2024/04/25 - 2024/04/25
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rupannさん
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相方の所要で、三重へ
水田に写り込む三多気
(みたけ)の桜は、終わっているけど散策。
標高958メートルの大洞山(オオボラヤマ)雌岳を背にして南東側529メートルの地にある「御嶽山眞福院」の巨木、梵字碑や石仏群に出会いました。
名松(めいしょう)線の終点駅・伊勢奥津(いせおきつ)駅では、廃線の危機からの復活ストーリーを知る事に。
北畠氏館跡庭園で、青もみじと苔でほっこりな時間を過ごしました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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相方の所要でお出かけ~
道の駅 針テラスで休憩~
開店前なので、車もバイクも止まってませんねぇ道の駅 奈良市針テラス情報館(針T R S内) 道の駅
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桜は終わってますが、三多気の桜へ繋がる桜の並木道を歩きます。
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この木は、幹が空洞でも、枝葉を付けてますねぇ
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左には茶畑が広がっています。
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おや、名残の桜
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桜のトンネルを想像しつつ歩きます。
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振り返って
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この木は、まだ桜が残っていて、花ござが…
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三多気の桜が眺められる所まで上がってきました。
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ここの棚田は、今は米を作ってないのにご厚意によって水を入れてくださっているそうです。
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桜が咲いている頃にはこういう景色が見れる所です。
三多気桜まつり 祭り・イベント
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田んぼの水鏡
水を張ってない田んぼもあるなぁ -
更に上ると
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イチオシ
おぉ 見事な大木が~
山門までの石段には、左側に樹齢1000年以上とも言われている樹高約25m、胸高周囲約6.7mケヤキの木やまるで門杉のような大木が並んでいますねぇ
大木好きな私は、しばし見惚れていました。
真福院 寺・神社・教会
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イチオシ
門杉の樹齢は如何ほどでしょうかねぇ
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標高958メートルの大洞山(オオボラヤマ)雌岳を背にして南東側529メートルの地に「御嶽山眞福院」があります。
眞福院は、今からおよそ1300年余り前の白鳳時代に、修験道の祖である役行者が、この地に蔵王権現を祭って開いたといわれる古いもので、神仏習合思想の名残りを留めているとか。 -
眞福院の行事としては「精進祭」が有名で、これは鎌倉後期の文保年間に始められたといわれ、正しくは「精進祭流鏑馬の儀式」とよばれて、毎年正月7日から10日まで、古式どおりに行われていたが、現在は過疎高齢化の影響を受けてこどもや青年も居らず、やむなく行事は中止している。
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真福院の本堂にあたる蔵王堂(ざおうどう)
蔵王堂内部には、先の写真の掲示板にあった秘仏があるんですねぇ -
こちらにも大木が
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祠がずらりと
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覗いてみた
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山門横の護摩堂(ごまどう)兼寺務所は戦火を免れた大正時代の建物だとか
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イチオシ
なんだか個性的な石碑がならんでるなぁ
参道階段下の鳥居付近には弘長の梵字碑や石仏群があります。
弘長元年(1261年)
右端の平たい石を乗せた大きい石碑→真福院(しんぷくいん)大日種子自然石塔婆(県指定文化財、鎌倉時代中期)
旧 美杉村の梵字石仏と呼ばれる独特の自然石塔婆群の中で、唯一の在銘作品 -
下ります。
茅葺屋根は、お土産屋さんみたいです。 -
御杖村役場の食堂でお昼です。
相方は、役場とか市役所とかの食堂での食事が好きなようで。
以前も何処かの役所の食堂でお昼を食べた事があります。 -
発泡スチロールの灯篭があったり…
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相方は、トンテキ定食
