ニューヨーク旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2020年2月にエクアドルへ行って以来の海外旅行です。最近は年に4~5回はどこかへ行っていた私としては異例のことです! もちろん、原因は新型コロナ禍による世界的な混乱のためです。2019年のカリブ海・セントマーチン島とプエルトリコ旅行、2020年エクアドル旅行に続きニューヨーク市経由です。同じニューヨーク州に1年間AFS高校留学した私ですが、田舎はともかく都会のニューヨーク市にはあまり興味はありませんでした。物価も高いし。でも行けば、ブロードウェイもあり最近はミュージカルを楽しみます。もう40年くらい前に初めてニューヨーク市ブロードウェイのミュージカル「キャッツ」の有名な歌「メモリー」の高音にしびれて以来のミュージカルファンです。<br /><br />馬鹿げた帰国後の2週間の隔離等がなくなり、搭乗72時間以内のPCR検査だけになったので、どうしても参加するつもりだった7月の同窓会にギリギリ間に合いました。ラッキーなことに出発の約1ヶ月前に米国への入国に必要な24時間以内のコロナ抗原検査も廃止され、福岡からの私は東京で前泊せずに、羽田か成田か選べるニューヨーク路線で羽田乗り継ぎ便でスムーズに行けました。需要が減っているので、乗り継ぎ便の福岡~成田路線が今は大手航空会社ではないようです。<br /><br /><br />【2022年7月6日(水)】<br />前回同様、福岡を午前7時25分のJAL早朝便で羽田空港へ行き、11時頃のJALニューヨーク直行便へ乗り継ぎます。<br /><br />時差の関係で出発時刻とほぼ同じ午前11時過ぎには(現地時間)ジョンFケネディ(JFK)空港へ着きました。11時15分頃から入国審査で長い行列に並び、自分の順番が来たのは12時35分くらいで80分もかかりました。でも、自分のはたった数分でマスクを外して写真を撮られたくらいですぐに終わりました。長く時間がかかる人がいるのは、長期滞在でビザをチェックしたりする必要があるのでしょう。<br /><br />こういう時間を計算して余裕をみているので、Skyscannerで予約したJFK空港からバッファロー空港への乗り継ぎ便はデルタ航空の16時50分発を予約しています。出発前に盛んにテレビCNN放送(ケーブルテレビでいつも見ている)でアメリカ国内は職員不足でキャンセルや遅延が相次いでいると言っているので、心配していました。ところが、運よく遅れるどころかむしろ予定の18時39分より早く着きました。でも最近多いのですが、空港のレンタカー会社での手続きに結構時間がかかります。結局バッファロー空港を出発できたのは20時近くでした。<br /><br />ガラ携とスマホを両方持っているのですが、両方ともソフトバンクなので子会社化していた米国のSprintのG3,G4が相変わらず、そのまま使えます。これは便利です。しかも後でわかったのですが、スマホではあまり使っていなかった米国人からもショートメールが届くし、国番号を入れなくてもショートメールもそのまま打てるようです。<br /><br />本当はI-90(I は interstate(州間)で要するに、全米にある高速道路)に乗れば1時間足らずなのですが、今回は高速道路はひたすら避けました。ニューヨーク州は全米でも数少ない有料高速道路です。でも、金額はしれています。1時間乗ってせいぜい5ドル程度(円安で1ドル=約140円で計算しても700円程度)ですが、最近現金で乗れるレーンがなくなったようです。日本と同じでETCパス類似のパスカードを持っていないと、どうもプレートナンバーを自動で読んで後から請求書が来るらしいのです。<br /><br />これには、懲りています。レンタカー会社が勝手にクレジットカードで決済してくれればいいのですが、そんな契約はなさそうで、たぶん交通違反の切符と同じで後から請求書が来て、しかもニューヨーク州はクレジットカード決済は受け付けないので、日本の銀行で時間と手数料をたっぷりとられての送金になります。ウンザリします。それを恐れて、今回はI-90 を使わないと決めています。でも、持って行ったいつものポータブルGPSが調子悪く、スマホのグーグルマップのナビを使っても分かりにくく(しかも途中で電池切れ)、2時間以上かかりやっと目的地のWestfieldへ夜遅く22時頃モーテル到着しました。<br /><br />このモーテル、Thruway Holiday Motelは以前にも泊ったことのある便利な場所にあるのですが、今回は大失敗でした。アメリカの物価高と円安のダブルパンチとは言え、このぼろなモーテルが1泊2万円もします。時期も悪く、独立記念日の週末の翌週のせいかもしれません。しかも後で分かったのですが、ベッドメークのサービスも無くなりタオルを代えてくれるだけです。多くのモーテルにあったパンとコーヒー程度の朝食もありません。おまけにテレビまで時々電波状態が悪く映りません!もともとこのウエストフィールドは田舎で地上波の映りが悪いのです。<br /><br /><br />【7月7日(木)】<br />最初の朝食は、町の中心にあるMain Dinerにしました。定番の目玉焼きにハム、トーストにコーヒーです。実はその前に、メソディスト教会の横の以前にホストファミリーとも行ったことのある懐かしいレストランへ行こうとしましたが、何とついに潰れていました。4、5年前まではやっていたはずですが、日本と同じでこのコロナ禍で潰れたのでしょうか?<br /><br />今日、明日は予定はないので、誰から会いに行こうかと思い、まずMr.&Mrs.Ponkaに電話しました。焦りました。Mr.Ponkaが出たのですが、セールスと間違われたようですぐに切られました。それで、もう一つ登録してある電話へかけました。日本と違って、アメリカの携帯電話の番号は固定電話と同じような番号(つまり地域番号から始まります)です。つまり、契約者の住んでいる場所の番号です。<br /><br />とにかく、今度は何とか教え子の私だと認めてもらい話ができました。都合を聞くと午後3時頃に来てくれと言われました。<br /><br />それで、午前中はまずNorth East のホストファミリー(両親)のお墓へ行くことにしました。車で20~30分程度の町ですが、Ripleyの町をはさんで隣の州、ペンシルベニア州です。Edwardsのお母さん(ホストマザー)の親戚が沢山いるので、何度も連れて行ってもらいました。ホストファミリーEdwardsのお父さんとお母さんの墓で何度か行きました。何とか、どの辺のお墓か覚えています。アメリカらしく、一時期軍人だったお父さんには記念のメダルが墓石の前に飾ってあります。<br /><br />昼食もそこで取りました。そして、午後3時頃約束のMr.& Mrs. Ponkaに会いにWestfieldへ戻りました。Mr.Ponkaは名前通りポーランド系の人で私のお気に入りのフランス語の先生でした。また、奥さんのMrs.Ponkaも金髪の美人教師でした。私の英語、つまり国語の先生でした。今回、話をしていて改めて私の留学した1971年の夏の少し前に結婚したようでした。しかも、奥さんは隣町のMayville 出身だそうです。改めて知りました。<br /><br />前回(5年前)同様、裏庭で3人で話をしました。以前話題になったので、できたらポーランド料理を食べてみたいと言ったら、残念ながら準備に何日もかかるので次回は前もって言ってくれとのことでした。<br /><br />いろいろな共通の知人の話題が楽しいのですが、気になっていた世話になったSchonersさんのお父さん、お母さんどころか娘のRobin(私と同年代)も最近亡くなったそうです。お母さんが親切で、留学生の私を自分の職場の芸術で有名な短大(SUNY at Fredonia; State University of NY;ニューヨーク州立大学フレドニア校)のミュージカルなどにたびたび招待してくれました。たぶん、娘ロビンが同じAFSでベルギーへ留学したことから私にも親切だったのでしょう。<br /><br />3人での記念写真を誰かに撮ってもらいたいなと思っていたら、ちょうど見覚えのある中年の細い女性がやって来ました。確か、5年前にも会った近くの有名なChautauqua Institution の楽団のバイオリニストです。もちろん、相手も私のことを覚えていました。<br /><br />言葉に、発音にこだわる私です。このChautauquaは綴りでもわかるように特殊な英語です。よくあるスペイン語でもなく、インディアン(今はnative Americanと呼びますが)語です。全米にインディアンは住んでいたので、私は各地で違う部族に会っています。顔だちもそれぞれ特徴があります。でも明らかに我々日本人、アジア人と似ています。意外なことにここニューヨーク州にも部族がいました。<br /><br />これを便利なグーグルマップでは、「シャトークア」と表記しています。たぶん、このまま発音したら現地では通じません。私は留学時代の一年間ずっと聞いていましたから。このInstituteの名前でもあり、湖のなまえでもあり、この地区のCounty(郡)の名前でもあり、頻回に聞いていたし私も発音していたからです。敢えて日本語表記すると「シ・タークヮ」のように聞こえます。アメリカ英語の難しいところです。この地区は五大湖沿岸でアメリカ英語としてはほとんど標準と言っていいと思います。私が50年も前に一生懸命勉強したNHKのテレビ、ラジオの英語の発音そのものでした。唯一、違和感があったのがdawnのように「ドーン」に近い発音をこの地域ではどうも「ダーン」に近い発音するくらいでした。ですから、このtauもグーグル日本語表記「トー」よりは「ター」に近く聞こえます。<br /><br />Chautauqua Institutionは全米的にも有名らしく、シ・タークヮ湖(五大湖のエリー湖の近くで、もちろんもっと小さい湖でちょうど直角の方向にひょろ長い)に面した、富裕層の避暑地です。滞在するにはかなりのお金が必要なはずです。敷地内に入るにはゲートがあり、有料で確か10ドル(今のレートだと1,400円)程度必要です。何度か行きました。何故なら、お世話になった同級生ミード家の夏の別荘があるからで、今でも家族は夏には順番に家を利用しているからです。残念ながら数年前にお世話になった両親は亡くなりましたが。<br /><br />たぶん中に入るだけで有料なのは、無料の野外劇場がありかなり有名な歌手のコンサートや先述のクラシック音楽の演奏会などがあります。しかも、私の滞在の直後の8月頃ここで有名なイギリスの作家、サルマン・ラシュディ氏が講演中に襲われるという事件がありました。<br /><br />楽しい会話を終わり、お別れしました。次回は数か月前にお願いして是非ポーランド料理をご馳走になろうと思います。もう二人とも80歳近い高齢なので、なるべく早く来ようと思います。<br /><br />もう午後7時をとっくに過ぎていて、8時閉店のレストランも多く何とかBar &amp; Grill に間に合いました。そして、外に出ると夏時間で日没が遅く、五大湖の一つエリー湖(村の一部でバルセロナという地名)も近いので慌てて車を飛ばせ、午後9時前で何とかぎりぎりエリー湖に沈む日没の写真が撮れました。<br /><br />この日はまだ時差ボケもあるので、午後10時半頃には寝ました。<br /><br /><br />【7月8日(金)】<br />いよいよ、今晩が目的の同窓会の前夜祭で同級生の一人Rick Mathewsが家を開放してみんなが集まります。<br /><br />朝は7時45分頃までゆっくり寝れました。早朝覚醒に悩まされている最近の私にしては珍しいことです。時差ボケのおかげでしょう。今朝もゆっくりしました。<br /><br />午後1時頃2つ隣村のSherman に住む Jerry & Pam Warner夫婦に会いに行きました。もう何度も遊びに行った家です。その前にChautauqua 湖近くのレストランでスープとサラダを軽く食べました。ジェリーは一つ年下の親友ですが、スポーツ万能で私ともレスリングと陸上の学校スポーツで一緒でした。アメリカは日本と同じでスポーツは学校のイベントです。ヨーロッパなどはサッカーで有名なように地域のクラブ活動ですが。<br /><br />ジェリーはアメリカ人にしては小柄で160㎝台ですが、スポーツ万能で特に私がファミリーチェンジした後は、家が学校の近くにあったのでよく立ち寄ってくれ、当時から付き合っていた隣町のパムとののろけ話をしに来てくれていました。この夫婦はアメリカ人にしては珍しく、そのまま結婚はともかく離婚もせずずっと仲良しです。ですから、二人とも私は50年前からよく知っています。しかも、パムの家には同じAFS留学生ティーナがノルウェーから来ていました。おかげでティーナとは連絡が取れ、4~5年前にオスロでのAFS行事のついでに会いに行けました。<br /><br />午後5時20分頃まで色々な話をしました。もちろん、共通の先生(スポーツのコーチ)や友人の話しもしました。そこで、今回も会いたいと思っていたレスリングのコーチ、Mr.Lynnが体調不良で息子の所にいるらしい(道理で連絡がつかない)ことが分かりました。<br /><br />夕方6時頃Westfieldの中心地に戻り、フェイスブックで知り合ったDeniseの店へ行き、初めて会いました。偶然同級生Steveの弟Howard夫婦にも会いました。小さな村ですから。軽く30年前くらいにようやくできたマクドナルドでQuarter pounderを食べてから、いよいよ前夜祭のRick &amp; Cindy Mathewsの家へ行きました。<br /><br />少しずつ同級生が集まっています。アメリカの特徴で本番の同窓会でもそうですが、夫婦同伴で来ている人も多いのです。日本では考えられませんが。まず、Sue Woodwardと旦那さんに挨拶。North Eastに住んでいるらしい。若い頃から色っぽかったGinny Allen(Anderson) Kingに会いました。名前で分かるように再婚したようで、旦那さんとは初対面です。でも、その旦那さんから嬉しい情報が入りました。<br /><br />私を見て、元留学生とすぐ気が付いたらしくひょっとしてAFSの留学生かと聞かれました。そうだと答えると、Mr.Bill Flandersを知っているかと聞きます。えっ! 今でもよく覚えているAFSの地域代表で、2ヶ月毎に地域の約15名のAFS留学生が寝袋持参でovernight picnicと呼び、土日にフランダーズさんの家に集まっていたのです。もちろん、忘れられない楽しい思い出です。実際、その時の友だちノルウェーのティーナ(先述のパムがホストシスター)の家に5年ほど前に私は遊びに行ったくらいです。<br /><br />その時に大変お世話になった人で、ひいては今私がAFSの博多支部長(無償ボランティア)として活動しているのもその時の恩返しのつもりです。