2023/01/24 - 2023/02/06
55位(同エリア107件中)
なかむさん
ホステルで働きながらサンペドロ・デ・アタカマでのんびり過ごした2週間の滞在記。
観光度合い少なめ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ブラジルからチリ入り。
サンティアゴ空港で夜を越し、早朝の便でカラマへ飛ぶ。
基本的にカラマに用事のある観光客はいないので、着くなりサンペドロに行くタクシー会社からのアプローチを受ける。
低予算旅行の私はなんとかタクシー利用は避けたい。
しかし、どうやらカラマ空港からサンペドロまでバスで行こうと思えば、まずカラマ市内まで行き、そのバスターミナルからバスを拾わなければならないらしい。
断念し、大人しくタクシー業者に頼ることに。
するとタクシーとはいえ12人くらいが同席する送迎バンといった装い。
考えてみれば、この空港に降り立つほとんどの人間がサンペドロへ向かうわけで、しかもその中にスペイン語の流暢でない外国人も結構いるわけだから、一斉送迎は効率的だ。
サンペドロへは1時間半ほど。
目を引いたのは路上で亡くなった人に対するメモリアルの多さ。
その多くがミニチュアの礼拝堂のような見た目をしている。
交通量が決して多いとは言えない道路でいかにして事故が起きるのか少し気になった。
サンペドロの町に到着すると、タクシーの乗客はそれぞれチケット購入時に告げた滞在先で降ろされる。
なので、一斉送迎とは言えタクシーには間違いない。
私が滞在したのは Worldpackers というプラットフォームを介してボランティア滞在を申し込んだホステル。
受付ではやはりボランティアとして滞在しているというアナに出迎えられた。
とりあえずその日は私の業務はないとのことなので、町に出かける。
まずしなければならないことは、2週間後、サンペドロからボリビアのウユニへ行くためのバス情報の入手と現金獲得。
バスターミナルに行くと、ウユニ行きのバスを扱っているエージェントは一社のみ。
バスは毎日出ているが、出発時間は朝4時半とのこと。
チケットは現金でしか購入できず、また当日には買えないだろうから前日までに買うべき、との案内。
※結局、ウユニまではバスを使わずツアーで移動することにした。
ブラジルとは違い、なかなかの現金が必要と見た。
というわけで、町で唯一のガソリンスタンド内にあるATMへ。
とりあえず1万円強を下ろすことに。
※後々、1万円程度では余裕で足りなかったことに気づく
するとなんと1万円≒55,000CLPを下ろすのに8,000CLPをも手数料が取られるという!
14.5%ですか? -
実は、カラマ空港で一度ATMからの引き出しを試みていた。しかしその時は同額のチリアンペソに対し手数料が8,500CLPであった。
空港なので激高なのだろう、と断念したが(それもタクシー利用を決断した理由の一つ)、町でもさほど変わらないのか。
とはいえほかに手段がないので、仕方なく手数料をアクセプトして現金を入手。
それにしても額面が大きいので一体いくらくらい持っているのか分からなくなる。
やるべき仕事を終えたので、昼食。
観光地だからか、なかなかいい感じのメニューを揃えている店が多い。
私がこの店に入ったのは、町中心部から少しだけ外れた、見るからに現地の人が利用してます風だったから。
それでも、「Menu(第一の皿)」「Fondo(第二の皿、メインディッシュ)」「Agregados(おかず)」と用意されている。「おかず」からは2品選択できる仕組み。 -
写真はMenuのPantrucas(なんだかわからないがこの地方のスープだという)。
これに加えてメインディッシュにCarne con Champinones(牛肉とキノコの炒め物)と、「おかず」にサラダとポテトが来た。
