2024/03/03 - 2024/03/04
46位(同エリア198件中)
ひらしまさん
世界では賃金がどんどん上がっているのに日本だけが物価に見合う賃上げもできない(賃上げの主体となるはずの労働運動がつぶされてしまっているのだから当然だが)。その上、異常な経済政策が続いて日本円は惨めなまでに弱い。
それでも海外に旅したいなら財布にやさしいアジアに限る。というわけで、財布だけでなくおなかにもやさしいベトナムの、北部と中部を訪ねることにした。
まず、きなこさんが4トラ旅行記でとても魅力的に紹介してくださっているサパ周辺の棚田と山岳民族の村に行きたいと検討してみたが、やはり我々の体力ではむずかしそうだ。そこで、サパには遠く及ばないまでも少しはベトナムの田舎の雰囲気を感じてみたいと、初日はチャンアンに泊まることにした。
チャンアンはハノイの南100キロにあるカルスト地形の村。隣のタムコックより観光地化が進んでいないという。ハノイに連泊してツアーあるいはバス・タクシー乗り継ぎで日帰りするのが一般的だけれど、我々はハノイ・ノイバイ空港に着いたらすぐチャンアンまでチャーター車で直行することにした。交通費は高くなるが宿泊費はそれ以上に安くなった。
1kd=6.2円(通貨ドンは桁が大きすぎるので千ドンが実質的な単位になっています。この旅行記では1千ドンを1kdと表記します)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ベトナム航空機は定刻より早く午後1時半頃ノイバイ空港に着いた。曇りで涼しい。
荷物を待つ間に、スマホのデータ通信を日本で入れたeSIMに切り替える。eSIMは初めて使うので不安だったが、7日で700円足らずと安価で、Grabやマップに大活躍してくれた。
空港のATMでドンをキャッシング。入れたクレジットカードが戻ってくるのにすごく時間がかかる機械で、我々の前の人はカードを受け取らずに立ち去ってしまい、追いかけてみたけど顔も分からないし渡せずじまい。そして操作に苦労した割に手数料は高く、これなら新宿の某両替店の列に並ぶ方がよかったな。
チャンアンに向かう車は12Goというサイトを通してOUROS社に予約し、代金5600円ほどを前払いしていた。運転手はごく簡単な英語を話す人で用は足りた。
ハノイの北にあるノイバイ空港から南のチャンアンまでは120キロほど。ハノイは中心部より数キロ西側を通ったのに高層ビルが建ち並んでいて驚いた。 -
でも、オートバイの3人乗り、4人乗りは健在だ。
写真奥はお墓。社のような立派なお墓をたびたび目にした。 -
2時間余りで宿のチャンアンリトリートに到着。
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緑の生い茂る中庭の向こうにある三軒長屋の真ん中が我々の部屋だった。
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竹の壁がユニークな部屋。設備はちゃんとしている。朝食付642kd。
3月のベトナムだから暖かいだろうと思っていたら意外に寒く、電気ストーブのお世話になった。 -
夕食は近くのVĩ Tuyền。家族経営の小さな店だ。
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ベトナム最初の食事は、揚げ春巻きと焼きそばと写ってないけど鶏のフォー。生春巻きは北部にはほんとにないんだな。このあと蜜柑とお茶もサービスしてくれた。
隣のテーブルの白人男性が親切に栓抜きを渡してくれ、写真まで撮ってくれた。なんだかほっこりする店だ。
宿への帰り道は暗く、田んぼの蛙たちの鳴き声が大きく響いていた。
この日は朝が早かったので9時半には眠りについた。 -
2日目。今日も曇りだ。
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宿の前の道を散歩する。鶏と犬の鳴き声が競うようににぎやかで、アジアの村の朝を実感する。
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そして、目の前に広がるのは幻想的な風景だった。
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宿に戻って、素朴でボリュームのある朝食をいただいた。パンがおいしい。
昼のニンビン行きタクシーの手配を奥さんに頼んでおく。 -
