2022/11/29 - 2022/11/29
3位(同エリア153件中)
ばねおさん
ノジャン=シュル=セーヌ (Nogent-sur-Seine)は、パリの南東約100kmにあるセーヌ川沿いの小さな町。
3年前に、4トラベラー norio2boさんの旅行記で同地のカミーユ・クローデル美術館が紹介されていたのでいずれ足を運ぼうと思っていたのだが、その「いずれ」がようやく実現となった。
さあ、出発と準備していたところ、目を通したある美術情報誌に月曜日休館と書かれてあった。まさに当日ではないか。
やむを得ず翌日の火曜日に変更して出かけたのだが、なんと実際は火曜日が休館日であった。掲載されていた情報が古かったのだ。
やはり、美術館のサイトなりで最新の正確な情報確認を怠ってはならないことを改めて悟った次第である。
幸いノジャン=シュル=セーヌ にはカミーユ・クローデル美術館以外にも訪ねたい場所がいくつかあって空振り三振アウトとはならなかったものの、ホームベースを踏むにはもう一度打席に立つ必要がある。
「いずれ」が、又ひとつ追加となった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ノジャン=シュル=セーヌ (Nogent-sur-Seine) への電車は本数が少ない。
パリ東駅9時42分発を逃してしまい、次は2時間後の11時42分発となる。
現地着は12時39分だ。
そうなるとノジャン=シュル=セーヌでの実質の行動時間は4時間少々しかないだろう。
一瞬、日を改めて出直すことも頭をよぎったが、クローデル美術館2時間、その他2時間と胸算用して、予定通り向かうことにした。
自動券売機で切符を購入。片道22ユーロの2等車。 -
出発までの時間を駅構内のベンチに座って過ごすことにした。
ベンチにはUSB電源ポートが備わっていて、スマホなどを充電するにも便利である。
やがて、電光掲示板にはディジョン Dijon 行きの表示が出た。
ノジャン=シュル=セーヌは最初の停車駅だ。
あとは出発ホームの表示が出るのを待つだけである。 -
東駅の構内にはスズメがたくさんいた。
しばらくまえからパリではスズメを見かけなくなったな、と思っていたら、やはり事実その通りであることが新聞記事に書かれていた。
パリはスズメが住みやすい環境ではなくなってきたようだ。
一方でハトは増える一方で、どこにいってもハトのいない場所はない。
座っている場所近くに時々集まってくるスズメたちを観察していると皆丸々と肥えている。
なるほど、ここは彼らにとって最上の住処なのかもしれない。
風雨のない構内には巣作りの場所は至る所にあるし、餌も困らない。
ベンチや歩きながらパン類を食べる人は多く、そのおこぼれだけでも腹を満たすには十分なのだろう。
何も街中で苦労して生活をせずともいいわけだ。 -
ようやく電光表示板に出発ホームが表示された。
11番ホームから定刻の出発。
こちらがその電車で2階建となっている。 -
途中の小駅をいくつも飛ばしてやってきたノジャン=シュル=セーヌ。
横光利一の小説の有名な一節「沿線の小駅は石のやうに黙殺された」が頭に浮かぶ。今ではとり立てて目新しくもない表現だが、あの小説の題名はなんだっけ?
歌詞は覚えているが、曲名は忘れたのと同じで何となくもどかしい。
駅の出入り口は、降りたホームから跨線橋を渡った反対側のみのようだ。 -
降りた乗客は6、7名といったところか。
写真を撮っている間に誰もいなくなった。
駅前は広い駐車場になっていて、多くの車が停められていたが全く無人である。 -
市中に向かうために出た道路。車は通るが誰も歩いていない。
途中の岐道のところにあった方向案内に気になる表示があったので、ちょっと行き過ぎてから引き返して一枚撮影した。
再び歩き出したら背後で大声が聞こえる。
何だろうと振り返ったらどこから現れたのか一人の黒人男性が居て、どうやら自分に向かって怒鳴っているようだ。
一体何事? 仕方なく戻っていって、何か?と聞いてみたら。
「今、そこで写真を撮っただろう!」
「撮りましたよ」
「なぜだ?」
何か勘違いしている様子なので、自分が撮影した地点に連れて行き、案内標示を撮ったことを伝えると黙ってしまった。 -
こちらがその方向案内標示。
警察やホテルに混じって「アンリ4世のパビリオン」とあったので後で調べるつもりで撮ったのだ。
どうやら怒鳴っていた黒人男性はこの標示の背後にある部屋の住人のようなのだが、案内板があることに初めて気がついたようで、これには呆れてしまった。
念のため、あとで写真を拡大してみたが室内の様子も人物もまるで写ってはいない。
被害妄想というか、それとも何かまずい心当たりでもあったのか。 -
道を少し進んだ先に川があった。セーヌ川だ。
奥の方で白煙をあげているのがノジャン原発ということになる。