率直に言って、かなりうまい。
特にブラジルから来た身としては、失礼だが比べ物にならないくらいうまい。
といってもこの地域は文化的にチリのメインストリームからだいぶ一線を画すので、チリ料理がおいしい、という結論は出さないが、まるでペルー料理。
まぁ、それもそのはず。
到着時は知らなかったのだが、サンペドロ・デ・アタカマは、ボリビア、ペルーの高山地帯と同一のアンデス文化圏を形成する地域に含まれ、類似する先住民文化を引き継いでいたり、同一の先住民言語が話されていたりするのだそう。
あとはビールを買って帰るだけ。
しかしながら、どの商店に入ってもビールを売っていない。
ワインも売っていない。
どうなっているのか。
ホステルに戻りそれを伝えると、買う場所を教えてくれる代わりに一本出してくれた。
有難く頂戴しながら、他の滞在客やスタッフと交流。
昼過ぎの時間は暑いしチェックイン客も少ないので、割と暇そうだ。 -
するとチリ人の同じくボランティアがおもむろに中がくり抜かれたメロンを持ち出し、白ワインを並々注いでいく。
曰く、メロン+ヴィノ(スペイン語でワイン)で「メロヴィン」と呼ばれるものらしい。
これを順番に回し飲みしながら、徐々に溶け出すメロンの甘みとワインを楽しむとのこと。
それだけでも甘いのに、更に砂糖を入れたりもするらしく、私には甘すぎた。
それから陽が下がってきたので、夕日を観に行くことに。
砂漠は明かりが少ないだけでなく空気が澄んでいるのか、アルマ望遠鏡という観測場も存在するくらいで、天体観測には最適。
※アルマ望遠鏡は2023年2月時点で一般ツアーを受け入れていない、少なくともそう聞いた。
無知ながら、ここは夏ながら日本の冬と同じ星座が見えるのだと知り、割と感動した。 -
この日は車をもっている宿泊客に便乗し湖巡り。
リャマに出会えるのは珍しくない。
ちなみにリャマを食することは認められているが、同じく高山に生息するビクーニャは保護されており、食べられない。 -
塩湖上にもリャマの足跡。
ビクーニャが疾走している姿は一度目撃したが、リャマが走っているのは見たことがない。
しかしこちらがいくらそっと近づいても、一定距離以上は近づくことを許さない。
小さな群れで揃って、少しずつ我々から離れていく。
グーグルマップを見るとボリビア国境に近いことが判明。
もう少しだけ足を延ばして国境越えを試みることに。 -
しかしそれはアルゼンチン国境だった。
標識?に張られたあまたのステッカー。
個人で作っている記念ステッカーも割とあった。
国境を超えてみたものの、検査場らしきものは見当たらず。
時間も時間だったので、引き返す。
後から聞けば、検査場は更にアルゼンチン側を進んだ先にあるという。
帰路途中、ブラジル南部から2カ月かけて自転車でサンペドロまで旅をしているという旅行者にあった。
覆われることのない太陽のもとでテントを張っている。
サンペドロまではあと2日で到着するだろうとのこと。
我々のもっている水を分けた。 -
砂漠には群青色、黄色や緑がよく映える。
そこに更なる彩りを添えるのがフラミンゴ。
この地域に生息するフラミンゴは3種類。
アンディーノ、チレーノ、そしてジェームス。
気候変動に伴い高山地帯の生息可能地域が減少しているが、パタゴニア(南米最南部)まで群れで移動できる種類もあれば、できない種もある。
できない種類は必然的に個体数が減少するし、移動種もより多くの期間をアタカマ以外の地で過ごすようになるため、観測できる数はいずれにしろ減っているとのこと。 -
車でのラクチン散策の次はロードバイクで Valle de la Luna(月の谷)へ。
ちなみにこの地では地面が基本的に砂なので、一般的な自転車は使い物にならない。
サンペドロの町から月の谷の入口までは大体30~45分程度。
