2022/11/27 - 2022/11/28
571位(同エリア712件中)
ペコちゃんさん
- ペコちゃんさんTOP
- 旅行記445冊
- クチコミ111件
- Q&A回答1件
- 726,938アクセス
- フォロワー24人
南房総の旅・二日目は、房総半島最南端・野島崎から館山に向かい、赤山地下壕と大福寺・崖観音を見学。
その後、金谷で昼食と買い物をし、東京湾フェリーで久里浜に向かい、下船後、ペリー公園を見学して一泊二日のバスツアーは無事終了しました。
写真は、崖観音が祀られた大福寺の観音堂。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
<2日目>
朝食会場は、夕食と同じ3階のレストラン「はまゆう」でバイキング。
調理人が目の前で焼き上げる「ふわとろオムレツ」や焼き立てクロワッサンなど、美味しい朝食でした。 -
ホテル南海荘を出発して房総フラワーラインを走り、館山へ。
最初の観光は「赤山地下壕」・・・市営プールの駐車場にバスを停めて歩いて行きます。 -
幕末から太平洋戦争が終わる1945年まで、東京湾の入口にある館山は、国の中心である東京を守るための重要な場所でした。
そのため、館山には砲台跡や海軍航空隊などの戦争遺跡が多く残っていますが、代表的なものが赤山地下壕。 -
市営プールの先にある館山市・豊津ホールで添乗員さんが受付をして入場料・200円を払い、ヘルメットを受け取ります。
-
地下壕の全長は1.6kmもありますが、一般公開は約250m・・・まるで迷路のような内部構造は、敵を惑わせるためとも言われています。
-
安全確保のため、ヘルメットを被って入場・・・内部は天井が低くなっている所もあるので、ヘルメットは必携です。
-
赤山地下壕はアメリカ軍の空襲が激しくなった太平洋戦争の終りの頃(昭和19年以降)に造られたと考えられています。
壕内には発電所跡や病院施設があったなどの証言から、この地下壕は民間人が空襲から身を守るための防空壕ではなく、館山海軍航空隊の防空壕として使われました。
イザという時には、本部機能を丸ごと移すことも考えていたのでしょうか。 -
一方で、素掘りのまま使用されたため、ツルハシの跡がそのまま残っていたり、地下壕の延伸に計画性がなかったりと、「戦況が悪化する中で、慌てて造ったのでは」との指摘もあります。
-
戦後は「忘れられた存在」になっていましたが、壕内の気温が一定であることから昭和30年頃にはキノコ栽培に利用されていました。
-
南房総の地層は、新生代第三紀(2,303万年前~258万年前)の凝灰質の砂岩や泥岩が隆起して形成されたので、赤山の岩体は掘りやすく崩れにくい地質になっており、地下壕の大部分は素掘りのまま使用され、今も壁面にはツルハシの跡が残ります。
-
内壁に地層が美しく浮かび上がる部屋・・・現代アートの壁紙みたい。
-
ここが見学コースの終点で、ここから引き返します。
-
赤山地下壕見学の後は、館山市にある真言宗智山派の大福寺へ。
境内の船形山の中腹に建つ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、地域の人達に崇拝されてきました。 -
船形山の中腹の崖に、清水の舞台のように建つ観音堂の本尊は十一面観世音菩薩・・・717年に行基(668~749年)が東国行脚の折に立ち寄り、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に彫ったと伝わります。
-
その後、慈覚大師(794~863年)が当地に立ち寄った際に堂宇が創建されたと言われています。
「赤山地下壕」や「燈籠坂大師の切通しトンネル」もそうでしたが、千葉の地層は見応えがあります。 -
駐車場から大福寺へ。
-
正面階段を登ると本堂・・・左右には一対の大きなソテツ。
大福寺の伽藍は大正12年の関東大震災で本堂・観音堂が倒壊し、昭和元年に現在の本堂が再建されました。 -
本堂の左側には、無病息災・延命長寿祈願の延命地蔵尊。
-
海風などの影響を受けやすい観音堂・・・1年半かけて大改修が行われ、平成28年7月に完了。
-
観音堂へ続く、109段の階段・・・途中でパチリ。
-
階段を上る途中の岩肌をよく見ると、石仏が祀られています。
-
やっと観音堂へ。
-
扁額には『観音堂』。
-
堂内正面奥の観音様に参拝。
-
細かな網目から観音様の下の部分が見えます。
-
十一面観世音菩薩の像高は131㎝で、舟形の光背を背に二重蓮華座の上に立っています。
磨耗が激しいので表情はよくわかりませんが、頭上に菩薩面を刻み、左手に水瓶(すいびょう)を持つ様子や、着衣のひだなどが分かります。
(写真は大福寺のHPより) -
観音堂の天井を見ると、南房総の植物などを描いた奉納天井絵で飾られています。
-
大改修の際にリニューアルされた114枚の天井絵。
-
色鮮やかで美しい天井絵・・・観音堂内にあるベンチに腰をおろして、しばらく見入ってしまいました。
-
観音堂の欄間に彫られている十二支の彫刻も見事。
これは寅(とら=虎)と卯(う=兎)。 -
辰(たつ=龍)と巳(み=蛇)。
-
午(うま=馬)と未(ひつじ=羊)。
-
観音堂の舞台から望む鏡ヶ浦(館山湾)。
-
金谷に向かい、バスツアー定番の「ザ・フィッシュ」で昼食&お買い物。
-
次々と観光バスがやってきます。
-
「ザ・フィッシュ」は、お土産、レストラン、そしてオーシャンビューの絶景など、様々なものが一度に楽しめる複合施設。
-
2階にあるガラス張りのレストランで昼食。
-
刺身に揚げ物にうどん・・・バスツアーだから、ランチはこんなもんでしょう。
