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 最初に姫路城に来たは2014年の6月である。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映されていた年である。その頃、大規模な改修工事「平成の大修理」が行われていました。2009年(平成21年)10月9日~2015年(平成27年)3月までの約5年半、工事が行われた。工事期間中により、姫路城内を見学することが出来なかった。外側から見ているだけだった。ただ、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」館を姫路城近くで見学が出来た。<br /> 姫路城内観光時間は約2時間30分。観光ガイドさんは自分のペースを曲げず、自分が納得するまで説明を続けた。観光客の時間など気にしていなかった。国宝、世界遺産の観光ガイドともなればプライドを持っているのだろう、と思った、旅であった。<br /><br />

天下の名城 姫路城

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2021/11/15 - 2021/11/15

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ガッサン

ガッサンさん

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 最初に姫路城に来たは2014年の6月である。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映されていた年である。その頃、大規模な改修工事「平成の大修理」が行われていました。2009年(平成21年)10月9日~2015年(平成27年)3月までの約5年半、工事が行われた。工事期間中により、姫路城内を見学することが出来なかった。外側から見ているだけだった。ただ、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」館を姫路城近くで見学が出来た。
 姫路城内観光時間は約2時間30分。観光ガイドさんは自分のペースを曲げず、自分が納得するまで説明を続けた。観光客の時間など気にしていなかった。国宝、世界遺産の観光ガイドともなればプライドを持っているのだろう、と思った、旅であった。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩

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  •  姫路城「桜門橋」です。江戸時代、大手門には内濠を渡るために木橋が架けられていたそうです。現在の桜門橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋を想像して築いたものです。幅7m、長さ22mあり、平成19年2月に完成しました。奥に見える建物は姫路城大手門です。<br />

     姫路城「桜門橋」です。江戸時代、大手門には内濠を渡るために木橋が架けられていたそうです。現在の桜門橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋を想像して築いたものです。幅7m、長さ22mあり、平成19年2月に完成しました。奥に見える建物は姫路城大手門です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  姫路城「桜門橋」の上から姫路城天守閣が見えたので撮影しました。

     姫路城「桜門橋」の上から姫路城天守閣が見えたので撮影しました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  大手門から姫路城に入りました。目の前に見える広場は「三の丸広場」です。

     大手門から姫路城に入りました。目の前に見える広場は「三の丸広場」です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「姫路城入城口」から天守閣を撮影してみました。

     「姫路城入城口」から天守閣を撮影してみました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「姫路城入城口」へ向い、歩いています。

     「姫路城入城口」へ向い、歩いています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「菱の門」の手前です。菱の門は修理中でした。菱の門は城の正面を象徴する門です。豪華さが目を引きますが、修理中で見れなかったのが心残りでした。名前の由来である木彫りの菱形が門柱の上に渡された冠木に二つ並ぶそうです。<br /><br /> 姫路城入城口で姫路城観光ガイドさんと待ち合わせ、ここから案内が始まりました。かなり年配者のガイドさんで特に威張っていました。質問を寄せ付けない頑固なガイドさんでした。時間を気に掛けず、自分のペースで延々と話していました。

     「菱の門」の手前です。菱の門は修理中でした。菱の門は城の正面を象徴する門です。豪華さが目を引きますが、修理中で見れなかったのが心残りでした。名前の由来である木彫りの菱形が門柱の上に渡された冠木に二つ並ぶそうです。

     姫路城入城口で姫路城観光ガイドさんと待ち合わせ、ここから案内が始まりました。かなり年配者のガイドさんで特に威張っていました。質問を寄せ付けない頑固なガイドさんでした。時間を気に掛けず、自分のペースで延々と話していました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「菱の門」前から見た「チの櫓」です。

     「菱の門」前から見た「チの櫓」です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「三国濠」から見た大天守と西小天守です。<br /> 三国濠は菱の門から敵の侵入を防ぎつつ、溜池としての機能も併せもつ濠です。三国濠の名は、池田輝政の領国であった播磨・備前・淡路の三国にちなんだものといわれている、と観光ガイドさんは説明をした。<br /><br />

