![今回も阪急交通社のツアーに参加しました。<br /><br />〈1日目〉<br />自宅====静岡駅(9:25)→→→小田原駅(10:09)====富士屋ホテルで昼食====大涌谷====箱根関所====横浜中華街で自由夕食====みなとみらい(横浜ロイヤルパークホテル 泊)<br /><br />〈2日目〉<br />ホテル====浅草散策====皇居宮殿参観====旧岩崎邸庭園====すき焼き膳の夕食====赤阪(ホテルニューオータニ 泊)<br /><br />〈3日目〉<br />ホテル====明治神宮====赤坂離宮====ホテル雅叙園東京で「折衷弁当」の昼食====「百段階段」====増上寺==== 東京駅(17:27発)→→→静岡駅(18:52着)====自宅](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/90/38/650x_11903800.jpg?updated_at=1721998290)
2024/01/09 - 2024/01/11
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今回も阪急交通社のツアーに参加しました。
〈1日目〉
自宅====静岡駅(9:25)→→→小田原駅(10:09)====富士屋ホテルで昼食====大涌谷====箱根関所====横浜中華街で自由夕食====みなとみらい(横浜ロイヤルパークホテル 泊)
〈2日目〉
ホテル====浅草散策====皇居宮殿参観====旧岩崎邸庭園====すき焼き膳の夕食====赤阪(ホテルニューオータニ 泊)
〈3日目〉
ホテル====明治神宮====赤坂離宮====ホテル雅叙園東京で「折衷弁当」の昼食====「百段階段」====増上寺==== 東京駅(17:27発)→→→静岡駅(18:52着)====自宅
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
1月9日(火)
静岡駅で添乗員に挨拶。
9:25発のこだま704で小田原駅に向けて出発。 -
小田原駅で下車し、バスで箱根・宮ノ下の富士屋ホテルに到着。
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富士屋ホテルは1878年創業のリゾートホテルの草分け的存在のホテル。
自然災害を含む幾多の災難を乗り越え、1997年登録有形文化財となりました。 -
1920年(大正9年)建築の旧宴会場「カスケードルーム」を復元したレストランで昼食。華麗なステンドグラスや彫刻は竣工当時のまま。
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飲み物はすべて高い。
りんごやオレンジのジュースでも1100円。
仕方なく、一般には売っていない富士屋ビールを注文。
小さな瓶ビールの値段は驚愕の1600円。 -
メニューは、ポタージュ、牛肉の薄切りシャスール風、バニラアイスにコーヒー。
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デザートのアイスクリームには「阪急静岡55周年」の宣伝?入り。
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長尾峠の向こうにくっきりと見える富士山。
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大涌谷は3000年前大涌谷は、約3000年前に箱根火山が大規模な水蒸気爆発をおこし、山が崩壊してできた地形です。
いまも噴気が立ち昇る箱根の代表的ビュースポットです。 -
大涌谷温泉で茹でた名物の黒たまごは、食べると寿命が延びると言われています。
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大涌谷延命地蔵尊。
今から千百年余り昔、弘法大師が諸国遍歴の旅の途中、この地に立ち寄りました。
噴煙と熱泥のたぎる荒涼とした風景を、地獄の様相と心を痛め、一体の地蔵菩薩を刻んで、地獄の責苦にあえぐ人々の救済を祈願したのが始まりといわれています。 -
江戸時代交通史の重要な遺跡、箱根関所。
箱根関所には、伴頭1名、横目付1名、番士2~4名、定番人3名、足軽15名など常時20数名の役人が勤務していました。
また、女性の通行を厳しく取り締まる人見女という女の役人もいました。
これらの役人たちは小田原藩から禄(給料)を貰っており、定番人と人見女を除く役人たちは、1か月間関所に勤務すると、また次の役人に引き継ぎ、小田原へ帰って行くという交代勤務となっていました。 -
京口御門は江戸口御門の対面側にあります。
高麗門という形式の門で、高さは6.1m、大番所・上番休息所をしのいでいます。
屋根は「栩葺(とちぶき)」で外壁は「渋墨塗り(しぶすみぬり)」です。
この門から中が箱根関所の構内で、京都方面から来た旅人はこの門の前で身支度を整え、関所の中へと入りました。 -
関所に入って、すぐ右手に「御制札場」という屋根のついた掲示板があります。
ここに掲げられた札には、五項目の取り調べ内容が記載されています。
1.関所を通る旅人は笠・頭巾を取り顔を確認する
1.乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、中を確認する
