはすごかったんですねー。 -
明治時代に京都の妙心寺から献上されたようです。
元々は京都御所にあった可能性がある物だそうです。
誰かが横流ししたのでしょうかね??
この絵の前では中国人観光客がさかんに写真を撮っていました。
やはり中国人の感性にはこの絵は刺さるんでしょうね。 -
浜松図屏風
桃山時代 1605年(慶長10年)
桂宮家に伝わったものらしいです。 -
これはこれは。
大胆で豪華ですねー。 -
大まかそうで近くで見ると意外に細かく書き込んでいました。
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大胆な空白が良い感じです。
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こういう豪華な感じが桃山時代という気がします。
これを飾るとお部屋も一気に華やかになりそうですね。 -
初公開
牡丹に蝶 茶に小鳥図衝立
江戸時代(19世紀)
京都御所に伝わった物のようです -
表側は牡丹と蝶の絵です
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円山応挙の円山家を継いだ円山応立の作のようです。
この方は京都御所の障壁画を描いているので、この絵もその時に描かれたと考えられています。 -
裏面は茶の花と小鳥の絵ですね
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源氏四季図屏風
江戸時代(18世紀)
京都御所に伝わったもののようです。 -
当時のスーパースター絵師と言っていい円山応挙の作ですね。
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源氏物語に出てくる庭の四季が描かれています。
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光源氏が造営した六条院の庭園ということです。
大胆な構図ですが書き込むところは細かく書きこまれていて見飽きませんね。 -
こうして広げてみると大庭園の空間の広がりが感じられる絵ですねー。
お部屋に置いたらさぞかし広々とした感じになるんでしょうねー。 -
国宝です。
更級日記
鎌倉時代(13世紀)
京都御所に伝わる物のようです。 -
名前だけはみんな知っている更級日記。
平安時代の作品ですね。
作者は菅原孝標の次女・菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ)。
本名は伝わっていないそうです。
彼女の10歳頃から50歳頃までのことが描かれている日記です。
私が以前読んだ印象では日記というよりも回想録という感じがしたような覚えがあります。
この本はずいぶん大昔に現代語併記の文庫本で読みましたが共感する事しきりでしたねー。
江戸時代にも人気の本だったようです。 -
これは藤原定家の写本ですね。
この藤原定家の写本は国宝だそうです。
藤原定家が誰かにこの原本を貸したら無くされたそうですw
仕方なくその写本を再び藤原定家が写本したのがこれです。
でもその時に借りた写本が間違ってる箇所があるのでそれの注釈入りというのがこの本の特徴w
更級日記は日記というよりも源氏物語にあこがれた普通の少女の人生の回想録という感じだったような覚えがあります。
何気ない当たり前の人生にもそれなりに波風が立つ。
ある意味誰しも覚えがある普遍的なお話が説得力を持って語りかけてくるので、人々も共感するし古びないという感じなんでしょうね。
お手軽価格の文庫本で現代語解説付きもあるので一度読んでも損はない本です。
私のような内向的な人なら共感する事間違いなしだと思いますw
でも文庫本の小さい文字は老眼にはキツイですがねーw
私も今だったら無理ですーw
そして日本の文学は、源氏物語やなにやかにやで平安時代にすでに頂点を迎えていたという現実に驚く感じですねー。
最近の小説は全然知らんけどw -
雲紙本和漢朗詠集 巻上
平安時代(11世紀)
京都御所に伝わるもののようです -
こんな客引きがいましたw
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ヘェ~~
国宝になりたてのホヤホヤみたいです -
雲紙本和漢朗詠集のデザインが斬新です
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藤原公任が選んだ和漢朗詠集を源兼行が写本したとされています
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雲型本という名称は見てわかるように青く染めた部分がそのように見えるからですね
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斜めに入れる所がナウい感じですw
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これからは国宝として箔がついたので目玉の一つになりますね。
何と言っても泣く子も黙る国宝です。
美術品に興味がない人でも国宝には興味がありますからねーw -
和歌懐紙・詩歌懐紙張交屏風
室町~江戸時代(16~17世紀)
京都御所に伝わるもののようです -
金屏風に一面に貼り付けられています。
屏風一雙に24人。
計48人分の歌が載せられています。
詩歌会で読まれたものを後に屏風にして伝えられたと考えられています。 -
1~8
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1~8
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9~16
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9~16
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17~24
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17~24
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25~32
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25~32
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33~40
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33~40
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41~48
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41~48
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源氏物語図屏風
江戸時代(19世紀)
京都御所に伝わるもののようです -
屏風の高さはそれほどでも無いですが、とても存在感があって遠くからでも目を引きました。
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源氏物語の4場面を描いているそうです
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狩野派の狩野永岳の作だそうです。
この方は京都御所の障壁画も担当されたそうです。 -
右側の屏風
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解説
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左側の屏風
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解説
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紅葉賀
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紅葉賀~澪標
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澪標
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澪標
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澪標
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松風
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六玉川図巻
江戸時代(18世紀)
京都御所に伝わったもののようです。
住吉広守の作らしいです。 -
気になる「六玉川」というのは、
歌枕として古くから和歌に詠みこまれた、全国の六つの玉川を指すそうです。
「玉川」という言葉は「美しく清らかな川」を意味するそうです。
そしてその6つの玉川は
調布(武蔵国)
井手(山城国)
高野(紀伊国)
三島(摂津国)
野田(陸奥国)
野路(近江国)
の六つだそうです -
井出の玉川(京都)は山城国ですね
-
三島の玉川(大阪)は摂津国ですね
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調布の玉川(東京)は武蔵国ですね
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野路の玉川(滋賀)は近江国ですね。
あれ??
