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阿尾城に登城する。兵の跡はなく,神社があるのみ。がっかり。

氷見の阿尾城に登城する。兵の跡もなく,神社があるのみ。がっかり。

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2023/04/20 - 2023/04/20

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nomonomo

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阿尾城に登城する。兵の跡はなく,神社があるのみ。がっかり。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 「阿尾(あお)の城」<br />阿尾城周辺は、大友家持が「英遠(あお)の浦」の歌に詠ん<br />で以来,景勝地として知られ、現代まで数々の作品<br />が残されています。<br />一方、戦国時代は重要な戦略拠点として城が築か<br />れましたが、現在、城跡を連想させるものはわずか<br />です。約450年前の佐々成政と前田利家の戦いで<br />は、この城の動向が戦局を大きく動かしました。<br />本丸跡からは富山湾を一望し,海を隔てて二上山<br />の守山城や放生津(ほうじょうづ)の城を望みます。<br /> <br />氷見市教育委員会<br />とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会

    「阿尾(あお)の城」
    阿尾城周辺は、大友家持が「英遠(あお)の浦」の歌に詠ん
    で以来,景勝地として知られ、現代まで数々の作品
    が残されています。
    一方、戦国時代は重要な戦略拠点として城が築か
    れましたが、現在、城跡を連想させるものはわずか
    です。約450年前の佐々成政と前田利家の戦いで
    は、この城の動向が戦局を大きく動かしました。
    本丸跡からは富山湾を一望し,海を隔てて二上山
    の守山城や放生津(ほうじょうづ)の城を望みます。

    氷見市教育委員会
    とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会

  • 榊葉乎布神社

    榊葉乎布神社

  • 御由緒 <br />榊葉乎布神社<br /><br />御祭神:天照大神,建御名方神,住吉三神,菊理比畔神 <br />御社格:旧村社 <br /><br />当社は大伴家持の勧請なりと伝聞され、阿尾村産神として鎮座 <br />しています。<br /> <br />十六世紀末,肥後の名家菊地氏の末裔,菊地武勝(右衛門入道)<br />が,西国より当地に来往するに当たり、伊勢神宮に詣で,同社<br />の榊樹を阿尾城築城の際に植裁したことにちなみ,榊葉神明宮<br />といわれました。阿尾城には、天正・文禄年間(1573-<br />1596)頃、菊地右衛門入道・十六部父子が居城し,榊葉神<br />明宮を城の守護神として尊崇してきたということです。また,<br />菊地武勝は、北八代に鎮座する式内社 代神社の祭神,葛城襲<br />津彦命を武神として奉齊,祈願初としたとも伝えられています。<br /><br />明治十二年(1879)八月二十二日に榊葉乎布神社と改称,<br />村社に昇格しました。<br /> <br />前の社殿は,総欅造り,瓦葺,平入りで,明治四十年(一九<br />〇七年)九月に造営されたものでしたが,平成三年,台風により<br />損傷したため,平成五年十月に白峰社の新造営と共に改修され<br />ました。しかし,平成七年一月に焼失し、原社殿は平成九年九<br />月に再建されたものです。

    御由緒
    榊葉乎布神社

    御祭神:天照大神,建御名方神,住吉三神,菊理比畔神
    御社格:旧村社

    当社は大伴家持の勧請なりと伝聞され、阿尾村産神として鎮座
    しています。

    十六世紀末,肥後の名家菊地氏の末裔,菊地武勝(右衛門入道)
    が,西国より当地に来往するに当たり、伊勢神宮に詣で,同社
    の榊樹を阿尾城築城の際に植裁したことにちなみ,榊葉神明宮
    といわれました。阿尾城には、天正・文禄年間(1573-
    1596)頃、菊地右衛門入道・十六部父子が居城し,榊葉神
    明宮を城の守護神として尊崇してきたということです。また,
    菊地武勝は、北八代に鎮座する式内社 代神社の祭神,葛城襲
    津彦命を武神として奉齊,祈願初としたとも伝えられています。

    明治十二年(1879)八月二十二日に榊葉乎布神社と改称,
    村社に昇格しました。

    前の社殿は,総欅造り,瓦葺,平入りで,明治四十年(一九
    〇七年)九月に造営されたものでしたが,平成三年,台風により
    損傷したため,平成五年十月に白峰社の新造営と共に改修され
    ました。しかし,平成七年一月に焼失し、原社殿は平成九年九
    月に再建されたものです。

  • 富山県指淀史跡 <br />阿尾城跡<br />昭和四十年一月一日 指定<br /><br />阿尾城跡は富山湾に面した標高20-40メートルの独立丘陵<br />上に立地し、その独特の景観とともに市民に親しまれている<br />史跡である。<br /><br />発掘調査では,伝二の丸・伝三の丸から中世の土器・陶磁器 <br />類が多数出土した。また伝本丸には櫓があったと伝えられ, <br />ここで海上交通を監視していたと思われる。<br /> <br />築城の時期は不明であるが,出土遺物からは十五世紀後半 <br />頃に城としての利用が始まったと推定できる。<br /><br />天正・文禄年間(1573-1596)頃には菊地右衛門<br />入道・十六郎父子が居城した。菊地氏は織田信長配下の佐々<br />成政に従ったが、成政と前田利家が対立すると前田方へと寝<br />返り,一万石を安堵された。<br />しかし,慶長初め(1597)には廃城となり,菊地氏の子孫は加賀藩士となった。<br /><br />富山県教育委員会<br />氷見市教育委員会

    富山県指淀史跡
    阿尾城跡
    昭和四十年一月一日 指定

    阿尾城跡は富山湾に面した標高20-40メートルの独立丘陵
    上に立地し、その独特の景観とともに市民に親しまれている
    史跡である。

    発掘調査では,伝二の丸・伝三の丸から中世の土器・陶磁器
    類が多数出土した。また伝本丸には櫓があったと伝えられ,
    ここで海上交通を監視していたと思われる。

    築城の時期は不明であるが,出土遺物からは十五世紀後半
    頃に城としての利用が始まったと推定できる。

    天正・文禄年間(1573-1596)頃には菊地右衛門
    入道・十六郎父子が居城した。菊地氏は織田信長配下の佐々
    成政に従ったが、成政と前田利家が対立すると前田方へと寝
    返り,一万石を安堵された。
    しかし,慶長初め(1597)には廃城となり,菊地氏の子孫は加賀藩士となった。

    富山県教育委員会
    氷見市教育委員会

    阿尾城跡 名所・史跡

    阿尾城は寺社勢力に占領された。兵ども,奪回せよ。 by nomonomoさん
  • 阿尾城跡 名所・史跡

    阿尾城は寺社勢力に占領された。兵ども,奪回せよ。 by nomonomoさん
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