パリに一番近い原発で、福島の事故のあと大騒ぎになったという。
この原発で事故が生じた場合の対応策をパリ市は何も用意していないということが明らかになったからであるが、それは多分、東京でも同じだろう。
東海村原発もだいたい同じような距離にあるはずだ。 -
セーヌ川の中州が立派な島になっていて、川は島によって二筋に分かれている。
道路は島を横断している形なので橋もseine bridgeとPont Saint-Nicolasの二つになっている。 -
橋の上に「ギュスターヴ・フロベール Gustave Flaubert のプロムナード」と題したプレートがあった。
フランスの代表的小説家のひとりであるフロベールの『感情教育』に登場するこの場所を作品の文章を引用して説明している。
読んだことがある人であれば、ストーリーのどの部分か分かるだろうが、『感情教育』は『ボヴァリー夫人』と並んでフロベールの代表作とされているものの、映画化された『ボヴァリー夫人』のようなドラマチックな展開がないだけに、一般的にはどれほど知られているのだろうか。 -
こちらは橋を挟んで反対側(下流)の風景。
左側は中州である島の続き。
この橋は、1814年にナポレオン戦争によって破壊され、その後8年間の歳月をかけて1834年に完成したとある。 -
島によって二つに分かれたセーヌの流れのもう一方はこのように運河のようになっていた。
画面右手は、かって水車のあった製粉工場。
中央にサン・ローラン教会の塔が見える。
左の白い建物はレストランのようだ。 -
ここにもフロベールの案内プレートがあり、小説の一節が引用されていた。
もともとは木造であった製粉工場は9世紀からこの場所にあり、1837年に近代化のため、また、パリ市場の消費拡大に対応するため 運河の幅に合わせて建物を拡張したとある。 -
橋を渡った先はT字路で道は左右に分かれていた。
突き当たり正面に案内標識が設置されてていたが、なぜかここにはカミーユ・クローデルの名が出てこない。
Musée Stade Agora と書かれた表示があるが、こちらは何の美術館なのか博物館なのか不明。 -
左方向に少し進むと、角の家にカミーユ・クローデル美術館の表示が慎ましやかにあった。
もう少し目立つようにしても良さそうなものだ。 -
この狭い路地状の小道を進むようだ。
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路地を抜けると道は少し広くなり、コロンバージュ造りの家が所々に見られる。
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それにしても誰も居ない。
どんよりとした天気の中、人の気配がないだけに余計寒々と感じる。 -
小さな辻が見えてきた。
-
この辻の角に観光案内所があった。
昼休みに入ったのだろうか観光案内所も閉じられていて無人である。 -
観光案内所の左右共に美術館への方向表示があった。
どちらからでも行けるということだろう。 -
左のアルフレッド・ブーシェ Alfred Boucherの名のついた道を進んだ。
このノジャン=シュル=セーヌの地は、マリウス・ラミュ Marius Ramus(1805-1888)、ポール・デュボワ Paul Dubois(1829-1905)、アルフレッド・ブーシェ Alfrad Boucher(1850-1934)等の今ではほとんど顧みられることのない彫刻家たちを輩出している。
アルフレッド・ブーシェはカミーユ・クローデルの才能を見出した最初の師で、後にイタリアへ移るにあたり、ロダンへカミーユの指導を委ねていったことがカミーユとロダンとの出会いである。
もしもこの時に、ブーシェがイタリアへ行くことなく、ロダンを紹介しなかったらカミーユはどのような道を歩んだだろうか。 -
大きな門に突き当たり、L字形になっている道はアルフレッド・ブーシェ通りからフロベール通りに変わる。いずれも小さな道だ
門柱には、ポール・デュボア - アルフレッド・ブーシェ美術館 Le Musée Paul Dubois-Alfred Boucher と記されたプレートが掲げられていた。
ブーシェの作品はカミーユ・クローデル美術館に収蔵されたと思っていたのだが、ここにも残されているのだろうか。
プレートには、ブーシェがパリに芸術家たちのアトリエ、「ラ・リューシュ La Ruche 」を建てたことも言及されていた。 -
カミーユ・クローデルの旧宅の前を通り、その先の美術館に到着。
実は、歩きながら何となく嫌な予感はしていたのだが、やはり見事に本日閉館。 -
美術館の前の交叉路の角には「ギュスターヴ・フロベール Gustave Flaubert のプロムナード」一覧案内があった。