事前にオンラインで入場チケットを買っていかなければならないらしいが、ウェブサイトがうまく機能せず購入できず。
それを入口で告げると、その場で購入手続きをしてくれた。
しかもカードが使えて万歳。月の谷 (チリ アタカマ砂漠) 砂漠・荒野
-
入口兼案内所では、地図が渡され、コースの説明がある。
英語も可(多分人による)。
ストップポイントがいくつかあり、それぞれのポイントで自転車なり車なりを置き、徒歩で30分~1時間程度のハイキングコースを回る、という作り。
歩き続けることに苦はない私であるが、自転車には慣れていない。
かなりヒーヒーいいながら砂の道を上った(途中で諦め、押した)。 -
そこはまるで火星。
SF映画の撮影現場を歩いているかのような(ちょうど南米行きの飛行機で映画Duneを見たせいもあるかもしれない)感覚を味わいながら歩を進める。
午前10時に入口を出発し、ちんたらサイクリングですべてのコースを回り終わったのは午後3時(一般的には4時間程度が所要時間らしい)。
月の谷にいったん入ると、食事はできない。
持ち込めるのは水のみ。
私は2リットル持っていたが、控えめに飲んでも飲み切ってしまった。
あまりに暑いのだが、あまりに乾燥しているので、まったく汗をかかない。
※サングラスも日焼け止めもなしにキャップ帽子だけで月の谷に挑んだ私の顔と肌は、翌日以降直視できない様態となり、それはサンペドロ滞在後まで続いた。 -
写真に写っている旗の右側はボリビアの国旗。
左側は「Whipala」といって、チリのアタカマ地域ほか、ボリビア、ペルー、エクアドルなどに住むアンデス民族を象徴する旗。
“Wiphai”(アイマラ語で、「勝利の感嘆」)と“Laphaqi”(アイマラ語で、「風が事物をなびかせる様子」)を組み合わせた言葉となっている。
国境がいかに近現代人のご都合で設定されたものかを改めて感じさせられる。
参照:
https://www.stillmantranslations.com/the-meaning-of-the-wiphala-flag/ -
唐突だが、食事の写真を続けて載せる。
サンペドロ初日に、食事の美味しさに驚かされたことは既に書いたが、この感動は滞在中ずっと続いた。
この意見はヨーロッパから来た旅行者とも共有され(時期的な問題だろうか、私の滞在中、会った旅行者はチリ人以外ではヨーロッパ人のみだった)、レストランでは必ずシェアした。 -
こちらはより庶民的なレストランでいただいた Chorrillana(チョリヤーナ)。
炒めた牛肉、鶏肉、玉ねぎなどをフライドポテトと一緒に和え、上に卵焼きを載せたもの。
複数名でシェアして食べるときに最適な一品。
更に言えばチリ人はバーベキューが上手(これもチリに限ったことではないだろう)。2週間の滞在で4,5回はバーベキューをした。
特に印象に残ったのはパプリカを縦半分に切った中に卵を入れるというもの。 -
とはいってもチリは南米で2番目に物価の高い国(らしい)。
しかもここサンペドロは観光地ということで国内でも有数の物価の高さを誇る。
良さげなレストランへ行けば1ディッシュ1500円を超えてくる。
というわけでホステル滞在の貧しい旅行者がファンシーな場所に頻繁に行けるわけもなく、基本的にはホステル内で自炊をするが、なんだかいつも誰かしらがピザを焼いたりキヌアサラダを作ったりと、美味しい料理を用意してくれるのだ。
チリに限ったことではないと思うが、少なくともこの地で私の出会ったチリの人々は、物や時間を共有しあうのが上手だ。
そんな人々と過ごす時間は、そのやり方に慣れない日本人の私からすると少しの緊張でもあり、同時に圧倒的にかけがえのないものであった。 -
ナイトライフについても少し。
南米有数の観光地であるサンペドロ・デ・アタカマは、人口4000弱という規模に対しバーやクラブが充実している。
特にライブ音楽が聴けるこの店がお気に入り。
