2023/11/12 - 2023/11/12
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いいちゃんさん
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お伊勢参りと熊野詣に行ってきました。
6日目の11月12日は、最終日で帰途の旅です。
湯谷温泉の近くにある紅葉の名所でもある鳳来寺山に行きます。
この後、戦後の土木技術の出発点となった天竜川の佐久間ダムを見に行きます。
ダムを見てから佐久間ダム湖沿いに上流に向かって走り、平岡ダムまで行って旅を終える予定でした。
しかし、途中アクシデントがあり平岡ダムまでは行けませんでした。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅荘みついの外観、手前の窓3つ分が泊まった226号室となります。
外観は少しくたびれています。
内装は外観とは異なり改修が行き届いていて、高級感もありました。
ただ、若干ですが傷んだ所が見られます。 -
温泉街(というほどのものではないですが)、右側に宇連川が流れていて旅館は川側のみ並んでいます。
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湯谷温泉駅の入口
旅館街の山側に位置しています。
やけに看板の文字が大きく、周囲とマッチしていないと感じました。 -
JR飯田線、湯谷温泉駅、無人駅です。
この先、飯田線は川と並行して走り、車窓から川床が見えました。
今でも見えるかな? -
宇連川にかかる吊り橋、浮石橋
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浮石橋の上流
宿はこの上の左側に位置します。 -
浮石橋の下流
中央上部の盛り上がったところが天然記念物の馬背岩です。
川の中央に露出していて馬の背のようなところから名付けられ122mもの長さがあるそうです。
また、馬背岩から上流は川底が板を敷いたように平らな所から「板敷川」と呼ばれているそうです。
宿の露天風呂から眺められたのですが残念でした。
飯田線の車窓から見えるのも、この「板敷川」です。 -
朝食は大広間で食べます。
6室満室でした。 -
朝食
特徴としては鱒の甘露煮と朴葉味噌です。
朴葉味噌はこの地方でも食べられるのですね? -
後から、出来立ての卵焼きが出て来ました。
今回、たまたま空いていた一番良い部屋で食事もプレミアを付けましたのでそこそこ良い料金でしたが、川側にスタンダードの部屋が有り食事もプレミアを付けなければリーズナブルな料金で泊まれます。
お勧めの宿ですが、風呂の小さいのが難点です。
宿のご主人見送られて出発です。
車が見えなくなるまで見送ってくれました。 -
鳳来寺山パークウェイを走って来ました。
終点にある駐車場に車を停めます。
通常料金は550円ですが11月1日~30日までは1,100円にupします。 -
東照宮へと向かいます。
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ハイクマップです。
東照宮と鳳来寺本堂のみ行ってきます。
参拝客の多くはハイキングスタイルでした。
鳳来寺山山頂へと向かうのでしょう。 -
周囲の木々は「もみじ」ですが、全く紅葉していません。
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東照宮への道は所々で眺望が効きます。
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谷筋に家屋が見えます。
ここから手前の谷に沿うように表参道が上って来ます。
「ブッポウソウと鳴く鳥がいて、これを仏法僧という鳥だと信じられていた。鳳来寺山にもブッポウソウと鳴く鳥がいるのですが、調べるとコノハズクという鳥だった」と教科書に出ていたことを思い浮かべながら、若かりし頃、木立の中の参道を歩いた記憶があります。
今では歩く気力は有りませんのでエスケープルートを取りました。 -
絶壁の下に屋根が見えます。
鳳来寺山は紅葉の名所です。
紅葉を当てはめると、ここからの眺めは絵になるのでしょう。 -
鐘楼でした。
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少し色づいているかな。
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朱塗りの木柵が見えてきました。