なのに、同じ村ではなく隣村だったせいか積極的に消息を訪ねて会いに行こうとしていなかったのです。ところが、その恩人Mr.Flandersが何と99歳で元気に一人で暮らしているという情報をもたらしてくれたのです。<br /><br />後からイタリア好きになった私ですが、何故か目立つ(南部出身者が多いので、黒髪、目も割と黒い)のでイタリア系のRosemaryとKaren Trippyとは結構仲が良かったのです。カレンは旦那さんと近くの小都市Jamestownにいるのは知っています。<br /><br />後は、いつもの仲良しSteve, Brad, Chris, Dan, Jimと女性のNancyとTerryなども来ています。<br /><br /><br />【7月9日(土)】<br /> 昨日は朝食を抜いたのですが、今朝は昨夜会った友達とよく夜食感覚で訪れていたJack‘sへ行きました。エリー湖沿いのバルセロナにある店ですが、昔とは経営者が変わりました。メニューも。 <br /><br />今晩はいよいよ同窓会の本番ですが、夕方までは暇なので誰かに聞いたノースイーストで消防のパレードがあると聞いたので、再度North Eastへ行きました。ゆっくりして10時半頃から行って、中心地をうろうろしていたのですが、少し早く行き過ぎたようでやっと午後2時15分頃からパレードが始まりました。でも、消防車でうるさいだけで意外とつまらないので、3時半頃まで見て帰りました。<br /><br />一度モーテルへ戻りゆっくりしたのですが、ゆっくりし過ぎて、6時半過ぎにギリギリ会場へ到着しました。バッファローから来る時に通っていて場所が分かっているつもりだったのですが、事故があったらしく、会場の目の前でパトカーが多数いて、そのために一部道路が閉鎖されていたので遠回りしたりして危うく肝心の本番の50周年 WACS同窓会に遅刻するところでした。今回は今までで一番遠くの会場でした。車で30~40分もかかる場所です。いつもはウエストフィールドの街中のレストランだったのですが。<br /><br />今は公益財団法人になっているAFSという世界的な高校留学の老舗ですが、私の時は日本政府の文部省による国費留学生でした。私が留学した学校はWACS(Westfield Academy and Central School)という一見立派な名前の学校ですが、実はこの辺の田舎の学校のことで、セントラルの意味は何と幼稚園の年長から高校3年生までの13学年が全て一つの学校になっているのです! 日本では田舎でもこんな学校はありません。ですから田舎ですし、一学年たったの110名ほどでしたが、90人くらいは転校生以外はずっと同級生で幼ななじみで仲がいいのです。私の留学時代は高3に入れてくれていたので一緒に卒業し、おかげで同窓会(Class Reunion)にも呼んでもらえるのです。<br /><br />料理はローストビーフ、サラダ、チキン、パスタ、ポテトなどでまぁまぁです。デザートは誰かの手作りと思われます。私は日本からの抹茶味のキットカットなどを持って行き、今回は好評で全て無くなりました。と言うのは、以前に2回も失敗したのですが、日本を出る時につい自分の好きなあんこ系の和菓子を買って持って行ったのです。どうもアメリカ人には甘い豆であるあんこは不評のようです。もちろん、みんな遠慮して不味いとは言いませんが、あまり食べてくれないので分かります。<br /><br />私は海外旅行の時はいつもデジカメを準備しているので、各テーブルを回り全員の写真を撮りました。今回不満だったのは手抜きで室内で25人くらいが並び全体写真を撮るのですが、誰もちゃんとしたカメラではなく適当に何人もの配偶者がスマホのカメラで写真を撮るだけでした。私も少し躊躇したのですが、誰かに私のデジカメで撮ってもらうべきでした。後で、送ってもらった全体写真はイマイチでした。<br /><br /><br />【7月10日(日)】<br />朝食を初日と同じ中心地にあるMain Dinerで。取り敢えずの4日間のモーテル、Holiday Motelをチェックアウト。以前にも泊ったことがありますが、今回は円安があるとはいえひど過ぎました。ベッドメークもなく、テレビも時々電波が乱れるようなぼろホテルで一泊2万円はひど過ぎます。<br /><br />早速、10時過ぎにMr.Flanders に会いに行きました。隣町のMayville でChautauqua湖の近くです。一軒家風のアパートでした。娘さんが一緒にいました。でも、一緒に暮らしているのではなく近くに住んでいて時々訪問しているようでした。突然の私の訪問にもちろんビックリしていました。でも、50年前のAFS留学生としてお世話になったので、覚えてくれていないはずがありません。99歳ですが、お元気なようでした。流石に歩き方は少しぎこちないですが。<br /><br />私としては、この近郊の世界中からのAFS留学生(約20人くらい?)が2ヶ月毎くらいにこのフランダースさんの当時の自宅へ集まり、土・日に泊まり込みで楽しみました。留学先はアメリカですが、この経験によって一気に世界中の友だちができました。楽しい青春の思い出です!同じアメリカ大陸で中南米からの留学生も多く、スペイン語が飛び交っていました。ローマ字読みの発音で知らなくても音は聞き取れ、それ以来スペイン語には興味を持っています。ラテンで明るい人が多いのも特徴です。一緒にみんなで遊ぶ時はもちろんサッカーです。当時は日本ではJリーグもなくマイナーなスポーツでしたが。 <br /><br />しかも今頃知ったのですが、フランダースさん自身がホストした留学生は私の8年くらい前で日本人(Shigenori Sadashige)でした。出世して、南ア共和国の大使などを務めた有名な方のようです。<br /><br />13時頃にお別れして、隣にあるイタリア料理店Andriaccio’s Restaurant で昼食に懐かしいミートボール・スパゲッティを食べました。トマトソースは酸味の利いた懐かしいアメリカの味です。でも、残念ながらアメリカのスパゲッティはアルデンテと正反対で相変わらずイマイチです。<br /><br />少し迷いましたが、残りの3泊はこの近くのChautauqua 湖に面した小ぎれいなWebbs Motelにチェックインしました。だいぶキレイで1泊はむしろ1.8万円程度です。但し、3泊目は満室で空室がないと言われましたがキャンセル待ちで何とかなるだろうと判断しました。<br /><br />今日は例年のOx Roastの日です。ボランティアである消防署が資金集めのためにエリー湖岸のOttaway 公園で、名前の言われのオス牛のローストビーフを中心に提供するものです。日本で言えば、盆踊りで人が集まるような感じです。5年前に勘違いして午前中から来ましたが、午後1時からしか始まりません。それで今回はゆっくり15時頃来ました。<br /><br />ゆっくり、私の同級生の一角を探そうとすると、オーストラリアへ留学したという女性が話しかけてきました。その後、昨日同窓会で一緒だった友達の集まりを見つけました。昨夜来ていなかったWendeもいました。でも、途中で年下のBetsy Cleveland(コスタリカに毎年行っている)と再会し、Terryの妹・Barbara にも会いました。Steve, Brad, Carolなどもいました。<br /><br />今まであまり親しく話したことがなかった190㎝くらいある同級生のJeffと初めてゆっくり話しました。何と彼は高3の時にすでに働いていて、学校には午前中しかいなかったそうで、道理で仲良くならなかったはずです。<br /><br />17時頃になって、陸上のコーチでもあり、レスリングのサブコーチでもあり、また体育の授業の先生でもあったMr.Mike Clucheyの家へ遊びに行きました。奥さんのBettyもいました。若い頃、千歳基地にいた時の話しをしてくれました。幸い、日本でのいい思い出のようです。でも、改めてこのスポーツの恩師の指がリウマチでかなり変形しているのを見るのはショックでした。<br /><br />それから、19時20分頃以前にも行ったTerryが借りている家へ遊びに行きました。いつもの仲良しが集まっています。SteveもDickもBradもいます。Chrisがいないのは昨年亡くなった両親のお悔やみの行事を私もよく知っている弟妹たちとやるためと聞いています。同窓会には来ていなかったMitchとブラジル人の奥さんもいました。実はMitchと私は留学時は入れ違いです。私が来ていた時に彼は同じAFSでアルゼンチンへ留学していたからです。後から同窓会を中心に何回も会っています。<br /><br />22時20分頃ホテルへ戻りました。移動して隣村なので少し遠くなりましたが。<br /><br /><br />【7月11日(月)】<br />朝はホテル付属のレストランに行ったつもりでしたが、朝食はテークアウトのみでした。ハムとスクランブルエッグをはさんだベーグルを注文しましたが、意外とベーグルが大きく重い感じでした。瓶入りのジュースを買って部屋へ戻りました。<br /><br />かなり部屋でノンビリしてから再度North East にある墓地へ行きました。ホストファミリーの近くのお墓をずいぶん探したけど、やはりJane Postおばさんのお墓が見つかりません。Amy Post Wallにfacebookのメッセンジャーで聞きましたが、やはり分かりません。もう一つPost家のお墓を見つけたけど、年号からその前の世代のお墓のようでした。<br /><br />今回の旅行中はずっと天気に恵まれ、ほぼ毎日快晴でした。日差しはかなり強いのですが、湿気がないので日陰は涼しいくらい! ちょうど北海道の天気です。冬は雪に覆われ大変な面もありますが、この辺は夏の天気は最高です。<br /><br />昼食はチリ(豆とミンチ肉のスープ)と野菜サラダ(ステーキ付き)を注文しましたが、久しぶりにビックリするくらいボウルいっぱいのサラダでした!流石に食べきれずに久しぶりにお持ち帰りにしてもらいました。<br /><br />少し迷いましたが、せっかく近くまで来たのでAmyに電話して家まで遊びに行くことにしました。以前は墓地まで来てもらったことはありますが、よく考えたらエイミーの家に行くのは初めてです。隣で少し大きい都市のErieに住んでいます。そうエリー湖のエリーという町です。<br /><br />13時半頃、ガソリンを40ドル分追加しました。アメリカもガソリン代が高騰して問題になっているくらいです。4.799ドル/ガロン(約3.8L)ですから、換算すると約177円/Lで日本並みですから、アメリカ人にとっては未体験のとんでもない値段です。この辺のアメリカの田舎は車がないとどこにも行けませんから死活問題です。これだけでも、大統領のバイデンの人気が下がります。50年前で物価も全く違うとはいえ、私の同級生は親に車を借りて運転していて、ガソリン代を1ドル、2ドルで買い足しできたくらいです。<br /><br />エイミーの家に着いてビックリ!アメリカの田舎の家ですから大きいのは当たり前ですが、裏が広く森のような感じです。もちろんプールはあります。でも、大きな建物があり馬場だそうです。馬を3頭も飼っています。そう言えば、娘の Emily は乗馬をするのを聞いたことがあります。鞍を置いている部屋もあります。競技によって鞍も2種類使い分けるそうです。今日も娘のエミリーは家にいます。妹の Katie は奨学金をもらってテネシー州の大学でサッカーをやっています。ご主人の Jack には初対面でしたが、警察官をやっていて引退して優雅に暮らしているようです。エイミーは学校の先生でしたが、同じくとっくに50歳代で引退しています。たまに、産休の先生の代理を務めたりしているそうですが。<br /><br />アメリカらしく犬は2匹飼っています。でも、珍しく1匹は小型犬です。広いアメリカの家では大きな犬を飼っていることが多いのですが。猫も2匹飼っています。<br /><br />ここは近いけれど隣の州、ペンシルベニア州です。Sales tax(売上税)、日本で言う消費税は州によって違います。今はペンシルベニア州は6%でニューヨーク州はいつも、より高く8%です。だから、私の2番目のホストファミリーはここペンシルベニア州に親戚がいることもあり、この州へ買い物へ来ていました。最初のホストファミリーは気にせず、ニューヨーク州のモールに行っていましたが。<br /> <br />たまたま、この日は大きな1本の木を切りに業者が来ていました。きれいに切り倒した後、上手にクレーンで持ち上げ、ぴったりと後ろの荷台へ並べるのです。やはりアメリカは全てスケールが違います。豪快です。<br /><br />そうこうしてノンビリしていると、どうもエイミーがスパゲッティのソースを作り始めています。夕食までいるつもりはなかったのですが、これはご馳走になった方がよさそうです。ちなみに、彼女のお母さん、Jane おばさんは料理上手でした。どうも私の好きなスパゲッティ・ミートボールを作ってくれています。でも、ミートソースではなくトマトソースなのです!ちゃんとスパイスとしてバジル、オレガノ、ガーリックパウダーなどを入れるようです。私の好きな最高に美味しいソースです。ただ、麺自体はアメリカの標準でアルデンテには程遠いです。<br /><br />帰りに近くのエイミーのいとこGordieの家にダメもとで寄ってみましたが、次女がいるだけでした。長女はノースカロライナ州でも会っているのでよく知っているのですが、この次女は顔が分かる程度です。<br /><br />同じく、少し遠回りになりますがFindley Lakeの夏小屋(別荘)にいるGreggに会いに行きましたが、奥さんのDebbieだけいて今晩は遅くまで講義をしているそうで会えませんでした。<br /><br />ホテルに戻ると期待通り、必ずしも部屋が空いてなかった最後の明日の宿泊も可能なことを確認できました。<br /><br /><br />【7月12日(火)】<br />いよいよウエストフィールド滞在、実質最後の日です。明日は帰国に向けニューヨーク市へ移動です。<br /><br />昨夕、立ち寄ったけど会えなかったグレッグから電話があり、スマホにメッセージが届いていました。昼食を一緒にということで、彼が以前住んでいた、今回は親友のジェリーに会いに行ったシャーマンにあるレストラン、Pine Junction を11時半で指定されました。<br /><br />時間があるので、気になっていたMr.Flanders宅へ再度行き、メールアドレスを聞きました。高齢でいつ何が起こるか分からないので、たまたま会った近くで時々世話をしている娘さんのメルアドも聞きました。<br /><br />まだ時間があるので、一度ウエストフィールドへ戻りいろいろな複雑な思い出のある最初のホストファミリーの家をさりげなく見に行きました。久しぶりで家を間違えるところでした。あまり好きでなかったホストシスターのジュリーがずっと独身で今でもその家に住んでいるそうです。