2024/01/05 - 2024/01/05
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ペコちゃんさん
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午前中に小石川七福神を巡った後、午後はお茶の水にあるニコライ堂と、水道橋駅近くのカトリック神田教会に行ってみました。
正教とカトリックの2つの教会は、明治時代初期にキリスト教布教のために創建され、ニコライ堂は国の重要文化財、カトリック神田教会は登録有形文化財に登録されている貴重な建物です。
写真はカトリック神田教会。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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文京シビックセンターで昼食をとった後、東京メトロ・丸ノ内線で後楽園駅から御茶ノ水駅に行き、ニコライ堂へ向かいます。
聖橋の先に見えるのは、日立製作所本社跡地の再開発で2013年に竣工した23階建の「御茶ノ水ソラシティ」。 -
昭和2年に開通した聖橋(ひじりばし)・・・神田川の上に本郷通りを通すために架けられた全長79.3mの橋です。
南側にニコライ堂の屋根が見えますが、北側には湯島聖堂があり、2つの聖堂を結ぶことから聖橋の名前が付いたのでしょう。 -
近くの高層ビルから見ると、全体がよく分かります。
ニコライ堂は日本で最大の正教会の大聖堂・・・緑青に覆われた高さ35mのドーム屋根が特徴の、本格的なビザンティン様式の教会建築です。 -
日本に正教を伝道した大主教・ニコライ(1836~1912)・・・1861年に函館のロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任し、1872年に上京して1875年に正教の神学校を設立、1884年に大聖堂の建築工事に着手して、1891年にニコライ堂を竣工させます。
その生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本に留まり、日本で永眠しました。 -
建物は関東大震災で大きな被害を受けましたが修復され、現在に至ります。
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窓のガラスには聖母マリア。
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漢字で書かれた「生神女庇護」・・・生神女(しょうしんじょ)とは、日本正教会で用いられる聖母マリアの称号です。
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紅梅坂を上ってニコライ堂の入口へ。
主イイスス・ハリストス(ギリシャ語のイエス・キリスト)の復活を記憶する復活大聖堂として建てられたニコライ堂の正式名称は「東京復活大聖堂」なので、表札には「日本ハリストス正教会教団 東京復活大聖堂」と書かれています。 -
ニコライ堂の原設計はミハイル・シチュールポフ、実施設計はジョサイア・コンドルで、施工は清水組(現・清水建設)が担当しました。
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正にロシアの教会ですね。
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鐘楼部西側中央の聖堂玄関・・・ここから中に入ります。
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玄関の上には正教会を示す八端十字架があり、背後にイエス・キリスト像が描かれています。
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キリストが手にした聖書には「太初に言有り 言は神と共に有り」という新約聖書ヨハネ伝の一節が書かれています。
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ここから聖堂の中へ・・・しかし、内部は撮影禁止。
代わりに、以前撮ったロシアとブルガリアの正教会の写真を載せますので、ニコライ堂の堂内を想像して下さい。 -
①サンクトペテルブルクの「聖イサーク大聖堂」・・・1818年から40年かけてアレクサンドル1世の時代に建造され、1858年に完成しました。
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入場すると巨大な空間が広がっており、正面のイコノスタシスは12本の緑の孔雀石と2本の青いラピスラズリの豪華版です。
※ イコノスタシス:内陣(聖所)と至聖所を区切るイコンで覆われた壁で、ロシア語ではイコノスタスと呼ばれる。 -
②サンクトペテルブルクの「血の上の教会」・・・モスクワの聖ワシーリー寺院に模して造られたこの建物は、建築に1883年から1907年までかかり、外壁はレンガ・モザイク画・タイル・大理石によって覆われ、屋根は9つの玉ねぎ型のドームが林立しています。
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豪華絢爛なイコノスタシス。
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③ブルガリアのカヴロヴォからカザンラクに向かう途中にある「シプカ僧院」・・・露土戦争で犠牲になったブルガリア兵とロシア兵を慰霊するために、1902年に建立されました。
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中に入ると、正面にイコノスタシス・・・素晴らしい造りです。
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④ブルガリア・ソフィアの「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」・・・ブルガリアをオスマン・トルコから解放し、ブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争(1877~78)で戦死した約20万人のロシア人兵士を慰霊する目的で建設されました。
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イコノスタシスやシャンデリアなど、素晴らしさに圧倒されます。
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ニコライ堂の大聖堂の南側に建つ小聖堂。
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小聖堂の裏側・・・屋根の上には玉ねぎ型のドームが作られ、壁面には十字架の形をしたガラスが嵌め込まれています。
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礼拝所。
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聖母マリアとキリストが飾られたイコノスタシス。
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ニコライ大主教の彫像が小聖堂の脇にひっそりと置かれています。
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1910年頃に建てられた聖堂前の「主教館」・・・当初は2階建で、1階が主教館、2階が礼拝堂でしたが、関東大震災で2階部分が崩壊し、現在はそのまま1階建になっています。
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次は、JR・水道橋駅東口より徒歩5分の「カトリック神田教会」・・・禁教令が解かれた明治初期、日本人に宣教するために1874年に日本で最初に創建された教会で、日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルに捧げる聖堂となっています。
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当初の聖堂は関東大震災で焼失し、現在の聖堂はフランス人宣教師・シェレル神父の構想により1928年に完成したもので、マックス・ヒンデル氏の設計によるロマネスク様式とルネッサンス様式を融合させた建築です。
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東京大空襲の難を免れ、当時の面影がそのまま残っています。
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聖堂入口にはマリア像。
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教会にはフランシスコ・ザビエルの聖遺骨が安置されています。
ザビエルの名前を戴く教会は日本に33あり、その中で遺骨が安置されているのは、山口のザビエル記念聖堂、鹿児島のザビエル教会と神田教会の3つだそうです。 -
聖堂内部は、美しいステンドグラスが四方の窓を飾っています。
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正面の祭壇には中央に十字架、左右に天使像、背面はステンドグラスで飾られています。
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祭壇のステンドグラスは、細川ガラシャの一族の末裔・細川晴美さんの制作によるもので、中央はキリスト、右側は聖母マリア、左側にはフランシスコ・ザビエルとその下に戦国時代のキリシタン大名・高山右近、明智光秀の三女・細川ガラシャ夫人が描かれています。
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祭壇の脇に飾られたプレゼピオ(降誕場面)。
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左右に各7面ある窓のステンドグラスは、ポーランドのステンドグラス制作家『マリア・テレサ・レクレフスカ』の作品で、天地創造や受胎告知、聖霊降臨などの聖書が描かれています。
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第3窓。
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第4窓。
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第5窓。
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第10窓。
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第11窓。
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中庭のイエス・キリスト像。
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中庭の小さな聖堂には、聖母マリアのフレスコ画「マドニーナ」(イタリア語で小さなマリア様という意味)が飾られています。
ヨーロッパの街角を思い出しながら、教会を後にしました。
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