2024/03/09 - 2024/03/09
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ペコちゃんさん
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狭山市下奥富にある広福寺の梅が見頃とのニュースがあったので、出かけてみました。
広福寺には、江戸幕府の三代目将軍・徳川家光が賞賛した本堂前の紅梅が、今も美しい花を咲かせています。
天気も良かったので、越生までドライブがてら梅林を見に行き、ついでに太田道灌ゆかりの龍穏寺まで足を延ばしました。
写真は、広福寺の美しい梅の花。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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広福寺は永禄年間(1558~70)に創建されたと言われる天台宗の寺院で、参道を進むと、白壁が美しい竜宮造りの山門が迎えてくれます。
1805年に建てられたこの山門は、山門と鐘楼が一体化した鐘楼門で、上階に梵鐘があります。 -
山門をくぐると、正面に本堂、右側に梅の大木が・・・
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かつて徳川3代将軍・家光が当地で鷹狩りを行った際に当寺に立寄り、当寺の井戸水で点(た)てたお茶を飲んだ時、紅梅のあまりの美しさに感嘆の声をあげ、「この梅おろそかに致すべからず」との言葉から、梅の木を「御詞(おことば)の梅」、ゆかりの井戸を「梅の井」と呼び、寺では代々大切にしてきました。
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「御詞の梅」と「梅の井」。
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ピンクの見事な八重咲の梅。
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本堂には本尊の薬師如が祀られています。
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本堂前の大香炉。
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本堂の左側に祀られた十三仏・・・十三仏とは、冥界の審理に関わる13の仏(不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩など)で、また十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様です。
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本堂の右側にある池では、鯉が気持ち良さそうに泳いでいます。
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境内の庭園に咲く山茱萸(サンシュユ)の花。
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枝垂れ桜はこれからです。
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梅の花と山門。
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梅の種類が分からないのは残念ですが・・・
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家光ならずとも、この美しさは心に残ります。
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越生梅林の「梅まつり」は2月11日~3月17日まで。
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今年の梅の花も終盤なので、本日の入園料は半額(200円)。
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園内に入ると、先ずは福寿草がお出迎え。
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越辺(おっぺ)川沿いに広がる越生梅林は、約2haの整備された梅園で、梅園内には約1,000本の梅(白梅約900本、紅梅約100本)が植えられています。
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コロナが収束し、ミニSLも元気に走っています。
このミニSLは、1970年頃までJR八高線を走っていた9600型の1/10模型で、日本工業大学付属東京工業高等学校機械科の実習教材として製作したものを、学校の厚意で譲り受けたものです。 -
園内の中ほどから、賑やかな太鼓と笛が聞こえてきました。
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舞台では、カッパの踊りに合わせて小学生が太鼓叩きを熱演中。
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「越生梅林梅まつり」の期間中、土曜・日曜・祝日には地元のお囃子や和太鼓などの様々な催し物もあり、多くの観梅客で賑う越生梅林です。
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白の枝垂れ梅も見ごろを迎えています。
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こちらは枝垂れ紅梅。
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梅の盆栽もズラリと並んでいますが、いい物は〇万円!
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樹齢約600年と推定される古木「魁雪(かいせつ)」。
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写真撮影をしているカップル。
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焼きそばやお好み焼き等を食べながら、観梅を楽しむ人達・・・私達もここで昼食をとり、午後は以前「越生七福神めぐり」で訪れたことがある「龍穏寺」に行ってみました。
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龍穏寺の参道にある「六臂観音塔」・・・この塔は、1849年に龍穏寺の檀家が建立した石塔で、塔身には「万人造之」の文字が彫られ、上の観音菩薩像には手が6本あり、上の手は右に利剣、左に錫杖を持ち、中の手は右に珠玉、左に宝珠を持ち、下の手は胸の前で観音印を結んでいます。
塔の後ろに見えるのは「冠木門」。 -
龍穏寺の「総門」(表門)・・・その手前に「禁葷酒(きんくんしゅ)」と刻まれた石碑が建っています。
「葷」とは、匂いの強い食べ物のことで、ニンニク・ニラ・ネギや、生ぐさい肉・魚とお酒は、心を静め清めるための修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない、ということです。 -
総門の扁額は「龍穏寺」・・・807年に創建された龍穏寺は、1472年に太田道真・道灌父子の尽力によって中興され、堂宇が建てられます。
1612年には下総・総寧寺、下野・大中寺と共に全国の曹洞宗寺院を統轄する僧録司に任じられ、「関三刹」(かんさんさつ:関東三大寺)と呼ばれました。 -
総門をくぐって石畳を登ると、1842年に再建された荘厳な「山門」があります。
1752年に伽藍を焼失した龍穏寺・・・その後再建されますが、1913年に再び本堂・庫裡などを焼失したものの、この山門と梵鐘、経蔵は難を免れました。 -
山号「長昌山」の扁額が掲げられた山門・・・見事な彫刻は、上野山之神村(現:太田市)の岸亦八の作によるもの。
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江戸後期の彫刻家・岸亦八の作品は埼玉県や群馬県の各地に残されており、大宮・氷川神社、熊谷・妻沼聖天山、桐生天満宮などが良く知られています。
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四隅には、仏法を守護する四天王の増長天・持国天・広目天・多聞天(毘沙門天)が祀られています。
表門の右側には鬼を踏んずけている持国天、左側には増長天。 -
