2023/04/29 - 2023/04/29
65位(同エリア434件中)
pedaruさん
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- 旅行記443冊
- クチコミ9件
- Q&A回答0件
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何十年も昔の話だが、里見公園に行ったことがあった。公園の中にある売店では、ジュースや、アイスクリーム、その他子供が好みそうな小さなおもちゃなど売られていた。
「○○ちゃん、どれでも買っていいのよ」言われて5歳の娘は身をよじるようにしてなかなか言わない、物を買うのに決まらないのは元々なのだが、それにしても親をいらいらさせる。妻のスカートにうずめていた顔を上げると、蚊の鳴くような声で応えた、「あの小鳥ちゃんが欲しい」店先の軒に下がっている鳥籠には、真っ白な文鳥が2羽飼われていた。
店のご主人は笑いながら「これは売り物じゃぁないんだよ。残念ながら売れないなぁ」と言った。アイスやチョコレートよりもどうしても欲しかった小鳥ちゃん、よほど可愛いく思ったのだろうなぁ、「ごめんねー」と言って妻は娘を抱き上げていた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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鴻之台 利根川風景 広重
現在の国府台から小岩方面を望む
江戸川には江戸に荷物を運ぶ高瀬舟が見えます。遠くに富士山が見えるのは今も変わりません。スカイツリーが見えるのが昔と異なります。 -
トイレを借りたくて市営のスポーツセンターに来ました。
係のおじさんに言われ、ついでにスポーツジムを見学してきました。
ここは国府台公園とよばれ、かっては六所の森と言われ、下総国内の神々を合祀した六所神社がありました。 -
昭和27年(1952年)日本が敗戦からまだ7年、誰もが自信をなくしていた暗い時代に、ヘルシンキオリンピックのレスリングで金、体操で銀のメダルを獲った二人の雄姿です。
共に市川在住だった石井庄八と上迫忠夫です。彫刻家の天野はこれに感激してこの青年像を制作し日展に出品しました。 -
六所神社という名に惹かれ、国府台から移された神社にやってきました。
交通便利な住宅街にあるにしては、忘れられたようなひっそりとした神社です。 -
神社の前の壁には由緒と府中六所神社と刻まれた石柱があります。
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市内各所で集められた石碑があります。
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かっては素朴な地元の人が朝な夕な祈りを捧げた道祖神や馬頭観音などです。
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境内には土地本来の樹木である楠が勢いよく茂っておりました。
こういう大木を見ると、崇敬の念が湧いてきますね。
明治神宮外苑の大木がなん十本も切り倒されると聞きました。怒りより悲しみが先にたちます。 -
小さな神社ながら本殿は立派な建築でした。
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国立国府台病院です。この前の道を曲がると・・
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江戸川に続く道を行くと、国府台城跡に着きます。
ほとんどの人は里見公園と呼んでいます。 -
一帯は1564(永禄7年〉の国府台合戦の古戦場で、園内には土塁や空堀の跡
とされる場所があります。北条氏と里見軍が戦い、多数の戦死者をだしました。 -
園内にはきれいに手入れされた花壇がありました。
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こちらはバラ園です。
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ありきたりの写真ですが、慣例に従って掲載します。
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カメラのせいにはしませんが、コメントしにくいバラの写真です。
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一年中水を浴びている乙女の像です。
ブロンズとはいえ、凍てつくような季節でも容赦なく冷水は彼女らに注がれています。なんとかなりませんかね、新市長。
旅行記には関係がないので恐縮ですが、昔々住まいを探しているとき、ある不動産屋さんの若い従業員が物件を案内してくれました。
強引に分譲住宅を勧めるでもなく、欲がなくおっとりとした青年だなぁ、という印象でした。もらった名刺には「田中 甲」とありました。その彼が今の市長だとはねぇ。 -
少し歩くと「紫烟草舎」なる建物があります。これは隣町の小岩にあった北原白秋の旧宅を移築・復元したものです。
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今日は生憎閉鎖されていましたが、公開しているときは、中の座敷にも上がれます。
華やかに さびしき秋や 千町田の
ほなみがすゑを 群雀立つ
広大無辺な田園には、黄金色の穂がたわわに実りさわさわと風にそよいで一斉に波うっている。その穂波にそってはるか彼方に何千羽とも数知れない雀の群れがパーッと飛び立つ。この豪華絢爛たる秋景のうちには底無き閑寂さがある。むら雀の喧騒のうちにも限りない静けさがある。逆に幽遠な根源が眼前にはたらき形のない寂静が華麗な穂波や千羽雀となって動いている。 -
