2022/09/04 - 2022/09/04
93位(同エリア261件中)
yayoさん
以前青春18きっぷを使って神戸まで行った時、米原駅の手前が関ケ原だということを知り、それ以来いつか行ってみたいと思っていました。関ケ原といえば冬に新幹線に乗っていると突然雪景色に変わる場所、そして「1600年関ケ原の合戦で徳川家康が勝利し、それが天下分け目となった」という日本史上での大きな出来事が起きた場所。戦国時代について昔は大河ドラマやマンガを見ていたので結構好きだったはずですが、忘れてしまったことも多く、浅い知識しかもっていなかったため、それではあまり楽しめないだろうと思い事前に少しは勉強したつもり。。でしたが、実際足を運んでみると、想像以上に奥が深いことがわかりました。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR関ケ原駅到着。
青春18きっぷでやってきました。
所在は「岐阜県不破郡関ケ原町」。
ということは平成の大合併で近隣の市に吸収されず残ったわけだ。 -
大きな横長の看板。
右は徳川家康率いる東軍に参加した主な武将、左は石田三成率いる西軍に参加した主な武将。
この駅で降車する人が結構いました。
みんな歴史好きの人たちなのかなぁ。
そんな歴史ファンに紛れて降車。 -
改札口を降りたところにありました。
降車した瞬間に合戦は始まっているのかもしれません。
戦闘モードになりそうです。 -
これはかっこよすぎ(笑)
「信長の野望」のイラストのようです。 -
関ケ原駅は小さな駅でした。
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古戦場記念館まで徒歩で10分くらいとのことなので、歩いて行きます。
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途中には関ケ原の合戦についてのわかりやすい説明がありました。
合戦に参加した主な武将を紹介。
東軍率いる徳川家康。
食傷気味なので省略します。 -
家康進軍の足跡を巡る「徳川家康コース」があるようです(約8キロ)。
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西軍率いる石田三成。
私の推し戦国武将は「上杉謙信」ですが、最近三成も推し武将に急上昇♪♪♪
近江国生まれ、豊臣秀吉の小姓。
関ケ原合戦の敗北後は、京都六条河原で小西行長、安国寺恵瓊とともに斬首の処刑にされる。
石田三成については、なんとなくあまりいいイメージを持っていませんでした。
性格悪い、横柄、人望がないなど世間一般的には悪なイメージ。確かにそんな部分も持っていたのだと思いますが、調べれば調べるほどなぜか沼にはまりそうで不思議。ちなみに三成ファンも多く存在しているので、好き嫌いがはっきり分けれる人物だと思います。 -
石田三成コース(約10キロ)もあるようです。
今は暑くて無理だけど、寒くなったらぜひ歩いてみたい! -
三成の唯一の親友?と言われているフェイスマスクでお馴染みの大谷吉継。
三成と同じく秀吉の小姓。
この人も好きだなぁ。
最期は裏切り者の小早川秀秋隊に襲われ自害する。
泣ける。 -
大谷吉継コース(約9キロ)もあるようです。
これもいいですね。 -
黒田長政。
アンチ三成。秀吉の知恵袋、軍事黒田官兵衛の息子。
秀吉の死後は、徳川側につく。
この人の兜、めちゃくちゃ重そう。。 -
長政コースは約6キロで割と短いです。
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福島正則。
アンチ三成の代表格。
黒田節の逸話の元になった、お宝の槍を黒田家の家臣に呑み取られた人。
いつしかの大河ドラマの蟹江敬三のイメージが強い。
三成とは秀吉の子飼いの幼馴染だったのに、殺意がわくほど三成憎しになってしまった。タイプは違いますが、豊臣を思う一途な気持ちは一緒だったはず。結局は家康に利用されるだけ利用されて、ポイ捨てされてしまったけど。
関ケ原の合戦は、家康VS三成の構図に思われがちですが、秀吉家臣の中で、朝鮮出兵の最前線で戦った加藤清正や福島正則といった武断派と三成の文治派で仲が悪かったのを家康が利用したとも言われている。 -
福島正則コースは約7キロ。
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小早川秀秋。
家康の鉄砲の合図(問い鉄砲)で東軍に寝返り、西軍敗北の原因を作ったとされ、以後現在に至るまで裏切り者の代名詞みたいになっている。私もずっとそのように思ってたけど、色々調べるとそればかりではないように思います。戦後は、宇喜多秀家の備前国、美作国51万石を与えられ岡山城主となるものの、2年後に20歳そこらの若さで急死。大谷吉継に呪われてノイローゼになったとか、お酒の飲みすぎで肝硬変で死んだとか、ちょっと可哀そうになってきました。子供はいなかったため、小早川家は断絶。 -
裏切りコースもあるようです(約10キロ)。
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薩摩の島津義弘。
西軍に参加するも防衛のみに徹し、自ら動かない不動という意味不明。
西軍の敗戦が決定的になったとき、敵陣(東軍)へ正面突破という捨て身の戦法で難を逃れ(島津の退き口)、国へ帰ったというこれまた意味不明な行動。この人は一体、九州からわざわざ出てきて何しに来たんだろう??
