2024/01/28 - 2024/01/29
833位(同エリア2202件中)
Bachさん
年末に人生初めて電気自動車を購入したので、初詣を兼ねて初ドライブしてきました。
たまたま京都岡崎の会員制別荘が空いていたので、1泊2日のゆったりした行程になり、大原の里と南禅寺界隈をのんびり散策しながら、今年2回目の龍年開運を祈願し、美味しいものを食べ、温泉に入り、電気自動車の性能を確かめるという、なかなかの楽しいプチ旅行になりました。
(今回の目的)、
①「元祖卵かけめし・はんじ」でランチ
②「大原の里」散策
③「雲龍図」(堂本印象画伯)で龍年開運
④「岡崎の温泉」でユッタリ、マッタリ
⑤「瓢亭」で朝食
⑥「南禅寺界隈」散策
⑦「電気自動車」充電
(行程)
11:30自宅~40km12:30大原ランチ「はんじ」~「里の駅大原」~(大原の里散策)~15km17:00ホテル岡崎(泊)~9:00朝食「瓢亭」~(南禅寺界隈散策)~15km12:30久御山イオンでEV充電~10km13:30自宅(合計走行距離80km、ウォーキング距離18km)
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「大原の里」散策
12:30大原ランチ「はんじ」~13:30「里の駅大原」~3km14:30「寂光院」~4km15:30「出世稲荷神社」~2km16:00「里の駅」(9km) -
昨年末に購入した新しい電気自動車「日産サクラ」で大原到着
*電気自動車購入の経緯はコチラ→http://nisetaijyuutaku.degikame.com/article/502221627.html -
まずは最初の目的、「元祖卵かけめし・はんじ」でランチ
元祖かどうかは分からないが、「卵かけゴハン」でなく「メシ」 -
「おばあひとりのお店です」
普段はお婆ちゃん一人だけでやってるらしいが、今日はお手伝いのお母さんと二人 -
本日は日曜日のせいか、12:30入店の後に入ってきたお客さんは売り切れでお断りしてたからラッキー! おかげで食後ゆっくりお婆ちゃんと話をすることが出来た「食堂は昔から長いことやっていて若い頃はメニューも多かったが、今は一つだけにしている、以前はうどんセットもあったが今はない、この家に一人で住んでいて近くに子供さんが住んでいるらしい、等々」
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卵は「大原地玉有精卵」
大原の卵は、平飼いで雄の鶏を1割入れて、飼料も抗生物質の入らないオリジナルの飼料にして、ストレスのない環境で飼っているので、生臭さがなくコクがあり黄身も弾力があって色鮮やかな卵で、隣の建屋で卵の直売もやっているので養鶏農家直営かもしれない
あらためて「有精卵と無精卵の違いは何か」、調べてみると、殆どの養鶏場の鶏はメスが排卵して産んでいる「無精卵」だが、これに対してオスも一緒に飼ってメスが出産して産んだのが「有精卵」で、味も栄養価も殆ど違わないが、この方がメスの精神状態が安定し、生臭さがなくコクがある卵になり、反面手間はかかるのでコストは高くなるという、また「有精卵」は劣化しやすいので賞味期限も短く、暖めるとヒヨコになる可能性もあるが、逆に新鮮なものしかないので安心して食べれるということらしい、但し「有精卵」の表示は厳しく、オスを5%入れていることが条件 -
(目的1)「はんじの卵かけめし」
見るからに濃厚で美味しそうな卵かけごはんに、小皿と味噌汁がセットになった定食が1,000円 -
店を出るときには「終了」の看板
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100m先に「里の駅 大原」
大原近郊で採れた新鮮な野菜や鶏卵、漬け物、焼き菓子など加工品の直売所 -
「旬菜市場」では顔写真入り生産者を掲示して、顔の見える野菜の販売をしており、有名店の料理人も仕入れに来るほどで、昼過ぎには殆ど売り切れている
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大原の地卵もあった! こちらは静原産の有精卵で「しずたま」というブランド、新春特売で10個500円(通常は800円くらいらしい)
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毎週日曜日には、朝6時から広場で朝市が開かれ賑わうという
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(目的2)「大原の里」散策
ココに愛車を駐車して、「寂光院」へ向かってウォーキングスタート! -
周りは大原の里が広がり、清々しい!