「羅漢の井入口」
里見公園の南斜面下にあり、里見氏一族が国府台城に布陣した際の飲用水として使用したと伝えられ、高台にあって水源が乏しいにも関わらず、一年中清水が湧いています。一説には弘法大師が巡錫の折に発見し、里人達に飲用水として勧めたとも伝えられています。 -
以前はただ普通の斜面に突き出した竹筒からチョロチョロ水が出ていて、地元の人らしき人達が、ペットボトルをかざして取水をしていました。
傍らには「飲料水としては安全かどうかは分かりません、自己責任でおねがいします。市川市」なんて責任逃れなポスターが貼ってありました。
現在では「この水は飲料には適しません」と書くようになりました。これは大きな進歩です(笑)。 -
この石垣が当時のものかどうかは知りませんが、城跡らしい石組です。
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これは最近できたかと思われる市内在住の宗左近の歌碑がありました。
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ここ国府台の崖の上から小岩方面を望みます。高瀬舟は見えませんが、江戸川は
静かに流れています。 -
家族連れなどのピクニックの場所として人気です。
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妻の好きな山藤が咲いていました。野趣あふれる風景です。
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江戸川が滔々と流れています。これが人口の川だったとは信じられません。
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落ち葉が堆積して、下のほうは化石になろうとしています。それほど人が踏んだ形跡がありません。
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石段を登りきると、「市川市最高標高地点」という石碑が建っていました。
たぶん20~30m だと思います。 -
夜泣き石
伝えによると、国府台の合戦で北条軍に敗れた里見軍は多くの戦死者を出しました。このとき、里見軍の武将里見弘次も戦死しましたが、弘次の末娘の姫は、父の霊を弔うため、はるばる安房の国から国府台の戦場にたどり着きました。
未だ十二、三歳だった姫は、戦場跡の凄惨な情景を目にして、恐怖と悲しみに打ちひしがれ、傍らにあったこの石にもたれて泣き続け、ついに息絶えてしまいました。
ところが、それから毎夜のこと、この石から悲しい泣き声が聞こえるようになりました。そこで里人たちはこの石を「夜泣き石」と呼ぶようになりましたが、その後、一人の武士が通りかかり、この哀れな姫の供養をしてからは、泣き声が聞こえなくなったといいます。
これが「泣き石」だと思いますがはっきりした表示はありません。古くも見えない普通の石です。向こう側の石のほうが苔むしていてそれらしく見えます。 -
夜泣き石の傍らには戦死した里見弘次ならびに里見軍将士亡霊の碑が建っています。
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次に小高い小山を上っていくと
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二つの石棺がありました。蓋はなくなり、一部は夜泣き石の台座に使われています。
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文明11(1479)年に太田道灌がここに城を築いたときに盛土が取り払われて露出したものと伝えられています。板のような緑泥片岩製の組み合わせ式箱型石棺で蓋石は見られませんが古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初頭)この地方に勢力をふるっていた豪族の墓と推定されます。この地方に箱型石棺があるのは極めて珍しいといわれています。
(市川市HPより) -
風情のある土橋が見えます。
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里見公園を後にして、出あったのは元は農道だったと思われる道の分岐点に
古い道祖神とやや新しいお地蔵さまが祀られていました。
いまでも土地のお年寄りが朝な夕なにお参りして、お花、水、お供物などを
供えているようです。 -
次に来たのは、広い畑の隅に祀られた小さな祠です。
むかし、自転車で市内を巡っていたころ気になっておりました。 -
近くには別の祠もありました。
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木陰に自転車をとめて公園を散策します。
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市川市の史跡 下総国分尼寺跡の石碑です。
国分尼寺は、聖武(しょうむ)天皇が天平13年(741年)に発せられた「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立されたものです。
この地はかつて「昔堂(むかしどう)」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていましたが、昭和8年に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡であることが分かりました。 -