合戦後、当主島津忠恒が上洛し家康に謝罪、これにより島津家は薩摩国、大隅国60万5000石を安堵される。 -
陣跡から、島津勢が敵中突破したところまでの道程を巡るコースもあるようです。
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「このまち、まるごと、古戦場」
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「関ケ原古戦場記念館」
家康の家紋と三成の旗印がとても目立っていました。
奇麗な建物です。 -
入場料は500円です。
絵柄は裏切り者の小早川氏だった。。。
1階では関ケ原の戦いを体験できるグランドビジョンシアターがありました。
事前予約が優先のようですが、ちょうど10時20分の回が開いているとのことだったのでその場で予約しました。
まだ時間があったので、2階の展示室を見学しました。
展示室は残念ながら撮影禁止でしたが、戦国時代の武将の甲冑などの武具、書状など貴重な資料を見ることが出来ました。
ところで、三成の夜叉のような甲冑は実際に関ケ原で着用していたかは不明なんだそう。江戸時代になって家康に対抗出来た智将として描いたのでなないかとされているようです。なので実際どのような甲冑を身に着けていたのかはよくかわっていないのです。。さらに大谷吉継のフェイスマスクも史料に残っていたわけではないようで、後世の創作の模様。。 -
グランドビジョン&シアターの映像は撮影不可だったので、来る途中にあった合戦の概要の説明書きを元に再現していこうと思います。
ちなみにグランドビジョン&シアターは、迫力があってとても面白く、関ケ原の合戦の内容をよくわかっていない私のような初心者が楽しめる内容でオススメです。ただ気分が悪くなるかもしれないので、年配の方にはあまりオススメできないかもしれません。 -
慶長5年(1600年)9月15日、ここ関ケ原において、徳川家康を総大将とする東軍と、石田三成率いる西軍との間で行われ、決戦そのものはわずか半日で決着がつきました。ですがこの戦いの発端は、豊臣秀吉の死に遡るのです。秀吉の死をチャンスと捉え、天下人を狙う家康と、その野望を阻止し「秀頼様(秀吉の息子)をお守りする」という石田三成の対立が激しくなりました。家康が上洛要請に従わない上杉景勝を討つため(会津征伐)出兵すると、1600年7月、三成は家康不在の隙を狙い挙兵したわけです。以後2か月にわたり全国各地で戦いが行われたというのが一般的に知られている関ケ原合戦の大まかな流れになります。
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東軍7万、西軍8万、総勢15万の兵が関ケ原に集結した。
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午前8時、東軍の井伊直政、松平忠吉が抜け駆けして西軍の宇喜多秀家に発砲。
これに怒った東軍先鋒の福島正則が宇喜多秀家への攻撃を命じて開戦。 -
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東軍黒田長政、細川忠興らは石田三成、島左近を攻める。
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全く動かない小早川にイラついた家康が鉄砲で合図して寝返らせたとか。よくドラマで見かける問い鉄砲と呼ばれるシーンです。
この人はもともと秀吉の正室ねねの甥っ子で秀吉の養子になっていましたが、秀吉と側室淀君との間に秀頼が生まれたので、子供がいなかった小早川隆景のところに養子に出されました。なので出自は豊臣なわけです。朝鮮出兵の際に三成にされた仕打ちを家康が助けてくれた経緯もあり、家康にも恩があるのでしょう。三成には秀頼が成人するまでの間「関白」の地位をあげると約束されたとか?!