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雪の残る比叡山も良く見える *比叡山の標高は850m、大原は200m(京都駅は30m)
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しばらく進むと「寂光院」の標識が見えて左折
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雪が残る民家
大原の里はかつては茅葺の里だったが今は殆どない -
右折すると「三千院」
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雪が残る「落合の滝」
案内板では、「寂光院の参道沿いに流れる草生川(くさおがわ)と西の谷川の合流点で、建礼門院が和歌を詠んだとされる滝である」 -
「大原女の小径」(おはらめのこみち)
寂光院~三千院を結ぶルートで、毎年4月下旬の「大原女まつり」で大原女の時代行列が巡行する、道中に表情の違う「大原女石像」が24体あるという -
「大原の里」民宿と日帰り温泉
100年の歴史のある味噌を使った味噌鍋が自慢の民宿13,000円~、日帰り温泉で名物味噌なべ付3,000円~ *手前に「民宿大原山荘」もある -
「足湯カフェ」ドリンクセットで990円
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「紫葉漬と大原女の発祥の地」寂光院 瀧澤智明 石碑
「平安の昔寂光院に住まわれた建礼門院が、大原の里人から献上された夏野菜と赤紫蘇の漬物の美味しさに感動され、「紫葉漬け」(しばづけ)と名づけられたと伝えられています。本来、紫葉漬とは夏野菜と赤紫蘇を指します。そして、使われる赤紫蘇は、大原盆地で繰り返し栽培されている為、原品種に近く、香り品質ともに、最上級と言われています。この赤紫蘇を使って大原で漬けた紫蘇漬は京都府の伝統食品(京つけもの)の認定を受けています。 また、建礼門院の女官阿波内侍(あわのないじ)のお姿が、ルーツであると伝わる大原女は、数々の書画や文献に残され、大原伝統文化の象徴として大原観光保勝会が保存に務めています。 この度の建礼門院の八百年御遠忌に因み、大原のしば漬業者、赤紫蘇に縁のある者が、こぞって建礼門院の遺徳をしのび御恩に感謝の気持ちを表し、記念碑を建立して、後世に伝えるものです。 -
「建礼門院大原西陵」(けんれいもんいん おおはらにしのみささぎ)
1185年平家没落後に出家して寂光院に隠棲し、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら終生を過ごし1214年に死去された、三千院近くにある後鳥羽天皇と順徳天皇の「大原陵」に対して「大原西陵」と呼ばれる -
「寂光院」(じゃっこういん)
2005年に放火で焼失し、2010年再興してから初めての再訪
「寂光院」は594年に聖徳太子が父の用明天皇の菩提を弔うために建立され、1097年頃に来迎院(らいごういん)の良人上人が再興された天台宗の尼寺、初代住持は聖徳太子の乳母の玉照姫(たまてるひめ)で、その後の500年ほどは史料がなく不明だが、他の資料から判明している阿波内侍(あわのないじ)を二代目に位置づけ、三代目が「建礼門院」、平清盛の娘・建礼門院徳子が、平家滅亡後隠棲し「平家物語」ゆかりの寺として知られる -
「建礼門院」(けんれいもんいん)1155~1214年(59歳没)
平清盛の娘・徳子、高倉天皇皇后で、安徳天皇の母、兄弟に宗盛、知盛、重衡、平家全盛時に後白河法皇の猶子(養子)に、1172年高倉天皇の中宮(皇后)になり、1178年安徳天皇)を出産、1181年高倉天皇と父・清盛が相次いで死亡後、建礼門院の院号を受かったが、源氏の蜂起による内乱が勃発し1183年都を包囲され京都を離れ、1185年壇ノ浦の戦いで平家が敗れ、幼子の安徳天皇と共に源氏の船に取り囲まれ入水したが、徳子のみが助けられ義経に連行され入洛し、円山公園の近くにある「長楽寺」で出家し(長楽寺の境内に建礼門院御髪塔がある)、「寂光院」(貞憲入道の庵)に入り、真如覚比丘尼としてこの地で6年間隠棲し、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、侍女たちとともに終生を過ごされた、1186年に後白河法皇の「大原御幸」があったことが「平家物語」に記されている *貞憲入道(藤原貞憲)は後白河上皇の側近・藤原信西の子で、二代目の阿波内侍は貞憲の娘と言われる -
「山門」の正面に本尊の「六万体地蔵尊」を安置した「本堂」
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「本堂」
飛鳥時代に創建されてから内観は藤原時代と平家物語当時の飛鳥様式、外観は安土・桃山時代の1603年に豊臣秀頼により修理された桃山様式だった、これには秀頼の母・淀殿が幼くして亡くなった鶴松を弔い4年後に生まれた秀頼の身を案じて寂光院の復興に尽力し、徳川家康もこれに協力したという話がある、そして、2000年の放火と思われる火災で本堂も本尊も焼失してしまったが、住職の「すべて元の通りに」という言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し材木を吟味して5年の歳月を経て再建し、2005年(平成17)見事に復元した -
扁額「寂光院御再興黄門秀頼卿 為御母儀浅井備前守 息女 二世安楽也」(秀頼が浅井家息女の母の二世;現世と来世の安楽の為に建立した)
