2022/11/10 - 2022/11/10
337位(同エリア490件中)
nomonomoさん
- nomonomoさんTOP
- 旅行記4880冊
- クチコミ8753件
- Q&A回答332件
- 5,753,698アクセス
- フォロワー100人
この旅行記スケジュールを元に
竹島へ行く。橋は江ノ島より長そうだが、島は歩くところがない。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
水族館を出ると、
-
すぐに、
-
竹島が見えます。
藤原俊成像 名所・史跡
-
藤原俊成にちなんだ公園。像もあります。
-
竹島。
-
蒲郡の象徴です。
竹島園地 名所・史跡
-
竹島への橋。
-
江ノ島に似た雰囲気です。
-
渡りましょう。
-
左(東)側。
-
右(西)側。
-
後ろ。(北側)
-
いざ。
-
後ろ。
-
竹島の入り口に鳥居。
竹島 自然・景勝地
-
岩でごつごつした島です。
-
看板。
-
由緒書。
御由緒
一 祭神
市杵島姫令
一 由緒
富神社ハ安徳天皇ノ養和元年三月十
八日藤原俊成江州竹生島ヨリ勧請創
立シ奉レル所ニシテ古来竹島辨天ト
称シ日本七辨天ノーツタリ
享保ニ十年神祇伯雅富王ハ八百富神
ノ神號ヲ考へ賜リ同時ニ滋野井中納
言ノ手ヲ経テ禁中ノ御翠簾井菊御紋
提灯ヲ奉約セラル
徳川家康ハ當社ニ参拝シ神領四石八
斗ハ歴世ノ徳川将軍朱印状ヲ以テ寄
セ奉しル所ナリ
領主松平家ノ崇敬ハ深厚ヲ極メ累代
毎年ノ正月及江戸表へ出立並歸郷ノ
際ハ金紋先箱ニテ列次ヲ整へ領主自
ラ参拝シ例祭並毎月十八日ニハ必ス
家士ヲシテ代参セシメタリ
加へ第十代清當ハ天和三年石鳥居ヲ
第八代清昌ノ女回通院ハ御初尾ヲ奉
リソノ夫松平清行ハ寛文八年繪額ヲ
奉納セリ
第十一代義尭ハ賓永ニ年法華経ヲ献
シテ雨乞祈願ノ報賓ヲ輸シ元文三年
ニハ遥拝所ニ石鳥居ヲ建テ奉レリ
弟十三代義峯ハ明和九年石燈龍一対
ヲソノ女ハ石鳥居ヲ献シ第十四代守
惇ハ當社禰宜ニ命シテ竹島対岸ニ遥
拝殿ヲ造ラシメタリ
輓近ニ至リテハ各宮殿下ヲ始メ奉リ
貴顯名士ノ参拝寶物ノ奉納等擧ケテ
数へ難シ -
島内。
-
由緒書。
市指定有形文化財
木造弁才天像
昭和三十ニ年一月十日指定
弁財天十五童子像
昭和五十六年ニ月十三日指定
俊成卿画像
九十才の賀に後鳥羽上皇より賜った鳩杖を右にすえた藤原俊成の姿を描く。
江戸時代の作で、作者は土佐派の土佐光芳となっている。俊成の翁姿はめずらしい。
絹本着色、縦九八・五センチ、横三三センチ。
昭和五十六年ニ月十三日指定
五条三位俊成卿筆加賀切
元真集の断簡である。加賀金沢の藩主であった前田家に伝えられていたが、
大正十五年に名古屋で分割されて、加賀切と名付けられた。本書は、
そのうちニ四八首からニ五三首の和歌六首で、昭和六年十一月十八日、
竹島の千歳神社鎮座の時に、冷泉為系伯より寄進されたものである。
昭和五十六年ニ月十三日指定
竹島参詣滑稽鄙栗毛
本書は、江戸時代後期の弘化ニ年(一八四五年)初秋の作で、十返舎一九の
東海道中膝栗毛を模したものである。当時の竹島の御開帳参詣の様子が
おもしろく表現されている。
昭和五十六年ニ月十三日指定
蒲郡市教育委員会 -
急な階段を上っていきます。
八百富神社(竹島弁天) 寺・神社・教会
-
八百富神社。
-
立派な神社です。
-
八百富神社。
-
お参りしました。
-
奥に、八大龍神社もあります。
-
工事中で、近づけませんでした。
-
手前にも神社がありました。宇賀神社です。
宇賀神社 寺・神社・教会
-
さて、
-
帰ります。
-
竹島遊歩道なるものがありますが、
竹島遊歩道 名所・史跡
-
遊歩道というほどのものではありません。
-
島としては、江ノ島のほうがずっとおおきい。
-
あれが、蒲郡クラシックホテル。
蒲郡クラシックホテル 宿・ホテル
-
蒲郡の海です。
-
眺め。
-
いい眺めですね。
-
蒲郡の町並み。
-
パノラマで。
-
そろそろ、
-
ホテルへ、
-
行きましょうか。
-
おなかも
-
すいてきました。
-
あの正面です。
-
いざ。
-
竹島でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
nomonomoさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
蒲郡(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
47