2023/05/29 - 2023/05/29
28727位(同エリア33421件中)
ちばたさん
東京から京都まで。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
おはようございます。
昨日買った新しいウォーキングシューズでスタート。
ついでにスニーカーの中に100均で買った中敷きを入れてみた。
100均と侮ることなかれ。
靴を履いて歩いている時は効果があまり分からなくても、
スニーカーから中敷きを抜いて歩いてみると
中敷きの有り難みを実感するのである。
昨日の続きということで、バスで昨日の終着地まで来たが
バスの中で明らかに雨に備え、
山に挑むような格好の方を発見。
もしやと思っていたら、
同じバス停で降りて同じ方向に歩いて行かれるため、
これは確実に東海道歩きの方だなと思いました。
その手にお持ちの地図は、もしや私の使っている物と同じだろうか。
今までに箱根峠ですれ違った人はいたが、
すれ違いではなくスタートから同じ道に向かって歩く人は初めてである。
勝手に親近感を感じつつ、適度に先を歩いてくださるため
ガイドブックで道を細かく見る必要もなく、
ありがたや~~と思う。 -
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水車のすてきなこちらは、日本の紅茶発祥の地だそう。
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道端で見つけた。
木苺みたい。 -
ようこそ宇津ノ谷(うつのや)へ。の看板
宇津ノ谷は難所の宇津ノ谷峠を控えたため賑わっていたそう。
ハンドブックには、この看板で
「Y字路を左に進む→お羽織屋先の石段を上る
→突当りのT字路を左に回り込む→T字路を右折する
→「旧東海道のぼり口」案内から左の土道に入る」
とあったが、道を間違えに間違えて
行ったり来たり行ったり来たりした。
今思うと、お羽織屋先の石段を上る所を、
無意識に”まさかこの階段を上るはずがない”と思い込み(?)
避けて通ってしまったのだろう。
先程の先を行く方は、
手前の道の駅でトイレに寄ったり身支度を整えている間に
見失ってしまった。 -
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道行く旅人が休憩した面影を感じる道。
とろろの丁子屋のあった辺りからひたすら山に向かって歩いていくと、
何もないところから突然家が立ち並び始めて、
”集落”とは、こういう場所なんだろうなあ、と思った。 -
文化財が沢山あるみたいですね。
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右に行くと旧東海道。
左に行くと明治のトンネル。
ちょっと調べてみましたが、
ここ、宇津ノ谷峠には
明治・大正・昭和・平成の4つのトンネルがあるそうです。
明治から各時代のトンネルが現存し、
今もなお通行できるのは全国でここだけだそう。 -
最も古い蔦の細道は奈良時代から使用していた道。
室町時代までの官道(国道)だそう。
東海道の道は1590年、豊臣秀吉が小田原攻めに向かう大軍を通すために整備したとされる峠道。
後に徳川家康が東海道を整備した際に、この道を使用して
参勤交代の大名行列や、多くの旅人が往来する道として長く使用された。
せっかくなので、各時代の写真を載せたいと思います。
https://www.suruga-aind.biz/eco_museum2/ -
蔦の細道。
奈良時代から豊臣秀吉の頃まで、この道を使っていたなんてすごい。 -
明治のトンネル。
このトンネルができる前、
東海道の山道は斜面の崩落などを伴う危険な道で東海道の難所の一つであった。
明治9(1876)年に岡部宿と丸子宿の有力者7人で結成された結社により、約2年の歳月と延べ15万もの人員をかけて造られた。
民間のトンネルで、日本で初めての有料トンネル。
東海道の山越えを安全かつ楽にしたいというのは
きっと多くの人々が思っていたことで、
地元の住民の方々によって実現されたと思うと
山道を歩いた分、胸に迫るものがあります。 -
明治のトンネルはカンテラが原因となった火災によって崩落し、
通行不能となってしまいました。
カンテラとはこの写真の灯りのことのようです。
レトロな雰囲気でジブリの世界みたい。
その後、明治37(1904)年に修築工事が行われ、
現在の明治のトンネルの形となりました。
今は歩行者用として、歩いて通行することができるそうです。 -
大正のトンネル。
明治時代は馬車や人力の車が主な輸送手段でしたが、
大正になると自動車の時代となり
新しいトンネルを整備する必要が生じました。
それによって昭和5年(1930)に建設が開始され、
1930年(昭和5年)に開通しました。
現在でも徒歩での通行も可能で、
大型車が十分にすれ違うことのできる幅があるそうです。 -
左が昭和のトンネルで、
右が平成のトンネル。
第二次世界大戦後、高度経済成長期には
車社会の加速により交通が増大したため
1959年(昭和34年)に昭和トンネルが開通しました。
昭和トンネルは大正トンネルよりも標高の低い位置に建設され、
静岡・岡部間の所要時間は大幅に短縮されました。
数枚前の各時代の道の図を見ても、
現在の昭和と平成のトンネルは山の最短距離であると分かります。
しかし、それでもその後の通過トラックの増加や、