今日のメインイベントであるボートツアーの乗り場まで2キロほどの道を、宿の自転車の後ろに妻を乗せて走り出した。
が、砂利道にハンドルを取られてふらふらし、道端でおしゃべりしていたおば様たちに笑われる始末。舗装道路に出るまでは景色を楽しみながら歩いて行くことになった。 -
駐輪場やチケット売り場は、ボート乗り場とは道路の反対側にあった。ただ、目立つところにある売り場はタムコックとのコンボ券だけを扱っていて、チャンアンのみと言うと奥まったところの売り場を教えられた。コンボ券しかないと思って買ってしまう人もいることだろう。なかなか商魂たくましい。
道路の下をくぐる乗り場へのアプローチはよく整備されていて、長い手すりは純木製だった。
岸には乗船を待つ人がたくさんいた。係員にコースを尋ねられ「2」と答えると、まもなく呼ばれ、若いベトナム人カップルに続いて舟に乗る。基本的に客は4人乗りなので、2人だと相乗りになる。船頭は女性がほとんどだが、我々の舟は男性の船頭だった。 -
流れはないので、きっと川が取り残されてできた湖なのだろう。カルスト地形の山の間を舟は進む。
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そして洞窟をくぐってゆく。
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その先には寺のような建物が見えてきた。
ここに上陸するのだが、何分間というような指示はない。同乗のカップルに聞いても全然気にしていない様子だった。あらかじめ時間を決めたりしないのがベトナムの流儀なのかもしれない。 -
祠とあるので寺なのかどうか分からないけれど、舟で洞窟をくぐり抜けてたどり着くとなかなかありがたい感じはする。
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隣の建物は扁額の文字が漢字でなく現代ベトナム語表記のアルファベットだったので驚いた。
ここで、同じ舟のベトナム人カップルの女性が写真を撮ってくれた。聞けば新婚さんだという。男性の方は終始無口だが、舟を下りるとき必ず舟を押さえて我々が下りやすいようにしてくれる気配りの人だった。
舟に戻るとき、わたしはコンクリートの階段に薄くたまっていた泥で靴底が滑り、みごとに横転。まわりはどよめいたが、どこも痛くならなかったので、我が老体ももう少し使えそうだなと変な自信がついた。 -
舟はまた長い洞窟をくぐり抜けてゆく。
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川のような湖は広くなったり狭くなったりし、浮かぶ舟も時に散らばり時に集まる。
隣の舟の人たちと笑顔でご挨拶。
チャンアンで舟に乗っている人はベトナム人がほとんどのように見えた。我々の宿で見かけた客は欧州系ばかりだったが、彼らは自転車であちこち行っているのかもしれない。 -
湖上に建つお堂が映えスポットとして大人気のようで、たくさんの舟が集まり若い女性がお堂をバックに写真を撮っている。
我が舟の新婚の彼女も彼にスマホで写真を撮らせている。薄桃色のおしゃれなアオザイがよく似合う。撮った写真を彼女がチェックしては何度も何度も撮り直させる。3分くらいは撮ってたな。彼も大変だ。
ちなみに、2人一緒に撮ろうと申し出たが辞退された。彼は普通の服装だったから、この日は彼女の撮影だけが目的だったんだろう。 -
次の上陸地では長い桟橋があり、彼らはそこでも熱心に撮っていた。
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わたしはこんなのがおもしろくて撮っていた。
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また洞窟を抜けた先の最後の上陸地から湖を振り返る。
ここには別料金の観光ポイントがあったようで、新婚カップルはそこでツアー離脱。知らない我々は船頭に呼ばれるまでボーッと待っていたこともあり、その時すでに11時40分。第2コースは所要2時間で11時半には終わると思っていたのに、いつのまにか我々も時間を気にしないベトナム流にどっぷり漬かっていた。
予定ではこのあと昨夜の店でお昼を軽く食べ、12時半にはハノイに向け出発するつもりだった。それなのに昼食どころか宿のチェックアウト刻限の12時にも間に合わないことに気づき、あわててここからは私もボート漕ぎに参加。運悪くその頃になって晴れてきて暑かった。 -