1.関より外へ出る女(江戸から関西へ向かう出女)は証文と照合する検査を行う1.傷ついた人、死人、不審者は、証文を持っていなければ通さない
1.公家の通行や、大名行列に際しては、事前に関所に通達があった場合は、通関の
検査は行わない。但し、一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、検査を行う -
大番所の建物の中で、「上の間」と呼ばれる部屋です。
この部屋は、箱根関所の中でも最も格が高く、通常は番頭、横目付が座り、大名や家老などの接待の間としても使われました。
また、鉄砲や弓も置かれ、旅人を威嚇していました。 -
大番所・上番休息所の建物の中で、「面番所」と呼ばれていた部屋です。
関所役人や定番人(じょうばんにん)が詰めており、部屋の前の縁側では、「出女」の取調べが行われていました。
面番所の内部には、関所役人用に、机を始め硯箱、煙草盆、火鉢などが一人ずつの側に置かれており、奥の壁際には様々な記録を収めた木箱がありました。
また、鴨居には槍や刀が掛けられていました。 -
大番所・上番休息所の建物の中で、「勝手板の間」と呼ばれていた部屋です。
この部屋には囲炉裏が置かれ、関所役人の食事や休息に使われていました。
また、部屋の奥には戸棚があり、茶碗や汁椀、皿などのさまざまな食器や持ち運び用の各種の道具がしまわれていました。 -
階段を上がった所にある「遠見番所」は箱根関所で唯一の二階建ての建物です。
四方に開かれた大きな窓から二名の足軽が昼夜を問わず交代で、芦ノ湖や街道沿いを見張っていました。 -
遠見番所が置かれた場所からは芦ノ湖が綺麗に見えます。
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箱根関所全体も上から眺められます。
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足軽番所は大番所・上番休息所の次に大きな建物で、江戸口御門の脇にあります。
建物内には足軽のための部屋や休息所、不審な武士などを留め置く「揚屋(あがりや)」、関所破りをした罪人などを一時的に拘置する獄屋(牢屋)などがあります。
屋根は大番所と同様に杉板を薄く割って重ねた「栩葺(とちぶき)」で、外壁は壁板
を「渋墨(しぶすみ)」で黒く塗られています。
建物の前に、刺股(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)が、三つ道具建(みつどうぐたて)に立てられ、関所を通る旅人を威嚇しています。 -
横浜中華街で散策しながら自由夕食です。
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一人で食事するのに良さそうな小さな店があったのでこちらで夕食。
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富士屋の昼食で、小さな瓶ビールに1600円も使ってしまったので昼に食べるような質素な夕食。
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少し中華街を散策して、バスに戻りました。
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1日目の宿は、みなとみらいにある横浜ロイヤルパークホテル 。
ランドマークタワー内に位置する高層ホテルです。 -
コンフォートダブルという部屋は狭いですが、ベッドは広かったです。
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窓から見える横浜の夜景。
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周りのビルが下方に見えます。
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ホテル周辺を散歩しました。
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横浜のシンボルとしての顔を持つ大観覧車「コスモクロック21」は、全高112.5m、定員480名の世界最大の時計機能付き大観覧車です。
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都市型循環式ロープウェイYOKOHAMA AIR CABINに乗り、JR桜木町駅前から新港地区の運河パークへ。
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宿泊するロイヤルパークホテルや乗ってきたロープーウェイが見えます。
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運河パークから 「アニヴェルセル みなとみらい横浜」という結婚式場や大観覧車見えました。
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1月10日(水)
朝日が昇ってきました。
56階の部屋から見る朝日です。 -
遠くに富士山がうっすら見えています。
