2022/11/27 - 2022/11/27
262位(同エリア1652件中)
ベームさん
前回江戸川橋まで来て足が痛くなり止めました。3週間たってまた挑戦です。
今回は小石川橋までと、紅葉が今が見ごろの小石川後楽園です。
途中神田川を離れて、元の神田上水跡の巻石通りを歩きましたので登場する橋の数は少ないです。
表紙の写真は小石川後楽園にある神田上水跡です。神田上水はこのように開渠の状態で流れていました。ここから先は懸樋(かけどい)で神田川を越えて市内に供給されます。
-
今日のスタートは前回ここで終わった江戸川橋です。9時20分ころ。
地下鉄の有楽町線江戸川橋駅から江戸川橋まではかなりあります。エレベーターを2回乗り継いで地上に出ました。 -
音羽通りと目白通りが交差するところ。
前回からちょうど3週間、足に多少の不安を抱えながら歩き始めました。 -
大きな交差点です。
-
頭上を覆う首都高5号池袋線。
-
江戸川橋。
分水路の吐口があります。 -
この付近の神田川。
この辺りから下流の岸辺はスペースがないのか、桜などの樹影は見られません。東京都は都市機能の集中する神田川流域の高潮、洪水を防ぐため絶えず川幅の拡幅、河床の掘削、分水路・調整池の設置などの対策を行っているそうです。 -
江戸川の夜桜。山本松谷「明治東京名所図会」より。
明治39年頃の風景です。上の写真からは想像もできない光景ですね。櫓や棹を操る音に混じって三味線の音や小唄の歌う声が聞こえてくるようです。
画面の手前では小さな花火を打ち上げています。 -
音羽通りを100mほども行くと路地の先に今宮神社があります。
隣りに神社の経営でしょう駐車場があります。神聖なる玉垣の上に宣伝の看板なんか掲げています。
提灯に講談社や鳩山会館のものがありますね。音羽通りには講談社の本社や音羽御殿といわれる鳩山邸があります。大きな氏子なのでしょう。 -
なんでも徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院ゆかりの神社らしい。
-
怖い顔した狛犬。まあどこの狛犬もそうですが。
-
本殿。
-
古びた天水桶。
雨水をためて防火に備えました。 -
境内社の天日鷲神社(あめのひわしじんじゃ)。
鷲=和紙。音羽は関口台地と小日向台地に挟まれて以前水窪川という用水が流れていました。その水を利用して手漉き和紙の製造が盛んで、明治の最盛期には80軒ほどの紙漉き屋がこの界隈にあったそうです。しかし急速な市街化は汚水の出る製紙業の存在を許さず、昭和の初めにはすたれてしまいます。鳩山家もおおいに製紙業と関係がありました。 -
下の絵が山本松谷が描いた「明治東京名所図会」の「音羽町紙抄場」です。
漉した紙をすのこで干しています。
ここで作られた水引、元結は高級品として珍重されたそうです。明治40年頃。
上段の絵は関口にあった目白不動堂。 -
神社の横の駐車場の横の坂。
-
八幡坂と云います。
-
ここら辺は文京区音羽1丁目1番地。
-
ここからしばらく神田川を離れます。と言っても神田川と無関係ではなく、大洗堰から引かれた神田上水の跡を歩くのです。
大洗堰で取水された神田上水は神田川の北を迂回して水戸藩上屋敷(いまの小石川後楽園)の池に落とされました。その大部分は巻石通りとなっています。 -
さらに上水は懸樋で神田川を渡り江戸東京市内に供給されます。
そして水質汚染で廃止される明治34年まで飲料水として使用されました。その後も昭和8年の東京砲兵工廠の移転まで工業用水として機能しています。 -
江戸川橋まで戻らずに横道に入りました。
高い石垣が続いています。 -
ここにも坂の説明板。
この鷺坂から次に出てくる大日坂にかけての高台は下総旧関宿(せきやど)藩主久世家の下屋敷がありました。 -
-
鷺坂。
-
小日向の台地から神田川にむかって幾筋もの坂があります。
永井荷風がその随筆「日和下駄」で書いています。