裏門の右側には多聞天(毘沙門天)、左側には広目天。
細かい金網で守られているので、なかなか写真がうまく撮れません。 -
山門を入った左側にあるのは、大正11年に建てられた「電燈記念碑」。
片田舎のこの地に電気を引くのは大変なことでしたが、篤志家たちの寄付によって丸太の電柱が設置でき、この記念碑を建てました。 -
本堂へと続く石段の左側に祀られた観音菩薩像。
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龍穏寺がある場所は「入間郡越生町龍ケ谷」・・・かつてこの山に住んでいた荒ぶる龍を、曹洞宗の僧が法力によって穏やかにさせた、という話が「龍穏寺」の由来になっており、「龍ヶ谷」という地名も、この伝説を色濃く伝えています。
本堂の前にあるのは、太田道灌の像。 -
扇谷上杉家の家宰(家老)・太田道真の嫡男としてこの地で生まれた太田道灌(1432~1486)は24歳で家督を嗣ぎ、1457年に築城した江戸城、河越(川越)城、岩付(岩槻)城を拠点に各地を転戦して勝利し、関東の安定に尽くしましたが、その戦功と高潔な人柄は、かえって主君・上杉定正の不興を買い、54歳で謀殺されました。
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越生の自得軒で閑居していた父・道真は、悲報の6年後(1492年)に81歳で病没し、当寺に葬られます。
この像は、1457年に江戸城を築いた偉業を称えて、道灌の500年忌(昭和60年)に建立されました。 -
大正2年の火災で焼失した龍穏寺の本堂は、戦後再建されました。
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唐破風の向拝・・・格天井の鏡板には、一枚づつに漢字一字が書かれています。
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内陣の正面には、お釈迦様。
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境内の白梅・紅梅は丁度見頃。
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鐘楼と銅鐘・・・1672年鋳造の銅鍾は、昭和63年の強風で鐘楼が倒壊したために引退し、現在は平成3年に新鋳された鐘が撞かれています。
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旧銅鐘の高さ:166.7cm、口径:78cmの旧銅鐘・・・鐘を懸ける竜頭が特徴で、一般的な和鐘の場合は背中合わせに2頭の竜を置くのに対して、1頭の竜に旗挿(はたおし)という円筒が付いた朝鮮鐘の特徴を備えています。
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本堂左手の石段を上ると、太田道真・道灌親子の墓があります。
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1486年に伊勢原で謀殺された道灌の亡骸は、父・道真によってこの龍穏寺に分骨・埋葬されました。
道灌の墓は龍穏寺のほか、神奈川県伊勢原市の大慈寺・洞昌院、太田家の子孫が鎌倉に開基した英勝寺にもあります。 -
1492年に81歳で病没した道真は、道灌と並んでここで眠っています。
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小高い墓所から見た本堂と庫裡。
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本堂の左側にある「経蔵」・・・当寺第五十六世・道海の代(1841年)に750両(4千万円?)をかけて建立され、4つの壁面には岸亦八による彫り物が施されています。
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入口の唐破風向拝も、岸亦八の見事な彫刻で飾られています。
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経蔵の内部には八角形の輪蔵(回転式書架)が設えられ、「一切蔵経(鉄眼版大蔵経)」が収納されています。
正面には輪蔵の創始者・傅大士(ふだいし)とその子の普建・普成の2子の像、四隅には四天王、梵天と帝釈天、金剛力士2体の各像が安置されています。 -
経蔵の南側壁面には「弾虎の図」・・・中国・宋で修行中の道元禅師が、径山に登った時に虎が現れたので、手にした錫杖を投げつけたところ、それが龍と化して虎を追い払ったそうです。
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右側には、龍に乗った道元。
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左側には追い払われる虎。
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西側壁面には鳥が描かれています。
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北側壁面には、道元禅師が宋の国から帰国する時の情景が彫られています。
道元(1200~1253)は、日本における曹洞宗の開祖・・・悟りの道を求めて宋へ渡り、帰国後、1233年に京都で興聖寺を開いて誰にでも出来る坐禅の行法を説き、1244年に曹洞宗の大本山・永平寺を建立し、仏弟子を育てる道場を開きました。 -
龍穏寺山門の隣にある、境内社の「龍ヶ谷熊野神社」・・・龍穏寺の守護として、1492年に熊野本宮大社から分霊して寺鎮守としたのが起源とされます。
明治時代の神仏分離令によって境内にあった熊野神社を切り離し、村内にあった20社ほどを合祀・・・江戸時代までは高い格式を誇った龍穏寺境内にあったため村民の参拝は許されていませんでしたが、この分離によって1872年に龍ヶ谷村の村社となりました。 -
二の鳥居の先にある社殿・・・御祭神は須佐之男命です。
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現在の社殿は、龍穏寺56世・道海沙門によって1844年に再建されたもので、本殿と拝殿を「石の間」と呼ばれる幣殿がつなぐ、荘厳な権現造り。
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向拝の虹梁上に彫られているのは「牛若丸」・・・龍穏寺の山門・経蔵と同じく、岸亦八の見事な彫刻が社殿に施されています。
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拝殿の扉には中国の仙人が彫ってあります。
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木鼻には獅子。
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南側の壁面には、厚さ10センチほどの樫木に彫られた見事な龍の彫刻があります。
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西側(背面)の胴羽目には、古事記に描かれた「天岩戸の伝説」・・・天照大神が天岩戸に隠れてしまった時に、外で天鈿女命が楽しそうに踊り、気になった天照大神が岩戸を少し開けて隙間から覗こうとした所を、天手力雄神がすかさず岩戸を放り投げる、という場面です。
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天照大神が天岩戸から出た瞬間と、その隣には龍が天から降りてくる様子などが立体的に彫られています。
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天手力雄神(あめのたじからおのかみ)の力強い彫刻。
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天鈿女命(あめのうずめのみこと)・・・楽しい情景が見事に表現されています。
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南側の脇障子の彫刻。
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北側の脇障子の彫刻。
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縁下の隅には、波で表現した獏と獅子。
美しい梅の花と岸亦八の名彫刻を楽しんだ春の一日でした。
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