6つは無かったような、、、 -
などと、美しくも雅やかな雰囲気に浸っていたら、、、、
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その時!!
バタンッ!
突然、音を立てて場内は真っ暗に! -
場内は一瞬ざわつきましたが、
さすが日本人が多かったので皆さん落ち着いて騒ぐ人はいませんでした。
静かにその場で経過を待つ雰囲気でした。 -
もしかして、、、
キャッツ参上!か?? -
と思ったら明かりがつきました。
どうやら無くなったものは無さそうでした。
キャッツアイは参上しなかったみたいです。
大きな屏風を背負ったキャッツアイ3姉妹も見てみたい気もするが~w -
見学終了
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今回も独特な世界の中に没入できました
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外へ出ると良い天気
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今回も素敵な異世界体験ができました
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今回は展示物が大きなものが多かったので点数は少なめでした。
それで思ったよりも早く見学が終了しました。
せっかくなので皇居東御苑に行きましょう。 -
今日は前回行かなかったところに行こうと思っています
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同心番所を右に見ていきます
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中之門の前に広場に向かいます
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中之門の前の広場に入ります
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左手には百人番所があります
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百人番所の裏の百人番所の形に刈り込まれた生垣も健在でした。
これにまた会えて嬉しいです。 -
広場の一角には石垣の石が展示されていました
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石垣の解説
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平成17年から19年に石垣の修理をしたようです
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石垣好きな私は結構萌え萌えでした。
表面側は綺麗に処理されているのがわかります -
側面も丁寧に処理されていますね
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背面は意外にワイルドw
奥側の幅は狭めるような処理はしていますね。
こういうのはなかなか見る機会が無いのでウキウキします。 -
美しい石垣ですねー
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築城当時はもっと石が鋭角的だったのかなぁなんて想像してしまいます
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中之門の銘板
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古写真によるとこの上に渡櫓が乗っていたようですね。
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看板に在りし日の姿の写真がありました。
こういう姿で来訪者を圧倒していたのですね。
見てみたかったなー。 -
では中の門を入ります。
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右手の少し高い所に大番所があります。
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中之門を入った正面の石垣は少し荒れ気味でした。
一部積み直しをしたのかな?と思える箇所も何箇所かありました。 -
本丸に来ました
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ここに江戸城の中枢があったのですねー
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オブジェ??
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色の剥がれた看板には「緑の泉」とあります。
昔の写真を見るとここは噴水池だったらしいです。
石の間から水が流れ落ちてる写真が出てきました。
それが池に浮かんでいる感じの写真でした。
今はすっかり埋められて枯山水状態ですねーw -
今回はここが最初の目的地です。
本丸休憩所増築棟 -
この建物の中にある江戸城天守復元模型が見られます。
入場無料です。 -
写真撮影ができます
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それほど広い室内では無いです。
想像した物よりも小ぶりな模型でした。 -
外から見た建物の大きさから考えて、高さがこの2倍くらいの見上げる感じの高さの模型を想像していました。
この建物の大きさの目一杯の高さで作られたわけでは無いようです。 -
解説
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解説
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解説
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解説
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解説
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黒が使われてい感じが徳川趣味な感じなのは伝わりますね。
江戸城の天守閣は3度作られたそうでこれは最後に建てられた天守閣の模型だそうです。 -
この天守閣は一時期はオリンピックに向けて再建しましょうという再建運動の高まりもありましたね。
結果論ですがオリンピックがああいう残念な形だったので再建運動も尻すぼみになっちゃいましたね。 -
でも資料とかは揃っているようなので資金さえ揃えば再建可能なようです。
この模型は1/30のサイズで作られているようです。 -
確かにこれは実物を見てみたいですねー
石垣を含めた高さは60メートルあったそうです。
20階建てのビルに相当するという巨大な天守閣だったそうです。 -
解説
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解説
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解説
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解説
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この天守閣は3代将軍徳川家光が建てたそうです。
1638年(寛永15年)に竣工したそうです。
インバインド客には食いつきが良い感じでした。
日本人はお金がないので再建のための募金をしていってくださーいw -
解説
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解説