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階段を上がります。
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東照宮・拝殿
屋根に積もった落ち葉を取り除いていました。 -
何故か金ぴかの鎧が置かれていました。
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拝殿とその後ろに幣殿、奥に本殿
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中門の後方に本殿
三代将軍徳川家光は鳳来寺を家康誕生のゆかりの地として東照宮の建築をはじめ、四代将軍家綱のとき完成しています。
国の重要文化財です。 -
鳳来寺本堂に向かいます。
全く紅葉していません。
駐車料金が1,100円の期間の中程だったので、見ごろではなくてもと思っていて調べて来ませんでした。
完全にあてが外れました。 -
鳳来寺にやってきました。
正面は田楽堂です。 -
田楽堂からの眺め、山の向こうは浜名湖になるのでしょうか。
右下が表参道の入口となります。 -
煙巌山鳳来寺・本堂
702年に利修仙人が開山したと伝わる真言宗の古刹です。 -
表参道
1425段の石段があります。
今回エスケープルートを使って見て、出来るならを使わず木立の中をこの石段を上がってくるべきだと思いました。 -
本堂の裏手の階段を上がります。
正面は弘法堂です。
左の階段を上がって行くと鳳来寺山頂へ続きます。 -
弘法堂から更に上に行くと開山堂、旧本堂があります。
こちらの方が、趣があります。 -
鐘楼を経て山頂へと続く道
これまで階段は嫌というほど上がって来ましたので、見ただけで断念します。 -
下の建物は本堂、紅葉は見られません。
ハイキングをする人たちで賑わっていましたが、外国人は見受けられませんでした。
インバウンドも偏っているのかな?
今回、外国人観光客を多く見受けられた場所は日本文化に触れられる場所でかつ交通の便が確保されていた所です。
見受けられなかったところは、ここを含め車でしか行けなかったところでした。 -
佐久間にやって来ました。
静岡県になります。
JR飯田線・中部天竜駅です。
天竜川の右岸に位置します。
かつて佐久間レールパークがあって保存車両が展示されていました。 -
佐久間発電所
天竜川の左岸にあります。
手前は飯田線の鉄橋です。
中央の穴に見える所が放水口、ここから出た水はその前の壁の内側に沿って右の出口からが天竜川に流れ出て行きました。
現在は出口に壁があって水は全て川の中に作られた水路により対岸の佐久間第二発電所へと流れていきます。
とうとうと川に流れていた水(発電している時だけですが)が無くなってしまいました。
最も、発電開始時における急激な河川の水位上昇は無くなりましたが。 -
川を挟んで右岸にある佐久間第二発電所です。
佐久間発電所の放流水をダイレクトで受けて発電します。
日曜日なので発電はしていません。
使用水量は佐久間発電所と同じ306m3/s 有効落差12.3m、32,000kw の水路式発電所です。
2台のバルブ水車・発電機を有しますが、発電機は50Hz/60Hzの両用機です。
1982年(昭和57年)に運転が開始されています。 -
天竜川を横断する1車線の橋梁、かつてその形からB型鉄橋と呼ばれていました。
何故鉄橋、この橋は佐久間ダム建設時に資材運搬のため中部天竜駅から左岸の集積地に向かう引込線として建設されました。
引込線が廃止されて道路橋に転用され今日に至ります。 -
佐久間発電所
使用水量306m3/s 有効落差133.5m、350,000kwのダム水路式発電所です。4台ある水車・発電機は50Hz/60Hzの両用機です。
起された電気は27.5万Vの送電線で、50Hzの東京と60Hzの名古屋に送られます。
1956年(昭和31年)に運転が開始されています。
水車・発電機は日立と東芝です。当時としては記録的な大型機です。
会社はこの調達を政界、業界の反対を押し切って国際入札として行います。
結果、国内メーカーが落札しますが、これには会社のコストダウンを図る駆け引きがあったと言われています。
なお、総工事費が385億円とされていますが・・・ -
佐久間周波数変換所
30万kwの容量で1965年(昭和40年)に運転が開始されています。佐久間ダム建設時の工事用地の跡地に作られています。
周波数を変換するためには50Hzの交流を一旦直流に変換します。変換された直流を今度は60Hzの交流に再変換します。