全部で14ヶ所のスポットが表示され、それらを巡る散歩道の順路も図示されている。
先ほど橋の上で見てきたのはその一部であることが分かった。
これを頼りに街を歩いてみるのも面白そうだ。 -
案内板のすぐ先には、「フロベールの家」がある。
現在は銀行の店舗になっている。
後方に写っているのがカミーユ・クローデル美術館。 -
フロベールの家についての解説。
フロベールはこの家が大好きだったようだ。
当時は大きな庭があって、奥には納屋と中庭、そして別棟もあったという。 -
フロベールの案内で街を一巡りするのも悪くはないが、何だか天候が怪しくなってきた。それに閉館を知った途端に空腹を覚え出したので、ここはまずは腹ごしらえをしてからということにした。
-
食事に向かう途中の道筋にあったオーベルジュ「 Auberge du Cygne de la Croix 」。営業しているのかどうか、人の気配がない。
ここにもフロベールのプロムナードのプレートがあった。 -
解説によると16世紀から続いていた元郵便局の建物で、1813年に火災で消失し、その後再建されたものであるという。
フロベールの時代には、パリへの馬車が毎日午後8時にここから出発していた。
パリに到着するのは翌朝の6時。10時間もかかったことになる。
Cygne de la Croixという名称は、小説『感情教育』にもそのまま出てくるので、現在まで踏襲されてきたようだ。 -
「 Auberge du Cygne de la Croix 」の看板。
ここのレストランはかなり評価が高いらしいことを帰宅してから知った。
あとの祭りだが、次回のお楽しみでもある。 -
さて、寒さに震え、腹を空かせてやってきたのは、先ほど橋の上から眺めて目をつけておいたこちらのレストラン。
その名も「Bellevue (良き眺め)」。
季節が良ければ、テラス席がさぞ気持ちよかろうに。 -
店内に入ると、満席に近い状態。
一人なので何とかなるだろうと思ってしばらく待ったら、二人用の席に案内された。
なかなかシックな造りで天井も高い。
繁忙期にはおそらく二階にも席を用意するのだろう。 -
オーダーしたのは本日の定食からチョイス。メインは鶏料理にした。
こちらはアントレで、裏漉ししたポテトサラダにサーモンを巻き、周囲に焼きなすやトマトを散りばめ、なかなか美味しかった。
グラスワインを頼んだら、出てきた量にびっくり。
量を指定しなかったからだろうが、パリの3倍はあろうかと思う。
もっとも値段もそれに比例はしていたが。 -
メインの鶏料理は可でもなく不可でもなく、ただボリュームには圧倒された。
最後のデザートを選ぶ段になって、スウイーツ陳列ケースに案内された。
多くの種類の中から好きなものを選べという。
よせばいいのに選んでしまったのがこのミルフィーユ。
皿からはみ出した様子は、いさささかも容赦しない強面のオブジェのよう。
日本なら4人分はありそうだ。
それでも格闘すること10数分、ついに力尽きてギブアップ。
白旗があったら掲げたいところだ。 -
お腹も満ち過ぎるほど満ちて、ワインも程よく身体を駆け巡り、昼寝でもしたいところだが、何のためにここまでやってきたのか思い起こし、レストランの裏手からセーヌへ下りてみた。
先ほど通ってきた橋のひとつPont Saint-Nicolasが見える。 -
ここが製粉会社の取水口のようだ。
手前に櫛状のごみ除けがあって、ここを通って川の水は落下している。
その先はどういう仕組みになっているのだろか。 -
歴史的建造物としての記念プレート。
答えというかヒントはここに書かれてあった。
1908年に川の高水期と低水期に適応した水力タービンが設置され、9世紀以来の竹や木材で構成されていた伝統的な水車に置き換わったとある。 -
現在では、フランスの農業食品会社グループSoufflet スフレの本社ということになっているようだ。
-
さて、次に向かったのはノジャンのもう一つの目玉サン・ローラン教会 Église Saint-Laurent de Nogent-sur-Seine。
1421年から1551年までの2世紀にわたっての建設で、ゴシックとルネッサンス様式で構成されている。
アベラールとエロイーズの由緒がある教会でもあるが、今回の訪問の目的は教会内に置かれている彫像。 -
1894年 アルフレッド・ブーシェ Alfrad Boucher (1850-1934) のオリジナル状態の作品「ピエタ PIETA 」
ピエタといえばミケランジェロが圧倒的に有名で、比較するつもりもないが、世の中ミケランジェロ一辺倒なのも何となく面白くない。
それぞれのピエタがあっても良いのでは?とつい天邪鬼が頭をもたげてくる。