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解説
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解説
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この天守閣は日本で作られた天守閣の中でも最大のものだったそうです。
簡素なデザインで上品な感じがしますね。
唐破風も控えめ、破風も控えめ。
目立たない感じですが黒壁と白壁の対比が綺麗です。 -
解説
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解説
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解説
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解説
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解説
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江戸城本丸は標高が高い台地の上にあるので、この天守閣はそれを加味すると80メートルの高さになり江戸市中からもよく見えていたようでその存在を誇示していたそうです。
建物の立ち上がりも均整がとれた美しさで江戸市中から見るとさぞかし存在感があったでしょうね。 -
建物に対して石垣がスリムで建物の立ち上がりも均整がとれた美しさですから江戸市中から見るとさぞかし存在感があったでしょうね。
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それでもこの天守閣は1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失して20年間しか存在してなかったようです。
構造的には外壁には防火用の処理をしていたにも関わらず、開いていた窓から建物内に火が入るというオマヌケさw
ま、そういうこともあるあるですねーw
4度目の再建は現在ある天守台の石垣だけ積み上げて中断したようです。
明暦の大火で江戸市中が焼失しその復興にお金が無かったからだそうです。
その後は富士見櫓が天守閣の代わりをしていたそうです。
果たして私の生きている間にこの天守閣は再建されるのでしょうかね?
ともかくタダで良いものが見られました。
では次に行きましょう。 -
隣の本丸休憩所に行ってみます
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ここには大嘗宮に関する色々な展示物があります
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大嘗宮の解説
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大嘗宮の模型
大嘗宮は天皇即位のための建物です。
先ほど通った本丸の芝生のところに建てられました。 -
大嘗宮の絵図
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江戸城の絵図
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大嘗宮の写真
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大嘗宮の写真
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大嘗宮の模型
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大嘗宮の模型
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雅楽の模型
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この売店には他では見かけないような興味深いものが売られています。
この売店の前には皇室関係のビデオが流れていますが撮影禁止です。 -
今日は暑いのでアイスが嬉しい
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味わいソフト 160円
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ソフトという名前ですが普通に硬めのアイスですw
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ラクトアイスです。
美味しー。
こういう感じの作られたお菓子味のアイスは高級アイスに食べ慣れてない私にはお口によく合う食べ慣れた味ですねーw -
パンフレットがあったのでいただきました。
中は地図になっているので散策に役立ちます。
無料です。 -
本丸休憩所をでました
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本丸休憩所の前には広々とした芝生が広がっています。
この芝生に大嘗宮が令和の天皇即位の時に作られました。 -
広々とした芝生に建てられた大嘗宮は約90メートル四方の敷地に大小30余りの建物が建てられたそうです。
主要な建物とされるのは中央の左右に配置される「悠紀殿」と「主基殿」だそうですです。
それぞれ、東の悠紀殿には「悠紀」地方に選ばれた栃木県の米や、西の主基殿には「主基」地方に選ばれた京都府の米などが供えられ、儀式では天皇陛下が中に入って国と国民の安寧や五穀豊穣を祈られたそうです。 -
この儀式は午前6時30分から始まり午後9時まで続く
とても過酷と言っていいような長い長い祈りの儀式のようです。
全てが古来よりの儀式にのっとった作法で進められているというから驚きです。
全ての作法が残されて伝えられていることにも驚愕するしかないですね。
古来と言っても7世紀後半から続くというから、
ものすごーく長い歴史の儀式なんですね。 -
この「大嘗宮」は儀式のあと、2019年(令和元年)11月21日から12月8日までの18日間の日程で一般参観が行われた後に解体されました。
大嘗宮一般参賀は792911人の人が訪れたようです。
私も行くつもりでしたが、、、
ものすごい大混雑で私は参賀を諦めた記憶があります。
みなさんイベント大好きだからねーw -
この大嘗宮は清水建設が担当したようです。
9億5700万円で落札したそうです。
この金額は当初の予定よりも4割ほど安かったようです。
予算の少ない宮内庁のケチケチプランで大嘗宮の2割縮小や茅葺葺き屋根をやめて板葺き屋根にしたり、プレハブ小屋にしたりと大変だったようです。 -
まぁ、7世紀後半から続く貴重な儀式なので、
あまりケチらずにありのままで伝えた方がいい気もしますがね~。
後世の研究者のためにもオリジナルな部分は変えない方がいいのではなどと思ってしまいます。
当時はこの近辺ではこの儀式に反対してた人たちがワーワーとデモってましたけどね~。
ホント世の中いろんな人がいますね~。 -
そんなこんながあったこの広大な芝生広場ですが、
ここには江戸城の頃は本丸御殿があり江戸幕府の政治の中心であり続けました。
本丸御殿は表御殿、中奥、そしてその奥には皆さんおなじみの大奥がありました。
表御殿は江戸幕府の政治の中心。
中奥は将軍のプライベート空間。
大奥は女性のみの空間。
この本丸御殿はしょっちゅう火事になったらしく記録にあるだけでも5回焼失したらしいです。 -
芝生広場の横にはバラ園がありました
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ちょうど咲いているバラもありました
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欧米人が盛んに写真を撮っていました