これによって50Hz系と60Hz系が結ばれる仕組みです。
佐久間発電所は50Hzの東京電力と60Hzの中部電力へ送電線が延びています。このため、ここに周波数変換設備を設ければ50Hz系と60Hz系が連係するのに都合がよく、ここに日本で最初の変換設備が設けられました。
現在では東京電力の新信濃変電所に60万kw、中部電力の東清水変電所に30万kwの変換所が設けられています。
また、近年中部電力が飛騨変換所を設け交流60 Hzから直流に変換し、東京電力が新信濃変電所で交流50Hzから直流に変換し、この間を直流送電線で結ぶことに寄って90万kwの電力を融通できるようになっています。 -
建屋の中に交流から直流に変換するサイリスタバルブが設置されています。また、電圧を超高圧からバルブの電圧まで下げる変圧器や変換する際発生する電圧波形の歪みを抑制する高調波フィルタなど様々な屋外機器も必要になって来ます。
当初は水銀整流器であったものがサイリスタに変わり、長期の運用に伴い機器のリプレースも進んで敷地にも余裕が出来てきて空いたスペースが見られます。
50Hz系と60Hz系を繋ぐだけでこれだけの設備が必要になります。電気を送るという事は大変なことです。 -
佐久間ダムにやって来ました。
手前は発電所の取水口です。 -
ここにも電源神社があります。
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佐久間電力館に行って見ました。
手前が水窪発展所の55,000kw、奥が佐久間発電所の96,000kwのご用済みフランシス水車ランナーです。 -
佐久間電力館、立派なPR館です。
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中に入ります。
J-POWERとあります。J-パワーとなっていますが、会社の正式名称は電源開発です。
かつては国策会社でしたが、現在は完全民営化されています。
日本郵便がJPというようなことと一緒なのでしょう。
近年、会社の名称が横文字に変わっています。上の例えで王子製紙がOJI、日立物流などは会社名がロジスティード(LOGISTEED)と完全にローマ字です。 -
天竜川筋に設けられたJ-POWERの5ダムと9発電所、1か所の周波数変換所の説明と位置図です。
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佐久間発電所の模型
ダム左岸の取水口から水路で下流に水を導いて発電する仕組みです。 -
大きな岩が置かれていました。
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屋上の展望台から見た佐久間ダムです。
堤高155.5m、堤頂長293.5m、堤体積1,120,000m3の重力式ダムです。
流域面積(直接)が3,827km2と広大で、ダム湖は総貯水容量326,848,000m3を有する日本でも屈指の大規模な貯水池です。
ダム地点は建設には理想的な地点であり、古くからその構想が持たれていましたが、土木技術的な問題から日の目を見ませんでした。
しかし、戦後の電力不足解消図るため当地点の開発が不可欠でした。
これまで技術的問題として挙げられていた資材輸送ためのアクセス、流域面積の広さからくる洪水時の出水対応、河床に堆積した厚い砂礫の処理を解決するには当時の日本の土木技術では不可能でした。
これらの問題に加えて資金面の問題も抱えていました。
このため政府資金(財政投融資)が入れられるように国策会社の電源開発会社が設立され建設を担うことになりました。 -
ダムの上流面
会社は、アメリカの土木業者・コンサルタントと提携しアメリカ製大型重機を使用して工事を進めることにして、アメリカのダムで使用されていた中古の重機を輸入するとともにアトキンソン社が参加します。
日本側は熊谷組と間組が施工を任されることになります。
熊谷組は上流の泰阜、平岡ダムを手掛けこの川筋を縄張りとしていましたので、当初はダム本体を熊谷組、発電所を間組が担当することになっていました。
しかし、土壇場で入れ替わります。ここにも駆け引きがあって?この結果?間組は御母衣ダム、黒部ダムを受注していきます。
また、縄張りを持つ熊谷組は下流の秋葉ダム、船明ダム、支川の新豊根ダムを受注していきます。
ダムは1956年(昭和31年)に完成しますが、10年かかると言われた工事が着工後僅か3年で終えてしまいます。
日本で初めて近代的機械化工法を導入して作られた佐久間ダムの建設は戦後の土木技術の原点とも言われます。
