2023/05/01 - 2023/05/01
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YOSHITOさん
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コロナ禍で遠ざかっていた友にそして新宿に。
書店の内装工事も終えて一新されたとの副社長の一報で
後輩との再会を果たして。
- 旅行の満足度
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
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-
かつては通勤していた新宿。コロナのせいだけでもないが
何年ぶりの新宿だろうか。東口を出るとチョッと裏通りに出て。 -
5月1日月曜で週明けの午後。
-
左のビルは大塚家具とYAMADAか。
かつては三越ではなかったか? -
新宿通りへ出て早速伊勢丹前。昔から新宿のデパートと
言えば伊勢丹をおいてなかった。 -
そして新宿駅方面にはこれも新宿といえばの
紀伊国屋書店。前川國男設計の9階建て。 -
2017年(平成29年)には東京都の歴史的建造物に
指定されている。このビルが完成したのは1964年
(昭和39年)になる。
かつては木造の2階建ての紀伊国屋書店として記憶している。
地方から上京して大学に入った頃はチョッと薄暗いが重厚な
雰囲気さえあった2階の洋書売り場を思い出す。 -
午後三時かつての職場の後輩2人と久々の再会予定。
まだ少し時間がありチョッと1階の通路を歩いて。
売り場ではない9階を覗いてみた。事務室の他イヴェント用
スペースで通常はスタッフの休憩室としても。
かつては静かな会員制のサロンになっており、作家や
芸術家達が利用していたのを覚えている。 -
このビルは創建から既に60年を数える。
耐震補強を含めた工事が昨年来続いていた。
藤則副社長からは営業を続ける中で無事工事が
完了した旨メールを貰っていた。 -
-
コミックの新刊売り場が独立して一角に。
-
-
丁度三時に正面に出て10年程後輩になる二人に再会。
-
近年はコミック等もかなりのスペースを占めている。
小生達の時代からすれば書店も様変わりか。 -
K社の昔からのブックカバーのデザインをあしらって
様々の図柄が並ぶ。 -
-
長塚鶴見大学名誉教授。情報知識学会前会長。(右)
K社国際情報部退職後も国際的に活躍中。
4年前にOB会であった折には鶴見大の文学部長
でしたね。図書館学にも造詣が深いが何と彼の学位は
農学博士なのがユニークである。
左;小生 -
服部SSB代表(右)同じく10年余後輩。かつてK社外国雑誌部
所属。2年前大病を患ったが見事にカムバックして。 -
この5階のコーナーには紀伊国屋ホールでの
長い歴史もある寄席の予告も -
そういえば今話題の新刊コーナーでは思わず手にした
徳仁親王殿下の”テムズとともに”
この本が紀伊国屋書店出版部から再刊されて一般に日の目
を見たか。 -
30年程前の1993年学習院大から創立125周年に
記念出版された”テムズとともに”殆ど非売品的な書物でした。
徳仁親王、当時の皇太子殿下の英国Oxford大学
留学のドキュメンタリーとして関心をもって拝読した。
殿下ご自身の撮影写真も多く。 -
その5年後私もまた英国の旅に一人出た。
この旅ではロンドンからスコットランドとアメリカ人
の家族やアルゼンチンの母子達と一台のバスで巡った。
私はこの旅の記録を1冊の本にまとめていた。
その参考図書の1冊にはこの”テムズとともに”を上げさせて頂き。
3年後の2001年に刊行。
そんな縁もあって殿下と雅子妃殿下が久しぶりの英国訪問の折
この拙暑寄贈の機会があって。殿下出発までには間に合い東宮侍従
よりお礼の電話を頂いた。 -
1998年共に英国周遊を楽しんだフロリダ州立大学の
スティ―ブン博士のご家族と。ダーリントンのホテル
での夕食。 -
かつての広いギャラリーはなくなり廊下に
ギャラリーボックスの一角が。Dr.Nagatsuka -
このフロアには書店を訪ねた方が一休みできるスペースが。
こんなゆとりは貴重である。 -
K社を出た後はDr.Nの案内で新宿西口に向う。
”思い出横丁”ではまだ明るいうちからインバウンドの
方々を見かける。 -
-
この通りは変わっていない。
-
通りを抜けて西口に出るとやたら外貨両替の店が目立つ。
ここにもあすこにも。かつても新宿では見なかった景色。 -
西口に出ると小田急ハルクの地下へと下って。
ビアホールのミュンヘンでした。 -
ここへは初めてだ
-
-
ドイツビールにジャガイモ&ソーセージ
まさにドイツ・・・
Dr.Nは帰ったら10時から会議ですと言う。
エーそんな時間から会議で? といえばエーアメリカの時差の関係でと
そうか今や昼夜を問わずオンラインで会議の時代。 -
夜自宅へ帰ると家内から「海野さんが亡くなられた」と
エー何事か? 友人のS君より電話があったと。
すぐS君に電話・・・今日の読売新聞で彼の訃報を知ったという。
転送された記事を見れば”海野弘さん死去 83歳文芸・美術評論家”
と2段組の見出して報じられている。4月5日心不全での死去とある。
翌5月2日我が家の朝日・朝刊では写真入3段組で報じられていた。
そうか5月まで死亡が公表されていなかった。
これは本人か遺族の希望か・・・
つい半年前にはとても元気に歓談していたのに・・・写真右・海野弘君
何ていうこと・・・・ちなみに先の拙著『7白9日イギリス一人旅』の
表紙カバーの帯には彼が書いてくれた「英国の旅について」と言うエッ
セイからの抜粋である。 -
新聞記事の通り早稲田卒業後平凡社に入社。
30代の終わりには雑誌『太陽』の編集長を辞して
著作に専念している。編集者時代20代での『アールヌーボーの時代』
(中公文庫)を処女作として亡くなる今年の春まで書き続け200冊を
こえる著作を遺して。
昨年11月コロナ禍で3年余も伸びてしまった早稲田・露文OB会そして
3年前に亡くなった同期の元ラジオ関東放送記者(後のラジオ日本クリエ
イト取締役)小林君の偲ぶ会を兼ねて親しかった同期が集った。
真中が海野弘君、左は元TV東京の江津プロデューサーそして右は小生
(牧義人)撮影は高張コピーライター(後のモス・アドバタイジング専務) -
このとき刊行されたばかりの『ウクライナに愛をこめて
ウクライナ美術への招待』を寄贈してくれた海野弘君・・・
ウクライナがロシアに侵略されている時に美術でもないが
と言いながら手渡してくれた最後の本 -
今年の露文OB会が海野君を偲ぶ会を兼ねて
開く事になろうとは・・・・
この5月25日にしめやかに執り行った次第。
海野弘君どうか安らかに眠りたまえ・・・・・合掌 -
5月彼の訃報の後近所のJR新浦安駅アトレ内の
有燐堂書店には彼の豪華美術書を多く出版している
パイ・インターナショナル社の著作が並んだ。
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