伽藍配置は、南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にあります。昭和42年夏に行われた発掘調査では、東西25.5メートル、南北22.4メートルの金堂基壇と、東西27メートル、南北19メートルの講堂基壇が発見されています。また、寺域を区画する北・東・南側の溝も確認され、東溝からは黄白色と緑で彩られた二彩の小壺か発見されています。
市川歴史博物館遍 -
金堂跡 子供の遊び場として近隣の子供たちが遊んでいましたが、金堂跡の碑に関心が深く、周りで遊ぶものだから、地面が露出しております。(筆者 推測)
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考古学に関心のある子供が多いので、ほれ、このとおり周りを掘りかけた跡も
みられます。
市川市は敢えて子供たちの探求心をはぐくむためこれらの行為を看過していると
思うのは私だけでしょうか? 「はい、あなただけです。」他のトラベラーさんの
声が聞こえました。 -
近くの道路の端には青面金剛や馬頭観音などの石碑があります。
昔の人はこういうものに頼って厳しい人生を歩いていたのですねー。
現代でも相変わらず、非科学的なパワースポットなどというのを、本気で信じて
いる人がいるようですから、昔と変わらないなー。とコメントしている人のブログを見ましたよ。 -
初めて見た市川市のマンホール蓋
梨と豊かな自然をデザインしたそうです。 -
宝珠院という寺がありました。下総四郡八十八所霊場46番だそうです。
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宝珠院の裏側の駐車場にまわると桐の花が咲いていました。
大きく立派な木です。
昔家に女の子が生まれると、屋敷に桐の木を植えたそうです。記念樹として?
それもありますが、実は桐は成長が早く、娘がお嫁に行く頃には、嫁入り道具の
箪笥が作れたそうです。 -
妻が一緒なら喜んだと思います。彼女の大好きな花ですから。
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宝珠院の近くに大きな銀杏の木と、お寺の山門がありました。
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これは内側から撮った写真です。
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突然派手な門が現れました。下総国分寺の山門です。(復元)
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下総国分寺は国分尼寺と同じく、奈良時代中期に建立されました。
下総国分尼寺と共にこの地が下総国の文化・宗教の中心であったことを伝える貴重な遺跡であるといえます。 -
「金光明四天王護国之寺」という扁額がかかっています。
ちなみに明の字はじつは偏が目になっています。こんな字があるのですね。 -
なかなか迫力のある仁王様です。
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ほとんど同じ顔をしています。ご兄弟でしょうか?
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本堂をバックに「下総国分寺」の石碑がありました。
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鐘楼の銘文を見ると、仮名交じり文でそんなに古い鐘ではないと思われます。
昭和三十九年に山本治郎衛門さんという方が寄進したと書いてあります。 -
庭にある石燈籠にも目がいきました。刻まれた像は仏様かお坊さんの姿のようでした。
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この旅行記にたびたび写っている巨木です。銀杏の木ですね。
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1913年に東京から遠足で訪れた湯島尋常小学校の生徒30余名が小岩と国府台を結ぶ江戸川栗市の渡船で転覆し、3名が遺体で見つかり、川岸に3体の地蔵「三人地蔵」が祀られ、のちに下総国分寺境内に移されました。という説明板がありました。
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これがその移された三地蔵です。
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この石燈籠も変わった形です。灯篭が開放的でこの中で、なんらかを燃やすことができるようになっています。
石燈籠に気を取られているうちに、肝心なものを見落としました。
それはなんと、七重の塔の礎石がこの辺にあったのです。これは帰宅後知りました。
三重塔、五重塔はよく見かけますが、七十の塔は見たことがありません。といっても現在は礎石だけですけどね。 -
下総国分寺から至近のところに下総国分寺の屋根の瓦を焼いたという窯跡が発見されたところがありました。現在は埋め戻されてただの草原になっています。
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この旅行記へのコメント (24)
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- yamayuri2001さん 2023/08/11 10:21:46
- お子さんの思い出・・・
- pedaruさん、こんにちは。
冒頭のエピソードに、とても共感致しました。
私も実は、両親をイライラさせてしまうような
pedaruさんの娘さんと同じ性格でした。
しかし、成長するにつれて、