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欧米人はバラが好きの人が多いようです
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バラ園の先の土手を登る道がありました
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土手を上がるとなにやら白壁の建物が見えてきました
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どうやらここは入場できるようです
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ここは富士見多聞という建物ですね。
入場できるようです。
江戸城の本丸にはこのような多聞が15あったそうです。 -
ここは入場無料です。
多聞というのは長屋形式の防衛施設で武器の保存などをしている建物のようです。
現在、江戸城の多聞が現存しているのはこの富士見多聞のみのようです。 -
中は天井が低く納屋のような雰囲気もありました。
ものすごく長い建物のようです。
外国人観光客がウジャウジャ来ていました。 -
建物内は撮影できます
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この富士見多聞は高さ20メートルの石垣の上に建っているので防衛としての機能も兼ね備えています
-
解説
-
解説
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格子窓からは蓮池ごしに皇居方面が見えます
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この富士見多聞には鉄砲や弓矢が収められていたようです
-
解説
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こちらの方向に富士山が見えたようです
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現在は樹木が高く生い茂っているので富士山は見えないようです。
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解説
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こちらの展示資材には昔の道具による痕跡が見てとれます
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これは江戸時代の敷居のようです。
この敷居の裏側にしっかりと加工の跡が残っていますね -
解説
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木が茂っているいるあたりは紅葉山と呼ばれているようです。
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この多聞は一部に襖のしつらえられていた痕跡があり倉庫以外の目的としても使われていた可能性があるとも考えられています
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この富士見多聞は1968年(昭和43年)に解体修理されたようです
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関東大震災の時にも修理されていてその時にモルタル下地、白セメント仕上げになっていたものも、昭和の修理でモルタル下地、漆喰仕上げで修復され往時の姿で再現されました。
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無料なのに見ごたえありでした。
西洋人の観光客が大勢来ていましたが、納屋のような雰囲気の建物内に戸惑っているのがおかしかったです。
金屏風で舞妓さんのショーでもあるのかと思ったのでしょうかねw -
出口を出てから振り返ってみました
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こういう建物は本丸だけでも15箇所あったというのだから、本丸内はさぞかし様々な建物が立錐していたのでしょうね。
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御休息所前多聞の碑
将軍の休息所の前にあるので富士見多聞はこのようにも呼ばれていたようです。 -
富士見多聞から芝生広場に降りていきます。
インバウンド観光客がウジャウジャいます。 -
坂を降りた所に解説がありました
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この辺りは日本全国から集められた桜が植えられていました
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この時期には桜の木には花が無いのでちょっと寂しい
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土手に沿って歩くと石造りの何かがありました
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防空壕??
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石室のようです
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大奥の防火用の保存倉庫のようです
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白い可憐な花が咲く草原
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竹が茂っています
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解説
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色々な竹が植えられています。
でもどれがどれやらという感じでした。 -
次はあちらにいきます
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石垣が見えています
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江戸城天守台ですね。
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江戸城天守閣は3度建てられました。
この石垣は4度目に作られましたが天守閣がこの上に乗ることはありませんでした。 -
最初に徳川家康が1606年(慶長11年)に天守閣を建てた場所はこの場所ではなく、今ある天守台より200メートルほど南の本丸中央寄りの御休息所前多聞の向かいあたりに建てられたようです。
この天守は慶長度天守という言い方をされているようです。 -
2代将軍徳川秀忠が建てた天守の位置は、いまの天守台に近い位置だったと考えられています。
この天守は元和度天守とも呼ばれているようです。
3代目将軍徳川家光が建てた3度目の天守も2度目の天守と同じような場所だったらしいですが向きが変えられたようです。
この天守は最後に建てられた天守で寛永度天守とも呼ばれています。 -
それでこの天守台は4度目の石垣ということになりますね。
加賀藩4代藩主・前田綱紀がこの天守台を築いたそうです。
天守台としては4代目になりますが、それまでの石垣の石が伊豆石だったのですが、この天守台は御影石(花崗岩)で築かれました。
全体は切込みハギで積まれていますね。
