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東京から京都まで。

0601~東京から京都までの歩き旅~⑪日目

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2023/06/01 - 2023/06/01

8266位(同エリア23748件中)

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ちばた

ちばたさん

東京から京都まで。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
  • おはようございます。<br /><br />昨日の夜は満腹で食べられなかった<br />特選ちくわが朝ごはんです。

    おはようございます。

    昨日の夜は満腹で食べられなかった
    特選ちくわが朝ごはんです。

  • これはどこの川だっただろう。

    これはどこの川だっただろう。

  • 流れていくような雲たち。

    流れていくような雲たち。

  • 日本橋から75里。<br />75×4=300km。

    日本橋から75里。
    75×4=300km。

  • 新御油橋。

    新御油橋。

  • 雲がきれい。

    雲がきれい。

  • この御油宿と、次の赤坂宿までの距離は<br />東海道五十三次の中で一番短くて1.5kmしかない。<br />こんなに短いなんて得した気分です(^o^)

    この御油宿と、次の赤坂宿までの距離は
    東海道五十三次の中で一番短くて1.5kmしかない。
    こんなに短いなんて得した気分です(^o^)

  • いかにもな、蔵。<br />遠目だと目と鼻と口。<br />おにぎりにも見える。

    いかにもな、蔵。
    遠目だと目と鼻と口。
    おにぎりにも見える。

  • 立派な松の木。

    立派な松の木。

  • 国の天然記念物。<br />日本の名松百選にも選ばれているそう。<br />色々な百選があるんだな。

    国の天然記念物。
    日本の名松百選にも選ばれているそう。
    色々な百選があるんだな。

  • この写真、なんか好き。

    この写真、なんか好き。

  • 気持ちのいい通りだった。<br />車の通りもそれなりにありました。<br />

    気持ちのいい通りだった。
    車の通りもそれなりにありました。

  • 右側がきれいに整備されていて、<br />テーブルとイスが並んでいて<br />お弁当を食べたり読書をしたりしたい場所だなと思った。<br />

    右側がきれいに整備されていて、
    テーブルとイスが並んでいて
    お弁当を食べたり読書をしたりしたい場所だなと思った。

  • トイレもばっちりあります。

    トイレもばっちりあります。

  • 本を読みながら犬の散歩をしている人がいて、<br />犬も飼い主さんもすごいなーと思った。

    本を読みながら犬の散歩をしている人がいて、
    犬も飼い主さんもすごいなーと思った。

  • 見付とは、宿場の入口に石垣などを積み、出入りする者を見張ったところ。

    見付とは、宿場の入口に石垣などを積み、出入りする者を見張ったところ。

  • 夏の月 <br />御油より出でて<br />赤坂や<br /><br /> 夏の月の出ている時間の短さは、<br />なんと御油から赤坂の間を過ぎる時間に過ぎない。という意味だそう。

    夏の月 
    御油より出でて
    赤坂や

     夏の月の出ている時間の短さは、
    なんと御油から赤坂の間を過ぎる時間に過ぎない。という意味だそう。

  • 昭和の香りを感じて思わず撮りました。

    昭和の香りを感じて思わず撮りました。

  • この大橋屋は、<br />江戸時代に一般の旅人が宿泊する宿(=旅籠屋はたごや)でした。<br /><br />ちなみに度々出てくる、「本陣」とは大名や幕府の役人など身分の高い人が宿泊した宿。<br /><br />この大橋屋は文化6年(1809)の<br />赤坂宿の大火以降に建てられたと考えられていて、<br />今は一般公開されていますが<br />平成27年(2015)まで旅籠屋として営業していました。<br /><br />東海道五十三次の宿場町のうち、<br />江戸時代の建物のまま営業する最後の旅籠屋でした。<br /><br />創業366年の歴史とはすごいですね。<br /><br /><br />営業していた頃は、<br />東海道五十三次を歩くというと<br />近年の旅人でもこちらに宿泊するのがセオリーだったようです。<br /><br />たしかに営業されていたら泊まってみたかったな。

