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一泊二日の新潟新津行き所要は終わり、せっかくレンタカーがあるので、「新潟に滅多に来ないものが行くべき場所は何処だ?」、と新潟市内の知人に尋ねたら、先ずは弥彦神社だろう、と言われたので行くことにした。<br /><br />境内の狛犬が伊東忠太の意匠に激似だな、と直感的に感じ、調べると火災焼失した本堂を伊東忠太が意匠設計していた。<br /><br />山の上はロープウェイで行けたようだが降雨もあり参拝だけした。<br />晴れ渡る夏にでも再度来訪したい。<br /><br />手前の絵馬殿が枯れた感じと奉納品に味あり。

新潟県 弥彦神社 伊東忠太

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2023/11/04 - 2023/11/04

195位(同エリア343件中)

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BO/M

BO/Mさん

一泊二日の新潟新津行き所要は終わり、せっかくレンタカーがあるので、「新潟に滅多に来ないものが行くべき場所は何処だ?」、と新潟市内の知人に尋ねたら、先ずは弥彦神社だろう、と言われたので行くことにした。

境内の狛犬が伊東忠太の意匠に激似だな、と直感的に感じ、調べると火災焼失した本堂を伊東忠太が意匠設計していた。

山の上はロープウェイで行けたようだが降雨もあり参拝だけした。
晴れ渡る夏にでも再度来訪したい。

手前の絵馬殿が枯れた感じと奉納品に味あり。

  • 新潟駅前アートホテルをレンタカーで出発、小1時間で弥彦神社付近まで到着するも、かなりの混み具合、交通整理も出ており車両誘導を受け参道手前駐車場へ。雨がパラパラ降る中、参道へ。<br /><br />どうやら菊の品評展示中らしくかなりの人出である。

    新潟駅前アートホテルをレンタカーで出発、小1時間で弥彦神社付近まで到着するも、かなりの混み具合、交通整理も出ており車両誘導を受け参道手前駐車場へ。雨がパラパラ降る中、参道へ。

    どうやら菊の品評展示中らしくかなりの人出である。

  • 先月は羽黒山、と寺社仏閣には疎いのだが地元推薦を受け来訪、なかなか素晴らしい

    先月は羽黒山、と寺社仏閣には疎いのだが地元推薦を受け来訪、なかなか素晴らしい

  • しっかりした作りの手水舎<br /><br />柱を若干ハの字にしてあるのが特徴

    しっかりした作りの手水舎

    柱を若干ハの字にしてあるのが特徴

  • こちらは絵馬殿とされるが誰も居らずひっそり<br />ちょっと気になったので中に入ってみる

    こちらは絵馬殿とされるが誰も居らずひっそり
    ちょっと気になったので中に入ってみる

  • 中に入ると、梁に種々雑多な奉納品が掛かっている

    中に入ると、梁に種々雑多な奉納品が掛かっている

  • 玉石混交な感はあるが却って気を引く<br />ざっと見て多かったのは、<br />・高校陸上競技の記録(100メートル、200メートル、中長距離等々)<br />・弓の極小的を射抜いたもの(逸見流と言う流派の記載もあり)<br />・珍品や個人奉納品<br />・武勲を表したもの<br />などですが、一つ一つに味があり興味深く拝見させて頂く

    玉石混交な感はあるが却って気を引く
    ざっと見て多かったのは、
    ・高校陸上競技の記録(100メートル、200メートル、中長距離等々)
    ・弓の極小的を射抜いたもの(逸見流と言う流派の記載もあり)
    ・珍品や個人奉納品
    ・武勲を表したもの
    などですが、一つ一つに味があり興味深く拝見させて頂く

  • 軍艦 磐手 南洋遠征時に捕獲したワニでしょうか。<br /><br />これを帰還後奉納するとはいやはや興味深い(確かに珍品ではある)<br /><br />今はひっそりと絵馬殿の一番奥の方に掛かっています。

    軍艦 磐手 南洋遠征時に捕獲したワニでしょうか。

    これを帰還後奉納するとはいやはや興味深い(確かに珍品ではある)