回りはほとんどブドウ畑です。秋には勝手に隣にあるブドウ畑のブドウを取ってデザートにしていました。のどかな田舎町です。<br /><br />グレッグに会いに余裕を持って11時過ぎには指定されたレストランへ行きました。この辺りは全て田舎とは言え、ポツンとこんな所にという感じの場所ですが、確かにシャレたレストランのようです。でも、少し様子が変だと思ったらオーナーらしき人に声を掛けられ、今日は火曜日で休みだと言われました。グレッグが到着するのを待ち、仕方がないので場所を変えました。彼の車を追うように結構20~30分運転し、名前はよく知っているけどあまり行った記憶のない町、Clymer(クライマー)の中心部のDinerというレストランへ行きました。アメリカでは普通の大したことはないレストランですが仕方がありません。でも、久しぶりにゆっくりホストブラザーのグレッグと話をしました。<br /><br />彼は私がエドワーズの家(2番目のホストファミリー)で暮らしていた時はもう大学生で家にはいませんでしたから、休みとかで時々会ったくらいですが、当時は長髪で髭をはやし、ギターを弾いていました。ちょうどビートルズのジョン・レノンにそっくりでカッコよかったのですが、その彼が教会の牧師さんになったと聞いた時はビックリしました。その後は、大学の講師になったりしたようで、今回話を聞いてもともと(アメリカの)歴史に興味があったようです。<br /><br />その後も欲張って会いに行きました。まず、15時半に電話で家に行くと約束したハワード(同級生の弟でお母さんにはAFS留学時に大変お世話になりました)の家の隣にあるMr.Youngの家へ14時頃行きました。朝、立ち寄った時には奥さんが出てきてまだ寝ていると言われ、出直しました。このヤング先生には直接習っていませんが、何故かかわいがってもらいました。スポーツマンで体育の先生でもあったのですが、野球のメジャーリーガーの一歩手前の3Aに2年滞在して諦めたそうです。キャッチャーでした。最初の奥さんも美人でした(娘も一つ下で美人で私の同級生、ジムと結婚)が、再婚しています。<br /><br />腎移植に縁がある家族で、ヤング先生は娘のダイアンからの腎臓で移植を受けました。また、娘婿にあたるジムはやっと他人のドナーが見つかり、同じく腎移植を受けています。<br /><br />懐かしい話で、結構成績が良かった私が同級生に合わせてSenior Skip Dayに一緒に学校をサボりエリー湖近くの公園で遊んだ思い出があります。翌日、結構厳しいので嫌われていた校長先生のMr.Mays(独身)に呼び出され”You’re the first exchange student ever skipped school in 13 years!”「お前は13年間で学校をサボった初めての留学生だ!」とお目玉をくらいました。そしたら、ヤング先生もその話は聞いてよく覚えていると! さすが田舎町の学校です。<br /><br />15時半に行くと隣の家のハワードへは約束していたのに、20分ほど遅れて移動しました。屋外のパテオで奥さんと待っていてくれました。17時過ぎには用事があるらしく、手短に切り上げました。でも、いろいろ次につながる話ができました。以前からフェイスブックで知っていた冬場の農閑期にコスタリカのどの辺で過ごしているか?同級生のテリーの弟が住んでいる場所に割合近いことも知りました。また、湖での水上スキーと同じで楽しい思い出のある冬のスノーモービルをもう一度体験したいと言ったら、ちょうど何台かスノーモービルを預かっているので、乗せてくれると!また、大規模なブドウ畑をほとんど手放した理由がメキシコ人などの労働者が来れなくなったからなどの理由を始めて知りました。こんなところに政治の影響があるとは。しかも、私自身はこの町でメキシコ人の労働者を直接見たことがないので知りませんでした。もう8年くらい前に私が企画して7人くらいでツアーを組んでこの田舎町を案内した時には、ちょうど9月でブドウを収穫する巨大なトラクターに乗せてもらいました!<br /><br />もう第2の故郷であるこのたった1年間留学しただけの田舎町ですが、改めて私が色々な人に好かれていたのだと実感しました。嬉しいことです。<br /><br />まだ夕食には早いので、再度Main StreetにあるDeniseの店へ寄ってみましたが、経営者である彼女は今日は留守でした。それで、歩いて近くの思い出だらけのThe First Presbyterian(長老派)Churchへ行ってみました。幸いなことに一ヵ所開いていて中へ入れました。まず、当時は金曜日の夜毎にゴーゴーダンスやチークダンスを踊った地下室へ行きました。改めて見るとそんなに広いスペースではありません。5年前には同級生テリーのお母さんのお別れの会の食事会をこの地下でやりました。もちろん、そのまえに一階の教会の中で厳かにお別れの言葉を牧師さんが話し、コーラスなどもありました。<br /><br />ちょうどいい時間になったので最後のウエストフィールドでの食事をしようとMain Streetに戻りBrazill’s on Mainというレストランへ入りました。以前にも入ったことがあります。ところが偶然、見覚えのある女性(たぶん一つ年下程度)から声をかけられました。Ramonaだそうです。しかも、仲良しらしく私の同級生で親しいCandiも一緒だと! 喜んで同じ席に座りました。おかげで最後の夕食は一人寂しくのはずが楽しい食事になりました。しかも、恥ずかしいことに気が付きました。後で、Yearbook(卒業アルバム)でチェックしたら確かに一つ下ですが、顔といい名前といいプエルトリコ系の女性でした。町に数軒、プエルトリコ系の家族がいて(田舎過ぎて黒人もいない町)興味を持っていたのに、彼女と親しくなり損なっていました。今頃、改めて友だちになりました。<br /><br /><br />【7月13日(水)】<br />今朝はいよいよPCR検査のためにニューヨーク市へ移動する日です。11時35分発のユナイテッド航空の便です。でも支払いが面倒くさい可能性が大なので、敢えて速いI-90を避けてひたすら普通の道で行きました。念のため、朝7時半頃には出発しました。以前から持参しているポータブルのカーナビ・ガーミンは、日本と違い無料が原則のせいか高速道路、つまりI-90へしつこく誘導しようとします。ウエストフィールドを出発してしばらくはよく道を知っているので、割と簡単にRoute 20からエリー湖沿いのHighway 5を北東へ向かいました。<br /><br />途中からは都会のバッファローの空港へ向かう訳ですから大変です。いろいろな道があるし、巧みにナビのI-90への誘導を避けながらの道選びです。i-Phoneのグーグルマップも併用して何とか苦労しながら9時40分頃には空港へたどり着きました。本当はI-90を使えば、簡単な上に1時間ちょっとで着くのですが。<br /><br />COVID-19の影響でしょうか、確か以前は国内移動ではパスポートチェックはなかったはずですが、調べられましたし列も以前にもまして長かったです。もちろん、国内移動はPCR検査、抗原検査等は不要です。<br /><br />日本を出る前はCNNで盛んに米国国内線は遅延やキャンセルが多いと言っていたので心配していましたが、JFK空港からバッファロー空港へ来る時もスムーズでしたし、今回もむしろ早く着き過ぎました。11:35発で12:25にはニューアーク空港へ着くも、早過ぎてランウェイでしばらく待機、それでも12:45(予定到着時間は12:59)にはロビーへ着きました。<br /><br />ただ、荷物がなかなか出てこず結局13:05頃になってAirTrainで乗り継ぎ、NJtrainとやらでPenn Station(マンハッタンの中心地)へ行きました。でも、terminal Aで切符を買うのが上手くいかず、結局クレジットカードで二度払い?挙句に切符が出てこないので現金20ドル札でやっと買えました!でも、今頃になってクレジットカードの2枚と無駄に3枚も同じ切符を買いました!<br /><br />ニューヨーク市の地下鉄の乗り方ですが、3年前と違いクレジットカードで青いライトの出入り口を使えば、そのまま通過できて便利になりました。そう言えば、JR博多駅や福岡の地下鉄でも今はそんなレーンがあるようです。<br /><br />ぼったくりに近いとは分かっていますが、今回は人に聞いて確実な日系のアットニューヨークとかいう旅行会社の部屋で2日前で175ドルもの唾液によるPCR検査を受けました。翌日の夜にはメールで結果が来ます。予約時間15時に少し遅れて行き、前客がいたので少し廊下で待たされて検査を受けました。<br /><br />15時半頃に40代で亡くなった親友の息子さん、義嵩君と合流しました。時間が中途半端でしたが、近くのタイ料理店へ入りました。パパイヤサラダ、焼きそばを注文し、アイスドリンクを2つ頼みました。35ドルです。円安(この時は1ドル130円程度?)とはいえ、安くはないです。<br /><br />彼は亡くなった親友の血を引いて料理が得意で寿司も握れるので、本来の目的のダンサーから、COVID-19の影響もあり料理人をしているようです。さすがアメリカ・ニューヨーク市で時に自宅に呼ばれて、そこで料理をするようです。当然、賃金も悪くないようです。<br /><br />チップの話しになりましたが、15~18%が最近では相場というのは知っていましたが、どうも今回のコロナ禍で少なくともニューヨーク市では20%が相場に上がっているようです。しかも、以前は接客するウエイター、ウエイトレスだけでしたが、厨房にいる料理人も皿を運んだりするだけで分けてもらえるようです。だから20%に上がったのかもしれません。<br /><br />ニューヨーク州では昨年くらいからマリファナ(大麻)が合法化されたようです。私のホテルYotelまで一緒に歩いてくれましたが、途中で車のバンに派手にマリファナの色々な製品を売っているのが見えます。臭いが独特です。私にはタバコの煙よりは嫌ではないです。英語で cannabis と書いています。marijuana という表現は避けているような気がします。<br />  <br />前もってブロードウェイのミュージカルをある程度調べていたので、20時の<br />ムーランルージュに決め、18時半過ぎに早目にホテルの近くの会場へ行き切<br />符を購入しました。時間もないので、軽くサラダを食べました。<br /><br />20時開始のムーランルージュは期待以上に良かったです。パリの本物の<br />Moulin Rougeにも行ったことがあります。でも、有名なフレンチ・カンカン<br />は意外と控えめでした。休憩をはさんで終わったのは22時35分程度ですが、<br />少し高くても安全にすぐ歩いて帰れるホテルを選んでいます。<br /><br /><br />【7月14日(木)】<br />昨夜は久しぶりに熟睡できました。朝7時半に起き、近くでコーヒーとジュースのみと水分だけ補給。それにしては7.91ドルもしました。千円以上です。シャワーを浴び、パソコンでメールチェックなどゆっくり過ごしました。<br /><br />余りに暇なので、数十年ぶりに Empire State Building に上ることにしました。やはり摩天楼からの眺めはいいものです。何とか南の方向の島にある自由の女神を見つけました。大昔に一度だけ船で見学に行ったことがあります。巨大なセントラルパークもビル群に隠れていますが、何とか池のある公園を見つけることができました。<br /><br />午後2時から予定通りThe Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)を鑑賞しました。劇団四季の日本版も見たことがあります。ミュージカルは同じものを何回見てもいいものです。午後4時35分には終了しました。これも休憩をはさんでいます。<br /><br />一旦ホテルへ戻り、午後6時半からのリトルイタリーのイタリア料理店 Zero Otto でAFS高校留学の後輩でもあり、同じ大分県出身でもあり、同じ医者でもある後輩と約束しています。彼は優秀で九大医学部在学中にもドイツに1年間留学したり、今は日本での研修医はそこそこにニューヨーク大学で脳の研究をしています。彼にレストランを調べてもらいました。アメリカのNYCのイタリア料理店がどの程度のレベルかを知りたかったのです。<br /><br />半年か1年振りの再会でいろいろな話をしながら、いつものように注文し過ぎるくらい食べました。アメリカの高級レストランらしくやや薄暗いです。一つ気が付いたのは、どうもチップのシステムが少し変わっているようです。この店だけかもしれませんが。今までのアメリカでは、テーブルごとにウエイターかウエイトレスの縄張りがあり、だから同じ人しか来てくれないのです。でも、今回は入れ代わり立ち代わりです。と言うことは、チップは合算して山分けするのでしょう。昨日聞いたように、ひょっとしたら料理人にも少しチップが行くのかもしれません。ニューヨーク州の8%の高いsales tax(日本の消費税)に聞いた通り20%のチップを加え、200ドル近く払いました。マンハッタンで贅沢にたくさん食べたのでこれくらいは仕方がないでしょう。<br /><br />遠くないし、安全なのでのんびり歩いてホテルまで帰りました。<br />気になっていたPCR検査結果は無事に陰性の結果の日本語メールが入っていて、明朝までには正式な英語の陰性証明がメールで届くようで一安心です。<br /><br /><br />【7月15日(金)】<br />午後の便なので午前中はのんびり過ごしました。PCR検査陰性の英語の証明メールも届いています。これで帰国へ準備万端です。Penn Station駅へは少しありますが、時間はたっぷりあるので歩いて行きました。今日はJFK空港なので以前に経験があります。Long Island Rail Road (LIRR)にてJamaica駅へ行き、そこから空港へのモノレール、Air Link(8ドル)で Terminal 1 へ移動します。JALはこのターミナルです。JAL005便、13時25分発羽田行き<br />ですが、かなり遅れて15時頃になってようやく出発しました。<br /><br /> <br />【7月16日(土)】<br />時差もあり到着は翌日です。16時40分着の予定が出発の遅れで18時頃ようやく羽田空港へ到着。PCR陰性証明も含め、MySOS というアプリに全て取り込んであるので、それを見せるだけで意外と日本への入国手続きは簡単でした。何とか福岡空港への乗り継ぎ便、19時35分発へ間に合いました。福岡空港へは娘がお土産を目当てに迎えに来てくれました。1ドルショップで買ったビーフジャーキー4袋がお土産です。こうして、2年半ぶりの海外旅行が無事終わりました。<br /><br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)<br />坂本泰樹 <br />