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     「三国濠」から見た大天守と西小天守です。
     三国濠は菱の門から敵の侵入を防ぎつつ、溜池としての機能も併せもつ濠です。三国濠の名は、池田輝政の領国であった播磨・備前・淡路の三国にちなんだものといわれている、と観光ガイドさんは説明をした。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「西の丸」から見た「大天守」です。ここは姫路城ビューポイントの一つです。

     「西の丸」から見た「大天守」です。ここは姫路城ビューポイントの一つです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「西の丸」から見た「大天守」です。姫路城ビューポイントで遠近を変え、「大天守」を撮影しました。

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     「西の丸」から見た「大天守」です。姫路城ビューポイントで遠近を変え、「大天守」を撮影しました。

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  •  「西の丸」から見た「大天守」です。姫路城ビューポイントで遠近を変え、「大天守」を撮影しています。

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     「西の丸」から見た「大天守」です。姫路城ビューポイントで遠近を変え、「大天守」を撮影しています。

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  •  姫路城ビューポイント「西の丸」から見た「西小天守」です。姫路城ビューポイントの一つなので廻りを色々撮影しました。

     姫路城ビューポイント「西の丸」から見た「西小天守」です。姫路城ビューポイントの一つなので廻りを色々撮影しました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  姫路城大天守は見る角度により、様々な魅力を見せます。

     姫路城大天守は見る角度により、様々な魅力を見せます。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「はの門」に向かう坂です。観光ガイドさんの話では、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」シリーズで江戸城内のシーンとして度々登場することから、「将軍坂」と呼ばれている、そうです。

     「はの門」に向かう坂です。観光ガイドさんの話では、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」シリーズで江戸城内のシーンとして度々登場することから、「将軍坂」と呼ばれている、そうです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「石灯籠の基礎」の案内板です。案内板を読んでみました。<br /> 姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物の基礎に転用されています。ろの門はの門では、礎石に六角形に加工された石材が転用されています。これは、もともと石灯籠の基礎として使用されていた石です。

     「石灯籠の基礎」の案内板です。案内板を読んでみました。
     姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物の基礎に転用されています。ろの門はの門では、礎石に六角形に加工された石材が転用されています。これは、もともと石灯籠の基礎として使用されていた石です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「はの門」に向かう坂です。別名「将軍坂」と呼ばれ、攻め込まれにくいように、大天守までのルートは入り組んだ坂道になっている、そうです。

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     「はの門」に向かう坂です。別名「将軍坂」と呼ばれ、攻め込まれにくいように、大天守までのルートは入り組んだ坂道になっている、そうです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  はの門を潜って石垣を上がった所が乾曲輪です。右手方向の小さな看板は、前方に位置する「にの門」、鬼瓦に十字紋が刻まれていることを示している、と観光ガイドさんは説明した。

     はの門を潜って石垣を上がった所が乾曲輪です。右手方向の小さな看板は、前方に位置する「にの門」、鬼瓦に十字紋が刻まれていることを示している、と観光ガイドさんは説明した。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  正面の門が隅櫓式櫓門の「にの門」です。江戸時代初期の慶長年間築の門が残され、国の重要文化財に指定されている。

     正面の門が隅櫓式櫓門の「にの門」です。江戸時代初期の慶長年間築の門が残され、国の重要文化財に指定されている。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「ほの門・油壁」本丸の入り口にある門です。鉄板の門扉は、鉄砲による攻撃に備えるためのものです。また、内側にある油壁は秀吉時代までさかのぼり、粘土と豆砂利を混ぜ、米のとぎ汁で固めた壁です。ちなみに門が低いのは、万一のときに油壁を壊して、門の入り口を埋めやすくするためだ、と観光ガイドさんは自慢げに話をした。