なお、この建設工事においては記録映画が製作され一般の劇場で公開されました。
幼いころに映画館で見た記憶があります。余談ですがこの記録映画の公開に当たっては総務部長だった佐々木良作(かつての社会党委員長)が関与しています。
また、映画のヒットと共に完成を記念して竣工記念切手も発行されるなど多くの国民の注目を集めた事業でした。 -
網場の上流に多量の流木が見られます。これを引き上げ処理するのは容易なことではないでしょう。
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駐車場手前に置かれた発電時最大230,000kw、揚水時最大260,000kwの新豊根発電所のフランシスポンプ水車ランナーです。
ポンプと名が付くだけで形状が大きく異なります。 -
新豊根発電所のポンプ水車ランナー近くに「不動」と刻まれた碑があります。
左横の石碑は不鮮明でしたが裏に刻まれた昭和五十の文字までは読めました。
ダム建設を先人たちと共に成し遂げた人が思い出の地で亡くなったことに対しての慰霊の碑です。
電源開発会社は民間ではなく国策会社でしたので入札は競争入札が原則です。縄張りとか、駆け引きとかがある世界に関わるという事はご苦労も多かったのではないでしょうか。
合掌 -
佐久間発電所建設工事に関わり殉職された方の慰霊碑です。
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裏面には亡くなられた方のお名前が刻まれています。
96名の方が亡くなられています。
合掌 -
中部電力の平岡ダムを目指します。
ダム左岸は静岡県、右岸が愛知県でダム湖に沿って道路(静岡県・愛知県・長野県道1号線)が付けられています。 -
新豊根発電所
左のトンネルは地下発電所への搬入路です。
右が県道1号線のトンネルです。 -
新豊根発電所の屋外開閉所
トンネルの川側にあります。
新豊根発電所は、天竜川右支川大千瀬川に新豊根ダムを設け、このダム湖を上池、佐久間ダム湖を下池とする揚水発電所です。
5台のポンプ水車発電機を有し最大出力は1,125,000kwです。
50Hz、60Hz機器各2台、50Hz/60Hz両用機1台です。
1972年(昭和47年)初号機が運転を開始しています。 -
トンネルを抜けると新豊根発電所の正門?が有りました。
無人です。 -
佐久間ダム湖の揚砂設備と浚渫船
ダム湖には大量の土砂が流れ込みます。
このため貯水容量が減少するため入って来た土砂を排除する必要があります。
そこで船を使い土砂を引き上げるという事なのです。
しかし、引き上げるのは砂分だけで泥の部分は湖へとなります。
何故ならば砂は利用価値があるので搬出できますが、泥を引き上げても捨てる所が有りません。
砂は日本において採取できるところが減って来て海外から輸入の話もありますので、大変な資源ということになります。
但し、ここからどのように運搬するか。現状ではダンプトラックしかありませんので様々な面から限界が見えてきます。
また、ダムで土砂がせき止められていますので海岸線の浸食も心配です。
このように再生可能エネルギーにも必ず副作用が伴います。
SDGsが声高に叫ばれていますが・・・
子供のころ世界の人口が30億程度、地球に住める人口はという話がありました。
何人かは忘れましたが、今の人口は80億です。 -
湖岸道路を進みます。
カーブの連続で4速まで入らず3速を多用します。
でも酷道より幅は広めで対向車があっても離合は容易?
対向車に会いませんが。 -
もう一息で旧富山村(かつて青ヶ島村と人口最小を競った村です)まで来たところで通行止めの情報です。
旧富山村の先で土砂崩れのため通行止めとなっていました。
ここから迂回路の山越えとなりました。
またしてもカーブミラー頼りで2、3速を多用しての運転です。 -
やっと国道151号線に出て道の駅・信州新野千石平までやって来ました。
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道の駅・信州新野千石平
岐阜県の恵那SAから始まり愛知県を経て三重県の伊勢へ。
そして海岸線を走り奈良県の山の中をめぐってから和歌山県の熊野へ。
和歌山県では本州最南端の潮岬まで行き、引き返して再び三重県へ。
海を渡って愛知県に入り静岡県まで行って再び愛知県に入りここ長野県に到達したところで今回の旅も終わりました。
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