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臨江閣と雷電神社を訪れ、臨江閣から少し南の県道10号線を越えた角に鎮座する前橋東照宮を訪れます。<br />臨江閣から徒歩でも2分程の距離にあります。

前橋東照宮(群馬県前橋市大手町)

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2023/05/11 - 2023/05/11

378位(同エリア434件中)

wabisabi2さん

臨江閣と雷電神社を訪れ、臨江閣から少し南の県道10号線を越えた角に鎮座する前橋東照宮を訪れます。
臨江閣から徒歩でも2分程の距離にあります。

旅行の満足度
3.0
観光
2.5
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 前橋で訪れた臨江閣・雷電神社と前橋東照宮の位置関係を示したのがこのマップになり、左は明治、右がほぼ現在の前橋の市内の移り変わりです。

    前橋で訪れた臨江閣・雷電神社と前橋東照宮の位置関係を示したのがこのマップになり、左は明治、右がほぼ現在の前橋の市内の移り変わりです。

  • 大手町交差点の南西角に写真の社頭があります。<br />町の景観に同化する様に社殿があり、この鳥居と由緒の前に来てようやく神社の存在を知った。

    大手町交差点の南西角に写真の社頭があります。
    町の景観に同化する様に社殿があり、この鳥居と由緒の前に来てようやく神社の存在を知った。

  • 社頭の由緒書き。<br />「 東照宮<br />鎮座 前橋市大手町<br />祭神 徳川家康公<br />例祭 4月17日<br />創祀 <br />寛永元年(1624)家康公の二男結城秀康の五男松平直基が越前勝山城内に創祀。<br />沿革<br />松平家は120年で10回にも及ぶ国替の都度その城内に奉遷。<br />江戸中期に姫路城より前橋城へ国替されたが、利根川の氾濫で城が流され、分領の川越に奉遷。<br />幕末の慶応2年(1866)に前橋城が復興、再び前橋へ。<br />社殿は川越で解体され、明治4年(1871)現在地に復元。<br />昭和4年県社に昇格、戦後は神社本庁包括の宗教法人に認証。」

    社頭の由緒書き。
    「 東照宮
    鎮座 前橋市大手町
    祭神 徳川家康公
    例祭 4月17日
    創祀 
    寛永元年(1624)家康公の二男結城秀康の五男松平直基が越前勝山城内に創祀。
    沿革
    松平家は120年で10回にも及ぶ国替の都度その城内に奉遷。
    江戸中期に姫路城より前橋城へ国替されたが、利根川の氾濫で城が流され、分領の川越に奉遷。
    幕末の慶応2年(1866)に前橋城が復興、再び前橋へ。
    社殿は川越で解体され、明治4年(1871)現在地に復元。
    昭和4年県社に昇格、戦後は神社本庁包括の宗教法人に認証。」

  • 鳥居を入った右側に車祓殿。

    鳥居を入った右側に車祓殿。

  • 祓殿左側に水占いの水盤がある。

    祓殿左側に水占いの水盤がある。

  • 水盤の右に手水鉢がありその奥に小さな石祠が祀られています。<br />祠の前には小さな狐の姿も見え、これは稲荷社だろう。

    水盤の右に手水鉢がありその奥に小さな石祠が祀られています。
    祠の前には小さな狐の姿も見え、これは稲荷社だろう。

  • 鳥居を入った左が手水舎と社務所。

    鳥居を入った左が手水舎と社務所。

  • 手水鉢には当然葵の紋が刻まれています。

    手水鉢には当然葵の紋が刻まれています。

  • 鳥居正面の覆殿。<br />桟瓦で葺かれた切妻造で片側の屋根が長く伸び、妻側と奥の平側が全面ガラス張りになったモダンな外観。<br /><br />令和6年が創建から400年にあたることから、令和元年に改修が行われ、以前は普通に本殿・拝殿を拝められたものが現在の姿に変わった様です。<br />ここでは覆殿と表記しましたが、HPでは拝殿とされており、この建物自体が本殿を覆い、祭文殿・神前結婚式のスペースが作られており、それまでの拝殿はなくされてしまったようです。