段々勇気を身につけて、人前でも話せるようになりました。
根っこが同じだなと、とても共感致しました。
pedaruさんに物件を紹介してくれた不動産屋さんが
今の市長さんなんですね。
よく、その方の名前を覚えていらっしゃいましたね。
夜泣き石のエピソードは日本各地にあるようですけれど、
何処のエピソードも、それぞれ悲しい由来があるのですね。
国分寺の仁王像の表情にも、
何かユーモラスなものを感じました。
私は国分寺はちょっとだけ興味があります。
先祖が京都から国分寺に派遣された僧侶のお供として
付き添った人間だという話を聞いたことがあるからです。
もっと掘り下げたいのですが、その話を知っている両親も祖父母も
みんな あちらの世界に行ってしまいました。
若い頃には、そんな話は全く興味がなかったのですけれど、
暇になると調べてみたくなるものですね。
残念です。
三地蔵は とても古く見えますが、
まだ新しいエピソードを持った、
やはり悲しいお地蔵様なのですね。
pedaruさんの旅行記は、まち歩きガイドのお話を聴きながら
街歩きをしている気持ちになれます。
無料でガイドしていただいて、ありがとうございます。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2023/08/12 06:20:00
- RE: お子さんの思い出・・・
yamayuri2001さん おはようございます。
とりとめのないご近所旅行記を精読してくださって、ありがとうございます。
買い物が決まらないのは今でも大して変わりませんが、慎重に物を買うという点では、良いことだと思います。
まだ中学一年生くらいの時に、ローマ旅行に連れて行きましたが、好きなものを買っていいよ、と言ったため、物を探すのに、街を歩いて、歩いて、長く付き合わされた思い出があります。
ご先祖が高僧のお供をして、関東まで下って来たとは、稀有なお話ですね。もっと詳しくきいておくべきでしたね。
実家の仏壇の位牌堂には江戸時代のお坊さんの物があります。○○僧都という位のお坊さんですが、これは我が家の謎です。位牌堂の一番古いのは大坂夏の陣のころのものがあります。こんなの見ると、どんな人たちか知りたくなりますね。
江戸川で亡くなった子供の霊を慰めるために建てられたお地蔵さま、実は思うだけで、悲しみが止まらない残された人のために 気持ちを静めるためのような気がしますね。
最近暑さも手伝って、4トラベル旅行記が進みません。気長にやっていくつもりです。
pedaru
-
- 旅猫さん 2023/08/03 08:14:40
- 国府台
- pedaruさん、こんにちは。
国府台、懐かしいです。
高校時代、里見公園は部活でよく走りました。
城跡であったのは知っていましたが、当時はあまり興味が無く。
公園内にも、色々と史跡があるのですね。
里見弘次の墓まであるとは。
下総国分寺もこの辺りにあったのですね。
そう言えば、近くに国分高校があったし、そもそも国府台が国府のあった場所と言うことですね。
そう考えると、ちょっと興味が湧き、久しぶりに行ってみたくなりました。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2023/08/07 06:39:19
- RE: 国府台
旅猫さん おはようございます。
何年振りかで、10年以上になるでしょうか?風邪らしきものにかかりまして、ぐだぐだしておりました。医者にかかるまでもないのですが、だるくて困ります.歳とってからの風邪は引きたくないですね。
国府台といえば、小岩から江戸川を挟んで、よくながめておりました。小学生の遠足などにもよく行くようです。
この辺では、県立高校では一番偏差値が高いといわれていた国府台高校、猫でありながら高校生として部活などに精を出していたと思いますが、コーチの指示に従わないのは、猫だからしかたがありませんが、そのわがままさには手を焼いたと推測されます(笑)。
里見公園といえば桜の名所です。でも、さすがここまでは外人観光客はいませんね。
pedaru
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- cheriko330さん 2023/08/01 02:44:33
- じっくりと歴史散歩♪
- pedaruさん、こんばんは~
昨日は当方へもありがとうございました。久々に表紙はpedaruさんの
絵ですね。やっぱりpedaruさんの旅行記はご自身が描いた絵が一番
似合いますね。一昨日はこの辺りにバンバンと花火が上がったのですね。
pedaruさんのお嬢さん、なんて可愛いのでしょう。我が家の末娘は
小さい時はやんちゃで、私が「反省の色がないね」っていうと「反省の色
とは何色よ」ってくってかかられたものです。それが、今じゃ良い母親に
なっています。
市川市には、かって国分寺もあり歴史深く、じっくり回ると良いですね。
ヘルシンキオリンピックは、存知なくて。奇しくも市川在住の方が
金メダルと銀メダルを取ったのですね。今なら名誉市民。
若き日に現在の市長さんに不動産の案内をしてもらったのですね。
よく覚えていらっしゃいましたね。
山藤や桐の花がお好きな奥様。しっとりとお美しい方だとお見受けしました。
最近は行っていませんが、よく犬と散歩していた山で両方の花を見かけました。
下総国分寺の山門は立派ですね。復元でしたか!そうですよね。
国分寺市の国分寺は、何も残っていなかったと思います。
暑くて暫くは、歴史散歩もお休みでしょうか?無理は禁物です。
cheriko330
- pedaruさん からの返信 2023/08/03 15:44:26
- RE: じっくりと歴史散歩♪
cheriko330さん こんにちは
「反省の色ってどんな色?」一本とられましたね、なんて頭の好い子でしょうか?