2年半ぶりの海外旅行、米国高校同窓会(50周年)へ

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2022/07/06 - 2022/07/16

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

2020年2月にエクアドルへ行って以来の海外旅行です。最近は年に4~5回はどこかへ行っていた私としては異例のことです! もちろん、原因は新型コロナ禍による世界的な混乱のためです。2019年のカリブ海・セントマーチン島とプエルトリコ旅行、2020年エクアドル旅行に続きニューヨーク市経由です。同じニューヨーク州に1年間AFS高校留学した私ですが、田舎はともかく都会のニューヨーク市にはあまり興味はありませんでした。物価も高いし。でも行けば、ブロードウェイもあり最近はミュージカルを楽しみます。もう40年くらい前に初めてニューヨーク市ブロードウェイのミュージカル「キャッツ」の有名な歌「メモリー」の高音にしびれて以来のミュージカルファンです。

馬鹿げた帰国後の2週間の隔離等がなくなり、搭乗72時間以内のPCR検査だけになったので、どうしても参加するつもりだった7月の同窓会にギリギリ間に合いました。ラッキーなことに出発の約1ヶ月前に米国への入国に必要な24時間以内のコロナ抗原検査も廃止され、福岡からの私は東京で前泊せずに、羽田か成田か選べるニューヨーク路線で羽田乗り継ぎ便でスムーズに行けました。需要が減っているので、乗り継ぎ便の福岡~成田路線が今は大手航空会社ではないようです。


【2022年7月6日(水)】
前回同様、福岡を午前7時25分のJAL早朝便で羽田空港へ行き、11時頃のJALニューヨーク直行便へ乗り継ぎます。

時差の関係で出発時刻とほぼ同じ午前11時過ぎには(現地時間)ジョンFケネディ(JFK)空港へ着きました。11時15分頃から入国審査で長い行列に並び、自分の順番が来たのは12時35分くらいで80分もかかりました。でも、自分のはたった数分でマスクを外して写真を撮られたくらいですぐに終わりました。長く時間がかかる人がいるのは、長期滞在でビザをチェックしたりする必要があるのでしょう。

こういう時間を計算して余裕をみているので、Skyscannerで予約したJFK空港からバッファロー空港への乗り継ぎ便はデルタ航空の16時50分発を予約しています。出発前に盛んにテレビCNN放送(ケーブルテレビでいつも見ている)でアメリカ国内は職員不足でキャンセルや遅延が相次いでいると言っているので、心配していました。ところが、運よく遅れるどころかむしろ予定の18時39分より早く着きました。でも最近多いのですが、空港のレンタカー会社での手続きに結構時間がかかります。結局バッファロー空港を出発できたのは20時近くでした。

ガラ携とスマホを両方持っているのですが、両方ともソフトバンクなので子会社化していた米国のSprintのG3,G4が相変わらず、そのまま使えます。これは便利です。しかも後でわかったのですが、スマホではあまり使っていなかった米国人からもショートメールが届くし、国番号を入れなくてもショートメールもそのまま打てるようです。

本当はI-90(I は interstate(州間)で要するに、全米にある高速道路)に乗れば1時間足らずなのですが、今回は高速道路はひたすら避けました。ニューヨーク州は全米でも数少ない有料高速道路です。でも、金額はしれています。1時間乗ってせいぜい5ドル程度(円安で1ドル=約140円で計算しても700円程度)ですが、最近現金で乗れるレーンがなくなったようです。日本と同じでETCパス類似のパスカードを持っていないと、どうもプレートナンバーを自動で読んで後から請求書が来るらしいのです。

これには、懲りています。レンタカー会社が勝手にクレジットカードで決済してくれればいいのですが、そんな契約はなさそうで、たぶん交通違反の切符と同じで後から請求書が来て、しかもニューヨーク州はクレジットカード決済は受け付けないので、日本の銀行で時間と手数料をたっぷりとられての送金になります。ウンザリします。それを恐れて、今回はI-90 を使わないと決めています。でも、持って行ったいつものポータブルGPSが調子悪く、スマホのグーグルマップのナビを使っても分かりにくく(しかも途中で電池切れ)、2時間以上かかりやっと目的地のWestfieldへ夜遅く22時頃モーテル到着しました。

このモーテル、Thruway Holiday Motelは以前にも泊ったことのある便利な場所にあるのですが、今回は大失敗でした。アメリカの物価高と円安のダブルパンチとは言え、このぼろなモーテルが1泊2万円もします。時期も悪く、独立記念日の週末の翌週のせいかもしれません。しかも後で分かったのですが、ベッドメークのサービスも無くなりタオルを代えてくれるだけです。多くのモーテルにあったパンとコーヒー程度の朝食もありません。おまけにテレビまで時々電波状態が悪く映りません!もともとこのウエストフィールドは田舎で地上波の映りが悪いのです。


【7月7日(木)】
最初の朝食は、町の中心にあるMain Dinerにしました。定番の目玉焼きにハム、トーストにコーヒーです。実はその前に、メソディスト教会の横の以前にホストファミリーとも行ったことのある懐かしいレストランへ行こうとしましたが、何とついに潰れていました。4、5年前まではやっていたはずですが、日本と同じでこのコロナ禍で潰れたのでしょうか?