角の算木積みの石と本体の石の大きさが極端に違っているのが面白いです。 -
では、ちょっくら登ってみましょう
-
銘板があります
-
解説
-
緩やかなスロープを上っていきます
-
上る途中で広場をも渡せるところがありました。
ここでぐるりと広場を見てみます。 -
ここの場所が江戸幕府の中枢があった場所なんですね。
そして大奥では嫉妬と裏切りが渦巻いていて~w
そんな欲望が渦巻いていたと思うと感慨深いものがありますね~w -
そんな本丸御殿は5回焼失したらしいです。
その度に同じスケールで再建されたそうですが、最後の1863年(文久3年)焼失以降は幕府にお金が無かったので再建されなかったそうです。
その後、本丸は草ボウボウの空き地だったようです。 -
その後は本丸御殿での機能は西の丸御殿に移してこじんまりとやっていたそうです。
現在皇居が本丸ではなく西の丸にあるのはそういった事情からなのです。
西の丸御殿の場所に明治宮殿が建てられ天皇家の方々がお住まいになったという流れです。
その明治宮殿は第二次大戦のアメリカ軍の空襲で焼失しました。
明治宮殿を守ろうとした数多くの職員が亡くなったということは、なぜだかあまり知られていません。 -
江戸城本丸御殿の解説
この敷地に目一杯に建物が建てられていたのですから、ものすごく巨大な御殿だったのが想像できますね。
本丸御殿の模型はずいぶん前に江戸東京博物館で見たような気がします。
(←うろ覚えw) -
天守台の上から観光客がウジャラウジャラと大量におりてきました。
騒がしくてうっとおしいので、ここで少し待って連中をやり過ごすことにします。 -
やかましい波は去りました。
私も一息ついたので上っていきます -
天守台の上に来ました。
ここで右へグルリと見てみます。 -
石垣の上
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石垣の向こうは森です。
森の向こうはお堀になるのでしょうか。 -
森の向こうは乾掘になるようです
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まっすぐ向こうは北桔梗門の方面になるようです
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天守台の上は広場のような感じになっています。
お城の構造でいうと本来はこの部分は石垣に囲まれた大きな空間があると思うのですが、どうやら埋められて広場にしている感じでしょうね。 -
広場には大勢の観光客がいました。
ここは天守台から眺める眺望以外は特に何もないので、皆さん三々五々くつろいでいるといった雰囲気でした。 -
この天守台とは関係ないですが寛永度天守の建物本体の高さは45メートルだったそうです。
ちなみに姫路城の天守閣本体の建物の高さが31.5メートルだそうですから、その大きさが想像できると思いますね。
この天守台にも同程度の天守を乗せる計画だったそうです。 -
石垣内はすべて埋められていますね
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ここから地下に降りていく石垣も見たかったですね
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横に見えるのは桃華楽堂。
宮中行事用の音楽堂だそうです。 -
北桔梗門がちょろっと見えます
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北桔梗門を通った向こうには北の丸公園があります。
-
4度目の天守が作られなかったのは、
当時の将軍・徳川家綱の後見役で、徳川家光の異母弟である会津藩主・保科正之が作るのやめよー、って言ったから作らなかったそうです。
何れにしても作ったとしても第二次大戦でアメリカ軍に空襲で焼かれてしまったでしょうから、今となって作っても作らなくてもは同じことなんですけどねー。 -
さてこの辺で次に行ってみます
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埋められた石垣
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算木の積み方がキレイです
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石垣とビル群のコントラストが妙な感じ
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広い芝生広場を目ざします
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これからもジャンジャン観光客が上がってきます。
しかし、、、
今なぜ日本?
物価が安いから?
フィリピンよりも滞在費が安いという海外からの観光客の話をYouTube聞いてちょっと脱力しましたが、、、、
確かに日本の景気の悪さは日々実感するところではあります、、、 -
芝生広場の木陰では観光客がピクニックしていました
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江戸城天守台を振り返る。
2度と天守が乗らない石垣の寂しさよ。 -
次はこっちに行きます。
森の中の散歩道が心地よいです。 -
しばらく森の中を行くと石垣が見えてきました
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下り坂が石垣の間に続いています
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この坂は汐見坂というそうです
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右手にお堀が見ながら坂を降りて行きます
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このお堀は白鳥濠というそうです
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見事な石積みを見ながら坂を降りていきます
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キレイな積み方ですねー
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算木積みは新しく積み直したのかな?
とてもキレイです。 -
汐見坂の銘板
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解説
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解説
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見事な高石垣が続いています
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汐見坂は意外に急な傾斜です
-
汐見坂を登りにするときは少し疲れるかも
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次はこちらに行ってみます
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二の丸庭園に向かいます
-
この辺りは二の丸雑木林という林です。
昭和天皇の発案で武蔵野の風景を再現したようです。
確かに武蔵野という感じがします。
歩くだけで気が休まる文学的な風景です。 -
二の丸雑木林を抜けると二の丸庭園に着きました。
この二の丸は将軍の別邸やお世継ぎの御殿があった場所と言われています。 -
風雅な建物が見えてきました。
諏訪の茶屋という建物のようです -
この諏訪の茶屋はもともとあった場所はここではなくて吹上地区にあったそうです。
現在の吹上大宮御所のあたりでしょうかね?