人口の流入による交通量増加には対応できず、
1998年(平成10年)に平成のトンネルが開通しました。
この開通に合わせて昭和トンネルは上り線専用に改修され、
現在は
昭和トンネル=国道1号上り線(二車線)
平成トンネル=国道1号下り線(二車線)
の道路となって、
今日も多くの人や物を運ぶ道となっているようです。
昭和トンネルは徒歩での通行不可。
昭和トンネルは徒歩での通行可能。
宇津ノ谷峠の道の変遷について、ウィキペディアに、
”周辺には道の駅宇津ノ谷峠も整備され、
通過する車両は「峠」であることを意識することなく通過できるようになった。”
とありました。
これは宇津ノ谷峠に限らず、
どの山に関しても言えることだなと思いました。
今回の旅に出るまで、私は山を歩いたこともなく、
”峠を越える”、”山を越える”なんて
慣用句でしか使ったことがありませんでした。
日本で車に乗っていて、山道を走ることは珍しいことではありません。
山を上る険しさも、
山を下る険しさも、
車に乗りながら感じることはありませんでした。
山に差し掛かっても息を切らすこともなく、
車にがんばれーと声援を送るばかり。
かつて多くの人々がその足で越えた山は、
いまや山や峠であることを感じさせないほど。
便利で快適な世の中になったものですね。 -
話が脱線しましたが、
今回通るのはもちろん東海道の道です。
昭和と平成の道と比べると、
こちら非常に味があります。 -
隣の畑は多くの車が行き交っていることでしょう。
こちらは人っ子一人おりませんでした。
緑の道です。 -
”宇津ノ谷は、丸子・岡部両宿の間に位置する間宿です。
行交う旅人が、宇津ノ谷名物「十団子」を求めたり、
無事に峠を越えてほっと息をついたところです。
ここからの眺めは昔も今も変わらず、山間の集落の景観は、
当時を彷彿とさせてくれます。”
と、あります。
この木と木の間から、集落を望むことができました。
私が今回東京から京都までを歩きたいと考えた最初のきっかけは、
この光景です。
時間ができたら読みたいと思っていた本を読んでいるうちに、
昔好きだった本があったなと思い。
日本史が大好きだったことを思い出し。
昔の人は歩きで移動していたこと。
山を歩いて、少し開けたところから町や村が見える景色が見たい、と思いました。
始めは、京都から奈良や大阪へ抜ける山道を歩いてみたいと思っていたのですが、
何がどうしたやら、東京から京都の旅となったのですがね。。
なにはともあれ、
この旅の中で後にも先にも、山から見る集落の景観は
ここからの景色が一番思い描いていたものに近かったです。 -
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道をふさぐようでいて、
手すりとなってくれている木。 -
箱根峠を思うと、随分と短くて舗装された道に感じます。 -
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秋ではないのに落ち葉がたくさんあるなんて。 -
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今でも忘れられないのですが、
峠を越えて土の道から舗装されたアスファルトに出てきた時、
右に進むか左に進むか地図とナビで見比べていました。
しばし本とナビを見ていると、
左の方からワンワン!と犬の声が。
目をやると、
頭巾をかぶったおばあちゃんが犬を連れて散歩をしていて、
口をぽかんと開けてこちらを見ていました。
そして横で吠える犬。
上下黒の長袖長ズボンに、
黒い帽子に黒いリュックに黒いスニーカーという
不審者スタイルが道中の定番と化していたため、
その反応は致し方ないことでしょう。
この旅で何度犬に吠えられたことやら(^o^;) -
そんなこんなで岡部宿へ。 -
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東海道五十三次のうち、23の宿場が静岡県のようです。 -
私が行った日はちょうどお休みの日でしたが、
本来であれば見学ができるようです。 -
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鏡が誕生する前は、水など反射する物に自分を写して
鏡のようにしていたのだろうか。
小野小町さんは滅多に自分の姿を見る機会がなく、
久しぶりに自分の姿を見た、という訳ではないような気がする。
本当にふとした時、何気ない時に自分の姿をみて
こんな顔だっただろうか、とか
老けたなとか、思うことがある。
そんな感覚だったのかな。 -
名残の松。街道であったことを密かに残す松。 -
江戸時代、田中藩と岩村藩との境目。
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藤枝宿へ。
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歩きながら休憩がてら、甘い物が食べたいと思っていて
見かけたお店。
大正9年から続く老舗のお店でした。
五色金つばが有名なようでしたが、
流石に金つばを5個食べられる自信はなかったので
スタンダードな金つばと、
柏もちの味噌あんを買いました。 -
柏もちの味噌あん。
和菓子のほっとする甘さが身体にしみます。 -
秋葉神社の石祠と常夜灯。
道中で秋葉神社の文字は数多く見かけましたが、
火の神様のようです。
