2023/05/11 - 2023/05/11
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wabisabi2さん
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車中泊で群馬県、埼玉県の一之宮を訪れた際、この地に立ち寄った。
群馬県の県庁所在地で、利根川が作った扇状地の前橋台地に位置し、広大(18.50㌶)な前橋公園内には臨江閣があり、前橋東照宮も徒歩圏内。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.0
- グルメ
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
2023/5/11~12。
車中泊で群馬県、埼玉県の一之宮を訪れた際、この地に立ち寄った。
群馬県の県庁所在地で、利根川が作った扇状地の前橋台地に位置し、広大(18.50㌶)な前橋公園内には臨江閣があり、前橋東照宮も徒歩圏内。
「楽歩堂前橋公園」は市内最初の公園として明治38年(1905)に日露戦役の記念を兼ねて建設された市内最初の公園。
すぐ西を利根川が流れ、遠く、榛名山・浅間山・妙義山の山並みが望め解放感がある。 -
無料の楽歩堂前橋公園駐車場に車を停め、臨江閣に向かってみた。
この日は陽ざしが強く、広くて開放的なのはいいが、木陰が少ない公園かも知れない。 -
公園東に隣接する臨江閣、公園と接する形で門があり、日本庭園を経て臨江閣の見学が出来ます。
趣のある門は恰も正門の様に見えますが、建物の東側に正門を構えています。
車で訪れる事を考えると、無料駐車場のあるこちらを正門と呼んでもいいかもしれません。 -
手入れの行き届いた庭園内には二つの池があり、臨江閣本館、別館、茶室の国指定重要文化財三棟が建っています。
この時期は花が乏しく、瓢箪池の藤棚は既に咲き終えたあとだった。 -
門を入った左に庭園と池を見渡せる東屋。
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この辺りから見る日本庭園。
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臨江閣の建物は本館と別館、茶室の三棟で、写真は別館になります。
木造瓦葺の入母屋造の二階建てで、この地で開催された一府十四県連合共進会に合わせ、明治42年~43年にかけて作られ、貴賓館として使われたという。
近代日本の道を歩み始めた頃の和風建築で、構成する三棟の建物は重要文化財に指定されています。 -
庭園左から正面に別館、左に本館を眺める。
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茶室。
本館の北側にあり、庭園の北外れに位置します。
…茶室と云われても、戸が占められた外観からその趣は感じられなかった。
寄棟瓦葺の茶室と左の入母屋瓦葺の茶室からなり、明治17年(1884)に本館建設にあたり、有志並びに県庁職員の募金を原資に建設され、市に寄付されたと言われています。 -
臨江閣茶室(畊堂庵)
「群馬県令・楫取素彦が寄付を募り建設されたもの。
創建当初は席名はなく、平成20年(2008)の改修を機に楫取素彦の号名「畊堂」から畊堂庵と命名された。」 -
畊堂庵から右手に進み臨江閣の正面に回り込む。
本館
入母屋瓦葺きの二階建ての建物で明治17年(1884)に建てられた木造二階建、入母屋瓦葺の建物で別館とは渡廊下で繋がっています。
県令楫取素彦の提言から初代前橋市長の下村善太郎を始め、地元有志や銀行等の寄付で迎賓館として建設され、明治時代には明治天皇や大正皇太子などの皇族が滞在された。
昭和20年~29年までは戦災で焼失した市庁舎の仮庁舎として使われ、 その後の昭和56年まで市の公民館、結婚式などに利用、平成19年(2007)まで公民館別館として利用されたという。 -
車寄せの唐屋根の下には臨江閣の額が入る。
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別館正面の眺め、棟には鯱が飾られている。
内部は無料で見学ができ、ボランティア?ガイドの方々がお出迎えしてくれる。 -
車寄せの透彫りは葉の形から菊だろうか。
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内部の見学はしなかったが、1階に六十畳の西洋間1室、日本間が7室あるようで、2階には舞台を含めると180畳の大広間1室があり、金箔張りの襖や趣向を凝らした建具が見どころだという。
共進会閉会後は、前橋市に引き渡され、近県にまれな大公会堂として利用されてきました。 -
臨江閣正面入り口から別館の全景。
木造二階建てとあったが、二階の天井はかなりが高そうです。
明治末期に建てられた臨江閣外観の趣には、袴姿の女性が良く似合いそうだ。
臨江閣