-
食後は1階に下りてショッピング。
クーポンがまだ残っているので、手造りできたて工房「見波亭」でバウムクーヘンなどをゲット。 -
テラスに座って食べた「塩キャラメルブッセ」・・・ほろ苦いキャラメルクリームとブッセ生地の食感のバランスが絶品の、ひんやりスイーツでした。
-
沖には漁船が何隻も・・・この辺りでは、クロダイ・メバル・メジナ・アオリイカなどが獲れるようです。
-
鋸山ロープウェイも近くに見えます。
-
これから東京湾フェリーで、金谷港~三浦半島の久里浜港まで約40分の船旅。
-
バスに乗ったままフェリーに乗船し、その後、客室に向かいます。
-
13時15分に金谷港を出発。
-
船旅は情緒がありますね。
-
カモメ達も頑張ってついてきます。
-
久里浜まで一直線。
-
漁船もチラホラ。
-
久里浜港に近づき、見えてきたのは横須賀火力発電所・・・1960年に操業を開始し、当時は世界一の発電出力を誇る火力発電所でした。
その後、設備の老朽化に伴い2010年に停止しましたが、2011年の東日本大震災による電力不足に対応するために再稼働・・・2014年に再び停止となり、2017年に57年の歴史に幕を下ろしました。
今後、JERA(東電と中電の合弁会社)により、新たに石炭火力発電所の建設が予定されていますが、市民団体から反対の声も上がっています。 -
発電所手前の灯台がある岩礁・・・よく見ると数名の釣り人がいます。
-
久里浜港に停泊中のオフショア船「あかつき」・・・海上の石油開発設備(リグ)へ資材や機材を輸送したり、リグそのものの移動や海洋土木を援助する支援船です。
-
いよいよ久里浜に上陸・・・ペリー提督の気分です。
-
これが今回乗船した「かなや丸」・・・総トン数:3,580t、全長:79mで、旅客定員:680名。
車両積載台数はバスのみだと最大12台、乗用車のみだと最大105台の大型フェリーです。 -
久里浜港から歩いて『ペリー公園』へ・・・約250本の松が植えられ、日本の歴史公園100選にも選ばれています。
-
ペリー上陸の足跡を伝えるため、1901(明治34)年に米友協会が設立しました。
-
公園中央には高さが5.25mのペリー上陸記念碑、右奥にはペリー記念館があります。
-
『北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑』の碑文は、初代内閣総理大臣・伊藤博文の揮毫によるもの。
-
記念碑の下に置かれた世界地図には、アメリカから浦賀に辿り着いたペリー艦隊の航路が描かれています。
黒船来航の目的は、捕鯨船の物資補給を目的とした寄港地の確保でした。 -
ミシシッピ号に乗り込んだペリーは、フィルモア大統領の親書を携えて1852年11月にバージニア州・ノーフォークを出港し、ケープタウンやスリランカ、上海・沖縄(琉球王朝)・小笠原などを経由し、約半年かけて1853年7月8日に浦賀へ到着し、徳川幕府に開国を迫ります。
-
終戦直前には倒されたこともある記念碑・・・裏側には、英語の碑文。
-
横須賀市市制80周年を記念して1987年に建てられたペリー記念館・・・ペリー来航と開国の歴史を伝える資料などが展示されていますが、今日は月曜なので休館日。
-
入口の右側にあるペリーの像。
-
左側は浦賀奉行だった戸田伊豆守(1799~1858)・・・幕府代表として井戸弘道と共にペリーと会談をし、鎖国中であることを伝えますがペリーはこれに応じなかったため、仕方なくアメリカのフィルモア大統領の親書を受け取りました。
1854年にペリーが再来航した際にも幕府代表として、日米和親条約を結んだ人物です。 -
ペリー公園が造られた時から植えられている松の木・・・樹齢は100年以上。
-
公園の左側にある「じょうきせんの碑」・・・「上喜撰」というお茶の銘柄と「蒸気船」を掛けて「お茶を4杯飲んだら寝られなくなった」「蒸気船が4隻来たら大騒ぎで寝られなくなった」という驚きを端的に表現した落首で、この落首は越前鯖江藩の第7代藩主で幕末の老中だった間部詮勝(まなべあきかつ/1804~1884)作と言われています。
『泰平の ねむりを さます じょうきせん たった四はいで 夜も 寝られず』 -
浦賀から高速に入り、海老名SAで最後の休憩。
赤山地下壕と浦賀・・・思わぬところで日米の歴史に触れることが出来たツアーでした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- pedaruさん 2023/01/07 14:40:30
- 地球の横顔を見た
- ペコちゃんさん
新年おめでとうございます。
房総の岩肌にくっつくように建っている崖観音は迫力ありますね。岩肌は天然の崖崩れ跡、次の崖崩れは何時かと心配ですが、行基のころから崖はあったとすれば、1500年菅は何ともなかったということですね。悪徳不動産屋が造成した宅地とは大きなちがいです。安心してお参りできますね。
日本軍が敗戦間じかに掘った洞窟は貴重な戦争遺産ですね。日本の国土で戦うこと自体
敗戦は必至だったと思うのですが。
ペリーの開国の目的は、捕鯨の補給基地としてですね。露骨な植民地の野望はなかったなら、しかたないかな。でも条約は不平等なものだったのですね。
それにしてもペリー提督も戸田伊豆守もハンサムですね。
pedaru
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
館山(千葉) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
67