今日、明日は予定はないので、誰から会いに行こうかと思い、まずMr.&Mrs.Ponkaに電話しました。焦りました。Mr.Ponkaが出たのですが、セールスと間違われたようですぐに切られました。それで、もう一つ登録してある電話へかけました。日本と違って、アメリカの携帯電話の番号は固定電話と同じような番号(つまり地域番号から始まります)です。つまり、契約者の住んでいる場所の番号です。

とにかく、今度は何とか教え子の私だと認めてもらい話ができました。都合を聞くと午後3時頃に来てくれと言われました。

それで、午前中はまずNorth East のホストファミリー(両親)のお墓へ行くことにしました。車で20~30分程度の町ですが、Ripleyの町をはさんで隣の州、ペンシルベニア州です。Edwardsのお母さん(ホストマザー)の親戚が沢山いるので、何度も連れて行ってもらいました。ホストファミリーEdwardsのお父さんとお母さんの墓で何度か行きました。何とか、どの辺のお墓か覚えています。アメリカらしく、一時期軍人だったお父さんには記念のメダルが墓石の前に飾ってあります。

昼食もそこで取りました。そして、午後3時頃約束のMr.& Mrs. Ponkaに会いにWestfieldへ戻りました。Mr.Ponkaは名前通りポーランド系の人で私のお気に入りのフランス語の先生でした。また、奥さんのMrs.Ponkaも金髪の美人教師でした。私の英語、つまり国語の先生でした。今回、話をしていて改めて私の留学した1971年の夏の少し前に結婚したようでした。しかも、奥さんは隣町のMayville 出身だそうです。改めて知りました。

前回(5年前)同様、裏庭で3人で話をしました。以前話題になったので、できたらポーランド料理を食べてみたいと言ったら、残念ながら準備に何日もかかるので次回は前もって言ってくれとのことでした。

いろいろな共通の知人の話題が楽しいのですが、気になっていた世話になったSchonersさんのお父さん、お母さんどころか娘のRobin(私と同年代)も最近亡くなったそうです。お母さんが親切で、留学生の私を自分の職場の芸術で有名な短大(SUNY at Fredonia; State University of NY;ニューヨーク州立大学フレドニア校)のミュージカルなどにたびたび招待してくれました。たぶん、娘ロビンが同じAFSでベルギーへ留学したことから私にも親切だったのでしょう。

3人での記念写真を誰かに撮ってもらいたいなと思っていたら、ちょうど見覚えのある中年の細い女性がやって来ました。確か、5年前にも会った近くの有名なChautauqua Institution の楽団のバイオリニストです。もちろん、相手も私のことを覚えていました。

言葉に、発音にこだわる私です。このChautauquaは綴りでもわかるように特殊な英語です。よくあるスペイン語でもなく、インディアン(今はnative Americanと呼びますが)語です。全米にインディアンは住んでいたので、私は各地で違う部族に会っています。顔だちもそれぞれ特徴があります。でも明らかに我々日本人、アジア人と似ています。意外なことにここニューヨーク州にも部族がいました。

これを便利なグーグルマップでは、「シャトークア」と表記しています。たぶん、このまま発音したら現地では通じません。私は留学時代の一年間ずっと聞いていましたから。このInstituteの名前でもあり、湖のなまえでもあり、この地区のCounty(郡)の名前でもあり、頻回に聞いていたし私も発音していたからです。敢えて日本語表記すると「シ・タークヮ」のように聞こえます。アメリカ英語の難しいところです。この地区は五大湖沿岸でアメリカ英語としてはほとんど標準と言っていいと思います。私が50年も前に一生懸命勉強したNHKのテレビ、ラジオの英語の発音そのものでした。唯一、違和感があったのがdawnのように「ドーン」に近い発音をこの地域ではどうも「ダーン」に近い発音するくらいでした。ですから、このtauもグーグル日本語表記「トー」よりは「ター」に近く聞こえます。

Chautauqua Institutionは全米的にも有名らしく、シ・タークヮ湖(五大湖のエリー湖の近くで、もちろんもっと小さい湖でちょうど直角の方向にひょろ長い)に面した、富裕層の避暑地です。滞在するにはかなりのお金が必要なはずです。敷地内に入るにはゲートがあり、有料で確か10ドル(今のレートだと1,400円)程度必要です。何度か行きました。何故なら、お世話になった同級生ミード家の夏の別荘があるからで、今でも家族は夏には順番に家を利用しているからです。残念ながら数年前にお世話になった両親は亡くなりましたが。

たぶん中に入るだけで有料なのは、無料の野外劇場がありかなり有名な歌手のコンサートや先述のクラシック音楽の演奏会などがあります。しかも、私の滞在の直後の8月頃ここで有名なイギリスの作家、サルマン・ラシュディ氏が講演中に襲われるという事件がありました。

楽しい会話を終わり、お別れしました。次回は数か月前にお願いして是非ポーランド料理をご馳走になろうと思います。もう二人とも80歳近い高齢なので、なるべく早く来ようと思います。

もう午後7時をとっくに過ぎていて、8時閉店のレストランも多く何とかBar & Grill に間に合いました。そして、外に出ると夏時間で日没が遅く、五大湖の一つエリー湖(村の一部でバルセロナという地名)も近いので慌てて車を飛ばせ、午後9時前で何とかぎりぎりエリー湖に沈む日没の写真が撮れました。

この日はまだ時差ボケもあるので、午後10時半頃には寝ました。


【7月8日(金)】
いよいよ、今晩が目的の同窓会の前夜祭で同級生の一人Rick Mathewsが家を開放してみんなが集まります。

朝は7時45分頃までゆっくり寝れました。早朝覚醒に悩まされている最近の私にしては珍しいことです。時差ボケのおかげでしょう。今朝もゆっくりしました。

午後1時頃2つ隣村のSherman に住む Jerry & Pam Warner夫婦に会いに行きました。もう何度も遊びに行った家です。その前にChautauqua 湖近くのレストランでスープとサラダを軽く食べました。ジェリーは一つ年下の親友ですが、スポーツ万能で私ともレスリングと陸上の学校スポーツで一緒でした。アメリカは日本と同じでスポーツは学校のイベントです。ヨーロッパなどはサッカーで有名なように地域のクラブ活動ですが。

ジェリーはアメリカ人にしては小柄で160㎝台ですが、スポーツ万能で特に私がファミリーチェンジした後は、家が学校の近くにあったのでよく立ち寄ってくれ、当時から付き合っていた隣町のパムとののろけ話をしに来てくれていました。この夫婦はアメリカ人にしては珍しく、そのまま結婚はともかく離婚もせずずっと仲良しです。ですから、二人とも私は50年前からよく知っています。しかも、パムの家には同じAFS留学生ティーナがノルウェーから来ていました。おかげでティーナとは連絡が取れ、4~5年前にオスロでのAFS行事のついでに会いに行けました。

午後5時20分頃まで色々な話をしました。もちろん、共通の先生(スポーツのコーチ)や友人の話しもしました。そこで、今回も会いたいと思っていたレスリングのコーチ、Mr.Lynnが体調不良で息子の所にいるらしい(道理で連絡がつかない)ことが分かりました。

夕方6時頃Westfieldの中心地に戻り、フェイスブックで知り合ったDeniseの店へ行き、初めて会いました。偶然同級生Steveの弟Howard夫婦にも会いました。小さな村ですから。軽く30年前くらいにようやくできたマクドナルドでQuarter pounderを食べてから、いよいよ前夜祭のRick & Cindy Mathewsの家へ行きました。

少しずつ同級生が集まっています。アメリカの特徴で本番の同窓会でもそうですが、夫婦同伴で来ている人も多いのです。日本では考えられませんが。まず、Sue Woodwardと旦那さんに挨拶。North Eastに住んでいるらしい。若い頃から色っぽかったGinny Allen(Anderson) Kingに会いました。名前で分かるように再婚したようで、旦那さんとは初対面です。でも、その旦那さんから嬉しい情報が入りました。

私を見て、元留学生とすぐ気が付いたらしくひょっとしてAFSの留学生かと聞かれました。そうだと答えると、Mr.Bill Flandersを知っているかと聞きます。えっ! 今でもよく覚えているAFSの地域代表で、2ヶ月毎に地域の約15名のAFS留学生が寝袋持参でovernight picnicと呼び、土日にフランダーズさんの家に集まっていたのです。もちろん、忘れられない楽しい思い出です。実際、その時の友だちノルウェーのティーナ(先述のパムがホストシスター)の家に5年ほど前に私は遊びに行ったくらいです。

その時に大変お世話になった人で、ひいては今私がAFSの博多支部長(無償ボランティア)として活動しているのもその時の恩返しのつもりです。なのに、同じ村ではなく隣村だったせいか積極的に消息を訪ねて会いに行こうとしていなかったのです。ところが、その恩人Mr.Flandersが何と99歳で元気に一人で暮らしているという情報をもたらしてくれたのです。

後からイタリア好きになった私ですが、何故か目立つ(南部出身者が多いので、黒髪、目も割と黒い)のでイタリア系のRosemaryとKaren Trippyとは結構仲が良かったのです。カレンは旦那さんと近くの小都市Jamestownにいるのは知っています。

後は、いつもの仲良しSteve, Brad, Chris, Dan, Jimと女性のNancyとTerryなども来ています。


【7月9日(土)】
昨日は朝食を抜いたのですが、今朝は昨夜会った友達とよく夜食感覚で訪れていたJack‘sへ行きました。エリー湖沿いのバルセロナにある店ですが、昔とは経営者が変わりました。メニューも。

今晩はいよいよ同窓会の本番ですが、夕方までは暇なので誰かに聞いたノースイーストで消防のパレードがあると聞いたので、再度North Eastへ行きました。ゆっくりして10時半頃から行って、中心地をうろうろしていたのですが、少し早く行き過ぎたようでやっと午後2時15分頃からパレードが始まりました。でも、消防車でうるさいだけで意外とつまらないので、3時半頃まで見て帰りました。

一度モーテルへ戻りゆっくりしたのですが、ゆっくりし過ぎて、6時半過ぎにギリギリ会場へ到着しました。バッファローから来る時に通っていて場所が分かっているつもりだったのですが、事故があったらしく、会場の目の前でパトカーが多数いて、そのために一部道路が閉鎖されていたので遠回りしたりして危うく肝心の本番の50周年 WACS同窓会に遅刻するところでした。今回は今までで一番遠くの会場でした。車で30~40分もかかる場所です。いつもはウエストフィールドの街中のレストランだったのですが。

今は公益財団法人になっているAFSという世界的な高校留学の老舗ですが、私の時は日本政府の文部省による国費留学生でした。私が留学した学校はWACS(Westfield Academy and Central School)という一見立派な名前の学校ですが、実はこの辺の田舎の学校のことで、セントラルの意味は何と幼稚園の年長から高校3年生までの13学年が全て一つの学校になっているのです! 日本では田舎でもこんな学校はありません。ですから田舎ですし、一学年たったの110名ほどでしたが、90人くらいは転校生以外はずっと同級生で幼ななじみで仲がいいのです。私の留学時代は高3に入れてくれていたので一緒に卒業し、おかげで同窓会(Class Reunion)にも呼んでもらえるのです。

料理はローストビーフ、サラダ、チキン、パスタ、ポテトなどでまぁまぁです。デザートは誰かの手作りと思われます。私は日本からの抹茶味のキットカットなどを持って行き、今回は好評で全て無くなりました。と言うのは、以前に2回も失敗したのですが、日本を出る時につい自分の好きなあんこ系の和菓子を買って持って行ったのです。どうもアメリカ人には甘い豆であるあんこは不評のようです。もちろん、みんな遠慮して不味いとは言いませんが、あまり食べてくれないので分かります。

私は海外旅行の時はいつもデジカメを準備しているので、各テーブルを回り全員の写真を撮りました。今回不満だったのは手抜きで室内で25人くらいが並び全体写真を撮るのですが、誰もちゃんとしたカメラではなく適当に何人もの配偶者がスマホのカメラで写真を撮るだけでした。私も少し躊躇したのですが、誰かに私のデジカメで撮ってもらうべきでした。後で、送ってもらった全体写真はイマイチでした。


【7月10日(日)】
朝食を初日と同じ中心地にあるMain Dinerで。取り敢えずの4日間のモーテル、Holiday Motelをチェックアウト。以前にも泊ったことがありますが、今回は円安があるとはいえひど過ぎました。ベッドメークもなく、テレビも時々電波が乱れるようなぼろホテルで一泊2万円はひど過ぎます。