    この大橋屋は、
    江戸時代に一般の旅人が宿泊する宿(=旅籠屋はたごや)でした。

    ちなみに度々出てくる、「本陣」とは大名や幕府の役人など身分の高い人が宿泊した宿。

    この大橋屋は文化6年(1809)の
    赤坂宿の大火以降に建てられたと考えられていて、
    今は一般公開されていますが
    平成27年(2015)まで旅籠屋として営業していました。

    東海道五十三次の宿場町のうち、
    江戸時代の建物のまま営業する最後の旅籠屋でした。

    創業366年の歴史とはすごいですね。


    営業していた頃は、
    東海道五十三次を歩くというと
    近年の旅人でもこちらに宿泊するのがセオリーだったようです。

    たしかに営業されていたら泊まってみたかったな。

  • 営業していた頃の大橋屋。<br />とっても素敵です。<br />お部屋の障子から見る東海道の道も風情があっただろうなあ。

    営業していた頃の大橋屋。
    とっても素敵です。
    お部屋の障子から見る東海道の道も風情があっただろうなあ。

  • 一般公開されている大橋屋には、案内説明をしてくれる人がいるみたいだった。

    一般公開されている大橋屋には、案内説明をしてくれる人がいるみたいだった。

  • 「よらまいかん」という名前の<br />江戸時代をイメージした無料休憩所。<br /><br />よらまいかん、とは地元の言葉で”寄っていこうよ”という意味だそう。<br />寄らなきゃいかん、みたいな音に聞こえる。<br /><br />歩き旅をしていると、<br />トイレとベンチは有り難いです。<br />

    「よらまいかん」という名前の
    江戸時代をイメージした無料休憩所。

    よらまいかん、とは地元の言葉で”寄っていこうよ”という意味だそう。
    寄らなきゃいかん、みたいな音に聞こえる。

    歩き旅をしていると、
    トイレとベンチは有り難いです。

  • 愛知にいる今言うことじゃないけれど、<br />静岡のあたりを歩いていた時は<br />空気がお茶の香りがして、<br />浜松のあたりを歩いていた時は<br />海の香りがした。<br /><br />

    愛知にいる今言うことじゃないけれど、
    静岡のあたりを歩いていた時は
    空気がお茶の香りがして、
    浜松のあたりを歩いていた時は
    海の香りがした。