豊臣か家康かギリギリまで迷っていたようですが、実は最初から家康側だったとも言われているようです。この時代、家を守るため寝返り裏切りなんて当たり前だったのに、ここまで叩かれるのもなんだか可哀そうな。。しかも肖像画も気の弱そうな頼りない顔立ちになっているし。。 -
小早川に続き西軍が続々と背反し、大谷隊に襲い掛かる。
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吉継は攻撃に耐えられず自害。
この人、小早川秀秋が寝返ることを予想して陣取りしたそうです。
予想は的中しましたが、まさか他の西軍まで寝返るとは思いもしなかったのかもしれません。この時視力が落ち盲目に近い状態だったようです。それでも戦場に出向き、どうせ死ぬなら負け戦覚悟で三成に味方して武士らしく散ろうという気持ちだったようです。正に武士の美学そのもの、なので、吉継をリスペクトする人は今でも多いそうです。本当に泣けるし、とてもかっこいいと思う。日本人が好きなタイプかもしれません。 -
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三成、無念の敗走。。
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西軍の敗北が決まり、最後にの島津隊が「おうち(城)に帰るにゃ~」とねこねこ日本史風に言うと、突然東軍の井伊、松平隊の中を一直線に突っ切っきる。これが「敵中突破」と言われるもので、そのまま脇をすり抜け伊勢路に向かって一直線に駆け抜け、おうち(城)に帰っていった、ということですが、そもそも島津隊は合戦中も全然動かないし、この人達、わざわざ九州から出てきて何しに来たんだろう?。色々説があるようですが、最初は家康に味方しようとしたけど断られたとか、三成が大国の島津軍はもっとたくさんの兵を連れてくると見積もっていたけど、蓋を開けてみればかなり少ない兵だったことに激怒し不遜な態度をとったこと、大垣城の軍議で島津義弘が夜襲を提案したが三成に一蹴されて気分を害したとか、いずれにしても積極的に西軍を支持していたわけではないようです。
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シアター観覧後は再び2階へ行き、この日迄だった「ねこねこ日本史」を見学。
スタンプラリーを楽しんでいた子供たちが多いように思いました。私もやりたかったのですが、時間がないのでパス。 -
東軍のねこに扮した武将キャラクター。
勇ましさとは真逆だけど、特徴が押さえられていて可愛い♪
何故か「鳥居元忠」だけねこではなく鳥(笑)
この人が島津の東軍に入りたい申し入れを断った人でしたっけ?!島津の薩摩訛りが聞き取れなかったとも。 -
西軍の武将キャラもめちゃくちゃ可愛くて面白い。
ところで作者のそにしけんじさんは「ねこピッチャー」の人だ!
一時「ねこピッチャー」にハマっていた時がありました。 -
「関ケ原合戦とはニャンだ?(開戦編)」
合戦の概要は既に説明しました。
関ケ原の合戦といったら、徳川家康VS石田三成なので、東軍の総大将は徳川家康で、西軍の総大将も石田三成だと思いがちですが(私もずっとそう思っていた)、実は違うのです。この時、三成には肩書がなく(三成襲撃事件の後で五奉行をクビになり佐和山城に謹慎させられてた)、格上の家康に対抗するために、家康と同じ五大老から担ぐことを考え、三成と安国寺恵瓊は、毛利輝元を総大将として担ぎ出します。お飾り大将といったところでしょうか。 -
「関ケ原合戦とはニャンだ?(決戦編)」
小早川秀秋が突然東軍に寝返ったのは有名な話で、この人ばかりが現代に至るまで裏切り者の代名詞のように言われていますが、他にも酷い裏切り者がいたのです。「吉川広家」という大将の前をわざと陣取り、後方の出陣を邪魔し動かなかった人。この人は毛利元就の孫にあたる人で毛利家の人です。西軍の大将である毛利輝元ですが、この人が大阪城に引きこもったまま、全然戦場に出てこない。そこで養子にあたる毛利秀元を現地へ大将として派遣しました。秀元の補佐に任されたのが「吉川広家」。吉川は初めから毛利家は家康の東軍に付くべきだと主張していて、安国寺恵瓊とかなり揉めていたようです。結局西軍大将は輝元になってしまったので、仕方なく西軍となってしまったわけですが、吉川は徳川側と内通していました。合戦時に布陣した時には、わざと現場大将の秀元の前に陣取り、後方の大将はじめとする出陣を邪魔したのです。その時の邪魔して動かなかった理由が「兵が弁当を食べていて動けない」という苦し紛れの言い訳(もちろんウソですが)吉川も毛利家を守りたかったから起こした行動だと思いますが、この人が邪魔して後方部隊が動けなかったのも、負けた理由が大きかったように思うのです。。吉川が怪しかったことに西軍メンバーは気が付かなかったのだろうか。。それにしても西軍の数は多いけど、内部は全然統制が取れてなかった印象です。東軍に入れなくて仕方なく西軍に入ったとか、寝返り裏切りなど。結局まともに戦った西軍は、石田、大谷、宇喜多だけって。。純粋な西軍って少なそう。。 -
この陣取り図、とてもわかりやすくてgood♪
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戦国時代に使われた武器が展示されていました。
先ずは日本刀。
右は「脇差」で軽くて短い、左は「打刀」で長くて重い。 -