こういうエピソードは何時までも覚えているものですね。
木に咲く花は、立派なのが多いですね。桐の花、山藤の花、それに東北本線の車窓から目にするアカシが印象的です。
普段気にもかけないでいますが、地元にも見るものがたくさんあることを感じます。
今は暑くてどこにも出かけないでしますが、涼しくなったらまた放浪の旅に出かけます。なんちゃって、市内を自転車で回ってどこが報労の旅ですか? と突っ込まれるの必至です。
pedaru
-
- mistralさん 2023/07/25 21:38:40
- 国府台界隈
- pedaruさん
こんばんは。
表紙の絵、揺らぐような空気を通して遠くに見えるスカイツリーの姿は
まさに江戸川を挟んで見える姿そのもので、とってもお上手に表現されていると
おもいました。
以前pedaru さんのご自宅付近で発掘されている貝塚遺跡を、実況中継ふうに
旅行記にされていて、市川ってすごい!と思った記憶があります。
国分寺跡、使用するための瓦を焼いた釜跡などなど、奈良の古代寺院跡にも
匹敵するほどの歴史のある町、市川なんですね。
ちょっと掘ったら、それこそ遺跡に遭遇しそうですね。
スポーツセンター、城跡、里見公園、、、
名前はよく知っていながら一度も訪問する機会もないまま義理の両親は
旅立ってしまいました。
奥さまがお好きだと書かれていました山藤、桐の花、mistralも大好きな花
でもあり、薄紫色の花が遠くに見えてくると思わず足を止めてしまいます。
今回は旅行記のお写真を拡大してじっくりと拝見しました。
mistral
- pedaruさん からの返信 2023/07/27 06:39:43
- RE: 国府台界隈
mistralさん おはようございます。
表紙の絵をお褒め下さり、うれしいやら、恥ずかしいやらです。しばらく旅行をしていないので、近場の題材になりました。
私の家の近く、そう、5軒くらい先には、曽谷貝塚という場所があり、夕方にはドッグランになっており、いぬとも の集会所のようになっております。
しろつめくさ、あかつめくさなどがさいたり、クローバーが広がっていて、憩いの場になっております。ここは発掘の際、20体の人骨が出てきたり、土器の破片が転がっております。
市川には古い伝説や史跡がたくさんありますが、残った建物などは皆無です。すべて想像するだけです。ここに引っ越してきた当時は、竹かごをせおった曽谷原人と思われるおばあさんが何人か見かけられましたが、いまはもう絶滅しました(笑)。
山藤や桐は少なくなりました。国府台の林の中にアカシアの花が群生する場所がありましたが、いまでもあるでしょうか、心配です。
北国分の丘の斜面にキツネノカミソリの群落を見つけたことがありますが、これは間もなく
宅地造成でなくなってしまいました。栄枯盛衰ですが、守れるものはなるべく残したいですね。
pedaru
-
- ちーちゃんさん 2023/07/24 22:38:08
- 目に浮かびました(^-^)
- こんばんは(*^▽^*)
冒頭のご家族の思い出。
思わず微笑んでしまいました(*^_^*)
可愛らしい娘さんの姿が目に浮かびます。
私は娘さんが飼えなかった文鳥を飼っていました。白ではなくて灰色でしたが。
なんと、町で拾って来た迷子鳥だったのですが、可愛くて可愛くて、いつも一緒にいたのを思い出しました。
里見八犬伝のお話の場所がここらへんの里見氏なんでしょうか?
