2023/07/25 - 2023/07/25
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hijunoさん
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近江聖人として地元の人々からも尊敬されていた陽明学者の中江藤樹の史蹟をめぐりました。
記念館、また王陽明との関わりから敷地内にあった陽明園という庭園、藤樹神社、中江藤樹の墓所、藤樹書院跡に行きました。知行合一を唱えた中江藤樹の教は多くの人々に影響を与え、熊沢蕃山は特に有名ですが、幕末の吉田松陰や勝海舟などの幕末の志士達にも大きな影響を与えたといわれています。
資料館の説明には藤樹先生と書かれています。
いまも、地元の人々から尊敬の念を集めていることがよくわかります。
大津市歴史博物館は遺物の発掘の様子や発掘されたものにはユニークなものがあって、面白く感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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最初に、こちらへ。中江藤樹記念館です。
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記念館そばには説明板。
中江藤樹は地元の人からも尊敬を集めていることがわかります。 -
中江藤樹9歳のとき、祖父とともに米子へ。
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説明にありますが、祖父が中江藤樹を武士として育てたいと希望したそうですが、9歳の子と別れる両親の気持ちが切ないです。
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中江藤樹は陽明学者ですが、王陽明の像や画。
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孔子象も。
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中江藤樹の生涯についての展示説明。
脱藩などもあったこともはじめて、知りました。
その理由も母親への孝行のため。
郷里で「藤樹書院」を開きますが、武士や庶民、分け隔てない私塾、多くの人々に影響を与えます。
41歳という、今ではとても若い歳に亡くなっています。 -
中江藤樹の衣服も残っています。
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当時としてはけっこう身長もあった方なんでしょうか。。。
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易学に関する道具も。
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中江藤樹のことば。
ポジティブです。
努力もたいしてせず、弱い志の自分には痛いおことば。。 -
藤樹は10歳のとき、祖父が伊予の国の奉行になったことから、愛媛にも住みます。3年にわたったそう。こちらにも多くの史蹟が残っているみたいですね。
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勉学の地であった愛媛県の大洲市。
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大洲市の中江藤樹ゆかりの地。
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中江藤樹の一生について、画で説明。
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出来事を人形で。
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門人も日本各地に。
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全国にその教えは広がります。
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会津藤樹学派というのもあったのですね。
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ゆかりの地。
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孔子の孝経、中江藤樹の自筆のもの。
中江藤樹は孝経をとても重視しており、一日の始まりに孔子象に向かって
拝誦するのが日課だったと、説明にあります。
かな書きのほうは、夫人のためのもの。 -
こちらも真筆の祝詞。
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中江藤樹の思想について。
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大正時代の中江藤樹の全集の校正をしたものも、残っています。
本来は処分されるものらしいですが、、、今となってはとても貴重。 -
イチオシ
中江藤樹の真筆の拓本。
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中江藤樹真筆による写本。
孔子の教え。 -
鑑草。
中江藤樹の刊行された書物です。 -
中江藤樹の私塾、藤樹書院の模型もありました。
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藤樹書院の説明。
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滋賀県の中江藤樹に関する史跡。
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イチオシ
当下一念。
昭和の陽明学者安岡氏が中江藤樹の言葉を選んで、藤樹書院跡を訪れたときの揮毫だそうですが、意味の深い、力強いことば。
過去を悔やんだり、未来に心配するよりも、今現在の自分の心のおきどころが大切、、、という意味だそうです。
ずっしりと心に残る言葉でした。 -
ビデオのコーナーもありました。
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王陽明画。
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中江藤樹。
至良知。
中江藤樹の大切な教えのひとつ。
我々は誰もが美しい心、良知をもっており、醜い心に打ち勝ち、良知を磨き正しいことを行えるように日々努力する、、、という意味だそうです。