    鳥居正面の覆殿。
    桟瓦で葺かれた切妻造で片側の屋根が長く伸び、妻側と奥の平側が全面ガラス張りになったモダンな外観。

    令和6年が創建から400年にあたることから、令和元年に改修が行われ、以前は普通に本殿・拝殿を拝められたものが現在の姿に変わった様です。
    ここでは覆殿と表記しましたが、HPでは拝殿とされており、この建物自体が本殿を覆い、祭文殿・神前結婚式のスペースが作られており、それまでの拝殿はなくされてしまったようです。

  • 覆殿前の狛犬。<br />吽形の頭部に小さな角を持つようです。

    覆殿前の狛犬。
    吽形の頭部に小さな角を持つようです。

  • 覆殿正面。<br />賽銭箱には金色の葵紋が入り、それを挟む様に梅鉢紋があしらわれている。

    覆殿正面。
    賽銭箱には金色の葵紋が入り、それを挟む様に梅鉢紋があしらわれている。

  • 前橋東照宮が所蔵する文化財の数々。<br />上の能装束は明治4年(1871)に松平大和守家第12代松平直方の寄進。<br />下の左の陣羽織は江戸中期の前橋藩主松平家ものとされ、右の軍配は松平直矩の名と延宝2年(1674)の年月が記されている。

    前橋東照宮が所蔵する文化財の数々。
    上の能装束は明治4年(1871)に松平大和守家第12代松平直方の寄進。
    下の左の陣羽織は江戸中期の前橋藩主松平家ものとされ、右の軍配は松平直矩の名と延宝2年(1674)の年月が記されている。

  • 覆殿内左に葵紋が施された御輿が安置されていますが、年代など詳細は案内がなかった。

    覆殿内左に葵紋が施された御輿が安置されていますが、年代など詳細は案内がなかった。

  • 覆殿内部の本殿。<br />何というのか、展示ブース的な趣とでも云えばいいのかな。<br />ガラスから差し込む陽光は逆光となり、本殿の詳細をよく見ることが出来なかった。<br />恐らく空調管理されているのだろう、セレモニーホールの色合いを強く感じる趣だった。

    覆殿内部の本殿。
    何というのか、展示ブース的な趣とでも云えばいいのかな。
    ガラスから差し込む陽光は逆光となり、本殿の詳細をよく見ることが出来なかった。
    恐らく空調管理されているのだろう、セレモニーホールの色合いを強く感じる趣だった。

  • 覆殿後方から社頭方向の眺め。<br />江戸初期の寛永元年(1624)、松平直基公が幕府より賜った福井県の越前勝山の地に創建した前橋東照宮はモダンなガラスケースの中に鎮座します。<br />ガラス張り壁面から本殿は見られますが、映り込みもあり見えそうで見えなかった。<br /><br />臨江閣方向から前橋東照宮を探しながら訪れましたが、思い描いていた姿とはかけ離れ、鳥居の前に来て初めてそれと分かった。<br />日光東照宮はじめ、各地の東照宮を訪れきたが、前橋東照宮は飛びぬけて先進的な社殿でした。<br />この前衛的な姿が馴染んでいくまでには多少時間が必要かもしれない。

    覆殿後方から社頭方向の眺め。
    江戸初期の寛永元年(1624)、松平直基公が幕府より賜った福井県の越前勝山の地に創建した前橋東照宮はモダンなガラスケースの中に鎮座します。
    ガラス張り壁面から本殿は見られますが、映り込みもあり見えそうで見えなかった。

    臨江閣方向から前橋東照宮を探しながら訪れましたが、思い描いていた姿とはかけ離れ、鳥居の前に来て初めてそれと分かった。
    日光東照宮はじめ、各地の東照宮を訪れきたが、前橋東照宮は飛びぬけて先進的な社殿でした。
    この前衛的な姿が馴染んでいくまでには多少時間が必要かもしれない。

  • 御朱印。<br />前橋東照宮<br />創建 / 寛永元年(1624)<br />祭神 / 東照大権現、木花咲耶姫、菅原道真、長壁様<br />所在地 / 群馬県前橋市大手町3-13-19

    御朱印。
    前橋東照宮
    創建 / 寛永元年(1624)
    祭神 / 東照大権現、木花咲耶姫、菅原道真、長壁様
    所在地 / 群馬県前橋市大手町3-13-19

