2023/03/20 - 2023/03/20
277位(同エリア1142件中)
愛吉さん
六本木の新国立美術館でのルーブル美術館展鑑賞後、ミッドタウンで昼食、その後隣の乃木坂に向います。
乃木坂は六本木と青山を結ぶ道、乃木将軍屋敷横の坂道、外国大使館が散在するシックで落着いた散歩道。
乃木坂に来たからには、当然乃木邸・乃木神社に立寄り、最後は向かいの青山霊園で花見を兼ねた名士の墓探し、勿論乃木将軍の墓にも詣でます。
帰途は青山1丁目から地下鉄です。
表紙は乃木邸に設置される”乃木大将と辻占売り少年像”
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄
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乃木坂を登って来ました。
左側が乃木邸、乃木神社です。 -
乃木邸正門。
乃木将軍が明治35年から大正元年迄の10年間を過ごし殉死した屋敷です。 -
門の前に立つ案内標識。
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乃木邸玄関。
軍人らしい質実剛健な造り。 -
馬小屋。
こちらは煉瓦造り。 -
玄関前には、旅順開城の会見場水師営の庭にあった棗の木(孫樹)が植えられています。
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玄関横には”乃木大将と辻占少年”像。
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庭の桜が満開、しばし屋敷をバックにお花見です。
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建物を裏側より見ます。
正面から見ると平屋に見えますが、傾斜地を利用した一部三階建。
玄関を入るとそこが2階、応接と夫妻の居住区域、3階は子息達の部屋、1階が使用人、台所、風呂場、居間となります。 -
現在は建物外部に渡廊下が設けられ、2階の住居部分を見学出来ます。
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覗いてみますが、ガラスが反射してよく判りません。
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尚建物内は将軍殉死の命日を挟んだ3日間(9月12~14日)のみ公開されます。
この写真は2006年に写したもの。
将軍最後の記念写真を写した応接室、将軍が座っていた椅子も有ります。 -
殉死の間。
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庭の一隅には乃木家祖霊社。
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一隅には乃木夫妻の血の付いた品々を埋めた瘞血碑。
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屋敷と乃木神社を結ぶ連絡路(乃木邸裏門)。
神社側より見た処。 -
乃木神社に詣でます。
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一の鳥居。
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今日は結婚式が有るようです。
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二の鳥居を潜って境内。
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乃木神社拝殿。
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宝物殿入口。
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宝物殿内部。
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殉死当日に写した写真がありました。
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遺言書。
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拝殿付属建物より本殿を望みます。
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境内。
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乃木神社を出て10分程歩き青山霊園。
敷地面積79千坪、埋葬体数13万体を数える大きな歴史ある霊園です。
ここは霊園中通り、桜並木が続いています。 -
桜が満開、名士の墓を求めて散策開始。
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桜の下、 古風な墓地が有ります、入って見ましょう。
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警視庁墓地です、西南戦争に参加し戦死した警視庁巡査達の墓地、青山霊園発祥の地になります。
昭和の戦前まで”抜刀隊の歌”として歌われた旧士族を集めた部隊でした。 -
想いを新たに振り返ります。
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乃木家墓処。
入口には鍵が掛かっていました。 -
入って左側に乃木将軍夫妻の墓。
右の三角が乃木将軍の墓、左の丸みを持つのが夫人墓になります。
垣根の外から写しました。 -
反対側、対面して一族の墓。
手前に旅順攻城戦で戦死した二人の子息の墓があります。 -
野津将軍墓。
日露戦争満州派遣軍第四軍軍司令官。左の大きな石碑は顕彰碑。
尚乃木将軍は第三軍軍司令官です。 -
明治の元勲、大久保利通墓。
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戦前の第27代総理大臣浜口雄幸墓。
金解禁で有名、東京駅で狙撃され後死亡。 -
明治の元老牧野伸顕墓。
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小村寿太郎墓。
日露戦争当時の外務大臣、ポーツマス条約の日本主席全権。 -
画家藤島武二墓
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高峰譲吉墓。
タカジアスターゼ、アドレアリン等を発見商業化した科学者兼実業家。 -
小説家尾崎紅葉墓。
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きりが無いのでここで打切り、霊園に別れを告げます。
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青山一丁目から地下鉄で帰路に着きます。
終
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