その他の教えとして、孝行や知行合一、五事(貌、言、視、聴、思)
を正すとあります。
人としてどう生きるべきか、、、。 -
中江藤樹の年譜や、
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肖像画もありました。
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教科書にも資料集にも中江藤樹が。
資料館では藤樹先生と説明に書かれています。
地元の人々から今も篤い尊敬の念があることがよくわかります。 -
見学を終えて、外へ。
こんな地図もあります。 -
記念館の近くに陽明園という庭園があると聞いて、いってみます。
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池もあって、雰囲気あります。
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美しい龍の門。
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陽明園の説明。
浙江省の余姚市は陽明学の創始者 王陽明や水戸光圀に仕えた儒学者の朱瞬水など、多くの有名な人物を産んだところでもあります。 -
パンフレットによると、、、
こちらは王陽明が皇帝に拝謁するときの姿で、王陽明画に基づいた等身大のものだそうです。
石材も余姚の花崗岩を使用。 -
陽明学の祖 王陽明と日本陽明学の祖 中江藤樹を記念して、日中の友好シンボルとして造られた庭園。
上海の豫園の庭園も参考にし、石材も中国のものを多く用いた庭園だそうです。 -
藤樹神社もあるようです。
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古い庚申塔がありました。
江戸時代の民間信仰です。 -
大木がありました。
でも、痛々しいです。 -
説明によると、織田信長の時代に焼き討ちにあったお寺にあった樹だそうです。古木です。
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藤樹神社。
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説明板がありました。
全て寄付金で造られた、大正時代創立の神社です。
中国や朝鮮からも寄付金が寄せられたとあります。 -
神社創立には、渋沢栄一の働きもあったと説明書きにあります。
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立派な神社でした。
どことなく、高貴な雰囲気です。 -
立派な石碑がありました。
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神社創立の由来を書いたものだそうです。
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中江藤樹が愛媛に滞在していた際に、手植えをしたチシャの樹を中江藤樹100周年を記念して、株分けされたものだそうです。
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中江藤樹が敬愛していた孔子の出身地が原産の楷の木の説明。
岡山の閑谷学校より贈られたものだそうです。 -
こちらの木だと思うのですが、、、。
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中江藤樹の門下生、熊沢蕃山について。
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中江家墓所にも後で立ち寄りますが、
先に、藤樹書院跡に行ってみます。
狭い細い道を通っていきます。
徒歩のほうがよかったかな、、。 -
イチオシ
中江藤樹の私塾 藤樹書院の跡に来ました。
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説明板があります。
中江藤樹の私塾 藤樹書院と居宅があった場所。
いまでも命日には儒式祭典という行事が行われているとパンフレットにもありました。 -
藤の木があったので藤樹先生と呼ばれていたといわれています。
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一度焼失してしまい、その後再建された建物。
中に入って見学できるようです。 -
イチオシ
外には、中江藤樹が大切にしていた石が。
心を落ち着けるために、この石に水をまいていたそうで、
周囲の人々もこの石を大切に扱っていたと説明書きにありました。 -
ここにも孔子由来の楷の木がありました。
美しい樹。 -
お庭も綺麗でした。
中江藤樹の小さな像があります。 -
とてもきれいに整備されています。
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邸宅跡のそばには良知館という、建物があります。
中江藤樹に関しての資料や書物もあり、販売もしていました。 -
良知館。
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行事の様子や藤樹書院の説明。
自反慎独、、、、こちらも心に残る言葉。 -
建物中、壁にぎっしりと、中江藤樹に関しての資料。
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中江藤樹などに関しての書物も販売していました。
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昔の写真も。
中江藤樹、藤樹書院の資料でいっぱいでした。 -
建物前には、良く読めなかったのですが、立派な石碑がありました。
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中江藤樹のお墓、中江家のお墓もすぐ近くにあります。
小さな駐車場がありました。 -
向かって左奥が中江藤樹のお墓。
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説明板にもありますが、大切に守られています。
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お寺の門。
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中江藤樹の史蹟巡りを終えて、大津市歴史博物館へ向かいます。
途中、海の中の鳥居のある白髭神社の前を通って。 -
大津市歴史博物館、高台にあります。
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大きな博物館です。