1912年(明治45年)に建てられたそうです。
近くに諏訪社があったのでこの名前になったそうです。 -
解説
-
この場所には1968年(昭和43年)に移築されたようです。
こうしてみると京都みたいです。 -
振り返ると木々の合間から池が見えます
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この日本庭園「二の丸庭園」は江戸時代初期に小堀遠州が作庭し、三代目将軍・徳川家光の命で改修されたという池泉回遊式庭園をルーツとしているそうです。
-
近代以降は長く荒廃していたようですが、九代目将軍・徳川家重の時代に作成された庭園図面を参考に1965年(昭和40年)に復元、再整備したのだそうです。
-
再整備された後の1968年(昭和43年)より一般公開されているそうです。
-
この池は二の丸池という名前のようです。
この池の周りは海外からの観光客でごった返しています -
こうしてみると茶人でもある小堀遠州らしい「綺麗さび」という感じがしますね。
こういう風景は外国人が求める日本らしい風景とも言えますね。 -
この鯉が集まるあたりはインバウンド観光客がスマホ片手に群がっていました。
ちょうど小さな石橋の上あたりなので邪魔くさいったらありゃしない。 -
解説
-
右に見えるコウホネは御所の池から株を移植したらしいです
-
八ッ橋がありました。
この辺りは菖蒲田のようです。 -
84種類の菖蒲が植えられているそうです。
-
菖蒲好きな私は結構ここには来ています。
規模は大きくないですが綺麗に管理されていれ植え方も控えめで品がありますね。 -
この菖蒲田は二の丸池のほとりにあります。
菖蒲の花の頃は菖蒲の花と池を入れた構図が結構インスタ映えするので来てみるのもいいかもしれません。
ただしすごく混んでますけどねw -
早咲きの菖蒲が花をつけていました。
-
解説
-
小ぶりですが端正な菖蒲田ですねー。
今年も花の頃に来たいですが、、
私は、、、
今年は無理かもねー、、、 -
解説
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竹林の横を通って行きます
-
タケノコが顔を出していました。
左のタケノコがちょこっと出ていて可愛いですね。 -
二の丸休憩所に到着しました
-
二の丸休憩所の向かいにはこんな解説がありました。
秋の七草の解説。 -
この辺りに秋の七草があると言いますが、、、
-
朝顔(キキョウ)
-
をみなえし(オミナエシ)
-
なでしこ(カワラナデシコ)
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藤袴(フジバカマ)
これ以外は草に埋もれていてよくわからない感じでした。 -
では二の丸休憩所で一休みしましょう
-
中は意外に広いです。
和風な設えなのが良い感じです。
トイレはこの建物の横にある別棟にありました。 -
館内には飲料品の自販機がありました。
気になるお値段は、、、
良心的でした。 -
久しぶりにスプライト飲んじゃいました。
数年ぶりかも。
懐かしい味でした~。 -
懐かしい雰囲気です。
一服していると西洋人の若者が5、6人入ってきて自動販売機の前であれこれワーワー言いながら品定めしていました。
ちょっと落ち着かなくなってきたし、体力をチャージできたのでそろそろ次に行きましょう。 -
正門石橋旧飾電燈
皇居前広場から皇居に通じる、石橋の上に設置されていた6基の飾り電灯のうちの1つ。
明治宮殿の時に木橋から石橋に架け替えられた時に、橋とともに造られたのがこの電灯のようです。
灯器には、四方に旭日(あさひ)と獅子の頭がデザインされています。
腕木はアカンサスを模しています。
電球グローブは真球を採用しています。
この電燈が橋の片側に3基、両側で6基設置されていたそうです。 -
白鳥濠の前にきました。
お堀の向こうに見事な高石垣が続いています。
この石垣を右に見ていきます。 -
なかなか見事な高石垣です
-
この高石垣はずーっと続いていますね
-
この高石垣は汐見坂まで続いているようですね
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さあ、そろそろ出口に向かいましょう
-
ここをまっすぐ行くと百人番所のある広場に出ることになります
-
左手に石垣がありますね
-
なかなか見事な石垣です
-
角の算木積みと真ん中部分の積み方を変えてありますね
-
百人番所の広場に出ました。
次はこの石額の間を行来ます。 -
ここを通って行きます。
-
同心番所が左手にありますね
-
ここを出ると皇居東御苑は終わりになります
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では大手門を目指します
-
大手門を出ます
-
大手門を出ると目の前に永代通りがまっすぐに伸びています。
そちらには行かずに内堀通りを右に行くことにします。 -
内堀通りを歩いてパレスホテル東京を過ぎると和田倉濠が左手に出てきました
-
左の大きなビルはみずほ丸の内タワー
この辺りの最近のビルはこんな感じの似たようなデザインが多いので区別がつきにくいです。 -
内堀通りを歩いていると左手に公園が出てきました
-
和田倉噴水公園に到着しました。
せっかくなので噴水を見て行きましょう。
と思ったら、、
ここはちょうどこれで終了してしまいました、、
チェッ! -
ちょうど悪いタイミングなのか、どの噴水も止まっていますね
-
お楽しみだった大噴水もウンともスンともいいません
-
こちらには和田倉門跡がありますね
-
和田倉門は1620年(元和6年)に伊達藩の伊達政宗などによって築造されたそうです
-
解説
-
公園内にはスターバックスコーヒー 皇居外苑 和田倉噴水公園店があります。
店内は大混雑で人がうじゃうじゃいます。
カウンターには注文の大行列ができていました。
みんなスタバ好きだね~~
そこそこお手軽値段で、そこそこおしゃれなのがウケてるんかな?