  • 岡崎市に入りました。<br />

    岡崎市に入りました。

  • 右に行くと国道1号。<br />左に行くと東海道の道。

    右に行くと国道1号。
    左に行くと東海道の道。

  • この辺りにある法蔵寺は、<br />徳川家康が幼い頃に読み書きを学んだお寺だそうです。<br />徳川家康は関ヶ原の戦いを経て天下人になってから、<br />このお寺を優遇したとか。<br /><br />そして同じお寺に、<br />新選組の近藤勇の首塚と称されるものがあります。<br /><br />近藤勇は新政府軍に捕らえられて<br />東京の板橋で斬首された後、<br />塩漬けにされて三条大橋に晒されました。<br /><br />3日後には何者かに持ち去られて、<br />その後行方知らずになっているそうです。<br /><br />土方歳三や永倉新八や親類などによって造られた、<br />墓所とされる場所が全国にいくつかあります。<br /><br /><br />この法蔵寺の言い伝えは、<br />新選組の斎藤一が近藤勇の首を奪還し、<br />宝蔵寺の住職に届けた。<br />その住職が法蔵寺の住職となったため、<br />最終的に法蔵寺にある。<br />というもの。<br /><br />真相は謎で、色々な諸説があるみたいですね。<br /><br /><br />近藤勇の辞世の句は漢詩だそうです。<br /><br />その内容は、<br />「忠誠心で節義に殉じる」、<br />そして「死を以って恩義に報いる」。<br /><br />農家に生まれ、武士として生き、<br />最期は切腹することを許されなかった。<br />当時、切腹は武士にだけ許された名誉ある死に方だったようです。<br /><br />現代を生きる私には、<br />死に方に名誉があるとかないとか、<br />そんなことを考えたことはないけれど<br /><br /><br />出自が何であれ<br />身分が何であれ、<br />彼等が命をかけてまで守りたかったもの、<br />貫きたかった思いのことを思うと<br />どうしようもなく言葉にならない気持ちになります。  <br /><br /><br /><br />土方歳三の辞世の句も出てきたので見てみました。<br /><br />一つ目<br />「たとえ身は蝦夷の島根に朽ちぬとも<br /> 魂は東の君やまもらん」<br /><br />”たとえ私の身が、蝦夷の地で朽ち果てようとも<br />  わたしの魂は東にいる君を守るだろう”<br /><br />この東の君とは、<br />徳川家や故郷の家族や同士や恋人や、<br />色々な説があるそうです。<br /><br />なにより、<br />函館にいた土方歳三が”東の君”と詠んだことに私は心打たれます。<br />相手が誰であれ、全てであれ、<br />現実の体は函館にいても<br />東とは京都からみた東なのだろうな、と思います。<br /><br /><br />二つ目<br />「鉾とりて 月見るごとに おもふ哉<br />あすはかばねの 上に照かと」<br /><br />”鉾を手に取って月を見るたびに思う<br />  明日は自分の屍の上に照るのかと”<br /><br />亡くなる前日に詠まれたとされているそうです。<br /><br /><br /><br />最期の言葉は、「我この柵にありて、退く者を斬らん」<br /><br />新政府軍による函館総攻撃が始まり、<br />だんだんと劣勢になっていく中で<br />敗走してくる味方に対して馬上で抜刀し、<br />「劣勢の中で逃げてくる味方たちは切り捨てる!」と叫び<br />その直後銃弾に撃たれました。<br /><br /><br />この方らしい最期だな、と思います。<br /><br />激動の時代を生きた人々が、<br />家族や仲間と共に穏やかな時を過ごせていることと<br />平和な世界を願うのみです。<br />

    この辺りにある法蔵寺は、
    徳川家康が幼い頃に読み書きを学んだお寺だそうです。
    徳川家康は関ヶ原の戦いを経て天下人になってから、
    このお寺を優遇したとか。

    そして同じお寺に、
    新選組の近藤勇の首塚と称されるものがあります。

    近藤勇は新政府軍に捕らえられて
    東京の板橋で斬首された後、
    塩漬けにされて三条大橋に晒されました。

    3日後には何者かに持ち去られて、
    その後行方知らずになっているそうです。

    土方歳三や永倉新八や親類などによって造られた、
    墓所とされる場所が全国にいくつかあります。


    この法蔵寺の言い伝えは、
    新選組の斎藤一が近藤勇の首を奪還し、
    宝蔵寺の住職に届けた。
    その住職が法蔵寺の住職となったため、
    最終的に法蔵寺にある。
    というもの。

    真相は謎で、色々な諸説があるみたいですね。


    近藤勇の辞世の句は漢詩だそうです。

    その内容は、
    「忠誠心で節義に殉じる」、
    そして「死を以って恩義に報いる」。

    農家に生まれ、武士として生き、
    最期は切腹することを許されなかった。
    当時、切腹は武士にだけ許された名誉ある死に方だったようです。

    現代を生きる私には、
    死に方に名誉があるとかないとか、
    そんなことを考えたことはないけれど


    出自が何であれ
    身分が何であれ、
    彼等が命をかけてまで守りたかったもの、
    貫きたかった思いのことを思うと
    どうしようもなく言葉にならない気持ちになります。  



    土方歳三の辞世の句も出てきたので見てみました。

    一つ目
    「たとえ身は蝦夷の島根に朽ちぬとも
     魂は東の君やまもらん」

    ”たとえ私の身が、蝦夷の地で朽ち果てようとも
      わたしの魂は東にいる君を守るだろう”

    この東の君とは、
    徳川家や故郷の家族や同士や恋人や、
    色々な説があるそうです。

    なにより、
    函館にいた土方歳三が”東の君”と詠んだことに私は心打たれます。
    相手が誰であれ、全てであれ、
    現実の体は函館にいても
    東とは京都からみた東なのだろうな、と思います。