     「ほの門・油壁」本丸の入り口にある門です。鉄板の門扉は、鉄砲による攻撃に備えるためのものです。また、内側にある油壁は秀吉時代までさかのぼり、粘土と豆砂利を混ぜ、米のとぎ汁で固めた壁です。ちなみに門が低いのは、万一のときに油壁を壊して、門の入り口を埋めやすくするためだ、と観光ガイドさんは自慢げに話をした。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  狭間があるのは壁だけではありません。天守や櫓、門、塀などの床面にあるのが、「石落とし」という狭間です。出窓のように床を石垣などから突出させるか、隅部を突出させて、その床面に長方形の開口部を設けます。その名の通り、石垣を登る敵兵に石を落とす装置で、槍で突いたり、熱湯、油、糞尿を浴びせたともいわれているそうです。

     狭間があるのは壁だけではありません。天守や櫓、門、塀などの床面にあるのが、「石落とし」という狭間です。出窓のように床を石垣などから突出させるか、隅部を突出させて、その床面に長方形の開口部を設けます。その名の通り、石垣を登る敵兵に石を落とす装置で、槍で突いたり、熱湯、油、糞尿を浴びせたともいわれているそうです。

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  •  二階の天井をはう配管です。珍しいので撮影しました。

     二階の天井をはう配管です。珍しいので撮影しました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  二階廊下にある武具掛けです。火縄銃や槍がかけられていれば、往時の様子を垣間見ることができます。

     二階廊下にある武具掛けです。火縄銃や槍がかけられていれば、往時の様子を垣間見ることができます。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  二階廊下にある武具掛けです。

     二階廊下にある武具掛けです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  二階廊下にある武具掛けです。

     二階廊下にある武具掛けです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  東大柱(ひがしおおはしら)です。東大柱は姫路城大天守を支える2本の大柱のうち東側の柱です。東大柱は大天守の5階まで一本柱で通されています。大天守内の地階~5階で見ることができます。

     東大柱(ひがしおおはしら)です。東大柱は姫路城大天守を支える2本の大柱のうち東側の柱です。東大柱は大天守の5階まで一本柱で通されています。大天守内の地階~5階で見ることができます。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  長押(なげし)に色々細工されています。埋め木は工人たちの遊び心、と言う。<br /> 最上階にはよく見ると、以下のようなマークの付いた木材が見られる。材木の「死に節」や「抜け節」、「割れ節」を、埋め木によって補修したものではないかと思われているそうです。見ているといろいろな形があり、☆型(五芒星)、ひょうたん、なすび、もしかして男○?と、当時の工人たちの遊び心が見て取れます。

     長押(なげし)に色々細工されています。埋め木は工人たちの遊び心、と言う。
     最上階にはよく見ると、以下のようなマークの付いた木材が見られる。材木の「死に節」や「抜け節」、「割れ節」を、埋め木によって補修したものではないかと思われているそうです。見ているといろいろな形があり、☆型(五芒星)、ひょうたん、なすび、もしかして男○?と、当時の工人たちの遊び心が見て取れます。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  長押(なげし)の細工をアップで撮影しました。これは何でしょうか。なすびにも似ています。

     長押(なげし)の細工をアップで撮影しました。これは何でしょうか。なすびにも似ています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  大天守最上階からの眺望です。

     大天守最上階からの眺望です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  • 大天守最上階(6階)にある「刑部神社(おさかべじんじゃ)」です。もともとこの姫山に祀られていた地主神です。築城の時に城外へと移されましたが、神様のたたりがあると城内に戻されたそうです。<br /> また、この天守には妖怪が棲んでいたといわれ、剣豪・宮本武蔵の妖怪退治の逸話も伝わっています。

    大天守最上階(6階)にある「刑部神社(おさかべじんじゃ)」です。もともとこの姫山に祀られていた地主神です。築城の時に城外へと移されましたが、神様のたたりがあると城内に戻されたそうです。
     また、この天守には妖怪が棲んでいたといわれ、剣豪・宮本武蔵の妖怪退治の逸話も伝わっています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  大天守最上階(6階)のピカピカに磨き込まれた板敷の床。 