早速、10時過ぎにMr.Flanders に会いに行きました。隣町のMayville でChautauqua湖の近くです。一軒家風のアパートでした。娘さんが一緒にいました。でも、一緒に暮らしているのではなく近くに住んでいて時々訪問しているようでした。突然の私の訪問にもちろんビックリしていました。でも、50年前のAFS留学生としてお世話になったので、覚えてくれていないはずがありません。99歳ですが、お元気なようでした。流石に歩き方は少しぎこちないですが。

私としては、この近郊の世界中からのAFS留学生(約20人くらい?)が2ヶ月毎くらいにこのフランダースさんの当時の自宅へ集まり、土・日に泊まり込みで楽しみました。留学先はアメリカですが、この経験によって一気に世界中の友だちができました。楽しい青春の思い出です!同じアメリカ大陸で中南米からの留学生も多く、スペイン語が飛び交っていました。ローマ字読みの発音で知らなくても音は聞き取れ、それ以来スペイン語には興味を持っています。ラテンで明るい人が多いのも特徴です。一緒にみんなで遊ぶ時はもちろんサッカーです。当時は日本ではJリーグもなくマイナーなスポーツでしたが。

しかも今頃知ったのですが、フランダースさん自身がホストした留学生は私の8年くらい前で日本人(Shigenori Sadashige)でした。出世して、南ア共和国の大使などを務めた有名な方のようです。

13時頃にお別れして、隣にあるイタリア料理店Andriaccio’s Restaurant で昼食に懐かしいミートボール・スパゲッティを食べました。トマトソースは酸味の利いた懐かしいアメリカの味です。でも、残念ながらアメリカのスパゲッティはアルデンテと正反対で相変わらずイマイチです。

少し迷いましたが、残りの3泊はこの近くのChautauqua 湖に面した小ぎれいなWebbs Motelにチェックインしました。だいぶキレイで1泊はむしろ1.8万円程度です。但し、3泊目は満室で空室がないと言われましたがキャンセル待ちで何とかなるだろうと判断しました。

今日は例年のOx Roastの日です。ボランティアである消防署が資金集めのためにエリー湖岸のOttaway 公園で、名前の言われのオス牛のローストビーフを中心に提供するものです。日本で言えば、盆踊りで人が集まるような感じです。5年前に勘違いして午前中から来ましたが、午後1時からしか始まりません。それで今回はゆっくり15時頃来ました。

ゆっくり、私の同級生の一角を探そうとすると、オーストラリアへ留学したという女性が話しかけてきました。その後、昨日同窓会で一緒だった友達の集まりを見つけました。昨夜来ていなかったWendeもいました。でも、途中で年下のBetsy Cleveland(コスタリカに毎年行っている)と再会し、Terryの妹・Barbara にも会いました。Steve, Brad, Carolなどもいました。

今まであまり親しく話したことがなかった190㎝くらいある同級生のJeffと初めてゆっくり話しました。何と彼は高3の時にすでに働いていて、学校には午前中しかいなかったそうで、道理で仲良くならなかったはずです。

17時頃になって、陸上のコーチでもあり、レスリングのサブコーチでもあり、また体育の授業の先生でもあったMr.Mike Clucheyの家へ遊びに行きました。奥さんのBettyもいました。若い頃、千歳基地にいた時の話しをしてくれました。幸い、日本でのいい思い出のようです。でも、改めてこのスポーツの恩師の指がリウマチでかなり変形しているのを見るのはショックでした。

それから、19時20分頃以前にも行ったTerryが借りている家へ遊びに行きました。いつもの仲良しが集まっています。SteveもDickもBradもいます。Chrisがいないのは昨年亡くなった両親のお悔やみの行事を私もよく知っている弟妹たちとやるためと聞いています。同窓会には来ていなかったMitchとブラジル人の奥さんもいました。実はMitchと私は留学時は入れ違いです。私が来ていた時に彼は同じAFSでアルゼンチンへ留学していたからです。後から同窓会を中心に何回も会っています。

22時20分頃ホテルへ戻りました。移動して隣村なので少し遠くなりましたが。


【7月11日(月)】
朝はホテル付属のレストランに行ったつもりでしたが、朝食はテークアウトのみでした。ハムとスクランブルエッグをはさんだベーグルを注文しましたが、意外とベーグルが大きく重い感じでした。瓶入りのジュースを買って部屋へ戻りました。

かなり部屋でノンビリしてから再度North East にある墓地へ行きました。ホストファミリーの近くのお墓をずいぶん探したけど、やはりJane Postおばさんのお墓が見つかりません。Amy Post Wallにfacebookのメッセンジャーで聞きましたが、やはり分かりません。もう一つPost家のお墓を見つけたけど、年号からその前の世代のお墓のようでした。

今回の旅行中はずっと天気に恵まれ、ほぼ毎日快晴でした。日差しはかなり強いのですが、湿気がないので日陰は涼しいくらい! ちょうど北海道の天気です。冬は雪に覆われ大変な面もありますが、この辺は夏の天気は最高です。

昼食はチリ(豆とミンチ肉のスープ)と野菜サラダ(ステーキ付き)を注文しましたが、久しぶりにビックリするくらいボウルいっぱいのサラダでした!流石に食べきれずに久しぶりにお持ち帰りにしてもらいました。

少し迷いましたが、せっかく近くまで来たのでAmyに電話して家まで遊びに行くことにしました。以前は墓地まで来てもらったことはありますが、よく考えたらエイミーの家に行くのは初めてです。隣で少し大きい都市のErieに住んでいます。そうエリー湖のエリーという町です。

13時半頃、ガソリンを40ドル分追加しました。アメリカもガソリン代が高騰して問題になっているくらいです。4.799ドル/ガロン(約3.8L)ですから、換算すると約177円/Lで日本並みですから、アメリカ人にとっては未体験のとんでもない値段です。この辺のアメリカの田舎は車がないとどこにも行けませんから死活問題です。これだけでも、大統領のバイデンの人気が下がります。50年前で物価も全く違うとはいえ、私の同級生は親に車を借りて運転していて、ガソリン代を1ドル、2ドルで買い足しできたくらいです。

エイミーの家に着いてビックリ!アメリカの田舎の家ですから大きいのは当たり前ですが、裏が広く森のような感じです。もちろんプールはあります。でも、大きな建物があり馬場だそうです。馬を3頭も飼っています。そう言えば、娘の Emily は乗馬をするのを聞いたことがあります。鞍を置いている部屋もあります。競技によって鞍も2種類使い分けるそうです。今日も娘のエミリーは家にいます。妹の Katie は奨学金をもらってテネシー州の大学でサッカーをやっています。ご主人の Jack には初対面でしたが、警察官をやっていて引退して優雅に暮らしているようです。エイミーは学校の先生でしたが、同じくとっくに50歳代で引退しています。たまに、産休の先生の代理を務めたりしているそうですが。

アメリカらしく犬は2匹飼っています。でも、珍しく1匹は小型犬です。広いアメリカの家では大きな犬を飼っていることが多いのですが。猫も2匹飼っています。

ここは近いけれど隣の州、ペンシルベニア州です。Sales tax(売上税)、日本で言う消費税は州によって違います。今はペンシルベニア州は6%でニューヨーク州はいつも、より高く8%です。だから、私の2番目のホストファミリーはここペンシルベニア州に親戚がいることもあり、この州へ買い物へ来ていました。最初のホストファミリーは気にせず、ニューヨーク州のモールに行っていましたが。
 
たまたま、この日は大きな1本の木を切りに業者が来ていました。きれいに切り倒した後、上手にクレーンで持ち上げ、ぴったりと後ろの荷台へ並べるのです。やはりアメリカは全てスケールが違います。豪快です。

そうこうしてノンビリしていると、どうもエイミーがスパゲッティのソースを作り始めています。夕食までいるつもりはなかったのですが、これはご馳走になった方がよさそうです。ちなみに、彼女のお母さん、Jane おばさんは料理上手でした。どうも私の好きなスパゲッティ・ミートボールを作ってくれています。でも、ミートソースではなくトマトソースなのです!ちゃんとスパイスとしてバジル、オレガノ、ガーリックパウダーなどを入れるようです。私の好きな最高に美味しいソースです。ただ、麺自体はアメリカの標準でアルデンテには程遠いです。

帰りに近くのエイミーのいとこGordieの家にダメもとで寄ってみましたが、次女がいるだけでした。長女はノースカロライナ州でも会っているのでよく知っているのですが、この次女は顔が分かる程度です。

同じく、少し遠回りになりますがFindley Lakeの夏小屋(別荘)にいるGreggに会いに行きましたが、奥さんのDebbieだけいて今晩は遅くまで講義をしているそうで会えませんでした。

ホテルに戻ると期待通り、必ずしも部屋が空いてなかった最後の明日の宿泊も可能なことを確認できました。


【7月12日(火)】
いよいよウエストフィールド滞在、実質最後の日です。明日は帰国に向けニューヨーク市へ移動です。

昨夕、立ち寄ったけど会えなかったグレッグから電話があり、スマホにメッセージが届いていました。昼食を一緒にということで、彼が以前住んでいた、今回は親友のジェリーに会いに行ったシャーマンにあるレストラン、Pine Junction を11時半で指定されました。

時間があるので、気になっていたMr.Flanders宅へ再度行き、メールアドレスを聞きました。高齢でいつ何が起こるか分からないので、たまたま会った近くで時々世話をしている娘さんのメルアドも聞きました。

まだ時間があるので、一度ウエストフィールドへ戻りいろいろな複雑な思い出のある最初のホストファミリーの家をさりげなく見に行きました。久しぶりで家を間違えるところでした。あまり好きでなかったホストシスターのジュリーがずっと独身で今でもその家に住んでいるそうです。回りはほとんどブドウ畑です。秋には勝手に隣にあるブドウ畑のブドウを取ってデザートにしていました。のどかな田舎町です。

グレッグに会いに余裕を持って11時過ぎには指定されたレストランへ行きました。この辺りは全て田舎とは言え、ポツンとこんな所にという感じの場所ですが、確かにシャレたレストランのようです。でも、少し様子が変だと思ったらオーナーらしき人に声を掛けられ、今日は火曜日で休みだと言われました。グレッグが到着するのを待ち、仕方がないので場所を変えました。彼の車を追うように結構20~30分運転し、名前はよく知っているけどあまり行った記憶のない町、Clymer(クライマー)の中心部のDinerというレストランへ行きました。アメリカでは普通の大したことはないレストランですが仕方がありません。でも、久しぶりにゆっくりホストブラザーのグレッグと話をしました。

彼は私がエドワーズの家(2番目のホストファミリー)で暮らしていた時はもう大学生で家にはいませんでしたから、休みとかで時々会ったくらいですが、当時は長髪で髭をはやし、ギターを弾いていました。ちょうどビートルズのジョン・レノンにそっくりでカッコよかったのですが、その彼が教会の牧師さんになったと聞いた時はビックリしました。その後は、大学の講師になったりしたようで、今回話を聞いてもともと(アメリカの)歴史に興味があったようです。

その後も欲張って会いに行きました。まず、15時半に電話で家に行くと約束したハワード(同級生の弟でお母さんにはAFS留学時に大変お世話になりました)の家の隣にあるMr.Youngの家へ14時頃行きました。朝、立ち寄った時には奥さんが出てきてまだ寝ていると言われ、出直しました。このヤング先生には直接習っていませんが、何故かかわいがってもらいました。スポーツマンで体育の先生でもあったのですが、野球のメジャーリーガーの一歩手前の3Aに2年滞在して諦めたそうです。キャッチャーでした。最初の奥さんも美人でした(娘も一つ下で美人で私の同級生、ジムと結婚)が、再婚しています。

腎移植に縁がある家族で、ヤング先生は娘のダイアンからの腎臓で移植を受けました。また、娘婿にあたるジムはやっと他人のドナーが見つかり、同じく腎移植を受けています。

懐かしい話で、結構成績が良かった私が同級生に合わせてSenior Skip Dayに一緒に学校をサボりエリー湖近くの公園で遊んだ思い出があります。翌日、結構厳しいので嫌われていた校長先生のMr.Mays(独身)に呼び出され”You’re the first exchange student ever skipped school in 13 years!”「お前は13年間で学校をサボった初めての留学生だ!」とお目玉をくらいました。そしたら、ヤング先生もその話は聞いてよく覚えていると! さすが田舎町の学校です。

15時半に行くと隣の家のハワードへは約束していたのに、20分ほど遅れて移動しました。屋外のパテオで奥さんと待っていてくれました。17時過ぎには用事があるらしく、手短に切り上げました。でも、いろいろ次につながる話ができました。以前からフェイスブックで知っていた冬場の農閑期にコスタリカのどの辺で過ごしているか?同級生のテリーの弟が住んでいる場所に割合近いことも知りました。また、湖での水上スキーと同じで楽しい思い出のある冬のスノーモービルをもう一度体験したいと言ったら、ちょうど何台かスノーモービルを預かっているので、乗せてくれると!また、大規模なブドウ畑をほとんど手放した理由がメキシコ人などの労働者が来れなくなったからなどの理由を始めて知りました。こんなところに政治の影響があるとは。しかも、私自身はこの町でメキシコ人の労働者を直接見たことがないので知りませんでした。もう8年くらい前に私が企画して7人くらいでツアーを組んでこの田舎町を案内した時には、ちょうど9月でブドウを収穫する巨大なトラクターに乗せてもらいました!