結局わたしが自転車で宿に戻ったのはもう12時半近かったけれど、奥さん笑顔で許してくれた。チャンアンリトリート、いい宿だ。
歩きの妻も到着し、ニンビンへ出発。車は白タクだが150kdと想定どおりの料金でニンビンのバスステーションまで運んでくれた。
車を降りるなりハノイ行きならこっちだという男性に誘導されて行ったバスは、まだ誰も乗っていなくて、出発までたくさん待たされるパターンかと思いながら渋々乗り込むと、なんと我々2人だけを乗せてバスはすぐに動きだした。
ハノイまでの貸し切り料金請求されたらどうしようと心配になったくらいだが、あちこちで車掌が客引きしてそれでも7,8人ほどになった。冷房の効きすぎもなく、快適なバスだった。1人100kd。 -
ハノイのザバッバスステーションからGrabで東屋ホテルの前に着くと、道路の反対側なのにポーターの青年がスーツケースを運びに飛んで来てくれたのには感動した。受付の浴衣姿の女性ともども日本語で対応してくれる。
部屋も使いやすいし、いいホテルだと喜んでいたのに、あとでがっかりしたのがバスタブに湯を入れると50リットルで冷水に切り替わってしまうこと。タブが無駄に大きいので50リットルでは全然足らず、風邪ひきそうになってしまった。 -
宿を出て鉄道線路方向に1キロほど歩く。オートバイの群れに負けずに横断歩道を渡っていく。
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途中のティエンクアン池は市民の憩いの場になっていた。将棋でもチェスでもない、見たことのないゲームに熱中するおじさんたち。こういう光景を日本では見ないのはなぜだろう。
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ハノイ駅南の踏切から線路にはいった。
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民家の軒先を列車が通り抜けるトレインストリートは今や観光ポイントとなっている。
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ハノイ駅の北側の方が有名だがカフェばかり並んでいるという情報があり、南側に来てみた。とはいえ、こちらにもカフェはいくつもあったが。
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ベトナム鉄道の列車の本数はとても少ないので、ここを列車が通り過ぎる光景は残念ながら見ることはできなかった。
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それでも、人々の暮らしと隣り合わせとなっている鉄道の雰囲気は味わうことができた。
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夕食は、宿へ帰る道から少しはいったBánh Tráng Phú Cuong Co So 2(文字化けしてしまうので一部は英語風表記です)。
思っていたより高級店。豆腐と野菜の煮物、ミミガーのサラダ、ビールで300kdしたが、おいしい。地元の人々が会食に使う店という感じで、女性客が多い。
中年女性7人がテーブルを囲んでお祝いの会をやっている様子に、ハノイはここまで来ているのかと感慨を覚えた。来年はベトナム戦争終結から半世紀になる。
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この旅行記へのコメント (8)
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- mistralさん 2024/04/24 15:19:10
- ゆったりと流れる時。
- ひらしまさん
ご無沙汰しておりました。
いつもご投票いただきましてありがとうございます。
ベトナムへの旅、そっくり真似したいくらい、いらっしゃった地の
ご選択に共感を覚えます。
さほど長時間のフライトではなく、まさに身体に、そしてもちろん
お財布にも優しくて、食事はヘルシーですし良いところばかり。
一度旅したことがありますが、都会は人に溢れていますから
今回の旅のような田舎でのんびりするのが良いなあ、と思いました。
ボートツアーの乗り場までは奥さまを乗せて宿の自転車で、、、
なんて初めてのご体験ではないでしょうか?