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和洋折衷の朝食です。
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朝食場所からの眺め。
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遠くに東京スカイツリーが霞んで見えました。
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二日目最初の観光は浅草を自由散策で浅草寺へ。
雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」。
平安時代に、平公雅という武将によって駒形付近に建立され、鎌倉時代に現在の地に移転されました。
その際に風神像と雷神像が奉安されたため「風雷神門」の名がつけられたそうです。 -
雷門をくぐると、裏側にも二体の像が建っています。
門に向かって左側が男性の天龍像、右側が女性の金龍像です。
龍神像の材質は、最高級の木曽産ヒノキを使用しています。
龍神は水をつかさどる神様といわれ、水害から人々守り、五穀豊穣の願いが叶うと信じられてきました。 -
雷門をくぐると、約250メートルの商店街が続く「仲見世通り」があります。
江戸時代から続く歴史ある商店街であり、今も多くの参拝客で賑わっています。
前方には堂々たる朱塗りの浅草寺山門の宝蔵門が見えます。
門は初層が五間で、両端の二間には仁王像を奉安し、中央の三間を通行します。 -
浅草寺本堂は都内最古のお寺で、その歴史は約1400年前までさかのぼります。
隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟の網に「聖観世音菩薩」の仏像がかかり、その像が”聖観世音菩薩像”だということがわかりました。
この”聖観世音菩薩像”を祀るために浅草寺が建てられ、以来さまざまな災害を守る神様として信仰されてきました。
本尊は神秘的な存在であるため現在もなお、非公開になっています。 -
五重塔は、1973年に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔です。
1911年に国宝に指定された旧五重塔は、1945年焼失しました。 -
宝蔵門裏には大わらじが掛けてあります。
わらじは仁王の力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれています。 -
昼食は「すしざんまい浅草雷門店」で 3,278円の寿司定食。
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午後は皇居宮殿参観です。
当日受付の人が入場の長い列を作っていましたが、私達は事前予約の為か並ばずに入れました。
皇宮護衛官に警備されている「桔梗門」前で入場を待ちます。 -
桔梗門は普段は一般人は通れない門なのですが、こちらから中に入れます。
江戸時代に造られたもので、名前の由来は、この場所に最初にお城を造った太田道灌が桔梗を家紋にしていたためといわれています。 -
富士見櫓は高さ約16mの櫓で、櫓下の石垣の高さは約15m。
江戸城の遺構としては最も古いものに属する三重櫓です。
1657年の大火で天守や富士見櫓は焼け落ちましたが、1659年に再建されました。
石垣が雑に積み上げられているように見えますが、これは「打ち込みはぎ」という手法で、堅牢さを誇ります。 -
宮内庁庁舎は1935年に完成した建物で、クラシカルな外観と完成された建築美が見どころです。
戦後、1952年10月から1969年3月までの間、三階を仮宮殿として使用していました。 -
宮殿東庭は新年及び天皇誕生日の一般参賀が行われる広場です。
この広場には、1度に2万人が入れるそうです。
長和殿は、手前(南)から南車寄、南溜、波の間、松風の間、春秋の間、石橋の間、北の間、北溜、北車寄といったように南北に連なる約163メートルにおよぶ建物です。 -
松の塔は、宮殿造営に際して国民からの寄付金で造られた照明灯です。
若松の葉をかたどり、吉祥としての松の強い生命力が表現されています。 -
ここは、新年に両陛下始め皇族方が手を振る姿が見られる場所です。
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宮殿は1968年に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造りの建物です。
儀式・行事が行われる正殿・豊明殿・長和殿及び天皇が公務をお執りになる表御座所等から構成されています。 -
宮殿の南側には「宮殿南庭」があります。
小川が流れる和風の庭園で、宮殿東庭から見える大きな2つの丸い刈込みは「南庭の大刈込み」と呼ばれています。 -
新年一般参賀・天皇誕生日一般参賀や、国賓などの外国賓客を迎える際は、こちらの中門から宮殿東庭に入ります。
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皇居前広場方向には、眼鏡橋とも呼ばれる「正門石橋」や、大都会のビル群の景色が広がっています。
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正門鉄橋は通称「二重橋」と呼ばれています。