もう第2の故郷であるこのたった1年間留学しただけの田舎町ですが、改めて私が色々な人に好かれていたのだと実感しました。嬉しいことです。

まだ夕食には早いので、再度Main StreetにあるDeniseの店へ寄ってみましたが、経営者である彼女は今日は留守でした。それで、歩いて近くの思い出だらけのThe First Presbyterian(長老派)Churchへ行ってみました。幸いなことに一ヵ所開いていて中へ入れました。まず、当時は金曜日の夜毎にゴーゴーダンスやチークダンスを踊った地下室へ行きました。改めて見るとそんなに広いスペースではありません。5年前には同級生テリーのお母さんのお別れの会の食事会をこの地下でやりました。もちろん、そのまえに一階の教会の中で厳かにお別れの言葉を牧師さんが話し、コーラスなどもありました。

ちょうどいい時間になったので最後のウエストフィールドでの食事をしようとMain Streetに戻りBrazill’s on Mainというレストランへ入りました。以前にも入ったことがあります。ところが偶然、見覚えのある女性(たぶん一つ年下程度)から声をかけられました。Ramonaだそうです。しかも、仲良しらしく私の同級生で親しいCandiも一緒だと! 喜んで同じ席に座りました。おかげで最後の夕食は一人寂しくのはずが楽しい食事になりました。しかも、恥ずかしいことに気が付きました。後で、Yearbook(卒業アルバム)でチェックしたら確かに一つ下ですが、顔といい名前といいプエルトリコ系の女性でした。町に数軒、プエルトリコ系の家族がいて(田舎過ぎて黒人もいない町)興味を持っていたのに、彼女と親しくなり損なっていました。今頃、改めて友だちになりました。


【7月13日(水)】
今朝はいよいよPCR検査のためにニューヨーク市へ移動する日です。11時35分発のユナイテッド航空の便です。でも支払いが面倒くさい可能性が大なので、敢えて速いI-90を避けてひたすら普通の道で行きました。念のため、朝7時半頃には出発しました。以前から持参しているポータブルのカーナビ・ガーミンは、日本と違い無料が原則のせいか高速道路、つまりI-90へしつこく誘導しようとします。ウエストフィールドを出発してしばらくはよく道を知っているので、割と簡単にRoute 20からエリー湖沿いのHighway 5を北東へ向かいました。

途中からは都会のバッファローの空港へ向かう訳ですから大変です。いろいろな道があるし、巧みにナビのI-90への誘導を避けながらの道選びです。i-Phoneのグーグルマップも併用して何とか苦労しながら9時40分頃には空港へたどり着きました。本当はI-90を使えば、簡単な上に1時間ちょっとで着くのですが。

COVID-19の影響でしょうか、確か以前は国内移動ではパスポートチェックはなかったはずですが、調べられましたし列も以前にもまして長かったです。もちろん、国内移動はPCR検査、抗原検査等は不要です。

日本を出る前はCNNで盛んに米国国内線は遅延やキャンセルが多いと言っていたので心配していましたが、JFK空港からバッファロー空港へ来る時もスムーズでしたし、今回もむしろ早く着き過ぎました。11:35発で12:25にはニューアーク空港へ着くも、早過ぎてランウェイでしばらく待機、それでも12:45(予定到着時間は12:59)にはロビーへ着きました。

ただ、荷物がなかなか出てこず結局13:05頃になってAirTrainで乗り継ぎ、NJtrainとやらでPenn Station(マンハッタンの中心地)へ行きました。でも、terminal Aで切符を買うのが上手くいかず、結局クレジットカードで二度払い?挙句に切符が出てこないので現金20ドル札でやっと買えました!でも、今頃になってクレジットカードの2枚と無駄に3枚も同じ切符を買いました!

ニューヨーク市の地下鉄の乗り方ですが、3年前と違いクレジットカードで青いライトの出入り口を使えば、そのまま通過できて便利になりました。そう言えば、JR博多駅や福岡の地下鉄でも今はそんなレーンがあるようです。

ぼったくりに近いとは分かっていますが、今回は人に聞いて確実な日系のアットニューヨークとかいう旅行会社の部屋で2日前で175ドルもの唾液によるPCR検査を受けました。翌日の夜にはメールで結果が来ます。予約時間15時に少し遅れて行き、前客がいたので少し廊下で待たされて検査を受けました。

15時半頃に40代で亡くなった親友の息子さん、義嵩君と合流しました。時間が中途半端でしたが、近くのタイ料理店へ入りました。パパイヤサラダ、焼きそばを注文し、アイスドリンクを2つ頼みました。35ドルです。円安(この時は1ドル130円程度?)とはいえ、安くはないです。

彼は亡くなった親友の血を引いて料理が得意で寿司も握れるので、本来の目的のダンサーから、COVID-19の影響もあり料理人をしているようです。さすがアメリカ・ニューヨーク市で時に自宅に呼ばれて、そこで料理をするようです。当然、賃金も悪くないようです。

チップの話しになりましたが、15~18%が最近では相場というのは知っていましたが、どうも今回のコロナ禍で少なくともニューヨーク市では20%が相場に上がっているようです。しかも、以前は接客するウエイター、ウエイトレスだけでしたが、厨房にいる料理人も皿を運んだりするだけで分けてもらえるようです。だから20%に上がったのかもしれません。

ニューヨーク州では昨年くらいからマリファナ(大麻)が合法化されたようです。私のホテルYotelまで一緒に歩いてくれましたが、途中で車のバンに派手にマリファナの色々な製品を売っているのが見えます。臭いが独特です。私にはタバコの煙よりは嫌ではないです。英語で cannabis と書いています。marijuana という表現は避けているような気がします。
  
前もってブロードウェイのミュージカルをある程度調べていたので、20時の
ムーランルージュに決め、18時半過ぎに早目にホテルの近くの会場へ行き切
符を購入しました。時間もないので、軽くサラダを食べました。

20時開始のムーランルージュは期待以上に良かったです。パリの本物の
Moulin Rougeにも行ったことがあります。でも、有名なフレンチ・カンカン
は意外と控えめでした。休憩をはさんで終わったのは22時35分程度ですが、
少し高くても安全にすぐ歩いて帰れるホテルを選んでいます。


【7月14日(木)】
昨夜は久しぶりに熟睡できました。朝7時半に起き、近くでコーヒーとジュースのみと水分だけ補給。それにしては7.91ドルもしました。千円以上です。シャワーを浴び、パソコンでメールチェックなどゆっくり過ごしました。

余りに暇なので、数十年ぶりに Empire State Building に上ることにしました。やはり摩天楼からの眺めはいいものです。何とか南の方向の島にある自由の女神を見つけました。大昔に一度だけ船で見学に行ったことがあります。巨大なセントラルパークもビル群に隠れていますが、何とか池のある公園を見つけることができました。

午後2時から予定通りThe Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)を鑑賞しました。劇団四季の日本版も見たことがあります。ミュージカルは同じものを何回見てもいいものです。午後4時35分には終了しました。これも休憩をはさんでいます。

一旦ホテルへ戻り、午後6時半からのリトルイタリーのイタリア料理店 Zero Otto でAFS高校留学の後輩でもあり、同じ大分県出身でもあり、同じ医者でもある後輩と約束しています。彼は優秀で九大医学部在学中にもドイツに1年間留学したり、今は日本での研修医はそこそこにニューヨーク大学で脳の研究をしています。彼にレストランを調べてもらいました。アメリカのNYCのイタリア料理店がどの程度のレベルかを知りたかったのです。

半年か1年振りの再会でいろいろな話をしながら、いつものように注文し過ぎるくらい食べました。アメリカの高級レストランらしくやや薄暗いです。一つ気が付いたのは、どうもチップのシステムが少し変わっているようです。この店だけかもしれませんが。今までのアメリカでは、テーブルごとにウエイターかウエイトレスの縄張りがあり、だから同じ人しか来てくれないのです。でも、今回は入れ代わり立ち代わりです。と言うことは、チップは合算して山分けするのでしょう。昨日聞いたように、ひょっとしたら料理人にも少しチップが行くのかもしれません。ニューヨーク州の8%の高いsales tax(日本の消費税)に聞いた通り20%のチップを加え、200ドル近く払いました。マンハッタンで贅沢にたくさん食べたのでこれくらいは仕方がないでしょう。

遠くないし、安全なのでのんびり歩いてホテルまで帰りました。
気になっていたPCR検査結果は無事に陰性の結果の日本語メールが入っていて、明朝までには正式な英語の陰性証明がメールで届くようで一安心です。


【7月15日(金)】
午後の便なので午前中はのんびり過ごしました。PCR検査陰性の英語の証明メールも届いています。これで帰国へ準備万端です。Penn Station駅へは少しありますが、時間はたっぷりあるので歩いて行きました。今日はJFK空港なので以前に経験があります。Long Island Rail Road (LIRR)にてJamaica駅へ行き、そこから空港へのモノレール、Air Link(8ドル)で Terminal 1 へ移動します。JALはこのターミナルです。JAL005便、13時25分発羽田行き
ですが、かなり遅れて15時頃になってようやく出発しました。

 
【7月16日(土)】
時差もあり到着は翌日です。16時40分着の予定が出発の遅れで18時頃ようやく羽田空港へ到着。PCR陰性証明も含め、MySOS というアプリに全て取り込んであるので、それを見せるだけで意外と日本への入国手続きは簡単でした。何とか福岡空港への乗り継ぎ便、19時35分発へ間に合いました。福岡空港へは娘がお土産を目当てに迎えに来てくれました。1ドルショップで買ったビーフジャーキー4袋がお土産です。こうして、2年半ぶりの海外旅行が無事終わりました。



空飛ぶドクター(登録商標)
坂本泰樹 

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
デルタ航空 JAL ユナイテッド航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 富士山を見ながら日本を出発

    富士山を見ながら日本を出発

  • JALのエコノミークラス機内食<br />結構オシャレです

    JALのエコノミークラス機内食
    結構オシャレです

  • 「弁当」も「寿司」も今では英語です!

    「弁当」も「寿司」も今では英語です!

  • 空からのマンハッタン南端

    空からのマンハッタン南端

  • 懐かしのWestfieldの中心地<br />左の高い建物が The First Presbyterian Church<br />右の建物は今でも残っているぶどうジュースで日本でも有名な Welch&#39;s の会社の元本社!

    イチオシ

    懐かしのWestfieldの中心地
    左の高い建物が The First Presbyterian Church
    右の建物は今でも残っているぶどうジュースで日本でも有名な Welch's の会社の元本社!