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私は、とんかつ定食
役場の職員さんに交じって食べます。 -
食堂内にあった、ポスター
半夏生は、京都の庭園で見た事があるけど
こんなに群生してるとこがあるのねぇ
半夏生〔はんげしょう〕は
夏至を3つに分けた最後の3分の1の期間
夏至から数えて11日目の7月2日頃から
七夕(7月7日)頃までの5日間が半夏生
半夏生はこの時期だけ
葉の一部を白くする不思議な植物です。
京都東山 両足院 半夏生の庭園特別公開
https://4travel.jp/travelogue/10782573 -
道の駅 伊勢本街道 御杖
国道369・368号線の交わる場所にある道の駅。
温泉施設「姫石の湯」や農産物直売所「街道市場みつえ」があります。
しばし休憩~道の駅 伊勢本街道御杖 道の駅
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そしてここは、津市 美杉町奥津
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名松線 伊勢奥津(いせおきつ)駅
私は、名松線(めいしょうせん)って初耳でした。伊勢奥津駅 駅
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相方は、ノートにスタンプ押印。
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「名松線」の由来
松阪から名張(なばり)を結ぶ計画だったので名松線と名付けられましたが、競合する鉄道の開通などの理由から、津市(当時の一志郡八幡村)の伊勢奥津駅が終点になりました。 -
相方は、名松線について、色々知っているようで、「帰ってから調べてみぃ」と宿題を出された感じです。
帰宅してから調べてみました。
1982年8月、台風10号により名松線が大きな被害を受けました。
その時にバス転換し、廃線の話もありましたが、
「鉄路を残せ」・地元の反対運動などにより今に至るそうです。
県・市・JR東海が多額の資金負担を辞さなかったのは・・・
地元の人達を引っ張る誰かが動きまくって、鉄路が残ったんでしょうかねぇ -
一例として、JR西日本が地元自治体の資金援助を受けて、観光列車「みすゞ潮彩」号を走らせた実績がある事から
「もし実現しそうなら、予算はかき集める」と市の担当者が言ったとか
もしかすると、名松線にも、観光列車が走る日が来るかも
どんなデザインの列車が走るかなぁと想像してみたりして -
駅前の看板から
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駅前の看板から
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おぉ SLが写ってますねぇ
蒸気機関車の給水塔の写真もありますねぇ -
イチオシ
名松線の終点駅・伊勢奥津駅のここがどん詰まり
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そして昔の写真にあった・伊勢奥津駅のSL給水塔
SL給水塔が残っている所は珍しいとか
鉄道マニアが写真を撮りに来るとこだそうです。 -
伊勢奥津駅を後にして、こちらへ
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北畠神社
北畠神社 寺・神社・教会
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北畠氏(きたばたけし)は、公家・武家・華族だった家
南北朝時代に南朝の忠臣として重きをなし、伊勢国に進出して南北朝合一後も国司として勢力を保ち、公家大名、戦国大名として戦国時代末まで命脈を保ったが、1576年(天正4年)に織田信長に滅ぼされたそうです。 -
武家書院庭園
越前一乗谷朝倉氏庭園、近江朽木谷旧秀隣寺庭園とともに三大武将庭園の一つに数えられる名庭園。
北畠氏館跡庭園(約850坪)
元々は、伊勢国司を代々務めた北畠氏の屋敷の庭園で、約500年前、管領も務めた武将・細川高国が作庭したという。
屋敷は戦国時代の織田氏侵攻後に失われたが、庭園は残った。
その約70年後に北畠氏の子孫が祖霊を慰めようとほこらを設置して以来、神社の庭園となった。北畠氏館跡庭園 公園・植物園
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苔と青もみじが綺麗
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水が澱んでいない綺麗な池
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築山の杉は、目通り4.5mの巨木って~
面白いなぁ -
イチオシ
根元の石仏が気になる~
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イチオシ
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私達だけで、ゆったりした時を過ごせました。
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境内を散策~
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ここには礎石建物跡があり、現在は保護の為埋め戻されて… 見たいなぁ
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大きな銀杏の木
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根元には、可愛い銀杏の葉っぱが
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帰ります~
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