江戸時代には、今のように高い場所に橋を架ける技術がなかったため、低い位置に木の橋を架け、その橋の上に橋桁を組んでさらに橋を架けていたそうです。
橋の両側には「すずらん灯」と呼ばれる外灯が設置されています。
また、二重橋からは白い壁が印象的な「伏見櫓」が見られます。
青い空と緑に映えるとても美しい櫓です。 -
毎年夏になると大輪の蓮の花が見られる「蓮池濠(はすいけぼり)」。
石垣の上には、江戸城本丸の武器を収めていた白い建物「富士見多聞」が見えます。
水面から約20mの高さにあり、見た目には武器が置かれている場所とは思えない造りです。 -
長和殿の右側を曲がると、もう1ヶ所の玄関「北車寄」があります。
北車寄は宮殿で実施される行事に参列する人が利用する玄関です。
新内閣が誕生し、内閣総理大臣の親任式後の撮影スポットがこちらです。
入口前の黄色い絨毯が敷かれた階段で撮影するのが恒例となっています。 -
宮内庁庁舎前を通り桔梗門に戻って、参観ツアーは終了です。
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旧岩崎邸庭園は1896年に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。
現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟のみです。 -
木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で1896年に完成しました。
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洋館は、17世紀にイギリスで流行した「ジャコビアン様式」を基調としています。
ジャコビアン様式とは、中世のゴシック様式からルネサンス様式への過渡期の様式で、垂直性に繊細な装飾が織り交ざった意匠が特徴です。
旧岩崎邸洋館は、ジャコビアン様式だけでなく、ルネサンスやイスラム風のモチーフが取り入れられています。 -
1階婦人客室の天井は、設計者コンドルが好んで用いたイスラム風デザインが取り入れられ、シルクのペルシャ刺繍が施された布張りになっています。
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洋館南側は列柱の並ぶベランダで、2階列柱はイオニア式の特徴を持っています。
大名庭園を一部踏襲する広大な庭は、建築様式と同時に和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残しています。 -
洋館と結合した書院造りの和館は大河喜十郎の手によるものと言われています。
大広間を中心に 巧緻を極めた当時の純和風建築を見ることができます。 -
襖には当時の板絵が残っていました。
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別棟として建つコンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、洋館から地下道でつながっていま す。
校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックの流れを組むデザインです。 -
旧岩崎邸庭園を後にして、東京駅近くの丸ビルに向かいました。
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夕食は丸ビルにあるダエドコという店で山形牛のすき焼き定食でした。
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2泊目の宿はホテルニューオータニです。
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部屋はガーデンタワー15階でした。
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客室からの眺め。
樹木が濃い木陰をつくる、池泉回遊式の日本庭園は、ホテルニューオータニのシンボルとなっています。 -
新宿方面の夜景が見えました。
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ホテルの庭園を散歩しました。
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朱色が緑豊かな庭園に映える太鼓橋とホテルのメイン棟。
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鉄板焼きの石心亭が見えます。
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高さ6mの大滝は、約3トン~5トンの組石82個と玉石5トンを使用した組石で造られた立派なものです。
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1月11日(木)
ツアー代に含まれていますが、3795円もする朝食。 -
なだ万の朝食です。
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日本庭園の大滝が目の前に広がる景色を見ながらの優雅な朝食でした。