内部は撮影禁止だが、中央に本尊の「六万体地蔵尊」(地蔵菩薩立像250㎝)が安置され、左奥に「建礼門院像」、右奥に「阿波内侍像」が安置されている、本尊の「六万体地蔵尊」は聖徳太子作と伝えられるが、鎌倉時代に新たに作られたもので、胎内と背面に10cmほどの小地蔵が6万体(実際は6600体)納められており、1体ずつがそれぞれ六道救済をし無数の衆生の苦しみを救うという意味で「六万体地蔵菩薩」といわれたという、「建礼門院像」(69cm)は鎌倉時代の木造、「阿波内侍像」(69.5cm)は室町時代の作で建礼門院が手紙や写経などを集めて貼って造らせたという張子像で、いずれも本堂の火事で焼損したため、3年半かけて旧本尊の姿を忠実に模して復元され2005年に完成、制作費は本尊だけで1億4000万円といわれる、なお焼損した「六万体地蔵尊」は、全身が黒焦げに炭化したものの体は崩れず、判る程度に外観を留めた状態に保存加工され、胎内に納められていた小地蔵や経文などと共に、重要文化財指定を解除されることなく、境内奥の収蔵庫「舜智殿」に安置されている -
「雪見灯籠」
本堂の右手前にある灯籠は、豊臣秀吉が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたもので、南蛮鉄製で見るからに重厚な灯篭は歴史の重さを感じる -
「客殿」(書院?)
2000年(平成12年)建立の新しいもので、この横から渡り廊下を通って本堂にり、内部の説明を受ける -
「四方正面の池」
本堂の東側にある回遊式庭園は、池の周囲を周ると、どの方向から見ても正面となるように作庭されており、正面にある観音像の横の滝から池に水が流れ込み、周りを高い植栽で囲まれたコンパクトな空間は素晴らしく、四季折々に変わる景色を全部見てみたい、そして滝は三段になっていて「玉だれの泉」と呼ばれ、一段ずつ高さと角度が異なり音色の違う三つの滝がまるで合奏するかのように聞こえるというが、確認はできなかったので又ぜひ再訪したい -
本堂の上から見た「山門」は江戸時代に建立された檜皮葺
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「平家物語」に描かれた池泉回遊式庭園
「平家物語」灌頂巻(かんじょうのまき)にあり、建礼門院が本堂正面の山の花摘みから帰って来て後白河法皇と対面するところに登場する *平家物語「灌頂巻」は、十二巻ある平家物語の本編のあとに追加された建礼門院に焦点をあてた巻で、建礼門院が寂光院に隠棲した1年後に後白河法皇が訪れた際、建礼門院は山へ花摘みに出掛けて留守だったが、しばし法皇が待つところに女院が戻り2人は再会を果たし、当初思いがけない法皇の訪問に会うのを拒むが、侍女の阿波内侍に促されて対面し、平家滅亡から壇の浦の戦いで入水し、母時子から菩提を弔うよう後生を頼まれたことなどを明かし、のちにこの寂光院で静かに往生を遂げるところまでの自らの生涯を泣きながらに語り、「平家物語」は建礼門院を通して平家の栄華盛衰の幕引きをしている -
「汀の池」(みぎわのいけ)
「平家物語」の中で、建礼門院と後白河法皇が対面する「大原行幸」の中で、「池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ」という描写があることから「汀の池」と呼ばれており、心字池を中心に「姫小松」や「汀の桜」が残る -
「汀の桜」(みぎわのさくら)
池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ (平家物語・大原行幸) 「姫小松」と寄り添うように立っていたが、火災の後池の左側に新しく植えられた -
「千年の姫小松」
池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる 中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色 (平家物語・大原行幸)
姫小松は樹高15m余りで樹齢数百年になる五葉松の大木であったが、2000年の火災で4年後に枯死してしまい、倒木の危険があるため伐採し、残った部分をご神木としてお祀りしている -
「ひめ小松 一千年の おん姿 歴史の重さ 今に残さん」(寂光院智明・寂光院第32世院主)
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「沈黙」(智光・寂光院第31世院主)
「沈黙はよい 木々が語ってくれるから 岩むした石が物語ってくれるから 岩清水のひびきが耳を澄ましてくれるから み佛のこえがきこえてくるから」
*智光さんは、1945年寂光院住職、女性で初めて天台宗の最高位の大僧正になった、2000年5月、放火事件で寂光院本堂全焼、2003年死去93歳 -
「諸行無常の鐘」
「平家物語」の冒頭から「諸行無常の鐘」と呼ばれる、江戸時代に建立された鐘楼
祇園精舎の鐘の声 諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす。驕(おご)れる者久しからず、ただ春の世の夢の如し。猛き人も遂には滅びぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ -
宝篋印塔が並ぶ所の「西門」を出た林の中に「建礼門院御庵室跡」石碑と、向かいの山の中腹に「阿波内侍」など建礼門院に仕えた5人の侍女の墓がある、「阿波内侍」(あわのないじ)は、藤原貞憲の娘で崇徳天皇の女官で、建礼門院の侍女として仕え、出家して寂光院二代目になり、建礼門院が出家してからも建礼門院を支え寂光院に尽くし、後白河法皇の大原行幸の一切を取り仕切り、建礼門院の最期を看取ったといわれる、また宮中の女性だけあって着こなしのセンスがよかったためこの地区の女性がその真似をしたのが今の「大原女の姿」になったといわれる
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苔生した全てが美しい!