今の言葉で言うと:東京市の坂で眺めのいいものを上げると。・・・。小石川伝通院の安藤坂で、それと並行する金剛寺坂、荒木坂、服部坂、大日坂などは皆等しく小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。 -
大日坂。
-
坂の途中に妙足院大日如来。坂の名前の由来です。
-
坂を下りると巻石通りに出ます。
この巻石通り(水道通り)が神田上水の跡なのです。 -
文京区総合福祉センター。
神田上水は今の江戸川公園の大洗堰から台地の南縁部にあたるこのルートで後楽園まで引かれていました。 -
当時は開渠(白堀)でしたが、明治11年頃水質保全のため石で蓋をして暗渠化されました。その石の蓋を巻石といい、そして巻石通りとなったのです。
-
福祉センターは近くに住んでいた永井荷風が子供のころ通っていた黒田小学校があったところです。
-
この福祉センターの玄関先の地面の下に神田上水旧白堀の遺構があります。
光が反射してよく見えませんが、石組がありました。 -
-
白堀とは蓋の無い地上の開渠のことです。
-
昔の町名にも水道が付けられています。
-
巻石通りにはお寺が並んでいます。
善仁寺。 -
日輪寺。
-
日輪寺。
劇作家真山青果の墓がありますが、縁者以外墓地には入れません。
小説「南小泉村」、歌舞伎「元禄忠臣蔵」の作者。 -
巻石通り。
-
真宗大谷派本法寺。
-
夏目漱石の夏目家の菩提寺です。
-
この通りにあるお寺は全てコンクリート造りです。
-
境内に夏目漱石歌碑。
梅の花 不肖なれども 梅の花
俳句には全くの門外漢の私ですが、あまりいい句に思えませんが。 -
-
寺の墓地の小高いところにある周りに比べても小さなみすぼらしい墓、これが牛込一帯の名主であった夏目家の墓なのです。
-
漱石の兄までがこの墓に葬られています。
漱石は夭逝した娘雛子の遺骨のことで本法寺と諍いが起こり、真宗が嫌いになり禅宗に替わります。
漱石や夫人の立派な墓は雑司が谷霊園にあります。 -
「坊ちゃん」の清はこの墓に入れられたことになっています。寺の名前は養源寺になっています。
「坊ちゃん」より:
”死ぬ前日おれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんの御寺へ埋めてください。御墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。” -
称名寺。
-
文京区コミュニティーバス。
-
昔の町名は歴史、風土が感じられました。今の町名は効率一点張りで無機質です。
-
国際仏教学大学院。
1901年(明治34年)からここに住んだ徳川慶喜は1913年(大正2年)76歳で亡くなった。
困窮する旧幕臣をよそに、公爵、勲1等旭日大綬章を授かった大往生!?でした。 -
その横の新坂(今井坂)。
-
龍閑寺。
-
道路沿いに神田上水路の説明板。
-
金富小学校。
金剛寺のあったところです。 -
地下鉄丸ノ内線の地上部の上を渡る金剛寺坂。
無粋なフェンスで線路が見えません。何もこんなに目隠しをしなくてもよさそうなものなのに。写真を撮る隙間もありません。 -
金剛寺坂の陸橋を渡ってすぐ右に入ると、車の右の石垣沿いに説明板があります。
-
永井荷風生誕地。
明治12年、元高級官僚で実業家の長男としてこの地に生まれ、多感な少年時代を過ごしたのでした。 -
坂道の右手一帯です。
荷風の書には伝通院をはじめこの界隈のことがよく書かれています。 -
向いに川口アパートメント。
川口松太郎が建てた高級マンション。 -
先に進むと安藤坂に出ました。
-
安藤坂。
坂の上には伝通院があります。 -
歩道に埋め込まれたプレート。
-
このビルが中島歌子の主宰する「萩の舎」があった所です。
-
歌人で書家の中島歌子はこの地に上、中流の子女を集めて萩の舎を開き、門下生1000人を超えたと言います。
娘時代の樋口一葉はここで学んでいます。良家の子女の集まるここで貧しい一葉は肩身の狭い思いをしますが、才能は飛びぬけていて、師の代理をも務めました。のちの一葉の修業時代です。姉弟子に田辺花圃(三宅花圃、三宅雪嶺夫人)がいました。 -