食事の注文が必須なので、お財布の寒い我々がいつも選ぶことになったのは一番安い「巻き寿司」(笑)。 -
ちょうどこの日はクンビアの日。
クンビアとは南米のいくつかの国で演奏される音楽とそのダンスであるが、国によって音楽もダンスもだいぶテイストが違うらしい。
チリの歌だけでなく、レディーガガなどのポップスをクンビアにアレンジした演奏などもあった。
夏とはいえ砂漠の夜は寒い。10度くらいまで下がることも珍しくない。
だがここでは焚き火を囲んで踊りまくり、暖かい夜を過ごせる。 -
さて、観光の話に戻る。
この日訪れたのは、町から自転車で30分程度の「Garganta del Diablo(悪魔の喉笛)」。
「悪魔の喉笛」という名称はイグアスの滝でも出会ったが、「悪魔」がついた観光地が世界中にやたらと多い気がするのは、それがそれだけ身近に語られる存在だったということか。
とにかく、この喉笛は岩の渓谷に囲まれた砂地一帯。
30分程度と書いたが、先日の「月の谷」サイクリングで自転車での登りに懲りた私は、もう自転車など漕がないと誓い、なんと徒歩で1時間半ほどかけてやってきた。
(するとほぼ登りはなく、自転車でも余裕の道のりだったことが判明した) -
またしても汗をかかさない太陽の真下でひたすらに砂を踏みしめる道中、知り合ったチリ人アレクシス。
カラマ(空港のある町)で働いているという。
自転車のない私を見かねて、なんと彼の自転車の前部分に私を乗せ、30分の道のりを町まで送ってくれた。
「アタカマにもUberがあるんだよ~!(笑)」とアレクシス。
※Uber:車個人所有のタクシーサービス。南米では都市部での利用が一般的。
かなり楽をして町に戻ってきた後、彼と一緒に一日観光に来ていた同僚に食事まで奢ってもらい、彼らがカラマに戻るバスを見送り、ホステルへ戻ったとさ。 -
続いては隕石博物館。
18時から21時まで開いている(屋内なので、理由は不明)。
隕石は地球上どこにでも落ちるが、乾燥しているため砂漠ではその保存状態が非常に良い。
ここでは実際に隕石に手を触れたり、磁力を確かめたりと、数種類の隕石の違いについて知ることができる。
何を隠そう、私がもともとアタカマ砂漠を訪れたいと思ったきっかけは、『光のノスタルジア』(パトリシオ・グスマン)というドキュメンタリー作品。
ピノチェトによる軍事政権を扱った作品ではあるものの、天文学の話題も登場し、映像とはいえその星空に圧倒された。
だからこの地で星空観測をすることは私のタスクでもあったのだが、残念なことに滞在中のほとんどの夜、空は雲に覆われ、天体観測ツアーもことごとく中止となり、結局まともに星を見れたのは初日だけだった。
だからせめてもとの思いで訪れたのがこの博物館、というわけだった。隕石博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ブラジル同様、サンペドロでもたくさんの犬を見た。
そのほぼすべてが中型~超大型犬だったが、ブラジルとは違い、人に構うことなく、吠えもせず、ただ横たわっているものが多い。
しかし思いがけず、この日のハイライトはその後に訪れた。
この日ばかりか、サンペドロ滞在のハイライトとも言うべきかもしれない。
隕石博物館から町の中心部まで戻ってくると、ちょうど町に夕日が差し込むマジックアワー。
そんな中、何やら騒がしい音楽が聴こえてくる。
中央広場まで来ると、複数の人だかりができている。
それぞれの輪の中では、ボリビア舞踊特有のド派手衣装に身を包み、ダンスを披露している人々と打楽器&金管楽器編成の音楽隊が。
それは、この地では毎年2月頭に開催される「Virgen de la Candelaria(カンデラリアの聖母)」の祭りだった。