歴史に疎いので、よくわからないのですが、
確か南総里見八犬伝だったような…
NHKで放送していた、人形劇を思い出しました。
行った事が無いのに、
pedaruさんの今回の旅行記は、
私の思い出の場所を旅するような気持ちにさせてもらった、不思議な旅行記でした。
ありがとうございました(^-^)
表紙の絵画がとても素敵です!
- pedaruさん からの返信 2023/07/27 06:13:15
- RE: 目に浮かびました(^-^)
ちーちゃん おはようございます。
街で拾った小鳥だなんてラッキーでしたね。私も去年の夏、家近くの道路上で、巣から落ちたメジロの雛を拾いました。世の中にこんな可愛いものがあるだろうか、というほどの雛でしたが、たいていは車に惹かれたり、その他で死んでしまいます。
部屋に入れてミミズなどをやって世話しておりましたが、たくさんのメジロが窓の外からピーピー鳴いて寄ってくるのです。飛ぶこともできない小鳥ですが、ベランダにおいたら、庭のほうにやっと飛んでいき鳴いていました。庭にも大勢の仲間が心配そうに集まってきました。ほっとけないのでまた部屋に戻しましたが、仕事に行っているうちに死んでしまいました。
死ぬとわかっていたなら、庭で仲間に囲まれて死んだほうが良かったのかな、と思っています。このことを思い出す度、胸の奥が痛みます。後悔の念、未熟な鳥の扱い方、自分を責めていました。
写真や、動画がたくさんあるのですが、いつか4トラ番外編に載せようかともおもいましたが、今はとてもそんな気にはなれません。
旅行記からそれた話題で失礼しました。
pedaru
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- norisaさん 2023/07/24 20:52:52
- 夜泣き石
- pedaruさん
こんばんは。
旅先なので、ちゃんとしたコメントができず失礼します。
タブレットで拝見しましたが、夜泣き石、これが怖いですね。
その他歴史の中に迫力を感じました。
norisa
- pedaruさん からの返信 2023/07/26 16:06:01
- RE: 夜泣き石
norisaさん こんにちは
旅行中なのにもかかわらず、コメントを下さるなんて、なんて義理堅いというか、謹厳実直というか、日露戦争で死んでもラッパを放さなかった兵士に通ずるものがあると思いました(笑い)。
今頃どの辺りをまわっていらっしゃるのでしょう。今晩は、やはりフレンチですか?それともイタリアン?中華?また拝見します。
pedaru
-
- チーママ散歩さん 2023/07/24 14:59:39
- ほっこりする思い出話から・・・
- こんにちは 師匠
表紙の絵は師匠のお書きになった絵でしょうか。
やさしいタッチで画風が師匠の性格を表しているかのようですね。
そして冒頭のお話はお嬢様のお話でしょうか。
状況が手にとるようにわかる・・・
かわいらしくて、なんともほっこりする思い出話から
始まりましたね。
なんと市長さんとの意外が繋がりがあるのですね。
よく覚えていらっしゃいましたね。
お会いする機会があったら、お話したいですね。
自分で紹介したお家ですから覚えていらっしゃる事でしょう。
あの時の彼が今は・・・。
政治に手を染めて汚れていたいことを願います。
夜泣き石。
ちょっぴり冷やりとするお話でしたが。
ちゃんと供養されてよかったです。
お盆も近いですね・・・。
- pedaruさん からの返信 2023/07/26 15:56:30
- RE: ほっこりする思い出話から・・・
- チーママ散歩さん こんにちは