拝観時間 / 午前9時から午後5時
拝観料 / 無料
休館日 / 毎週月曜日
※イベント等の開催時は拝観できない場合もあるようです。
所在地 / 群馬県前橋市大手町3-15-3
訪問日 / 2023/05/11 -
臨江閣から北に向かい10分程北の群馬県前橋市平和町1に鎮座する雷電神社に向かいます。
前橋を訪れた目的は前橋東照宮参拝と焼きまんじゅうを食べてみようという事で訪れた。 -
原嶋屋で饅頭の焼きあがりを待つかみさんと別れ、少し路地に入った先で見かけた雷電神社に参拝する事にした。
-
原嶋屋のある平和町1丁目交差点から東に1分程歩いた左に雷電神社は鎮座地します。
雷電神社は馴染みがなく、G先生に聞いて見ると、私の住む愛知県内では田原町に一社祀られているだけのようですが、関東一円では広く祀られているようで群馬県邑楽郡板倉町の雷電神社を総本山にするようです。
ここ平和町は1965年にかつての向町他3町が合併し平和町となった。
上は明治40年(1907)とほゞ現在の前橋周辺、赤のマーカーが鎮座地。
利根川両岸の低地に水田が広がり、住居は前橋台地に集まっていることが分かります。
北関東一帯は地形の関係から、今も昔も雷が多く発生する土地柄。
雷は農家にとって雨をもたらす嬉しい側面と、落雷という怖い側面を持っている。
そうしたことから総本山雷電神社を崇める雷電講が生まれ、本社から勧請された雷電神社が各地に祀られていったようで、規模を問わず300社を上回る社が祀られているそうです。
平和町の雷電神社もその一つ。 -
雷電神社社頭全景。
やや南西向きに社頭を構え、一対の常夜灯と右手に「村社 雷電神社」の社号標がある。
境内は石畳の参道が拝殿に伸びており、境内のほゞ全面が月極駐車場になっていました。
ここに参拝者用の駐車区域があるかは未確認。 -
社号標。
村社と彫られ、更に埋められている事から自ずと見えてくるが寄進年度は見忘れました。
雷電と聞くと戦闘機や力士の姿を思い浮かべますが、総本山雷電神社の祭神「火雷大神・大雷大神・別雷大神」が祀られているものと思われますが、これら全てをお祀りしているのかどうかは定かではない。
何分にも境内に由緒が見当たらず詳細は分からない。 -
社頭の常夜灯。
竿には大正4年(1915)寄進と彫られています。 -
参道の先の鳥居は大正4年(1915)に寄進された石造の素木鳥居で手前に常夜灯一対がある。
境内は駐車場の他に左に手水舎、平和町公民館と拝殿左横に平和町の山車の保管庫があります。 -
手水舎。
鉢や常夜灯の火袋に彫られている紋は九曜巴紋。 -
拝殿正面全景、手前に檻に入れられた狛犬一対。
境内の樹々はスッキリと剪定され手入れの良さが窺われる。
この一帯では今も雷除けの雷電さまとして親しまれているようだ。 -
狛犬(1914)寄進)。
小さいながら余程の暴れ者なんだろう、こうして檻に入れられている。 -
拝殿の鈴と額。
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社殿の斜景全景。
拝殿は木造銅葺屋根の入母屋造りの平入で一間の向拝が付く。
拝殿後方から渡廊があり本殿に繋がっており、本殿の左右に境内社が祀られています。 -
玉垣で囲われた本殿域には銅葺屋根の一間社流造の本殿。
両脇に彫りが施された脇障子を持つ、棟には三つ葉葵らしき紋が入っているが、アップを撮り忘れ定かなところはよく分からない。 -
本殿の右の境内社。
左は三峰社で右が稲荷社。 -
稲荷社の本殿全景。
唐破風の下に社名に繋がる文字が刻まれているが、拡大しても読み取れず、社名は定かではない。 -
左の社は台座に埋められた石板に「三峯講中」とあり、大正13年(1924)寄進とある。
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三峰社。
前橋の南に聳える秩父山系に鎮座する三峰神社を崇敬する信者により祀られたもの。
大正時代といえども、三峰神社や雷電神社に参拝するには、今のように交通網が整備されていないので、代表が参拝しお札を頂く講が生まれ、御札から祭神を勧請し地元に祀られるようになります。 -
本殿側面。
後方には大きなイチョウの樹が聳え、黄葉ともなればさぞかし綺麗だろう。 -
本殿左に脇参道があり、その脇に写真の猿田彦大神が祀られています。
境内にはイチョウの他にも桜が植えられており、四季折々の神社の趣を楽しめるようです。 -
この後方に石のベンチがあり、かみさんがテイクアウトしてきた焼きたての焼きまんじゅうを頬張る。
饅頭をイメージしていましたが、扁平みたらし団子的な見た目で、甘じょっばい味噌ダレの素朴な味でした。
雷電神社
創建 / 明治11年(1878)、同34年現在地に遷座
祭神 / 火雷大神・大雷大神・別雷大神
境内社 / 稲荷社、三峯社、猿田彦大神
所在地 / 群馬県前橋市平和町1-8-1
参拝日 / 2023/05/11
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