1991/10/20 - 1991/10/20
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与方 藤士朗さん
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この旅行記スケジュールを元に
1991年の8月の第1日曜日でした。
その年の春に下宿をかわり、後20年近く住むボロアパートに転居して間もない頃のことでした。
~ そのアパートは、約20年後に立退きで退去しましたが、その時家主の側にいた弁護士さんは岡山大学の先輩でした。しかもその方はこの年大学で講師としてこられており、私はその方の講義を受講しておりました。
立退前後はともあれ、この頃は、前にいた場所に比べていささか家賃が上がり、それに伴って生活がきつくなり、しばらく遠出ができないままでした。
この事件が起きたその週末、約5か月ぶりに遠出ということで、前日の土曜日から関西圏に出向いておりました。
朝早かったので少し疲れ気味でしたが、大阪環状線の電車に乗っていて、年配の方が来られたので席をお譲りしたことを、なぜか覚えています。
その日何をしていたのかは全く覚えていませんが、とにかく、夕方には京都の先輩宅に伺っていたことは、確かです。
その日も1泊させていただき、それで、翌日曜の朝。
よく晴れた日だったように記憶しています。
そのとき、たまたま、先週の初めに起きた事件が、テレビで報道されていました。
広島県三原市の小佐木島にある、
「自称!(~著者注)」情緒障害児厚生施設・風の子学園で、
コンテナに長時間閉じ込められた少年と少女が死亡した事件。
この施設の園長は坂井幸夫という人物で、元海軍整備兵。
この坂井某なる人物がやらかした事件は、戸塚ヨットスクールのような賛否が沸きあがることもありませんでした。
なんせ、その施設を手伝ったこともあるという元校長という方が、この坂井某においては、「教育の「き」の字も、愛情の「あ」の字もなかった」とまで週刊誌に語っていたほどの、「テイタラク」さえも突き抜けた事件でしたからね。
大学の鉄道研究会の先輩は、その事件を報じるテレビを見て、呆れつつ、一言。
「まったく、とんでもない事件を起こしやがっとるな・・・」
正確な言葉は覚えていませんけど、普段人以上に温厚なこの方がおっしゃるだけに、ただならぬ怖ささえ感じました。
さらに、その年の9月。
大学の後期の授業料免除の申請をするため、その保証人の署名捺印をいただくべく、大学合格までいた養護施設に参りまして、当時の園長にお会いして、まあ、よもやま話ともつかぬことになるのはいいとして、この話を持出したところ、
「あれは、論外ですよ」
それだけ。たった、それだけ。まあ、当然かどうかなど論ずるまでもないでしょう。
この方自体は団塊世代で私の両親より少し年上の方でして、若い頃はなんだかんだで入所児童に対し今なら「体罰」ともいえるようなこともされていました。
とはいえ、理不尽なことをされる人ではありませんから(だからと言って免罪されるわけでも正当化されるわけでもないが、ここはそれを「糾弾」することが目的ではないので、ここまで)、そりゃあ、そんな「暴力」を通り越したようなことをする人物の言動に賛意どころか理解さえ示すわけもない。
こうしているうちに、何はともあれ、現場というものを自分の目で確かめてみようという気になってきました。
要は、事件の現場に足を運んでみよう、ということです。
追記の参考資料
この旅行記をお読みになる皆様への参考資料
1991(平成3)年7月31日付 山陽新聞社会欄より
この旅行記の行先となった広島県三原市の小佐木島で起きた、風の子学園事件。
私の住む岡山県は現場の広島県の隣県ですので、全国紙の社会欄に比べ、かなりスペースを取って掲載されていました。
こちらでは、かの坂井幸夫園長の顔写真も出ていました。
後に破綻した山一証券に係る記事も出ています。
丁度、バブルが崩壊し始めていた頃のことです。
この他にも、早稲田大学出身の日本電気(NEC)のエリート社員さんが殺害された事件もありました。
この日の社会欄は、きな臭い話ばかりでしたとしか言いようがないです。
なお。引用写真につきましては、旅行記のサイト上に掲載することが本稿掲載目的上必ず必要とまでは言えないと思料しますので、引用は控えさせていただきます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
秋もたけなわとなった1991年10月半ばのある日曜日。
私は、朝少し早め程度の時間帯の電車に乗って、三原へと向かいました。