スペインに由来するこの聖母の祭りは、カトリックを起源としスペインおよび南米の至るところで開催されているが、南米ではそれぞれの地域で先住民族の信仰と相まって独自の色を出しているそうだ。 -
サンペドロでは、各グループは地域の有力家族により組織され、その家族の者でなくとも参加することができるとのこと。
祭りは夜まで続き、演奏と舞踊を終えたグループのメンバーはお互いに抱き合って祝福する。
上の写真は熊と鹿のような動物を真似ているかのような衣装。
どちらもこの地に存在する印象が薄いので、別の動物かもしれない。
これと同じ衣装を、その後に訪れたボリビア・オルロの祭りでも再度目撃することができた。
最後の観光は「Geyser del Tatio(タティオ間欠泉)」。
サンペドロで参加した唯一のツアーとなった。
サンペドロから車で一時間ほどのタティオは世界の間欠泉の中で3番目に大きく、南半球では最大。
化学にも地質学にまったく明るくない私にはさほど理解できなかったが、
間欠泉というのは、なんでか地中にできた穴に貯まった水がその下のマグマで熱くなった結果なんか圧力っぽいものが生まれて地上にプシュゥーっと飛び出すもの。
何だかよくわからないが、ツアーに申し込むならどれ?と聞くとこちらを勧められたので参加してみることにした。 -
朝4時半にツアー会社が参加者のホテルに迎えに来て、間欠泉へ。
早朝に開催される理由は、外が明るくなってしまうと噴射が見えないから。
タティオの標高は富士山頂上を優に上回る4300メートル超え。
できうる最大限の防寒をしていったけれど足りず、ガイドさんにもこもこジャケットを貸していただいた。
間欠泉にもそのメカニズムや含まれる成分によっていくつかの種類があるということで、いくつかの噴射を回りながらガイドさんがスペイン語と英語を駆使しながら説明してくれた。
噴射も常に吹き出しているものから、十分に一回といった頻度で吹き出すものまで様々。
しかし繰り返しになるが地質現象に大きな関心を抱かない私には、日の出に照らされる高山の景色の方がよほど感動的だった。タティオ間欠泉 自然・景勝地
-
間欠泉を出発した後、ホラー映画のロケ地のような霧に包まれた空間にバスが停車し(道路上!?)、朝食。
ドライバーさんとガイドさんが手分けして手慣れた様子でセットしてくれる。
大量の卵を放り込んだスクランブルエッグはその場で調理する。
他の会社のツアーに参加した人も同様だったそうで、お決まりのコースのよう。
我々には、自分たちがどこにいるのかさっぱり分からなかったが、それぞれのツアー会社でぶつからないように場所が決まっているのだろう。
霧に包まれていたので周囲がまったく見えなかったが、実は他のグループも案外近くにいたのかもしれない。 -
お腹が満たされ、太陽が昇ってくると一気に暖かくなる。
つい先ほどまで厚手の服を4, 5枚くらい着こんでいたのに一気にシャツ一枚でちょうどよい感じに。ガイドさんにいたっては半袖だ。
フラミンゴが見える湖などに寄ったりしながらサンペドロまで帰着。
ツアー終了は午前11時半くらい。 -
そういえば町中心部の写真をほとんど載せていなかった。
これはあらゆる観光地までの距離を示したよくある矢印看板・・・かと思えば、よく目を凝らせば「TOKIO 16985 KM」「MURALLA CHINA 21515 KM(万里の長城)」とか、「JUMANJI」まで。
※JUMANJI:架空の世界を舞台にしたファンタジー・アドベンチャー映画
町の中心部には、レストランやお土産店ほか、ツアー会社や両替店が並ぶ。
呼び込みはほとんどないので歩きやすい。 -
滞在日数も残りわずかとなり、遠出する元気もなくなり、近場で行けるところということで立ち寄ったのがサンペドロ中心部から徒歩10分程度の博物館。
「Museo R. P. Gustavo Le Paige」とかいう仰々しい名前がついているのだが、要は民族文化保存館。