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宝物殿前の絵馬台の苔も美しい!
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宝物殿「鳳智松殿」(ほうちしょうでん)
火災から4年後の2006年(平成18年)に寂光院の復興を記念して建立、寂光院に伝来する平家物語ゆかりの文化財や資料や、火災にあった本尊の胎内仏などを展示している -
入口に「謡曲・大原御幸と寂光院」の駒札
文治2年(1186)4月、後白河法皇が壇ノ浦で平家が滅びて後、洛北寂光院に隠棲された建礼門院(徳子・高倉帝の皇后)を訪ねられたことは「平家物語、灌頂巻」にくわしく、また謡曲「大原御幸」にも謡われている。当時、法皇は鞍馬街道から静原を経て江文峠を越え大原村に入り寂光院を尋ねられているが、ここ寂光院の本尊は聖徳太子御作の地蔵菩薩で、その左に建礼門院の木像や阿波ノ内侍の張子の座像が安置されている、謡の詞章にそって緑羅の垣、汀の池などが趣きをそえ、うしろの山は女院の御陵域になっており、楓樹茂り石段は苔むし謡曲をしのぶことが出来る (謡曲史跡保存会) -
「茶室入り口門」山門手前の参道途中に庭園と茶室がある
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「待合腰掛」ココから先は立ち入れないので、入り口から庭を鑑賞する
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茶室「孤雲」(こうん)
昭和4年に造られた比較的新しい茶室で、京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材を下賜されたので、これをもとに茶室を造り、千宗室宗匠に献茶式をしてもらい茶室開きを行ったという -
「孤雲」のいわれは、「平家物語」の大原御幸のなかの、建礼門院を訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に貼られた色紙に(笙に合わせて歌う)「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」(西方の極楽浄土から阿彌陀仏が迎えに来る)という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という建礼門院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという」一節から
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「諸行無常の響きあり、盛者必衰の理をあらわす」の余韻を残しながら、残雪残る「寂光院」を後にする
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「大原女の小径」を三千院方向へ歩く
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途中にあった「旅館・ますや」(駒札によると)
「この建物は明治後期の頃、三千院への拝観客を目当てに旅館として建築されました、若き日の日本画家・土田麦僊(ばくせん)や俳人・高浜虚子も逗留したことがあるなど、地域では有名な宿泊施設でした。昭和初期に旅館は廃業され、しば漬けの販売や生産に携わる民家として再生したのですが、昭和62年頃、研修センター用地として㈱ゼロコーポレーションの所有となりました。その後暫く放置され、廃屋同然になっていたのですが、平成12年、地域の景観に配慮し、往時の姿を出来る限り残すような形で再生させようという趣旨で大改修されました。現在の建物は、平成13年に完成したものです」
シーズン中の休日だけ、喫茶店営業しているらしい -
「大原のバス停」から「出世稲荷神社」を目指す
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「大原の里・10名木」山桜ともみじ並木
「魚山」(ぎょざん)のお寺への参道で、勝林院、来迎院、三千院などへ通じる *京都大原の地は、別名「魚山」とも呼ばれ、来迎院を創建した慈覚大師・円仁が中国の五台山で修行した峰の名が魚山だったことに由来する -
「出世稲荷神社」に到着
昨年「平安京二条大路」を歩いた時に「出世稲荷神社跡」の石碑を見て、一度行ってみたいと思っていた -
(2023.04.20撮影)
「千本旧二条」のバス停は元は「出世稲荷神社跡」という名前で、「聚楽第」造営の際に稲荷神社を勧請し秀吉の立身出世に因んで命名、その後千本通りに移り、江戸後期には329本もの鳥居が並ぶほどの盛況ぶりだったというが、最近では地域に氏子がいなく、老朽化した社殿の維持・修復が困難となったため、境内地を売却し(今はマンション)、2012年に大原に移転した -