今も同じ電車が走っているこの区間ですが、当時は、もはや少数派となった湘南色でボックスシートの115系電車がこの地域の主力。
いつものように、いつもの電車に乗る間隔で、約1時間30分ほどだったかな。
とにかく、目的地へと向かいました。
* 写真は当時の115系電車。赤穂線備前片上駅で撮影したものです。
~別の旅行記掲載に際して補正した写真データに変更します。
(2023年9月29日)三原駅 駅
-
現在では島民数も減少して(4人とのこと。夫婦1組と高齢女性2名。男性は区長さんで、時折マスコミにも登場されていました)小型船が就航しているようですが、当時はまだフェリーでした。
三原駅から少し歩いて三原港にたどり着き、そこからそのフェリーに乗ること、わずか十数分で、目的地の島へ到着しました。
何か案内があったか、あるいは、島におられた誰かに聞いたか、そのあたりは一切覚えていませんが、歩いて十数分のところに、その地はありました。
その地まで歩いて行った時の記憶は、まったく抜けています。三原港 乗り物
-
風の子学園の案内板。
その背後の木製の柵。
確かに、一見のどかな場所のように思わせる「効果」はありました。
2023年9月現在、この看板等も一切撤去されています。 -
こさぎ島休暇村 風の子学園 ようこそこちらです
木に彫りこまれた看板が、その地であることを告げています。
もっとも、そこに来た人を迎える「あるじ」は、現在拘留中。
注:その事件を起こした園長の坂井幸夫氏は、この時点で逮捕され拘留されていました。 -
さらにその近くには、こんな札と囲いが。
風の子乗馬場
手入れがこのところされていないこともあってか、すでに草むして荒れた感一杯。
馬は、もういなかったはず。
そもそも、いたのかな? -
近くを伺っているうちに、ついに、肝心の目的地へ到着しました。
本来その物体は、きみどり色が基調の箱ですが、今は、ブルーシートに覆われています。
これは、旧国鉄時代のコンテナです。
ほら、「戸口から戸口へ」というスローガンの書かれてあった、あのコンテナね。
ネット情報によれば、東福山駅から購入したものらしいです。
さて、その青く覆われた物体に接近してみると、こんな札が掲げられています。
これに
さわらないで
ください
検察庁
白地のプラスチック製の板に、黒字の、あっさりとした告知。
ここが、かの事件の起きた「現場」なのです。
コンテナは本来、人を閉じ込める場所ではないはずですが、かの坂井園長は、「内観」と称して、入園者らを懲罰的に閉じ込める場所として、このコンテナを使っていたのです。
注:現在では、このブルーシートや告知板は外されているようです。 -
これが、その告知板をアップしたものです。
-
さらにさらに!
その近くの事務所も、「証拠保全」のため、残されておりました。
黒板には、かなり、かれこれ書かれています。
** 父 来園
被害者の少年の父親がこの日来園するという旨の記載が、残っていました。
注:この事件についての具体的な記述は、こちらではこれ以上行いません。 -
事務所内の写真ですが、修正した結果、どのようなものが置かれていたかがおおむね判明しました。
当時のテレビは言うまでもなくブラウン管。
今となっては、昭和後期の雰囲気が色濃く残っている様子をしっかりとうかがえます。
左側に置かれている酒瓶と思われる一升瓶。
その事件が起きてたそのときにも、園長は酒を飲んでうとうとしていたという報道もありました。
ひょっとすると、この酒瓶がその時飲んでいた酒なのかもしれません。 -
事務所上にある貼紙と教訓のようなものが書かれた額。
額の中の文字までは、現段階では判別できません。 -
こちらをさらにズームしてみました。
私が最初一升瓶と思ったものはどうやらそうではないようですが、その後ろに、明らかに一升瓶と思われる物体も見受けられます。
この取っ手付きの瓶? は、酒なのか、醤油となのかは判読不能です。
ちなみに坂井氏は、酒を飲まれる方でした。
大体、閉じ込められた子らが死にそうになっていても、大酒飲んでうとうとしていたような御仁だったようでね(報道等による情報)。 -
さて、瀬戸田方面から戻ってくるフェリーの時間が近づいているのを、手持ちの鉄道時計(懐中時計ね)で確認し、来た道を戻って、「本土」へと戻るフェリーに乗込みました。
今も本数は日に数本しかないけど、当時でも、そう多くはなかったはず。
これ逃したら、何時間も帰れませんから、そりゃあ、大変ですよ。
とにかく、帰りのフェリーに乗込みました。
確かまだ、昼前でしたね。
小佐木島から帰りのフェリーに乗って帰る途中、とある船員さんとお話する機会に恵まれました。
「風の子学園の坂井(幸夫)被告人ですが、どんな人物だったのでしょうか?」