安藤坂下。
ここで道はぐっと右に曲がり神田川の白鳥橋にでます。 -
白鳥橋(しらとりはし)。
いわゆる神田川の大曲に架かる橋です。
やっと神田川に戻りました。江戸川橋からこの間パスした橋は、華水橋、掃部橋、古川橋、石切橋、西江戸川橋、小桜橋です。 -
-
およそ神田川に架かる橋の名前には思えませんが、名前の由来が書かれています。
-
白鳥橋。
-
ここら辺りから橋も車の往来が激しくなり、前回歩いた江戸川公園あたりの静かさはありません。
-
右手(上流)にトッパンの大きな建物と新白鳥橋。
-
白鳥橋から新白鳥橋に少し行くと中村正直の私塾同人社の跡を示す説明板がありました。
-
中村正直、号敬宇は福沢諭吉と並ぶ明治初期の思想家、教育者。明六社の設立にも参加しています。墓が谷中墓地にあります。
-
新白鳥橋。
自動車専用橋です。 -
新白鳥橋の先に中之橋(仲之橋)。
-
中之橋。
-
橋の袂から見上げるトッパンの建物。
印刷博物館があります。 -
橋を南に大曲の内側に入るとアトラス江戸川アパートメントというのがあります。
-
アトラス江戸川アパートメント。ホームページより借用。
これが今はすべてなくなった同潤会のアパートの一つ、同潤会江戸川アパートメントのあった所です。
多くの文化人が住んでいました。 -
飯田橋方向に歩きます。少し足が攣りもよう。
新隆慶橋。大きな橋です。 -
新隆慶橋。
-
しんりゅうけいばし。
-
そのすぐ下手に隆慶橋。
-
錆びついた親柱。
-
新の方に比べてみすぼらしい橋です。
この辺り、以前は鰻の生け簀があり、何軒もの鰻屋があったという、今は昔の話です。 -
飯田橋の大きな交差点に来ました。大きな道路や陸橋が錯綜し車が行きかい訳が分かりません。
-
歩道橋の上から神田川。神田川はここで左(東)に曲がっています。
交差点の上を歩道橋が縦横に掛かっています。 -
船河原橋と手前が飯田橋。
神田川と外濠が接するところで、神田川に掛かるのが船河原橋、外濠に掛かるのが飯田橋。
位置関係はグーグルマップででも確かめてください。 -
-
船河原橋。
-
飯田橋。
-
-
飯田橋の欄干。
-
飯田橋。
-
この付近の神田川。上を高速道路が走り鬱陶しい限りです。
-
外濠通りを後楽園方向へ歩きます。
江戸時代ここらあたりの神田川の岸は市兵衛河岸と呼ばれる荷上場でした。 -
小石川橋の袂に来ました。向こうに見えるのは水道橋駅から続く後楽園ブリッジ。
いまはブリッジを渡る人は少ないですが、しばらくあとで凄い人になっていました。 -
小石川橋。
実はここで先に小石川後楽園に回ったのですが、写真は後回しにします。 -
-
-
ここに江戸時代小石川門がありました。
-
小石川橋の先で日本橋川が分岐しています。
右の橋が分岐するところに架かる三崎橋。左奥の橋は後楽橋。 -
日本橋川は三崎橋をくぐり、都心を流れて最後に永代橋付近で隅田川に注いでいます。
-
三崎橋。
日本橋川にかかる最初の橋です。 -
その先に新三崎橋。
-
神田川の真ん中を高速道路の支柱が突きさしています。
-
小石川後楽園から戻ってくると後楽園ブリッジが凄い人になっていました。
東京ドームでなにかコンサートでもあるのでしょう。 -
後楽園ブリッジの上から。
水道橋駅からぞろぞろ人波が押し寄せてきます。若い人たちばかりです。私も混じってブリッジに登ってみました。 -
順は前後しましたが小石川後楽園に寄りました。東門です。
パンフレットによると、江戸初期に水戸徳川2代目藩主水戸光圀の代に完成した回遊式築山泉水庭園です。国の特別史跡、特別名勝に指定されています。 -
ちょうど今が紅葉の見ごろのようです。
水戸徳川家上屋敷は今の東京ドーム、遊園地やシビックセンターなどを含む7万6千坪ほどの広大なものでした。明治になり屋敷は政府のものとなり、東側は陸軍の軍需工場である東京砲兵工廠となり、庭園部分はそのまま残りました。東京砲兵工廠の跡が今の東京ドームなどがあるところです。 -
