2023/05/26 - 2023/05/26
17616位(同エリア45982件中)
ちばたさん
東京から京都まで。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
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昨夜と変わらず、ワンオペで大変そうなお兄さんの手を煩わせ、チェックアウトをする。
昨日のゴールの元箱根港からスタート。
昨日はとても疲れたはずだが、思っていたよりも身体には疲れが残らず動きは悪くない。
道端に咲いていた、きれいなお花。
朝露で透明に光っているように見えた。 -
旧東海道箱根杉並木。
空気が気持ちがいい。 -
湿った土。 -
緑の中歩いていると、足取りも軽く気持ちがいい。
昨日は息も絶え絶えだったのに、朝になるとまた先を進もうとする。
人間の身体とは不思議なものだなあ。 -
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本当は昨日は箱根関所まで行けたら良いと考えていたが、とても行けなかったな。 -
素敵な言葉。
通りを歩くだけなら何時でも可能なようだったけれど、資料館など中も見学するなら9時からだった。
あと15分ほど待てば見学できたが、遠目からなんとなく見ることができたのと、
先に進みたかったため立ち寄らないことにした。 -
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左の建物がトイレ。
清潔で新しく、旅人には快適なトイレでした。 -
山の奥に見える富士山。
随分大きく見えるようになったなあ。 -
失礼ながら駅伝をほとんど見たことがないが、
普段から駅伝を好んで見ている人だったらこういうものを見て感動するのだろう。 -
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時間があれば湖のほとりでまったり過ごしたら気持ちがよさそう。
昨日の夕方に元箱根港のところに着いた時も、
外国人観光客の人達は湖の周りを散歩したり釣りをしている人が割といた。 -
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住宅街を通っていく。 -
また石の道に入っていく予感。。 -
写真を撮っている時は気付かなかったし、見返す余裕もなかったけれど
後から見ると色々な光が入っている。 -
自然なままの石畳と杉並木の道。 -
上の道が国道1号で、下をくぐる。 -
振り返って見たところ。 -
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パノラマで撮ったのかな。
下から上まで自然を感じられて、好きな写真。 -
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脇の草を分けながら進む。
自然がありのままに存在していて、人間がお邪魔させてもらっている気持ちになる。 -
今日は優しい石畳の道。 -
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写真がないけれど、もう少し進んだ辺りから静岡県に入った気がする。
ゴルフ場の看板を進んで歩いていたら、一人のおじさんから「こんにちは!」と声を掛けられた。
「今日は、〇〇(鳥の名前)の声がとても良く聞こえますね!△△と□□も鳴いて、すごい三重奏です!どうぞ、楽しんで行ってください。」と言われた。
(鳥の名前を覚えていなくてごめんなさい…)
たしかに鳥の声がするなあ、と思って歩いてはいたが
その方がとても素敵な笑顔で、この野鳥の声が聞こえることに感動し喜びを感じているんだなあと伝わるようだった。
そして何より、素敵な笑顔で「楽しんで行ってください」と言われた時、自分の中でハッとするものがあった。
自分の意思で京都まで歩くと決めてスタートしたが、足は痛み道はキツく、これまでの自分は歩きながら”しんどい”と思うばかり。
自分はこの旅を楽しんでいたのだろうか。
初めて自分に問いかけた。そうだ、旅を楽しもうと決めた。 -
”私は彼等と共に泣き
また共に笑った
彼等は、ただ私と共にあり、
私はただ彼等と共にあった。”
この宮城まり子さんの言葉が、なんだか新選組を彷彿とさせる。 -
よく分からなくて左側を歩いていたけれど、右側には歩道があったので右側を歩くことをオススメします。
結局右側の土道に入っていくことになりますが、左側を歩いていたために見落として戻るはめになりました。 -
ふと横を見た時に、山を感じた。 -
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八代将軍の徳川吉宗が、ここにあった茶屋で休憩した際に代金を永楽銭で支払ったことから、その茶屋は永楽屋と呼ばれたそう。 -
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かぶとのように見えなくもない。 -
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優しい石の道。
アスファルトと比べて、土は足の裏への衝撃が少なくて優しく感じる。 -
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江戸時代には道中で行き倒れになる人がいたのだろうか。
身重の身体で鎌倉から峠を歩き山を越え、結局山梨で力尽きて御子と共に亡くなってしまった雛鶴姫の伝説が思い起こされる。
こんなに大変な山中であれば、体力や気力が奪われてしまうのも分からなくない。
交通の手段がなかったのは大きいけれど、昔の人は日常的に本当によく歩いたんだろう。そして現代人は文明の発展や便利さと引き換えに日常的な運動が少なくなった。 -
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アスファルトの道へ出た。
三島市に入った。 -
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階段を下りて、また自然の中へ。 -
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木は影を作ってくれて日差しを防ぎ、暑さを和らげてくれる。
と思ったら、朝の箱根の方の杉並木なのか?は、
徳川幕府が旅人に木陰を与えようと道の両脇に植えたものだそう。
400年の時が経っても、これほどの時が経っても同じように旅する者が
その恩恵にあずかっています。。 -
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今回は見ていませんが、中に入って見てみると面白そう。
日本百名山の一つだそうです。400年前の遺構がそのまま復元され、石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しいそう。
山の地形を上手く利用したお城だったのかな。
後北条氏のお城だったが、豊臣秀吉の前に半日で落城した。 -
司馬遼太郎の石碑。
かわいらしい文字。 -
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松尾芭蕉の句碑。
霧しぐれ
富士を見ぬ日ぞ
面白き
松尾芭蕉がここを通った時は富士山が見えなかったんだな。
富士山が見えなくても見えても旅はおもしろいというのは、分かり始めた気がする。 -
気付いたら日本橋から110km。 -
三島スカイウォーク?の近くだったかな。
平日なのに車が割といて、みなさんも楽しんでいるなと思った記憶。 -
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こわめし坂。
箱根西坂最大の難所で、あまりの急勾配に
背負った米が汗と熱気で蒸されて強飯になったことそう。
ふーん?、と思いながら歩いていたが、
次第に随分と長い下り坂だな。
いったいいつまで下り坂が続くんだろう。。と思った。
上りよりも下りの方がきつい。一歩ずつ足にブレーキがかかるようで、足の裏にかかる負担が大きい気がする。 -
富士山はいつ見ても何度見てもきれい。 -
足利尊氏が建てたそう。
側面に何か書いてある。
あしがわの…?読めない(*_*;
東海道中膝栗毛?