市川市長は最初、国会議員に立候補して、「こうといったら 田中 甲」という
キャッチフレーズで子供まで口ずさみ人気をえて当選した人です。
金持ちの坊ちゃんですから、営業成績など関係なく、気楽にずるいこともせずに
不動産やで働いていた様子でした。
市川市は前の市長がいろいろ物議をかもし全国的にも有名になっていましたから、田中市長の評判は対比で好く聞こえてきます。
表紙の絵は久しぶりに描いてみました。
里見公園の夜泣き石は悲しいお話ですが、この石とともに、戦死した武士の墓も一緒にあって、夜中には不気味に感じる人が居るかもしれません。私はこういうことには反骨精神を無理に出して、柵をまたぎ、墓や夜泣き石を撮ってきました。大人気ないですね。
pedaru
-
- fuzzさん 2023/07/24 14:30:45
- 過去と現在にリンク
- pedaruさん、こんにちは。
冒頭のご家族のエピソードを読んでから本文に行きますと、そこここにpedaruファミリーのあの当時の様子が見え隠れする気がしました。
現在、令和の時代ですが昭和のpedaruファミリーが今もその当時のまま、そこにいる様な。
梅雨が明けて、すごい勢いの猛暑がやってきましたね。
盛岡でも34度もあるんですよ。
お互いに熱中症には気を付けて、日本の夏を楽しみましょう。
fuzz
- pedaruさん からの返信 2023/07/26 15:35:21
- RE: 過去と現在にリンク
fuzzさん こんにちは
昔 青森の妻の実家に行ったころは、真夏だというのに肌寒くて、山瀬が吹いたら不作なんだよ、と教えられたものです。当時エアコンはおろか扇風機もなくても平気でした。
今は真夏といっても関東と変わらない暑さになっているようです。
では、冬は温暖化で雪が少ないかといえば、しっかり例年通り雪が積もっています。これは不条理ではありませんか、天気の神様、もうお賽銭はあげませんよ。といっても、もともと
お賽銭はすずめの涙くらいの金額ですが。
最近昭和、昭和といって、pedaruの家がモデルになっておりますが、月日のたつのは早いですね。昭和から平成になったころからまだ何年もたたないようなきがしますが、昭和は
私の髪がふさふさの時代でした。家もまだ新しくて誇らしかったですが、いつの間にか、家も古くなり、夕方ともなると、ヤモリが入り口のドアのそばに止まっていて、ときどきパタンと落ちてきます。
最近の猛暑でいくら昭和のpedaru家でもエアコンはつけるようになりました。
越してきた当時は、高台なので窓を開ければ風があがってきて、エアコンは使ったことがなかったのにねぇ。
最近気がついたのですが、あまり暑いと蚊が出てきませんね。手入れをしない庭からぶんぶん蚊が家に入ってくるのがふつうでしたのに、このところ蚊に悩まされません。
我が家では、補注網はとんぼを捕るためじゃなくて蚊をとるのに使ってます。百発百中です。なにしろ昭和の家ですからね。あ、昭和は関係ありませんでした。
pedaru、
-
- ニコニコさん 2023/07/24 10:20:09
- なんとまぁ!
- pedaruさん
こんにちは!
欲のないおっとりした不動産屋さんが、現在の市長とはなんとまぁ!でした^^
それにしてもpedaruさんの記憶力、凄い!
国府台が鴻之台という文字だったのですね。
下総の国府が置かれていたから国府台、どうして変わったのかしら?
ちょっと調べたら‥江戸時代になって利根川(江戸川)にコウノトリが棲みついたことから「鴻之台」の字をあてた
なるほどねぇ‥。
この方が情緒があって素敵だな。
ニコニコ
- pedaruさん からの返信 2023/07/26 06:33:52
- RE: なんとまぁ!