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説明書きによると、「戦国時代には武士でない庶民が多く戦いに加わるようになったため、軽くて扱いやすい打刀や脇差が好んで使われるようになった。」とありました。実際に持ってみたところ、脇差は軽くて扱いやすいですが、打刀は重くてかなり腕力いるのではないかと思いました。片手で振りかざすって結構難易度高いような。。
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槍。
一人前の武士は槍を持つことが義務付けされたそう。 -
な、長い。。
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天下三名槍は、①日本号(黒田節の逸話の元になった)②御手杵 ③蜻蛉切(徳川四天王の一人本多忠勝が愛用していた)だそうです。
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火縄銃。
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大筒。
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戦国時代の戦い方として、「八陣」が紹介されていました。
魚鱗、鶴翼、雁行、長蛇、偃月、鋒矢、衡軛、方円があり、戦いを有利に運ぶために陣形を整え、組織だって隊列を組んで攻め守ったようです。
中国の諸葛孔明が発案し、吉備真備によって日本に伝わったとされるようです。
合戦の時の陣取りの形には意味があったんですね。
ちなみに関ケ原の合戦では、東軍が魚鱗の陣、西軍が鶴翼の陣と見ることができるそうです。 -
前線の「備」
戦国時代の合戦において、戦いの前線は、鉄砲隊・弓隊・槍隊といった武器ごとに隊列を組んだ「備」と呼ばれる編成で布陣したようです。各隊がそれぞれの武器の特性を活かし、相互に補完しあって戦ったとのこと。 -
武将の存在を示すものとして「旗印」「馬印」がありました。
大勢が入り乱れる戦場はカオスですから、敵味方に対して、それぞれの所属や大将となる武将の位置を示す必要があったわけです。
「旗印」は、縦長の旗を棒に括り付けて掲げ、戦場で指揮官の位置を示す目印としたもので、戦国時代以前から用いられていたようです。具足の背中にさして、所属する隊や任務を明らかにするために用いられたものは旗指物といいます。
家紋や宗教的な語句の引用などで大将の信念を示し、転じて「大勢の行動の目標として掲げる主義主張」と意味になったそう。 -
石田三成の旗印は「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」
縁起の良い漢字を組み合わせたものだそうです。
これって中国語にありそうだと思ったのは私だけでしょうか。。
「ダーイーダーワンダージー」の読みの方がしっくりくるような。。 -
「馬印」は、戦国時代に戦の規模が大きくなってくると、より的確に指揮官の位置を見分けるために、より目立つ形のものが用いられるようになりました。騎乗の大将に侍る形で兵士が掲げ、遠くからでも認識できるように、各武将ごとに特異な形や派手な工夫が施されたとのこと。左から、石田三成、島津義弘、大谷吉継、小早川秀秋、徳川家康、福島正則、黒田長政のものだそうです。三成と島津のは、高いところを掃除する時に使うモップみたいな形で、色も黒だし、一つついているか二つかの違いで紛らわしくないでしょうか。色も遠くからではわかりにくいのでは。
大谷と小早川と黒田のはまるで鯉のぼりのよう。大谷と黒田のはほとんど一緒では??色も遠くからでは分かりずらい。小早川の赤は目立ってわかりやすいですね。福島正則のは、遠くからでは分かりにくい。家康のは金色の扇子に日の丸。一番目立って分かりやすいし、遠くからもわかる。兵士もしっかり覚えておかないとですね。紛らわしいのもあるし。。 -
家康の馬印は他に「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」。
「厭離穢土欣求浄土」とは、「戦国の世の国土を穢土とし、これを嫌って平和な浄土を願えば必ず事を成すことができる」という意味で、家康が生涯掲げた馬印として有名なもの。若かりし日の家康が窮地に陥った際に、松平家菩提寺の大樹寺の登誉和尚から授かった教えとされているそうです。 -
合図の「陣鐘」
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「陣太鼓」
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左は「軍配」。相撲でも使うものですね!出陣の時に進退の日時、方角などを占って「軍陣」を適切に「配置」することに由来するようです。戦場での指揮に使われました。右は「采配」。神社の神主さんが使う「御幣」に由来しているようです。これも戦場で大将が軍勢を指揮する時に使われたようです。
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5階の展望台へ。
遠くに三成の陣地跡が見えました。
歩くと結構ありそうです。
この山の景色、見たことあると思ったら新幹線が走っているのが見えました。
車窓から見えていた景色と同じなのでしょう。ということは三成陣地跡も新幹線の車窓から見えるのかしら??
