2024/05/03 - 2024/05/03
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sallyさん
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以前から歩いて周りたかった、かつての宿場町を歩いてきました。GWの混雑や渋滞とは無縁の自然の中で、ゆっくりした時間を過ごせました。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
栃木と茨城の県境にある旧美和村は、スギ・ヒノキの林業の土地。
江戸時代は和紙の材料になる「こうぞ」が良質であることで、水戸藩の財政の3分の1を賄ったということ。
この山奥から水戸までは、川舟で紙を収めていたんだね。 -
“お。“
-
クルマを停めるところを探してる途中で
いきなりの洋館、しかも三階建て。
“ここは何?“ -
クルマは、「高部館(たかぶだて)」という戦国時代(!)の山城跡に
登るための駐車場に停めて、歩き始めた。 -
大きな蔵がある。
ナマコ壁って、いうなれば、タイル張りなんだねってわかる。 -
“どっちに歩いて行く?“って感じで話しながら歩いていたら、
地元の方に声をかけられる。
「パンフレットを持ってくるからね」、とお話をしてるうちに、もうおひと方に「少し案内しようか」と誘われ、スルスルと連れられる。 -
さっき見たこちらの建物は、かつて銀行だったそう。
1階は銀行で、2階が住宅だった。
1階部分が日本家屋と合体するような形で立っていて、そちらは今も住んでらっしゃるようだった。 -
銀行の玄関だったドア
とても洒落ている、遊び心があるし美しいね。 -
ここは「間宮家住宅」というところだった。
そして私たちの散策は、最初にこの地元の方にお声かけいただいたことで、ずいぶん愉しいことになった。 “お茶淹れるから一緒に“と誘われるまま、お邪魔してしまう。色々なお話が聞けた。 -
カラー写真が沢山入っているここ「高部宿」のパンフレットを頂き、お礼を言って街歩きを再開。
-
この人通りのない、眠ってるように静かな街に戻る。
少し前まで、風が吹き抜けるリビングでお茶を頂きながら、沢山笑った声が この静な界隈に響き渡ってしまったんじゃないか、って錯覚するくらいに静かだった。 -
さて、
どっちの方向に歩ったら?と思っていたら、“渡りに舟“。あそこに看板が! -
「高部(たかぶ)地区の文化遺産」
これがすこぶる分かりやすい。 -
見どころを絞って、
それぞれのお宅に、“長過ぎない“分かりやすい説明がついていた。 -
「あ、ここだ。。。」
わたしがこの辺りに興味を持ったきっかけとなった建物です。
この道は幹線から外れていて(それもこの村が静かな理由だろうね)、わたしは普段通らないのですが、道を間違えてここを通って、ふと、見上げたらこの建物でした。
夕日に木造らしい3階建が印象的でずっと気になっていた。 -
「岡山家 喜雨亭」
造り酒屋から、紙商いを始め、財をなした一家だそう。
梅の花で有名な水戸の偕楽園荷ある“好文亭“を真似て立てたと言われる高楼。
一番上階にある壁に書かれた「花の友」は、造っていたお酒の名前だ。 -
ここ岡山家はこの高楼だけでなく お庭「養浩園」も見どころらしい、
-
広大なお庭。
紙の一大生産地で繁栄した時代、地元の名士や、内外の人々が集う場所だったとのこと。しばらく、見る影もなく荒れていたのを、文化保存会のような庭師さんたちの団体で復活させたのだとか。 -
“第3土曜日に来れば見られるわよ“って、確かにお邪魔した地元の方もおっしゃられていた。
-
オダマキの花が揺れていた。
-
「国松家旧郵便局」は、
郵便局らしいスッキリした過不足ない意匠が、いかにも郵便局「らしい」感じ。 -
あれ? 昔のカラーリングは逆だったんだね?
