西尾・一色・幸田旅行記(ブログ) 一覧に戻る
松鶴園でお菓子を買って、西尾城に登城しました。

西尾城に登城する。松鶴園の茶菓を届ける。

8いいね!

2022/11/10 - 2022/11/10

78位(同エリア148件中)

0

55

nomonomo

nomonomoさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

松鶴園でお菓子を買って、西尾城に登城しました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.0
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 登城する前に、先ず寄ったのが、ここ。

    登城する前に、先ず寄ったのが、ここ。

  • 手ぶらで登城するわけにはいきません。

    手ぶらで登城するわけにはいきません。

    松鶴園・茶房茶遊 グルメ・レストラン

    菓子店としてより、茶房として有名になった。パフェが名物。 by nomonomoさん
  • パフェでも食べたかったのですが、まだ時間がはやくて、お腹がパフェを受け入れない様子なので、やめました。

    パフェでも食べたかったのですが、まだ時間がはやくて、お腹がパフェを受け入れない様子なので、やめました。

  • 二の丸から城内へ。

    二の丸から城内へ。

  • ニ之丸丑寅櫓。

    ニ之丸丑寅櫓。

  • 再建です。

    再建です。

  • 西尾市歴史公園。

    西尾市歴史公園。

    西尾城二之丸跡 名所・史跡

    駐車場の脇にある一番近いきれいな櫓。 by nomonomoさん
  • 本丸はあちら。

    本丸はあちら。

  • 行きましょう。

    行きましょう。

  • ぐるっとまわって。

    ぐるっとまわって。

    本丸丑寅櫓 (西尾城) 名所・史跡

    入り口が狭く、分かりづらい。外から見ると立派な建物です。 by nomonomoさん
  • 城内を一跨ぎ。

    城内を一跨ぎ。

  • ここも櫓あと。

    ここも櫓あと。

  • あれは、資料館。

    あれは、資料館。

  • 登城口。通路がせまい。

    登城口。通路がせまい。

  • 中へ。

    中へ。

  • 上からの眺め。これは資料館。

    上からの眺め。これは資料館。

  • 北かな。

    北かな。

  • 二の丸の方。

    二の丸の方。

  • 左手に、旧近衛邸。

    左手に、旧近衛邸。

  • あっち。

    あっち。

  • こっち。

    こっち。

  • 資料館。

    資料館。

  • 西尾城本丸表門跡<br /><br />姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建て<br />の楼門式の門で、規模が、東西二間二尺(四・ <br />二メートル)、南北四間二尺(七・九メートル)で、高さ二丈四<br />尺五寸(七・四メートル)でした。<br />現在、南側の土塁と石垣は失われましたが、 <br />北側の丑寅櫓から伸びる土塁を断ち切る面に積 <br />まれた野面積みの石垣と、石垣に接して二つの<br />礎石のみが残されています。<br /><br />本丸は土塁が巡り、四隅に櫓が築かれていま <br />した。その中で東北隅の最も規模の大きい櫓が <br />丑寅櫓です。郭内には西尾城の守護神である <br />御剱八幡宮があり、本丸は西尾藩の心の支えと <br />なった郭と想像されます。よってこの神社は代々 <br />の城主に尊崇され、拝殿前には城主寄進の石灯篭<br />が建ち並んでいます。<br /><br />平成十八年二月<br />西尾市教育委員会

    西尾城本丸表門跡

    姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建て
    の楼門式の門で、規模が、東西二間二尺(四・
    二メートル)、南北四間二尺(七・九メートル)で、高さ二丈四
    尺五寸(七・四メートル)でした。
    現在、南側の土塁と石垣は失われましたが、
    北側の丑寅櫓から伸びる土塁を断ち切る面に積
    まれた野面積みの石垣と、石垣に接して二つの
    礎石のみが残されています。