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8:30にホテルを出発し、最終日の観光は明治神宮から。
明治神宮の祭神は明治天皇と昭憲皇太后で、1920年11月1日に創建されました。
初詣では例年、参拝者数全国1位となっています。 -
南神門から境内に入りました。
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西神門。
参宮橋駅へはこちらからという親切な表示が見えます。 -
全国少年新春書道展の会場となっていました。
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東神門から一旦、出てみました。
木製の鳥居が建っています。 -
巨大な柱と屋根が印象的な「拝殿」です。
この奥には祭神をまつる三間社流造の建物「本殿」があります。
明治神宮の中心ともいえる場所で戦禍によって一度は破壊されましたが、1958年に復興されました。 -
パワースポットとして有名な明治神宮ですが、明治天皇と昭憲皇太后はよく知らないので、参拝はしませんでした。
縁結びや夫婦円満などのご利益があるとされているそうですが、信仰心の無い者にはご利益など無いでしょう。 -
明治神宮の後は、迎賓館赤坂離宮です。
迎賓館赤坂離宮は、1909年に東宮御所として建設された、日本で唯一のネオ・バロック様式による建築物です。
第2次世界大戦の後、10数年を経て日本が国際社会へ復帰し、外国からの賓客を迎えることが多くなったため、国の迎賓施設へと大規模な改修を施しました。
和風別館の新設と合わせて1974年に迎賓館として現在に至っています。 -
本館は石造りと鉄骨補強煉瓦造りを組み合わせた建物です。
屋根の中央部に青銅製の阿牛の甲冑、その隣には天球儀と霊鳥が飾られています。
当時の日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した建築物であり、明治期の本格的な近代洋風建築の到達点を示しています -
「迎賓館赤坂離宮」は、西洋建築の様式の中に日本の要素が散りばめられています。
正面玄関の鉄扉の上部に菊花、扉に桐の紋章が配されています。 -
迎賓館本館の裏手に回ります。
2009年に行われた大規模改修工事の後には、本館、正門、東西衛舎、主庭噴水などが明治以降の建築物として初めて国宝に指定されています。 -
花壇には、葉ボタンが主庭を彩っています。
迎賓館本館のデザインと同じように花壇の配置も左右対称です。
花の美しさを保つために、水やりはもちろんのこと、しおれた花を摘み取ったり、高さを揃えるために伸びすぎた芽を切り取ったりと様々な工夫をしているそうです。 -
主庭の噴水は迎賓館建設当初から設けられたいたものです。
-
噴水には、鷲の上半身とライオンの下半身、背中に大きな翼を持つ伝説上の生き物グリフォン、シャチ、亀の青銅製の彫刻が装飾されています。
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本館の館内は写真撮影禁止でしたが、羽衣の間だけが撮影OKでした。
「鏡と金色と緋色」の華麗な大部屋で、かつては舞踏室と呼ばれていた部屋です。 -
羽衣の間は、迎賓館の西側に位置し、謡曲「羽衣」の景趣を描いた大絵画が、天井に描かれていることに由来しています。
建物の中庭から、空を見上げたような情景が広がっています。
四方に描かれた香炉からは、空にかぐわしい香りを放つ煙が立ち上り、天女が地上に降りた直後の空の様子が描かれています。 -
この部屋を照らす3基のシャンデリアは、クリスタルガラスを主体に約7,000個ものパーツを組み合わせた迎賓館で最も大きく、最も豪華なものです。
部屋の装飾の中には、洋風の仮面や楽器など、舞踏室にふさわしいモチーフが散りばめられています。 -
「羽衣の間」にはエラール社製のピアノが置かれていました。
このピアノは、日本に数台しかない大変貴重なもので、普通のピアノの鍵盤は88鍵ですが、これは90鍵あります。
手前は「霞文(かすみもん)」という截金(きりかね)の屏風です。
桐板張りに伝統工芸の1つ截金(金・銀等の箔を線状や三角、四角の小片に切って張り付け紋様を描く技法)を施したものです。 -
正門から本館までの前庭は、ベルサイユ宮殿の前庭のように、趣のあるピンコロ石(立法体の花崗岩)が敷き詰められています。
前庭では、石畳の上にテーブルが立ち並び、ヨーロッパのガーデンカフェのようにアフタヌーンティーが楽しめます。 -
中門から正門の間にはクロマツが植えられています。
1968年から5年余の歳月をかけ赤坂離宮を迎賓施設へ改修した際に千葉県の九十九里浜から142本を移植しました。
迎賓館本館の意匠と同様に、前庭も左右対称のデザインを意識して造成しており、クロマツの形状や配置などもすみずみまで配慮がなされています。 -
内側から見た「迎賓館赤坂離宮」の正門です。
-
昼食はホテル雅叙園東京の宴会場で。
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食事場所へ向かいます。
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雅叙園の折衷弁当です。
-
ここには、東京都指定有形文化財「百段階段」があります。