  • この田舎町のメインストリート<br />店舗は入れ代わっていますが、雰囲気は50年前と同じ

    この田舎町のメインストリート
    店舗は入れ代わっていますが、雰囲気は50年前と同じ

  • ノースイースト墓地

    ノースイースト墓地

  • ホストファーザーとホストマザーのお墓

    ホストファーザーとホストマザーのお墓

  • 勲章のあるホストファーザーのお墓の前<br />

    勲章のあるホストファーザーのお墓の前

  • この辺りにたくさんいるアーミッシュ<br />ドイツ系のキリスト教一派で近代的なものをほとんど排他<br />馬車を使ったり、服装も独特

    この辺りにたくさんいるアーミッシュ
    ドイツ系のキリスト教一派で近代的なものをほとんど排他
    馬車を使ったり、服装も独特

  • ようこそNY州へ!

    ようこそNY州へ!

  • 当然反対側は「ペンシルベニア州へようこそ!」

    当然反対側は「ペンシルベニア州へようこそ!」

  • 見慣れたブドウ畑<br />上にかすかに水平線、エリー湖が見える

    見慣れたブドウ畑
    上にかすかに水平線、エリー湖が見える

  • 恩師の Mr.& Mrs. Ponkaと

    恩師の Mr.& Mrs. Ponkaと

  • エリー湖に沈む太陽

    エリー湖に沈む太陽

  • 今度は Chautauqua 湖が目前に

    今度は Chautauqua 湖が目前に

  • 親友ジェリーの家<br />ファンであるトロント・ブルージェイズの旗が

    親友ジェリーの家
    ファンであるトロント・ブルージェイズの旗が

  • 写真では私(163㎝)の方が高くみえるが、<br />さすがにジェリーは166㎝程度はある。

    写真では私(163㎝)の方が高くみえるが、
    さすがにジェリーは166㎝程度はある。

  • 67歳にしてこの身体!<br />地下室にはもちろん、ジム並みのトレーニングマシーンが

    67歳にしてこの身体!
    地下室にはもちろん、ジム並みのトレーニングマシーンが

  • アメリカ人にしては珍しく、高校生時代のカップルのまま結婚<br />そこまでは珍しくないが、ずっと別れずに仲良しのまま!これが珍しい

    アメリカ人にしては珍しく、高校生時代のカップルのまま結婚
    そこまでは珍しくないが、ずっと別れずに仲良しのまま!これが珍しい

  • アメリカなのに田舎過ぎて、私がいた頃にはなかったマクドナルド<br />向かい側は2番目のホストファミリー、エドワーズと行ったメソディスト教会

    アメリカなのに田舎過ぎて、私がいた頃にはなかったマクドナルド
    向かい側は2番目のホストファミリー、エドワーズと行ったメソディスト教会

  • 50年も経つと、68歳にもなると110名くらいのクラスですでに14名も亡くなっている<br />中央列、右橋のシンディは私が留学してすぐに交通事故で亡くなった!

    50年も経つと、68歳にもなると110名くらいのクラスですでに14名も亡くなっている
    中央列、右橋のシンディは私が留学してすぐに交通事故で亡くなった!

  • おふざけ!<br />もちろん同級生と

    おふざけ!
    もちろん同級生と

  • 懐かしい修学旅行(ワシントンDCへ)<br />アメリカでは非常に珍しい!<br />私は後列の左端に<br />後列中央辺りに 校長 Mr. Mays の姿も

    懐かしい修学旅行(ワシントンDCへ)
    アメリカでは非常に珍しい!
    私は後列の左端に
    後列中央辺りに 校長 Mr. Mays の姿も

  • 卒業当時の地元の新聞

    卒業当時の地元の新聞

  • 海の港と変わらないエリー湖沿いのバルセロナ港

    海の港と変わらないエリー湖沿いのバルセロナ港

  • バルセロナ港にある有名な灯台<br />世界初の天然ガスによる灯台

    バルセロナ港にある有名な灯台
    世界初の天然ガスによる灯台

  • 町には線路も<br />今は貨物のみだが、以前は旅客車も<br />だから、後述のリンカーンが大統領に就任する前に少女ベデルにお礼を言うためにこの町を訪れた。<br />手紙でリンカーンに髭を勧めたのがこの町の少女で有名なエピソード

    町には線路も
    今は貨物のみだが、以前は旅客車も
    だから、後述のリンカーンが大統領に就任する前に少女ベデルにお礼を言うためにこの町を訪れた。
    手紙でリンカーンに髭を勧めたのがこの町の少女で有名なエピソード

  • ウェルチ・ジュースの本社は無くなったが、工場はまだあり、列車で運んでいる

    ウェルチ・ジュースの本社は無くなったが、工場はまだあり、列車で運んでいる

  • アメリカ人の好きなパレード<br />North East, PA

    アメリカ人の好きなパレード
    North East, PA

  • いよいよ50周年同窓会、本番

    いよいよ50周年同窓会、本番

  • 私はAFS博多支部のTシャツを着て参加<br />胸には毎回準備してくれる17歳当時の写真

    私はAFS博多支部のTシャツを着て参加
    胸には毎回準備してくれる17歳当時の写真

  • 同級生の彼は当時は流行りの長髪だったが、いまはスキンヘッド<br />50代までずっと独身だったが、再婚の奥さんをもらい幸せに!

    同級生の彼は当時は流行りの長髪だったが、いまはスキンヘッド
    50代までずっと独身だったが、再婚の奥さんをもらい幸せに!

  • Steve Ross は弁護士として遠くシアトルに住む<br />長男と次男がアメリカ留学中にお邪魔<br />彼の弟が Howard で家のブドウ農家を継いでいる<br />彼のお母さんにAFSの地域の責任者で、ずいぶんお世話になった

    Steve Ross は弁護士として遠くシアトルに住む
    長男と次男がアメリカ留学中にお邪魔
    彼の弟が Howard で家のブドウ農家を継いでいる
    彼のお母さんにAFSの地域の責任者で、ずいぶんお世話になった

  • 微妙な関係だった最初のホストブラザー、Brad Jones と再婚した奥さん<br />アメリカでは珍しくない 2人とも再婚者

    微妙な関係だった最初のホストブラザー、Brad Jones と再婚した奥さん
    アメリカでは珍しくない 2人とも再婚者

  • 今はイタリア好きの私ですが、そうでもない当時でも目立っていた2人のイタリア系アメリカ人の同級生、Rosemary と Karen

    今はイタリア好きの私ですが、そうでもない当時でも目立っていた2人のイタリア系アメリカ人の同級生、Rosemary と Karen

  • 同窓会のデザート<br />アメリカらしい手作りのカラフルなケーキと私が日本から持参した抹茶味のキットカット

    同窓会のデザート
    アメリカらしい手作りのカラフルなケーキと私が日本から持参した抹茶味のキットカット

  • お世話になった地域のAFS高校留学生世話人<br />Mr. Flanders     99歳!

    お世話になった地域のAFS高校留学生世話人
    Mr. Flanders 99歳!

  • 私の好きなアメリカらしいスパゲッティ・ミートボール<br />但し、ミートソースでなくトマトソースで酸味があり美味しい<br />スパゲッティの麺はアメリカはイマイチ<br />間違ってもアルデンテは出てこない!

    私の好きなアメリカらしいスパゲッティ・ミートボール
    但し、ミートソースでなくトマトソースで酸味があり美味しい
    スパゲッティの麺はアメリカはイマイチ
    間違ってもアルデンテは出てこない!

  • 町のシンボルになったリンカーンと少女(ベデル)の像<br />私の留学時は映画館があった場所

    町のシンボルになったリンカーンと少女(ベデル)の像
    私の留学時は映画館があった場所

  • エリー湖湖畔の Ox Roast 会場入り口の看板

    エリー湖湖畔の Ox Roast 会場入り口の看板

  • Ox Roast 会場で、昨日欠席していた同級生も<br />アメリカらしい光景

    Ox Roast 会場で、昨日欠席していた同級生も
    アメリカらしい光景

  • スポーツ好きの私が世話になった Mr.Cluchey

    スポーツ好きの私が世話になった Mr.Cluchey

  • 南からウェストフィールドへ戻る時の好きな景色<br />エリー湖の水平線が

    南からウェストフィールドへ戻る時の好きな景色
    エリー湖の水平線が

  • 何と自宅に馬場が<br />エミリーはここで乗馬の練習を

    何と自宅に馬場が
    エミリーはここで乗馬の練習を

  • 自宅の裏は森のように広い<br />切ったばかりの木

    自宅の裏は森のように広い
    切ったばかりの木

  • アメリカらしい食卓

    アメリカらしい食卓

  • エイミーと

    エイミーと

  • The Grapes of Ross<br />     (ロス家のブドウ)<br />The Grapes of Wrath<br />   (怒りの葡萄)ジョンスタインベックの有名な小説名<br />をもじっている<br />          

    The Grapes of Ross
    (ロス家のブドウ)
    The Grapes of Wrath
       (怒りの葡萄)ジョンスタインベックの有名な小説名
    をもじっている
              

  • 懐かしい最初のホストファミリーの家

    懐かしい最初のホストファミリーの家

  • 懐かしいWACS<br />幼稚園年長から高3までの13学年が同じ学校!

    懐かしいWACS
    幼稚園年長から高3までの13学年が同じ学校!

  • 北海道のようなこのNY州西端の風景

    北海道のようなこのNY州西端の風景

  • ホストブラザーのグレッグと

    ホストブラザーのグレッグと

  • 観光客を乗せていると思われるアーミッシュの馬車

    観光客を乗せていると思われるアーミッシュの馬車

  • Mr.Youngと

    Mr.Youngと

  • スティーブの弟、ハワードと<br />当時はまだ小学生で小さかったので Little Howard と呼ばれていたが、今はこんなに背が高いのです。

    スティーブの弟、ハワードと
    当時はまだ小学生で小さかったので Little Howard と呼ばれていたが、今はこんなに背が高いのです。

  • リンカーンと少女のエピソードの解説

    リンカーンと少女のエピソードの解説

  • もう一つの説明文

    もう一つの説明文

  • ラモナとキャンディと偶然レストランで

    ラモナとキャンディと偶然レストランで

  • 移動までした私の2番目のホストファミリーの家<br />現在は宿泊ホテルとして活用<br />だいぶ古くなりました

    移動までした私の2番目のホストファミリーの家
    現在は宿泊ホテルとして活用
    だいぶ古くなりました

  • 空からのバッファローの家々

    空からのバッファローの家々

  • 空からのマンハッタン

    空からのマンハッタン

  • 空からの自由の女神

    空からの自由の女神

  • 亡くなった親友の息子さんとマンハッタンで

    亡くなった親友の息子さんとマンハッタンで

  • ミュージカル「ムーランルージュ」の舞台

    ミュージカル「ムーランルージュ」の舞台

  • 一応、マスクをするように書いているけどマスクをしている人は滅多に見ない

    一応、マスクをするように書いているけどマスクをしている人は滅多に見ない

  • エンパイアステートビル

    エンパイアステートビル

  • 巨大なセントラルパークがビルの向こうに見える

    巨大なセントラルパークがビルの向こうに見える

  • オペラ座の怪人

    オペラ座の怪人

  • カーテンコールではみんな写真を撮っていたので

    カーテンコールではみんな写真を撮っていたので

  • リトルイタリー(NYC)でのイタリア料理店<br />留学中の後輩医師と

    リトルイタリー(NYC)でのイタリア料理店
    留学中の後輩医師と

  • プーリア料理のオレキエッテ(ショートパスタ)<br />彼の妹はAFSでイタリアのプーリア州へ高校留学<br />彼自身はオーストラリアへAFS高校留学

    プーリア料理のオレキエッテ(ショートパスタ)
    彼の妹はAFSでイタリアのプーリア州へ高校留学
    彼自身はオーストラリアへAFS高校留学

  • マリファナの販売店らしい

    マリファナの販売店らしい

  • かなりのレベルのJALエコノミークラス機内食

    かなりのレベルのJALエコノミークラス機内食

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