     大天守最上階(6階)のピカピカに磨き込まれた板敷の床。 

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  大天守三角屋根の屋根裏写真です。

     大天守三角屋根の屋根裏写真です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  大天守の板敷の廊下を照らす行燈です。

     大天守の板敷の廊下を照らす行燈です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  姫路城の撮影スポット「備前丸」の南西アングルから、見上げた感じも絵になります。備前丸から見上げる大天守は壮大でした。

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     姫路城の撮影スポット「備前丸」の南西アングルから、見上げた感じも絵になります。備前丸から見上げる大天守は壮大でした。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  広大な備前丸です。池田時代の居館があり、周囲には対面所や長局などが立ち並んでいたそうです。

     広大な備前丸です。池田時代の居館があり、周囲には対面所や長局などが立ち並んでいたそうです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  井郭櫓(いのくるわやぐら)です。<br /> 櫓の中に井戸を構えるという珍しい櫓が井戸櫓(井郭櫓)です。井郭櫓(いのくるわやぐら)とも通称されていますが、井戸曲輪にはないため、井戸櫓が正しい呼び名だそうです。

     井郭櫓(いのくるわやぐら)です。
     櫓の中に井戸を構えるという珍しい櫓が井戸櫓(井郭櫓)です。井郭櫓(いのくるわやぐら)とも通称されていますが、井戸曲輪にはないため、井戸櫓が正しい呼び名だそうです。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  井郭櫓(いのくるわやぐら)の前の通りです。備前門の近くに位置し、備前丸に居館を構えた池田氏の治世の時代には、ここから御殿へと水を供給したと推測できるそうです。国の重要文化財です。

     井郭櫓(いのくるわやぐら)の前の通りです。備前門の近くに位置し、備前丸に居館を構えた池田氏の治世の時代には、ここから御殿へと水を供給したと推測できるそうです。国の重要文化財です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「石棺(せっかん)」の案内板がありました。読んでみました。<br /> 備前門の入口脇にはきれいに加工された直方体の石が縦に積まれています。これは、古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。その他の石垣にも組合式石棺の側石や底石なども転用されています。こうした古墳の石棺が積石として多く多用されているのが、姫路城の石垣の特徴です。築城によって、姫路近辺にあった古墳がいくつも破壊されたことが想像できます。

     「石棺(せっかん)」の案内板がありました。読んでみました。
     備前門の入口脇にはきれいに加工された直方体の石が縦に積まれています。これは、古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。その他の石垣にも組合式石棺の側石や底石なども転用されています。こうした古墳の石棺が積石として多く多用されているのが、姫路城の石垣の特徴です。築城によって、姫路近辺にあった古墳がいくつも破壊されたことが想像できます。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  石垣のコーナー(角)中央部の大きな平な石は「石棺(せっかん)」を使用しています。

     石垣のコーナー(角)中央部の大きな平な石は「石棺(せっかん)」を使用しています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  「お菊井戸」の案内板が立っていました。読んでみました。<br /><br /> この井戸は、播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」といわれています。<br /> 永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職の執権青山鉄山は町坪弾四郎と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企てを探らせました。則職暗殺を探知したお菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。お菊の働きを知った弾四郎は、お菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの皿の1枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸に投げ込まれました。<br /> その後。毎夜この井戸から「1枚、2枚、3枚、・・・9枚」と9枚まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。やがて元信らが鉄山一味を滅し、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社内に祀られました。

     「お菊井戸」の案内板が立っていました。読んでみました。

     この井戸は、播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」といわれています。
     永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職の執権青山鉄山は町坪弾四郎と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企てを探らせました。則職暗殺を探知したお菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。お菊の働きを知った弾四郎は、お菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの皿の1枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸に投げ込まれました。
     その後。毎夜この井戸から「1枚、2枚、3枚、・・・9枚」と9枚まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。やがて元信らが鉄山一味を滅し、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社内に祀られました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  備前丸のお菊井戸付近から見た大天守です。