私は後ろに乗ったことがなかったので、勝手に想像しておりました。
砂利道にハンドルを取られながら進んだら、きっと後ろの奥さまも
怖かったことでしょうね。
長い桟橋を歩く新婚さんカップルのお写真が、周囲の長閑な雰囲気を
良く伝えてくれていて、良いですね~
そしてハノイ駅近くから入られるという線路沿いの民家が立ち並ぶ景観は
いつ拝見してもハラハラしてしまいますね。
お店を広げていても、列車の時間近くになると大急ぎで撤収する
んですよね。
ゆったりとした時間が流れていることを、そこでも感じました。
mistral
- ひらしまさん からの返信 2024/04/24 21:52:19
- Re: ゆったりと流れる時。
- mistralさん、こんばんは。
こちらこそいつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
チャンアンは最初は鉄道で日帰りしようと思っていたんです。
ところが鉄道の本数は少ない、時間帯も使いづらい。
だったら泊まったら面白いのでは、となりました。
夜は蛙の大合唱、朝は鶏の雄叫びと、田舎気分にひたることができました。
でも、砂利道のサイクリングはちと難度が高かったですね。
昔はよく妻を荷台に乗せて駅まで行ったものですが、一応舗装道路でしたから。
ハノイで行ったのはトレインストリートだけって、一国の首都に対し失礼ではないかと後ろめたい気持ちもあったのですが、mistralさんのお墨付きをいただいてほっとしています。
mistralさんも満を持して海外旅にいらっしゃったんですね。よかったです。
ポワティエってどこなんだと地図で探してしまいました。
玄人好みの旅、ゆっくり楽しませていただきます。
ひらしま
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- sanaboさん 2024/04/01 23:20:16
- 優しい時の流れるベトナム
- ひらしまさん、こんばんは
今春はベトナムへ行ってらしたのですね。
お財布にも、そしておなかにも優しいとの表現に
思わず頷いてしまいました。
チャンアンは初めて聞く地名でしたが、まさしく墨絵の世界ですね。
バリバリの青空より曇り空の方が似合っているような気がしました…。
小舟に揺られ、洞窟を潜って辿り着いた向こう側は
別の次元の別世界のように感じられますね。
船頭さんは女性が多いそうですけど、村の男性たちは
何をしているのだろうかと思いました。
畑仕事ではなく、まさか家でお昼寝?
我々の感覚だと、まず最初に「集合時間は?」と確認したくなりますけど
やはりここは優しい時間の流れる別世界。
映えスポットとして大人気だという湖上に建つお堂は
浦島太郎の竜宮城の入口としか思えませんでした(笑)
ハノイのトレインストリートは、なかなか味わいのある光景ですね!
リスボンの建物ギリギリの所を走るトラムとはまた違う面白さがありますね。
続編も楽しみにしております♪
sanabo
- ひらしまさん からの返信 2024/04/02 17:56:26
- Re: 優しい時の流れるベトナム
- sanaboさん、こんばんは。
「優しい時の流れるベトナム」って美しい表現ですね。
僕の中のベトナムのイメージは、「インドシナ3国の中でいちばん機を見るに敏な経済成長国」だったのですが、そして実際めざましい経済成長を感じてきたのですが、それでも民族の体内時計はそう簡単に速くなったりはしないのかもしれません。
そして、集合時間を決められるのが当たり前になっている僕の感覚は生き物としてどうなんだと、この際疑ってみた方がよいのかもしれないですね。
世界的に見ればもっともっと時間に緩やかなところもあるようですから、ベトナムくらいがちょうどベストなのかもと今思えてきました。
> バリバリの青空より曇り空の方が似合っている…
以前僕もそんなことを書いたような…。ありがとうございます。
> 畑仕事ではなく、まさか家でお昼寝?
うーん、鋭い追及だ。
ありそうな話です。
でも、ベトナム女性強そうですから、そんな夫は家からたたき出されるのではと想像します。
> 映えスポットとして大人気だという湖上に建つお堂は
> 浦島太郎の竜宮城の入口としか思えませんでした(笑)
そういえば、ベトナムでは亀が大変重要視されていて、チャンアンの祠堂でも立派な亀像が必ず見られました。
そうです、竜宮城伝説はベトナムから来たのでした(笑)。
ひらしま
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- きなこさん 2024/03/31 13:15:36
- 「今日も曇り」が一層幻想的ですね
- こんにちは♪
ベトナムの地方都市、ステキですね
青空よりモヤがかかったみたいな曇り空が一層幻想的ですね。
まるで水墨画の世界(^^)
洞窟にも行かれたんですね。
ボートに乗って水面を滑る様に進む画も水墨画の世界(^^)
水場はどうしても滑っちゃいますよね。大丈夫でしたか?