    二つ目
    「鉾とりて 月見るごとに おもふ哉
    あすはかばねの 上に照かと」

    ”鉾を手に取って月を見るたびに思う
      明日は自分の屍の上に照るのかと”

    亡くなる前日に詠まれたとされているそうです。



    最期の言葉は、「我この柵にありて、退く者を斬らん」

    新政府軍による函館総攻撃が始まり、
    だんだんと劣勢になっていく中で
    敗走してくる味方に対して馬上で抜刀し、
    「劣勢の中で逃げてくる味方たちは切り捨てる!」と叫び
    その直後銃弾に撃たれました。


    この方らしい最期だな、と思います。

    激動の時代を生きた人々が、
    家族や仲間と共に穏やかな時を過ごせていることと
    平和な世界を願うのみです。

  • 非常に話が脱線してしまった。

    非常に話が脱線してしまった。

  • えんやこら、えんやこら。

    えんやこら、えんやこら。

  • 江戸時代の男性の平均身長が155~158cmらしいので、<br />徳川家康が低いわけではなかったようです。

    江戸時代の男性の平均身長が155~158cmらしいので、
    徳川家康が低いわけではなかったようです。

  • 「道の駅 藤川宿」は<br />24時間営業のミニストップもあって、<br />徳川家康関連でも盛り上がっていて<br />車中泊にも良さそうな場所でした。

    「道の駅 藤川宿」は
    24時間営業のミニストップもあって、
    徳川家康関連でも盛り上がっていて
    車中泊にも良さそうな場所でした。

  • 国道1号もここまで来た。

    国道1号もここまで来た。

  • 乙川にかかる橋を歩いていて、<br />何気なく左に目を向けると<br />馬がいました。<br /><br />川辺で草を食べている馬…。<br /><br />動いている馬が見れて、とてもうれしい…。<br /><br />https://youtube.com/shorts/r-u2GvclXpE?feature=share<br />

    乙川にかかる橋を歩いていて、
    何気なく左に目を向けると
    馬がいました。

    川辺で草を食べている馬…。

    動いている馬が見れて、とてもうれしい…。

    https://youtube.com/shorts/r-u2GvclXpE?feature=share

  • 左に見えている川辺に馬がいます。

    左に見えている川辺に馬がいます。

  • 岡崎宿東海道二十七曲がり。<br />城下町の防衛と、町で金銭を使ってもらうために<br />入り組んだ道にしたんだとか。<br /><br />

    岡崎宿東海道二十七曲がり。
    城下町の防衛と、町で金銭を使ってもらうために
    入り組んだ道にしたんだとか。

  • 岡崎城に来ました。<br />徳川家康が生まれたお城です。

    岡崎城に来ました。
    徳川家康が生まれたお城です。

  • これは大河ドラマ館みたいなところ。<br /><br />来館記念証がもらえるみたいですが、<br />雨の日や月に一回の特別来館記念証の日には、<br />通常と異なるデザインの記念証がもらえるようです。<br /><br />私が行った次の日が<br />本能寺の変の日で、今月はこの日が特別来館記念の日でした。<br />

    これは大河ドラマ館みたいなところ。

    来館記念証がもらえるみたいですが、
    雨の日や月に一回の特別来館記念証の日には、
    通常と異なるデザインの記念証がもらえるようです。

    私が行った次の日が
    本能寺の変の日で、今月はこの日が特別来館記念の日でした。

  • 天守閣がみえます。<br />

    天守閣がみえます。

  • 江戸時代の前期に構築されてから、<br />改修されていないのはすごい。

    江戸時代の前期に構築されてから、
    改修されていないのはすごい。

  • 産湯の井戸

    産湯の井戸

  • これがその井戸。

    これがその井戸。

  • 触らせていただきました。

    触らせていただきました。

  • 生まれたお城というだけあって、<br />竹千代の姿ですね。<br />

    生まれたお城というだけあって、
    竹千代の姿ですね。

  • 胞衣塚。えなづか。<br /><br />胎盤などを壺に入れた、というところから<br />古代エジプトのミイラ作りを連想しました。<br /><br />信仰の対象とはすごい。