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こんな特別展示がありました。
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上の階にあがってみますと、休憩スペース。
気持ち良い景色が広がっていました。 -
琵琶湖の景色が気持ちよいです。
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遺跡から発見される土器、壺の様子。地道な復元作業。
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木製のものや、鉄製の物の出土。
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鑑や玉類もこんな形で発掘されるんですね。
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古墳からの出土品。
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廃寺からの出土の瓦もデザインが豊富。
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見えにくいのですが、真ん中の拡大鏡で平安時代の帯の金具がありました。
とてもお洒落な金具。国内では3例目だそうです。 -
弥生時代後期から古墳時代の前期のころの、建物の木材。
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せん仏が美しい崇福寺跡からの出土品。
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説明にもありますが、崇福寺は天智天皇勅願の古いお寺。
大津宮の乾の山中に建てられたお寺と説明にあります。 -
高さが90㎝以上もある大きな銅鐸。
石山寺に伝わる弥生時代の銅鐸だそうです。 -
明智光秀ゆかりの坂本城の瓦もありました。
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山ノ神遺跡は7世紀中ごろからの須恵器の窯跡です。
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山ノ神遺跡からの出土した大きな鴟尾。
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一度に四個の鴟尾が造れる窯はこの遺跡だけだそうです。
沢山のお寺の鴟尾が造られたのでしょう。 -
三井寺から出土した瓦。
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近江国府跡からの出土品。
生活感があります。 -
イチオシ
興味深かったのが、こちらの硯。奈良時代の出土品。
羊のかたちです。
可愛いです。 -
イチオシ
こちらも興味深い出土品。
平安時代のもの。
僧侶が描かれています。 -
上仰木遺跡出土のもの。
平安~鎌倉~室町時代の邸宅跡があったようです。
源満仲の邸宅もあったという伝承もあるようです。 -
外国製の陶器のあとも。
邸宅あとからの出土品。裕福な家でしょうか。貿易も盛んだったのでしょうか。 -
豊臣秀吉が浅野長政に命じて築城させた大津城。
坂本城を廃城としたあと。
こちらの出土品も、生活感があります。 -
大津廃寺跡からの木製のものも出土。
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常設展示場へ。
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近江大津宮の模型。
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近江大津宮の説明。
667年に天智天皇が飛鳥から近江に都を遷都して、即位し、庚午年籍や近江令の発布して、律令の基本を造っています。
壬申の乱で、わずか5年ほどの間の宮となります。 -
大津宮を復元すると、、。
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大津の廃寺や遺跡の説明。
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壬申の乱の最後、瀬田橋の戦いを再現。
瀬田の唐橋は近江大津宮遷都のころにできた橋で、朝鮮半島の影響を受けた橋であったようです。橋の基礎工事など。
韓国慶州の月精橋と造りが似ているそう。
天智天皇の子、大友の皇子が天智天皇の弟 大海人皇子に敗れます。 -
崇福寺の舎利容器の数々。
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国宝です。
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舎利容器などが出土した場所。
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大津絵や玩具、お菓子の型など。
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城下町から商業の街への発展。
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江戸時代後期、札の辻の街並みを再現。
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近江八景、美しい景色をビデオで説明。
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近江八景の説明。
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堅田藩と比良山麓の歴史。
堅田には浮御堂があり、近江八景 堅田落雁の絵にも出てきます。
松尾芭蕉も訪れ句を詠んでいます。
漁業も盛んな土地。 -
大津の史蹟巡りも楽しそうです。
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小関地蔵堂の地蔵菩薩坐像もエントランスに。
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エントランスには、大河ドラマの家康の面々のパネル。
等身大なんでしょうか~。
中江藤樹の史蹟巡り~大津市歴史博物館まで、、長くなりました。
最後までお読みいただいてありがとうございます。^ ^
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