2022/11/04 - 2022/11/04
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滝山氏照さん
仙台城(宮城県仙台市青葉区川内)は慶長年間に伊達政宗(だて・まさむね、1567~1636)が徳川家康の認可を得て「千代」に築城し「仙台」と改称したといわれ、それから明治維新まで約270年間伊達氏の13代藩主の居城として経過、60万石(後に2万石加増)という奥州の中でも抜群の規模を有する大名といえます。
実際に完成したのは二代藩主伊達忠宗(だて・ただむね、1600~1658)の代で明治維新後は陸軍管理下の敷地となってその間多数の城郭が解体され、さらに第二次世界大戦で仙台空襲によってほとんどの建物が焼失して歴史的資産は全てを失っている状況です。
本丸の一隅に建てられた「仙台城の歴史」に関しては次のように紹介されています。
『 仙台城の歴史
仙台城は初め千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代の末から室町時代の中頃にかけて島津氏が陸奥守として居城したといい、室町時代の末頃には国分荘の国人国分氏が一時居城したとも言い伝えられているが明らかではない。
豊臣氏の頃、後の仙台藩祖伊達政宗公は天正19年(西暦1591年)以来58万石を領して玉造郡岩出山城に在ったが、慶長5年(西暦1600年)関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応した会津の上杉景勝を」牽制し家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により新たに刈田郡を加増、仙台60万石(後に近江、常陸で2万石加増)に封ぜられた。この時政宗公34才、大いに工を起して仙台城を築城、同時に戸数1万8百人口5万2千の城下町を開いた。二代忠宗に至って二ノ丸、三ノ丸を造営し、62万石の雄藩にふさわしい城郭を完成した。
かくして仙台城は藩祖以来伊達氏、13代270年にわたり1度も戦火を被らなかった平和な城として郭内の殿舎、楼櫓を完全に保存して明治時代に至ったが、心なき俗史によって破却せられ、あるいは火を失し、戦災に罹りなどして全滅に帰した。尚本丸の地は仙台七崎の一つ青葉ケ崎DE仙台城の俗称を青葉城とよぶのはこのためである。
宮城県護国神社 」
- 交通手段
- 新幹線 自家用車 徒歩
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仙台城・城郭説明板
東と南を断崖が固め、広瀬川を外堀に見立てた天然の要害上に建立された城郭ですが、天守閣については幕府の嫌疑を避けるため敢えて構えなかったようです。 -
仙台城・仙台城歴史説明
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仙台城・伊達政宗公騎乗姿
いつもの様子が変です。ネットで覆われている様子です。 -
仙台城・伊達政宗公騎乗姿
工事中でした・・・・・・。姿を見ることができず残念!
(今年3月に発生の福島県沖地震の影響で修復工事中とのことです。) -
仙台城・石柱
『史跡 仙台城」とあります。 -
市街展望
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仙台城・「築城期の石垣モデル
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仙台城・「築城期の石垣モデル」説明板
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仙台城・「本丸北壁の石垣モデル」
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仙台城・「本丸北壁の石垣モデル
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仙台城・「仙台城の大広間」説明板
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仙台城・大広間絵図
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仙台城・大広間図面
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仙台城・大広間見取図
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