正面「奥の宮」、左手「社殿」
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「御由緒」
天正十五年(1587)年に関白太政大臣、豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請しました。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたという。聚楽第取り壊しの後も元の場所に鎮座していたが、寛文3年(1663年)に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近、京都市上京区千本通竹屋町下ル)に遷座した。出世開運の神として大名・公家から庶民までの崇敬を受けた。江戸時代後期には庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいたという。近代に入ると千本通界隈が映画興行の街として繁栄したため、牧野省三や尾上松之助が鳥居を寄進した。 -
「御神徳」
開運出世の福、衣食住の福.地位名望の福 衆人愛敬の福 農工商その他一切の生業に大繁栄の福 延命長寿と病気平癒の福 千客万来の福 武運長久の福 善智識の福 金銀財宝の福 -
「牧野省三・尾上松之助ご奉納の鳥居」
「鳥居」は尾上松之助や牧野省三らによって寄進され、「日本活動写真株式会社・関西撮影所」と刻まれている -
手前には旧地で社殿が新築された際の記念碑が建っており、旧地の千本通界隈が映画興行の街として繁栄したこともあり、発起人として歌舞伎役者で映画俳優だった尾上松之助、映画監督の牧野省三の名がある
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「奥の宮」出世稲荷大神 手前に「神使の狐」
豊臣秀吉が日頃信仰していた稲荷神社を勧請し、翌年後陽成天皇が聚楽第に行幸し稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けた -
「三石大神」
「福石、寿石(ながいし)禄石」の3個の石を御神体とし、「勝石・取り石・打出し石」と呼ばれ、勝負事の神とされる -
「水天宮」
水難、火難、病難、盗難除けの御利益がある -
神明造の社
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「三石大神」の手前に伊勢の内宮、外宮が祀られている大神宮がある
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社殿にある「堂本印象画伯による雲龍図」
(目的3)「雲龍図」堂本印象画伯(どうもといんしょう1891~1975)
京都市生まれの日本画家、堂本印象は京都を中心に十数カ所の寺院で、襖(ふすま)絵や天井画、壁画、柱絵などを制作しており、特に東福寺天井画の蒼龍図は有名で、こんな処で見れることに感激! 入口で感嘆して思わずシャッターを切ったが撮影禁止だった、、、 -
再び「高野川」を超えて「里の駅大原」へ
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大原から岡崎にある会員制別荘へ
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(目的4)京都岡崎の温泉でユッタリ、マッタリ
沸かし湯だが一応ヒノキ風呂と石風呂の温泉もあって気持ちいい -
晩御飯は、近くの「マルシン飯店」でテイクアウトした中華料理(先日ランチを食べたがもっと色々食べたかったので再挑戦)
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翌朝目覚めると、向かい側の「京都動物園」のキリンたちも目覚めていた
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優雅に朝風呂を楽しんだ後、今回の目的である近くの「瓢亭」へ
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向かいには山形有朋の「無鄰菴」
無鄰菴の庭園には琵琶湖疎水の水が流れているが、隣の瓢亭の庭園にも疎水の水が流れている -
「瓢亭」の「朝がゆ」朝食は別館でやっている(隣の本店は12時から)
8:00~11:00、5,445円だが、なかなか予約がとりにくい -
(HPより)「瓢亭」は南禅寺境内の門番所を兼ね、南禅寺総門外松林茶店(腰掛茶屋)として庵を結び、天保8(1837)年創業、400年余りの歴史を育んでまいりました。和敬清寂を心とし、茶懐石を基礎としながらも伝統と革新を繰り返し、今日に至ります。季節ごとに趣を変える茶室にて、名物「瓢亭玉子」をはじめ、夏の「朝がゆ」、冬の「鶉がゆ」など、不易流行の京料理をお楽しみいただけます。