常夜灯は、文字の通り
一晩中付けておく灯りのことです。 -
江戸日本橋から52里目。
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島田の刀鍛冶は、今川・武田・徳川氏など多くの戦国大名に高く評価されたそう。
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島田宿本陣跡。
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銀行の壁だったと思います。
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この辺りで足も気力も力尽き、休憩することに。
近くのスーパーで少しでも地域らしい物にしようと思って、見つけた物。
お茶の葉っぱが入っていました。
味への影響はよく分からず。 -
大井神社。
水の神様を祀っているそう。 -
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写真の下部に切れてしまっていますが、
この下にあった石垣は
江戸時代に大井川の川越稼業の人々が
毎日の仕事を終えて帰る際に、
河原から石を一つ選んで持ち帰り、
それを蓄積してこの土手石垣を築いたそうです。
石といってもそれなりの大きさのある石。
一日の仕事を終えて、それも肉体労働でクタクタになった後に
この石を持って帰り、積み重ねていく。 -
時の鐘。
午前六時と午後六時は、大井川の川越の始まりと終わりの合図だった。 -
「箱根八里は馬でも越すが
越すに越されぬ大井川」
当時、大井川には橋がありませんでした。
流れが急で川幅が広く、雨による増水も多かった大井川は、
当時の人からすると箱根峠をも越える東海道の難所だったのかもしれません。
大井川に橋が架けられなかった理由は、
大井川が幕府を軍事的に守る自然な要害となってくれるから、
とされているようですが、
技術的、費用的、川越に携わる人々への影響など
様々な理由から架けなかった(架けられなかった?)
という説もあるようです。
立派な橋を架けていただきまして、
水の流れに思いを馳せながら歩く現代の私には
やはり箱根八里が最大の難所であると感じます。
https://youtube.com/shorts/2GtzQGERsKA?feature=share -
当時の人々は、橋のない大井川を
「川越人足」と呼ばれる人々に肩車をしてもらうことで渡りました。
この川越人足と呼ばれる人々は、
12歳頃から見習いとして雑用から始まり、
長年に渡る訓練の末に高度な技術を身につけることで成れるようです。
先程の大井神社の石垣の石を毎日持ち帰ったのも、
この方々だったのでしょうか…。思い起こされます。
大井川を渡りたい時には、「川札」と呼ばれる札を購入しました。
一人一枚、大きな荷物などの場合はもう一枚。
川札の料金は、その時の大井川の水深によって変動性だったそうで、
水深が深いほど高くなります。
雨などで大井川が増水や氾濫をすると
もちろん渡ることはできず、
最高で28日間川留めが続いた記録があるそうです。
箱根八里は馬でも越すが、
越すに越されぬ大井川
とは、
箱根峠は馬の力を借りたとしても、少しずつだとしても
何とか越えることが出来るけれども、
大井川は状況によっては
どんなに渡りたくても渡って先に進むことが出来ない。
という意味なのでしょうね。
自分が当時の状況であれば、非常にヤキモキしただろうなと思います、 -
-
これは大井川を渡った後に
奥の方に山が見えて、
「ああ。明日はあの山を越えるのか。」と思って思わず撮りました。
あの斜面に見えるのは茶畑かなあ。 -
金谷宿へ。
この日は途中から雨が降ってきて、
リュックの上からレインコートを着て、帽子を被って歩いていました。
金谷宿へ着いた頃には夕方の時間帯で、
学校や仕事から帰る頃だったのでしょう。
雨の中のレインコートが、私の不審者スタイルを隠してくれるのでしょうか、
もくもくと歩いていたら
何処からともなく
「おかえりなさい。」という声が。
通りがかった民家の軒先にいた方が、
私のことを帰宅途中の人間と思って声を掛けてくださったのでしょう。
小学生の頃、学校帰りに近所の人が「おかえり」と
声を掛けてくれたことを思い出し、
日本の何処にいても変わらない光景に
なんだか嬉しくなりました。
自分は旅人ではありますが、
見知らぬ場所の日常に溶け込めたようで
心があたたかくなりました。 -
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金谷の一里塚跡。
江戸日本橋から53里目。
この日は金谷宿でおわり。 -
この日は金谷宿で終わり、と思ったが
少しでも歩み進めようと思い立ってしまい
20時頃から歩き始める。
本来、金谷宿から日坂宿まで峠となるが
この時間から峠に行くのは危ないので、
掛川から袋井に向かう道を歩くことにした。 -
-
暗い中、愛野駅まで歩く。
歩きながら、5分間隔かと思うほど頻繁に東海道新幹線が行き交うのを見ました。
暗い中、速く長く一筋の光のように新幹線が通り、
道と形は変わっても多くの人々を運ぶ道であることを感じました。 -
-
東海道歩きの際に待ち受けにしていた画像。
分かりやすくポップで気に入っています。
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