    今はひっそりと絵馬殿の一番奥の方に掛かっています。

  • 流鏑馬かな?、とよく見ると手指でOK印作った時のようなサイズの的を射た者の表彰か、本当に小さい的が上端に掛かっています<br /><br />実は高校時代弓道部でしたが、こんな小さい的を射抜く事は並大抵の話ではありません。まさに、射貫く(射抜く)、往時の大会などを想像し(勝手に深々と降る雪の中での大会イメージ)たりしました。

    流鏑馬かな?、とよく見ると手指でOK印作った時のようなサイズの的を射た者の表彰か、本当に小さい的が上端に掛かっています

    実は高校時代弓道部でしたが、こんな小さい的を射抜く事は並大抵の話ではありません。まさに、射貫く(射抜く)、往時の大会などを想像し(勝手に深々と降る雪の中での大会イメージ)たりしました。

  • 菊の品評展示会、境内左右を飾ります

    菊の品評展示会、境内左右を飾ります

  • 羽黒山とはまた意匠が異なる前に庇を張り雪を避けるカタチ

    羽黒山とはまた意匠が異なる前に庇を張り雪を避けるカタチ

  • 更にあがります、立派な山門

    更にあがります、立派な山門

  • 狛犬、ここで、アレ? 伊東忠太のデザインだよな?、と疑問符が浮かびました<br />真似は出来ても、コレが此処にあると言う事は何等かの意味で伊東忠太と関りがあるのではないか、と直感しました。

    狛犬、ここで、アレ? 伊東忠太のデザインだよな?、と疑問符が浮かびました
    真似は出来ても、コレが此処にあると言う事は何等かの意味で伊東忠太と関りがあるのではないか、と直感しました。

  • 左右から撮ります

    左右から撮ります

  • こちらも(阿吽、ですから左右で口をあいたものと閉じたもので構成されています)

    こちらも(阿吽、ですから左右で口をあいたものと閉じたもので構成されています)

  • いや、ぜったいそうだよな、と確信。<br /><br />伊東忠太は1867年、慶應3年に米沢で生まれ、軍医を志願した父の勤務先によりその後千葉佐倉へ、紆余曲折(廃校となった東京外国語学校のドイツ語に入学なども経て)の後、帝国大学工科大学、即ち現在の東京大学工学部建築で院まで辰野金吾らに学び、官費とはいえ3年4カ月の長きにわたり外遊、建築を更に深く広く学び直したのが齢三十五を過ぎてから、と言う方。<br /><br />野帳(外出時に使うスケッチ備忘録帳面)にとても几帳面な手描きの素描やメモを遺し、それが今も残されています。奇怪な妖怪などの絵も多くの、築地本願寺を仔細に見て回ると意味がよくわかりますので是非お試しあれ。(野帳は日本建築学会に残されています)<br />赤坂のホテルオークラ「大倉集古館」や京都の変わった建物、「祇園閣」をはじめ、日本国中(植民地時代の台湾韓国含め)数多の寺社仏閣、或いは意匠性の高い建築物を遺した方、好きな建築家のうちの一人です。

    いや、ぜったいそうだよな、と確信。

    伊東忠太は1867年、慶應3年に米沢で生まれ、軍医を志願した父の勤務先によりその後千葉佐倉へ、紆余曲折(廃校となった東京外国語学校のドイツ語に入学なども経て)の後、帝国大学工科大学、即ち現在の東京大学工学部建築で院まで辰野金吾らに学び、官費とはいえ3年4カ月の長きにわたり外遊、建築を更に深く広く学び直したのが齢三十五を過ぎてから、と言う方。

    野帳(外出時に使うスケッチ備忘録帳面)にとても几帳面な手描きの素描やメモを遺し、それが今も残されています。奇怪な妖怪などの絵も多くの、築地本願寺を仔細に見て回ると意味がよくわかりますので是非お試しあれ。(野帳は日本建築学会に残されています)
    赤坂のホテルオークラ「大倉集古館」や京都の変わった建物、「祇園閣」をはじめ、日本国中(植民地時代の台湾韓国含め)数多の寺社仏閣、或いは意匠性の高い建築物を遺した方、好きな建築家のうちの一人です。