    本丸は土塁が巡り、四隅に櫓が築かれていま
    した。その中で東北隅の最も規模の大きい櫓が
    丑寅櫓です。郭内には西尾城の守護神である
    御剱八幡宮があり、本丸は西尾藩の心の支えと
    なった郭と想像されます。よってこの神社は代々
    の城主に尊崇され、拝殿前には城主寄進の石灯篭
    が建ち並んでいます。

    平成十八年二月
    西尾市教育委員会

  • 御劒ハ幡宮<br /><br />社伝によれば、文徳天皇の皇子八条院宮が、 <br />渥美郡伊川津にご住居された折、その御屋敷の <br />東西に八幡社、天王社(現、伊文神社)をお祀 <br />りした。故ありて皇子が当地にご転住の節、両 <br />社もご遷座され、八幡社は松山(現、山下町東 <br />人幡山)に祀られた。<br /><br />承久の乱で戦功をあげた足利義氏が三河国守 <br />護に任じられた時、当地に西条城を築城するに <br />あたり、城内鎮護の神として松山より本丸に移 <br />された。源家相伝の宝劒髭切丸が奉納されたこ <br />とから御劒八幡宮と称されるようになったとい <br />う。<br /><br />延宝六年(一六七八年)、西尾城主土井利長 <br />により社殿が再建され、以後たびたびの修築が <br />重ねられた。本殿が一間社流造、桧皮葺、拝殿 <br />が入母屋造、桧皮葺である。歴代城主の崇敬が <br />厚く、拝殿前には土井氏・三浦氏・大給松平氏<br />が寄進した灯籠が立ち並んでいる。<br /><br />本殿・拝殿・渡殿と石灯篭・陶製狛犬は西尾<br />市の指定文化財。平成元年・二年に解体修理が<br />行われ、創建当時の姿に復元された。<br /><br />平成二四年十二月 西尾市観光協会

    御劒ハ幡宮

    社伝によれば、文徳天皇の皇子八条院宮が、
    渥美郡伊川津にご住居された折、その御屋敷の
    東西に八幡社、天王社(現、伊文神社)をお祀
    りした。故ありて皇子が当地にご転住の節、両
    社もご遷座され、八幡社は松山(現、山下町東
    人幡山)に祀られた。

    承久の乱で戦功をあげた足利義氏が三河国守
    護に任じられた時、当地に西条城を築城するに
    あたり、城内鎮護の神として松山より本丸に移
    された。源家相伝の宝劒髭切丸が奉納されたこ
    とから御劒八幡宮と称されるようになったとい
    う。

    延宝六年(一六七八年)、西尾城主土井利長
    により社殿が再建され、以後たびたびの修築が
    重ねられた。本殿が一間社流造、桧皮葺、拝殿
    が入母屋造、桧皮葺である。歴代城主の崇敬が
    厚く、拝殿前には土井氏・三浦氏・大給松平氏
    が寄進した灯籠が立ち並んでいる。