     備前丸のお菊井戸付近から見た大天守です。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  写真は「石棺」です。石棺の案内板があったので読んでみました。<br /> 本来、別の目的で製造された石材が、石垣などに転用されたものを「転用石」といいます。姫路城でも石臼、墓石、石灯籠、宝篋印塔などいろいろな石造品が、石垣に転用されています。<br /> この石棺の身も備前丸の東側石垣に積石として転用されていたものです。昭和の大修理での石垣を一部解体した際に取りはずしました。凝灰岩でできた石棺の身は中が空洞なので、もとの場所に積み直すと強度に問題が生じるため、実物ははずして、この場所に展示しています。もともと積まれていた箇所には、凝灰岩を同じ大きさに加工した新しい石材を積んでいます。築城の際に、姫路周辺にあった古墳から掘り出して転用したのでしょう。と、ありました。

     写真は「石棺」です。石棺の案内板があったので読んでみました。
     本来、別の目的で製造された石材が、石垣などに転用されたものを「転用石」といいます。姫路城でも石臼、墓石、石灯籠、宝篋印塔などいろいろな石造品が、石垣に転用されています。
     この石棺の身も備前丸の東側石垣に積石として転用されていたものです。昭和の大修理での石垣を一部解体した際に取りはずしました。凝灰岩でできた石棺の身は中が空洞なので、もとの場所に積み直すと強度に問題が生じるため、実物ははずして、この場所に展示しています。もともと積まれていた箇所には、凝灰岩を同じ大きさに加工した新しい石材を積んでいます。築城の際に、姫路周辺にあった古墳から掘り出して転用したのでしょう。と、ありました。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  姫路城は1951年に国宝に指定され、1993年には日本で初の世界文化遺産となりました。通常、天守の屋根にあるしゃちほこは雄と雌とで一対になっていますが、姫路城は2体とも雌のしゃちほことなって、これは全国的にも珍しいものなのだ、観光ガイドさんは説明する。<br /> ウロコの彫が一番深い「明治」、ヒレが大きく華やかな「昭和」、昭和の形状を踏襲しつつも、より迫力を持たせた「平成」が姫路城内に展示されています。

     姫路城は1951年に国宝に指定され、1993年には日本で初の世界文化遺産となりました。通常、天守の屋根にあるしゃちほこは雄と雌とで一対になっていますが、姫路城は2体とも雌のしゃちほことなって、これは全国的にも珍しいものなのだ、観光ガイドさんは説明する。
     ウロコの彫が一番深い「明治」、ヒレが大きく華やかな「昭和」、昭和の形状を踏襲しつつも、より迫力を持たせた「平成」が姫路城内に展示されています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  ヒレが大きく華やかな「昭和」と昭和の形状を踏襲しつつも、より迫力を持たせた「平成」が並んで展示されていました。時代と共に「鯱」のデザインが変化しているとは知らなかった。

     ヒレが大きく華やかな「昭和」と昭和の形状を踏襲しつつも、より迫力を持たせた「平成」が並んで展示されていました。時代と共に「鯱」のデザインが変化しているとは知らなかった。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  •  二の丸側から見た「ぬの門」です。あっという間の2時間30分でした。あんなに熱く語る観光ガイドを見た事がなかった。「もうちょっと、喋らせてくれ」と言うのが口癖だった。観光ガイドも天下逸品であった。

     二の丸側から見た「ぬの門」です。あっという間の2時間30分でした。あんなに熱く語る観光ガイドを見た事がなかった。「もうちょっと、喋らせてくれ」と言うのが口癖だった。観光ガイドも天下逸品であった。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • カフェこさん 2022/08/24 14:10:13
    圧巻の美しさの姫路城(*^^*)
    こんにちは!

    10数年前に補修されて、さらに白く美しくなった姫路城(*^^*)圧巻ですね♪

    なかなか熱のこもった案内人の方だったようで…
    兵庫県の誇りですもんね(*^^*)

    わたしは、11月に姫路城に行く予定なんですよ♪
    とても詳しい旅行記で、大変勉強になりました。

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