  • せっかくですから並んで参拝<br /><br />こちらが焼けてしまった本堂を1916年、設計者 伊東忠太で再建したものです。伊東忠太齢50近くの作品となり、多くの作品を既に世に出した円熟期でしょうか。<br />先にも書きましたが伊東忠太は30代、既に母校東京帝国大学で教鞭を執って久しく順風満帆とも言える時期に官費外遊とは言え、3年4カ月の長きにわたり、<br /><br />中国→インド→トルコ(結構長居をした)→欧州各地→イギリス→アメリカと見て回ったのが、<br />1902年 3月29日 東京・新橋を出て6月1日 中国・北京に、その後中国各地を回り、<br />1903年5月、雲南から陸路ミャンマーへ、そして6月5日にはラングーンからインド・コルカタ(カルカッタ)へ航路わたるとインドに入り、<br />1904年3月19日、ボンベイから欧州へ向かい、5月8日にはイスタンブール到着、<br />1905年1月24日にイスタンブールを出発するとアテネに1月26日到着、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノ、ストラスブール、更にフランクルト、ベルリン、ケルン、パリ、ロンドン、ケンブリッジ、オックスフォード・・・、<br />1905年5月19日、リバプール港を出港し同27日ニューヨーク到着、<br />1905年6月25日ETDで横浜港到着・・・・と言う軌跡で建築を中心とした外遊を行いました。<br /><br />その後も中国へ5カ月間行く、インド再訪など、多くの外遊を続けた方です。

    せっかくですから並んで参拝

    こちらが焼けてしまった本堂を1916年、設計者 伊東忠太で再建したものです。伊東忠太齢50近くの作品となり、多くの作品を既に世に出した円熟期でしょうか。
    先にも書きましたが伊東忠太は30代、既に母校東京帝国大学で教鞭を執って久しく順風満帆とも言える時期に官費外遊とは言え、3年4カ月の長きにわたり、

    中国→インド→トルコ(結構長居をした)→欧州各地→イギリス→アメリカと見て回ったのが、
    1902年 3月29日 東京・新橋を出て6月1日 中国・北京に、その後中国各地を回り、
    1903年5月、雲南から陸路ミャンマーへ、そして6月5日にはラングーンからインド・コルカタ(カルカッタ)へ航路わたるとインドに入り、
    1904年3月19日、ボンベイから欧州へ向かい、5月8日にはイスタンブール到着、
    1905年1月24日にイスタンブールを出発するとアテネに1月26日到着、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノ、ストラスブール、更にフランクルト、ベルリン、ケルン、パリ、ロンドン、ケンブリッジ、オックスフォード・・・、
    1905年5月19日、リバプール港を出港し同27日ニューヨーク到着、
    1905年6月25日ETDで横浜港到着・・・・と言う軌跡で建築を中心とした外遊を行いました。

    その後も中国へ5カ月間行く、インド再訪など、多くの外遊を続けた方です。

  • 菊の品評展示会場はサラっと

    菊の品評展示会場はサラっと

  • はい

    はい

  • どっしり、重厚でありながらも姿形の座りが良い、素晴らしい場所でした。<br /><br />この後、更に寺泊町の市場を素通りし(混み過ぎスルー)新潟駅前に戻りレンタカー返して帰りました。

    どっしり、重厚でありながらも姿形の座りが良い、素晴らしい場所でした。

    この後、更に寺泊町の市場を素通りし(混み過ぎスルー)新潟駅前に戻りレンタカー返して帰りました。

  • 特にトルコにいた頃の伊東忠太を追った稀有な書籍

    特にトルコにいた頃の伊東忠太を追った稀有な書籍

  • 購読される方の参照として 裏表紙も<br />

    購読される方の参照として 裏表紙も

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