彫刻家として成功したブーシェは、経済的に貧しい若い芸術家たちのためにアトリエを建設して提供しようと思い立ち、モンパルナス近くに5000㎡の土地を取得した。次に1900年の万博から払い下げられたワインのパビリオンや建築廃材を回収してエッフェルの技師たちの力を借りながら140のワークショップを完成させた。
後に「La Ruche 蜂の巣 」と名付けられたこのアトリエ集合住宅は、名だたる芸術家たちが数多く居たことですっかり有名になった。 -
La Ruche 蜂の巣の今。
1階アトリエの一部が展示会場時に開かれる以外は、内部は公開されていない。
現在(2022年12月)は大がかりな修復工事が進行中である。
この巣から多くの芸術家が育っているが、ざっくり挙げてもレジェ、シャガール、ザッキン、スーチン、アーキベンコ、ブランクーシ、モディリアーニ、マティスの名前が出てくる。アポリネール、ピカソ、フジタ等も出入りしていたに違いない。 -
こちらは、ポール・デュボア Paul Dubois (1829-1905) の聖母子像 (1866)
パリのサントトリニテ教会(Église de la Sainte-Trinité de Paris)に置かれている聖母子像の原型。 -
明るい色彩に満ちた祭壇。
教会はいくつかの彫刻や装飾が革命で破壊されたが、ルネッサンス期以降はほとんど改造されることなく今日に至っているという。 -
木製の回廊に設置されているのは16世紀のオルガン。
どんな音色が聴けるのだろうか。 -
一隅にはイエス・キリストが誕生した場面を再現したクレッシュ(crèche) がすでに用意されていた。
フランスでは、キリストは馬小屋ではなく「ベツレヘムの家畜小屋(étable de Bethléem)」で生まれたと解釈されていて、クレッシュに登場する動物はロバと牛、そして羊と決まっている。
いまは25日に幼子イエスが置かれるばかりとなっている。 -
教会を出ると空はますます暗くなっていて、今にも降ってきそうな気配となっていた。
-
ここもフロベールの『感情教育』の舞台となったことが示されていた。
サン・ローランの鐘が鳴り響く中で、新婚夫婦が教会から出てくる情景が描かれている。
フロベールの時代には、鐘の音は住民の一日の生活を刻む重要な基準となっていた。
プレートの文字を読んでいるうちに 一滴二滴ポツンと落ちてきた。
雨具もないので、こうなったら帰る他ない。
フロベールさんありがとう、また来ます。 -
駅へ戻る橋の手前、来た時の反対側に何やら仰々しい掲示があった。
そこには、1814年2月7日から3月23日にかけての出来事が絵図を添えてフランス語の他に英語、独語、露語で記されていた。
この地がナポレオン戦争の戦闘の場になり、その被害の様子やナポレオンの動向、相手軍の振る舞いなどが書かれている。
当時の対仏大同盟のオーストリア、プロイセン、イギリス、ロシア軍によって3月31日にパリが陥落した直前の出来事だ。
200年以上も前の事柄ながら、まるでつい最近のことのように思えてしまうのが不思議だ。 -
駅前は来た時と同じ光景がそのまま変わらずにあった。
この駅前の車の持ち主たちは電車の通勤客なのだろう。 -
帰路の切符を求めるために初めて駅舎に入った。
来た時には駅舎を通ることなくホームから直接外に出たので分からなかったが、有人の窓口が一つだけあった。
誰もいない駅舎待合室にはカミーユ・クローデル美術館の案内リーフレットだけが置かれてあった。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- norio2boさん 2022/12/11 08:33:26
- ご無沙汰です
- ばねおさん
お元気そうですね
旅行記なつかしく拝見しました
海外旅行はパリオリンピックの後ぐらいに
遅ればせながら
という感じで行こうかと計画しています
最近は国内メインで動き始めています
クローデル美術館再訪され
ご感想伺いたいと思っております
今後とも
パリの旅行記
楽しみにお待ちしております
- ばねおさん からの返信 2022/12/11 18:40:04
- Re: ご無沙汰です
- norio2bo さん こんにちは
まことにお粗末なクローデル美術館行となりました。
フロベールに出会えたのは予定外の喜びですが、今どきフロベールを読む人などいないでしょうね。ましてや『感情教育』はなおさらだと思いますが、私は若い頃に読んでいて、その記憶が呼び起こされるような経験でした。
年明けから4月頃までフランスを離れますので、次の「いずれ」はその後になりますが、ぜひ行くつもりです。
パリオリンピックが終われば、リニューアルされたパリにも出会えると思います、あと2年もありませんからもうすぐですね。
ばねお
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