-
郵便局の脇の門が開いていたので、歩みを進めたら、
-
先ほどの「岡山家」の酒蔵だろうな、煙突と蔵が見えた。
が、ここの右側はどなたかのお宅っぽかったので、引き上げる。 -
通りに戻ると、細い路地。
かつて、沢山の人が忙しく行き来したのかな、したのだろうな。 -
横に長いトタン屋根の建物があった。
なんの建物だったのだろう? -
地元の方から「見て行ってね」、と言われた所までやってきた
「長屋門が目印だから」と言っていたからこれらしい。 -
「美和工芸ふれあいセンター」というところだった。祝日だからお休みみたいだったが、こんなに大きな民家っぽいものを見るのは初めてだ。
さすが、木材の生産地だけあって、材が豊富だから移築ではなく、ここで建てたものだろうか。 -
長屋門の屋根を見上げる。
3段に軒を挙げる仕組みは、 -
ふんだんに採れる木材があるからかな。
-
広い敷地には、
-
野生の藤が、木に絡みついて垂れたツルの花から良い香りがしていた。
-
ここが“高部宿歩き“の終着点、「平塚家 時計塔」。
大正時代のものというけれど、手前(?)の母屋はおそらく“銅板葺き“でそれほど古くはなさそうに見える。
数字がある“時計“はどこにあるのだろう? いや、音声だ、きっと。
あそこから、何かしらの音声で時刻を知らせていたのではないかな。 -
「平塚家時計塔」の説明によると、この街のシンボル、と。
-
戻ります。
今でも居住されている家々は、やはり良い木材を使ってる感じでした。
1番わかるのは「軒桁(のきげた)」、太く長い1本の材が使われていて、軒下から眺めると立派でそれが目立ってました。 -
「緒川」です。
浅瀬の川で、ひととき、せせらぎを楽しみました。 -
さて、「高部宿」をひと回り終えました。
ずっと気になっていた所だったので、満足でした。
付き合ってくれた友人に感謝です。
以下は、最初に見たこの看板で見落としたり、写真が撮れなかったスポットです。 -
「旧金杉屋旅館」
ー林業、和紙、葉たばこ、こんにゃくの生産地で、多くの人が利用した宿だったと。 -
天日様(てんぴさま)
ー「媽祖(まそ)」と呼ばれる女の神様。 -
大森家は「平塚家 見世蔵」のお隣にあった、とりわけ高い蔵があったお宅だと思われますが、案内看板では「古文書」の紹介に留めている。
最初に出会った地元の方のお話によれば、この大森家ここら辺で“いちばん古く大きなお宅“だったそう。そしては、江戸時代の「刀」の柱キズが残っているとか。
はて、なぜ刀でやり合うことがあったかか?
パンフレットの説明を要約すると、水戸藩は、江戸時代“イケイケ“だった一派でしたが、やはりそれでも、ハト派もいて、そうするとタカ派と悶着がある。
この大森家は“天狗派“(改革)で、敵に襲撃されて、その時の刀傷だと。 -
高部宿から少し離れたところにある「諏訪神社」
クルマを停めるところが見つけられず、お参りせず。 -
お昼を食べたのは2時頃だったでしょうか。
「三浦杉」を祀る神社の手前の駐車場でクルマを停めました。
あの東屋でお昼ごはんにすることにしました。 -
「道の駅みわ」で、買っておいた筍ご飯と、持参の紅茶。
左側に見える鳥居が「吉田八幡神社」。
山から吹き抜けてくる風が、赤いポピーの花々を揺らしていました。 -
お昼ごはんのあと、この日最後の見学スポット「吉田八幡神社」です。
山の斜面にある神社。登ります(!) -
樹齢900年と言われる二本の“三浦杉“と、その間に“小さく“顔を出す拝殿。
昔むかし、九本の尾を持った狐を退治する勅命を受けた “三浦“さんという武者(おそらく)が、そのキツネ退治に手こずり、こちらの神様に策を授かった結果、キツネ討伐に成功した。その時の祈願でこの杉を植えた、というのが、ならわし。
この“九尾の狐“伝説は、ここから50キロ以上北にある栃木県那須町にまで及ぶ、壮大な討伐劇で、その道すがらの神社に言い伝えられるお話が幾つかあるので、伝説というより、本当にあった話なのかもしれませんね。
三浦大介義明さんという武者の執念、たるや。 -
社務所から麓の景色が望めます。
この神社の「宝物」写真に、九尾の狐を退治したという三浦大介義明さんの刀が、サビサビ状態でありました。
この村の人たちが困った事があって祈願するとき、その刀を一晩借りて枕元に置いて寝ると、病や憂いごとが改善したそうです。 -
4時を過ぎました。帰りましょう。
-
帰りの「道の駅みわ」です。
栃木県との県境まで恐らく10キロ程度ですが、ここは茨城県。
やっぱりメロンの流通が早いのです。
おしまい。
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