明治維新で活躍した山縣有朋や、品川弥二郎による書も残り、大正や昭和、そして平成にかけて、それぞれの時代を支える文化人、茶人、経済人、京の旦那衆など多くの人々を魅了し続けてきた、現在の十四代目当主は、京都府無形文化財保持者(京料理・会席料理)に認定された京料理界を代表する料理人 -
(目的5)「瓢亭の朝がゆ」冬期間は「鶉がゆ」(うずらがゆ)
まず瓢箪型の「三段の瓢(ひさご)の器」に、一段目に炊き合わせ、二段目に蒸し物、三段目に辛子和え物、次に名物の「瓢亭玉子」の入った八寸、卵は客からの要望に応えて庭先で飼っていた鶏の卵をゆがいて出したら受けたという、当時ゆで卵を食べる風習などない時代に幕末の書物にも「瓢亭の半熟鶏卵が名物」と書かれるほどの逸品 -
次の「汁椀」はお麩の白味噌仕立て、で最後に「うずらがゆ」、おかゆではなく雑炊だが瓢亭では「鶉がゆ」と呼んでおり、細かく刻まれたうずらのお肉とせりが入っていて歯ごたえが良くて寒い時期には特に身に染みる、夏のある日、祇園界隈で夜遊びした京の旦那衆が、芸妓さんと連れだって円山公園を抜けて早朝に来店して、寝ている瓢亭の主人を起こし「何か食べさせて」と言い、急遽ありあわせで用意したのがお粥で、暑い時に濃いめの味付けでいただく熱いお粥が受けて口伝えに広がり明治初年から店舗でも出すようになり、今では憧れの朝ごはんになっている
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隣の「本館」の店構えには、茶壺や床几(しょうぎ)、草鞋(わらじ)などが置かれ、南禅寺参道の茶屋だった江戸時代からの面影が今も残っている、「本館」には素晴らしいお茶室と庭園があり、入り口路地だけ覗いたことがあるので是非入って見たいと思っていたが、本館で朝がゆを食べれるのは7、8月の夏だけで、7,590円(ランチ31,625円)もするが、庭園好きの好々爺(こうこうや)としては一度は行ってみたいところ
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(目的6)「南禅寺界隈」散策
朝食を終えて、岡崎・南禅寺界隈を散歩 -
「岡崎・南禅寺界隈」散策
9:00朝食「瓢亭」~10:00南禅寺・三門~水路閣~蹴上疎水公園~12:00京都美術館 -
「この門を 入れば涼風 おのづから」(森永湛堂老師自筆の句)
この石の重さ15トンにビックリ! 森永湛堂老師は、佐賀県伊万里の高僧で俳人 -
「南禅寺・三門」
鎌倉時代の建立だが現在の「三門」は江戸時代の1628年、大坂夏の陣での戦没者供養のために藤堂高虎(とうどう たかとら)が再建したもの
*寺院の門はもともと山深い場所に建てられたので「山門」と呼ばれ、後に平地に建てられた寺院でも「山門」と呼ぶようになったが、禅宗の山門は悟りを開く為の三解脱、空(物事にこだわらない)、無相(見かけで差別しない)、無願(欲望のまま求めない)を意味することで「三門」と呼んでいる -
石川五右衛門の「絶景かな!」で有名だが、日本三大門の一つで(残りは身延山久遠寺、知恩院、又は東福寺)、京都三大門の一つ(残りは南禅寺、知恩院、仁和寺、又は東本願寺)、日本一高い山門は東本願寺27m、知恩院24m、南禅寺22m
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早朝で空いていたため、初めての登頂(楼)600円
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京都市街、絶景!
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蹴上、都ホテル方面
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「勅使門」方面
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残念ながら本堂内部は撮影禁止で、小さい穴から覗くのみだが、正面に本尊の宝冠釈迦座像(ほうかんしゃかにょらいざぞう)、両側に月蓋長者(がっかいちょうじゃ)、善財童士(ぜんざいどうじ)、左右に十六羅漢を配置し、本光国師(ほんこうこくし)、徳川家康、藤堂高虎の像と藤堂家一門の位牌が安置されており、狩野探幽をはじめ狩野派による極彩色の壁画でお釈迦様の世界を醸し出している
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隣の塔頭「天授庵」(てんじゅあん)
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「天授庵 」庭園が見える!