「百段階段」とは通称で、ホテル雅叙園東京の前身である目黒雅叙園3号館にあたり、1935年に建てられた木造建築です。
晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 -
十畝の間(じっぽのま)は、この部屋の絵を手掛けた画家・荒木十畝(あらきじっぽ)の名にちなんで名付けられました。
周りに配された障子は、菱組組子といわれるもので、麻の葉文様が幾何学的にあしらわれています。 -
この部屋の天井は「格天井」といい、十畝の本領を発揮した23面の四季の花鳥図が描かれています。
格天井の組み合わせ部分には精緻に装飾された金具をはめ込み、その中の花びらのような装飾は七宝焼で作られています。 -
漁樵(ぎょしょう)の間はすべて純金箔、純金泥、純金砂子で仕上げられ、彩色木彫と日本画に囲まれた絢爛豪華な部屋です。
床柱は左右ともに巨大な檜で、精巧な彫刻 が施されています。
海の者である漁師と山の者である木こりが、互いの生業を問答し合う話「漁樵問答」がモチーフとなっています。 -
格天井には菊池華秋原図の四季草花図、欄間には尾竹竹坡原図の五節句が極彩色に浮彫されています。
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草丘の間は、群馬県出身の日本画家・礒部草丘(いそべそうきゅう)が欄間と天井の絵画を手掛けています。
「百段階段」では “レトロ” を旅する古今東西ニッポンの風景」が開催されていて、東北6県11系統の分布に見る約200体のこけし、温泉街に輝く架空のネオンサインの展示がありました。 -
「静水の間」では、カラフルな色使いでレトロな形式を描く中村杏子のイラストが展示されていました。
建物のイラストの中にレトロポップなアイテムや動物のキャラクターが配置され、懐かしく新しい世界観を見ることができます。 -
「星光の間」では、はらわたちゅん子氏の描く2次元作品を、実際のネオン管で再現した立体展示や、同氏の線画のイラストをアクリルパネルとライトで仕上げたカラフルな作品が夜の街に浮かぶネオンのように輝いていました。
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館内のエレベーターは、螺鈿細工が施されていました。
時間があったので、館内の他の場所を見て回りました。 -
「目黒雅叙園」表示がある「招きの大門」。
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壁面のいたるところに立体的な木彫りの絵が飾られています。
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神輿や伊万里焼の飾り壷も展示されていました。
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増上寺の観光に向かう途中で軽い接触事故があり、警官を呼び、事故証明の時間を取られました。
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浄土宗の七大本山の一つ増上寺に到着しました。
酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。
大殿は1974年、大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう焼失した本堂が再建されたものです。 -
正面の門は増上寺の中門にあたり、名称を三解脱門といいます。
「空門」「無相門」「無願門」を悟りの三解脱門といいます。
増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。
建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗で、唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味されています。 -
安国殿は戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を、1974年新大殿完成の折りに境内北側に移転しました。
老朽化のため、2011年法然上人八百年忌を記念し、新しい安国殿が建立されました。 -
増上寺は東京上野の東叡山寛永寺と共に徳川家の菩提寺です。
墓所にある「鋳抜門」はもと文昭院殿、霊廟(六代将軍 徳川家宣)の宝塔前『中門』であったものです。
左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれています(青銅製)。 -
大納骨堂(舎利殿)は1933年に建立され、本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像です。
戦災の難を逃れた数少ない建造物で、1980年に現在地に遷座、開眼供養されました。 -
夕食は、東京駅の五十七番寿しで寿司を食べました。
時間が早いので軽い食事にしました。 -
17:27発こだまに乗り、静岡へ。
今回は久しぶりの横浜・東京訪問でしたが、知らない場所もあって結構楽しめました。
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