ここは以前はレストランだったのですよー。
比較的お値ごろで落ち着いた感じで良かったんですけどねー。
たぶんパレスホテルの系列だったような覚えがあります。
やっぱり撤退しちゃったんですねー。 -
パレスホテルが新しく高層ビルになってからこの公園も変に明るい感じになってしまいました。
以前は夜なんかはとても空いていたので照明に照らされた噴水を見によくここにお散歩に来てましたっけ。
アベックもいっぱいたんですけどね~w(←危ない爺さんw)
以前の森の中にある静かな噴水公園という雰囲気が無くなってしまったのが残念な感じがします。 -
特別史跡江戸城跡制札
-
また新しいビルを建設してるみたいですね。
あそこには前川國男が設計した丸の内で最初の高層ビルがあったんですよねー。
煉瓦色の高層ビルがあった事を記憶している方も多いと思います。
跡形もないですねー。 -
先ほど見えたみずほ丸の内タワー。
ここには以前は特徴ある形から軍艦ビルというニックネームがつけられていた村野藤吾の設計した日本興業銀行本店ビルがあったのはまだ記憶にありますね。
色々な賞を受賞した名建築だったんですけどねー。
跡形もないですねー。 -
和田倉濠に映る景色は私の知っている風景とはすっかり変わってしまいました
-
ちょっと目を引く建物が堀端にありました。
元宮城和田倉門守衛所です。
行幸通りの左右にある小さな建物です。 -
1923年(大正12年)関東大震災の帝都復興事業によりお堀を埋め立てて造られたそうです。
当時、この場所が皇居の入り口であったので警備のための建物のようです。 -
行幸通りの突き当たりには東京駅が見えます。
せっかくなので行幸通りを歩いてみます。 -
まずは反対側に渡ってみる。
馬場先濠を見てみた。
ここから日比谷通りを渡ります。 -
行幸通りから皇居方面を見てみた感じ
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行幸通りは穏やか
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丸の内仲通りに来ました
-
ここは来るたびに何かやってますね
-
一際目をひく像がありました
Trans-Double Yana(Mirror)
名和晃平
2012年/アルミニウム/日本 -
おもしろいですねー
-
並木の下を歩くのは気持ちが良いです
-
丸の内仲通りは昔は並木なんか無かったのにすっかり変わりました
-
今では普通の人が普通に遊びに来る街になりました
-
フォトスポットがあちこちに作られていました
-
一休みしようと思い丸の内ブリックスクエアの一号館広場に来てみました。
予想に反してここには人がたくさん来ていて落ち着ける感じではなかったです。 -
丸の内ブリックスクエアは1階にカフェなどもあるので人が集まりやすいようです。
思った以上に賑やかだったので早々に退散しました。
丸の内ブリックスクエアからは丸の内仲通りを行かず左に曲がります。 -
次に見えてきた場所で小休止するつもりです
-
東京国際フォーラムに来ました
-
東京国際フォーラム前広場で小休止します
-
自販機があります。
良心価格なのが嬉しい。
美味しかったです~。 -
ここもいつも何かイベントをやっていますね。
今日はキッチンカーみたいのが来ていました。 -
休まったので次の目的地に向かいます
-
東京国際フォーラムはオペラやバレエなどをちょこちょこやってるので来る機会は多いですね。
昔ここには東京都庁があったんですよねー。
今思うと違う場所のようです。 -
東京国際フォーラムのガラス棟は1階部分は地下に深く掘り込んだ作りになっていますね。
広々してますねー。 -
東京国際フォーラムをでました。
急に視界が開けました。 -
ボロボロな有楽町駅と近未来的なガラスのビルの対比が面白いです。
ブレードランナーのような世界観を感じます。 -
有楽町駅の雰囲気は大昔から変わらない気がします
-
次の目的地は東京交通会館です
-
久々に来たかったお店に行こうと思います
-
館内は綺麗になっていました
-
飲食店街は見違えるほどの綺麗な感じに変身していました
-
昼間っから開いてる飲み屋が大繁盛してました
-
目的地に到着
甘味おかめ
ものすごく大昔からあったお店です。
日劇があった頃からこの近辺に何店舗かありました。
再開発で一旦無くなったのですが、その後交通会館に再びできました。
ここの玉子ぞうにが好きなんだよね~。
それで今日のお昼はここにしましょう~。 -
と、思ったら、、、
行列ができていました、、、 -
うぬぬ、、、
このお店は広く無いのでお客さんの回転が悪いんです。
なので並ぶのはやめにします、、
チッ!