入園料大人300円のところ、65歳以上は150円。
私は年齢を証明するものを持っていませんが生年月日を云うだけでよかったです。 -
人出は京都の名所などに比べたらずっと少ない。外人も結構見かけました。
-
門を入ると内庭があり池がありました、対岸に唐門が見えます。
-
-
唐門。後楽園への正式な入口だったそうです。
-
戦災で焼失し復元されたものです。
-
唐門から奥に進むと大きな庭園が広がり、大きな池、大泉水です。
-
琵琶湖を模したそうで、竹生島と蓬莱島が浮かんでいます。
-
この程度の人出です。
-
-
蓬莱島の左の大きな石は徳大寺石。
-
水鳥。
-
-
駐歩泉(ちゅうほせん)の流れ。
-
-
西行堂跡。
-
-
文京区役所シビックセンターと東京ドームの屋根が見えます。
-
西門の売店。
-
涵徳亭(かんとくてい)。
-
-
渡月橋。
左上の道は中国の西湖の堤を模したもの。 -
屏風岩。
-
大堰川。京都嵐山の大堰川をモチーフにしている。
-
-
大堰川に掛る通天橋。
京都の東福寺のものを模したそうです。 -
得仁堂(とくじんどう)。
-
丸屋。
-
-
-
蓮池。
-
一つ松。
近江大津の唐松の一つ松を模したいう。水戸光圀が愛でたというが勿論今のは何代目かのものです。 -
萱門跡休憩所とトイレ。
しばらく休み足腰を伸ばしました。 -
円月橋。
-
渡れません。
-
-
何の柱かと思って、
-
上から見ると手水鉢でした。
-
-
愛宕坂。
京都愛宕山の坂に倣ったもの。 -
神田上水跡です。
-
大洗堰から引かれた神田上水はこの後楽園の池に落とされ、さらに懸樋で神田川を越えて江戸市内に給水されたのです。
-
今の水は地下水をポンプでくみ上げています。
-
大洗堰から今の巻石通りを経てここまでずっと開渠で流れてきたのでしょう。
-
-
梅林。
紅梅、白梅30種類ほどあるそうです。 -
稲田。
光圀が跡継ぎの嫁に農民の苦労を教えるために作ったものです。
今は文京区内の小学生が田植えから刈り入れ迄行っているそうです。 -
-
九八屋(くはちや)。
江戸時代の風流な酒亭を復元したもの。 -
異形燈篭。
-
蓬莱島。
-
-
ここで作られた砲弾が日清日露戦争で使われました。
以上小石川後楽園でした。
いくら都内の紅葉の名所でも、自然のものに比べたら及ぶべくもありませんね。 -
今2時過ぎ。足もおかしくなってきたので今日はおしまい。
お茶の水、東京駅で乗り換えて横浜まで。
残りの橋、河口の柳橋まであと1回で終われるか?
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2022/11/30 05:28:34
- 知られざる名所
- ベームさん おはようございます
たくさん歩かれましたね。読んでいてわくわくします。私もはやく山の手方面を探訪したいと願っております。
夏目家の墓、名主といえども昔はこんなものなのでしょうね。雑司ヶ谷霊園の漱石の墓を訪れたことがありますが、あまりいい印象はありません。文豪とはいえ、この豪華さには、品格を感じませんでした。漱石が望んでいたかどうかは知りませんが。
それに引き換え、永井荷風の墓は、慎ましい感じがして、同じ文豪の墓として好感が持てました。
pedaru
- ベームさん からの返信 2022/11/30 16:11:44
- Re: 知られざる名所
- pedaruさん、
漱石の墓のこと、同感です。荷風のにしろ紅葉や森鷗外のにしろただ1本の墓石だけです。よっぽどきちんと遺言しておかないと遺族が何をするか分かりませんね。
いつも訪問いただきありがとうございます。
ベーム
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
水道橋(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
164