江戸時代の作庭家・小堀遠州の白砂と苔の美しい枯山水庭園と、南北朝時代の池泉回遊式庭園が素晴らしい -
(2009.4撮影)
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「法堂」、「方丈」方面へ
大方丈(おおほうじょう)の庭園も小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれる枯山水庭園だが、今回はパス *「虎の子渡し」(七五三の庭)は龍安寺だけではない
小方丈(しょうほうじょう)には狩野探幽作「群虎図」(ぐんこず)があり「水呑みの虎図」は名高い -
法堂「天井の龍」明治の今尾景年画伯作
これも目的の一つだったが、わずかに穴から御拝観! *京都で有名な「天井の龍」は、建仁寺(小泉淳作)、妙心寺(狩野探幽)、天龍寺(加山又造)、東福寺(堂本印象)、大徳寺(狩野探幽) -
「水路閣」へ移動
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「水路閣」(すいろかく)
琵琶湖疏水の分線にあたる水道橋で、第一琵琶湖疏水と同時期の1890年(明治23年)に、沿線への灌漑用水や防火用水などの供給の為に開発されたが、南禅寺境内を通過するため、周辺の景観に配慮して田辺朔郎が、紀元前古代ローマの水道橋を参考に設計したそうで、当初は単に「桟橋」と呼ばれていたが、その堂々たる姿から「水路閣」と呼ばれるようになったという -
「水路閣」は、高さ9m、幅4m(水路2.4m)、全長93m、レンガ、花崗岩、モルタル造りの16連のアーチ型橋脚で、古代ローマ風のデザインに加えて、石炭よりも火力の強い松の木の方が発色が良いというこだわりで焼き上げた「煉瓦色」が一段と風格をあげており、当時はレンガ造りは珍しかったので多くの人が詰めかけ、「南禅寺三門」の上には人だかりが出来たという、それでも当初は景観にそぐわないと批判され、経費も現在の金額で1.6億円も(1m当たりの工事費はトンネル工事費に匹敵)かかったので、反対した人も多かったというが、今なお現役の施設として水が流れており、観光名所としても賑わっているのをみると、田邊朔朗たちの先見の明に感服するばかりである
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「南から北へ逆流する疎水分線」
不思議に思うのは、何故こういうものが出来たのか、ということだが、琵琶湖疎水の本流の狙いが、飲料水や水運、水力発電だったのに対し、分線の狙いは広く市民に使ってもらう生活用水や灌漑用水、防火用水を現場に近いところまで運ぶということで、この水路を京都北部まで伸ばそうとすると、途中寺社の多いルートを通り、標高50mの蹴上からそれよりも高い標高70mの北白川辺りへ、流れを極力迂回させず、緩やかに流す必要があり、そのためには「高架式の水道橋」が必要だったということで、この難題を見事に解決した上に、ローマ水道のような古代西洋のものを日本の古都にマッチさせたというセンスには驚嘆しかない! -
あらためて琵琶湖疎水の流れを整理すると、琵琶湖の水面標高80mから、標高50mの蹴上間20km、そして分線は標高70mの京都北部へ8km(現在3km)を、山裾の複雑な地形を緩やかな傾斜で流れ、130年以上経った今でも問題なく水を運んでいる、真にこれなしには今の京都は考えられない遺産になっている!(京都市内の標高は上賀茂神社90m、平安神宮50m、京都駅30m、淀駅10m)
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坂を上がるに連れアーチが小さくなる、どっから見ても遠近法、アーチとアーチに挟まれた間には、逆三角形の浮彫があり、外壁にも連続した半円アーチの装飾があり、建設技術だけでなくデザイン的にも素晴らしい
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大小の16連アーチが横断方向と水の流れの方向とに交差して美しい
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大きなアーチの中にもアーチがくりぬいてあって、まさにレンガの芸術品
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「水路閣の調査を行っています」(看板)
完成から130年も経過して今なお現役で運用されているが、「平成20年7月に、水路閣の橋脚にひび割れが見つかり、倒壊する危険はないが、監視を続けています」とある、琵琶湖疎水の建設費は当時の国家予算の1.8倍もかかったというが、今まで大規模な改修がなかったことが驚きで、今後はその維持管理に大変なご苦労が予想されるが、頑張って維持して欲しい -
「最勝院高徳庵」(さいしょういんこうとくあん)
隣の「南禅院」は有名だが、ココも南禅寺の最奥にある歴史ある塔頭で、特に秋の紅葉は穴場スポット! -
「水路閣」上の水路は、南禅寺の境内を出てトンネルに入り、永観堂横を通り哲学の道へ北の方向に流れるが、最初のトンネルを出た直後に「扇ダム」があり、疏水分線の水量を調節し余った水を南禅寺を回り込んだ放水路から南禅寺船溜に流す
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「水路閣」を蹴上方面へ歩く
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「亀山天皇分骨所 粟田山陵」
南禅寺は、1291年亀山法皇が無関普門禅師(むかんふもんぜんし)を開山に迎えて開創された -
「南禅寺の鐘楼」
「南禅院」の裏手にあたるこの辺りは南禅寺発祥の地で、南禅寺の「鐘楼」がある -
南禅寺の鐘楼にしては目立たない存在