ベトナムのお料理はどれも日本人の口に合うと思います。特にパリパリに揚げた春巻き美味しいですよね
いつらでも食べれちゃいます
自転車で町を激走されたのも良い思い出ですね
きなこ
- ひらしまさん からの返信 2024/03/31 23:51:57
- RE: 「今日も曇り」が一層幻想的ですね
- きなこさん、いつもありがとうございます。
このあと行ったハロン湾も含め、「モヤがかかったみたいな曇り空」満喫でした。
そもそも雨が多いからああいう地形になったんだそうですから、チャンアンらしい天気と思うことにしていました。
しかし、船着き場で横転したのにはびっくりしました。
ご心配いただき大変ありがとうございます。
歩きやすいスニーカーだからと旅にも履いていったんですが、あとで靴底を見たら滑り止めが一方向だけでしたから滑って当然でした。
年寄りに人気のNブランドでしたが、そんな靴底とは思わず見ないで買った僕が愚かでした。
それからGrabですが、今回はクレジット払いにしました。
スマホ依存がどんどん大きくなっていきますね。
きなこ旅行記に刺激を受けて行ったにもかかわらず、きなこさんとは正反対の安直な旅ではありますが、またご覧いただけるとうれしいです。
ひらしま
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- ソウルの旅人さん 2024/03/28 20:26:57
- 今度はヴェトナムですか!!
- ご無沙汰しております。
春のヴェトナム旅行記を楽しく拝見しております。
チャンアンの幻想的な朝の情景に感動です。日本の田舎とは異なる風情は、この地に行かないと経験出来ないでしょう。「アジアの村の朝」を味わいました。
洞窟をくぐるとカルスト台地を借景にして御堂が湖に浮いている景観も凄いです。こういう姿を設計し作りあげることは文化の高さを表らわしているのでしょう。
御堂の扁額『高山霊祠』は仏教より儒教の雰囲気があるように見えます。ハノイは【河内】ホーチミンは【胡志明】と漢字表記するように、ヴェトナムは中国本土・韓半島・日本列島と共通する漢字文化圏だと思われます。その意味では隣の御堂の扁額がアルファベット表記であることは、元来のヴェトナム文化にフランス植民地文化が被さっているようで残念です。
この後の「春のヴェトナム」を心待ちしております。
ソウルの旅人
- ひらしまさん からの返信 2024/03/29 21:32:28
- Re: 今度はヴェトナムですか!!
- ご訪問ありがとうございます。
「アジアの村の朝」なんてずいぶん十把一絡げに書いてしまいましたね。
土の道を歩いていて、鶏の雄叫びとそれに張り合うかの犬の鳴き声を聞いていると「アジアだなあ」と感じたのです。
目の前の水墨画風の風景とちょっとズレているのがまたおもしろいというか…。
> 洞窟をくぐるとカルスト台地を借景にして御堂が湖に浮いている景観も凄いです。
> こういう姿を設計し作りあげることは文化の高さを表らわしているのでしょう。
なるほど、おっしゃる通りですね。
ソウルの旅人さんに言われて初めてあそこの価値を認識できた気がします。ありがとうございます。
アルファベット扁額にはわたしもびっくりしました。
一方で、わたしは近頃、日本がいかに漢語文化の上に成り立っているかを強く再認識させられています。
たとえば6年前、元号の出典を漢籍でなく和書に求めたのはよい試みだったと思いますが、それでも結局は漢語であったわけです(そもそも元号という制度自体が漢族の王朝の模倣に過ぎないのに、あたかも日本国家の最重要要素の一つであるように広く認識されています)。
それどころか、今書いている文章も、自分の思考そのものも、漢語抜きには為し得なくなっています。
そんなことを思っているわたしからすると、漢族国家の強い影響を受け続けたベトナムが、西洋の力を借りてでもそこから逃れて自立したい、そのために元はフランスに強制されたアルファベット文字を、独立後あえて採用したのではないか、などと想像してしまいました。
ちなみにチャンアンは長安だそうです。
ひらしま
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