足利尊氏の”尊”の字を”高”と変換してしまって思い出したが、
足利尊氏は元は北条高時から一字をもらって、足利高氏と名乗っていた。
鎌倉幕府が滅亡した後、その功績を称えられて後醍醐天皇の諱(いみな)である尊治から一字をもらって尊氏に改めたそう。
諱とは、端的にいうと”その人の本当の名前”で、本当の名前で呼ぶことは、はばかられたそうです。代わりに普段使われた名前が字。(あざな)
現代を生きる私からすると、気軽に本当の名前で呼び合うことがないとか、
仮の名前とか不思議な感覚です。
普段呼ばれない分、本当の名前というのは特別な意味を持っていたんだろうな。
そして、特に一人で旅をしていると他者と会話をすることも少なく
稀に誰かと会話をしたとしても、元から自分のことを知っている人ではない。
夢枕獏先生の陰陽師の中で、
”この世で一番短い呪とは、名だ。”と安倍晴明が言っていた。
そんなことを思い出す。
私達は普段、〇〇〇〇という名前を持っていて、
その名前にだれだれの子どもだとか、親だとか、どこで働いているとか、
あらゆる情報が名前に付随している。
だからこうして日常を離れて、普段の自分を知っている人が誰もおらず
名前を呼ばれることのない状況にいると、自分自身というものや名前に付随した役割も置いてきたような感覚になる。
昔の人は、簡単にいくつもの名前を持っていたのだろうか。
ここでは太郎、ここでは次郎。
名前の数だけ、様々な自分を演じていたのだろうか。
そう思うと、歴史ミステリーのように例えば源義経とチンギス・ハンが実は同一人物だったとか、普通に有り得るような気がしてくる。
名前を変えて、自分の背景を変えて、別の人物としての人生を生きることができた時代なのではないかな。
名前を変えたとしても、その人の中に揺るがないものはあったのだろうし、
もしかしたらその揺るがないもののための一つの行動なのかもしれないし、
歴史に埋もれていった人々が優しい穏やかな世界で生きられたらいいなと思いました。 -
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今更ですが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は江戸幕府が全国を統治するために五街道を整備したそう。江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道で、五街道の中でも一番に整備された。
本来は江戸から大阪まで通したかったが、大阪には豊臣家がいたため京都が終着地となっており、1615年の大阪夏の陣で徳川家が豊臣家を滅亡させた後に京都から大阪までの道が追加され、東海道五十七次となったそう。
参勤交代のための道、旅人のための道ではなく、始めはいち早く江戸と京都を結ぶ軍用道路だったのだ。
幕府は箱根の路を江戸防衛上の要害としたと、どこかに書いてあったな。
東海道の最大の難所が、小田原宿から三島宿までの標高846mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)。箱根の山は天下の険、、、という滝廉太郎の歌があるそうです。
始めは土の道で、あまりに滑りやすいから竹を敷き、延宝8年(1680年)に石畳に改修されたと。
所々、道は変われど当時に思いを馳せながら歩くことができるって幸せだなあ。 -
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大きな立派な木。 -
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三島宿まであと2km。 -
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三嶋大社に到着。 -
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朝から山を下ってきたことが信じられないほど三嶋大社の辺りは町で、山から下りてきた狸のような気分。
わさびが有名なのだろうか。 -
わさびコロッケを食べる。
注文してから揚げてくれたのでアツアツ。
わさび好きとしては全く辛くはないが、わさびの茎が入っていて美味しかった。 -
本わさびのサービスはうれしい。 -
他にも色々なメニューがありました。 -
色とりどりのメロンパンやさん。 -
沼津市に入りました。
人の賑わう町から、車通りが多くて人の少ない道へと変わる。 -
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川沿いはこんな風にきれいに整備されていて、地元の人達が座って本を読んだり、
会話を楽しんだり、走ったり散歩をしたり、憩いの場になっていました。 -
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沼津宿の中村脇本陣跡。 -
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沼津港まで足を伸ばして食べた、おかげ天。
おかげもちを天ぷらにしたもので、15時過ぎだったかな。
朝から何も食べておらず、美味しかった。 -
せっかく海の近くにいるのだから、と食べた海鮮丼。
美味しかったが、疲労のせいかお腹いっぱいに食べると身体の調子が悪くなることを感じる(^o^;) -
沼津宿に着いたあたりで、今日はもう歩けなさそうだと思ったのに、
ご飯休憩を挟んで結局また歩き始めてしまう…。
暗くなり始めた海沿い。
今日一日で、山の中から海の近くへ移動したな。
インド音楽を明らかに音漏れさせながら、ウォーキングしているインドの方がいて和む。
https://www.youtube.com/watch?v=UsWyoDuVzd8 -
また一段と暗くなった。
この時、富士五湖の方で地震があったみたいで、離れていて影響はないけれど
もし今地震がきたら歩いていて揺れに気付かないし、海は近いしで津波がきたら大変だなーと呑気に思う。 -
車通りの多い夜道。
原宿までで終わり。
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