2023/12/06 - 2023/12/06
87位(同エリア482件中)
杏仁豆腐さん
史跡の駅おたカフェでランチをいただいた後は、旧本多家住宅長屋門と武蔵国分寺跡資料館を見学。貴重な資料、展示物を興味深く見ることができました。
国分寺、武蔵国分寺跡、武蔵国分尼寺跡と回り、最後は西国分寺駅近くのクルミドコーヒーで疲れを癒しました。
秋の風景の中、歴史を感じ、貴重な散策でした。
秋の国分寺散策(前半)☆ 殿ヶ谷戸庭園・お鷹の道・真姿の池湧水群☆史跡の駅 おたカフェ☆2023/12/06
https://4travel.jp/travelogue/11872111
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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旧本多家住宅長屋門
代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入口に、表門と先代当主の隠居所を兼ねて、江戸時代末期に建築されました。 -
旧本多家住宅長屋門脇の銀杏がきれいです。
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幕末から明治にかけて旧所有者の分家にあたる医師・書家の本多雖軒(1835~1916)の居宅として使用していたと伝えられ,内部に畳敷きの部屋が3間あります。
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2015年から2年間にわたり大修理がされて、1階の座敷からは、庭が眺められます。
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風情のある縁側
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史跡の駅 おたカフェが目の前です。
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2階は展示室になっています。
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お蚕場の展示もあります。
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幕末から明治時代には、分家の本多雖軒が村医を開業して、教育や書画などを多方面に活動する拠点として利用し、さらに大正時代以降には、建物を利用して養蚕を行っていました。
内外科医術開業之免許状写 -
薬箪笥
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長屋門を入り、右手には縮尺10分の1の推定復元模型の七重塔があります。
聖武天皇の勅令により、各地に国分寺と共に七重塔の建設が進められ、武蔵国分寺もその一つです。ここは後の発掘調査で2塔建てられています。
七重塔は、東大寺の東塔、西塔など各地に建設されましたが残念ながら現存されていません。 -
恋ヶ窪廃寺跡の建物に使われた礎石があります。
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武蔵国分寺跡資料館に入ります。
武蔵国分寺跡の発掘調査の成果や旧石器時代から江戸時代までの国分寺市の主な文化財を展示しています。 -
武蔵国分寺跡のジオラマです。
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都指定文化財の銅造観世音菩薩立像
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唐草四獣文銅蓋
もとは、鋺(かなまり)や壺などの蓋と考えられています。線刻文様があります。 -
徳川将軍家寺領安堵朱印状
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板碑
左:阿弥陀三尊来迎図画像板碑 正中3(1326)年
右:天蓋・花瓶付阿弥陀三尊種子板碑 応安7(1374)年 -
屋敷地の西側には倉があります。棟木には「維持宝永5年(1708)創建 明治33年(1900)12月 三世本多良助全部新造(略)」の墨書があります。
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旧花沢橋の鋼材が保存されています。花沢橋は、国分寺駅西側に位置する跨線橋で、鋼材はイギリス製でし。
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国分寺に来ました。
本堂が見えます。分倍河原の戦い(1333)で武蔵國分寺は焼失。新田義貞の寄進により薬師堂が再建(1335)。本堂は享保10年(1725)に再建。現在の本堂は昭和60年に改築されたものです。 -
万葉庭園
植物は、先代住職 星野亮勝が昭和25年から38年までの十三年間をかけ独力で採集したもので、現在では163種が8000平方メートルの園内に植えられています。 -
ひっそりとしています。
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楼門
国分寺門前にあり、明治28年に米津寺(東久留米市)より移築されました。
2階には16羅漢像(現在13体)を安置。
国分寺市重要有形文化財に指定されています。 -
仁王門
宝暦年間(1751-63)に建立されたました。
国分寺市重要有形文化財に指定されています。 -
薬師堂
国分寺薬師堂は、建武2年(1335)に新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。その後、宝暦年間(1751-63)に現在地で再建されました。国分寺市重要有形文化財に指定されています。 -
むらさきの葛の花ちる石段を
武蔵国分寺へわかのほりゆく
宮 柊二 -
武蔵国分寺跡
奈良時代の中頃の天平13年(741年)、政治の混乱や社会不安の続く国内を仏の力で国を安定させるために、聖武天皇は諸国に国分寺の建立を命じました。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。 -
武蔵国分寺の伽藍は元弘3年(1333年)の分倍河原の合戦の際に焼失したと伝えられていますが、江戸時代には武蔵国分寺跡は江戸近郊の名所として知識人の注目を集め、地誌にも紹介されるようになりました。
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講堂跡
講堂は、経典の講義が行われた建物です。 -
経蔵跡・西僧坊跡
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鐘楼跡
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金堂跡
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金堂は本尊仏を安置する建物です。
礎石が残されています。 -
武蔵国分寺跡は、規模やその歴史的価値の高さから、大正11年(1922年)に国史跡に指定され、市ではその一部を市立歴史公園として整備し、保存と活用に取り組んでいます。
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中門・金堂間の幢竿遺構
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幢竿(どうかん)とは、宗教儀礼の際に装飾として用いる幡を吊り下げる柱のことです。中門と金堂の間からは、伽藍中軸線状に東西に並ぶ2列の大きな柱穴が検出され、幢竿の痕跡のようです。
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武蔵国分寺礎石
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中門跡
中門は、金堂・講堂・鐘楼・経蔵といった寺院の主要建物を囲む塀の南面中央に設けられた門です。 -
築地塀・溝
ちょうど近くの中学校の下校時刻で、大勢の中学生の通り道になっていました。 -
七重塔跡
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飢饉や疫病の流行、内政の混乱を仏教の力で治めるため、聖武天皇は天平13年(741)に「国分寺建立の詔」を発布しました。
詔には国ごとに七重塔を1基造り、金字光明最勝王経を安置するように示されていました。 -
中央にほぞ穴(心柱を受ける穴)がある心礎を含め7個の礎石が残っています。
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武蔵国分尼寺跡に来ました。
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武蔵国分尼寺跡
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金堂前に立てられた幢竿遺構跡
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幢竿が再現されています。
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金堂跡の基壇
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金堂跡
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金堂基壇(版築)断面を見ることができます。
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講堂想定地
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尼坊前面に立てられた幢竿跡
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尼寺跡中枢部北辺
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尼寺跡中枢部北辺
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西国分寺駅方面に歩きます。
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伝鎌倉街道
鎌倉時代の幕府所在地である鎌倉と各地を結ぶ主要道路の1つで、周辺諸国の武士団や物資を運ぶ重要幹線道路でした。 -
伝鎌倉街道
昔の風が残っています。 -
脇道に入ってみます。
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東側に塚跡があります
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伝鎌倉街道の切通しを挟んだ西側の高台には、中世の寺院跡である「伝祥応寺跡」があります。
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ひっそりとしています。
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伝鎌倉街道を進みます。
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西国分寺駅まであと少し。疲れました。
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駅前に出ました。
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クルミドコーヒーでひと休み。
西国分寺で人気のカフェです。 -
テーブルには胡桃が置いてあります。
ひとつ食べてみていいんです。胡桃割りで割って、いただきました。 -
クルミド珈琲
ほのかな酸味と隠れた苦み。 -
リンゴのキャラメリゼ
リンゴ(紅玉)の上からキャラメルソースをかけて、くるみとレーズンと一緒にオーブンで焼き上げています。甘酸っぱいりんごとキャラメルのほろ苦さがいいです。
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