そんな質問をした記憶があります。
それに対して、当時40代くらいと思われる、まあ、私からしてみれば親世代くらいの船員さんが言うには、こう。
「まあ、ええ加減なおっさんでなぁ、500万か1000万と言っておった借金が、気付いたら3000万になっておったといった調子で、な、それで・・・」
まあ正直、いい迷惑だったと言わんばかりのお話でしたな。
詳しい内容は覚えていませんが、坂井園長の「借金」の話になったことは、なぜか今に至るまで、覚えています。何と言っても、その船員さんの「おっさん」という表現だけは、忘れもせんのですよ。
ともあれ、三原港に戻って、特に何か食べたり飲んだりした記憶も、ないのね。
あとはひたすら、昼頃か昼過ぎには、岡山に戻ってきていました。
帰りの電車の記憶も、一切、ないです。
昼に帰って何を食べたとか、何していたかも、もう、記憶にないのよね。瀬戸田港 乗り物
-
その日の夕方には、街中の行きつけのスナックに行って、大いにカラオケを歌いながら飲んでいました。その日は、通信制高校の先生と生徒さんがスクーリングを終えての懇親会を兼ねて、大いに盛り上がっておられたのを覚えています。
これは、1991年当時の私の写真です。
当時22歳でした。
というより、ズバリ、この日の夕方の写真です。
フイルムが余ったので、こうして、写真を撮っていたのです。
三つ揃いのスーツで、チョッキにかけられている金属のチェーンは、鉄道時計をひっかけているものです。
ちなみにこの写真、翌1992年の年賀状にも使用しました。
腕の黄色い物体にご注目ください。
その正体は、次の写真です。
今どきは、もう、デジカメやスマホやタブレットなどでなんぼでも写真をとれますから、こんなにもせこく、フィルムをうまく消化して現像に、なんてこと、考えなくてもよくなりましたね。
*話の筋に合わせ、写真を変更しました。
以前掲載していた写真と同じ日に撮影したものです。岡山駅 駅
-
その部分をさらに拡大したものです。
黄色のカフスボタンに改めて着目あれ。 -
そして、今の私。
このカフスボタン、あの日に身に着けていたものです。
あの日の約1カ月前、九州の雲仙に行ったときに買ったもの。
丁度、雲仙普賢岳が噴火していろいろあった頃の事です。
大学生にしてはどうかなというカフスボタンでしたが、今頃になると、むしろ、ちょうど様になり始めたかな、と。
当時持っていた服はまったくなくなってしまいましたが、このカフスボタンだけは、今もって現役です。
~というより、一時期使われてなかったのが、最近になって、さらに使うようにもなってきた、ってところかな。 -
あの事件の記憶
旅行記としては、かなり重苦しいものになってしまいました。
ですが、こんな「旅の記録」もあるのだということで。
この写真は、小佐木島の風の子学園付近から島の頂上を望んだ写真です。あの日撮影したものです。
かの事件の被害者の少年少女たちは、この上にも、また、冒頭の写真で見える、海の向こうの本土にも逃げ場を失くされ、素人未満の「指導者もどき」によって、命を落とされた。
その記憶を風化させないために、出来ることは何か。
それについては、ここでは述べません。
事件のことはともあれ、こののどかな風景の瀬戸の島で、とんでもない事件が起きたこと。
それを、忘れてはなりますまい。
注:その後の風の子学園については、ネット上に情報が出ておりますので、そちらをご参照ください。 -
追記:2023年7月30日
昨日を持って、この事件から32年が経過しました。
続報こそないようですが、コンテナをはじめとする残存物・残置物の類は撤去された模様です。
去る6月22日にコンテナの解体が始まり、この事件の遺物となるものはかの島より撤去されました。
かつてこの小佐木島は、海水浴客でにぎわっていたようです。
しかし、こんな事件があっては、いくら人々の価値観がどうこうと述べてみたところで、海水浴なんかに来ようという気持ちにもなれませんでしょう。
島の住民も現在では一桁、記事によれば4人しかいないとのこと。
一方で、新たな観光スポットもできているようです。
この島が、かつて以上に賑わいと活気のある島に戻れますように。
そう祈らずにはいられません。三原港 乗り物
-
風の子学園の位置から、三原の町を望む。
この視点での光景は、昔も今も、そう変わりません。
表紙としていましたが、こちらをこの旅行記の最後に設定します。
なお、32年後の2023年9月に改めて風の子学園跡に行った折の旅行記を、別建てで公開いたしております。三原港 乗り物
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