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塔頭の「正因庵」(しょういんあん)が見える
南禅寺の南側には正因庵、天授院、真乗院、南陽院、金地院の6つの塔頭が並ぶ -
日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)20分、蹴上疎水公園5分、インクライン、蹴上駅8分
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しばらく疏水分線を蹴上方面へ歩く
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疎水分線のスタート地点、手前が南禅寺水路閣
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「庭園用水と疏水分線の分岐点」
発電所を通り抜けた水(正面)は、ここで、「庭園用水」(右方面)と「疏水分線」(左方面)に振り分けられる -
発電所取水設備の前には水鳥の風景
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「庭園用水の取入口」
琵琶湖疎水の水は京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されているが、同時に円山公園や平安神宮神苑、無鄰菴、瓢亭、菊水、並河家庭園、白河院庭園、何有荘など七代目・小川治兵衛が手掛けた南禅寺界隈別荘庭園群にも使われており、これらは琵琶湖疏水系庭園と呼ばれている -
「蹴上発電所」(発電所の取水設備)
琵琶湖疎水完成の翌年1891年に水力発電の運転が開始された、これは営業用発電所として日本初で、その電力は日本初の路面電車や工業用動力として利用され京都の近代化に貢献し、現在でもなお常時210万kwの発電(6,000世帯分)を行っている -
蹴上発電所への水を流す落差34m 、長さ400~500mの導水管
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第1疎水と第2疎水が合流する洗堰「ナイアガラフォール」
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南禅寺船溜への放水口
発電所の取水設備に流れていく -
「蹴上インクライン」(傾斜鉄道)
蹴上船溜から南禅寺船溜までの下り坂582mが続く、両船溜の高低差は36mあるため、琵琶湖からの船をそのまま伏見方面へ流すのは難しいので、船を線路上の台車に載せてケーブルカーと同じ原理で昇降させる傾斜鉄道にし、片道10~15分かけて行き来していた、この運転用の巻き上げ機の動力も水力発電を利用 -
「三十石船」(琵琶湖疎水の水運利用)
インクラインは、伏見にも設置されて琵琶湖と京都、伏見、宇治川が水路で結ばれ、積荷は大津からの下りは米・薪、伏見からの上りは呉服・塩・砂糖・酒など、最盛期には年間貨物14,647隻、客船21,025隻という記録があり、水力発電と共に京都の産業発展に大いに貢献した -
「花見スポット」
インクラインが使われたのは、1891年(明治24年)~1948年(昭和23年)の半世紀ほどで、水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、産業遺産として保存されている -
「南禅寺舟溜」(ふなだまり)に到着
発電所を通った水は南禅寺舟溜に流れ込む -
この噴水はインクラインの高低差による水圧だけで噴き上げている
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「巨大な輝き」像
疎水トンネルを完成させた多くの人々の巨大なパワーと、水の恵みに対する感謝を形にしたもので、京都市三大事業(第二琵琶湖疏水、上水道整備、道路拡張と市電敷設)が完成した明治45年から80周年を記念して建立した 「水門を開ける男と、開かれた水門からキラキラあふれ出る命の水、幾数千万の力の結果が疎水隧道(トンネル)を造らせた、それは巨大なエネルギー、このパワーを人物に託し、琵琶湖からの永遠の恵みを感謝する気持ちを形とす」と書かれている -
「鴨東運河」(おうとううんが)
疎水は南禅寺舟溜から平安神宮沿いの「鴨東運河」を流れ、川端通から鴨川に合流する -
「京都市京セラ美術館」
美術館のカフェで一休みしようと思ったが、残念ながら休館日 -
(目的7)電気自動車充電
イオン久御山でEV電気自動車の充電を無料で出来ると聞いていたので行ってみた、電気自動車の「充電環境」は、まだまだ不十分で、ガソリンスタンドの3万ヶ所に比べ、8000ヶ所しかなく、基本自宅充電が前提になるが、長距離ドライブするためには早くガソリン並みの環境になって欲しい、そんな中でショッピングセンターのイオンでは無料で充電出来る、公共施設でEV普及促進のために開放しているケースはあるが、イオンでも「充電の間に食事や買い物をしてもらう」という目的でやってるらしい -
インフォメーションセンターで受付をして暗証番号を教えてもらって使用し、急速充電(CHAdeMO出力50kW)は30分まで、普通充電(200V出力4kW)は充電60分まで、フル充電には普通で6時間、急速で3時間以上かかるので充分ではないが、買い物のついでにはいいかもしれない *電気代は10分で普通27.5円、急速55円だから1回の利用で165円、家充電の場合は約1/2
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電気自動車をチャージしている間、人間もチャージして帰宅
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