残念です、、、 -
気を取り直して次の候補地に来ました
-
銀座インズの2階に行きます
-
ちょっと目立たない入り口なのでうっかりすると通り過ぎてしまいます
-
2階はお手頃価格の普段使いのお店が多いです。
-
で、私が来たのは
やよい軒 銀座インズ店 -
ちょうど空いている時間帯でした。
良かったです。 -
ここはお昼時は結構行列ができるお店ですね。
こういう普通のお店って意外に少ないので貴重です。
では入りましょう。 -
最初に券売機で購入します
-
サバの味噌煮定食 820円
に卵焼き 220円をつけました。
たまの贅沢ご飯の昼食です。 -
ごはんと出汁がおかわり自由なのがやよい軒の売りですね。
-
店内は意外に混んでいました
-
このカウンターもすぐ後に数人の人が来てそこそこ埋まりました
-
離席中カードがあるのが気が利いています
-
おかわりの仕方。
セルフで機械でご飯が出てきます。 -
注文したものが来ました
-
美味しくいただきました~
-
私が出る時には少し行列ができていました
-
では次に行きましょう
-
銀座インズは首都高の下にあるショッピングモールで価格帯がお手軽なお店が多いので使いやすいです。
1から3に建物が分かれているのでそこが少し不便かも。 -
階段を降りていきます。
お魚さんがお見送りw -
次の目的地は並木通りにあります
-
ロフトって最近行かなくなりましたねー
-
次の目的地が見えてきました
-
無印良品 銀座に到着
-
今日はペッパーミルを購入しにきました。
-
先日初めてセリアというお店に入ったのですが、そこで買ったペッパーミルが1週間使った段階でプラスチックのネジ部分が割れてしまいました。
-
やっぱりキッチン用品は無印良品が使いやすいし長持ちするなーと思い来てみました。
結局はここではペッパーミルは扱ってなかったです。
それに思いのほかキッチン用品のスペースは広くなかったしアイテム数が少なかった気がしました。
和食器のようなこじゃれたものは充実してたんですけどねー。
この間行った福岡とか地方の大型の無印良品の方がキッチン関連のアイテム数が多かったような気がしました。 -
せっかく来たので一通りぶらついてみました。
多くのジャンルのものは置いてるけど全てのアイテムを置いてある感じでは無いんだなぁというのが実感でした。
歩き疲れて6階に来ました -
向こうに見えるおしゃれなお店に行こうと思います。
MUJI Diner 銀座 -
カウンターで注文すると番号表を渡されます。
好きなところに座ってくださいというので席で待ちます。
でも結構混んでて、
いろいろウロウロして
結局は大テーブルで相席というスタイルになっちゃいました。 -
おしゃれだけど、、、
なんだか落ち着かないと感じるお爺さん世代の私~w -
注文したものをイケメンスタッフさんが届けてくれました
-
マドラーもストローも何も付いてこない、、、
もしかして各自でカウンターから持ってくるんだったのかな??
よくわからないのでこのまま飲むのーw -
大テーブルで落ち着かないけど
店内はほの暗くて居心地は良い感じ。 -
向かいに座っていた中国人ファミリーはお会計して去りました。
向かい側に知らない人がいると緊張しちゃうコミュ障な私なのでちょっとホッとしました。 -
結局は手ぶらで店を出ました。
普段行ってる近所の無印良品とは品揃えが違うし幅広いものがあるので楽しかった。
今度また来ましょー。 -
並木通りを行きます
-
今日は旗日?(←旗日って言い方がすでに年金世代w)
-
今日は何の日でしたっけ?
-
ヴィトンの前に大行列
-
ここって有名なレストランがあったような気がする、、、
潰れたんかな? -
新橋駅に到着
-
今日も一日楽しめました。
金と力は無い私だけれど、
今日まで平穏で健康な日々を送れていたことに感謝しなくちゃねー。
次はどこに行けるんでしょうかねー?
楽しい明日が待っていますように。
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