ニコニコさん おはようございます。
国府があったから国府台は普通ですが、こうのだい と読ませるのは日本語の妙とでもいいましょうか、味のあるところです。
「鴻之台」もいい名前ですね、コウノトリはトルコやモロッコでは見ましたが、日本にもいたのですね。日本ではカラスを害鳥と呼ぶように、コウノトリも高いところにやたら巣をつくるので、害鳥扱いにされていたかもしれません。
日本ももすこし鳥に寛容であってほしいですね。
そういえばトルコに行ったとき、街灯の上に巣を作っていた鳥を見て、ペリカンがいたよ、と家族にはなしたところ、それはコウノトリだよ、と笑われたことを思い出しました。
欧米では赤ちゃんはコウノトリが運んでくるというメルヘンな話がありますが、実際は
糞を落とすくらいが関の山です。
今日も猛暑の予感、お体をお大切に
pedaru
-
- ポテのお散歩さん 2023/07/24 09:34:27
- 里見弘次
- pedaruさん こんにちは。
偶然ですが、数週間前に録画した歴史番組で
里見八犬伝や里見氏が取り上げられていて、昨日 その録画を観たのです。
戦国時代、三浦半島 北条氏と激しい戦を繰り広げた事や
海賊衆を従えて江戸湾を駆け抜けた時代があった事が話されていました。
里見弘次も気骨があり、土地の人々に とても慕われていたそうですね。
pedaruさんの旅行記の 里見氏の足跡を拝見して
里見弘次の事ももっとしっかり観ておけば良かったと
途中でウトウト寝てしまった事を後悔しました(^-^;
ポテ
- pedaruさん からの返信 2023/07/25 06:20:37
- RE: 里見弘次
ポテのお散歩さん おはようございます。
里見で知っているのは、里見公園と里見まんじゅうくらいなものです(笑)。
そういえば里見八犬伝は子供のころ、漫画か何かで見たことがあります。忠 義 仁
孝 礼とかがテーマで、勧善懲悪の物語だったきがします。
私はこの頃テレビを全く見ないので、こんな番組があったのならぜひ見たいと思います。
もっぱらアマゾンのプライムビデオばかり見ているので、たまにはテレビのニュースも見なさいよ、と世間のことに無知な私を叱ります。
映画を見ても、途中でいねむり、最後のほうはいつも見逃しです。やはり、アルコールはダメですねぇ、眠くなるの早くなります。
pedaru
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- ふわっくまさん 2023/07/24 07:14:39
- 市川市・・
- pedaruさん、おはようございます。
暑い日が続いていますが、如何お過ごしでしょうか・・
伏兵ふわっくまが、やってきました・・笑
さて市川市の里見公園は、国分台合戦の古戦場だったそうで・・
まだ12,3歳だった姫の悲しい伝説により、夜泣き石があるのですね。
綺麗に手入れされた花壇など、鎮魂の祈りが込められているように感じました。
そして市川市のマンホール蓋は、梨と豊かな自然がデザインされているようで・・
広重の利根川風景には国分台から、遠くに富士山が描かれている事にも目が留りました(^_^)
現在は、スカイツリーが加わっているみたいですが・・
・・市川市の新市長さんは、若い頃不動産屋さんでお仕事をされていたのですね。
その方のお名刺を持っているなんて、さすが!pedaru師匠だなぁと思いました。
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2023/07/25 06:04:51
- RE: 市川市・・
ふわっくまさん おはようございます。
国府台合戦にも必ず伏兵がいたと思いますが、たいていは伏兵には怯えていますね。
でも遭遇しても嬉しいのは、トラベラーのふわっくまさんですね。
夜泣き石は姫が泣きながら寄りかかっていたそうですね「「先月そこに置きました」。というような新しい感じの石でした。伝説とはどこまで信用していいか分かりませんね。ましてや、pedaruが書いた物語は、たいがい脚色されていますから、ご用心です(笑)。
広重の描いた絵は素晴らしい景色ですね。昔は本当にこんな風に風光明媚だったと思います。今でも冬の晴れた日には、富士山が見えて、今日は富士山がきれいだったね、なんて話題にのぼります。なぜか富士山が見えたときは嬉しいですね。
市長はお金持ちの坊ちゃんですから、仕方なしに一応サラリーマンを体験していたのでしょうね。必死に働いて成績をあげるなんて全く考えていない様子でした。お客にとっては、安心できる営業部員だったでしょうね。
pedaru
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- mom Kさん 2023/07/24 07:12:05
- 見えるようで
- 旅日記序章に顔がほころんでおります。お嬢様にお話なさってますか。そうだと私も嬉しい幸せ。「市川」は、名のみで未踏の地。本トピックで訪れたくなりました。千葉県は、佐原以外、歩き不得手な所なんです。結構あちこち試みながら。
- pedaruさん からの返信 2023/07/25 04:57:02
- RE: 見えるようで
mom kさん おはようございます。
その家、家にだけある思い出がありますから、ときどきは話題にのぼりますね。
娘も大きくなって、孫を連れて毎週日曜日、遊びに来て、必ずみんなして食事を外でして帰ります。妻は食事の支度をしなくて済むわ、と喜んでいます。
市川は、わざわざ来るほどの町ではありませんが、暇つぶしには向いているかもしれません(笑)。期待をしないで、いちどお越しください。
pedaru
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