Le Paigeさんというヨーロッパ人が、出土品の保管・展示に尽力したそうな。
古代の石器、土器から、時代はやや不明だが装飾品、楽器、毛を使った衣類などが展示されている。
展示の説明はスペイン語オンリーだったが、
たまたま博物館の入口で出会ったインドからの旅行者がなかなか積極的なタイプで、受付の方に英語での説明を依頼したところ、
たまたまその場に居合わせたチリ国内からの客が英語に堪能だというので英語で案内してもらえることになった。
フリーライダーとはこのこと。
日本語で書かれていても多少は読み飛ばすであろう各展示の説明を、事細かに自らの考察なども含めながらとても丁寧に説明していただいた。
その後、特にすることもなかったのでそのインドからの旅行者と、以前「悪魔の喉笛」に行く途中で素通りした「Pukará de Quitor(プカラ遺跡?)」という昔この地に暮らしていた民族の集落が見学できるという場所に行ってみることに。
※2023年2月時点では集落跡地の見学はできない。しかしコースからサンペドロの町が見渡せるらしい
彼女は画家。
先住民族のアートにはインスパイアを受けるという。
徒歩1時間ほどの道のりを、川らしきもの沿いにつらつら歩く。
何しろ干からびた土地なので水がないのだ。
「これがサンペドロ最大の川ね(笑)」
カースト制度や、インドではいとも珍しい彼女の離婚経験などについて話していると、雲行きが怪しくなる。
そして我々が Pukará de Quitor に到着した途端、
ザーーーーーー
急に信じられないくらいの大雨が降りだした。
入場料を払う受付では、「入ってもいいですが雨なので足元が危険です。入ることはお勧めしません」。
既に中に入っていた客も続々と受付(屋内)に避難してくる。
結局入場は諦め、町までのタクシーを依頼することにした。
ところがそのタクシーも久々の大雨によりなかなか来ることができない。 -
するとそれまでまったく仕事をしていなかったようなマネージャー的なスタッフが、ケーナ(縦笛)とサンポーニャ(写真の笛)でアンデス音楽を演奏してくれた。
聞けば夜は町中のレストランでバンド演奏をしているらしい。
インド人のアーティストはそのお礼にと、彼の似顔絵を描いた。
描き終えたときにちょうどタクシーが到着し、スタッフに別れを告げてサンペドロへと戻った。プカラ遺跡 史跡・遺跡
-
サンペドロへ戻る帰路より。
「川(笑)」が1時間そこらで正真正銘の川になった。
これだけの雨は4, 5年?ぶりらしい。
ホテルに戻ると、普段はテラスやらバーベキュー場やらプールなど、思い思いの場所でくつろいでいる宿泊客らが所狭しとロビーに集まっていた。
なんだか修学旅行みたいだ(笑)。
その日はそれから遅くまで、それまでほとんど交流の場に現れなかった客も一緒に飲み明かした。 -
翌日、町は冠水状態。
しかし私は次の日にボリビアへ行くツアーに参加するため、チリアンペソをボリビアの通貨、ボリビア―ノに換金するという仕事があった。
そして残ったお金(かなり僅かだったが)で、これまでに多大にお世話になったホステルの人々に酒と食事を振舞いたかった。
なので土砂水にはねられること必死で町へ行き、最後の町ぶらりを楽しんだ。
(ちなみに旅の初日に判明しなかったアルコールの購入場所は後に教えてもらった。そういった店は主にアルコール飲料を専門としており、鉄のバーが店先についている。)
翌日、雨の影響でウユニ塩湖ツアーの出発時刻は朝7時半から朝4時半に変更となり、私は皆が眠る中ひっそりとアタカマを出発した。 -
初日に見て、以来それ以上のものを見ることのなかった星空。
パトリシオ・グスマンが私に感銘を与えた満天の星空を見るため、またこの地に戻ってきたい。
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