それにしても関ケ原のストーリーは知れば知るほど奥が深い。
天下分け目と言われる日本史上大きな出来事なのに、授業では「1600年徳川家康が関ケ原で石田三成と戦い、家康が勝利し戦の世の中が終わり、泰平の世がその後250年続く」くらいで終わってしまうので、その内容については、歴史好きでない限り私を含めよくわかっていない人が多いのではないかと思います。そもそもこれだけ濃い内容をまともに授業でやったら関ケ原で1年終わりかねない(終わらないかも)ので、さらっと流してしまうのは仕方ないことでしょう。 -
ひこにゃんがいる(笑)
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お隣の別館売店ショップへ。
目移りするくらい色んなグッズが販売されていて、見ているだけで楽しい。そのため買い物魂にも火がついてしまい、色々買い漁ってしまいました。。 -
戦利品①
石田三成&大谷吉嗣の合戦水(ミネラルウォーター)。
「うらぎりサイダー」(笑) -
戦利品②
戦国武将の花押が描かれたクリアファイル。
花押ってとてもかっこいいと思う。 -
戦利品③
今回一番の一目ぼれ商品!!
ご当地ベア「石田三成」。
関ケ原限定だそう。シアターの入口にこれと家康のご当地ベアが置いてあってとても気になっていたのですが、販売されていて嬉しい♪
家康、秀吉(ベアではなくサルだったけど)、明智光秀ベアもありました。
めちゃくちゃ可愛い♪♪♪ -
戦利品④
石田三成関係のグッズが買える場所は限定されるでしょうから、色々買い漁る。
手前は三成の旗印が入った懐紙とミニのぼり旗。家紋と花押のシール入り。もう一つののぼり旗は私の推し戦国武将「上杉謙信」のもの。謙信といったら「毘」とか龍の草書っぽいのが有名だと思うのですが、こんなのもあるんですね。 -
戦利品⑤
石田三成に扮するツイッターが面白くて(そこに寄せられるコメントも面白い)毎日チェックしていますが、三成の中の人がツイッター開設10周年記念に、フォロワー向けに「30箇条の掟書」を作製したというもの(笑)。通販もなくてここでしか手に入らないということだったのでゲットしました。中身が面白過ぎでした。 -
「令和4年関ケ原合戦投票表」
石田三成のツイッターで見て、これどこでもらえるんだろう?と思ったら、別館売店ショップで1000円以上お買い上げの人に投票の権利があることが判明(笑) -
もちろん「西軍」に投票です(笑)
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投票箱へ。
来年の大河ドラマ「どうする家康」の主役は嵐の松潤ですが、線が細すぎて顔も小さいし家康のイメージには全く合わないのでは。。新選組ならまだわかるのですが。津川正彦の家康が強烈すぎて印象に残っていますが、いい意味で家康像を裏切ってくれることを期待したいです。まあファンとしては、とにかく画面に松潤が出ていればいいのよね、きっと。 -
残念ながら館内にあるレストランは休業でしたが、パンの軽食ランチはやっていたのでそちらをいただくことにしました。
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記念館のすぐ裏手が家康の最後の陣地跡となっていました。
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水の神様、「貴船神社」がありました。
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記念館の隣は資料館でしたが、こちらはそこまで面白くなかったかな。
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さて今回はこれで帰ることにしましょう。
帰り道コスモスが咲いていました。
遠くに見える石田三成陣跡。
次回はぜひ三成や吉継の関ケ原での足跡を辿ってみたい。
冬の青春18きっぷで雪が降る前にまた来ようと思います。
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