    胞衣塚。えなづか。

    胎盤などを壺に入れた、というところから
    古代エジプトのミイラ作りを連想しました。

    信仰の対象とはすごい。

  • これが胞衣塚です。

    これが胞衣塚です。

  • 岡崎城の周りは、広い公園になっています。<br />近くを流れる川。<br /><br />天守閣の中や、ドラマ館、<br />お土産売り場などの営業時間は17時までですが、<br />周りの公園などは開放しているので<br />17時を過ぎても沢山人がいました。<br /><br />犬の散歩をする人、<br />遊具で遊ぶ子どもたち、<br />川沿いを走って運動したり<br />友達や恋人と談笑したり。<br /><br /><br />こんなに歴史的な場所が<br />現代の人々に親しまれ、<br />愛されていることが<br />とても素敵なことだと思いました。<br /><br />緑が多くて広くて気持ちの良い場所でした。

    岡崎城の周りは、広い公園になっています。
    近くを流れる川。

    天守閣の中や、ドラマ館、
    お土産売り場などの営業時間は17時までですが、
    周りの公園などは開放しているので
    17時を過ぎても沢山人がいました。

    犬の散歩をする人、
    遊具で遊ぶ子どもたち、
    川沿いを走って運動したり
    友達や恋人と談笑したり。


    こんなに歴史的な場所が
    現代の人々に親しまれ、
    愛されていることが
    とても素敵なことだと思いました。

    緑が多くて広くて気持ちの良い場所でした。

  • 竹千代通り。

    竹千代通り。

  • 近くの川。

    近くの川。

  • 足踏み式手洗い。<br /><br />珍しくて、手を洗ってみました。<br />

    足踏み式手洗い。

    珍しくて、手を洗ってみました。

  • 広場になっています。

    広場になっています。

  • どうする家康のポスター。<br /><br />ここに来るまでに、至るところでポスターを目にしました。<br />テレビをほとんど見ないので、<br />大河ドラマで何をやっているかを知る由もなく<br />最初はこのポスターを見かける度に、<br />”どうする”という文字をみて<br />問いかけられている気分になっていました。<br /><br />歩き旅の余裕がなかった頃なので<br />特にそう感じたのでしょう(*_*;

    どうする家康のポスター。

    ここに来るまでに、至るところでポスターを目にしました。
    テレビをほとんど見ないので、
    大河ドラマで何をやっているかを知る由もなく
    最初はこのポスターを見かける度に、
    ”どうする”という文字をみて
    問いかけられている気分になっていました。

    歩き旅の余裕がなかった頃なので
    特にそう感じたのでしょう(*_*;

  • 天明2年(1782)創業の、備前屋さん。<br />江戸時代中期から続くお店。<br /><br />

    天明2年(1782)創業の、備前屋さん。
    江戸時代中期から続くお店。

  • マシュマロと羊羹を合わせたような、<br />不思議な食感のあわ雪。<br /><br />和菓子も洋菓子も種類がとても多くて、<br />色々気になりましたが<br />あわ雪が伝統的な銘菓とのことで購入しました。<br /><br />一人で食べるには贅沢な大きさ。

    マシュマロと羊羹を合わせたような、
    不思議な食感のあわ雪。

    和菓子も洋菓子も種類がとても多くて、
    色々気になりましたが
    あわ雪が伝統的な銘菓とのことで購入しました。

    一人で食べるには贅沢な大きさ。

  • 天下の道、の文字に目を惹かれた。

    天下の道、の文字に目を惹かれた。

  • いろはにほへと…と、<br />27曲がりの角を教えてくれます。

    いろはにほへと…と、
    27曲がりの角を教えてくれます。

  • ミニストップの駐車場でした。<br />

    ミニストップの駐車場でした。

  • 本陣、脇本陣<br /><br />岡崎宿の本陣は二百九坪半、<br />部屋は二百畳以上とは<br />とてつもなく広い。

    本陣、脇本陣

    岡崎宿の本陣は二百九坪半、
    部屋は二百畳以上とは
    とてつもなく広い。

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