  • 前衛的な前橋東照宮の境内西外れに鎮座する「営築稲荷神社」と「前橋護国神社」<br />前橋東照宮の全面舗装された境内の西外れ、駐車場の一画に二つの境内社が祀られていました。<br />写真はその内の一つ「営築稲荷神社」

    前衛的な前橋東照宮の境内西外れに鎮座する「営築稲荷神社」と「前橋護国神社」
    前橋東照宮の全面舗装された境内の西外れ、駐車場の一画に二つの境内社が祀られていました。
    写真はその内の一つ「営築稲荷神社」

  • 本殿は入母屋平入のもので、軒から唐破風向拝が付くもの。<br />向かって右隅に狛狐らしき姿があるが劣化が激しく原形はよく分からなくなっている。<br />左の奥に小さな石の祠があったがこちらも同様。<br />戦時中の1945年8月5日夜から6日未明にかけて、前橋市街地は米軍の空襲に見舞われ、多くの人命と家屋を焼失したそうです。<br />そうした空襲による爪痕なのかもしれません。

    本殿は入母屋平入のもので、軒から唐破風向拝が付くもの。
    向かって右隅に狛狐らしき姿があるが劣化が激しく原形はよく分からなくなっている。
    左の奥に小さな石の祠があったがこちらも同様。
    戦時中の1945年8月5日夜から6日未明にかけて、前橋市街地は米軍の空襲に見舞われ、多くの人命と家屋を焼失したそうです。
    そうした空襲による爪痕なのかもしれません。

  • 営築稲荷神社由緒。<br />文久3年(1863)、前橋城再築にあたり、工事の安全を祈願するために松平大和守家11代藩主の松平直克が勧請した神社で、御祭神は宇迦之御魂神をお祀りする。<br />詳細は掴めず、どちらから勧請されたものか定かではない。<br />御神徳は工事安全と商売繁盛で地元から崇敬されている。

    営築稲荷神社由緒。
    文久3年(1863)、前橋城再築にあたり、工事の安全を祈願するために松平大和守家11代藩主の松平直克が勧請した神社で、御祭神は宇迦之御魂神をお祀りする。
    詳細は掴めず、どちらから勧請されたものか定かではない。
    御神徳は工事安全と商売繁盛で地元から崇敬されている。

  • 彰忠碑に続く石段脇に鎮座する厩橋護国神社。<br />5本の鰹木と外削ぎの千木が付く神明造。

    彰忠碑に続く石段脇に鎮座する厩橋護国神社。
    5本の鰹木と外削ぎの千木が付く神明造。

  • 由緒。<br />明治10年(1877)の創建で、西南の役以来、日清日露戦争、満州事変、大東亜戦争に至るまでの前橋出身の英霊二千三百四十六柱を御奉祀する。<br />尊い命を捧げられた方々の御霊を慰め、その事績を後世に伝る役目を担っております。

    由緒。
    明治10年(1877)の創建で、西南の役以来、日清日露戦争、満州事変、大東亜戦争に至るまでの前橋出身の英霊二千三百四十六柱を御奉祀する。
    尊い命を捧げられた方々の御霊を慰め、その事績を後世に伝る役目を担っております。

  • 前橋公園芝生広場から見る前橋東照宮(右)と左に残された僅かな杜の下に祀られた「営築稲荷神社」と「前橋護国神社」の眺め。<br />令和の大改修は境内社含めて大きく様相を変えてしまったようです。<br />これも神社存続と保存の為の一つの選択肢なのかもしれない。<br /><br />営築稲荷神社<br />創建 / 文久3年(1863)<br />祭神 / 宇迦之御魂神<br />厩橋護国神社<br />創建 / 明治10年(1877)<br />祭神 / 前橋出身英霊二千三百四十六柱<br />所在地 / 前橋東照宮境内

    前橋公園芝生広場から見る前橋東照宮(右)と左に残された僅かな杜の下に祀られた「営築稲荷神社」と「前橋護国神社」の眺め。
    令和の大改修は境内社含めて大きく様相を変えてしまったようです。
    これも神社存続と保存の為の一つの選択肢なのかもしれない。

    営築稲荷神社
    創建 / 文久3年(1863)
    祭神 / 宇迦之御魂神
    厩橋護国神社
    創建 / 明治10年(1877)
    祭神 / 前橋出身英霊二千三百四十六柱
    所在地 / 前橋東照宮境内

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