    本殿・拝殿・渡殿と石灯篭・陶製狛犬は西尾
    市の指定文化財。平成元年・二年に解体修理が
    行われ、創建当時の姿に復元された。

    平成二四年十二月 西尾市観光協会

  • ということ。

    ということ。

  • また。

    また。

  • 階段をのぼります。

    階段をのぼります。

  • 入り口周辺。

    入り口周辺。

  • 神社がいくつかあります。

    神社がいくつかあります。

  • 西尾神社。

    西尾神社。

  • 西尾神社。

    西尾神社。

  • 西尾神社。

    西尾神社。

  • 西尾神社。

    西尾神社。

  • 西尾神社。

    西尾神社。

  • おとなりさん。

    おとなりさん。

  • 屋根。

    屋根。

  • 時計がありました。

    時計がありました。

  • 古い時計。

    古い時計。

  • さて、

    さて、

  • 旧近衛邸です。

    旧近衛邸です。

  • 縁側が特徴的。

    縁側が特徴的。

  • 抹茶を飲んでいる人がいました。

    抹茶を飲んでいる人がいました。

  • 和室です。

    和室です。

  • 掛け軸。

    掛け軸。

  • 日本建築ですね。

    日本建築ですね。

  • 落ち着いている。

    落ち着いている。

    旧近衛邸 名所・史跡

    江戸時代末期の建物。数寄屋造り。 by nomonomoさん
  • 本丸を遠望。

    本丸を遠望。

  • 由緒。<br /><br />旧近衛邸(きゆうこのえてい)<br /><br />藤原摂関家筆頭として左大臣を務めた近衛家に嫁いだ婦人の縁で、島津家によって建てられ<br />た江戸時代末期の建物です。かつては桜木御殿と呼ばれ、左大臣近衛忠房邸内に建てられていま <br />した。その後、小松宮彰仁親王や山階宮晃親王の別邸として使用され、のちに天理教京都河原町 <br />大教会の手に渡り、保存されてきました。昭和六十年、神殿改修ともない取り壊されることにな <br />りましたが、部材を西尾文化協会が解体移送し、平成七年三月、西尾市歴史公園整備の一環とし <br />て再建されました。<br /><br />この建物は、数寄屋造りの書院棟と茶室から構成されています。書院棟は一の間(十畳)・二の<br />間(八畳)があります。東と南の二方には <br />一間幅の畳廊下が巡っています。茶室は六 <br />畳の茶室と三畳の次の間、畳廊下から <br />なっています。手前座脇に床を構えた亭 <br />主床と呼ぶ特異な構成で、床框も高くく、 <br />公家の茶室の趣を感じることができま <br />す。<br /><br />質素な造りのなかにも、各所に趣向を<br />凝らしており、公家の品格が薫る佇まい <br />となっています。

    由緒。

    旧近衛邸(きゆうこのえてい)

    藤原摂関家筆頭として左大臣を務めた近衛家に嫁いだ婦人の縁で、島津家によって建てられ
    た江戸時代末期の建物です。かつては桜木御殿と呼ばれ、左大臣近衛忠房邸内に建てられていま
    した。その後、小松宮彰仁親王や山階宮晃親王の別邸として使用され、のちに天理教京都河原町
    大教会の手に渡り、保存されてきました。昭和六十年、神殿改修ともない取り壊されることにな
    りましたが、部材を西尾文化協会が解体移送し、平成七年三月、西尾市歴史公園整備の一環とし
    て再建されました。

    この建物は、数寄屋造りの書院棟と茶室から構成されています。書院棟は一の間(十畳)・二の
    間(八畳)があります。東と南の二方には
    一間幅の畳廊下が巡っています。茶室は六
    畳の茶室と三畳の次の間、畳廊下から
    なっています。手前座脇に床を構えた亭
    主床と呼ぶ特異な構成で、床框も高くく、
    公家の茶室の趣を感じることができま
    す。

    質素な造りのなかにも、各所に趣向を
    凝らしており、公家の品格が薫る佇まい
    となっています。

  • というわけで、登城し、下城しました。

    というわけで、登城し、下城しました。

    西尾市歴史公園 名所・史跡

    西尾城の跡地。復元された本丸丑寅櫓と、移築された旧近衛邸がある。 by nomonomoさん
  • もらったパンフレット。

    もらったパンフレット。

  • 鷹狩りの記録。

    鷹狩りの記録。

  • 名古屋から西尾までのドライブの軌跡です。(紫の線。他の色は、その後のルート)

    名古屋から西尾までのドライブの軌跡です。(紫の線。他の色は、その後のルート)

  • 23号線の豊明インター。

    23号線の豊明インター。

  • 23号線から西尾市内へ。

    23号線から西尾市内へ。

  • 西尾城。

    西尾城。

8いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

nomonomoさんの関連旅行記

nomonomoさんの旅行記一覧

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP